ご案内

私は10数名のヴォイストレーナーとともに、ヴォイストレーナーにも指導しているため、内外のヴォイストレーナーのアドバイザーやヴォイトレをしている人のセカンドオピニオンもたくさんやってきました。ヴォイストレーナー、指導者、専門家以外にも「ヴォイストレーナーの選び方」などに関する質問が多くなりました。以下を参考にしてください。

 

「ヴォイストレーナーの選び方要項」 http://www.bvt.co.jp/new/voicetrainer/

 

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「盆栽」

お盆に土や砂、石、コケなどを配して、自然の景色をつくり、鑑賞する。中国や日本の伝統芸術。庭園、盆栽、生け花と同様に、自然の美を立体的に写実、表現しようとする立体造形芸術である。樹木単体の容姿から自然の美を想起させる盆栽とは異なり、配置や景色の工夫をこらす。

 

〇歴史

 

盆景は、盆石(ぼんせき)、盆庭(ぼんてい)、盆山(ぼんさん)などと呼ばれ、形として表現。

鎌倉時代1309年制作といわれる春日権現験記絵。

1620年(元和6年)、桂離宮を造営するにあたり、桂宮の指示で庭師に庭の見本、箱庭の始まり。中国からも盆景の技法が伝来。

江戸時代には盆景の本が出版。

1870年ごろ橋本市蔵が盆景の復興。

1890年ごろ和泉智川が化土(けと、泥炭の一種。挿し木を植え付ける)で山岳や奇岩などを造型する方法。盆景は発展。

1916年の昭和天皇立太子礼に、日比谷公園で菊花展と共に出展される。

 

〇手法

 

モチーフとしては、岩上の松や奥山の滝瀑など。

化土を用いた盆景では練ったものを金属製のヘラで岩石に造型。

人や動物、家屋を表現するために、焼き物、木彫を配置。一般的に長期に保存することはできない。

 

「縮小」極小主義 ミニチュアリズム、ジオラマ、箱庭

一寸法師や桃太郎や牛若丸 “小さな巨人”「小人」小人伝説 日本神話にはスクナヒコナ

「ひな」「まめ」「小屋」「小豆」

「細工」「小細工」

ごはん茶碗、文庫本、コンサイス辞典、カラオケルーム、カプセルホテル、ウサギ小屋

トランジスタ、ウォークマン

万葉集 萩は141首 藤 桜 日本では美「うつくし」は、「くはし(細し)

短編小説 掌篇小説 岡田三郎、武野藤介、川端康成、俳句

 

6つの「縮み志向」の型「『縮み』志向の日本人」(学生社1982)で李御寧(イ・オリョン)

[入籠(いれこ)] 「込める」、俳句で「の」による入籠、「東海の小島の磯の白砂に…」。

[扇型] 扇子は落語、大相撲などで見立てる。折り畳み傘、カップヌードル、着物たたむ。

[姉様人形型] こけし、盆栽、模型、フィギュアやミニチュア志向。

「仮名」や「どうもどうも」を使う。

[折詰弁当型]  行器(ほかい)、曲げわっぱ、破籠(わりご)、提げ重、重箱など松花堂弁当 (栄久庵憲司は「幕の内弁当の美学」)

「詰める」のが日本人、「見詰める」「詰めが甘い」「張り詰める」「大詰め」「詰め込み学習」「缶詰」

[能面型] 「動きを止める美意識」「動きを縮めている」

歌舞伎の見得、お茶のお点前、剣道の仕草、相撲の仕切り、弓の準備、書道の呼吸、小笠原流の礼法

[紋章型] 「凝る」凝り性 日本の紋章 「組」「名刺」

 

「引き寄せ」美の一部を引き寄せた。小さくしながら大きなイメージ「いけどり」「寄物陳思」借景、枯山水の石立 石庭

「見立て」 生け花(活花・立花)にも転用。曾呂利新左衛門が6尺の鉢に桜を盛って吉野山に見立てた。

室町期の華道書『仙伝抄』では、生け花のための枝ぶりには、「陰、陽、嶺、滝、市、尾」を感じるようにと指南。

「縮みの歴史は、ハサミの歴史」利休の朝顔一輪、着物の裁縫、折り紙、盆栽、俳句の「切れ字」

「座」の文化、侘び茶、草庵、「囲ひ」(茶室の古い呼称)、躙口(にじりぐち)、床の間の花器、茶掛け、露地、飛び石など「市中の山居」の縮景

一期一会「時を切る」

「数寄」の文化 「寄席」「寄席鍋」

「縮みあがる」「縮こまる」「小さきもの」「盆景感覚」

“編集”取り交ぜ、組み合わせ、数奇のフィルターが必要、過剰で余白のないのはよくない。

「アワセ・カサネ・キソイ・ソロイ」(松岡正剛)

 

 

参考文献:Wikipediaほか

「ヴォーカルトレーニングの全て」 Vol.23

〇力だけで声を伸ばすのは、無理がある

 それでは、身体の力を思いっきり使っていたら、声がうまく出るようになるのでしょうか。いえ、そんなことをすると多くの人は、喉をしめ、無理につくった声で出すので、喉を痛めてしまい、却って上達を妨げてしまいます。息だけが強く出て、喉がかすれたり、口のなかでキンキンひびいたりするだけでしょう。

 ホームランは、素振りだけしていたら打てるかというと、これは、また無理でしょう。いかに正しいフォームでも、ピッチャーが投げる球を読み、その球筋をタイミングよく一瞬に叩かない限り、ヒットにすらなりません。

 となると、バッターは球をよく見ることはもとより、ピッチャーの心理やフォームから、瞬時にイメージを描き、それを無意識ともいえるほど素早い反射で行動に移しているわけです。これを呼吸を合わせるといいます。身体の力を最大限効率のよい声として使うためには、そのように反射的に動く鍛えられた身体も呼吸も必要なのです。

 身体からいくら、息を吐いても、それだけでは声になりません。声になるベストのポイントを見つけ、最小限で最大の効果をあげる発声にしていかなくてはなりません。

 このときのイメージこそ、先に述べた音楽的、そして表現としての完成イメージなのです。

 声が強く出せたり、大きくできることも、大切です。しかし、それが歌に使えるためには、このイメージをしっかりと構築することです。

確実に声にするトレーニング

 次のことばを自分の最も出しやすいキィでなるべく強く太く大きく出してみてください。充分に息を保ち、最後までかすれないように、ひとつの表現にまとまって聞こえるようにしてみてください。ことばがバラバラに聞こえたり、一つの流れから、はみ出さないことです。息がコントロールできることが大切です。

1.つめたいことば

2.あなたのあいが

3.ひとりぼっちの旅の果て

4.あしたのクリスマス

5.去年の夏の砂浜に

〇発声らしい歌い方から逃れよ

 ヴォーカリストにはヴォーカリストの身体があります。一般の人はヴォーカリストのように自由に声が出せません。思うままに表現できません。それはさらに、声を使う技術と自分の表現したい音のイメージを一致させる必要があるからです。それができないとやはり、歌えません。ですから、身体をヴォーカリストにしていくとともにその身体がもたらす声に、より一層の関心を払ってください。おのずと表現の現われる声としていくのです。

