「訃報 弘田三枝子さん逝去」

「ダイナマイトーミコ」、「和声アメリカンポップスの女王」と呼ばれました。

私が思うに、日本のトップ歌手を美空ひばりとすると、日本人離れした歌手としてのトップは紛れもなく、弘田三枝子さんでした。サザンの桑田佳祐は、オマージュする歌をつくっています。(「チャコの海岸物語」「MICO」)

歌声、パワー、音楽的感性、表現力として英語曲を含めると、尾崎紀世彦など男性歌手よりも上でしょう。

「ヴァケーション」「人形の家」でしのびましょう。(「砂に消えた涙」「ナポリは恋人」「恋のシャンソン人形」「別離」「ウイズアウト・ユー」。721   73歳。

 

※イプセンが、「人形の家」(1879)を書いて、90年後(この曲は直接それと関係はありませんが、1969年日本レコード大賞を受賞)、今年で141年後となります。

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「死と闘わない」

心身と一口に言うのですが、心を体が合わさり、身となります。道は、身を学び、身につけるのです。科学を重視しすぎると、心を忘れてしまいます。

大疑団とは、禅語では、大きな疑問をもつことです。

医学は、経験からの勘や直観が大切で、科学であってはいけません。理性や考えすぎは生命力を弱めます。脱力、リラックスで血液循環をよくします。大木になったつもりになると重心が下がります。

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「日本人のあきらめのよさと努力家気質」

感情、思いを重視するゆえの心中、情死、切腹が、かつての日本人の美意識にありました。

病気も死も、生のために価値があるから、無理に治そうとしないことです。不二であるように努めることです。

全ては、変化していくものです。頭や理屈からは離れることです。

未知なものの意味と関係をさぐること、事実と受け止め方を考えること、この二つを大切にしましょう。                       

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「フードロス」

農業機械、化学肥料、農薬、品種改良と4つの革新的進化を遂げた農業ですが、聞いたところによると、日本で一年に捨てる食べもので、サハラ砂漠以南の飢餓で苦しむ人々を十分に食べさせることができるそうです。

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「頼りない日本の民主主義」

ベラルーシのノーベル賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチさんが16年に来日したとき『日本には抵抗の文化がない』と語ったそうです」

「日本では、個人で価が決められません。その分野の権威が『いいよ』と言えばそうなる」

「批評文化がない。あえて言うなら日本の芸術界はいまだに権威主義、教養主義、定評主義、西洋至上主義です」

「『空気』などさっさと無視しないと自由な表現など起こらないし、民主主義を邪魔し逆行しますね」ということだそうです。

(「批評文化のない日本」粟津ケン アート・プロデューサー[週刊金曜日2020.5.22])

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「アメリカのTV」

「アメリカにはワイドショーというものがない」

「コメンテーターというポジションも存在しません。レギュラー出演者のキャスターが23人いて、あとは特派員(記者)。それ以外は、トピックに合わせた専門家をゲスト」(デーブ・スペクター[JUNE ZOZO CYZO92])

アメリカがよいというのではありませんが、日本はどうしてこうなのか、一考を要します。

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「訃報 外山滋比古さん逝去」

30年ほど前に、講演前と後に、二度お目にかかったあと、

音信だけのおつきあいでしたが、いろいろと日本語に

ついて教わりました。その後、一度、出版社の方から、

拙書の推薦文を依頼していて、結局、出版が早まり、

再会もできずに立ち消えてしまったのでした。

その後、出版不況下でも東大京大生ブランドで、

大ロングセラーを連発されて、

知的生産にも大いに尽くされた方でした。

7/30   96歳。祈冥福。

 

 

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「美声の神」

美声の神は、天津児屋根神(あめつこやねのかみ)です[天児屋神(あめのこやのかみ)ともいいます]。藤原氏(中臣氏)の祖先神です。「中臣」とは、神と人との間を取り持つという意味で、この一族は宮廷の神事を統括しました。

 天孫降臨で邇邇芸命に従って、日向の高千穂の峰に降臨し、天岩戸に天照大神が籠もられたとき、その前で太祝詞(フトノリト)を読み上げました。これが、日本人の言霊(コトダマ)信仰のルーツとなったのです。

