レッスンとステージ NO.269
○レッスンとステージ
その人の意図を、どういうイメージをもって、どう解釈して、どういうふうに歌おうとしたかというところを見て、そのことに対して、どのくらいできているのかというところで、発声、そのためのヴォイストレーニングをみます。
歌になったときは、声のよさ、流れ、歌詞と別なのですね。レッスンでの発声と、ステージで期待される歌い方は違っていい。両面からやっていくべきだと思うのです。
ステージングということになると、一般の観客を対象にした現場中心となります。タレントやアイドルへのアドバイスに、曲の本質的な部分は、なかなか表れてこないのが現状でしょう。年配の人だと、知っている歌ではイメージ想起力になってきます。
○計算する
プロは計算してやるのですが、結局はそのときの感覚ですね。そのときにどこまで強くできるのかによって、どのくらいに降りられるかです。強くできなくなると、次に弱くできなくなってしまうのですね。だから、「火」でも「燃やす」でもいい、自分でここまでだと思うところを、はみ出るくらいにやってみましょう。次のところで呼吸が合わなければだめですが。
練習のときには、大きくやっておけばいいと思います。練習のときに本番のように失敗できないと思うと、冒険できないわけです。すると器が小さくなってくるのです。常に練習ではそれを破る。
ただでさえ、お客さんの前にいったら、はみ出すことはできなくなってしまう。練習のときにそこをやって、それで本番でまとまるのと、練習のときにまとめておいて、そのまままとめて歌うのとではインパクトが違ってくる。
一番つまらないのは、最初から最後まで何も起きないこと、おさまってしまって歌われる場合ですね。
○やれるようにやる
ポップスを歌っている人は、何もやっていないということでは変わらない。それをどう組み合わせるかというのは、もうきりがありません。
1番のところで1つか2つ伝える。2番のところで動きか何かで1つ2つ伝える。3番のところで、1つか2つ伝える、そのことを中心に考えて、構成をとっていかないと、ばらばらになってしまいます。
感覚の練習には、いい曲です。使えば使うほど曲が大きくなって、体が耐え切らなくなってしまう。どこかでまとめていかないと、全部を歌っていくと大変な曲になりますね。ピアフみたいになってしまう。あれだけの声を持っていけるのならいいのですけが、ああいうかたちで全部歌ってしまうと、のびのびになってしまう。いくつかを動かしていけば、充分でしょう。
○客観視する
主観だけになってしまうリスクも大きい。私も自分のことをいつも見て言っているように、です。
そうではないところで言っているのに、受けている人には、こういう解釈じゃなくて、いろいろな選択のひとつくらいになってしまう。イタリア語や英語だと、こうなんだということが言いやすい。日本語はそういうふうには聞かれていないから、アドバイスがしにくいのです。
○レッスン曲
昔の歌はレッスンとしてとてもいいのですが、J-POPSになったらどう歌ってもいいとなってしまう。どう歌おうかとなったときには、歌い手を変えたほうが早いということになってしまう。その歌い手の持っている素質と歌とをあわせて作っていくというのが難しいのです。
演歌や歌謡曲のように、絶対にこの詞でこの曲がついているから、こうすると優れているという、基準のはっきりしている曲ですね。すると歌い手もこうやらざるをえないというのが見える。それを満たせないとだめといえるのです。詞がよくなかったり、曲とうまくついていなかったりすると、そのことではわかりにくくなる。渡している課題は、英語でもイタリア語でも、そういうのがはっきりしている。練習に使いやすいのですね。
○演歌
演歌はわかりやすいですね。基準がある。たとえば「オリジナル曲でオリジナルに歌いました」といわれたら、「そうですか」というしかない。基準がつかない。歌い方があるといっても、明るく歌えばそれでいいとなる。難しくしてしまったら、元も子もなくなるからです。ただ、その明るさがその人の声のトーンの明るさなのか、歌い方の明るさなのか、最悪、表情や動作の明るさなのかということによっても違ってくると思うのです。
ルールがあるのかといったら1つのフレーズに対して、次のフレーズをどうつくるかくらいのところです。あまり何ともいえない。言葉で言ってしまったからといって、間違いではないでしょうし。
○相対化する☆
多くのトレーナーは自分がそこそこにできてしまったから、特に活躍している人ほど、同じレベルの人には対応できても、そうでない人をどういうふうにするのかというのを、本当の意味ではみていないわけですね。たまたま育った人がいるかもしれない。けれど、それがどこまでが教えた力なのか、その人自身の力なのかということは、比べようもない。
ここは、他の学校いくつ分ものように、この研究所自体で、いろいろなヴォイストレーニングをやっています。うちの先生も外からきた先生も同じように扱っています。同じ生徒をそれぞれ、どの先生がどういうふうに扱っているかということを見て、客観性をもてるわけです。目的がはっきりしていたら、その目的に対してどういうふうに組んでいくかということだけです。
