ご案内

私は10数名のヴォイストレーナーとともに、ヴォイストレーナーにも指導しているため、内外のヴォイストレーナーのアドバイザーやヴォイトレをしている人のセカンドオピニオンもたくさんやってきました。ヴォイストレーナー、指導者、専門家以外にも「ヴォイストレーナーの選び方」などに関する質問が多くなりました。以下を参考にしてください。

 

「ヴォイストレーナーの選び方要項」 http://www.bvt.co.jp/new/voicetrainer/

 

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カテゴリー2:ヴォイトレの論点は、こちら に移動になりました。
カテゴリー4:4.福島英レッスン録アーカイブは、こちら に移動になりました。

 

 

「邦楽」(3)

〇日本の音楽と欧化

 

1549年 フランシスコ・ザビエル グレゴリウス聖歌や器楽合奏

1853年 ペリー 軍楽隊→1869年 イギリス軍楽隊長、フェソトンが薩摩藩軍楽伝習隊を結成→1971年に兵部省を新設、軍楽隊を発足

1974年 宮内省式部寮伶人に洋楽

 

「日本の美術工芸は素晴らしいが、音楽はダメだ。

明治の初めに来日した外国人はそう観察した。同じころ、音楽家は社会全体の奴隷だと、その地位の低さが指摘されている」

(「荒城の月」 1901年 『中学唱歌』 土井晩翠 「宴」「エ」にシャープ記号 大正の末に山田耕作が改めてヒット)

ペリー提督が来日した時、通訳のウイリアムズは日本人の歌を聞いて、これが音楽かと驚いた。1854年、アメリカの艦隊サスケハナ号へ招待された武士が、船を離れる時に歌ったのを聞いた感想。1867年、日本通のイギリス外交官アーネスト・サトウは、日本人の歌声を調子はずれと断じた。

 

1879年の東京・新富座、王立イギリス歌劇団と名乗るヴァーノン一座を雇った。「漂流奇談西洋劇(かぶき)」 観客は、「洋犬(かめ)が吠えるのと同じだ」 

1875年、イタリアのスカラ座で活躍したソプラノ歌手パルミエリが来日 延遼館(えんりょうかん) イギリス人ワーグマンの絵では出席者はわずか3名で居眠りしている。

1905年、ドイツ人ベルツが柴田環(のちの三浦環)を絶賛。環は1912年、帝劇の女優たちに声楽を教えるも女優たちは豚の鳴き声だと嘲って授業をボイコット。神戸絢子もスルーされる。 

方言が唱歌普及に障り 日本人の濁った声や歯並びの悪さ(1950年、“青空楽団”まで、調子はずれ続く)

 

1928年、マイクロフォン「電気吹込み」

伊庭孝 日本は低俗下劣 “流行歌論争”。「鄭声(ていせい)を放て(悪歌追放)」 

雑誌『キング』を発行する講談社は“流行歌浄化”を旗印にキングレコード発足 

NHK「独立守備隊の歌」。時局レコード 愛国歌謡 

昭和32年、朝日新聞が「肉弾三勇士の歌」を懸賞募集 与謝野寛(鉄幹) 

1933年、読売新聞は流行小唄の懸賞募集 門田ゆたかの「東京祭」

流行歌は漫才や落語に比べると処分件数ははるかに少ない 劣情を刺激するような歌い方を検閲

 

1936年、「国民歌謡」1回目「日本よい国」奥田良三 

1937年、「愛国行進曲」に懸賞募集

放送、レコード、映画 歌の広がり 官庁の力 

電波統制下 “敵性音楽の排除” 鼻声で歌ってはならぬ、裏声や弱々しい細い声もダメ 歌い方にも注文 マイクの使用が禁じられる 

1943年、国民皆(かい)(しょう)運動 戦意高揚 “歌える国民”に近づいた

「ラジオ歌謡」 明朗、清純な歌 

「山小舎の灯」 1947年、連続放送劇「鐘の鳴る丘」 「とんがり帽子」 

「リンゴの唄」 「悲しき口笛」 

「のど自慢素人音楽会」 “マイクの解放” 「のど自慢」1回目放送1946119日 「紅白歌合戦」

1951年、第1回放送、1953年からは大みそかに定着 “国民的行事” 

民間放送の発足1951年 CMソング 「レコード大賞」1959年 「夏祭りにっぽんの歌」 

 

進駐軍向けの放送FEN「ジャズ・アワー」 一ツ橋の共立講堂と読売講堂が演奏会場 ジーン・クルーパ、チャーリー・ヴェンチューラ、テッディ・ナポレオンの三人が「荒城の月」「証城寺の狸ばやし」吹込み

マンボ・ブーム 531月、ザヴィア・クガート楽団。11月、「JATP」(ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック) フランキー堺、ナンシー梅木 

1953年3月、東京六大学の出演「音楽リーグ戦」

ロカビリー 日劇 「ウエスタン・カーニバル」195828日 

1965年、ザ・ベンチャーズ、ザ・アストロノウツ来日 

グループ・サウンズ(GS) ザ・ビートルズ来日

「りんご追分」「悲しい酒」「川の流れのように」「愛燦々」

 

<邦楽のことば>

「〆る」:だんだん遅くの意味(rit)次第にゆったりして終わる感覚ではなく、ギュ、ギュッ、ッッギュッと徐々に締め上げていく感覚。

「見計らい」:自由に演奏すること。他人の演奏。踊りに添って臨機応変に演奏すること。

「付き直し」:曲の頭に戻ること

「減()る」「上()る」:「上る」は音程が高い、「減る」は低いの意。尺八の用語、「吊ってる」とは吊り上がって音程が高め。

「ニュー消し」:だんだん弱く小さくなっていくこと。

「調べ」:チューニングのこと、調子を整える。

「おやす」:だんだん強く。反意語―「かすめる」

「どんちゃんさわぎ」:大太鼓の“どん”、三味線の“チャン”など大騒ぎの様。

「ちゃんぽん」:中国の銅鑼“チャーン”、鼓の“ポン”、中国と日本の楽器フュージョンから文化の交わりを指す。

「あしらい」:能や歌舞伎で囃子方の演奏方法のひとつ。比較的自由に見計らいで演奏すること。日常語でもとりあわせの意で使う。

「陰音階」:半音を含んだ音階、陰施法。

 

参考:「落語に花咲く仏教」釈徹宗(朝日新聞出版)/「邦楽おもしろ辞典」西川浩平(ヤマハミュージックメディア)

 

参考:「音楽の不思議」(69-#533)/「近代歌謡の軌跡」倉田喜弘(山川出版社)

「ヴォーカルトレーニングの全て」 Vol.37

〇感性やセンスを磨くこと

 

 歌のコンサートのみならず、幅広い分野のアートにふれて声、音楽、表現について学ぶとともに、感性を磨いていきましょう。何でも広く見聞きして、感動する機会を多く持つことです。読んだり、書いたり、発表することも貪欲にやっていくとよいでしょう。

 自分が何者であるか、自分には何ができるのか、自分のキャラクターは何であるかを知り、それに根ざした表現を作っていくことです。それがわからないうちは、人真似から入っても構いません。多くのものに触れ、自分にいろいろな役割を課すことによって、本当にやりたいものや、好きなことが絞られてきます。

 貧乏、金なし、暇なしでもよいのです。そういう条件であっても力強く芽を出してくるものが、本物になる可能性があるのです。

 力を伸ばしていける条件とは、自分に対しての欲をどこまでもてるかということでもあります。うまくなりたいということで誰もが始めるわけですが、力を伸ばすためには、同時に高いレベルから客観的な評価のできる力を伸ばしていかなくてはなりません。そのためには、ヴォーカリストに関して深く学ぶのはもちろん、音楽やその他の世界にも、強いていうなら人間に関わるすべてのことを学んでいかなければなりません。

