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今昔 No.286

○今昔

 

 リズムというのは、わからないです。日本語でこなすこと、向こうに合わせず曲も合わせず、独自のものをつくっている。その独自のものはあわただしくバタバタして、頭打ちのような日本人の日本語の感覚が出ている。かつての、日本人の声のよい歌手の歌にもよく出ているもの。日本の客にとってはそのほうが聞きやすいし、日本語も聞こえやすい。音色やリズムを中心にして、向こうに近いような感覚で動かしたら、客は離れるのでしょうか。

 昔はしっかりと発音しなければいけなかったり、メロディを外してはいけなかったのですが、今は自由なので、聞くほうがそういうことを許してくれる。なのに、そこをまったく新しいアーティストたちは使いきれていないのです。

 

3拍子のリズム

 

 3拍子系のリズムというのは、日本人には難しいのですね。本当に難しくて、ただ3つ打てばいいというのではない。これは4分の3で、そんなに複雑ではないのですが、この流れではのれない。

 日本語でつけていったときに、休符と3拍子の中だけで動かしていくと、どうしても詰まってきてしまうのです。全部しゃべりまくっているようなかたちになるのです。ところが、向うの原曲のを聞いてみたら、相当、間が開いているのです。そういうふうな処理の方法をするには、本当は日本語をつけかえればいい。

 それをどういうふうに変えていけばいいのか、聞くほうは日本語をつけかえても、日本語として捉えていこうとします。

 日本で3拍子がないのかというとそういうものでもない、ただこういうものになってくると、3拍子の問題というよりも、リズムの問題です。こういうものをこなして、流行りのものをこなせるのではないかという気がします。

 

○妨げる

 

 動きからつくっていくと、踊りや身振りが入ってしまう。ステージを見ている人には手とか体の動きでよりわかりやすくなる。音だけで聞くとみえないものまでみえる。感じやすくなります。

 ピアノの演奏の場合は、たしかに体も手も動きはします。あくまで音楽演奏の動きにおいています。だから、音楽で、流れを流暢にできるのを妨げるのは、ステージングからきているものだと思います。

 

○バタバタ

 

 聞き込んでいると似ている部分がある。この歌い方にしていくと、呼吸がとれなくなってくるからバタバタしてくるのです。それがわかるとすぐに切り替えて元に戻すのはさすがだと思います。

 呼吸だから、どこかで踏み込んだら、どこかでリピートしなければいけない。水泳を例によく言っている。水をかいたらその分、腕を休ませなければいけない。これができていないとフォームが崩れていきます。

 どこかに間をとらなければいけないけれど、これだけ畳み掛けていくと間がとれなくなる。畳みかけていくときに、せりふにはなるけれども、音楽が崩れて、途中バタバタとなってしまう。劇場型の人には,評価されるのが、楽器やバンド型の人にはやりにくいと思われますね。

 

○リズムと呼吸

 

 とても1時間ではやれないのです。1000回やれば、どんどん変わってくる。つまみ食いしてでもできる。1年やって、また1年後にやってみて対応できるかということです。

 どこかで入れないと、入っていないとダメですね。自分の呼吸を持っていても、違うリズムのものだから、違う呼吸を入れなければだめですね。そのリズムに乗せてやってもダメで、そこに自分の呼吸が出てこないといけない。

 こうやって繰り返しているうちに、自分の呼吸を意識したり、自分の呼吸みたいなものに、なんとなく半分くらいとなったら相当よくなる。今のところだと5分の1や10分の1もいっていない。3分の1くらい合えば持つ。徹底して合わせようとしたら、78割に近いところまで。やがて日本語でももっていけるようになるのでしょう。もっともそこばかりにこだわれない思惑があると思うので、そうはいかないのでしょう。もっとさっぱりと歌えば、呼吸はもつと思いますが。

 

○テンポ感

 

 3拍子ということも、歌のタイミングも、こういうのは古い勉強というか、一番基本的な勉強ですね。学校でアンサンブルで、バンドとあわせて、リズムがとれるといいます。最初はメトロノームで合わせて、そこから自分でつかんでいく。

 テンポ感があるということ、歌い手の場合は、言葉としての部分できわめて台詞を言うとか、音楽の部分だけで、きちんと完成させておく。それをつなぐところで、歌い手の力が発揮される。両方あわせてやったときに、どちらか一方よりもよくなるというのが、歌う味です。

 せりふだけで伝わるのだったらせりふでやったほうがいいわけです。

 伴奏をつけていくと、それでごまかしになって、日本の場合は、歌に使われてしまっている。せりふでは、漫才でも演劇でも、間で覚えているのです。この間合いをどうやるか、ましてや2人でやったらタイミングがあわなければいけない。どうやらなければいけないというルールが決まってくるのです。

 自分の感覚と場の感覚の中で、ある程度決まってきたらよい。決まっているから伴奏がつくのではないのです。そのテンポ感のアップの速度やどのタイミングでとるかとは、誰かが決められるものではなくて、自分の体とその時代です。

 

○歌になる

 

 今の時代だと速くなる。これでも速いほうだと思いますが、それは指示できることではない。こういうレッスンは、作詞も作曲も、アレンジもかねている。自分の呼吸をきちんと知って安定させていくとともに、歌にしていく。

 歌や表現になることからやっていくといい。歌になるということは、それなりの落ち着きを示す。速いものに関しては、向こうのものがあって、それを聞きたいお客さんに対して、日本語に訳している。

 

○独立性

 

 きちんと歌詞とメロディに呼吸と体を一致させてつくったかというと、そこまでの完成度はない。いい悪いではなくて、完成度を見たときに、練習の課題としてのこと。人前で発表するには、お客さんが満足すればいいわけです。結局、お客さんの満足で終わってしまうのか、作品としての独立性とか完成度とかいうものを追及するのかで、課題のレベルが違ってくるのです。

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