ブログ移転のお知らせ
fukugen(福言)ブログがこちらに移転になりました。
引き続き、よろしくお願いいたします。(2020.12)
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ポピュリズムは、平民、公民、人民、大衆主義と訳されます。しかし、煽情政治と言う方が納まりがよいように思います。
さしたる能力のあるリーダーもいないのに、敵対勢力を倒すためと、煽られて改革が行われていきます。
ポップスといわれる音楽も、また似ているもののように感じられてなりません。 [606]
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明治生まれの軍人の下、大正生まれの人が20代から30代で戦争を実際に担った世代です。日本の技術者は、世界のトップクラスでしたから、敗戦後も「物量で負けただけ」と皆、思って、捲土重来を期していたと聞いたことがあります。
飛行機製造は、もっともハイクラスな技術であったため、GHQの禁止(1952年まで)による転用が自動車や家電の開発となり、日本の高度成長を支えたのです(戦闘機「隼」設計者の糸川英夫は、ロケット博士となり、小惑星イトカワに)。
ちなみに日本初のジェットエンジン機は橘花(きっか)で、飛燕は日本初の空冷式エンジン量産機でした。戦後の日本初の国産製造航空機は、YS11(1965年就航)です。
戦争の歴史遺産は、ある意味で重要な作品です。しかし、その「再生」には、そこに至るストーリーを語り伝えなくては、共に生きた人にしかわからなくなります。 今は、日本の敗戦までを第一線で語ることのできる人の喪失の時期なのです。当事者がほとんどいなくなり、こうした歴史の継承が危惧されます。敗戦は、終戦として、そうした人たちの口を固く閉ざしてきたので、尚さら、その記憶の記録と継承をすることは重要でしょう。
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家族のテーマが難しいのは、それについて語り合う場合、自分の家族関係に触れないとわかりにくいので、それぞれのプライベートを披露することになります。しかも、語るときには、ドラマ化しなくては聞けないので、たいがい長くなります。さらに、親についてなら、亡くなってでもないとまとめようがないわけで…。
私は、今年、父母の享年を平均した年齢にあたるので、それとは別に、やや複雑な思いをもって過ごしていたわけです。10年ほど前に、親の残した家族アルバムをUSBに収めました。父も亡くなって5年ほど経っていましたが、1枚ずつ、写真をみて感慨にひたることはありませんでした。
それからは、みていないし、元のアルバムもそのまま保存してあります。そろそろ、それなりにまとめ、自らのルーツと育ちを統括しなくては、と思っています。
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責任をもって情報を評価して伝えるのが、メディアの役割です。ジャーナリストは、取材し、情報を集め、整理し、評価した上で示します。事実通り示すといっても、必ず、何かを選択し、それらを、まとめて説明するのですから、評価が入ります。
マスメディアが第三の権力と言われ、権威をもってしまうのは当然と思うのです。しかし、それとて評価して示す以上のことに踏み込むことには慎重でなくてはいけないはずです。 [606]
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地域社会は、神事や行事、つまり、文化があり、いろんなものを生産し、消費していたときは、元気でした。 住んでいるところに活気があり、住んでいる人に誇りがあったのです。
ところが、国や県、市は、税金をバラマキ、公共土木事業、工場の誘致で権力を行使していきました。文化的事業といっても、ハコモノ(ホール)などハードをつくることだけでした。
その当時、私は、目一杯、ソフトづくりに働いていたので、よく覚えています。竹下総裁時代の一億円バラマキ、ふるさと創生事業の頃です。 [606]
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個性ばかり求められるなか、何がしたいかを問われても困るのでしょう。歌手、タレント、ユーチューバーとかが目標に出てきても、それは、あこがれに流されているだけの段階です。
何かできることがあって、したいことがみつかるなら、進んでいけます。そこで基礎学力や基礎体力といった、基礎がいるのです。基礎不足では、目的がずっと絞れないものです。 [606]
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「1999年、シルヴィー・バルタン(55歳)『ずっとコンスタントに新しいアルバムを出しているのに、日本のレコード会社は発売しようとしない、いつもベスト盤ばっかり。私を“過去”にしたがっているのは、日本だけよ』」
「新作につけられた邦題「Vertan Sessions Acoustiques」は「アイドルを探せ~フレンチ・アコースティック」、2004年発表の「SILVIE」は「永遠にあなたのとりこ~愛しのシルヴィー」と題されている」
(「ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか」中山康樹(幻冬舎新書))
ついでに付け加えておくと、レニー・クラヴィッツがミックの日常を次のように伝えている、とあります。「ツアー中、2週間何もせずにステージに立てば、間違いなく喉を痛める。それがわかっているから、ミックは毎晩トレーニングを続ける」
(『ローリングストーン日本版』2009年2月号)[6006]
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「ハリウッド赤羽店」は、2018年12月に閉店、今年2月には新宿・歌舞伎町の「ロータリー」が53年の歴史に幕、都内からキャバレーは消滅。生バンド入りキャバレーは熊本県八代市「白馬」だけとなったそうです。
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現在、クラシックの演奏家は、西洋の18世紀から19世紀の曲を専ら演奏しています。そこが「クラシック音楽」と呼ばれているわけです。
それでいくと、日本のポップスで21世紀、22世紀と、将来、「クラシック」となるとしたら、20世紀半ばの曲であるように思うのです。主に1960年代前後を中心とした曲です。
私が若い頃を懐かしむよりも以前の曲が大半ですから、私のお勧めする曲などは、私の同時代的、個人的体験にあまり左右されていないということになりましょう。
つまり、昭和一桁生まれから団塊世代の10代20代くらいの頃のものが、歌唱としてはピークといえます。まさにそれは日本の戦後から高度成長期にあたります。[568]
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1968年~オリコン(ランキング)がスタート
1960年代7曲
1970年代24曲
1980年代12曲
1990年代173曲
2000年代26曲
(1989年「ザ・ベストテン」終了
2001年iPod発売) [564]
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後になって、どのような意味があったのかに気づくことが大切です。
リーマンショックは、世界のGDP6,000兆円のとき、8京円あったデリバティブ市場から2~3京円を失ったのです。それは、世界のGDPの3~5年分です。ちなみに、日本のバブル崩壊では、溶けたのは、2,500兆円だったそうです。 [602]
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日本は、ゲーム大国ゆえネットゲームやeゲームには遅れをとりました。
賞金の上限という規制があったのも原因です。そこは、プロライセンスというやり方で何とか乗り超えたのですが。
何か起きると安全安心のため規制し、何かが起きる前にリスクを心配して、すぐにやめようとするのが、今の日本です。教科書を丸のみにしないことから始めましょう。 [569]
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日本人は、自分のものを特別に大事にしていると思うのです。家、車、衣食住全てに及んで新品や所有にこだわります。拾ったものを届けるのも、もしかすると、親切心以上に、人のものを自分のものにしたくないのではないでしょうか。 [568]