 マンネリを感じてきたら、次の言葉を思い出してください。「相手が自分と同じくらいの腕だと思ったら、自分より数倍上だと思え。へただと思ったら、自分と同じだと思え」。これは戒めではなく、本当のことです。

 

〇感受性が強いと思っていても

 

 最近は世の中、自分は感受性が人一倍強いと思っている人ばかりです。人より感じやすいとか、傷つきやすいなどと軽々しく口にするというのは、他の人間を本当に理解していない証拠でしょう。口に出すだけでも無粋のような気がします。自分だけがそうだと思っている人ほど自分の壁に閉じこもって、外に対して真剣に勝負を挑んでないのではないでしょうか。

 ヴォーカリストに必要なのは、感じたことを表現できる能力としての感受性です。それは、他人の気持ちを感受し自分も影響をこうむるだけというような受動的なものではなく、曲や歌の中にどういう世界があるのかを感受し、そこからひとつの世界を創造して具体的に現わすという積極的なものです。同じ曲、同じ歌詞のわずか3分間の時間に永遠の生命の息吹きを与えるために感じ、表現する意志の強さなのです。

 言い換えるならば、リズム・メロディ・言葉のそれぞれについて、何をどう感じ、どう1つの曲として構成し、表現に生かしていくかというギリギリの勝負を挑む感性なのです。

 

〇声そのものの持つ内なるメッセージを聞く

 

 アーティストは、しばしば、神の下僕や神の仲介役を果たすことがあるようです。彫刻家が彫り始めない木の中に完成させるべき像を観たり、画家が白いキャンバスの中に完成させるべき絵を観たりするように、ミュージシャンも神の啓示によって、その名のもとに作品を世の中に具現させる役割を担うわけです。宇宙飛行士が地球を離れて神を感じるように、声楽家も自らの声の中に神の存在を疑うことができないと言います。

 わずか2センチの声帯が、2オクターブ以上の素晴らしい声をひびかせます。それを体得すると、自分の努力のみで、そういう天の声のようなものが出せたとは思えなくなります。謙虚な気持ちになり、何者が自分をして、こうあらしめるのかという哲学的自問をし始めるようです。

 そういう面ではアーティストは、信心深い宗教家に近いかもしれません。プロテスタント・ソングなどを歌って、現実の行為を通じて世の中に働きかけている人たちもいます。もともと、昔は、司祭が政り事として政治も宗教も取り仕切っていたのですから、ロック・アーティストが、このような面からカリスマ性をもち、大衆に働きかけるのは当然と言えましょう。追っかけやファンは、その××教(××バンド)の信仰者なのです。

 

〇なぜコンサートで感動するのか

 

 このカリスマ性をもったアーティストが、皆に働きかけるときに使うのが音楽です。ヴォーカリストの場合は、声といえます。トランペットでもピアノでも、音は私たちを感動させます。直接私たちの情緒に働きかけるからです。

 昔から、祭りなどの冠婚葬祭のときには音楽が欠かせませんでした。戦さのときにも行軍ラッパがなり、ドラを叩きました。これも戦士の士気を高めるためです。嬉しいとき悲しいとき、人間の情緒を高めたり代弁したりする役を、音楽は務めてきたのです。これらの場合においては、音は言葉よりもっと直接的に、私たちの身体に作用します。このようなことに、大昔から音楽は利用されていたのです。

 現在では音楽の持つ生体に働きかける力が科学的に証明されつつあります。音楽を医療やストレス解消に利用するようになりました。ロック・コンサートに行くと身体の芯からスッキリするのは、皆さんも実際に体験しているでしょう。

 

〇意味のわからない歌でも涙する声の威力

 

 声もまた音声といわれるように、音の一種です。歌は言葉とメロディとリズムで構成されています。その中で私は常に言葉の重要性を強調しています。言葉がわからなくては歌ではないと言っています。これは、歌う側に立って最低限の資格を述べたものです。

 しかし、聞く側から述べると、聞く方は言葉の意味がわからなくても一向にさし支えないのです。お経のように、言葉の意味がわからないからこそありがたいこともあるのです。音楽は言葉としてよりも、音として私たちに働きかける割合が大きいからです。

 世界各国から耳に入ってくる歌も、私たちは言葉がわからないなりに、心で受け入れています。音楽に国境も言葉の壁もありません。来日アーティストのコンサートで、静かに語っている歌の言葉に、その意味がわからないのに涙を浮かべてしまうこともあります。これは声の持つ、音としてのメッセージの力のためです。声の魅力やパワー、そこに表現された感情に、私たちは理屈抜きに感動するのです。

 テノール歌手をたたえる言葉に、「トランペットのような声」というのがあります。トランペットの輝かしくももの悲しげな音色に感動するのと同じように、強く情緒をゆさぶられるような魅力がヴォーカリストの声そのものにあるのです。ですから、ヴォーカリストにとって声の修行はなによりも大切なのです。

 

〇声そのもののもつ魅力やパワーを使え

 

 歌う立場であるあなたは、もっと自分の声のもつ声そのものの魅力やパワーに心をとぎすまさなくてはなりません。たとえ、「ラララ…」であろうと「ン…ン…ン…」とハミングであろうと、それが声のメッセージとして届き、心に伝わる歌となっていなければならないはずです。歌からの出だしで、聞く人を魅きつける声を出さなくてはいけません。練習のときでも同じです。

 11音が、歌であり、メッセージなのです。心をこめた、感情を表現する声であり、言葉を自由に操りメロディに酔わす声でなくてはならないはずです。

 自分でやっていても白々しい「アーアーアーアーアー」式の長時間にわたる発声練習などを飽きもせずにできるのは、声に鈍感な証拠とは言えないでしょうか。ていねいに心をこめて、言葉を読む。その感情を「ラ」の言葉のみを使って表現する。そんな練習の方がよほど大切です。

「最強トレーニング」 Vol.17

〇くせのない自然な声の使い方を学ぼう

 

  • 基本トレーニング

1.「ただいま」

2.「こんにちは」

3.「さようなら」

4.「どうもありがとう」

5.「すみません」

 

□チェックポイント

A.姿勢、身体 呼吸、フレーズ

身体を動かしてリラックスしましょう。

B.顔の表情

顔の表情をやわらかくします。

C.発声、高低、強弱、トーン

もっとも使いやすい声でよいです。

D.発音

あまり気にしないでください。

E.声の表現法

さいごまで、なごやかな気持ちをキープします。

 

〇日本人にとっての、自然な声のイメージとは

 

日本人の日本語の音声には、いろんな弱点があるといえます。自然というと、力を抜きすぎ、弱くなりすぎることもあります。

 というのも、日本人の場合、どうしても、強く声をぶつけあい主張し合うような風潮がなかったため、声に強く吐く息や大きなメリハリなどが必要とされなかったのです。自分たちの主張が通らなかった場合、激しく訴えるような、強力な音声力をもつ国の人々とは違います。ですから、ことばのトレーニングのときは、気は強くもち、声は少していねいに、という感じで心がけてみましょう。

この音声そのものへの認識力の弱さと、その効果的な使用法への無頓着さは、「あ、うん」の間で心が通じ合うという、日本の文化、風土の影響のせいでもあります。それを自覚して、しっかりとトレーニングすれば、優れることはさして難しいことではありません。ぜひ、本書で音声力に差をつけましょう。

 

〇声のくせとは、何か

 

