高音と音長だけのメロディ No.280
○高音と音長だけのメロディ
「タタタタタタタータ」というのは、単に時計がカチカチなるところに音がついているだけですね。声楽でもそういう発声の人が多い。フレーズがつくれないで、高音と音長をメロディとして時間軸にそって合わせている。
歌い手の仕事は、役者と同じで、それを自分のものに変えなければいけない。時計のカチカチの時間では困るわけです。それとともに空間も変えていかなければいけない。
すべてを同時にやることです。声で踏み込むことができたり、離すことが自由にできるところまで、です。バラバラのままメロディや歌詞が聞こえてくるようでは、客はもたないのです。
○オリジナルの条件
体の条件を習得することは難しいのです。息が出せているのとともに、音楽を知っていて、引き上げ方や入れ方を自分のデッサンとして持っていないと体とは一致しません。まねてやっていたら、音色まで人のデッサンもどきになります。
自分の体にあった音の動かし方とか呼吸の使い方を知った上で、曲を使わなければいけない。自分の曲でも同じです。
人の曲をやったから、オリジナルではないとか、自分のつくった曲だからオリジナルではないのです。どれを使っても、自分のデッサンができたらオリジナル、あなたのものです。
○必死に
これで3分半くらい歌って、そのあと失神するような状態です。トレーニングでは汗をかくなどよくないと言う人もよくいますが、集中するだけでも汗びっしょりになるものです。まして体を使わないトレーニングとは、どういうことなんでしょう。
ただ多くのところを見てきたからわかるのですが、口先でやっているから、汗はかかないですね。目的が根本的に違うのです。
自分の体をぶつけて必死に身につけていくということは、トレーニングにおいて必要条件でしょう。格闘技でもピアニストの世界でも、なりふりかまわず、やり尽くすでしょう。そのことで、ようやく実際のステージでは、その7割くらいで楽しめるようになるのです。
○体からひとつに
お客さんにことばを届けるのだったら、雑な声の使い方をしてはいけない。きちんとまとめていかなければいけないし、ていねいにしなければいけない。最初の10年くらいは、私の望みですが、パワフルにいって欲しい。雑だと言われても、もうちょっとやらせます。
トレーニングで10割、その10割のことが体からひとつに捉えてやれるまでには、結構大変なのです。いつもそういうふうにできるわけではない。集中力とテンションとすべてがのったときにできたら上出来というところです。ひとつの世界をつくっていくためのプロセスはこういうものでしょう。まともな練習ができるのに5、6年もかかるというのであって、はじめて声や歌の世界に入っていくわけです。
○息が足らない
難しいほうが楽しいと思うのです。最近のように、身近な目標とプロセスを与えられてしまうと、かえってわからなくなってしまうと思うのです。「腹式呼吸はどうするのか」とかいうような質問もそうです。それなりのレベルを目指していたら、腹式呼吸などというより、「息が足りないと」わかる。優れた人と比べて、すぐに息が上がってしまう。向こうの人は上がらない。腹式呼吸という前に、体づくりをしなければいけない、体力や筋肉を鍛えなければいけない。
○必要性
一般のセミナーで、「腹式呼吸が必要ですか」と聞かれたら、「それは必要ない」と言うのです。だから、いらないというのではありません。必要な人は普段のトレーニングでそれを求め、身についてくる。聞くような人にはいらない。いるといっても、崩れる。
結局は、目標の設定レベルいかんなのです。皆さんがしているのも、私が話しているのも、すでに腹式呼吸です。この程度に話すくらいなら、これで充分なわけです。それ以上、どのくらいまで必要とするかです。
○腹式呼吸
お笑いでも、パッと呼吸を切り替えて、すぐにやわらかい声を出そうとしても、体と呼吸が動かなかったら、そういう声が出てこないし、間がとれないでしょう。
単純にいうのなら、息をハーッと吐いて、それで一気に瞬間的に入ることです。
普通の人が10回20回とやるとお腹が痛くなります。ということは全く使えないということです。だから、どんな呼吸トレーニングでもいいのですが、歌を歌う、せりふを言うということに対して体を使うこと。体をつくること。その必要性のある人だけが、その必要度が表現からぶつけられて、わかってくる。