 スポーツのトレーニングをやり始めたばかりの人と同様、ヴォイストレーニングも、慣れるまではトレーニングも緊張して余計なところばかり力が入り、うまくできないものです。

 声は心理的影響に大きく左右されますから、アマチュアでも自信をもって歌うと、それなりにうまく聞こえます。中途半端に発声に関心がいっているときの方が、歌えません。しかし、一所懸命のあまり、そういう時期のあることは決して悪いことではないのです。ただ、少しでも早く表現ということに関心をもつことによって、イメージと身体で音声をコントロールしていくことを覚えていきましょう。

 ことばからイメージを思い浮かべ、それを声にするトレーニングです。

1.あいのあまい

2.ゆめからさめたら

3.古びた表紙の本

4.ぶどう園のむこうに

5.いつもいた黒いネコ

6.テーブルにひじをついて

7.駅に舞い降りた雪の

〇イメージの形成

 それでは、そのイメージを具体的にどのように描くかということです。そこで、歌の原点に戻ります。

 よい歌を聞き、その歌を歌いたくて、ワクワクしたときの気分を思い出してください。そこで聞いて、心に残った曲のなかで心にひっかかっている音(声)のイメージをモチーフとします。

 聞いたときに思わず口ずさんでしまったという歌、それこそが心に感じて、しぜんと、自分の口を動かしてしまうというイメージの形成の状態です。

 何を緊張してがんばって歌わなくてはいけないのでしょうか。楽しくて始めたはずです。こんなに楽しいことをやっているのに、なぜ、しかめっつらしなくてはいけないのでしょうか。そうなる人は、耐えず、自問してください。そして、笑みがこみあげてくる、嬉しい楽しい、おもしろい、こういう状態になったら曲にアプローチしましょう(これはお客へのサービスということでステージマナーでもあり、さらにその人のステージの魅力でもあります)。歌おうなどと構えず、何かを伝えたくてその思いから口をついて、つい出てくるような出だしで入りましょう。直立不動、全身かちかちで、いったい、どうして歌が出てくるでしょうか。

 バッターもピッチャーも、リラックスと全身の解放が前提です。その上で集中することが、技術を確実に使うために必要な条件です。

 「ことばをいいたい、聞いてもらいたい、メロディを感じたい、感じさせたい、リズムを刻みたい、のって欲しい、美しい、きれい、おもしろい。それを味わって欲しい、そう、私の歌で。」そういうノリを失わないようにしましょう。

 よく聞き、理解し、ためにためて、心から歌に出すことです。歌を熟成させることを踏まえて、一球入魂します。そしたら、決して、喉を傷つけたりはしないはずです。

 あなたが歌っているとき、いつも心のなかで音楽が、美しくパワフルに鳴っているでしょうか。今一度、確かめてください。

 自分が好きな歌のフレーズを10個並べて、心のまかせるままに歌ってみてください。歌ったところから何かを感じとり、さらにその気持ちを入れて、繰り返してみてください。10回ずつ重ねてください。

〇無理厳禁、喉を開いて声を出す

 できることしかできないのですから、無理を重ねることは禁物です。無理に力を入れると、余計な緊張が生じ、その状態でさらに発声に悪いくせがつきます。これは致命傷です。当初の目的の正しい発声どころか、喉を正しく使うこと(喉を開いて声を出すということ)ができないばかりか、逆のことをやることになります。多くの人が、無理なトレーニングをやるから上達しないのです。その声のひびきは、不快なものとなりますから、これも正しく聞きとる耳さえあればわかるはずです。部分的な緊張を抜くためにも、身体が使えることが、身体全体で受けとめることが必要といえるわけです。

 まず、ことばを(この文章でもよいですから)大きな声で読んでみてください。それを録音してて聞いてください。そしたら、外に出て少し早いペースで500メートルほど歩いて戻ってきてください。息が深くなったところで読んでください。どちらがよいですか。案外と不快なひびきは、身体が動いていないときについているものでしょう。

〇正しく聞きとる耳

 ヴォーカリストとしての発声について、困難をきたすのは、何よりも正しい声、美しい声に対する判断が正確にできないことに原因があります。つまり、まず、本当によい声を知る努力が必要です。そしてそれを見つけるために執拗にがんばることです。つまり、声への関心を持続させることが必要なのです。

 たとえば次のような声は、どんなイメージがしますか。

□美しい声

□魅力的な声

□セクシーな声

□ハスキーな声

□心とかすような声

□甘ったるい声

□きびしい声

□硬い声

□鋭い声

□やわらかい声

 これを自分の声で表現してみましょう。俳優さんのように、しっかりと表現できましたか。

〇音へ集中コントロールすること(リズム、ピッチもふまえて)

 ことばが音にのって歌になります。そこにリズム、ピッチがついているのに、リズムやピッチのトレーニングというとそれだけしか集中できない人が多いようです。注意は、すべてにわたっていきとどき、統合されていなくてはなりません。一つに注意するのではなく、八方に注意を払うのです。

 集中していながらリラックスが必要なのです。どんなトレーニングも、できるかぎり、“音楽”ということば通りに、音を楽しむことです。思いをこめたことばを伝えることを忘れないことです。

 ここでは、何の楽譜でもよいですから用意して、「ラ」や「タン」でリズムだけのトレーニング、ピッチだけのトレーニングをやってみて、その声が表現に足るかをチェックしてみてください。リズムー音程をとるだけにつくられた薄っぺらい魅力のない声しか出なければ失格です。

(参考)ここまで述べたことをまとめておきます。

 音声を聞くこと=感覚に捉えること

 

 音声を出すこと=イメージ通りに歌うこと

 

1.技術、身体の不足→強化(と同時に、より緊密なイメージと感覚の結合)

 

2.見本との違いを知る→似させる

 

           →自分流に形成する

 

3.自分の目標とする声の設定→フォームをつくる

 

 (歌や音声の表現上のイメージの設定)

 

「最強トレーニング」 Vol.3

〇伝える必要性を意識しよう

 

声のよしあしには、伝える必要性を話し手がどの程度、意識して話しているかに負うところが大きいものです。たとえ、子供でも、本当に心から訴えたいことは、ことばが足らなくても、声で伝えることができるものです。その声がまわりの人の心を強く動かすこともあることでしょう。

ところが、そんな子どもでも、教室などで話すことを強いられたら、しどろもどろになりがちです。まして、急にスピーチなど、内容も考えていないことを、話す必要を感じないところで話すのは、難しいことです。

私も、自分ではっきりと知らないことを無理に話そうとして、うまくいかなかった経験があります。まして、何のために話すのかがわからずには、なかなかうまく話せません。

つまり、自分のよく知らないことや伝えたくないことは、うまく話せないものなのです。こういうときの声は、不安定で、よくありません。

 