 言葉には、吉凶をもたらす神秘的な霊力があると考えられています。祝詞や寿詞は、その言葉によって吉をもたらし、凶を避けられるのです。

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「ヒルデガルドについて」

ヒルデガルド・フォン・ビンゲンは、1112世紀の神秘体験をした修道女です。薬草、ハーブ療法を調べていたときに、その名を再び聞くこととなりました。ファスティングからデトックスまで、オーガニックでホリスティックな考えは、今でも最先端を行くように思われます。

 彼女は、大いなる存在へ、精神、内在、しぜんの叡智をもって繋がろうとしていました。精神上位の中世において、「人間は、宇宙の肉体的中心」と主張しました。天上の聖なる声を作曲もしました。「聖歌集」(女声の単一および二声の旋律)              [575]

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「京都の変容」

「京都は、文化的価値があるから爆撃を避けられた」というのが全くの嘘であったことを、1994年に吉田守男氏が立証しました。しかし、俗説の方がよいと思いたい人には、なかなか伝わらないものです。戦争とは、そんな残酷非常なものです。

かつての、コンビニも進出せず、応仁の乱の頃から守られてきたかのような景観は、あっとういう間に、マンションやビルの乱立となりました。「大文字焼き」もみえにくくなりました。他の都市と同じような節操のないものに変わって、もう何十年も経つのです。    [577]

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「建築と日本人」

日本人の集団性、集団主義とでもいうのでしょうか、それが個人主義の欧米と対比されて語られてきました。 

ただ、建築物や街づくりについては、少なくとも、明治以降は、個性的というか、周りとの調和意識は希薄です。

海外の街は、それぞれに独自の調和がありますが、日本の街は、バラバラです。建築については、景観を観光地として誇るところ以外では、自由奔放でごちゃごちゃです。

日本は、すぐれた建築家の多い国です。私は、独裁政権崩壊直後のルーマニアでブカレスト大学の学生が、日本の建築を学んでいるのに驚いたことを思い出します。

十坪くらいの土地で建築家に設計を依頼する人もいます。地権者の権利が強いのも、日本ならではのことです。

 原宿から当スタジオのある代々木まで、外国人客が、個人住宅やビルを撮っています。インスタなどが盛んになるずっと前からそうだったのです。

 日本は、石造りではなく木造住宅で建て替えが多いため、などというのは理由にならないでしょう。石造りやコンクリート造りの建築物さえ、すぐ壊して違うものに建て替えてしまいます。元々、新築が好きで、中古住宅のリノベーションなどは最近のことです。手入れして購入時より価値が上がることが少なかったせいもあるのでしょう。                 [577]

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「音」

ライカのシャッター音に魅せられた、元カメラ小僧は多いことでしょう。

皮膚バリアの回復が、1万~3Hzの音で早まるとは、傳田光洋氏の研究です。

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「日本語」

日本語には、2,145もの風を表す語があるそうです。(「風の名前」)

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「和」

わびさびに敬意を払うということで、古い神社や寺社を元通りの色に塗り直さないでほしいと私は思うのです。

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「日本人論」

「代表的日本人」「武士道」「茶の本」

日本人論として外国人が書いたものでは「アメリカに渡った日本文化」「逝きし世の面影」「もし日本という国がなかったなら」など。

「もうろう体」(横山大観)「陰翳礼賛」(谷崎潤一郎)

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「人とAIとの違い」

人間は、予知不可能なことをしでかしてしまうゆえに、とんでもない答えを導き出したりしているわけです。しかし、この突飛な変異現象がAIにも共通するように思えるケースが出てきています。すると、違いは何になるのでしょうか。

人間には死がある。

AIは電気をエネルギーとしている。

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「教養」

教養は、「知らないことへフライングする能力ということ」(内田樹)なのです

「馬鹿不平多し」(福沢諭吉)といいます。

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「若さと幸せ」

今も、自分が何者かわからないのですが、あの若かった頃、これからどうなるのかわからなかった頃には戻りたくないと思うのです。

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「幸福と不幸」

「幸福は似ているが、不幸にはさまざまな形がある」といいます。

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「真実」

コントロールすると相手を弱めてしまうのです。型がそのために使われているならよくないでしょう。感動に気づくのがトレーニング、その支援がレッスンです。

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「権威」

下から抵抗しても権威は強くなるばかりなら上から落とすこと、手に入れて内から壊すのが有効です。

真実とは、首尾一貫しているところに見いだされるものです。すぐに変わったり矛盾したりするというのなら、偽物でしょう。

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「美声の神」

 美声の神は、天津児屋根神(あめつこやねのかみ)です[天児屋神(あめのこやのかみ)ともいいます]。藤原氏(中臣氏)の祖先神です。「中臣」とは、神と人との間を取り持つという意味で、この一族は宮廷の神事を統括しました。