スポーツでも基礎トレーニングはある。最初に、すごい人を見てしまったら、すごい筋力がいると感じる。100メートル走って疲れるようでは、プレイはできない、そういう直感的なところに舞台のイメージを結びつける。
○身につける
「ハッハッ」などというのを迷いつつやっても真剣に取り組めますか。10代の子には、説明しても、見せてもわからないのだから、やっておけば、と言う。形だけでもやって、いずれ誰よりも息を吐けるようになれと。20歳代になったら、やっていくと楽になるという言い方をします。
それをすぎている人には、経験的に何かしら結びつけられるものがあると思うのです。体を使ったことがまったくない人は、ヨガや体操からでもよい。私がよく勧めるのは、武道です。自分が油断したらバッとやられるような状況にいたら、体というのは、頭を使わなくても教えてくれます。
その直感のないところでヴォイストレーニングや音階練習がやられている。体の軸があって、そういうメニューが組み立てられていたのに、そこから離れたところで、多くは行われているから成果にならないのです。
○体の内の動き
姿勢としては、優れたアーティストが舞台でやっている、柔軟で魅力的な動き方が理想です。ロックのようなのは、見本と違うのではない。全身として表現しているときの体の内の動きは共通しているわけです。それを「を見ながらやりましょう」いうのでは、難しいのです。舞台で30分経って足が疲れてしまうという人は、1時間のステージはできないわけです。そんなところから考えてみればいい。
○身内の歌
感覚的には、「わけがわからない」ということになってしまう。ご自分の中の体験で、何かを習得したものがあるのなら、それと声や歌のプロセスも違うものではないのです。
まったく違うように、新しく歩んでいるかのようなのは、業界の偏ったやり方ですから、すぐに消えます。歌い手によっても口先でバラバラ、それが、今の歌の声の場合は多いのです。
歌というのは、日本のポップスに関しては、どれだけ売れるかではじまりました。歌わせるために、周りをプロのバンドで固めてたらコンサートに人が入るし、CDもお札を刷るように売れる。そこで、周りのことについての演出には長けるようになり、アレンジや見せ方は、日本は一流です。ただ他の国からみたら主役が微力、声から始まっていない。日本では元々そうでないのが歌。身内の歌なのです。
○形骸化
声楽でも何でもかたちの方でがんばっている人が多いのです。日本の場合は、新しいのをつくるのではなくて、似たものを和風にチェンジする。日本ほど、ある時代においての材料の保存に長けている国はない。世界中の宝庫です。17、8世紀にすごいものをつくり、えらい先生が伝えた。でもその動きはそこでとまっている。
現地にいったら、すでにそういうものはなくなって、常に冒険しては新しいものを出している。日本だけそういうものをかたくなに守ってやっている人たちがいる。歴史研究にはいいが、もったいない。
○ネタの声
我々は、継いで保つ習性があるので、正しく学ばないと歌が歌えない、マスターしないと歌えないとなりがちです。そこから入らないことです。
もっとすごいことをやろうと思ったときに、呼吸や姿勢が大切だとわかってくればいいのです。歌から入るのも発声から入るのもいい。声は、歌と別に取り扱ったらいいと思います。せりふの声でもそうしましょう。
まったくやっていない人は、せりふから入りましょう。「M1グランプリ」の決勝ネタをやってみると、どれだけ体や呼吸、声がないのかがわかります。そうやって10年以上鍛えられた人の芸をまね、体験してみると、いろいろな感覚や必要性が具体的にわかります。
○見本
歌い手を、特に選んでいるというのでなく、マイクや音響であまり加工されていない声です。トレーニングの見本としてはそのほうがいいからです。その人がここに来て、マイクがなくて歌っても、こう聞こえるというものがよい。
その逆のタイプの人もいます。マイクがなければ、全くもたない人もいれば、マイクがあることで才能が活きる人もいる。大きな声ではなくて、小さな声でマイクをつけず、ピアノだけでみたら映えるという人は、そのかたちで突き詰めていけばいい。
○高い声