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「スクールメイツに所属し、アイドル歌手としてのデビューをめざしますが、声質がアイドル向きでなかったことから方向転換。学生時代にトランペットを吹いていた石黒(東京パンチョスのリーダー、チャーリー石黒)は憧れていたルイ・アームストロングの声をヒントに、声帯を酷使させることで森進一の喉を潰させ、日本には珍しかった個性的なハスキー歌手として世に出します」
(「名曲カルテ 昭和歌謡といつまでも」堀井六郎[週刊ポスト])
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「何になりたいのか、何でありたいのか」と、生きる意味が問われると、その期待の満たされる快感を求めていきます。What do we want to want.何を望みたいのか、ということです。
そして、人を信じて虚構を信じ、それを捨てたり、創ったりしていくのです。
でも、自分の決めたことのもたらす結果の全ては、知ることができません。それが、人生です。 [593]
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人は、生存に関わること以外に意味を見出すこと、存在しないもの、虚構について妄想することができます。それを人に話して伝え、共感して皆で信じられるのです。
神話も宗教も、そこから始まりました。見知らぬ人とも協力して、大きな集団で生活を共にできたのです。外敵を崇拝したり、神として祭ったりさえできたのです。
ホモ・サピエンスは「人・賢い」ということです。
農業での労働と人口増で、貧富の差も生じました。そこから戦争も法も支配構造も、発展していきました。情報から知識を得て伝達、共有します。情報は増え、データ化され、ネットワークが進み、ヒエラルキーを複雑にしていきました。文学が生まれ、お金、宗教、文化となって、より大きな集団化へ向かっていきます。
国家の統一から、帝国主義によるグローバル化、近代科学によるテクノロジーと併行して、資本主義は、信用創造によって消費者を生みだしました。家族や地域コミュニティ、国家から、グローバルな市場へと形成されていったのです。 [593]
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日本のグループサウンズが、なぜ、ビートルズのように残って長く聞かれることにならなかったのかを分析した本があります。それには、次のようなことが述べられています。
当時のウリは、エレキの歪みの暴力性、ハーモニー進行の変化、ベース(バス)の進行など。
タイガースなどは少年っぽい声で、日本のグループサウンズは、政治的メッセージではなく、夢をみるところでした。
つまり、GSは、メルヘンチックでファンタジック、キッチュ、かわいい、アンドロギュヌス性、大人ではないプリンスのイメージ、宝塚、ジャニーズ、タイガース、幼児的、まがいものであったのです。
まさに、クールジャパン、さながら今の音楽シーンのキィワードと同じです。
湯川れい子さんは、平尾昌晃の「ハートブレイク・ホテル」が、途中からは、「おさるのかごやだ、ほいさっさ」に聞こえる、悪いとは言っていませんが、「日本のナポリタン」という評価でした。それより、女の子の「キャー」という「解放と安全」に注目して欲しいと言いました。男の叫び声は、危険でろくなことがないことに比べてのことです。 [579]
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「ダイナマイトーミコ」、「和声アメリカンポップスの女王」と呼ばれました。
私が思うに、日本のトップ歌手を美空ひばりとすると、日本人離れした歌手としてのトップは紛れもなく、弘田三枝子さんでした。サザンの桑田佳祐は、オマージュする歌をつくっています。(「チャコの海岸物語」「MICO」)
歌声、パワー、音楽的感性、表現力として英語曲を含めると、尾崎紀世彦など男性歌手よりも上でしょう。
「ヴァケーション」「人形の家」でしのびましょう。(「砂に消えた涙」「ナポリは恋人」「恋のシャンソン人形」「別離」「ウイズアウト・ユー」。7/21 73歳。
※イプセンが、「人形の家」(1879)を書いて、90年後(この曲は直接それと関係はありませんが、1969年日本レコード大賞を受賞)、今年で141年後となります。
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「アメリカにはワイドショーというものがない」
「コメンテーターというポジションも存在しません。レギュラー出演者のキャスターが2~3人いて、あとは特派員(記者)。それ以外は、トピックに合わせた専門家をゲスト」(デーブ・スペクター[JUNE ZOZO CYZO92])
アメリカがよいというのではありませんが、日本はどうしてこうなのか、一考を要します。
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ベラルーシのノーベル賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチさんが16年に来日したとき『日本には抵抗の文化がない』と語ったそうです」
「日本では、個人で価が決められません。その分野の権威が『いいよ』と言えばそうなる」
「批評文化がない。あえて言うなら日本の芸術界はいまだに権威主義、教養主義、定評主義、西洋至上主義です」
「『空気』などさっさと無視しないと自由な表現など起こらないし、民主主義を邪魔し逆行しますね」ということだそうです。
(「批評文化のない日本」粟津ケン アート・プロデューサー[週刊金曜日2020.5.22])
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農業機械、化学肥料、農薬、品種改良と4つの革新的進化を遂げた農業ですが、聞いたところによると、日本で一年に捨てる食べもので、サハラ砂漠以南の飢餓で苦しむ人々を十分に食べさせることができるそうです。
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感情、思いを重視するゆえの心中、情死、切腹が、かつての日本人の美意識にありました。
病気も死も、生のために価値があるから、無理に治そうとしないことです。不二であるように努めることです。
全ては、変化していくものです。頭や理屈からは離れることです。
未知なものの意味と関係をさぐること、事実と受け止め方を考えること、この二つを大切にしましょう。
[555]
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心身と一口に言うのですが、心を体が合わさり、身となります。道は、身を学び、身につけるのです。科学を重視しすぎると、心を忘れてしまいます。
大疑団とは、禅語では、大きな疑問をもつことです。
医学は、経験からの勘や直観が大切で、科学であってはいけません。理性や考えすぎは生命力を弱めます。脱力、リラックスで血液循環をよくします。大木になったつもりになると重心が下がります。
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30年ほど前に、講演前と後に、二度お目にかかったあと、
音信だけのおつきあいでしたが、いろいろと日本語に
ついて教わりました。その後、一度、出版社の方から、
拙書の推薦文を依頼していて、結局、出版が早まり、
再会もできずに立ち消えてしまったのでした。
その後、出版不況下でも東大京大生ブランドで、
大ロングセラーを連発されて、
知的生産にも大いに尽くされた方でした。
7/30 96歳。祈冥福。
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日本人の集団性、集団主義とでもいうのでしょうか、それが個人主義の欧米と対比されて語られてきました。
ただ、建築物や街づくりについては、少なくとも、明治以降は、個性的というか、周りとの調和意識は希薄です。
海外の街は、それぞれに独自の調和がありますが、日本の街は、バラバラです。建築については、景観を観光地として誇るところ以外では、自由奔放でごちゃごちゃです。