 天孫降臨で邇邇芸命に従って、日向の高千穂の峰に降臨し、天岩戸に天照大神が籠もられたとき、その前で太祝詞(フトノリト)を読み上げました。これが、日本人の言霊(コトダマ)信仰のルーツとなったのです。

 言葉には、吉凶をもたらす神秘的な霊力があると考えられています。祝詞や寿詞は、その言葉によって吉をもたらし、凶を避けられるのです。

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「ネットと世間と師」

世間も組織もネットも、責任を取らないところから発言されているということでは、本来、もっと無力のはずですが、日本では、同調圧力となって、しばしば個人を圧迫します。

世間というのが、庶民、大衆の声、声なき声というのでなく、集団的なもの、漠然としたものとして成り立ち、相手にするにも、ただよう空気や引きずり込まれる沼のようなものとなっているのです。

師弟なら師が責任者、ゆえに師の許容したなかでは、無茶を言えるのです。突き詰めると、コミュニティにおける権限と責任の問題です。そこから、このネット社会を考えることが必要だと思います。

世間というのは、誰がどう決めたか、そこに個人がいないか見えないから、責任の所在がないのです。それは、つまり、自立した人間の社会らしからぬと思うのです。

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「チームづくり」

心身の調子、人間関係、生活、仕事、ハプニングなど、まわりのものすべてが、パフォーマンスには影響します。予防まで考えるなら、主治医、セラピスト、フィジカルトレーナー、弁護士なども必要です。広報から食事担当も入れて、いわゆるVIPの組むツアーの体制を考えてみるとよいでしょう。

 日頃からリスクに備えておくことです。衣食住にお金と時間の管理、さらに、人との関わりも、他人事としてとらえずに自分とのセットで関わってつくっていくことです。

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「対人関係論」

相手が何人いても、ある一時を取れば、一人の人と対しているのです。

具体的な事柄でみること、その人の属性を取ってみることです。

これは、属性でしか人をみていなかった人には不得手なことでしょう。そういう人には、肩書のない人の話を聞いているのか聞いていないのかさえ感じられない人もいます。

でも、おもしろいもので、逆によく話を聞いたり、関心をもってくれる人は、誰に対しても、八方美人なこともあります。相手の対応にあまり影響されないようにしましょう。

自分を待っているものがある、待っている人がいる、そこを意識してこそ生きる意味が生じてくるのではないでしょうか。

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「生命と宇宙」 

いろんな心身解放のテクニックがあります。

38億年もの生命の流れとして、地球、宇宙の広がりの中での自分をどう捉えるのかでしょう。それは、あなたの考えや意志をも超えてあります。

私たちもしぜんの一部ですから、そうしたパワーを取込み、一体化して活かせるのであれば理想的でしょう。

声には、ストレートに宇宙のエネルギーが反映します。ですから、よい共鳴板、伝導板にならなくてはなりません。                    [517

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「幸福論」

おもしろくない、つまらない、何をやりたいのかわからない、動けない、疲れている、すぐに疲れる、心が弾まない、憂鬱、重い、だるいなど、これは、困った状態ですね。

 これだけモノが溢れ、食べ物にも不自由なく医療も進歩しているのに、豊かになっている実感がない、それどころか、それに翻弄されたかのように病んでしまうのは、気を病む人、引きこもる人まで増えているのは、どうしてでしょう。

富の配分などという経済的政策が至らないせいでしょうか。いや、たとえ、ベーシックインカムが導入されても、むしろ、それにより事態はさらに悪くなりかねないのではないでしょうか。働く必要があって心身を使う人が、働く必要がなくなって心身を使わければ、病いへまっしぐらです。そうならないように生活を楽しみ、仕事も能力も活かして楽しみましょう。 