声のくせは、その人の声の特徴であり、個性です。声を聞いて、あなただとわかるのは、声にあなた独自の音色が表われているからです。しかし、あまりに発声のよい状態からそれていると、喉の障害に結びつくことがあります。持って生まれた声を充分に生かしきっていないのを、くせというのです。

若さがない老け声やいっていることが聞きづらいというのも、一つのくせです。声がうまく共鳴していないからです。多くの場合、生まれつきということではありません。

ガサついている声、マイクに入りにくい声は、必要以上に大きな声を出している人にみられます。声帯に力が入っていたり、喉や口内が詰まったりしているのが主な原因です。

普段はよい声でも、いざというときに、極端に不自然な発声に切り替わって、喉をしめつけている人もいます。

小さな声しか出さない人も、うまく響かないと、硬く頼りなく聞こえます。

 

〇くせと個性

 

くせというのは、個性とよく混同されます。くせのないというのは、この場合、声として何もひっかかりのないということです。他の人とあなたとを区別する何かのことです。声の場合は、声の大きさ、話すスピード、方言など、いろいろあります。特に主なのは、音色です。楽器の区別は、目をつぶってもできます。ピアノとバイオリンとトランペットは間違えませんね。その違いは、音色です。くせというのは、きっと中学生が始めてそういう楽器を扱ったときに出す、ノイズのようなものと思えばよいでしょう。うまく本来の機能を扱えていないために生じるイヤな感じと思うとよいでしょう。

 声には、呼吸や発声だけでなく、意志や意図も入ってくるので、やっかいです。発声に関しては、本書のトレーニングで直せます。できるだけ、明るく、気分よく、笑顔で話しましょう。そしたら、少々くせがあっても、魅力的な個声となって聞こえるのですから。

 

〇声のくせをとるには

 

発声について、無自覚のうちに間違ったイメージや思い込みがある場合、他人の声やその使い方の影響による場合、自分に合っていない声を出そうとすると、無理が生じます。

 発声上の問題だけでなく、発音の問題もあります。

大きな声を出しすぎている人は、トーンダウンしてみましょう。低音でゆっくりと出してください。リラックスして、強い息を使わずに声を出します。かすれたり、喉にひっかかるのはよくありません。

 身体や息のトレーニングで、少しでもお腹から息が流れるようにしていきましょう。喉から上ではなく、お腹全体に意識をもって出すことです。

 

〇「自然な声」にするには

 

「自然な声」というものがあるのではありません。「自然な声を出す」とは、あなたの声を、ごく自然に出しているように聞こえる声にしていくということです。メイクアップはするが、飾りすぎない声(無理に演じているようでない声)にするということです。伝わることを、声で邪魔しないといった方がよいでしょうか。

人それぞれに違う魅力的な声があります。そういう感覚で、自分の自然な声をみつけていきましょう。

一般的には心身がリラックスしているときに出した声は、話し声でも歌声でも、自然な声として聞こえます。楽しいことがあって、思わず笑みを浮かべているときの声が理想です。

反対に不自然な姿勢や緊張した状態で発声をすると、どこかに力が入り、声も不自然になるものです。心身のどちらかでも硬ければ、声まで硬い感じになってしまいます。

声は、その人の姿勢や意志、感情にも大きく左右されます。

後ろめたいとき、うそをついているときなどは、物腰だけでなく、声も不自然になるでしょう。つまり体調から精神的なものまで、全てが声に現れてしまうのです。

 

  • 自然な声にするためのトレーニング

・息と声をミックスさせるトレーニング

 身体から深い息を出したあと、そこにうまく声を合わせるようなつもりで声を出してください。

1.「ハーアー」  2.「ハーエー」  3.「ハーオー」  4.「ハーウー」

・声で伸ばすトレーニング

1.「アーー」  2.「ハアー」 3.「フゥー」 4.「へエー」 (各2030秒) 

 

・自然な声で読むトレーニング

情景を思い浮かべて、ゆっくりと読んでください。

1.「今日は気持ちのよい朝ですね。」

2.「すっかり晴れましたね。」

3.「どうも雲行きがよろしくないようですね。」

 

■応用例文トレーニング 

1.「ただ今戻りました」

2.「お先に失礼します」

3.「お疲れさまでした」

4.「失礼いたします」

5.「恐れ入ります」

6.「お先にいただきます」

7.「ご馳走さまでした」

8.「ちょうだいいたします」

9.「そろそろおいとまいたしますので」

 

「お笑い芸人、俳優、歌手のタレント化での政治的沈黙」 No.419

日本の芸能界は、かつてない静けさに包まれています。戦争があろうと政治変革があろうと、オピニオンリーダーたる主役たちは、本音を語りません。マスメディアでのMCやコメンテーターのことばは、空虚なまま、その時間枠を埋めて終わります。

 

 AIが炎上リスクを監視し、SNSが真意を切り刻む現代。かつては、個性と思考と表現の象徴だった言葉が、牙を抜かれてしまいました。

 CM契約を吹き飛ばすリスクとならないように、タレント化して、自らを無色透明な空っぽに、肝心なことは沈黙に葬ることで、生き残りを図っています。体制と同化し、既得権益の保守層と成り果てました。

 ファンが推しに求めるのも、また現実の政治を忘れさせてくれる安らぎです。そんな期待に応えようとする彼らの沈黙は、ビジネスとしては正解ですが、表現者としてはあまりに哀しく虚しくみえます。

 本来、芸人や歌手は独自の表現を持つ存在です。それにもかかわらず、発言を控える空気に飲み込まれていく現状には、忸怩たる寂しさが残ります。俳優、声優は、役になり切るのですが、タレントや歌手、芸人は、まさに独自の表現が、売りもののはずです。

 なのに、皆、私たちも含めて、同じように、この動きに飲み込まれていくようでは、日本に未来はないでしょう。日本の美徳、和の世界では、こうして空気が動かすどころか、空気さえなくなっていくのでしょうか。

 

 

#『日本の芸能界、政治的発言が沈黙の理由』音楽に関する希望論は、『日本のポップ・ミュージックと政治』(ともに『副・真のヴォイストレーニング』はてなブログに詳細)

5月のfukugenにも類似記事あり

閑話休題 Vol.111「邦楽」(2)

〇 歌いものと語り

 

古謡の催馬楽(さいばら)、今様は、歌。

歌は芸能で賤民。

言語の多様性、方言に対し、大和朝廷は統一へ

<語り>

詠―ことばを引っ張る 朗詠

謡―ことばを揺らす 声明

<歌い>

民謡、お国ことば、ユリ、コブシ

 

ハーモニーがない。ハーモニーはプリミティブ、古代国家からはユニゾンになる。

古代には歌っていたのに、大げさな歌い方を嫌い、微妙なイントネーションを重視、語りを歌より上とみなしていた(大和時代)。

歌垣→掛け歌、盆踊り

野遊び(もうしあそび)―沖縄、歌い踊る

東南アジアでは、高い音と低い音の2

能のツヨ吟 ヨワ吟(メロディックで4度)

 

(江戸の三味線音楽)

歌いものは唄。長唄、端唄、小唄、地歌、うた沢。

語りものは節。義太夫、常磐津、浪花節←平曲(平家琵琶)、謡曲(能)。

声明、梵讃、漢讃から和讃へ。

和歌の披講(ひこう)、詠う、吟ずる、誦ず(ずうず)

朗詠は、詠うから歌うへ(現在、飛鳥井流、冷泉流など)

 

江戸では、「常磐津」「清元」が芝居(歌舞伎)の舞踊劇の伴奏「浄瑠璃」。

芝居でメロディ中心「長唄」叙景。

関西では「義太夫」 関西では義太夫と浄瑠璃が同義語「節」。関西の唄いものは「地唄」で家庭音楽。筝(琴)と合奏でき、関西は生田流、関東は山田流が主流。沖縄からの三味線の伝来は、戦国時代末期の永禄期。各地で歌われるはやり歌、アカペラから三味線を伴奏にする。そういう曲が「端唄」。江戸末期に大流行。『古今集』、『伊勢物語』からの「夕ぐれ」。

