形と身(書道) No.282
○形と身(書道)
書道で、先生のお手本を見てなぞって書いたら、同じように見えるかもしれない。でも、よくみたら、バランスも力の入れ方も違う。ひとつの呼吸の中で動いているものではない。そこから入るのは勉強としてはいい。多くの人が、形だけ正しくまねようとして、ぶつ切れをつなぐだけになる。字をみるのでなく、先生の動きをみることです。それは、時間と空間で捉えることになる。どの角度からどのタイミングで、どのスピードで入るのか、身のこなしを知ることになる。
○テンポでない
ピアノでいうと、ペダルがまったくない。共鳴の変化がないようなかたちです。声としては共鳴しても、音楽としての奥行きがない。ボーンと長くつなぎ、最後の響きから、またつなぐという流れがある。それがパッと切れて、入れて、また切れて入れてとなっていると、その動きだけがあわただしく見えてしまう。テンポに遅れないで、ちゃんと入るという練習にでは、頭が強くという感じで、尻切れトンボのようにパンと終わってしまう。頭が弱く入るところもある。強く入ったとしても、最後のところは何かしら余韻があって、それを受けて次のところに入る。同じテンポでないと、聞きにくい。
○声が出にくいゆえに
声が出ないのに歌っている人に、説得力があると感じることもある。もっといい発声の人がいるのに、そのようなこととは違う面で成り立っている。地方にいってもそういう人がいます。
一番いい練習は、2番の頭のところ、これをどういうふうに動かすかというようなこと。これを丁寧にやっていくと流暢になる。声が出てくる。果たして、それがよいのかと思うこともありますが。
○強弱でない
強くと弱くがはっきり出すぎています。もり上がりに対して納め方、大きく小さくだけでなく、距離をとるとか、遠くとか近くとか、いろいろな感覚がある。その中であらわれてきたものに対して、強さと速さだけを変じるのでない。強いとか弱いとかいうことでまだ動いているだけ。
何回も歌って、あるときに力を抜いたら、きっとうまく動いていくでしょう。
勉強しているときには、大きいところ、強いところしか聞こえないのでしょう。そのために体で無理に声を絞りだしたり、声を抑えたところで出して、喉に負担がきている。それが、つっかかった原因だと思います。
○強さの盲点
30分、1時間とやっているうち、喉を強くやることによって出やすくなる。今度は弱くとか高いところに対応できなくなる。つまり、固まっていってしまう。とことん固めてやっている人も中にはいる。声楽的には理解できないとしても、丈夫な人もいる。日本人がやるとつぶれてしまう可能性が高くて勧められない。
自分の喉が強いという自信はなくすこと。こういうことではつぶれないということがわかってから、徐々にやっていくべきことで、急にやるとつぶれる。イガイガするというようなことが重なっていくのは避ける。
○コツと深さ
ここで抑えて、強く聞こえるようなことは、向こうは2秒くらい、こっち側は5秒くらいで同じ強さに聞こえる。だから、喉で動かして詰まっていくほど、力でやってしまう。力で動かすのは、ワンクッションおいた力でないとうまく働かない。思い切りやっているようで、実際にやっている人たちは、そういうところから何か、動かし方のコツを覚えていく。表情は同じような表情ですが、原理としては体から回してつぶさないような懐の深さがあるわけです。
○柔らかみ
「タラララララ」という音はとれるし、その動かし方はできる。けれども、その音の中でもフレーズが成り立ちながら、こぶしのようにきちんと回って柔らかみというか、1つのフレーズがこうなるというのを出してみましょう。ぶつっと切れてしまわずに、こう聞こえればいいというところ、そのなかに入っているのは、ひとつの味だと思う。
○大きくするには
最後の音がつっぱっていたら、状態を悪くしてしまう。他の部分も似たようなものだと思うのです。繊細に、コントロールしている線上に、大きくしていくならいいのですが、いきなりというやり方は危ない。ある程度は、輝く響きや音色をきちん育てて、フレーズのかたちで、強くしたり大きくしたりする。その動きの中でより大きくしてみたり、急にしてみたり変化してみたりということでメリハリをつけましょう。動きがないところでいきなり、3つくらいの球をバンバンとぶつけるようなやり方は危ないということです。
