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「本」 No.284

○本

 制限することで甘んじてはいけない。タイトルはレトリックかと思っていたのですが、なるほどと思わせて最後まで読むと、タイトルがきちんと説得させている。なかなかタイトルが説得させてくれる本というのはない。
 
○成長

 ファッションのセンスがいい人が、「着るのをやめろ」と言う。自分ではそれが一番似合っていると思っていて、その人の勧めたものは合っていないと思う。1年がまんして言うとおりにして、1年経って自分に合っていると思っていたものを再び着てみたときに、いかにダサかったかわかる。そういうものだと思うのです。
 以前の自分の中ではこれがいいと思っていたり、自分だと思っていたり似合うと思っているものは、通じない。ファッションに関していうのだったら、プロの目で変えてもらう。
 ファッションに自分を合わせる。それはある意味では自分を投げているようなのですが、より自分を活かすために、ファッションのセンスが伸びたということです。そういうことはよくありますね。次元を超えるというのは、その先のこと。
 
○触れる

 3年前に書いた文章を読み返して、こんな程度のことを書いていたと思えればいい。私は10年前に、書いた本を読んで、結構、関心したりしていますが。
 自分の力とは違う方向であれば、情けないものになります。歌もそれの最たるものではないかと。続けて、うまくなれる人は、日本では少ない。あなたのことではなくて、プロの人が正にそうです。そこから考えてみると、他の分野でそういう考えをもっている人から学び、破り続けていかないと、すぐに停滞してしまう。本当にシンプルによいものに触れていくといいと思うのですね。
 
○亜流

 時間があれば、トークショー、いろいろあるらしいですから、聞きにいくと何か発見があるでしょう。
 日本は日本でいいと思うのですが、その結果、日本独自のものができているのではなくて、昔の亜流、他の国の亜流のものでとどまっているところで、満足してしまうのではないでしょうか。
 格好いいというのから入っていく世界はいいのです。けれども、どこで自分のものにするというところに気をつけないとダメです。
 
○日本のもの

 ファッションでも、日本人が発信できたものは日本のものですね。向こうにいって勉強はするけれども、日本のものとして出している。そうでないと向こうでは認められない。
 日本は、向こうで認められないと入ってこない。一方、向こうで認められても、日本では評価されないものもある。日本で評価されているものは、同窓会のもの。今もそういう国。
 今、あなたの周りでもきっとそういうことが起きていると思います。どういうふうな思考をもっていくかというのは、大切なことだと思います。作品を本質で見ると、そんなに迷わないことです。
 それを必ず妨げる何かがあるし、人がいる。そこは、窮屈な部分です。それが悪いということではない。日本のいいところでもあるのでしょう。

○音色を活かす

 いろいろな発声があります。個性的な音色を出すということは、一見、発声が統一されなくなってしまうことです。リズムを中心にとってメロディを処理していく。母音をとりメロディをとり、拍をとり、そこに言葉をつける感覚ではない。
 
○声のパワー

 ペギー葉山さんの時代のように、より深いところで声をとって、ビブラートをかけるみたいな結び方は、歌という形にまですると、説得力があるでしょう。
 残念なことながら、最近は、歌唱力の声そのものの部分が落ちたため、そういうところが古く聞こえてくる。若い人は、そういう声のパワーでは聞かなくなってきているのですね。
 
○プロの歌

 母音で1拍というかたちは、向こうの音楽に合わせたときに、音の流れからはみ出すことができないですね。ためてしまうし、遅れてしまう。もたれてしまったりする。その乱れがどうしても出てしまうということですね。
 それを聞いて、周りのプレーヤーは、それを正そうと思って、拍やメロディを一致させようとして、ピッチャー音程を正そうと促す。すると、きれいに収まるが、それ以上のものが出てこないということになってしまいます。
 
○混沌

 ぐちゃぐちゃにやっている中で、つかんでいく方がよいのではないかと思います。ゴスペルとウィーン少年合唱団が対立するような浅いレベルでの感覚の違いがあるのではないでしょうか。いろいろ研究してみてください。

○歌の日本語
 
1週間くらい前にいろいろなところで賞をとっているクラシックの人が、日本語で歌うのがいいと、クミコさんのが見本だというのです。クラシック歌手がクラシックの世界で認められながら日本語で歌わなければいけないときに、その日本語で歌う見本として、いろいろなものを聞いた結果、そこに落ち着く。
 私は、常に自分の感覚は疑っています。若くてすぐれた人がそういうのだから、何かあると思ってきくわけです。難しいのは、本当のオリジナリティといろいろなものが合わさって、消化できていない部分のオリジナリティ、これは、すぐには区別がつかないですね。
 
○基準

 いろいろなものをまねながら独自のものが確立していくのです。私もプロの人とやるときに自己懐疑的だったのです。自分はどう歌いたいのかということを押し付けてしまうことになってしまうのですね。次に自分はどう聞きたいかの押し付けになりかねない。自分はこの曲をこう解釈したい、こういうふうにやってほしいと導くと、ヴォーカリストだったら、そう言われたほうに持っていってしまうでしょう。私はその点では懐疑的なのです。違うと思って直して向こうがやったというところでは、成就していない。今ははっきりしています。まねて、だめだったというか、結局は、まねだとわかった人を結構見てきたからです。

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