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いろいろ No.278

○いろいろ

 

 

 

 ルックスやスタイルと別のところの音声や組み立ての魅力というものをプロデューサーはみている。そのときの基準というのは、カラオケのように誰かに似てうまいということではない。もっと若くて、他にもやれそうな人がいるというようなヴォーカルでは選ばれないですね。年齢ということではなくて、その後の可能性やキャリア、全部の勝負になってきます。歌ってきただけのものがあるかの勝負になってきます。

 

 芸人と同じです。どう感覚で生きて、どういうふうに毎日取り組んできたのだろうかと。それがアーティストに向いている人と向いていない人がいる。あるときに、すごく変わる人もいる。天性に恵まれた人もいる。

 

 

 

○書くことから

 

 

 

 ここにくると、書かされます。日本人だから大体の人は何となく書けるのです。書くことは苦手だけれど、描くことは簡単なら描けばよい。勉強するときに耳から聞いたほうがいいとか、目で見たほうがいいとか、いろいろなタイプがいるでしょう。そういう中で音楽に向いているタイプとか向いていないタイプとか、いろいろと育ちの中でできてくる。

 

 家庭環境にもよります。いつも踊っていたとか歌っていたとか、自分も知らないうちに100200曲と覚えてしまった人と、まったくそういうことが許されなかったり、やれないような家で育っていたら違う。全部が入ってくる。

 

 そういうことを見極めて、足りないことは補強する。生かせる部分は拡大する。一箇所でもいいから生かせる部分を何年かけてでも見つけます。たったひとつでいいから、他の人が感動するようなフレーズを一瞬でいいから出せるようにしていくことがベースです。

 

 

 

○トレーナーを使う

 

 

 

 人を読み込む力ですね。トレーナーは読み込んで、再現する力はあるのです。

 

 アーティストは、作品にわがままでなければ成り立たない。他の人のことはおいて、ひとりよがりに突っ走れる力が必要です。自分のよい作品ができるために、全て犠牲にするくらいの覚悟でやる。

 

 トレーナーには向いているが、アーティストには向いていない人も多い。

 

 今の時代、トレーナーの才能をどう使うかということを考えたらいい。習おうと思うよりも、いろいろな材料が世の中にあるので、それをどういうふうに自分で組み立ててみて、うまく自分の表現にするか、です。

 

 

 

○独学と学び方

 

 

 

 「独学したほうがよいか」と聞かれるのですが、ひとりでやるというのは、私には考えつかないことです。世界中まわって、よいものを学ばせてもらったからです。また、他の人が学べないところや人から学んだということです。きっと私の学び方が少しは偉大だったのだろうと思う。要は自分の才能を生かすために何が必要なのかということに対して求めることです。

 

 

 

○手本

 

 

 

 手本は、世間で言われている先生たちとは違います。世間でよい先生といわれているのは、だいたい面倒みがよくて、やさしくて、誰にでも愛想がよくてということでしょう。そんな人は使えない。誰でも伸ばせる先生というのでは、平均化をすることになります。趣味のレベルでのおつきあいでしか意味がないでしょう。誰でも伸ばせたら、その価値というのはなくなってしまいます。

 

 

 

1人育てる

 

 

 

 100人のうちの1人しか伸ばさない。先生は最初からその一人だけを選べばいい。とはいえ、すぐにはわかりません。

 

 いろいろな分野を見ても、本当に育てられるというのは、10年に1,2人だろうなと思います。マラソンでもテニスでも10年で3人育てられたといったら、天才的なコーチと言われるのでしょうね。そういう意味でいうと、ここも人数がふくれあがったのも問題だったのです。そのなかにいると、日本人は安心してしまうので、さらによくないです。

 

 

 

○才能を使う

 

 

 

 自分の才能を生かして世の中でやっていくのなら、自分より才能のある人をどう巻き込んでいくかです。才能のある人とやっていたら、自分ができないことはわかってきます。そうしたら自分の才能の限界がみえてくる。それを使う。

 

 歌えて、ギターも弾けてバンドもできて、でも全部中途半端なら、どこにも通用しない。

 

 歌でもそうです。あなたが歌うよりもトレーナーが歌ったほうがいいといったら、そうなのです。どのトレーナーでもできてしまうことが世の中で通用するわけがないでしょう。ということは、トレーナーが教えたことだけで、世の中渡れるのではないわけです。

 

 

 

○できることとできないこと

 

 

 

 私でも、自分ができることは、そう簡単に他の人にはできないと、だいたい思っています。そうできる人はいない。でもそれはどうでもいい。ミニ福島をつくりたいわけではない。

 

 相手ができるけれど、こっちができないことを早く見つけてやるという、それでしか通用することはないのです。

 

 

 

○やれることとやれないこと

 

 

 

 どこのアーティストでもそうですが、日本の生徒は、先生のようになりたいということで、きてしまうのです。すると先生のまわりに、できない人の群れができて、新しいパワフルな、才能のある人の成長を妨げてしまいます。

 

 私は年配のすぐれた先生たちをたくさん見てきました。人のいい先生は、誰一人も生徒をその人以上に育てられない。集団をつくってしまうから、それまで。家元制にしたり、徒党を組んだり、やれない人を人数だけを抱えるようになるので、さらにやれなくなります。

 

 

 

○シーン

 

 

 