○徐々に
自分がこの曲のここのところを繰り返したら、この音でちょっと痛くなったと、わかってきたら、無理に克服しようとしないことですね。よけておいて、そうでないところからアプローチする。1、2ヶ月でも喉は変わる。喉に影響がないとわかったら、徐々に強くしていくことです。
○真ん中
本来は、土着の感性でやっていくものでしょう。それをヴォイストレーニングというのは合理的に効率的に、遠回りしないように、声の中心のところをみながら進めようとします。中心に対しては、ゆらしては戻そうということで、真ん中というものを、何かしら想定しておいたほうがよいということですね。
○負担
ステージでは言いませんが、練習にまで負荷をかけてしまわないことです。体の負荷はともかく、声帯回りの負荷は、悪い方向に出てしまうものです。日本人の喉は決して、強いわけではない。外国人の10人に8人がOKのことを、日本人は2人くらいしかOKが出ないようなものです。歌いたいように歌っていることについては、ほとんどに悪い影響が出てしまう。
○外国人との差☆
彼らは子音を使ったり、高いところをとったりしても、うまく喉を休めています。瞬時に使って、強く、大きく出しているようで、勢いやスピードでみせています。その後に使っていないのに、我々はそれを大きく伸ばして負担をかけてしまう。
向こうが0何秒くらいでやっていることを1秒くらいでスタッカートぎみに、それを掴んで出せるだけの包括力のある体やコントロールがないので痛めてしまう。力では音楽的には動いていかない。ピアノを力で弾いているみたいなもので、音楽のレベルは低くなってしまいます。
○力と脱力☆
力は働かせなければいけないときは、力を抜くのが原則です。働くところを意識しないこと。声に関しても、声を抜く、力を抜くことがどういうことか、わかるために、力を入れたり、体を使ったりするようなことは試みとしてやるのです。それを間違って覚えてしまわないこと。力でやろうとか息と吐いてやろうとすると、ずれた方向にいってしまいます。
○トレーニングの必要悪
トレーニングで力をつけて強い声で歌えるようにというけれども、その力では歌自体は動かない。やるとしたら、歌の何箇所かにそういうところを使うくらいです。後は普通の感覚に戻すほうが、声は働きます。普通の感覚でいったら、何となくプロっぽくないから、くせをつけて動かしてしまう。そういうものでカバーしてしまえばいい、という方に流れるから、もったいない。
○つかる
喉でがなっているだけ、音楽の構成の乱れにもなってくると思います。向こうの言語なので、どういうふうにささやき、どういうふうに働きかけるかというような、言語感覚はわかりません。外国人は日本語で喧嘩ができない。間のタイミングの取り方とか微妙なところはあるでしょう。そこはどっぷりとつかるしかない。
○反動
聞いたときに、音をとって歌うのではなくて、聞いたところの感覚、体や息の感覚をとって、音楽の感覚で歌ってみる。自分の感覚や声は違うから、結果的には違うフレーズになっていい。コピーして、表にあわせて終わりではない。フラメンコは独自に、個人でしかやらないようないろいろな流れ方をする。その流れをそのままとろうとすると無理がきます。向こうの人がパンとやって、その延長上に声がのっているものを、自分たちで頭で理解して出そうとしても、向こうはここでパンとやった反動で楽にフワッといくのに、こっちは歌おう、声を出そうとしてやっているのだから、まったく違います。
○動かす
向こうはバランスで収めている。弾むときも弾まないときもある。こんなところを練習しても、あまり意味がない。流れをつくっていくことのほうが大切です。
流れをつくってはいても、単調です。最初にバッとつかんで、すぐに動かしてとしか見ていない。
そこの中でも、たぶん言語のニュアンスに属するものだと思うのですが、ちょっとした何かがかかって動かしていく。スッとかかって動かしていく。
間をもってから入るには、言語を読み込まなければなりませんね。読んでいる中でアクセントを捉えて、そのまま読みきって歌になるところで入っていくほうが、向こうの人が聞いたら、説得力があると思いますね。
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