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「情報論」

プライバシーの情報は、自分のものでなく、自分と他人のとの関わりの中にあります。相手に不利益が生じると自分にも不利益となることも多いです。

情報は、すでに個人のものでなくなりつつあります。元より、誰かが公になるのを止め、秘匿しているから価値があったのです。

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「ジョージ秋山さん逝去」

512日、ジョージ秋山さん逝去。1973年からの「浮浪雲」からは多くを学ばせていただきました。

研究所ライブラリーにも作品が残されています。

 

 

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「個性とカウンターカルチャーと教養」

日本は、アメリカのように拮抗する力、対抗者が出てこないところです。いわゆるカウンターカルチャーが元よりあまりないのだと思います。しかし、今はアメリカも多元的多様でなくなくなりつつあるように感じます。

難しいことを考えなくなるような傾向が気になります。ということは、幼くなるわけで、批判的精神がなくなります。かつての教養主義は、自分で向上するために学ぶのですから、それも必要なことだったと思うのです。

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「政治の体制」

世界の今後を考えると、独裁も増えていきそうです。独裁は、必ずしも悪いことではありません。しかし、その後に大きな害を及ぼすことが多かったのです。一人のトップが長期に続くと、大体はよくないというのが歴史です。側近と後継者の選定に、必ずといってよいほど誤るのです。選ばれた人が期待を裏切るようになるからです。

王政、貴族制、帝政←→民主制、国民主権となりました。

独裁制と違って、共和制では、法と行政が別なのです。

国家は、無限責任というところが民間と違います。

ですから、誰が選ばれてもリスクヘッジしていることが重要です。リスクの責任をとる人がいるのか、組織でなく人がみえるのかということです。その手段の一つが情報公開です。

自由というのは、行動と居住の移転、職業選択などにあります。そして、その義務は、大体、どこでも3つです。納税することと守ること、戦うことです。

 今の各国の政権と今後のことを考えてみましょう。

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「深く学び自立する」

共感優先の社会では、周りとの状況対応力さえあれば、日常のことも仕事もうまくこなせます。果たして、それだけでよいのかということです。

よくないと思えば、深く学べます。しかし、その分、周りと合わせにくく生きにくくもなります。

 「学ぶ」とは、これまでの自分を変えることでしょう。以前、私は、「表現」ということについて、そのように言っていました。

「変える」とは、否定や破壊を伴うこともありますが、人は先に生きるものなのですから、偏狭に囚われなければそういうことは続きません。

同調して周りの圧力に作用反作用していた人は、孤独になるとはじめて自立した感じを自覚します。

 つまり、フリーランス、いや、アントンプレナー精神です。これは、組織を離れるということではありません。どこかが24時間365日、あなたを束縛していたら別ですが、そうではないなら、これは心の置き所の問題です。                                  

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「歴史の真実と記憶のズレ」

歴史を学ぶと、数多くの出来事のわずかに、12つのことを知って、私たちは、それが本当の過去と思っているということがわかります。

たとえば、私が、この2週間、ある舞台のことしか考えていなかったと言って、手帳にも「○○の舞台」としか記入していなくても、食事もトイレも新聞もニュースをみていたことも、あるいは、メールや電話もしていたこともあるのに、その方が多いのに、そこは記憶からも記録からもすっかり抜けてしまっているのです。

だから、誰かがそう言ったという記録は、嘘ではないとしても、必ずしも真実でもないのです。

いろんなことが次々に起こっているのに、そこで意識して残したものだけが歴史になります。個人なら、過去は思い出によって記憶され記録されるものです。だからこそ、「今、ここ」のトピックスでしかないのです。

                     [428]

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「武田真一アナウンサーのことば」

「アナウンサーというのは堅牢な水道管でなくてはならないというふうに思ってるんですね。ふだん、情報をなるべく、いわば真水のような状態で、」

(中略)

「太字ゴシック体の声を使う。例えばですね。「Uターンラッシュで大渋滞です」とお伝えしたとします。そうなんだと思うだけじゃないですか。そうじゃなくて、「Uターンラッシュで大渋滞です」というふうに、声を張るだけじゃなくて、難しいんですけど、太字のゴシック体で声をくっきりさせながら伝えると振り向いてくれるんじゃないかとかですね。」