〇声に表われる意志力

 

どのような声がもっともよく使えるかは、いろんな要素がたくさん働いているので、一概にはいえません。しかし、こうしてはいけない、こうしない方がよいということでは、いくつかあります。
 まず、話す意志が声にどう表われているかが問われます。人に伝えたいとか、わかって欲しいという意志が必要です。それがない話は、他の人に働きかけません。どんなによいことを話してみても、よい話だったという、よい印象を残さないのです。

実際に内容を考えて話したのは、あなただったのに、あとから誰かが説明して、はじめて皆が納得し、その人が考えたもののような印象になったという経験はありませんか。
 つまり、話をする以上、自信をもって自分の考えを主張するということが、第一の条件です。自信をもって堂々と声を使うことができたら、話す問題の半分は解決したのも同然です。うまく話せるということは、自分の伝えたいことをいかにしっかりと伝えられるかということなのです。

〇声で伝えることに専念する


 多くの人は、話すときに、伝えた結果、どうなるのかとか、こういうと人にどう思われるかなどとばかり、考えています。その場でまだ考えているということも少なくないようです。

内容をきちんとまとめていないから、自信をもって切り出せない。すると、身体から呼吸を使い、メリハリのきく声で話せなくなります。
 話した結果に対して責任をとる覚悟がないと、声に説得力が表われません。人に声を使うときは、いかにうまく伝えるかに全力を投じることです。歌い手がステージに立つときに、選曲のよしあしを考えてもしかたないでしょう。そこでは、ただ出し切るのみです。
 多くの人は、うまく話せないから自信がないといいます。すると自信がないから、うまく話せないという悪循環になります。

これは、いらないことを考えすぎるからです。声についても同じです。そのまえにしっかり考え、いい切ろうとしないから、うまくいかないのです。
 あなたは、話し手として期待されている役割を演じればよいだけです。多くの場合、すでに内容ももっているでしょう。そうでなければ、まずその準備をしっかりとやらなくてはなりません。

そして、誰でもあたりまえにいえる内容であっても、いかに皆にわかりやすく、うまく伝えるかということを練習するのです。どうせ話すなら、話す自分、声を出す自分を楽しむところまでいきたいものです。

 

〇話すことに専念するな

 

次に、話すことに一所懸命になるのはよいが、伝えることを忘れて話すことに専念していると、あなたの意志に反して、案外と伝わらないものです。いうなれば、自己陶酔したへたなカラオケと同じです。歌は歌えばよいのではなく、聞く人の心に伝えることが必要です。伝える努力が必要です。そこに気持ちがいっていなければ、うまく伝わることはありません。
 社長さんの話というのは、声ベタ、話ベタでも、案外と聞いている人にうまく伝わります。自分の考え、伝えたいことがしっかりとあり、それを伝えようと苦心して人に話をしてきた経験があるからでしょう。その努力がなければ、人は動かないし、会社はおかしくなってしまっていたことでしょう。

伝わるということは、話がうまいということではありません。話すというよりも語りかけるというほうが適切かもしれません。

 

〇話しすぎることに気をつけよう

 

私も、たくさん早く話せば多くのものを伝えられると、のべつまくなしにまくしたてていたときがありました。これは聞く人に労を強いることになります。

聞く人はたくさんのことを聞いて混乱したり、頭を疲れさせたいのではありません。わかりやすく心地よく話を聞いて、頭に負担をかけたくないのです。その場を楽したい、楽しみたいという人も多いのです。

そういうときは、自分の声を気にかけてみましょう。少しゆっくりめに、少していねいに声を出すのです。
 話しすぎて失敗するのは、最悪のパターンの一つです。つまり、聞く人への思いやりがないということで失格です。
 たった一分間でも、聞く人は短い人生の時間を、あなたの話を聞こうとしてくれています。そこでは、聞く人を思いやることからです。聞く人のことを絶えず、考え、自分の話を律することです。

 

〇感謝のことばが、口につくように

 

「ありがとうございます」

 毎日、いつでも、誰にでも使ってほしいことばが「ありがとうございます」です。

落とし物を拾ってもらった際に、「あら、いやだ……」ではなく、すかさず「ありがとうございます」がいえるようになりましょう。

 「ありがとうございます」をたくさん使える人ほど、感謝する気持ちを相手に伝えることができます。

これは、相手の心に働きかける、もっとも大切なことばです。

 

〇自分の声について正しく知ること


 なぜ声を出すことが苦手なのかという答えのほとんどは、声のトレーニングをしていないからといえるでしょう。

ここからは、実践的なトレーニングに入っていきます。

 

 まず、録音、録画できる機器(スマホでよい)を用意してください。

録画の方が、トータルのチェックができますが、ヴォイストレーニングでは、音声だけでチェックする方が効果的です。

次の順に録音しましょう(最初の記録になります)。

 

1.ことばを使う

「こんにちは、元気ですか。」

「みんな、ありがとう。」

 

2.役者になったつもりで話す<3分間>

 

「何か用かい(かしら)。」 

「どこへ行くんだ(行くの)。」

「それじゃあな(ね)」

 

3.自分の好きな詩(歌詞でもよい)を読む

 

4.新聞のコラムを読む

 

 そして、再生して聞いてみてください。 

どのように感じましたか。

 多くの人は、何だか自分の声ではないような、変な声のように感じるようです。しかし、この声こそ、あなたの今もっている生の声(に近い声)なのです。

自分でいつも聞いている自分の声は、内耳を通って聞こえる声、あなただけが自分の声と思っている声です。

もし、機器やマイクの性能のせいだと思うなら、他の人に聞いてください。

他の人の声も、いろいろと録って聞くとよいでしょう。

誰の声か、すぐにわかる、ということは、あなたの声も再生されている声が近いということなのです。

よくも悪くも、この声とつきあっていくのです。

ですから、この声を少しずつ、磨いていきます。

再生した自分の声が、素晴らしいと思えるようになるまで、がんばってください。

 

〇ヴォイス診断(  年 月 日)  [各5点満点]

 

再生した声をもとに、声の診断をしておきましょう。

1.ことばは、はっきりと聞こえるか。      

1・2345

2.息がしぜんに流れ、無理がないか。      

1・2345

3.声に潤いとつやがあるか。          

1・2345

4.若々しく魅力的な声であるか。        

1・2345

5.息苦しさが感じられず、安定しているか。   

1・2345

6.息のもれる音やかすれる音が入っていないか。 

1・2345

7.声が前にひびいているか。          

1・2345

8.音域にも音色にも余裕があるか。       

1・2345

9.小さな声も大きな声もきちんと聞こえるか。  

 12345

10.身体から声が出ていて喉をしめつけていないか。 

1・2345

 

〇声の鏡をもとう

 

