レッスンの土俵 No.276
○レッスンの土俵
オンするということが一番大切です、トレーニングはそのためにリピートするのです。長い時間やることも大切ですが、それは、何回も同じことを繰り返してオンが生じるための土俵をつくるためです。
アマチュアの人の場合、その基準がないか、大きくブレたりゆれるのです。うまいときと下手なときの差も大きい。その最高のところからどれだけオンできるかを定めていこうとするのが、私が思うレッスンです。
○状態を超える
皆さんに「歌ってください」ということをやらないのは、第一に、心身の状態が悪いからです。ここに座っていて、すぐによい声が出るわけはない。一番よい声をここですぐに出せるとしたらプロのレベルだけです。
「前でやってください」といったら緊張するでしょう。そうであっても、自分のペースで自分のスタンスを持ってこられる。それができたらプロの条件を1つ満たすのです。
ほとんどの人はかなり悪い条件になります。そのことを解決していくのも、レッスンの目的の一つです。
○慣れと本気
多くのケースでは、レッスンも悪い状態でやらされる。緊張しているような状態でテキストを読むのでは、出る声も出なくなってしまいます。
ただ、先生とコミュニケーションがとれてくると、改善することです。やさしい先生であれば、早く慣れて普通に声が出ますが、そこまでにも時間がかかってしまいます。これはメンタル力だけでの慣れの効果です。つまりは、本来は無駄なレッスンです。
逆にプレッシャーをかけても本気になれば声は出るものです。かなり特殊な例と思われるかもしれませんが、実際にレッスンに入ると、そういうことで上達する方が多い。
○逆効果
コールユーブンゲンや発声教本に加え、私がつくった、似たような教材なども使っています。楽譜を見ながらピアノに合わせてやっていると高い音が出にくくなるのです。ピアノに合わせたことがあまりない人がやるからです。
カラオケで、好きな曲を歌うと、レッスンより3度くらい高い音を平気で出す人もいるのです。そうしたらそこからやればいい。そのほうがきれいに声が出ている。高いところも出ている。きれいとか高いとかいうことがよいとはかぎらない。
けれど、少なくとも発声練習でやっている発声のほうが悪いわけでしょう。だからノウハウやマニュアルをやるのは、本来は逆効果なのです。
○意識
できるだけ音の変化の範囲を狭くします。同じような母音でやると、楽に声域も声量もとれます。すると自然と拡がるはずです。それで慣らしてから歌をやりましょうというのが、正当な考えです。
ところが現実に行われているものは、まったく逆でしょう。
カラオケで歌っている一番好きな曲で、一番うまく歌える曲の声を持ってきて、それを応用したほうが早いでしょう。テキストで段階を踏んでやっていたら、一生かかっても大してできない。成果からとらなければ意味がない。
○成果と逆行
学校となると、毎回、成果をあげていかなければいけないようなシステムになっている。トレーナーはかわいそうなことに、習いに来た子が、初回に身についたと思わなければ、次の月からやめてしまうので、常にそのときそのときの成果を上げていかなければいけない。
本来やらなければいけないことは、毎日のトレーニングです。これをきちんとやる。これがだんだん高いレベルにきちんとそろってきて、(ここまでは成果でも何でもない)年に1,2回しか出なかったものが、トレーニングのときに確実に出せるようになる。それまでに、およそ2,3年はかかります。
○最低と最高
声を使っているのに、変な発声をやったり、歌の中で変わったことばかりやっているために、一番いいものを出せていない、ということが少なくありません。そうであれば、これを確実に取り出すようにする。
風邪をひいていようがあまり寝ていなかろうが、昨日声をすごく使ってきたであろうが、パッと出せるようになるには、相当の時間がかかります。しかし、これが最低ラインだということです。
最高目標ではなく、ここからどれだけ重ねていくかということが明らかになってくる。そこではじめて時間をかけたりお金をかけたりする価値であるということです。
業界の求める水準が低いからやれる、チャンスも大きいし、考えてもしかたないと喜んでいますが、あまりに情けないところもあるので、気づいてオンする。
○気づいて変わる
とにかく毎日量をやったら、きちんと決めてやったらよいと思う。それはいいことですが、それは何のためにやっているのかといったら、オンするためですね。気づいて変わるためにあるのです。
変わるというと誤解されるのですが、自分のいい状態が確実に取り出せるようになる。訳がわからなくなったら、スポーツ、特に体を使って習得してきたものがあれば、そういうものを思い出してもらえばいいのです。
○見本
先生が完全なる見本という考え方になってしまうと、先生ができていることをできていない生徒に教えようというかたちになってしまいます。ということは、先生が正解です。
ポップスの場合は、そんなことはないのです。先生が正解だったら、先生がやればいい。
ここのトレーナーは、ここに来ている生徒よりは発声技術についてはすぐれています。でも、育てるということは、その先生がうまく声を出すのではありません。その先生のできないことをやれるようにするということです。
そうでなければその先生がやればいい。OBや、先生が歌ったほうがいいなら、その生徒に価値はないでしょう。目的のとり方を間違えてプロになれない方向を選んで、何年も過ごしてしまう。
○プログラム化
声と歌は怖いと思います。本当に1回の話だけを聞いてもすべてが変わってしまう人もいる。ずっと声のことを、トレーニングをしているのに何ひとつできない人もいるということです。
楽器でも、英会話でも、ここまで時間をかけたら、およそここまで上達するといえるものにはプログラムがたてやすい。でも、声やことばに関しては、すべての人がそれなりにできているから、そこからどういう基準をとっていくかというのは、難しいのでしょう。
○気づきとアイデンティティ
自分で気づいていることは直るのです。本当に気づいていたら、それが直らないと生きていけないというくらいに、こだわると直ります。そのこだわりはトレーナーに任せるのではなくて、自分でもたなければいけません。