日本は、すぐれた建築家の多い国です。私は、独裁政権崩壊直後のルーマニアでブカレスト大学の学生が、日本の建築を学んでいるのに驚いたことを思い出します。
十坪くらいの土地で建築家に設計を依頼する人もいます。地権者の権利が強いのも、日本ならではのことです。
原宿から当スタジオのある代々木まで、外国人客が、個人住宅やビルを撮っています。インスタなどが盛んになるずっと前からそうだったのです。
日本は、石造りではなく木造住宅で建て替えが多いため、などというのは理由にならないでしょう。石造りやコンクリート造りの建築物さえ、すぐ壊して違うものに建て替えてしまいます。元々、新築が好きで、中古住宅のリノベーションなどは最近のことです。手入れして購入時より価値が上がることが少なかったせいもあるのでしょう。 [577]
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「京都は、文化的価値があるから爆撃を避けられた」というのが全くの嘘であったことを、1994年に吉田守男氏が立証しました。しかし、俗説の方がよいと思いたい人には、なかなか伝わらないものです。戦争とは、そんな残酷非常なものです。
かつての、コンビニも進出せず、応仁の乱の頃から守られてきたかのような景観は、あっとういう間に、マンションやビルの乱立となりました。「大文字焼き」もみえにくくなりました。他の都市と同じような節操のないものに変わって、もう何十年も経つのです。 [577]
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ヒルデガルド・フォン・ビンゲンは、11~12世紀の神秘体験をした修道女です。薬草、ハーブ療法を調べていたときに、その名を再び聞くこととなりました。ファスティングからデトックスまで、オーガニックでホリスティックな考えは、今でも最先端を行くように思われます。
彼女は、大いなる存在へ、精神、内在、しぜんの叡智をもって繋がろうとしていました。精神上位の中世において、「人間は、宇宙の肉体的中心」と主張しました。天上の聖なる声を作曲もしました。「聖歌集」(女声の単一および二声の旋律) [575]
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美声の神は、天津児屋根神(あめつこやねのかみ)です[天児屋神(あめのこやのかみ)ともいいます]。藤原氏(中臣氏)の祖先神です。「中臣」とは、神と人との間を取り持つという意味で、この一族は宮廷の神事を統括しました。
天孫降臨で邇邇芸命に従って、日向の高千穂の峰に降臨し、天岩戸に天照大神が籠もられたとき、その前で太祝詞(フトノリト)を読み上げました。これが、日本人の言霊(コトダマ)信仰のルーツとなったのです。
言葉には、吉凶をもたらす神秘的な霊力があると考えられています。祝詞や寿詞は、その言葉によって吉をもたらし、凶を避けられるのです。
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下から抵抗しても権威は強くなるばかりなら上から落とすこと、手に入れて内から壊すのが有効です。
真実とは、首尾一貫しているところに見いだされるものです。すぐに変わったり矛盾したりするというのなら、偽物でしょう。
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人間は、予知不可能なことをしでかしてしまうゆえに、とんでもない答えを導き出したりしているわけです。しかし、この突飛な変異現象がAIにも共通するように思えるケースが出てきています。すると、違いは何になるのでしょうか。
人間には死がある。
AIは電気をエネルギーとしている。
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「代表的日本人」「武士道」「茶の本」
日本人論として外国人が書いたものでは「アメリカに渡った日本文化」「逝きし世の面影」「もし日本という国がなかったなら」など。
「もうろう体」(横山大観)「陰翳礼賛」(谷崎潤一郎)
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美声の神は、天津児屋根神(あめつこやねのかみ)です[天児屋神(あめのこやのかみ)ともいいます]。藤原氏(中臣氏)の祖先神です。「中臣」とは、神と人との間を取り持つという意味で、この一族は宮廷の神事を統括しました。
天孫降臨で邇邇芸命に従って、日向の高千穂の峰に降臨し、天岩戸に天照大神が籠もられたとき、その前で太祝詞(フトノリト)を読み上げました。これが、日本人の言霊(コトダマ)信仰のルーツとなったのです。
言葉には、吉凶をもたらす神秘的な霊力があると考えられています。祝詞や寿詞は、その言葉によって吉をもたらし、凶を避けられるのです。
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プライバシーの情報は、自分のものでなく、自分と他人のとの関わりの中にあります。相手に不利益が生じると自分にも不利益となることも多いです。
情報は、すでに個人のものでなくなりつつあります。元より、誰かが公になるのを止め、秘匿しているから価値があったのです。
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おもしろくない、つまらない、何をやりたいのかわからない、動けない、疲れている、すぐに疲れる、心が弾まない、憂鬱、重い、だるいなど、これは、困った状態ですね。
これだけモノが溢れ、食べ物にも不自由なく医療も進歩しているのに、豊かになっている実感がない、それどころか、それに翻弄されたかのように病んでしまうのは、気を病む人、引きこもる人まで増えているのは、どうしてでしょう。
富の配分などという経済的政策が至らないせいでしょうか。いや、たとえ、ベーシックインカムが導入されても、むしろ、それにより事態はさらに悪くなりかねないのではないでしょうか。働く必要があって心身を使う人が、働く必要がなくなって心身を使わければ、病いへまっしぐらです。そうならないように生活を楽しみ、仕事も能力も活かして楽しみましょう。
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いろんな心身解放のテクニックがあります。
38億年もの生命の流れとして、地球、宇宙の広がりの中での自分をどう捉えるのかでしょう。それは、あなたの考えや意志をも超えてあります。
私たちもしぜんの一部ですから、そうしたパワーを取込み、一体化して活かせるのであれば理想的でしょう。
声には、ストレートに宇宙のエネルギーが反映します。ですから、よい共鳴板、伝導板にならなくてはなりません。 [517]
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相手が何人いても、ある一時を取れば、一人の人と対しているのです。
具体的な事柄でみること、その人の属性を取ってみることです。
これは、属性でしか人をみていなかった人には不得手なことでしょう。そういう人には、肩書のない人の話を聞いているのか聞いていないのかさえ感じられない人もいます。
でも、おもしろいもので、逆によく話を聞いたり、関心をもってくれる人は、誰に対しても、八方美人なこともあります。相手の対応にあまり影響されないようにしましょう。
自分を待っているものがある、待っている人がいる、そこを意識してこそ生きる意味が生じてくるのではないでしょうか。
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心身の調子、人間関係、生活、仕事、ハプニングなど、まわりのものすべてが、パフォーマンスには影響します。予防まで考えるなら、主治医、セラピスト、フィジカルトレーナー、弁護士なども必要です。広報から食事担当も入れて、いわゆるVIPの組むツアーの体制を考えてみるとよいでしょう。
日頃からリスクに備えておくことです。衣食住にお金と時間の管理、さらに、人との関わりも、他人事としてとらえずに自分とのセットで関わってつくっていくことです。
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世間も組織もネットも、責任を取らないところから発言されているということでは、本来、もっと無力のはずですが、日本では、同調圧力となって、しばしば個人を圧迫します。