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「語りのスタイル」

川田順造は、語りを4つに分けました。

モノローグ、ダイアローグに加えて、シンローグは、その場にいる者の共同の語り合い、ポリローグは、喧噪、無秩序な語りです。             [482

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「4分33秒」

20世紀の前衛芸術楽曲「433秒」をつくったジョン・ケージによると、演奏時間を自由に変えてもよいということです。433秒は、273秒で、絶対零度ということでしたが、正確には、-273.15Cです。   [490] 

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「見城徹氏のことば」

変態性癖、非定住、暴力が、アウトロー

「自己検証、自己嫌悪、自己否定」で成長する。

老いてダメになっていくのと戦う。

フィジカルが伴っていなければ、意志もたるむ。

身体は苦しんだ分だけ、必ず成果が出る。

「オリジナリティ、極端、明解、癒着」

「努力は、圧倒的になって初めて意味がある」

「感想を言うことが人間関係の最初の第一歩」

美意識、品がある

「楽して生きているのではないか」

内から出てくるものが膨大で、気づいたらやっている。

目指すものではない。目指すのではなく、対象に同化する。

共同幻想と対幻想。

正義しか言えない。

自分の情念に耳をすます。

ほふく前進する。

夢や希望を語る暇などない。

考え抜くための思考することばをもつ。

ドラマツルギー

縛り、制約との格闘

「ただ遊べ 帰らぬ道は誰も同じ 柳は緑 花は紅」(隆達節)

(「読書という荒野」より)   

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「梓みちよさんのサビフレーズ」

1月29日76歳にて逝去。

1963年「こんにちは赤ちゃん」は、20歳での大ヒット。
ここでは、1974年「二人でお酒を」をとりあげてみます。
Bメロの「それでもたまに淋しくなったら 二人でお酒を飲みましょうね 飲みましょうね」で、「それでもたまに」「淋しくなったら」の2つのフレーズでそれぞれの圧と浮き上がり、「それても↘たまに↗」そしてピーク「二人でお酒を」。「二人」ということばは発音としても難しくフレーズにしにくいので、実力がよくわかるところです。
そして「飲みましょうね」のくり返しでのたたみかけ。
実力のある歌い手のメリハリのすべてが、ここに集約されているので、歌唱フレーズサンプルとして参考にさせていただいています。
サビフレーズも、淋しい、みちよ。祈冥福。

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「日本人の心」

フジコ・ヘミングの演奏について、江村哲二さんは、メロディが大きくあって、そこに和音がくっついているので、演歌的であり、メロディと和声が混然一体となるのが、クラシックと述べています。

クラシックは、キリスト教と同じで日本に根付かない。日本人は信心はあるが信仰がない。楽譜や聖書を元にしないというようなことです。

以下、参考になったのは、日本人らしさとして、

芸術の位置づけを伝えない

メンバーになることで満足する

あの人がよいと言うのなら…

と褒めてばかり、作品そのものへの批評がない

ブーイングがない

上品、セレブの趣味

 

作曲には聴くこと、耳をすますこと

モーツアルト弦楽四重奏K465(不協和音)

聴いて触発する内側の何かの存在

雪は吸音する シンとなる

創造、オリジナル=起源に戻ること

生命体の強さ

耳は外でなく内をみる 目は外をみるが耳をすますと見えない

西洋のミュージックは、楽譜         (364

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「フリージャズ」

コルトレーンとソニー・ロリンズ

後付けの分析は、規則、マニュアルにならない

フリースタイルで行うと、大体は、長くなってから短くなる。前のを捨てながら次を選び、つくるのです。

 

フォックストロットは、ジャズの全身のラグタイムに合わせて生じたダンスです。

自由は必ず「○○からの自由」となるのです。 (366

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「つながり」

つながりがあるから孤独ではないといっても、そのつながりが特定の人とのつながり過ぎとなると、そこからのストレス、その人からの支配、介入に悩まされることも多いわけで、今のSNSは使い方に気をつけないと