ある意味のこだわり、完璧主義です。それを何か方法をつかって、うまくやろうとすると、おかしくなります。
プロとしてやってこられた人、トレーナーやキャリアを持っている人が来ることもありますが、まったくの素人であっても、レベルは違ってもここでは同じ扱いで充分のようです。
本来は言語がベースのところで声はできるのです。ホーミーやヨーデルとかの特殊な歌唱法は別ですが、言語できちんと成り立たせておく。そうしないと、後で歌になったときに足のつき方とか、存在感や個性、そういったところが抜けたままいってしまう可能性があります。その人のアイデンティティ、それを日本の場合はあまり問わないのです。問わないできたからです。
○息
「プロの歌い手に息が聞こえないのに、なぜ息が聞こえるように歌わなければいけないのですか」という質問です。今まで、そうではないところでやっていたなら、それだけのものを体に入れ込んでいく。それを使うか使わないかはその人の自由です。
日本語で息を吐いたら、演歌もですが、粗雑に聞こえる。鼻にかけたり、上のほうで音色を調整する。それはそれでかまわない。
今までそういうこともやったことがなければ、トレーニングというのはそういうものをやることによって、器を広げていくということです。
私の考えも「日本がダメ、海外がいい」ということではない。両方ができる感覚を持った上で、もう一度選び直そうということです。
○クラシック
世界的に見て、日本人は声がそんなにパワフルに強いわけでない。一回、向こうのマニュアル、つまり、人間としてのベースのマニュアルをみて試してみるのです。
声楽となると、いろいろな声楽家がいて、いろいろな教え方があるからわかりにくいこともあります。クラシックと考えるに際し、人間の体がそういうふうにつくられたとしたら、それが一番使える原理まで戻って、使ってみようということです。それをクラシックといえばいい。
○長くタフに
たとえば、長くやれる人とやれない人はどちらがすぐれているのでしょうか。トレーニングの目的というのには、うまくやるというよりも、長くやれるようにすることもひとつであるのです。過酷に使わないようにするのも、集中して過酷に使えるようにするのも、方向です。舞台でも、長い人生の中でやっていけるようにする。となると、今は出ても可能性のない声、後で出なくなる声は選びたくない。
○守る
毎日舞台が2回、365日、そういう人もいます。そうなったときにはやれない。日本のプロの場合、ほとんどの場合、3日おきのコンサートさえきつくなります。毎日2回になっても耐えられるようにやるというのが、トレーニングの意味ですね。
たとえばタップや踊りをやっている人もクラシックバレエを習います。それをバレエで踊らなければいけないからやっているわけではない。そういうことをやることで、体の感覚を鋭くして体を守る。バレエの動きをできるような体を持っていたら、他の踊りも、長く続けることができる。それから自分の身を守ることができる。
サッカーや野球でも、一流である条件は、けがをしないということです。怪我をしたら、何もならないです。うまいという前に、続けて出られなくなってしまったら終わりでしょう。そういう意味でも、ヴォイストレーニングを位置づけると、よいと思います。
○無感情
声というのは物理的な現象です。他の感覚も働きますが、音で聞いたときには、スピーカーから聞こえてくる音です。声帯と鼓膜、脳と心を、どう位置づけたらいいかわかりませんが、それぞれの声をよしあしからみて、聞いてみる。その発声器官が喉です。
トレーニングを考えるときには、感情に流されてしまうと、感覚が疎かになり訳がわからなくなってしまう。たとえば今のように息が入っているとしたら、それだけの息の強さ、息をトレーニングしておくことです。
○体
歌っていると思った瞬間に、本当の歌ではなくなってしまいます。
日本の多くの歌と比べて自然でしょう。この人が音程を歌っているとかメロディを歌っているとか、ことばを歌っているとか、高いところになったから高音発声をしているとか、思わないですね。そういうことが、呼吸と声と、体との関係の基本ですね。
○意識
ステージをやるためにトレーニングの中でも、ある程度、意識しておくことが必要です。優れたヴォーカリストは、発声やヴォイストレーニングに通っていないかもしれない。でも、自分のフレーズの中で、それを何回もくり返しています。声を整えようとして、使い方を覚えていくのです。
トレーニングをやったことで、その発声でないといけないと思いこみ、それだけが正しいと思って、そこから抜けられないことはよくないです。
そういう感覚になってくると少しずつ狂ってくる。頭でっかちになる。伝えられなくなってしまいます。
○息
本当の表現には、息が聞こえる。本当に伝えたいと思ったら、声はでかくならないかもしれないが、そこに息遣いが聞こえてくる。役者のせりふもです。息が聞こえない役者は、プロセスがないから二流です。声だけが大きく出ているような役者というのはよくない。
こういう人はJ-POPSを歌っても、売れないということです。トレーナーとしては採用してもよい人もいると思うのです。でも、歌い手としてということになると難しい。
○正しい発声
ヴォイストレーニングというと正しい発声を見せて、まねしていくと思ったかもしれない。しかし、基本的に感覚が変わらないと、声は変わっていかない。
聞こえかたが変わらないと、本当のスタートはできない。
聞こえ方が違う、実際の作品でも違うということをわかって、そこから感覚の違いはどう埋めていけばいいのかというようなことに進んでいく。
○ロック
日本人はロックやラップを聴いて歌っても、J-POPSになってしまう。声が浅く、ひらたいため、歌謡曲のようにきれいに声がつながってしまう。これはメロディを歌おうということではなくて、メロディを意識しないで、ことばを言ったときにそこにメロディが巻き込まれているようにする。メリハリをつけることが、強弱アクセントをとりリズムグルーブの中で処理するというようなことになるのですが。