 映画でも絵でも、どう選択するのか、それをどう組み合わせて一番いいものにするのかです。映画でも、俳優が監督をしたところでは、自分が出たシーンに思い入れが入ってダラダラしてしまう。伝記映画のようにつまらなくなってしまう。

 

 第三者の映画監督がバサッと、時間をかけたところを惜しげもなく切ってしまう。すると面白くなる。飽きさせないようにする。

 

 最初の5分を見ればだいたいわかります。そこですぐれているものはわかります。こういうのも同じです。出だしですべて決まる。

 

 

 

○イベント

 

 

 

 笑って楽しくて声が出ていればいいというようなレベルで通用した現場はない。皆でステージで楽しくやっていたら、お客さんに通用するというようなことはない。ただのイベントです。何年もたたないうちになくなってしまいます。

 

 いくらお客さんと共感するといっても、価値あることを出さないことには、ダメです。一人の体からすべてが発するわけです。その感覚の中からスタートです。日本的な考え方があまりよくないといったらおかしいのでしょうが、よく考えましょう。

 

 

 

○きっかけ

 

 

 

 早道や近道はないということです。ヴォイストレーニングのメニュや方法は、あくまでひとつの刺激やきっかけと見たほうが間違いないと思います。その中で自分に合っているものがあれば、取り入れて組み合わせていけばいいのです。

 

 

 

○完全なメニュ

 

 

 

 今は、マニュアルの時代のせいなのか、完全なメニューをつくってくださいと言われます。私はそれは理想だと思います。

 

 ボディビルのように、そこまでいきたいのなら、これだけの器具で何分間で何コースやればそうなると示す。サプリや栄養補給みたいなものもあります。実際にそうやれば思うようになりますか。

 

 いつの日かそういうふうになればよいと思っているのですが、もう200年くらいかかるのではないでしょうか。

 

 

 

○飾りをとる

 

 

 

 科学的な研究も医学的な研究もやっています。いろんな人に今も教えてもらっています。お客さんがいて成り立つ。でも、基準があるのかないのか、花火や照明で喜んでくれる。

 

 いろいろなことをやらないといけないのですね。MCがうまくないと評価してくれない。そういうところにおいてどこまでやるのか。

 

 日本の場合は、本質的なことができないまま、周りの技術が発達して飾ってしまった。そのために、皆で何をやっているのかがわからない状態です。そのなかでトレーニングもやっているのが、現状ではないかという感じがします。

 

 

 

10

 

 

 

 しっかりしたトレーニングでは、必ず副作用が起きます。バランスが崩れます。だからここでも、本気でやるとそうなると言っています。それを恐れる必要はありません。

 

 歌は、歌のことだけを考えて、気持ちよく歌うのがよい。カラオケとかで歌っているときのほうがうまく聞こえるものです。

 

 息や体を使おうと、感覚を鋭くして声のトレーニングをやると、一時、かなりアンバランスになります。それを私は510年単位でみています。

 

 要は、10年たったら、他の人と違う体、感覚になるということです。どこかで他の人と違うことをやっていないとそうならない。普通の生活、普通の感覚で生きて、それでそうなったとしたら、元々そうなっているという天才なのです。  

 

 他のものと違って声を使って生きてきたのだから、何かとことん変えてやらないかぎり、その延長上です。

 

 

 

○成長

 

 

 

 日常において理想的なことが、もしできていたなら、20歳の段階で相当、歌えるはずです。相当、ことばを使えるはずです。

 

 私自身はそうではありませんでした。18歳くらいになって根本的に変えなければいけないと思ってやり出したくらいです。才能があれば、歌っている中で、そういうことができたのだと思います。世の中にはそういう人もたくさんいるからです。

 

 でも、歌えてしまって勉強をしなかったら、成長も止まるでしょう。今の歌い手はほぼそうですね。20代に一番声が出て、3040代になったら声が出なくなってしまう。

 

 海外では違うでしょう。60才でロックをやっていても往年と同じか、それ以上のことをやっています。ショービジネスの厳しさの違いです。

 

 

 

○声域

 

 

 

 体をめいっぱい使うところをやったら、長く伸ばせる、高いところも上のラまでいきます。高い声の人が歌っているところです。J-POPSの人にはハイCまで歌っている人もいます。もっと高い人がいます。歌としては十分だと思います。

 

 体からの発声ではそんなに高くは聞こえないはずです。日本人の大半は口のほうだけでつくっているからカン高く細くなります。実際にそういうものがお客さんに受けたりしていることもあります。そこについては自由にやらせています。

 

 

 

○発声法

 

 

 

 トレーナーが教えるような発声で、高い声の発声法として、その音をとりに行くにはいい。しかし、そのまま歌うわけではない。通用はしない。その人の中でいいものがあれば、それを選ぶべきです。

 

 

 

○声をよくする

 

 

 

 これでは、声優さんから役者さん、アナウンサーともやっています。

 

 日本語の高低アクセントなどは大してやりません。声優やアナウンサーの学校は、そのことをやるわけです。すると、まわりの人には勝てても、ベテランの人とやると負けてしまう。もともとのエンジンが小さいままだからです。

 

 音程やアクセントなどは、最初はいい加減でいい。ピッチがくるっても音が外れてもいい。発音がめちゃめちゃでもいい。まずは、声をよくしていけばよいと思うのです。

 

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