 

<三味線音楽>

歌い物:地歌、長唄など

地歌は「上方歌」、江戸時代初期から京阪地方で流行 盲人音楽家による家庭音楽 地歌は江戸に伝えられ、黒御簾にて芝居の伴奏、演者の心情描写。そこから「上方長唄」にアレンジ(長唄、三味線、囃子)が加わり「江戸長唄」へ。

 

語り物:義太夫・常磐津・清元など

琵琶を伴奏として語った「平曲」、能の「謡」が源流 「浄瑠璃姫物語」が一世を風靡して「浄瑠璃」が語り物の総称となる。三味線が渡来する前の「平曲」「謡曲」「薩摩琵琶」「筑前琵琶」などは浄瑠璃と区別。「浪曲」も別ジャンルの語り物。

 

浄瑠璃「豊後節」上方から江戸へ:創始者、宮古(みやこ)()豊後掾(ぶんごじょう)は「心中道行物」(みちゆきもの)により人気となるも心中事件多発で、元文4年(1739年)、幕府により取り潰し。

江戸に残った門弟、常磐津(ときわず)文字(もじ)大夫(だゆう)は、延亭4年(1747年)独立し常磐津を興す。歌舞伎に進出。義太夫の曲調を取込み音楽に重厚さを加味、舞踏伴奏に拍子本位の部分を取り入れリズム感をフィーチャー。文化・文政年間(1803年~1830年)、「変化物舞踏」の全盛で長唄との交流も盛んとなる。「掛け合い物」(1曲の中で長唄と常磐津)など。

別の門弟、富士(ふじ)(まつ)薩摩(さつま)は新内節を興す。

寛延元年(1748年)小文字大夫は常磐津から脱退し「富本節」創設、門弟の清元(きよもと)延寿(えんじゅ)太夫(だゆう)が文化14年(1814年)「清元」創設。明るい曲調、いなせであだっぽい江戸文化を反映して人気。素浄瑠璃として独自に語る。

貞亭元年(1684年)、竹本(たけもと)義太夫(ぎだゆう)の竹本座で演じられる人形芝居の音楽が「義太夫節」となる。

 

「阿呆陀羅(あほだら)経」と「でろれん祭文」浪曲の前身として江戸時代の大道芸。

「阿呆陀羅経」は、お経のパロディ。男性が木魚を叩き女性が三味線演奏で意味のない言葉遊びから世相風刺的な内容を歌う。

「でろれん祭文」祭文を下層山伏修験者たちが言葉の合間にほら貝を口に当て『でろれんでれん』と合いの手を入れたのが始まり。

 

「浪曲」:関東で「浪花節」、関西で「浮かれ節」、昭和23年ごろから「浪曲」と総称。祭文から出た「歌祭文」と説教節から出た「門説教」が文政(約1825年ごろ)時代に合流し「説教祭文」となり野外大道芸の一つとして発達。

 

「雪音」大太鼓で連打 「風の音」「山おろし」

「音取」能管のヒュ~、大太鼓の“ドロドロドロ~”

「ヴォーカルトレーニングの全て」 Vol.36

〇 自分がつくったというだけではオリジナルではない

 

 最近では、私のところに皆さんが持ってくる曲のほとんどがオリジナル曲と称されるものです。高性能かつ安くなった楽器を利用して、手軽に皆さんが曲を作っています。今や、誰もが自分たちの“オリジナル”を追求し始めました。

 シンガーソングライターや、よい作曲家が生まれてきたのは、よいことです。

 しかし、立場を変えて聴くと、ヴォーカリストの力量と無関係に作っているのではないかと思いたくなるものばかりです。それと、すでに世に出てレコードをリリースしているヴォーカリストの亜流のような曲が多すぎます。きっと、憧れのヴォーカリストの曲の余韻ばかりしか、頭の中にはないのかもしれません。

 作詩作曲講座のコード進行表通りに、歯の浮くような歌詞をつけたものも少なくありません。特に、詞のセンスの悪いのは、何とかがんばって欲しいものです。

 要はオリジナルといっても形式だけで、内容がさっぱりないのです。ヴォーカルリストの世界観も見えないし、何をどのように歌っていこうとするのか、バンドの姿勢もわかりかねるものが多いのです。

 

〇 どこでもきらめく存在感がオリジナリティ

 

 オリジナルというなら、自分たちの音楽が何に根ざし、どういうところにあるのかをしっかりと捉えた上で、自分ならではの曲を作らなくてはならないはずです。そうでなくては、オリジナルとはいうものの、単に自分が作ったというだけのものでしかありません。

 本当にヴォーカリストやバンドの個性を生かす曲作りをすることです。

 ほんのひと握りのヴォーカリストだけが、どんな歌でも自分なりの味つけをし、自分をいかに表現したら一番伝えられるかを知っています。あなたが歌ったら、こんなに凄い曲になってしまうということを見せられなくてはなりません。

 人と同じ曲をやりながら、埋もれるどころかその人らしさが光る、というのが真のオリジナリティというものでしょう。

 何を歌っても、その人がそこに存在しているパワーが感じられなくてはなりません。聴いている人はその人が曲と一身一体になって出すパワーに打たれるのです。このパワーの源がオリジナリティなのです。

 オリジナルにこだわる人は、まず、世界のスタンダード・ナンバーをオリジナルに歌う練習から始めるとよいと思います。

 

〇 自分にしか歌えないということの素晴らしさ

 

 声が出るようになり、声をうまくコントロールできるようになると、そこにその人の表現したいものが現われてきます。それまでは、いくら思い入れたっぷりに歌っても、表面的にしか聴こえなかったものが、説得力をもって伝わってくるわけです。「聴けるヴォーカリスト」「聴きたいヴォーカリスト」となってくるわけです。ものまねやコピーではない、あなた自身のオリジナリティも発揮されます。あなたの中に眠っていたもの、あなたがはぐくみ育ててきたものが、出てくるわけです。

 そこで初めて、歌っているあなたと、あなたの声に凝縮された個性が、ステージ(音楽)の表現の上で一体化して大きなパワーとなって伝わってきます。あなたでなければ歌えない歌い方がスタイルとなり、あなたの存在感が出てくるわけです。

 他の人が歌った方がよいと思うなら、あなたのヴォーカリストとしての価値はないのです。同じ曲でも、「自分だったらこう歌う」「こう伝えたい」「こういう世界をこう表現したい」と自分なりのものをつかまえ、自分の力で表現するところに、醍醐味があります。

 好き嫌いは別にして、誰が聴いても何かを感じる、何か魅せられること、それが芸であり、最低限、必要な表現であると思います。

 

〇 自分の音楽に対してポリシーをもつこと

 

 あなたのファッションも髪のスタイルも持ち物も、あなたのポリシーによって選ばれているはずです。ヴォーカリストのポリシーは、自分の中にはぐくみ抱くものです。音楽性や人間性とも深く関わってきます。そして、ステージでの表現や歌詞の内容にも反映されます。

 自分のヴォーカリストとしての資質やオリジナリティがわかってきて、それを表現できるようになってくると、だんだんとこだわりがでてきます。バンド、ステージ、音、歌い方、振付、構成など、すべてに関して、自分の伝えたいものをよりよく伝えられるように、こだわりが堅固になってくるのです。プロとしての自覚が出てくるにしたがって、妥協が許されなくなってきます。