それを助長すると思うのです。

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「ネタ消費と『いいね』」

ネタ消費に振り回されている人は、少なくありません。ネタにするために行動するわけです。インスタなどは、まさにそうでしょう。

自分の興味、関心よりも、周りの興味を一時でも引くものを優先する、あるいは、そのために行動する。

それは行動しないよりは、よいことと思いますが、ときおり、そのことについて考えてみましょう。

そういうものをみていると少しずつ、素材のまま、元のままとは、変わってくるのが常です。仕事もアートもニーズを考えざるをえないから、その傾向が助長されます。「嘘」と「盛ること」の境界はどこなのかといつも考えさせられます。

「いいね」に振り回されないように気をつけることで

す。                    (449

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「戦後史」

学校―工場―軍隊というのには、統制が働いていきます。

声を揃え、ことばも統一して、国語の確立とともに国民国家の力が強くなっていきます。

国鉄解体で国労が瓦解し、労働組合の力が低下した後、労使の対立は弱まりました。

 

1968年は、明治100年、1912年生まれまでが明治生まれで、そのとき55歳でした。1945年の終戦時には33歳です。二次大戦を担った若い力は大正生まれだったわけです。

 

ソ連の国土は広すぎて、原爆開発時点では、アメリカは私たちが思うほど有利に立てなかったようです。そのあと、1949年、ソ連が原爆をもち、54年、アメリカが水爆をもちます。618月ベルリンの壁が築かれ、冷戦が激化したわけです。

歴史をみると、生活の質が最低限保てるだけの再分配が行われていれば、権力というものは案外と続くものとわかります。

北朝鮮は、生き残りがかかっているために、日本や欧米よりも深く考えて動いているように思います。

民主主義、資本主義は、成長し続けないと機能しなくなるということで、そこが欠点なのでしょう。

そういえば、19821990年連載の「AKIRA」は、2019年が舞台でした。

2020年の東京オリンピックを予言していました。

1984年に「『1984年』になったね」といっていましたが、2019年も過ぎました。           (481

 

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「自己表現としての批評」

「批評とは、作品を語るものではなく、その作品を媒介として自己を語る作品ということである」(小林秀雄)

全ての活動において、個人の名を冠していたら、表現作品となると思うのです。

問題は、広さか深さか、長さか大きさかということでしょう。

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「外来文化と土着文化の2重構造」

日本文化は、他国から文化を取り入れるとき、昔からあったかのように変えていくのであって、格闘をしないのです。異教を普及した国としては、いわば“泥沼”(遠藤周作「沈黙」より)ということです。

 日本人の場合、神と集団(講)であり、神と個人ではありません。頼母子講、無尽講など、相互扶助です。

実利的、無思想、日和見的といわれ、外部をもたないのが日本人です。よそ様とうちとの二重構造と言われます。外を考えるのなら、外―個人に対し、外―内(私たち)となっていたわけです。

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「2次加工品大国の日本」

日本人が語学力がなくても世界と対していけるのは、多くのものが翻訳されているからです。そのため、語学力がつかないともいえます。

あらゆる文化、生活が入り、日本化していく、それをフォローしてくれる人がたくさんいて、それを受けとる人がたくさんいます。

翻訳家、通訳、訳詞家、アレンジャー、プロデューサーといった加工業者が多く、そのレベルの高さを、日本は競って高めてきたのです。

 政治家にスターがいない、皆、凡庸で何をやっているのかもわからない人ばかりで、財界人や企業のトップも官僚も不祥事だらけです。

それで暮らしがうまくいっているなら、とてもよいことと思わなくもありません。でも、そのつけは、次代に必ず跳ね返ってくるのです。

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「やさしさと日本の発展」

どんなことでもわかってくれる人のいる日本のやさしさ、甘さ。難しいことを努力して理解するのではなく、難しいからと関係ないとするのではなく、誰かが簡単にして与えてくれる日本のよさ、甘さ。

日本語を使うとき、方言さえ切り替えて、誰とでも話せるようになっています。言語による階層、差別がないことが、日本の特色です。

しかし、そのために何事も難しいままで出すと、よく思われないのが、日本人の気性、評価の仕方です。

ビジネス書、自己啓発書、専門家の知識を一般化する作業に、多くの人が関与して、その知識を日常に活かせるように、日々努力してきました。アニメ、漫画もそうした産物です。