世間というのが、庶民、大衆の声、声なき声というのでなく、集団的なもの、漠然としたものとして成り立ち、相手にするにも、ただよう空気や引きずり込まれる沼のようなものとなっているのです。
師弟なら師が責任者、ゆえに師の許容したなかでは、無茶を言えるのです。突き詰めると、コミュニティにおける権限と責任の問題です。そこから、このネット社会を考えることが必要だと思います。
世間というのは、誰がどう決めたか、そこに個人がいないか見えないから、責任の所在がないのです。それは、つまり、自立した人間の社会らしからぬと思うのです。
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共感優先の社会では、周りとの状況対応力さえあれば、日常のことも仕事もうまくこなせます。果たして、それだけでよいのかということです。
よくないと思えば、深く学べます。しかし、その分、周りと合わせにくく生きにくくもなります。
「学ぶ」とは、これまでの自分を変えることでしょう。以前、私は、「表現」ということについて、そのように言っていました。
「変える」とは、否定や破壊を伴うこともありますが、人は先に生きるものなのですから、偏狭に囚われなければそういうことは続きません。
同調して周りの圧力に作用反作用していた人は、孤独になるとはじめて自立した感じを自覚します。
つまり、フリーランス、いや、アントンプレナー精神です。これは、組織を離れるということではありません。どこかが24時間365日、あなたを束縛していたら別ですが、そうではないなら、これは心の置き所の問題です。
[531]
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世界の今後を考えると、独裁も増えていきそうです。独裁は、必ずしも悪いことではありません。しかし、その後に大きな害を及ぼすことが多かったのです。一人のトップが長期に続くと、大体はよくないというのが歴史です。側近と後継者の選定に、必ずといってよいほど誤るのです。選ばれた人が期待を裏切るようになるからです。
王政、貴族制、帝政←→民主制、国民主権となりました。
独裁制と違って、共和制では、法と行政が別なのです。
国家は、無限責任というところが民間と違います。
ですから、誰が選ばれてもリスクヘッジしていることが重要です。リスクの責任をとる人がいるのか、組織でなく人がみえるのかということです。その手段の一つが情報公開です。
自由というのは、行動と居住の移転、職業選択などにあります。そして、その義務は、大体、どこでも3つです。納税することと守ること、戦うことです。
今の各国の政権と今後のことを考えてみましょう。
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日本は、アメリカのように拮抗する力、対抗者が出てこないところです。いわゆるカウンターカルチャーが元よりあまりないのだと思います。しかし、今はアメリカも多元的多様でなくなくなりつつあるように感じます。
難しいことを考えなくなるような傾向が気になります。ということは、幼くなるわけで、批判的精神がなくなります。かつての教養主義は、自分で向上するために学ぶのですから、それも必要なことだったと思うのです。
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歴史を学ぶと、数多くの出来事のわずかに、1、2つのことを知って、私たちは、それが本当の過去と思っているということがわかります。
たとえば、私が、この2週間、ある舞台のことしか考えていなかったと言って、手帳にも「○○の舞台」としか記入していなくても、食事もトイレも新聞もニュースをみていたことも、あるいは、メールや電話もしていたこともあるのに、その方が多いのに、そこは記憶からも記録からもすっかり抜けてしまっているのです。
だから、誰かがそう言ったという記録は、嘘ではないとしても、必ずしも真実でもないのです。
いろんなことが次々に起こっているのに、そこで意識して残したものだけが歴史になります。個人なら、過去は思い出によって記憶され記録されるものです。だからこそ、「今、ここ」のトピックスでしかないのです。
[428]
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「アナウンサーというのは堅牢な水道管でなくてはならないというふうに思ってるんですね。ふだん、情報をなるべく、いわば真水のような状態で、」
(中略)
「太字ゴシック体の声を使う。例えばですね。「Uターンラッシュで大渋滞です」とお伝えしたとします。そうなんだと思うだけじゃないですか。そうじゃなくて、「Uターンラッシュで大渋滞です」というふうに、声を張るだけじゃなくて、難しいんですけど、太字のゴシック体で声をくっきりさせながら伝えると振り向いてくれるんじゃないかとかですね。」
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変態性癖、非定住、暴力が、アウトロー
「自己検証、自己嫌悪、自己否定」で成長する。
老いてダメになっていくのと戦う。
フィジカルが伴っていなければ、意志もたるむ。
身体は苦しんだ分だけ、必ず成果が出る。
「オリジナリティ、極端、明解、癒着」
「努力は、圧倒的になって初めて意味がある」
「感想を言うことが人間関係の最初の第一歩」
美意識、品がある
「楽して生きているのではないか」
内から出てくるものが膨大で、気づいたらやっている。
目指すものではない。目指すのではなく、対象に同化する。
共同幻想と対幻想。
正義しか言えない。
自分の情念に耳をすます。
ほふく前進する。
夢や希望を語る暇などない。
考え抜くための思考することばをもつ。
ドラマツルギー
縛り、制約との格闘
「ただ遊べ 帰らぬ道は誰も同じ 柳は緑 花は紅」(隆達節)
(「読書という荒野」より)
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20世紀の前衛芸術楽曲「4分33秒」をつくったジョン・ケージによると、演奏時間を自由に変えてもよいということです。4分33秒は、273秒で、絶対零度ということでしたが、正確には、-273.15度Cです。 [490]
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川田順造は、語りを4つに分けました。
モノローグ、ダイアローグに加えて、シンローグは、その場にいる者の共同の語り合い、ポリローグは、喧噪、無秩序な語りです。 [482]
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1月29日76歳にて逝去。
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ネタ消費に振り回されている人は、少なくありません。ネタにするために行動するわけです。インスタなどは、まさにそうでしょう。
自分の興味、関心よりも、周りの興味を一時でも引くものを優先する、あるいは、そのために行動する。
それは行動しないよりは、よいことと思いますが、ときおり、そのことについて考えてみましょう。
そういうものをみていると少しずつ、素材のまま、元のままとは、変わってくるのが常です。仕事もアートもニーズを考えざるをえないから、その傾向が助長されます。「嘘」と「盛ること」の境界はどこなのかといつも考えさせられます。
「いいね」に振り回されないように気をつけることで
す。 (449)
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フジコ・ヘミングの演奏について、江村哲二さんは、メロディが大きくあって、そこに和音がくっついているので、演歌的であり、メロディと和声が混然一体となるのが、クラシックと述べています。
クラシックは、キリスト教と同じで日本に根付かない。日本人は信心はあるが信仰がない。楽譜や聖書を元にしないというようなことです。
以下、参考になったのは、日本人らしさとして、
芸術の位置づけを伝えない
メンバーになることで満足する
あの人がよいと言うのなら…
と褒めてばかり、作品そのものへの批評がない
ブーイングがない
上品、セレブの趣味
作曲には聴くこと、耳をすますこと
モーツアルト弦楽四重奏K465(不協和音)
聴いて触発する内側の何かの存在
雪は吸音する シンとなる
創造、オリジナル=起源に戻ること
生命体の強さ
耳は外でなく内をみる 目は外をみるが耳をすますと見えない