 一方で最高の自分とその演奏を見てもらおうと、観客に対するサービス精神も出てきます。わざわざ自分たちのために会場に来てくれた人たちに心から感謝し、そしてその気持ちをできる限りよい演奏で返そうとするわけです。

 「自分が他人に与えられるものは何か」ということを突き詰めていけば、そこには、自分にしかできないもの、そしてそれを最大限自分の努力で高め、その成果を見てもらうことという使命感が生まれます。

 ポリシーとは、その人が自分の音楽に対してもつこだわりです。自分たちのバンドの存在をかけ、観客にこびず、自分たちの音楽の姿勢をかたくなに貫こうという強固な意思です。これがなくては本当のバンド、本当のヴォーカリストにはなれません。

 ポリシーのあるバンドは、自分たちの追求したい音を知っています。だから誰にも左右されず、自分たちの音楽を作っていけるのです。世界的なスケールで活躍しているバンドは、皆、それぞれの強固なポリシーをもっているといってもよいでしょう。誰のために、何のために歌うのかが明確だからです。

 

〇 自分の生き方が歌を通じて世界に働きかける

 

 ポリシーとは、もう1つ大きな捉え方をすると、その人の生き方、そのバンドの歩み方そのものと言えるかもしれません。何をするにも、自らを自らで決めていく結果として、そのバンドの行動の軌跡が描かれます。ポリシーが具体的に現れたものが、そのヴォーカリストやバンドの音楽や行動といえましょう。

 世界に活躍しているバンドのチャリティ・コンサートや××エイドというのも、ポリシーを音楽を通じて表現しているといえるでしょう。画家が絵で、作家が小説で自分の見解を表わすように、アーティストは音楽を通じて行動しているのです。

 ですから、一流のアーティストは、ものごとに対する深い関心と見解を持っています。人間に関わりの深い職業ですから当然ですが、仮にその人が声や楽器を手にしていなかったら、他のものでも大成したであろうというだけの貫祿を充分に備えています。それゆえ、アーティストと呼ばれるようになるのです。

 そして何よりも、皆、実に素晴らしい顔をしています。

 

〇 知性あるバンドをめざせ

 

 毎年、グラミー賞の授賞式での向こうのヴォーカリストの機知に富んだ話しっぷりを聴くにつけ、日本はまだまだという思いがつのります。また、音楽を離れて、広い視野で政治、経済、社会などに関して話せる人は、日本にどのくらいいるのでしょうか。

 楽しくやるのが音楽だから難しく考えることはないなどと言う人もいます。しかし、私は、ポリシーと知性のないヴォーカリストは生き残れないと思っています。人間に関する深い考察が、歌の内容に真実をつけ加え、その真実が人の心を打つのです。

「最強トレーニング」 Vol.16

〇さまざまな音をつくる子音(4) マ行、ヤ行、ラ行、ワ行

 

□マ行の発音

EX.「いつまでもお変わりありませんね」 「いつもおしゃれでいらっしゃる」

 

〇 マ行音……マ[ma] ミ[mi] ム[mu] メ[me] モ[mo

 

 両唇を閉じ、軟口蓋を下げ、鼻に通し、鼻腔と口腔に共鳴するmを発します。そこから唇をあけ、母音につなげます(唇を閉じて出すため、両唇音といいます)。

 

〈マ行音とバ行音を区別する〉

 両唇を用いる点で、マ行はバ行音と近いため、混同しがちです。

 「さびしい」→「さみしい」 「寒い」→「さぶい」 「無防備」→「ムモービ」 などになりやすいのです。

1.マバマビマブマベマボ

2.バマバミバムバメバモ

 

□ヤ行の発音

EX.「ようこそおいでくださいました」 「よろこんでちょうだいいたします」

 

〇 ヤ行音……ヤ[ja] イ[i] ユ[ju] エ[e] ヨ[jo

 

 [j]の音は、[ӡ]の音と同じ口構えで、中舌を硬口蓋に近づけて出します。([ӡ]が無声音であるのに対して[j]は有声の摩擦音です。[j]は先に述べたように、半母音と呼びます。

 ヤ[ja]ユ[ju]ヨ[jo]は、イア、イウ、イオのようにイの口の形をして、ア、ウ、オを発音してみましょう。力が入ると、横浜がィヨコハマのように、ねばっこくなります。

 そのため、イ、ユ、ヨが混用されています。行く(ユク、イク)、よい(ヨイ、イイ)などです(どちらも認められています)。

 

□ラ行の発音

EX.「恐れ入りますが」 「いらっしゃいませ」

 

〇 ラ行音……ラ[ra] リ[ri] ル[ru] レ[re] ロ[ro

 

ラ行音は、日本人にとってはなかなか難しい音で、いくつかのパターンがあります。

1.「ホラッ!」というときに、はじくように聞こえる弾音。

軽く歯と歯ぐきの境目のあたりに舌をはじくようにつけます。弾くところは前から「ル」、「レ」、「ラ」、「ロ」、「リ」の順で、奥に。

(これは語中・語尾に、多くあらわれます。空、くり、晴れ、風呂など。)

2.ブルンブルンなどというときの強い震え音。巻き舌で話すときの音です。(この巻き舌のラ行は共通語では用いないのが普通です。)

3.英語の[l]のような発音で、前もって舌先が歯ぐきに触れていて跳ねる音です。語頭には、この音が多く用いられます。

ラジオ、ロボット、リズム、レモン、ルビーなど。「リ」は、口蓋化します。

ちなみに英語の「L」は、舌先を軟口蓋、口の奥で、「R」は、唇を丸め、舌先を上(口蓋)につけず、口先で発します。

 

〇 ラとRL

 

R」舌の先端を振動させ巻き舌にします。

L」舌の先端を軽く上の前歯の先方につけ、前にはずしながら発音します。

「ラ」 Lよりも少し縮まり後方につき、舌根がやや固くふくらみます。どちらかといえば「ダ」に近いようです。

LaLaLa」は「ラララ」と違って、あごは動きません。

 

□ワ行の発音

EX.「私は〇〇 と申します」「おわかりになりましたか」

 

〇 ワ行音……ワ[wa] イ[i] ウ[u] エ[e] ヲ[o]

 

 ワ行の[w]は、口構えをウ[u]に近い形にして発する両唇摩擦音です([w]は、英語の発音ほど、両唇を近づけません)。

 ワ行の「イ」「ウ」「エ」「ヲ」は現在ではア行音と同じ音になっています。ワ行音は[wa]だけが違う発音です。(つい最近まで、「イ」→「ヰ」、「エ」→「ヱ」、「オ」→「ヲ」のかなで表わしていました。昔は「ウィ」、「ウェ」、「ウォ」の音がありました。地域によってはそうした発音が残っています。共通語の場合、表記は「ヲ」でも、発音は「オ」と同じです。)

☆「わたし」と「あたし」を区別しましょう。

 

  • 〈マ行のトレーニング〉

(マ)前々から前歯が曲がっていた/まじめなママがますます迷う

(ミ)波のように満たしてみる/みみずくの店

(ム)息子は六日に婿入り/昔むかしの虫かご

(メ)女々しくて面目ない/目が覚めたら雨だった

(モ)身も心も燃え立つ/桃色の森を求めて

 

  • 〈ヤ行のトレーニング〉

(ヤ)奴らと野球をやる/約束を破って夜勤を辞めた

(ユ)優雅な百合の花/憂鬱な夢にゆらゆら

(ヨ)用心してヨットを寄せる/よそよそしさを装う

 