いかがでしたか。でも、あまり心配しないでください。最初は誰でも思った以上に声をうまく使えていないものです。

まずは、声に関心をもつこと、そして、日常の生活のなかで、自分がどのような声を出しているのかを気をつけることです。それだけでも、まったく声に関心をもたずに毎日を過ごしている人に比べたら、随分と声がよくなるのです。

元々の声がよくないのではありません。今まで、声を意識してこなかったから、うまく使えないのは、当然のことでしょう。

 役者であれば、自分の表情、身振りが、他の人の眼にどう映っているのかは、鏡をみなくてもわかっています。だからこそ、人前で堂々と役になり切って演じることができるのです。しかし、そうなるまでには、何回も鏡や録画をみて、自分の表情・動作がどうなっているのかを確かめてきたわけです。こういうこともトレーニングするとよいでしょう。

 しかし、まずは、声に全神経を集中してください。

自分の声、他の人の声、声をプロとして使っている人(アナウンサー、声優、ナレーター、落語家など)の声とその使い方をしっかり聞くことです。

よい声をたくさん聞くと自分の声もよくなってきます。これも、ヴォイストレーニングの基本です。

 

 

「極意」 No.405

習い事から、その道の極意を得るには、

ブレークスルーが必要です。

 

わからないままにも、

何かしら、そこに意味のあることを

自分自身で、どこまで感じられるかです。

 

なにしろ、頭で理解できないし、

身体もそう動きません。

 

理解できて、身体でついていけるなら、

頭でも身体でも習得されているということです。

ですから、それは、まだ習得されていないことです。

 

それでも、どちらかが追いつかないなら、

まだ課題としてみえます。

練習を重ね、年月を経ることで、

頭も身体も自分のもっているところまでは

使えるようになることでしょう。

 

頭も身体も、追いつかないものは、

感覚的に、というしかありません。

 

感覚での意味づけは、直感的な問いです。

自分でもっているものを

そのプロセスを

意識から消すから、

ブレークスルーが生じるきっかけとなるのです。

 

人のまねは、もちろんですが、

そうして得てきたつもりの自分をも、

ときに消し去ることが、必要となるのです。

閑話休題 Vol.97「花道」(2)

〇才気―マスコミの活用

 

 若い蒼風は、新しい生け花の発展すべき道をすでに鋭い直感力で見抜いていました。

「新しい」ということについて、蒼風はこう述べています。

「新しいという言い方は、本当はしたくないが、新しいと言わなければならないから言うので、本来、物事はいつも新しいはずだが、少しも新しくならないで、そのまま止まっているものがある。それに対して、止まらずに動き、変わりつつあるものを新しいと言うのは、当たり前である。新しいのが当たり前で、当たり前なら新しいと言わなくてもよいが、古いのが当たり前のように言うから、新しい方は新しいと断るようになるのだ」

 千疋屋の生け花展をきっかけに、NHKの「家庭講座」の依頼で「生け花十講」を放送し始めます。また、草月流機関紙「瓶裏」を早くも創刊、生け花の社会性を求めました。主婦の友社から「新しい生け花の上達法」を出版します。

蒼風ほどマスコミを生け花のために活用し成功した人はいません。のちに日本内外に多くの支持者・門下生を持つまでに発展しえたのは、マスコミの時代の波に蒼風の偉業が乗り切ったことに他ならないのです。

 

〇運―海外進出へ

 

 戦時中、「花をいけるよりも芋を作れ。花を習う人は非国民」と言われましたが、蒼風は、花をいける日は再び来るまいと思いつつ、疎開先で雑木を使って農家の娘に教えていました。終戦後は、進駐軍の夫人の希望で東京に呼ばれ、教え始めました。これが海外進出のきっかけとなったのです。

 

〇想像力―造形いけばなの誕生

 

 東京に戻った蒼風は、焼けただれた鉄骨や枯れ木を使い、一途な造形精神を発揮して展覧会を開き、人々を驚嘆させました。絵画、彫刻、建築デザイン、写真など他のジャンルのアバンギャルディストと交遊し、ますます盛んな創造活動を続けました。生け花のみならず、モビールやレリーフなど新造形への道を開いたのです。やがて草月流は門下生百万という大流派になっていきました。

 

〇蒼風の才能とは

 

 「臨機応変の瞬発力とバランスのよく取れた空間支配の能力とかあって、どんな花をいけても、必ず誰にもわかる明確な見せ場をつくることができ、しかもそれを決して平俗陳腐には陥らせずに新味を出す、本当の芸術家のみに与えられた才能があった」 (大岡信)

 たとえば、当時の生け花は、ピラミッド式三角形がほとんどで、花をいけるのに形の創作を楽しみにする心配りには限りがありました。蒼風は、逆ピラミッドなど自由自在な形を取り入れ、新鮮な美を生み出しました。草月流の花器が無地なものばかりなのは、本当に花の美しさを知っているからです。

 

〇蒼風語録

 

“テーマ”「テーマをもっていけることは、1つの勉強法である。出来上がった生け花に対して、何を感ずるか、どう見るか、何がそこにあるか、いけた自分はもちろんのこと、それを前にした他人がどう受け取るか―そこに感じられたもの、そう思えるものをテーマだといえば、全ての生け花にテーマはある。しかし、テーマ=題を決めて、いける。題を出しておいて、それに向かっていける。そしてその題のために考える。工夫する。つくる。一般的にはこのように題に対して積極的なときだけを、テーマのある生け花という。

テーマでいけるのが勉強になるのは、一方に内面的な追求があるということで、同じ題でも、梅や椿ではなく、愛、夢、平和などという題になると、内面的なものを追求せざるをえなくなるからである」

 

“野にあるように”「利休の言葉に<花を生けるならば“野にあるように”いける>というのがある。これは一旦切り取られた花が、どんなに自然さを失い、調和を破壊しているかを知った上で、ハサミを入れ、枝ぶりを曲げ、葉数を減らして“野にあるように”美しくつくるということである。

 

“信念”「人が何を言おうと正しいと信じてどんどん仕事をしていけば、やがては皆がわかる」

 

勅使河原蒼風「草月五十則」部分

1則 花が美しいからといって、いけばなのどれもが美しいとは限らない

2則 正しいいけばなは、時代や生活と遊離していない

3則 精神に古今なく、作品は変転自在

4則 一輪、一と枝、の強調。大自然を圧縮したような一瓶

5則 花と、語りつついける

22則 上手な人ほど、器前、器後の仕事が入念

23則 花は大切にすること、花は惜しまぬこと

31則 いけばなは絵だという、音楽でも、彫刻でもある

35則 家庭だけが場ではない。個人的な場、公共的な場

36則 花の色だけでなく、器も、台も、壁も、光線も

39則 環境から生まれたように

44則 重複がないかを見る、強調があるかを見る

47則 花を、器を、場所を、探す努力

48則 意外ないけ方がある。意外な題材を忘れている

49則 新、動、均、和、の四原則。線、色、魂、の三拍子

50則 見る目と、造る手と、片寄らぬ精進

 