西洋のミュージックは、楽譜 (364)
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コルトレーンとソニー・ロリンズ
後付けの分析は、規則、マニュアルにならない
フリースタイルで行うと、大体は、長くなってから短くなる。前のを捨てながら次を選び、つくるのです。
フォックストロットは、ジャズの全身のラグタイムに合わせて生じたダンスです。
自由は必ず「○○からの自由」となるのです。 (366)
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つながりがあるから孤独ではないといっても、そのつながりが特定の人とのつながり過ぎとなると、そこからのストレス、その人からの支配、介入に悩まされることも多いわけで、今のSNSは使い方に気をつけないと
それを助長すると思うのです。
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学校―工場―軍隊というのには、統制が働いていきます。
声を揃え、ことばも統一して、国語の確立とともに国民国家の力が強くなっていきます。
国鉄解体で国労が瓦解し、労働組合の力が低下した後、労使の対立は弱まりました。
1968年は、明治100年、1912年生まれまでが明治生まれで、そのとき55歳でした。1945年の終戦時には33歳です。二次大戦を担った若い力は大正生まれだったわけです。
ソ連の国土は広すぎて、原爆開発時点では、アメリカは私たちが思うほど有利に立てなかったようです。そのあと、1949年、ソ連が原爆をもち、54年、アメリカが水爆をもちます。61年8月ベルリンの壁が築かれ、冷戦が激化したわけです。
歴史をみると、生活の質が最低限保てるだけの再分配が行われていれば、権力というものは案外と続くものとわかります。
北朝鮮は、生き残りがかかっているために、日本や欧米よりも深く考えて動いているように思います。
民主主義、資本主義は、成長し続けないと機能しなくなるということで、そこが欠点なのでしょう。
そういえば、1982~1990年連載の「AKIRA」は、2019年が舞台でした。
2020年の東京オリンピックを予言していました。
1984年に「『1984年』になったね」といっていましたが、2019年も過ぎました。 (481)
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ソフトバンクのPepperは、耳のところがスピーカです。耳となるマイクが頭頂部に4つ、そこで方向の確定ができます。目と耳が青色に回転して点滅しているときに会話可能です。
感情は、喜び、悲しみ、怒り、驚きなどで、認識します。音声合成は、エーアイのAITalkです。
インタラクションとは、システムとの対話的なやり取りを指します。
2012年NTTドコモの「しゃべってコンシェル」では、しゃべるキャラが数十種類あり、ドラえもんや名探偵コナンなどの声も使えます。
AIへの指示は、声の方が楽ですが、状況によっては使いにくいときがあります。声を出せないときは使えません。また、明瞭な発音が必要です。言い淀み(フィラー)は、「あ」「ええと」「なんか」「まあ」「んー」などのことですが、それらを避けることです。
Google Homeは、“OK google”で起動します。日本語の「ねえ、グーグル」の方が、まだしぜんです。
ということで、日本の歌手、役者はもっとも早くAIに変わられるように思うのです。
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どんなことでもわかってくれる人のいる日本のやさしさ、甘さ。難しいことを努力して理解するのではなく、難しいからと関係ないとするのではなく、誰かが簡単にして与えてくれる日本のよさ、甘さ。
日本語を使うとき、方言さえ切り替えて、誰とでも話せるようになっています。言語による階層、差別がないことが、日本の特色です。
しかし、そのために何事も難しいままで出すと、よく思われないのが、日本人の気性、評価の仕方です。
ビジネス書、自己啓発書、専門家の知識を一般化する作業に、多くの人が関与して、その知識を日常に活かせるように、日々努力してきました。アニメ、漫画もそうした産物です。
そういうなかで、役者や歌手くらいは、世界レベルにかけ離れ、ガラパゴス化して、別の形で通じていってもよいのかと、半ば思うこともあります。残念なことですが。
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日本人が語学力がなくても世界と対していけるのは、多くのものが翻訳されているからです。そのため、語学力がつかないともいえます。
あらゆる文化、生活が入り、日本化していく、それをフォローしてくれる人がたくさんいて、それを受けとる人がたくさんいます。
翻訳家、通訳、訳詞家、アレンジャー、プロデューサーといった加工業者が多く、そのレベルの高さを、日本は競って高めてきたのです。
政治家にスターがいない、皆、凡庸で何をやっているのかもわからない人ばかりで、財界人や企業のトップも官僚も不祥事だらけです。
それで暮らしがうまくいっているなら、とてもよいことと思わなくもありません。でも、そのつけは、次代に必ず跳ね返ってくるのです。
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日本文化は、他国から文化を取り入れるとき、昔からあったかのように変えていくのであって、格闘をしないのです。異教を普及した国としては、いわば“泥沼”(遠藤周作「沈黙」より)ということです。
日本人の場合、神と集団(講)であり、神と個人ではありません。頼母子講、無尽講など、相互扶助です。
実利的、無思想、日和見的といわれ、外部をもたないのが日本人です。よそ様とうちとの二重構造と言われます。外を考えるのなら、外―個人に対し、外―内(私たち)となっていたわけです。
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「批評とは、作品を語るものではなく、その作品を媒介として自己を語る作品ということである」(小林秀雄)
全ての活動において、個人の名を冠していたら、表現作品となると思うのです。
問題は、広さか深さか、長さか大きさかということでしょう。
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男性はレポートトーク、女性はラポールトークと言う人がいます。これは、事実、情報を正確に伝えるのと主観的に感想を交え、感情を伝え、共感するのとの違いです。となると、日本人全体は国際的にはかなり女性的といえるように思います。
雑談、ウンチク好きで、キャラクター中心で、非タスク志向の日本人とその日本語には、ハンディがありそうです。
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明治22年、言文一致体で「あいびき」「めぐりあひ」を二葉亭四迷が出します。
江守徹のことばを引用します。
「このインタビューで江守(徹)氏は、『ハムレット』の有名な第四独白が終わったあとの、Nymph, in thy orisons. Be all my sins remembered.という台詞をいきなりそらんじてみせ、『子音で消え入るように終わる語尾がきれいでしょう。でも、日本語にはみんな母音がくっついているから、この音じたいは訳文では再現できないんです』と、さらりと言った。」(中略)
「『子音は、声帯を使わないでしょう。nymphという英語を口にするとき、声帯は一回しか震えない。でも『妖精』と言おうが『ニンフ』とカナ読みしようが、日本語はどの音にも母音がついてくるので、数回は声帯を震わせることになる。芝居は人の体を使って表現するものだから、おなじ台詞でも、声帯―これも肉体の一部ですが―の震える回数がそんなに違っては、演劇的な表現として等しいものになりうるかという疑問は出てきます』」
「声という物理的なものを追究していけば、当然ながら、演じる役者の肉体的な違いが、翻訳するさいの難問になる」
「日本人は西洋人とは身体の構造が異なり、足が短くて胴が長い、顔の筋肉が動かない、声の出し方が違う。と、(島村)抱月は差異を淡々と列挙する。帽子をどうかぶるとか、椅子にどう掛けるかという『外形的なこと』はまねできても、『少し強き表情』などの微妙な表情になると難しかったと言う。試行錯誤のすえ、『外国的に胸を動か』すジェスチャー(胸を突き出し気味にしてイヤイヤをするように波打たせるような仕草だろうか)に、手を振り絞る動作を補って、いくらか日本人の心持ちを表現したのだとか。」