そういうなかで、役者や歌手くらいは、世界レベルにかけ離れ、ガラパゴス化して、別の形で通じていってもよいのかと、半ば思うこともあります。残念なことですが。

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「AIと音声☆☆」

ソフトバンクのPepperは、耳のところがスピーカです。耳となるマイクが頭頂部に4つ、そこで方向の確定ができます。目と耳が青色に回転して点滅しているときに会話可能です。

感情は、喜び、悲しみ、怒り、驚きなどで、認識します。音声合成は、エーアイのAITalkです。

 

インタラクションとは、システムとの対話的なやり取りを指します。

2012年NTTドコモの「しゃべってコンシェル」では、しゃべるキャラが数十種類あり、ドラえもんや名探偵コナンなどの声も使えます。

 AIへの指示は、声の方が楽ですが、状況によっては使いにくいときがあります。声を出せないときは使えません。また、明瞭な発音が必要です。言い淀み(フィラー)は、「あ」「ええと」「なんか」「まあ」「んー」などのことですが、それらを避けることです。

Google Homeは、“OK google”で起動します。日本語の「ねえ、グーグル」の方が、まだしぜんです。

ということで、日本の歌手、役者はもっとも早くAIに変わられるように思うのです。

 

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「フリーとプロ」

フリーランスのランス(lance)は、槍、ランサーは槍騎兵、傭兵のことです。彼らは、戦闘能力を買われて雇われるわけです。プロというのは技術、能力がある人のことです。そして、自らがボスです。

そうしたプロフェッショナルには、価値、責任、目標の明確化と持続的な努力が、常に強いられます。

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「実力社会とフリーランス」

「正社員というルールから逸れるとアウトロー」という昭和の構図が、平成の時代で崩れました。

フリーランスは、本来、プロフェッショナルではなくては続きません。社会的には守られていない、プロでも守られないものです。実力社会とは、そういうものです。その反面、日本人ならフリーターでも、まだ、けっこういろんな制度で守られているといえるのかもしれません。いつかは、誰もがフリーランスです。

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「日本語のせりふの特徴☆☆」

明治22年、言文一致体で「あいびき」「めぐりあひ」を二葉亭四迷が出します。

江守徹のことばを引用します。

「このインタビューで江守()氏は、『ハムレット』の有名な第四独白が終わったあとの、Nymph, in thy orisons. Be all my sins remembered.という台詞をいきなりそらんじてみせ、『子音で消え入るように終わる語尾がきれいでしょう。でも、日本語にはみんな母音がくっついているから、この音じたいは訳文では再現できないんです』と、さらりと言った。」(中略)

「『子音は、声帯を使わないでしょう。nymphという英語を口にするとき、声帯は一回しか震えない。でも『妖精』と言おうが『ニンフ』とカナ読みしようが、日本語はどの音にも母音がついてくるので、数回は声帯を震わせることになる。芝居は人の体を使って表現するものだから、おなじ台詞でも、声帯―これも肉体の一部ですが―の震える回数がそんなに違っては、演劇的な表現として等しいものになりうるかという疑問は出てきます』」

 

「声という物理的なものを追究していけば、当然ながら、演じる役者の肉体的な違いが、翻訳するさいの難問になる」

 「日本人は西洋人とは身体の構造が異なり、足が短くて胴が長い、顔の筋肉が動かない、声の出し方が違う。と、(島村)抱月は差異を淡々と列挙する。帽子をどうかぶるとか、椅子にどう掛けるかという『外形的なこと』はまねできても、『少し強き表情』などの微妙な表情になると難しかったと言う。試行錯誤のすえ、『外国的に胸を動か』すジェスチャー(胸を突き出し気味にしてイヤイヤをするように波打たせるような仕草だろうか)に、手を振り絞る動作を補って、いくらか日本人の心持ちを表現したのだとか。」

 

 「樹木(希林)の演じるおばあさんが、ジュリー(沢田研二)の熱烈なファンという設定で、毎回彼のポスターの前で、まさしく『外国人』がやるように胸を波打たせながら両手を交互に前後に振って、『ジュ~リ~!』と身もだえするのが名物だった。」と、余談にあります。(以上、「明治大正 翻訳ワンダーランド」鴻巣友季子)

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「レポートトーク、ラポールトーク」

男性はレポートトーク、女性はラポールトークと言う人がいます。これは、事実、情報を正確に伝えるのと主観的に感想を交え、感情を伝え、共感するのとの違いです。となると、日本人全体は国際的にはかなり女性的といえるように思います。