  • 〈ラ行のトレーニング〉

(ラ)皿を洗うのはつらい/桜は暗いときに開く

(リ)理想を力説するリーダー/リリカルな輪郭と彩り

(ル)留守に盗られるルビー/ベルがうるさく鳴る

(レ)レンガづくりの歴史的レストラン/レアチーズにレモンを入れる

(ロ)色鮮やかな摩天楼を見下ろす/路地をうろついていろ

 

  • 〈ワ行のトレーニング〉

(ワ)忘れられない脇役の笑い声/わしの若い鷲

 

 

〇さまざまな音をつくる子音(5) 促音、撥音、拗音

 

促音・・・・・・「ッ」

 

 促音は、マッタクなどと小さい「ッ」を使って表記しますが、音声的には、そのあとに続く音を発する口構えのまま一拍分息を急に止めることです。つまり、ガッカリは[k]の口構え、ヤッパリは[p]の口構えをつくることになります。したがって促音といえばどんなことばにも、いつも小さい[t]の発音が伴うというものではありません。

 促音が小さい「ッ」で表されるため、本来促音でないものが、促音のように間違って発音されるケースもあります。

(例) カムチャツカ×カムチャッカ

    かつて(カツテ)×カッテ

    トロツキー×トロッキー

    ラデツキー×ラデッキー

 

撥音……ン[m][n]

 

「ン」で表記される撥音は、両唇や舌などで口からの呼気の出口を閉じたうえで、鼻腔への通路をつくって発音する音です。五十音図ではンと一文字で表わしますが、そのときのことばによっていろいろな表われ方をします。

 次の音がどんな音かによって違いが出ます。

 ンのあとにp、b、mの両唇音がくる場合は[m]の音になる傾向があります。

 ンのあとにt、d、n、rなどの歯茎と舌先を使う音がくるときは、[n]の音になる傾向があります。

 上にある以外に、アナウンサー、恋愛(レンアイ)、陰うつ(インウツ)、温和(オンワ)、範囲(ハンイ)、繁栄(ハンエイ)、本式(ホンシキ)、三役(サンヤク)など、[s][a][o][u][w][i][e][∫][j]などの音の前にあるンは、はっきり聞き取れない中途半端な発音になることがありますから、意識してはっきり出すようにつとめましょう。

 

拗音・・・・・・「ャ、ュ、ョ」

 

 カ[ka]という音に対してキャという音があります。この場合、音韻論的には、キャはカ[ka]の中に半母音[j]がはさまって[kja]という拍(音節)になっているとも考えられます(国語学大辞典)。このように子音+母音の拍(これを直音といいます)に対して、半母音が入った拍を拗音とよびます。

共通語の拗音は次の十二種です。

 キャキュキョ[k] ギャギュギョ[g] キ゜ャキ゜ュキ゜ョ[ɳ] シャシュショ[∫]

 ジャジュジョ[dӡ] チャチュチョ[t∫] ニャニュニョ[n] ヒャヒュヒョ[ç

 ビャビュビョ[b] ピャピュピョ[p] ミャミュミョ[m] リャリュリョ[r]

 拗音は、音韻論的には、子音+半母音+母音からなっているといいましたが、音声学的に個々にみますと、[k][g][b][p][m][r]は、半母音[j]を経て母音[a][u][o]につながる音であり、その他は[∫][dg][t∫][h]に母音[a][u][o]がついたものです。また、拗音のはずのことばで、拗音でない発音を認める場合があります。

  千住(センジュ)→センジ

  手術(シュジュツ)→シュジツ

  新宿(シンジュク)→シンジク

 

  • 拗音のトレーニング

1.キャキュキョ  ギャギュギョ  キ゜ャキ゜ュキ゜ョ

2.シャシュショ  ジャジュジョ

3.チャチュチョ  ニャニュニョ

4.ヒャヒュヒョ  ビャビュビョ  ピャピュピョ

5.ミャミュミョ  リャリュリョ

 

  • 促音「っ」のトレーニング

1.「にっちもさっちもいかない」

2.「おっとびっくり、ずっこけた」

3.「キットキッズ 食った」

 

  • 撥音「ん」のトレーニング

1.「仙台の先輩はガンガン打った」

2.「先頭にいた連盟は散会した」

3.「宣伝した新聞で宣言する」

 

「時間をかけ、精査する」 No.418

武道やスポーツなら、プロの身体の動きとの違いは、誰でもわかるでしょう。でも実際に稽古をするときに、その違いは、わかっていてもできるのではありません。そうでなければ、稽古をする必要がありません。

 

 ヴォイストレーニングも同じです。

 力を抜いてと言われて、言われたとおりに歌ってみれば、きっと力が抜けて全然、声が出ていないと言われるでしょう。トレーナーと同じように、力が入るところは入れて、あとは解放というようにできるのであれば、そういう注意は、受けないでしょう。

 

 トレーナーの言うことが、いくら正しく、そうしようと思っても、そのときにできるわけがありません。仮にできたといわれても、できたつもりになっても、それは、本当の必要の何十分の一なのです。ただ、この必要というのが、そもそも、曖昧なのですが。スポーツなら、最高記録があるので、わかりやすいです。

 

 誰でも、力を入れて歌いたいわけでも、力を抜いて歌おうとも、思ってはいないでしょう。

自由に楽に気持ちよく、歌いたいわけです。

 

 でも、それができない。あるいは、そうやってしまうと、歌い流してカラオケみたいだとなってしまうでしょう。それが全部、できていたら、レッスンの必要もないのです。

 

 それができていないことを知って、常に原点に戻って、呼吸やフォームから、正していくことが、学ぶということです。

 

 トレーニングには、時間がかかります。時間をかけて、状態と条件を整えていくからです。そのプロセスをチェックして促すために、レッスンがあるのです。

 

 トレーニングは、時間をかけないと身につかないのです。

いや、身についていないものを身につけるためにこそ、トレーニングという時間があるのです。

 

 

補足

 

 私は今、体力と筋力の強化保持と柔軟のために、プールに通っています。

 そこで、他の人を眺めてみると、自己流で泳いできたか、どこかで習った選手だったかどうかは、ほぼ一目でわかります。たぶん、あなたが見ても、大体、わかるでしょう。

 

 きちんと習った人は、最小の力で最大の推進力を得るフォームを身につけているからです。速くなくとも美しく泳いでいるのです。それは無駄がなく疲れない泳ぎです。

 

 私は、中学でバスケ、高校で水泳、そして学生時代にクラブのプールで子供たちに教えた経験があります。いくら正しいフォームを教えても、身体がそれを使えるように、筋肉がつき、肩関節がまわり、感覚が変わるまで、できることはないのです。

 

 歌や声とスポーツは、同じものではありませんが、肉体芸術と捉えるなら、共通するところは多いものです。当時の私は、力でなく、感覚で精査する術を知りませんでした。一流選手のフォームをみて、自分のフォームをビデオでみて、チェックしていたら、もっと伸びたと思います。

 

 今、力づくで泳いでいる人たちも、もし録画して自分の泳ぎを見たら、ずいぶん無様だと思うでしょう。あの桜木花道が2万本フリースローの練習を課せられて、自分のシュートの録画を見たとき、そう思った、ようにです。

 バスケも、一年くらい基礎練習を続けると、手のスナップだけでフリースローができるようになります。膝でシュートという意味もわかるのです。ドリブルでボールが手に吸い付くようになります。誰でも正しい練習を積み重ねれば、素人の域は脱することができるのです。

 参考になれば、と思います。

閑話休題 Vol.110「邦楽」(1)