「樹木(希林)の演じるおばあさんが、ジュリー(沢田研二)の熱烈なファンという設定で、毎回彼のポスターの前で、まさしく『外国人』がやるように胸を波打たせながら両手を交互に前後に振って、『ジュ~リ~!』と身もだえするのが名物だった。」と、余談にあります。(以上、「明治大正 翻訳ワンダーランド」鴻巣友季子)
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「正社員というルールから逸れるとアウトロー」という昭和の構図が、平成の時代で崩れました。
フリーランスは、本来、プロフェッショナルではなくては続きません。社会的には守られていない、プロでも守られないものです。実力社会とは、そういうものです。その反面、日本人ならフリーターでも、まだ、けっこういろんな制度で守られているといえるのかもしれません。いつかは、誰もがフリーランスです。
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フリーランスのランス(lance)は、槍、ランサーは槍騎兵、傭兵のことです。彼らは、戦闘能力を買われて雇われるわけです。プロというのは技術、能力がある人のことです。そして、自らがボスです。
そうしたプロフェッショナルには、価値、責任、目標の明確化と持続的な努力が、常に強いられます。
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名を伏せて、自分とわからないようなことを書くなら、(多くは自分とわからせないように書くのでしょうが、)それは誰でも書けるようなことですから、私は書いたことはありません。
批判されないこと、そのまま同意を得られることを表現しても、何も変わらず、何ら発展しません。表現にはなりえません。
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日本では、外国人を非国民と思うような愛国主義者も、なぜか欧米人には、あまり反抗も差別もしないようです。
同じ考えや感じ方をする人はいないのです。なのに、それを誰かに当てはめ、自分と違うことでレッテルを貼ってしまうと、他の人は皆、敵になってしまいます。
理解できず、共感できない人をも、寛容する態度が、大切です。それが人間がもつ知恵だと思うのです。
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教育は、おせっかい、持ち出し、身銭を切るものです。忍耐力がいります。それは、思った以上に心労を伴わせます。それは個人のためにだけではなく社会のコミュニティを維持するために必要です。
学術、研究は、個人の成果にとどまらずコミュニティの財産となるものです。
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常識は、ある条件下で成立します。そこは物理の法則とは違います。
表現は、つきつめると「私だけが言えること」ですから、当然、常識からもっとも離れるわけです。
一言、言いたくなるようなことは、TPOを判断して出しましょう。
表現としての価値のないものが、常識と思っておくとよいのです。
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機嫌のよくないときには、判断しない方がよいです。そういうときは、寛容度が落ちているので、他に厳しくなります。そういうときは、うまくいかない人へ対するのをできるだけ避けましょう。
トラブルは、自ら招き寄せているものが大半です。トラブルというのなら、それは、起こったときに、すでに、これまでの結果としてあるからです。
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人類誕生は700万年前、そこから26種類の人類が出ては絶滅し、その最後にあたる20万年前に出たホモ・サピエンスのみが残ったということらしいです。
私たちは、2足歩行で骨盤が小さく、ゆえに産道が狭く、幼く小さく生まれます。そして幼いままに長きに渡り育ててもらってから大人になります。
今は、何年かかって大人になっているのでしょうか。さらに時間がかかるようになり、その分、長く生きるようになったということをどうみればよいのでしょうか。
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意味があることを当然としていると、意味のないことに寄っていく輩も出てくるのです。このところ、そこを着目してみています。
同じ環境にずっといることは、ふしぜんで、しぜんではないからです。
同じようにみえても、自然は、一刻一刻と変わっているのですから。
情報不在では、何とも生きづらいものです。情報=意味ですから。
SNSのように、あまり意味のない情報、ノイズが蔓延するのは、健全なことかもしれません。なのに、SNSにつながった途端、情報となり意味が所与されるのは、どうしたものでしょう。
それは文字となり伝わるからでしょう。そこで今度は、文字を抑えてツイッターやインスタグラムへ走り出したのでしょう。ですが、切り取ってアップした時点で、情報化してしまうのは、同じです。
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意味のあるものだけに囲まれているということは、意味のないものを排除しているということです。
断捨離は、アメリカまでも巻き込んで大ブームらしいですが、それは、清貧の生活とは違うように思います。小池知事の大失言「排除」を想起させるというと、言い過ぎでしょうか。
とはいえ、今の時代に、余剰は分化、“消費は美徳”とまでは私もいいません。
意味のあるもの、それは、自分にとって、ということですから、自分の生活=私生活では、自分が判断してもよいのです。でも、果たして、生活は、自分だけのものなのでしょうかと思うのです。
一人で引きこもっているとしたら、そこには、必ず引きこもれる状況を許してくれる誰かがいるのです。公共の世話になっていないと言いつつ、一歩、外に出たら歩く通路は、公のものです。水道代は払っているといっても、それも公のもの、公共サービスです。こうしたものの維持と負担が、今や大きな問題となりつつあるので尚さらです。
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ミニマリストの部屋には、最低限、日常で使うもの以外、何もないそうです。それを聞いて、私は、他人は他人だけれど、とても人工的、近未来的な気がしたのです。 これまでにも人は、そういう方向に住まいを整えてきたからです。大きな城から、合理的でスタイリッシュなわが家へと。
元より、私は、賛成しないというか、あまり同意できないのは、余剰を排しているからです。
理屈でいうと、今の日本にいて、必ずくるであろう災害のときに人を助けることはおろか、自分も困るような生活は、どうかと思うのです。ギリギリの美学というのもあるでしょうが、それを生活にまで持ち込む気にはなれないのです。
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所有することで、欲望の充足と自由を味わえるのでしょう。思い通りにしたいという欲望には、その思いを遂げる力がいります。思い通りにならないと苦しいのです。
所有の欲もその一つです。所有は、処分の権限も、もたらします。
それもまた人との関わりで教育されていきます。皆が欲しがるものを持って、社会に認められようとします。他人に認められたいという欲でもあるのです。
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多感なときに、もともとの根本的な疑問が出てきます。自分や人生への問いです。それは、家族の愛情やこれまでの教育のために隠れていたものです。たとえ、中高年になっても、離職、離婚など、人生の危機に瀕すれば多感になります。そういうときに深い疑問が出てきます。
自分は何者か、生まれてきた理由、生きていること(死とは何か)などです。でも、大半はわからないことをそのまま受け入れていくものです。
問題を解決していこうとする人もいますが、問題が解決はしなくとも、人は生きていくのです。理由などなくても生きているし、生きていけるからです。