長くやっていると、あまりヴォーカルとしてどうかとか、役者としてどうかということではないことがわかる。自分が何をもって生まれたかということです。高い声を出したいなどと言う。持論からいうと、高い声を出している人で、プロとしてあるレベル以上にいる人に、高校生や中学生のとき、高い声が出なかった人はいないということです。特に日本の場合は、極端です。そういうことができたというのはトレーナー、トレーナーになりたいならそれもよい。
外国人でも同じです。それを追いかけて出せるようになるのはいい。
「努力して得た」と言う人ほど、大した実績はないはずです。そこで勝負しようとしても、5年も10年も経っていては、歌ってきた同年代の人に追い付かない。苦手なことを何とか克服しても、それだけ不利な勝負なのです。
○逆転の発想
例えば、高い声が出ないということは、低い声や中音域のところに魅力的なものがあるかもしれないということなのです。人は、何かしら、その人のものを与えられている。
歌に関して与えられていないなら、役者としてとか、評論に関してとか、耳に関してとか、突き詰めると、別のところが誰よりもすぐれていることもよくある。
○説得する
「ヴォイストレーニングをやったら、プロになれるか」と聞かれます。それは何よりも自分を知る機会として絶好のチャンスです。
歌手として向いているかどうかも、今の時代は、向いているからやるのではないのです。自分がやるかだけです。
周りの他の人を説得させるところまでやるのか、そこまでやるにはどうしたらよいのかに向き合ってください。
○無理の逆転
「何も今までやっていない、下手だ」とする。この「下手」が積み重なっていくことによって、人が感銘を受けるところまで、その世界をつくれることもあります。ほとんどの人は、そういう個としての、真の勝負のずっと手前であきらめてしまう。他の人よりもうまいとか下手とか、どうでもいいようなレベルで比べて、降りてしまうのです。それはあきらめられる程度のものでしかなかったということです。
そうではなかった役者や声優はたくさんいる。声では無理というような人が、声優をやっていたりするのです。大山のぶ代さん、あの声では絶対に声優になれないはずだったのに、誰も替れないものとなった、誰よりも知名度が高い声優になった。
○オリジナリティ
歌の下手なヴォーカルや声の悪いボーカルはたくさんいます。そのかわりに何があるのかと見ています。自分には何があるのか、それが、出せるかの勝負です。ヴォイストレーニングはそのきっかけであると思うのです。
声をきちんと学ぶことによって、歌い手や役者でなくても、自分にかえってくるものはたくさんあると思うのです。声や歌以外の才能を見つけていく人もいます。詞や曲もつくってみればよい。皆やらないだけで、誰でもやれるのです。続けないから深めていけない。
○続ける
研究所では、すぐれたトレーナーがたくさんいるので、まかせるだけまかせて、私としては、彼らのやらない、いろいろなことをやっているのです。
毎日、基本的なこと、自分がやり始めたことは続けましょう。くだらないな、やめようかと思う。でも、自分でやり始めたことをやめてしまったら終わる。
最初はそんなものがないから、自分でやる。ひたすら続ける。徹底してひとつの世界になっていく。すると、そういう場はありがたいと思うのです。これも読んでくれる人がいるから続く。
○個性
日本では「何々歌手」とつけないとやりにくい。30代では、昔は演歌歌手、今はジャズ歌手、そんなところから、本人の名前だけで、声のパフォーマンスとしてやれるように考えていくと、おもしろくなっていくと思います。
幸い、声をやっていると、個性的な人がたくさん来ます。いろいろなアドバイスをするので、いろいろな勉強を続けてもらえたらと思います。
○動く
なかなか一人ではできない。才能というのは、人をどう使うかというところに行きつくのです。今、あなたが強く何かをやりたいと思ったら、誰でも会ってもらえると思うのです。人にアピールして、同じようなことをやるのも、そこから学ぶのもいいでしょう。
できないと思うと、作品もできない。その後につなげていくのには、作品の力が必要です。
今の日本ほど自由に動きまわれるところはありません。スペインのほうにこれから行く人などもいる。動く人は動いている。
○シーズン
終の棲家のように、ライブハウスまでつくりましたが、今や、途中駅にいるような感じです。トレーナーも、いらっしゃる人も変わっていくのはよいと思うのです。
ここはおもしろいところだとは思います。ホームページでなく、ここでしか伝えられないことがたくさんあります。