参考資料:「花ぐらし」勅使河原蒼風(主婦の友社)/「草月流」いけばな全書(小学館 )/「勅使河原蒼風展」(西武美術館)/「勅使河原蒼風の眼」(朝日新聞社)Wikipedia

「ヴォーカルトレーニングの全て」 Vol.22 

〇身体から入る

 所詮、ヴォーカリストは、歌えればよいのです。声を出すのに、重量上げの選手ほどの筋力が必要なわけではありません。しかし声を出すことに関して、もっとパワフルかつ繊細にコントロールできる技術が必要なのです。それは表面だけをまねただけの弱々しい声の出し方からはできません。プロのピアニストの繊細なタッチには、私たちは到底、まねのできない強く確実にヒットさせる指の技術と力があるのです。小指の鍵盤を叩く強さ一つとっても違うのです。

 そうなると、まず、一流のヴォーカリストと比べて、中途半端だと思う声は、使えないからだめだという厳しい判断を自分の声に対して行うことです。一声出して明らかに差がついているなら、いくら一曲を何度も繰り返して歌っても同じレベルのことはできないからです。まずは、一声のシャウトの差を縮めること、そのコツやタイミングをつかむためにはパワーの差を縮めることです。つまり、身体にパワーを貯えていくこと、声に対して身体を使えるようにしていくところから始めることです。

〇身体と声との結びつきに深い息

 声に対して、身体をうまく使うための秘訣は深い息にあります。一流のヴォーカリストは、必ず、身体から深いブレスができる身体をもっています。息が身体の底まで一瞬に入り、出すときに自在にコントロールできます。声はその上にのって出ています。そういう身体づくりを少しでも早くするのが、ヴォーカルのためのヴォイストレーニングの第一歩です。チェックポイントは、次のようなことです。

1.腹式呼吸ができる、お腹の背や脇が動く

2.胸や背骨に声がひびく

3.吐いた息が身体に結びついている

4.声が太く、音色が変わらない

5.胸のまんなかと眉間(これは、最初は意識しなくてもよいです)に声が集まる

〇どういうヴォーカリストを参考にするか

 ヴォーカリストには、いろんなタイプがいます。オリジナリティ、個性だけを売りものにしている人もいますが、声に関しては、次のようなヴォーカリストを一度、お聞きすることをお勧めします(ただ、日本人は曲による出来、不出来が多いので、ここに掲げた曲を参考にしてください)。

日本人

1.さよならをもう一度    尾崎紀世彦

2.霧の摩周湖        布施明

3.愛は限りなく          村上進(カンツォーネ)

4.六月の詩             カルメン・マキ

5.愛のメモリー          松崎しげる

6.影を慕いて            森進一

7.川の流れのように     美空ひばり

8.あんたのバラード     世良正則

9.恋の季節              ピンキーとキラーズ

10.二人でお酒を          梓みちよ

外国人(各国の偉大なるヴォーカリスト)

 

1.シャルル・アズナブール  (シャンソン 男性)

 

2.ミルバ                  (カンツォーネ 女性)

 

3.エディット・ピアフ      (シャンソン 女性)

 

4.ジャニス・ジョプリン    (ロック 女性)

 

5.クラウディオ・ビルラ    (カンツォーネ 男性)

 

6.アマリア・ロドリゲス    (ファド 女性)

 

7.マヘリア・ジャクソン    (ゴスペル 女性)

 

8.メルセデス・ソーサ      (フォルクローレ  女性)

 

9.ビリー・ホリデイ     (ジャズ 女性)

 

10.ルイ・アームストロング       (ジャズ 男性)

 

11.エラ・フィッツジェラルド(ジャズ 女性)

 

12.パティ・ラベル          (ゴスペル 女性)

 

13.エンゲルト・フンパーディンク(ポップス 男性)

 

 

 日本人ヴォーカリストについては、多くの場合、声そのものは世界のレベルに達していません。特に、最近のヴォーカリストは、くせをつけて歌っているため、見本にすると危険でさえあります。トレーニングには正しい見本(基本のある人)をとる方がよいというだけで、ヴォーカリストとしての評価は、まったく別に考えてください。

 

 

〇外国人ヴォーカリストが日本語で歌ったものを聞く

 

 

 次のように外国人ヴォーカリストが日本語で歌った歌を聞くと、その深さや技量、音楽性がよくわかります。

 

1.夜明けの歌、愛の別れ  (クラウディオ・ビルラ)

 

2.ウナセラディ東京     (ミルバ)

 

3.アドロ                (グラシェラ・スサーナ)

 

 さらに、日本のヴォーカリストの歌った歌を外国人ヴォーカリストまたはグループが歌ったもの(カバー)を聞いてみるとよいでしょう。たとえば「上を向いて歩こう」(坂本九)は、「スキヤキ」として全世界でカバーされています。

 

 

〇オリジナリティの発見

 

 

 同じ歌をいろんなヴォーカリストが歌ったものを聞いて、自分の好みを知ってください。

 

1.聞くと気持ちのよい歌

 

2.このように歌いたいと思う歌

 

3.声そのものが好きな人(ヴォーカリスト、その他)

 

 たとえば、スタンダードナンバーのもの、クリスマスソングなど、同じ曲を違うヴォーカリストが歌っているのを全て聞き比べてみましょう。そして、その曲をあなたが歌ったときに、果たして〇番目としてふさわしい歌い方ができているかどうかがわかるはずです。

 

 たとえば、「SILENT NIGHT(聖しこの夜)」をマヘリア・ジャクソン、TAKE6、マライア・キャリー、グラディス・ナイト&ザ・ヒップス、「WHITE CHRISTMAS」をオーティス・レディング、エラ・フィッツジェラルド、グロリア・エステファン、マイケル・ボルトンで聞き比べてみましょう。ピアフの没後30周年として、「愛の讃歌」を多くのヴォーカリストがカバーしたものなども出ています。

 

 

〇声のバランス

 

 

 声は声帯で出るのですが、かなり複雑な筋肉の使い方と共鳴のさせ方で支えられています。同じ「ア」でも、たくさんの出し方がありましたね。ピッチについても同じです。これを自分自身の最高の声、ベストの声にしていくのです。

 

 このときに声を統一していくことと声に表情をつけていくことが、必ずしも一致しないことがあります。しかし、声のコントロールを最初は優先してください。

 

 いくら歌っていても、まったく歌のレッスンになっていない人が少なくありません。発声では、声を統一していき、歌では、その音に要求される音声的イメージの要素を満たさなくてはなりません。これを同時にできるのは、かなりの技術が必要だからです。もちろん、ヴォイストレーニングをしながら、音色のイメージについて深く学んでいくことは忘れてはなりません。

 

 

 次のことばで声をできるだけ長く出してください。

 

1.「アーーーー」

 

2.「エーーーー」

 

3.「イーーーー」

 