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何事も、その向こうに、それを必要とする人がいるかもしれません。必要なのに、それを知らない人もいるでしょう。必要とは考えていないので、本当はここに解決法があることを知らない人もいます。それなら知らせてあげることでしょうか。
誰か一人の人以外の考え方を受け入れられなくなるのはよくないと思います。深く悩んでいたことが、ある人に会って一回で解決したというときは、洗脳と同じことが起きています。
それは、そのことで他の人の意見を頭から否定し始めることをみると、わかります。
偏りすぎるのは、危ないということは、わかっています。しかし、それを知った上でどうするのかは、本人しか決められないことなのでしょう。
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状況に流されてはいけません。しかし、おかれている立場で、考えるということだけでも難しいのに、そこでおかれている立場を考えない判断ができるのかというと、かなり難しいことではないでしょうか。
個人―外ではなく、(自分―内)-外と、家や会社などの所属集団が自分をみえなくしているところでは、状況に流されないことは、ありえないのです。自分と内社会が対立しようがないからです。自分の状況は、個人としてあるのではなく、内社会そのものであるから、判断は常に状況に流されているともいえます。
日本の宗教もそう考えるとわかりやすいと思いました。そして、その宗教がみえないまま、世間となり、強い同調圧力となっているのが、いつもの日本なのでしょう。いや、その傾向はまた、ますます強まってきているようです。
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「調和を重んじること。常に互いの幸せを思い、気づかうこと。調和とは誠実さを重んじ、互いに愛情をもつということ。
すみやかに許し忘れ、自らの間違いをしっかりと受けとめること。
また意見が正しかったときも、他人が間違っていたことに対して喜んだりからかったりしてはならない。(中略)
全ては、個人的な犠牲や互いの自制なくして得られなかったことであるということは知っておいてほしい 」(インドー・ストラウスさんのタイタニック号で遺書)
20世紀当初の英国の騎士道、世界にも一つの国にも、一人の人間の心にも、神と悪魔はいて、いつも、格闘しているなかで、己の生命と種の存続とは…。
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ネオテニー(幼児化、幼生生殖)、これは幼児期の引き延ばしのことです。チンパンジーは子供の期間が短く、人間は長いです。
ルイス・ボルクの幼形進化論では、進化した動物ほど、幼い形で生まれるといいます。
下等であれば、体内で背骨が伸び骨盤も引っ張られて開く、骨盤が開くと性器は後ろ向きになります。白人は、日本人より開いている、毛深いし、アポクリニ腺が多くて獣臭いのです。
こうして白人優性説は崩れていきました。
幼児というので、キンダーガルテン (フレーベル)について調べました。
1876年 (明治9年)日本で最初の幼稚園
1926年 (大正15年)幼稚園令
今の子は、芳香剤、入浴剤やシャンプーの匂いから、森や人を知るといいます。
未成熟な「モラトリアム人間」の多い日本は、大きな子供の多い国といえます。
Scholē(ひま、ギリシア語)で、文化が出てくるのですから、経済大国から分化大国へうまく移れたらよいのですが。
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世捨て人、出家者、漂泊者、隠遁者となって生きるのも、一つの方法です。
それは、無常で、はかない世に、生きることの罪と苦を求める者となることです。
社会的成功と幸福とは、必ずしも結び付きません。
社会的平等といっても、個人の能力、ルックス、性格は、それぞれ違います。個人の自由と自己責任を是として、ポジティブシンキングでの成功、幸福の勧めは、半ば強要されてきたことかもしれません。
自分の幸福を他人のなかにみていますか、愛や大きな生命によってつながる縁を見直すときにきているのではないでしょうか。
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「学びて思わざるはくらし 思いて学ばざるはあやうし」(論語 孔子)
六経(りくけい)では、易経(しぜん哲学)、書経(古代史)、春秋(近現代史)、詩経(詩歌)、楽(音楽)、礼記(らいき)の6つで、知識体系を学びます。
これは、問題解決に必要な知識を学び、問題意識をもって考えることを養う基礎となったのです。
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ハシとナイフ、フォーク、スプーンとの違いは、何でしょう。それは、人の能力に頼るのと道具を使ってすますのとの違いです。それは、道と省労力、workとlaborの違いともいえます。トラヴァイユ (仏)は、拷問のための3つの柱トラバリウムに由来します。
日本人には当たり前の働くことが、西欧社会では労働は、罰や奴隷の仕事だったのです。
一神教は「旧約聖書」の「創世記」で「神は己の姿に似せて人間をつくり、他の生き物は人間に役立てるためにつくった」とあります。
科学より技術、結果よりプロセスが、日本人の大切にするところです。それは、蒸気船のように、人間以外のエネルギーで労力を得ようとする欧米人と、あくまで個人の技量をもって、竿で川船を漕ぐ日本人との違いです。ゼロ戦とグラマンとの違いです。
とはいえ、レジ係も座らない日本人の非効率性も、そのためかもしれません。
日本人は、食べるためでなく、美的目的で品種を改良してきました。鶏の東天紅は鳴き声、尾長鳥は尾の長さ、チャボは小さく、など、盆栽のように考えていったようです。アーティスティックな民族であったわけです。
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食生態学の西丸震哉さんが、人の寿命は41歳という説を1990年代に出していました。
それを、「像の時間とネズミの時間」の著作の本川達也氏が41.5歳と、異なる方法で出しました。血圧一定、心拍数は、どの動物も皆一生に15億回だそうです。1分間に人60回で寿命41.5年、象20回で70年、ネズミ500回。
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本は音読するものでした。「イーリアス」から「神曲」まで。
それが黙読となり、共有から個人の所有へと移りました。
そこに個人主義と国民文学が誕生したのです。
日本の識字率は、とても高いので知識、技術の吸収には有利でした。
ネイティブの有利さは、どこまで続くのでしょうか。
今のところ、英語に訳しやすい話と文章が有利です。
家庭―社会が言語教育をしてきましたが、もはや、家庭でもネットで言語教育がなされます。
書けなくとも打てるとなると、どうなるでしょう。
書かなくなりネットことばになると、どうなるでしょう。
今やネットが文章であなたを読みこんでいるのです。趣味、趣向から、性癖まで何もかも。
文学フィクションのリアル化が、バーチャル化として進行していきそうです。
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ルターの聖書は、言語の規範となりました。
権力を家庭へ父へもたらし、家父長制度(家)を強めたともいえます。
活版印刷での本の普及は、今のネットにあたります。
ことばが同一化すると、人は一体感を感じ、まとまりとなり、国家へと統合されるのです。同じ思想が普及されるからです。それは、今や、ネットを軸としたグローバリズム化の流れで再び生じ再編されています。それに対し、ナショナリズムも強くなってきています。
1609年アムステルダム銀行フロリン紙幣が、最初です。
2009年ビットコインが出ました。400年たったのです。
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あなた自身の決断によって一律の「らしさ」から抜けて、変わることです。そして、変身しましょう。ときに孤独になりましょう。
人と違うことにためらわないこと、自分を見失わないこと、誇りに思える自分を知ることです。
それらを決めるのも自分です。そして、これとて、また、決め直していけるのです。