○表現技法
カラオケ教本には、いろいろな記号が付いています。「感情をこめて」とか「ブレスを入れて」とかです。決まりきったものではなく、やっていきたいのなら、自分でこれを変えていく。変えていくのにも、歌の場合は原則を踏んでいきます。
これをこう書く人もいれば、別に書く人もいると思います。人によってもいろいろ変わってきます。
スタンスを決めていたことがあります。どこかにポイントをおく。うまくいかない人に全部言うのではなくて、どこかにしぼりこんで、それ以外のところを離していく。
○歌わない
これは歌ってしまっています。たとえば「もう一度」の「ど」、「何でこういうことをやるのだろう」、「自分ではこうはやらないな」と思ったところは、ひとつのポイントですね。だから思うようにやればいい。違うことをやっても許されるところもある。可能性がある。そこで何かしら、あなたの個性が出ているという見方をすればいいわけです。
歌というのは、皆、歌いこなすことから入ってしまうからよくない。人が与えた歌であっても自分が1からつくるというくらいの気持ちになって、起こしていかなければいけないわけです。
○歌の中から
特にトレーニングは目いっぱい起こそうとしないと、体も声も必要ないのです。だから、体や声をつくりたい、息をつくりたいというときには、歌の中からやるのもいいと思います。そのほうが実践的です。
発声を全部覚えてから歌おうといっても、一体何がどう使えるのかというのは、次の問題になってしまう。使わない声までつくって、余裕があるのはいいのですが、その余裕をどこに回すかといったら、もっと自分のタッチ、自分の動かし方のところに時間をかけるべきですね。
○丁寧さ
どの程度、丁寧に扱うのかということ。丁寧に歌うことばかりやっていても歌はついてこない。大体長くやってきた人は、丁寧にやっていこうとします。しかし、どこかはみ出しておかないと。本当の意味の丁寧は、どういうことでしょうか、丁寧におくということはそこで退屈してしまいかねないのだから、それ以外のところできちんとつくっておかないと。両方、形だけにしまったら、一番よくないですね。
何か起こしたところも雑、おさめるところも雑となってしまう。
○織り交ぜる
面白いもので、きれいなだけの声は退屈してしまう。粗っぽい声では雑に聞こえてしまう。その辺をどう織り交ぜていって、どうひとつの作品をつくるかということです。
メロディや歌詞を大切にしなければいけない。声は楽器という考え方ですね。違う解釈が出てもいいし、やっている間に、声を感じたり、チェンジングを感じたりする。動きを感じたりしながら歌ができてくるというのは、一番いいことではないかと思います。
○発声で動かさない☆
マイクがあるとそんなに気にならないのですが、癖にまでなると全部でてしまい、説得力が弱くなってしまうのです。今の段階ではきちんと入れて動かしていく。
細かく考えても細かく動かない。発声がいい状態でうまく感情が入ったり、音楽が入っていると本当に細かく動いていくのです。発声の勉強はしておくのですが、発声で動かしてはいけない。状態だけをキープしながら自然にやればいい。
だから、自分が得意なところに関しては計算しないでやっている中で、声にまかせてやればいいのです。けれども、その状態が悪くなったり、不得意なところに関しては、イメージで正すのです。
発声で正そうとしたら、それこそフラットしたりする。そのイメージの中で気をつける。大きさでも、きめのこまやかさでも、やってみればいいという感じがします。
○仕込み
材料があまり入らない。そういう意味では、同じ曲を複数でやってみればいいのではないかと思います。
グループレッスンというのは、ある時期まで、よく伝わる。場で伝わる。一人になったときには、ずいぶん引いてしまうのです。10人くらいでやっているときにすごくうまい人が、ソロでやってダメになってしまうのです。
役者は常に誰かとやっていくものですから、グループでの作用で勉強していけばいいのでしょう。けれども、ヴォーカルの場合はその辺がどうなのでしょうか。
○肉付け
歌というのは長くやっていると歌えるようになります。ただし、そこでやっているようなことは、だいたい3~4年もたってくると頭打ちです。実は全然ついていないのだけれど、骨のほうがわかるようになってくると、もつようになるのです。
そこに後は、人生経験、思いとか自分の考えていることや体験していることがどういうふうに歌の中に反映してくるかというようなことになってしまうからです。
つらい思いをしたり、苦労をしたほうがいいのですが、イマジネーションの世界です。苦しい思いをしたからといって、歌に結びつくわけではない。結果として、肉づけをしていく作業をやらなければいけない。でも、それで骨が崩れてしまう場合も多い。
○個人とグループレッスン
個人というのはなかなか上達しにくいけれど、個人で得たものだから、そこで学んだことは、崩れにくい。
グループというのは同じメンバーでやっていくと、同じメンバーでないところで見えなくなってしまうこともある。本人たちがわかったと思っていたのに、全然わかっていなかったということもよくあります。[続]