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レッテルをはがす No.289

○レッテルをはがす

 この歌はよくできています。ちょっと固めている部分がありますけれど、今の歌よりは、体がついていてわかりやすいですね。今のはエコーをかけて、ああいうふうに歌えないのをポップスに聞こえるようにしてしまうでしょう。
 「アメージング・グレイス」や「マイ・ウェイ」、クラシックとポップスが、そんなに離れている意識はありません。ポップス歌手もクラシックを勉強し、クラシック歌手は小さいころから歌っているのがポップスで、教会で歌っているのが、クラシックなのかゴスペルなのかという感覚もないですね。日本人はとにかくレッテルを貼って分けていくのですが。それは、その世界の外にいることを示しています。
 
○~みたいにしない

 歌手なのだから、歌手といえばいいのに、ジャズ歌手とかシャンソン歌手と言わないと場がない、その辺からそういう歌い方があると思ってしまう。よく聞かれるのは、「ジャンルによって歌い方が違うのか」ということ。日本人には、まっとうな質問です。「同じ発声でいいのですか」と。それで当の人たちも、知らずにそうなってしまっているのです。
 クラシック、演歌、民謡、なんでも○○歌手みたいに歌う。みたいにというところで○○歌手ではないわけです。そんなものが匂ってくるほど、うさんくさいのに、です。

○「あしたのジョー」の歌

 「サンドバック」、弱めに入ったところから「浮かんで」、そこまではもった人が3人くらいいました。尾藤さんから学ぶここの部分、合っていない、ここで失敗していますね。40点くらい獲得した人はいるかもしれないけれど、10点という感じですね。ここからおかしい人もいますしね。この辺が一番ポイントですね。
 プロとして、とてもうまくやっています、というのは、全体の構成、構成ということがわかりやすい。最後のところまできちんとくみ上げている。ところどころ、わざとつめている部分があって、そこは価値観なので、かまわないと思います。

 後半、「かお」のところから持っていないですね。ひとつのメロディ処理のやり方です。もう少し音楽的にしたいと思いますが、何で音をとりにくくしているかというと、きちんと踏ん張って、台詞を出しているからです。皆のほうが歌わされてしまっている。流れてしまっているということです。ここで上げておかないと、次の「たたけ」に入りようがないわけです。感覚として、彼は音色のところでリズムをきちんとたたき込んで、その動かし方が入っている。皆のほうが浮き足立っています。

○デッサン

 最初にデッサンということをいいましたが、こういうところですね。発声の勉強もあるし、どこを共鳴させたらいいとか、リズムや音程もありますが、結果的にそれが見えなくなること、声も見えなくなるほうがいいのかもしれないですね。
 声だけのよさで勝負する歌い手がいてもいいと思いますが、多くの場合そうではない。どこかで気づかなければいけないと思います。クラシックの場合は、オーケストラを抜けていかなければいけないという絶対的な条件がありますから、グローブをはめて、ボクシングのルールでやらなければいけません。リングがあるから一目瞭然です。チャンピオン以外は負けていく。チャンピオンもいずれは負けていきます。
 ポップスはいろいろな勝負がありますから、こういうところの勝負ひとつで決まっていく。デッサンをもっていったときに、リズムにのったところの音色です。

○戻す

 音色をつかもうとすると、体や呼吸がとまったりします。それから音がひずんだり響きがばらけたりします。それをどこかでつかもうと、統一して戻さなければいけない。
 トレーニングするということは中心から外れていくのだから、どこかで戻さなければいけない。どんどんトレーニングしましたというのは、どんどん外れていくことになってしまいます。それを歌の中で戻せたら、それがいいのですが。

○独自の再現のために

 こういうものをやるときには、デッサンの試みをしてみて、声が出たらOKとか音がとれたり発音ができたらOKではなくて、その中で自分にしかできない独自のものをどう深めていくかです。
 しかも、再現がきかなければいけない。それも深めていっている部分で再現がきかなければいけない。きちんとデッサンイメージがある人にとったら、そのイメージが出てこない、というのは、自分の体や声がうまく動いてくれないからです。
 
○練習のポイント

 1フレーズだったら動くけれど、全体でやってみたり、歌1曲でやったらほとんどつながらない。練習するところは、常にそこなのですね。
 このくらいの短さでいい。皆の場合、まだ4フレーズ、1行やると雑ですね。1、2、3、4とあるとしたら、1、2くらいは集中力が持っているけれど、3、4くらいで雑だし、それから次のフレーズ、8フレーズくらいにいきます。
 
○一体感

 この前、ある歌手の「ローズ」を聞いたら、うまいんです。発音もよくてきちんとつなげている。でも買おうとか見に行こうとか、また、聞こうという気にはならない。ファンの方もいるでしょうが。
 結局、動かすことが目的になっているだけなので浅くみえてしまう。ベッド・ミドラーだったら。役者だとかではなくて、その人でしかできない何かが出てくるのかというところで見ていくことができます。徹底した一体感。

○安易に

 最近、音楽市場がガタガタで、職を失いかねない人も多くなっています。今までのプロデューサーや歌い手以上のものはつくり出せないのに、批判する権利もやる必要もないのですが、皆、同じように安易につくってきてしまった。他の芸能分野もそんなによくはないと思いますが、あまりに早かった。

○組み合わせ(構成)

 組み合わせが難しい。本当のことをいうとここからそこにいくときに、切り替えなければいけない。ここの部分から、間のとり方、どのタイミングで入るか、どの大きさで入るか、音色もですが、メロディを切り替えなければいけない。
 こっちが切り替わるのは、役者、こういうところで音色が出てきたときに、普通はそのままいくのですが、あえてここでひとつ変えています。ここで変えてしまうと、次で変えた効果が薄れてきてしまうのですが、早めに変えることによって受けやすくしている部分もあります。こういうところの大きなポイントは「け」のところがどうなっているか、それからここにどう入るかというところです。
 
○流れ

 発声しか考えないと、歌ってしまう。役者は台詞で感情移入してしまう。感情移入して音色を置くということは、動きが悪くなってしまう。自然に歌っているようでいて、微妙な調整がなされています。たとえばそれ以上に声をはったり、発声に持っていったりすると、感情に入らなくなってしまう。そうやってしまうと音の流れがとまってしまう。

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