()(がく)は「くれのうたまい」と呼ばれ呉の文化圏の歌舞、さかのぼればヒンドゥー文化圏やギリシャ文化圏の仮面劇へ。

唱導(説法)では、4つのポイント、声・弁舌・才能・博識

声明の基盤、天台声明と真言声明   

天台声明:円仁が唐から持ち帰った「魚山流声明」 京の大原あたりを魚山に見立てて確立 融通念仏宗の祖で声明の大成者、良忍(1072年~1132年) 声明で浄土を表現し融通念仏を確立 融通念仏との結縁を勧める念仏勧進や念仏聖「大念仏」

真言声明:空海がもたらし、弟の真(しん)()が整えた 「理()(しゅ)(きょう)」読誦 寛(かん)(ちょう)を中興の祖 智山流(ちざんりゅう)・豊山流(ぶざんりゅう)・南山(なんざん)進流(しんりゅう) 

四箇大寺(東大寺・興福寺・延暦寺・園城寺)

(けい)() 「先泣(せんきゅう)の誉(ほまれ)」 澄(ちょう)(けん)1126年~1203年)と聖(せい)(かく)1167年~1235年)親子が安居院流(あぐいりゅう)の完成者 説法は唱導の一要素

苦楽に支配されるなという中道「苦楽道中」 極端から離れたものを「正しい」

祝福芸の萬歳は漫才のルーツ 

三井寺派は定円、安居院流は藤原通(みち)(のり)(信西入道)の子、澄憲から始まる

俗楽・雑芸である「散楽」(物まねやお笑い、舞踏、曲芸・軽業、奇術・幻術、傀儡の五種類に分類)が渡来して「猿楽」へ  

鎌倉時代に物まねや滑稽 「猿楽」には呪師、侏儒舞、傀儡師、唐術、品玉、独相撲、琵琶法師、千秋萬歳などのバリエーション 農業の宗教儀礼「田楽」は、ささら・太鼓・笛・鉦など

唯識 円仁の引声(いんせい)念仏 「天狗おどし」 良忍の融通念仏 歓喜踊躍(かんぎゆやく)念仏(踊る念仏) 踊り念仏の一遍は融通念仏(歌う念仏)からのスタート 普化宗 虚無僧(梵論寺)の集団 

大念仏狂言 十万上人と呼ばれた道御(どうぎょ)(円覚上人1223年~1311年)

放免(下級役人)から「婆娑羅」、さらには「歌舞伎役者(傾き者)」へ ヴァジュラ(金剛)を語源とする婆娑羅 僧形の芸能者 宗教性と服装 

関西の浪曲は歌祭文系性格が強く、関東の浪曲は説教節系性格が強い 関東は調子が高い

三遊亭圓朝 宮部(みやべ)(えん)(じょう) 橘家圓(たちばなやえん)(きょう) 

梅原猛がスーパー歌舞伎「オグリ」創作

桃中(とうちゅう)(けん)(くも)()衛門(もん)「赤穂浪士」で一世を風靡した浪曲師

江州音頭「歌詞の中の“デーレンデーレン”」

 

音楽は、明治に使われたmusicの訳で、洋楽のことです。

日本のは、芸能の音の面を楽と呼んできました。特徴は、つながる音の流れ、うなり声、金切り声に聞こえる、というのは、向こうの耳での捉え方です。

西洋から入ってきたのが「音楽」。日本在来の種目は「音曲」。大正末期以降、「洋楽」に対する語として「和楽」「邦楽」と呼称。第二次世界大戦後は「日本音楽」「伝統音楽」 

明治の後半から、はやり歌は「歌謡」 

昭和の初期、はやり歌をレコードメーカーは「流行歌」 1933年以降は「歌謡曲」 

「演歌」「ニューミュージック」「Jポップ」

絶対的な高さではなく、歌い手の感覚によっているのです。

music―音楽学(西周<にしあまね>明治3年)

音楽は、明治2年に薩摩辞書に使用。

「明治の音」

ノイズの文化 アジアと日本 

サワリのついた三味線(←沖縄の三線←中国の三弦)べ~んと打音、だみ声 

 

1930年「春の海」(宮城道雄)

日本人にとって音楽は楽で、芸能、文化に付随し、独立していないもの

ドイツの影響が大きい、プロシア軍と精神性

イタリアのオペラより器楽と評論(シューマン)

大バッハとベートーベン

 

「ヴォーカルトレーニングの全て」 Vol.35

MCMaster of Ceremony

 

 MCとは、音楽業界ではステージでの曲の合間のおしゃべりを指します。もともとはMaster of Ceremonyというように、司会者という意味でした。バンドでは、ヴォーカリストがこの大役を担います。MCは、だいたい次のようなときに使います。

 

・ステージの構成上、少しおしゃべりが欲しいとき

・前の曲、もしくは次の曲の説明が必要なとき

・ステージの雰囲気や流れを変えたいとき

・間をもたせなくてはいけないとき(バンドのメンバーの配置替えや交替、ギターやベースのチューニングなど)

・ひと区切り必要なとき(ステージの最初やエンディング、幕の前後など)

・観客との親密度を深めるため、直接、何かを話したいとき

・ステージにプラス・アルファや、おもしろさを加えたいとき

・次回のステージやレコードの宣伝をするとき

・歌い切って、一息つくとき

・ギターの弦が切れたなど、不意のトラブルで間をもたせるとき

 

 へたにMCを多用するとせっかくのステージの流れを壊したり、歌を聞きに来ている観客の気持ちをそぐことになりかねません。バンドのイメージさえ、壊してしまうこともあります。たとえば、次のようなものはMCにふさわしくありません。

 

・まとまりなく、だらだらとした話

・聞いている人の一部しかわからない話

・ステージの流れとかけ離れた話

・他のバンドの悪口

・出演者、観客に関する情報のミス、地名のミス

・差別用語、人を傷つけることば、他のアーティストへの中傷

 

 ともすればうっかり口にしてしまうようなこともたくさん含まれていますから気をつけましょう。

 MCは、自分たちのバンドのステージのスタイルを考えて、少しずつ取り入れていきます。観客の反応を見ながら慣れていくしかないでしょう。このMCにも歌と同じくらいにヴォーカリストの個性が出ますし、ステージの演出にも効果的ですから、やはり勉強するべきだと思います。

 

〇マイクの使い方について

 

 マイクは口もとから少し離して持ちましょう。その方がマイクやステージの機器の違いによって、大きく音声が変わってしまう危険がないからです。

 モニターは、自分の歌っている声がよく聞こえるようにチェックしておくことです。バンドの音で聞こえにくければ、アンプの位置などを変えたりします。マイクもできれば歌う前に、どういうふうに聞こえるのかをチェックしておくとよいでしょう。他の人が歌っているときに客席で聞くと、ある程度はわかります。

 しかし、自分の感覚やノリを最大限に発揮するために、日頃からマイクを使わず身体全体の感覚で声や音楽を捉える習慣をつけておきましょう。マイクはあくまで小道具にすぎません。使いようによっては、上達するのを妨げる場合もあります。マイク・テクニックに頼るのは、基本的な発声のフォームができてからにしてください。

 また、意味なくコードを持ったり、マイクを必要以上の力で持たないようにしてください。その余分の力が自然な声の流れを妨げます。マイクは小指を中心に単に支えるだけで持つようにして握らない方がよいでしょう。

 マイクには高音がよく入るので、大きな声や高音のときは少し離して斜めに構え、逆に低音や語りの場合は口の正面に近づけてください。

 スタンド・マイクは、何曲か続けて歌うときで、振つけなどで両手が自由にならなくては困るときを除いては、あえて使う必要はないでしょう。慣れないと、スタンド・マイクは使いにくいものです。

 

〇力がないうちにバンドに入ると伸びない

 