4.「オーーーー」

 

5.「ウーーーー」

 

 出したときから、止めるまで、完全にコントロールできたかどうか、チェックしましょう。

 

 

〇できるまでにできないことをやると上達しない

 

 

 発声習得の方法については、口のなかや喉の開け方をどのようにしようと、その日に解決できるものではありません。その日に解決できるなら、すでにできるのです。歌など単純ですから、すぐに歌えるのです。それができないのは基本ができていないからです。それを一日でやろうなどと思うから、間違うのです。そこに気をつけてください。

 

 たとえば、高い声を思いっきり、口蓋の上の方にあてて出すようなトレーニングをやっている人がほとんどです。判断力のない初心者にとって、それはいかにも早く上達しそうなトレーニングであり、いかにもノウハウのように思えます。確かに何度か繰り返すと、そのうち高い音が出るようになる人もいるのです。

 

 しかし、多くの場合、それは、ただ、悪いくせにさらに悪いくせをつけたのにすぎません。その声は、本当の意味では、まったく安定せず、メリハリをつけられず本当に表現するに使うには、ほど遠いのです。いつまでも使いものにならないのです。ピアノでいうと、ひじも指もふしぜんに使って、高い音を弾いたというだけです。こんなことをすれば、正しく時間をかけて、習得すればいずれ出せるようになった声の可能性まで、殺すことになるのです。届いたらそのうち表現できるに足る力強さが伴うわけではありません。むしろ逆だということは、日本の多くのタレントヴォーカリストを聞けばわかることです。

 

 

 低い音から高い音まで、どのくらい同じ音色(太さ)で統一できるかチェックしましょう。

 

 半音ずつ、一番自分の出る最も低い音から上げていきます。次のことばで言い切ってみましょう。言い切れないところは無理しないように。ひびく位置は変えないようにします。

 

1.ハイ

 

2.アオイ

 

3.ラララ

 

4.アー

 

5.ララー

 

 

〇できるまでは基本を繰り返し、待つしかない

 

 

 発声をしっかりと固めないと、一度獲得できたはずの音域が、あるとき、出せないなどということが起きます。これは、未熟だからでなく、最初から間違って獲得した音域だからです。ヴォーカリストにとって、こんなことが起こり得るなら、なんと恐いことでしょうか。もし、ステージだったら。歌はやり直しがききません。そんな不安定な声では、仮に偶然にうまく出ても、いつまでも自信をもてないでしょう。すでにステージに出るまえに負けています。何よりも困ったことはそのため、いつまでも身につかないことです。

 

 多くの人はスクールなどでレッスンを受け、1オクターブ半から2オクターブ出るといっていますが、私のところにくると、半オクターブどころか、1音も表現するに足らない場合がほとんどです。こんな誤解が生じるのは、理由があります。多くの場合、高い音が出ている人は、眉間にひびきがあたっていると感じます。そこで、眉間や鼻の上、頬骨などにひびきをあてるというトレーニングをしています。これは方法と結果を混同しています。それは、耳がよければ、出ている声そのものを厳密に判断すれば、すぐわかるはずです。本当に通用する声(ハイトーン)なのかどうかと問えばよいのです。この種の原因と結果を混同した間違いは、とても多いのです(これについては拙書「ヴォイストレーニングここがポイント」(音楽之友社)に詳しい)。そのため、発声が正しく身につかなくなります。

 

 つまり、ホームランが打てて初めて、それがベストのフォームだといえるわけです。それなのにフォームがしっかりとできてもいないのに打席でバットにボールがあたった、かすったと、一喜一憂しているのと同じくらい愚かなことなのです。

 

 

 高音域の発声をチェックしましょう。

 

 最も高い音で次のことばの読みとフレーズをやってみてください。それぞれ続けて、10回やって、同じようにコントロールできているかをチェックしましょう。

 

1.アエイオウ

 

2.アーエーイーオーウ

 

3.ひのひかりに(タンタンタータタタン)

 

メロディをつけます

 

4.ごらんなつのひの(レミミミファミファ)

 

5.とおくはなれかけた(ドレレレレレレードド)

 

「最強トレーニング」 Vol.2

〇パブリックな声と日常の声との違い

 

発声というのは、決して特別のものではありません。あなたも生活や仕事で、一日たりとも誰とも話さない日はないでしょう。家族や友人と話すのに、いちいち緊張したりあがったりしませんね。声を発するのに、発声を考えることもないでしょう。

 しかし、初対面の人や偉い人と話すときには、ドキドキしたりあがったりします。なぜでしょうか。

それでも、その相手と親しくなったら、そういうこともなくなるでしょう。すると、うまく話せないのは、シチュエーションの問題が大きいということがわかります。

 つまり、人前で話すパブリックなスピーキングにおいても、いつものフレンドリーで自然な状態がキープできれば、さして話すのは困難ではないということです。

 多くの人は、話すために、ではなく、違う人と違う場に立って何かすることに対して、声が緊張し、うまくいかなくなるのです。人前で声を使うとき、私たちはパブリックに話すということと平常心をもって場に立つということが同時に求められます。

ところが、私たち日本人の大半は、パブリックなスピーキングのトレーニングなどの経験は少なく、これが大変なことになるのです。スポーツや歌では、決して本番ではあがらない人まで、話すと言葉がしどろもどろになるのも、よく目にします。とても不自然な状態に陥ってしまうのです。

 

〇慣れていくことで解決できる

 

 話し方教室でのトレーニングなどでは、話の内容づくりよりも、人前に立って話すことに慣れる実習を重視しています。日頃の力を普通に発揮できたら、ともかくも半分の問題は解決します。自然に話すレベルまでは、誰もが到達できるのです。

 しかし、人前では、友だちに話すようにしても通用しません。ここで、私たち日本人の身内意識の構造、つまり見知らぬ人、はじめての人といった外側の人でなく、よく知っている人、同じところで一緒にいる人といった内の側の人としか話してきていないこと、つまり、先ほど述べたパブリックスピーキングの経験不足が大きく影響するのです。

 たとえば、昭和の頃の夫婦では「おい、メシ、フロ」で伝わるのが、日常生活でした。

それでは、「〇〇さん、今、戻ってきました。あすは〇〇時に出ます」「今日は〇〇が食べたいが、君はどうだ。それでは〇〇にしよう」と、すべてにおいて、対話してコミュニケーションをとりあっている外国人のようにはいかないのです。

 

〇声が必要になってきた

 

どこの国でも、自分の考え、意志、意見をはっきりともち、それを口頭で表現し、説得していかなくては、うまく生きていけないのが人間の社会です。黙っていたら、無視されるどころか敵意さえもたれます。ところが、これまで私たち日本人は、あまり、ものをはっきりといって伝えなくても済んでいました。むしろ、あまり語らず、察することが、一人前の社会人の条件でした。

しかし、同質の人で成り立っていた日本村も、変わりました。以前にまして、話し方や声が重要視されるようになってきたのです。

 