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官僚のことばに象徴的ですが、最近は、それにまして政治家のことばがひどいですね。
こうあって欲しいという心のアピール、ヒューマニズム全盛
理科系の文化系化
理論より情感
気に入らないもの、わからないものを切り捨てる
威厳、権威からお笑い、優位に
我慢してタメて考えて、屈折して主張する
それが道理となります。
すぐにキレてむかつくようになります。個人で拡散もできるからです。
わかるまでイメージを使ってみる、まとめあげる努力をしなくなります。
損得に影響されないようには、なりましたか。
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あらゆる組織から離れ、個人になると人とくっつくのが大変です。
欲があり満たされないから、人は飢えないように考えて、人と接し、組織にも属し、成長もしていきます。
生存のための欲が満たされると、そうでないときの人ほど考えなくなります。考えること、考え方を学べなくなります。
生きる上で、もっと必要なものであっても、範囲がわからないものがあります。しかし、それで必ずしも充足しなくとも、満ち足りたり飽きたりすると、要らなくなります。エネルギーを出さなくなると、エネルギーが入らなくなります。
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「働いて稼ぐと豊かになり、そうしないと貧乏になる」という価値観が、戦後復興から高度成長期の昭和を支えてきました。生きているからには、働き、社会をよくするのが当たり前でした。社会の再建を中心にして、明日の日本を目指した結果、生まれたのが、この令和につながる昭和の時代でした。
そこからが平成での変化といえるわけです。
集団から自己中心になり、実体経済から金融経済になりました。教養主義、上昇志向から、バカでいいような主義なしになり、真面目よりお笑いが主流になりました。憧れは、サラリーマンからフリーター、業界人へ移りました。会社、地域、家はさらに解体し、個人中心となりました。
1987.10ブラックマンデーで
1991.1201EUの発足が決まりました。
何もかも大きなものを目指したままで、大丈夫なのかと考えたものです。
スポ根、軍国主義、講談や美談の受ける時代は過ぎ去りました。
輸出から国内消費へ
バブリー、グルメ、ファッション、旅行
ニューファミリー、核家族から個人へ
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会社を社会の中心とした生活の下で、血縁、地縁を失い、定年でその唯一のコミュニティの社縁も失った結果、高齢者の多くは無縁社会に放り出されつつあります。家は、家族から家庭(核家族)となり、今や、その多くも内部崩壊しつつあります。
村から出て都会に住み、マンションで人間関係の面倒なしがらみを捨ててきたのですから、当然のことです。
平成で「絆」がキィワードになったのは、コミュニティがなくなったことの象徴です。誰もがホームレス予備軍なのです。
絆ということばには、縁というみえない大きなものを否定し、自らでつくりあげる意思がみえます。意思がないと、それは途絶えます。自由といえば聞こえはよいですが、常に選択と責任が問われるのですから厳しいものです。
フリーター、ホームレスの増加もまた、私たちが選んだものといえるのです。
その結果、死も一人の死、孤独死になるのは、当たり前です。死の世界観、死生観ももてなくなりました。
しがらみ、軋轢とともにある親族、家族では、異性、異世界と異世代との同居の生活でした。それこそが、生活の基本となってきた大きな縁、因縁だったのです。
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リベラリズムは、個人の自由、平等を普遍的な権利として扱います。
これまで日本は、自由を市場競争で実現するネオリベラリズムを選んできました。
その権利のための義務としては、共同生活を営む一員として、ふさわしくあること、つまり、コミュニティの一員であることです。
しかし、日本では、個人主義を支えるコミュニティをきちんとつくってこなかったのです。
利益を追求しつつ、多様なあり方に自由に認め、権利を与えることを正義とします。
でも、ささやかな幸せよりも大きな幸せを求めて、不幸になってはいませんか。
自国は自国の軍隊が守るという原則が、日本では崩れて久しいです。
西欧の神よりも日本の神々の方が、早く崩れてしまったのかもしれません。
3.11、東日本大震災での故郷の消滅は、それを象徴します。
鎮守の森や神社への畏れをなくし、欲が肥大したのです。
その象徴が都市化と過疎化です。田中角栄で、小泉純一郎で、私たちの国土、里山への無関心です。
道理に従って義を果たす。これで、日本人は、欧米の神や理性に対してきたはずだったのに、です。
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上野千鶴子の祝辞、平成最後の東大の入学式で語られたことが、話題となりました。
賛否両論です。らしくないことは批判を受けるので、それゆえに、らしくないことの存在を認めることは必要なのです。
批判するのも、いいところを見習うのも、そうでないところから学ぶのもよいでしょう。
通り一遍の祝辞しかないなかで、波風立てること、きっといつかはわかるであろうことを、今ここで言うことではないとは思わず、大切なことを今ここでいうこと、それを伝えてくれる人がいることはありがたいことと思います。
東大の入学生に言っていることは東大の入学生が考えればよいし、東大の入学生には今わからないから言っているのだから、今は本当にはわからないのです。なら、勿体ないので、私が他にリツートしてみようかな、です。
なぜなら、在学中だけでなく社会に出てもわからない人、生涯、このことがわからないで終わる人、定年になってわかる人、死ぬまえにわかる人、悲惨な状況に陥ってわかる人を私は少なからず見てきたからです。
わかるにも程度がありますが、少しでも早く、少しずつでもこの学びを深めていけたらよいと思います。私もその途上ですから大きなことは言えませんが。
『(前略)そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。
女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。
あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。
学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。 東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。
異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。
大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。』
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昭和のおわりには、天皇に殉じるがごとく、多くの著名人が亡くなりました。
平成は生前移譲なので、そのようにならないと思っていたら、似たような展開です。
モンキー・パンチさん、小池一夫さんが亡くなりました。
小池さんの最後のツイートが、亡くなる前日17日の
“モンキーパンチさんとは40年前、漫画アクションの初期に『ルパン三世』と『子連れ狼』で人気争いをしたライバルでもあった。一緒に組んで『書記官鳥(セクレタリーバード)』という漫画も作ったなあ。
淋しくなるなあ。”
でした。二人とも、肺炎です。
小池さんには、原作ということを学びたくて、紹介いただき、その後、
新宿の小池氏の講座に駆けつけ、丸一年、直接いろいろご指導いただきました。その学生気分を満喫したのは、もう十年以上前になるでしょうか。いつも近くに氏の白い高級車と運転手が控えていたなあ。
なぜか電話をいただく間柄となりました。が、私に氏を手伝える時間もなく能力もなく、本当に痛み入ります。 もしかして漫画原作者に?
巨星墜つ‼膨大なテキストと未提出課題、修了証書とサインが、手元に残っています。祈冥福。
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