 ライブやバンドでの経験というのは、ヴォーカリストにとっては、練習というより自分の力をアウトプットするところだと考えてください。他のパートは、バンドの練習のなかでもテクニックがそれなりに上達してきます。ある程度までは、量をこなしていけばよいのですから、ヴォーカリスト以外の人には、バンドの活動はプラスになるでしょう。

 ただ初心者のヴォーカリストの場合は、バンドは刺激と自己満足面でのプラスだけで、そこで実力をつけるというのは、あまり考えない方がよいと思えます。なぜなら、本当のプロ志向のバンドのレベルでの練習というのは、お互いが集まったときにわざわざ各パートの練習でできることはやりません。ヴォーカリストに関していうと、ピアニストだけでも、ピアニストなしの無伴奏でも、歌で自分の世界を表現できて、はじめてバンドに参加する意味があるのです。そういうヴォーカリストならば、セッションのようにレベルの高いバンドと練習して、そこで多くのインスピレーションを得て、新しい音楽や歌い方、感性が生まれることもあります。

 しかし、多くのヴォーカリストはバンドにのっかり、マイクにくいついているだけです。練習で余計に悪い癖をつけたり、カラオケふうに自己陶酔しています。これでは本当の力は伸びていきません。

 自分だけはそうではないと誰もが思っていますが、ほとんどの人がこういう結果になっているのです。

 もし、自分がどのくらい通じるのかを知りたいのなら、マイクとバンドの伴奏をはずし、歌をテープに吹き込んでみればよいのです。日本以外の国では、アイドル歌手といわれているヴォーカリストでも、最低限、ヴォーカリストと名のつく人は、これで認めさせるくらいのことはできます。日本では、声がバンドから抜けて聞こえるように歌える人さえ、ほとんどいないのです。言葉がすべて明瞭にわかる人はもっと少ないようです。アカペラでしっかりと歌えるようになってから、伴奏をつけることです。

 

〇悩み多き孤独なヴォーカリスト

 

 もう1つの理由は、バンドのメンバーの理解のなさです。他のパートの人は、ヴォーカリストの声の成長については知りません。楽器と同じように、やるほどすぐに伸びると思っています。すぐさま、外国人ヴォーカリストのような高音の強い音をオリジナルのキーで求めます。楽器では簡単でも、喉にとってはよくありません。

 オリジナルとして通用する声も出ないうちから口先だけのコピーで、到底、今の身体では出ないはずの世界の第一線級のヴォーカリストの真似をするのですから、喉を痛めるか、発声に悪いくせをつけてしまうだけです。彼らと同じように歌えるくらいなら、もう充分な歌が歌えているはずです。できないなら、何が違うのかを突き詰めていかなければいけないはずです。

 レコードに合わせて歌ってください。感性、表現、雰囲気、パワー……と考えていくまえに、声の問題に行き着くはずです。ならば、声を鍛えることです。

 楽器が身体であるヴォーカリストは他のパートと違って、まず、身体を声の出る楽器として使えるようにすることに専念する期間をとることが必要です。

 早くから始めたり、毎日何時間もバンドで練習している自称ヴォーカリストが何万人いても恐れるに足らないことがわかるでしょう。何歳から始めてもきちんとしたトレーニングで追い越せることも理解できるでしょう。バンドをやるのは構いません。しかし、それ以上にトレーニングが必要なことを知ってください。

 どうせやるからには、世界に目を開いてください。神業的なくせでか細い高音域を出している日本人の歌い方を下手に真似るよりは、スタンダードに通用する世界の一流の歌い手から学んだ方がよほどわかりやすいのです。喉から下は人種の差はあまりないようです。個性的なヴォーカリストのくせを真似して、その2番手以下では意味はありません。それよりは、オーソドックスなところにある正しい発声をもとに、自分の歌い方のスタイルを追求していくべきです。誰もが認める声で歌えるようになれば通用します。声そのものがよいとか悪いとかいうよりも、何かを表現する自由に使える声が大切なのです。

 

〇練習後の反省が力をつける

 

 バンドの練習が終わったあとには、必ずミーティングをして、録音した練習曲を全員で聞いて反省することです。そして、それぞれのメンバーの次回の課題と課題曲を決めます。この課題を見つけるために集まって練習するのです。

 それぞれが思っていることを本音でぶつけ合ってください。うまくいかなくても相手をけなすのではなく、必ずどのようにしていけばよいのかを考えて、前向きに対処していくことです。11つの問題を1回ごとの練習できちんと解決しようと努力していくことです。

 問いを作れないバンドは伸びません。厳しく批評をし合うのは、自分たちの音楽や技術についてです。腹の立つようなことを言われても、それは自分の人格を否定されているのではありません。謙虚に耳を傾けることです。

 こういうことを繰り返しているうちに、言葉を使わず、お互いの思っていることがわかるようになります。こういう厳しい相互の批評と自己反省の繰り返しによって、バンドのめざす音が1つになり、高い完成度を得るようになっていくのです。

 

〇売り込みもヴォーカリストの実力のうち

 

 日本ではCDは、簡単につくれるようになりました。自主製作でも製作できるわけです。ですから、自分たちでテープを出すこと自体は、練習の集大成であっても、メモリアルとしての意味しかなくなってきたともいえます。ただ、製作する期日を決めることは、バンドにモチベーションをかける意味においてはプラスになるでしょう。

 一旦発売したテープやCDをヒットさせるためのプロデュースや、バンドやアーティストを育てる環境については、日本はまだまだ不充分だと思われます。今のところ頼りになるのは、自分の実力と才能(可能性)とコネクションだけなのです。

 しかし、どこのレコード会社もプロダクションもよいヴォーカリストやバンドを捜しています。どんな地方であっても定評になれば、担当者が飛んでいくほどです。ですから、どのディレクターにどのようなテープを送ればよいのかを知ったり、よいスタッフとプロモーターを見つけることも必要です。

 そのためには、どのくらい自分と自分の音楽をよく知っていて、それを語れるかということが大切です。その上でそれを伸ばしてくれる環境を作っていくことです。どんな状況も、自分の方へ引き込んで利用する力と頭のよさも必要です。人を見抜く眼も大切です。すぐに売ってくれるプロダクションではなく、自分たちのやっている音楽を理解してくれて長い眼で育ててくれるスタッフを大切に、いろいろな人脈を広げていくことを心がけてください。

 

〇スランプ脱出法

 

 声は、体調や気分と深く結びついてきます。うまく声が出ないことを気に病んだり、そこで無理して力を入れて使うことによって、ずるずるとうまくいかなくなることがあります。こういう悪循環はあらかじめ何度もくるのがあたりまえだと思っていればよいのです。

 そういうときは「本番でこうなるよりはよかった。よい課題が与えられた」と考えればよいのです。自分の力が未だに安定しないことに何度もショックを味わうことです。そして、自分の歌は声が少々どうなっても大丈夫なのだという強い自信を持てるようになってください。

 どの世界でも、何年も経たない人にくるのは、スランプではなくて単なる思い込みです。こうなるのもあたりまえだぐらいに考えていればよいのです。

 うまくいかないときが何ヵ月続いていようが、マイペースでトレーニングを続けることです。ストップしなくてはいけないのは、ポリープなどの喉の病、もしくは本当に身体を害したときだけです。

 ステージなどで歌った後に「喉の調子が今1つで」などと言わないことです。同じステージに高熱を押し切って出ていて、それを少しも悟られず歌い切っている人がいると考えてごらんなさい。自分への言い訳は決してしないことです。

 プロとしての実力があっても、それを充分に発揮できるコンディションづくりができなかった、もしくは最悪のコンディションでも実力を発揮できなかったというのは、すでにプロとして負けているわけです。臨終(死)になったときがスランプだと考えればスランプはきません。五体満足で歌える幸せを忘れないでください。

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