〇声を出すのは楽しいこと

 

「話すとドキドキする、声が緊張する、それが楽しい」などと思える人は、日本人にはほとんどいないでしょう。そのことが、生きている証しだといえるのなら、人前で話すことも随分と楽しくできるに違いありません。

 でも、声を出すことは、嫌なことでしょうか。

カラオケなどで声を出すと、スッキリします。一日中黙っていると、ストレスのたまる人もいるでしょう。つまり、多くの人にとって、声を出すことは楽しいことなのです。

このことをどこか念頭に入れておいてください。それが、一番、声がよくなる前提だからです。

 

〇リラックスした声を使おう

 

さて、ここでは、話し方や話の内容よりも、親しい人と話をしているときの自分のリラックスした自分の状態を確認しておきましょう。そのときでも、声や話し方を意識するやいなや、ぎくしゃくしたり、うまく口がまわらなくなったりして、不自然になるものです。トレーニングでは、そこに気をつけなくてはならないからです。

 親しい人との話は、おたがいがわかりあっているから、話の内容や意味にさして大きなウエイトはありません。むしろ、声の調子やトーンなどによって、無意識の内にいいたいことが伝わっています。それは意識したとたん、くずれます。

そして、あなたが思っているほど、きちんとした発音やしっかりとした声では、そもそも伝わっていないものなのです。

 

〇話せる人になろう

 

 パブリックなスピーキングでは、見知らぬ他の人に自分自身をアピールすることになります。そのためには、声を適確に使った上で、自分の考えや話の内容を聞いてもらうことになります。このときには、言葉(内容)以外の要素が、とても大切なのです。

ちなみに、これらをうまく使って働きかけているのが、話せる人です。

日本語では、話せる人というのは、わかる人という意味で使います。つまり、話し上手でなく聞き上手、それだけ話すことの力が問われないできたという証拠なのです。

今日から、日常の言葉やコミュニケーションの声に関心をもちましょう。

 

1.リラックスしているのは、いつでしょうか

2.そのときの声の感じはどうでしょうか

3.その感じの声を人前でしゃべっていると想定して、出してみましょう

「情報と表現」 No.404

現実は、いつも変化していて、

私たち自身、二度と同じ状態にならないのです。

 

この情報化社会では、「表現」が優先されます。

変化していく人間の方が、実在感を持てなくなってくるのです。

 

人間も世界も生きているものです。

知識万能主義で考えると、自分自身が矮小化していきます。

つまり、自分が生きてきた年月、経験が、自分の糧になっていかないのです。

 

知識は外にあります。

情報として扱うことができていても、

本当の意味では、自分自身で考えてはいないのです。

 

それでは、どうすればよいのか。

表現を知識や情報と切り離すことです。

自分の内にあるものをとり出すところでの

血肉のついた身体に基づく表現をするのです。

つまり、言語でなく、肉声で問うということです。

閑話休題 Vol.96「花道」(1)

草月流創始者 勅使河原蒼風

 

〇父と育ち

 

勅使河原蒼風は、1900年、勅使河原和風の長男として生まれました。父はそばで遊んでいる蒼風に、ただ真似事としてではなく、そこから生け花を好きにさせる、あるいは上手にさせようとする工夫をして仕向けました。そのため蒼風は花を扱うことを徐々に面白く思うようになったのです。

父は、必ず来客に我が子の生けた花を自慢げに話しました。皆から褒められているうちに蒼風も張り合いが出てきたのでしょう。小学校に行くようになっても、自分で花をとってきて父に見せて喜ばせようと頑張っていました。この幼い日々が蒼風の生涯を貫く心のエネルギーとなりました。

15歳で父の代稽古を務め子先生と呼ばれた蒼風は、父から学ぶべきところを全て習得した後、生け花についての考え方を異にするようになったのです。

「生け花は定められた形にいけるのではなく、作者の個性や自由な精神を表現すべきだ」という蒼風は、26歳のとき、父に勘当され妻とともに家を出たのです。

蒼風の人気は教室でも定着しており、その日からでもやっていけましたが誰にも居所を教えなかったのです。

 

〇独立内職時代

 

蒼風は、青山高樹町に家を借り「投入花盛花教授草月流」と看板を掲げ、新しく草月流を興しましたが、約1年間、誰も訪れませんでした。

蒼風は、研究に専念しました。封筒に肉筆で蘭や梅一枝を描くといった内職を始めました。彫刻が好きで板に文字を彫ったりしているうち、表札や看板を彫る仕事が来るようになったのです。

 

〇度胸―いけ花屋開業

 

花は花屋の残り花を、器は我楽多屋の店頭の赤錆びた焼き物の窯と支那料理店の前に転がっていた老酒の瓶を手に入れました。昼は看板彫りのアルバイト、夜は明けるのも知らず、その器に名作、名案を創造しては興奮する毎日が続きました。

蒼風は、新鮮な花やいろいろな容器、場所を使って、実際に人に見せることを通しての研究をやる必要を感じていました。そこで、次に人の花で研究する方法を考えだしたのです。料理店に行って頼んでいけさせてもらうのです。花は買ってもらいましたが、いけ賃はもらいませんでした。

古くからの流儀がよいと誰もが思っているので、「自分が作った草月流です。家元です」とは言えません。いけた作品だけが勝負です。「なかなかいいから、また来てちょうだい」となるのです。そうやっているうちに、なんとか板前さんとかおかみさんなどを相手に、花屋業から先生の方へ向きがつき始めました。

 

〇風体―師匠らしく

 

「どうもお花の師匠らしくないわね。見た形のことなんでしょうね。柔道家と間違えられたわ」蒼風の妻が言いました。若いし二十貫目余りある蒼風は、どうにもならぬままにも、渋い袋を下げたり無地の羽織をまとったりして、お花の先生らしくしました。

そうしているうちに近くの良家のお嬢さんが入門し、本当のお弟子を得たのです。弟子が弟子を呼び、稽古日がそれらしくなっていきました。蒼風は、「弟子は月謝を払って自分に勉強させているのだ」と決して手を抜きませんでした。

場所も変え、看板に「瓶花研究所」と彫りました。誰も知らぬ草月流より、より近代的で効果があると思ったのです。

 

〇実力―チャンスを逃さず

 

創流の翌年、ショーウインドーを飾りに行っていた千疋屋の勧めで、銀座、千疋屋二階で第一回草月流花展を開催しました。現代人の感覚、生活感のある生け花に新しい入門者が集まりました。

以後の蒼風は、持ち前のアイディアと行動力、それに絶対の信念を持って、固定観念の強い華道界で既成概念をはるかに超えるスケールで活躍していきます。

1932年の神田の如水会館では、初めて“入場料”をとる生け花展を開催しました。立派な展覧会なら、音楽や絵と同様、入場料を取るべきだと思ったのです。さらに、花のための会場構成を試みたり、花のシンフォニーを表現したくて7つの大小作品を組み合わせた大作「総合華」を飾ったり、当時としては大胆にも、音楽、照明による演出を試みました。これは鑑賞者の気持ちを統一するのと雑音を消す工夫です。当日は自ら講演し、草月流の理解にひと役買いました。生け花の作品の背景に自分の描いた絵を使うなど、いくつもの画期的なアイディアを生かしていたのです。

家元からの奥義・秘伝として口伝されるものを図解までして一般公開していた蒼風への華道人からの非難は強いものでした。しかし、前売りの入場券は完売、大成功を収めました。蒼風は演出の才にも長けていたのです。

「ヴォーカルトレーニングの全て」 Vol.21

〇オリジナリティと共通ベース

 トレーニングを積みながら、自分の感覚というのを見つけ、鋭くしていくことを忘れないことです。声の判断基準をつけていくことがトレーニングの本質です。

いろいろなヴォーカリスト聞いて、その声を比べてみましょう。ある時期、一人のヴォーカリストにハマるのも悪くはありません。しかし、いつまでもそこから抜け出せなくては、よくありません。問われるのは、あなたのオリジナリティとしての表現だからです。

私は、課題曲を歌うときに、そのヴォーカリスト(創唱者)の感じが出たらよくないという基準で評価しています。

 オリジナリティとは、その人の心の奥、身体の底から出てくるものです。身体にしみつき、それが表現として出てくるには、それなりにたくさんのことを、ためこんでおかなくては、いけないはずです。

といって、奇をてらって、人の共感できぬものであってはよくありません。人の心を動かすのですから、人と違うなかでも必ず踏まえなくてはいけない共通のベースがあるのです。そこをなくしては、人は奇異に思うだけです。

 ヴォーカリストには、いろいろなタイプがあります。しかし、トレーニングのために聞くのなら、発声面から徹底的に分析してみるのもよいでしょう。

〇身体から声をだすために、ドラマチックな歌から入る

 同じ身体をもつヴォーカリストでも、歌のねらい、歌い方やスタイル、場によって全力で歌ったり、口先にひびかせたり、いろんな歌い方をしているものです。声の使い方は、ヴォーカリストによっても、曲によっても違います。ですから、それを決める上でも、自分にとっての最もよいヴォイストレーナーに自分がならなくてはいけないのです。 

この能力は、そのまま他のヴォーカリストの歌を聞いて、そこから地力(基本の力)を見抜く力にもなります。有能なスポーツトレーナーや一流の選手は、他の選手の調子やフォームの状態、そのときの身体の動き、長所や欠点を、自分の身体におきかえて捉えます。身体と耳ができるということは、そういうことです。

 最初は、一流のヴォーカリストが、できるだけ大きなフレーズで歌いあげているところを何度も聞いて、そのイメージを叩き込み、まねていくとよいでしょう。

 センスよく小ぎれいに歌うのも大切です。歌は一つの形にまとめていかなくてはなりません。人前で歌うためには、ある程度は見せることを意識して、そのようにしなくてはなりません。しかし、最初に小さく器をつくってしまっては、あとで大きくできません。

 ここのヴォイストレーニングでは、歌を小手先でうまく歌えるように急がせるよりも、できるだけ先に声そのものの器を大きくしようとします。最初からまとめようとすると、本当の声をうまく伸ばすことができないからです。ですから、あるレベルまでは歌うこととヴォイストレーニングとをわけて考えるとよいです。

声のことをある期間、徹底してやりましょう。そして、歌うときには、声のことを考えずに歌に専念することです。声はトレーニングを積むごとにうまく出せるようになります。耳では歌を学んでいきつつも、声をつくるためには、若いうちにできるだけ、大きな器をつくることを優先したいのです。

 身体が必要となるほどの歌い方を聞いているとしぜんと自分の身体も声もそうなってきます。これが喉をはずす、最もよい方法の一つです。

〇声の環境づくり、ヴォイスシャワーとヴォイスマラソン

 私は、「あなたの両親がオペラ歌手とゴスペル歌手だったら、あなたの声の問題の半分は解決している」といっています。幼いときから、そういう声や声の表現を耳や身体に入れておくと、音楽面での才能は伸びやすいです。逆に言うならば、日本人はそうでないから、それを補う勉強をたくさんしなくてはいけないのです。

 日本という風土そして、日本語のなかで声は出しにくく、出にくくなっています。それを何度もよい声を聞くことで、声のイメージそのものを変えていくのです。

 これを私は、ヴォイスシャワーといっています。口先で歌うよりもまず、浴びるほどよい声を聞くことで、自分の細胞から変えていこうというものです。毎日、最低60分以上、よい声と接する時間をとるのです。こうなると、外国に行ったり、洋画を見たりすることもトレーニングの一つになります。

 日本で声を変えていく確実な方法です。

 もちろん、聞いているだけでは変わりません。大切なことは、自分の声と身体を惜しまず使って、毎日トレーニングしていくことです。これをヴォイスマラソンといっています。

〇肉体的限界を破る

 発声とは最終的には、声を出すときに邪魔する要素を除いていくことです。そうはいでも、普通の人には、そんなことを意識的にはやれません。

 そこで、発声器官そのものをとりまいている条件の限界をはずしていくトレーニングが必要となります。

 いくら正確にボールを蹴れるサーカー選手でも、そのキック力が弱いなら、まったく無力でしょう。そのときは、そこの筋力から鍛えなくてはいけません。

 声帯は、筋肉のように、直接に働きかけるような強化トレーニングはできません。それを、最もうまく活かせるまわりの条件を整えていくことしかできないのです。しかし、空手などでもわかるとおり、人間の身体を最大限に活かすには筋力そのものより、タイミングや力のバランス、集中力がより重要です。それさえつかめば、子供でも瓦が割れるわけです。

 人間には、人間の身体が最もうまく働く条件があります。声もまた、そのコツを捉えることが大切です。数多くの長い時間のトレーニングは、コツに気づき、それを確実につかむためにあります。コツをつかむことが、トレーニングの秘訣なのです。

〇パワーとタイミング

 ホームランを打ちたいという初心者に対して、いくら、ホームランの打ち方を正しく教えても、ホームランは打てないでしょう。それと同様、声も、結局はかなりの量をこなしているなかで身につけていくしかないのです。量をこなし、パワーがついていく過程でのみ身についてきます。

飽きるほどの基本トレーニングのなかで身体の条件が整っていき、ある日、コツに気づき、それをものにしていくわけです。ホームランを打ちたい人は、まず、何百回と毎日、休みなく素振りをするところから始めるのです。

 

 声の扱い方ができるためには、声そのものが、深くなり、息でコントロールできるようになることが必要です。その方向に身体や息を近づけながら、パワーをつけ、そこで、タイミングをつかむのを待つのです。そのために、そこまでできるような条件、つまり息と身体の力がつくように整えていくことです。それによって、可能性が広がっていくようにトレーニングをしていきましょう。

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