雑談、ウンチク好きで、キャラクター中心で、非タスク志向の日本人とその日本語には、ハンディがありそうです。

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「寛容の知恵」

日本では、外国人を非国民と思うような愛国主義者も、なぜか欧米人には、あまり反抗も差別もしないようです。

同じ考えや感じ方をする人はいないのです。なのに、それを誰かに当てはめ、自分と違うことでレッテルを貼ってしまうと、他の人は皆、敵になってしまいます。

理解できず、共感できない人をも、寛容する態度が、大切です。それが人間がもつ知恵だと思うのです。

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「匿名と表現」

名を伏せて、自分とわからないようなことを書くなら、(多くは自分とわからせないように書くのでしょうが、)それは誰でも書けるようなことですから、私は書いたことはありません。

批判されないこと、そのまま同意を得られることを表現しても、何も変わらず、何ら発展しません。表現にはなりえません。

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「成熟の違いホモ・サピエンス」

人類誕生は700万年前、そこから26種類の人類が出ては絶滅し、その最後にあたる20万年前に出たホモ・サピエンスのみが残ったということらしいです。

私たちは、2足歩行で骨盤が小さく、ゆえに産道が狭く、幼く小さく生まれます。そして幼いままに長きに渡り育ててもらってから大人になります。

今は、何年かかって大人になっているのでしょうか。さらに時間がかかるようになり、その分、長く生きるようになったということをどうみればよいのでしょうか。

 

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「判断」

機嫌のよくないときには、判断しない方がよいです。そういうときは、寛容度が落ちているので、他に厳しくなります。そういうときは、うまくいかない人へ対するのをできるだけ避けましょう。

トラブルは、自ら招き寄せているものが大半です。トラブルというのなら、それは、起こったときに、すでに、これまでの結果としてあるからです。

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「常識と表現」

常識は、ある条件下で成立します。そこは物理の法則とは違います。

表現は、つきつめると「私だけが言えること」ですから、当然、常識からもっとも離れるわけです。

一言、言いたくなるようなことは、TPOを判断して出しましょう。

表現としての価値のないものが、常識と思っておくとよいのです。

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「コミュニティのための教育」

教育は、おせっかい、持ち出し、身銭を切るものです。忍耐力がいります。それは、思った以上に心労を伴わせます。それは個人のためにだけではなく社会のコミュニティを維持するために必要です。

学術、研究は、個人の成果にとどまらずコミュニティの財産となるものです。

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「意味と無意味」

意味があることを当然としていると、意味のないことに寄っていく輩も出てくるのです。このところ、そこを着目してみています。

同じ環境にずっといることは、ふしぜんで、しぜんではないからです。

同じようにみえても、自然は、一刻一刻と変わっているのですから。

情報不在では、何とも生きづらいものです。情報=意味ですから。

SNSのように、あまり意味のない情報、ノイズが蔓延するのは、健全なことかもしれません。なのに、SNSにつながった途端、情報となり意味が所与されるのは、どうしたものでしょう。

それは文字となり伝わるからでしょう。そこで今度は、文字を抑えてツイッターやインスタグラムへ走り出したのでしょう。ですが、切り取ってアップした時点で、情報化してしまうのは、同じです。

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「犠牲」

「調和を重んじること。常に互いの幸せを思い、気づかうこと。調和とは誠実さを重んじ、互いに愛情をもつということ。

すみやかに許し忘れ、自らの間違いをしっかりと受けとめること。

また意見が正しかったときも、他人が間違っていたことに対して喜んだりからかったりしてはならない。(中略)

全ては、個人的な犠牲や互いの自制なくして得られなかったことであるということは知っておいてほしい 」(インドー・ストラウスさんのタイタニック号で遺書)

 

20世紀当初の英国の騎士道、世界にも一つの国にも、一人の人間の心にも、神と悪魔はいて、いつも、格闘しているなかで、己の生命と種の存続とは…。

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「状況と日本の宗教と世間」

状況に流されてはいけません。しかし、おかれている立場で、考えるということだけでも難しいのに、そこでおかれている立場を考えない判断ができるのかというと、かなり難しいことではないでしょうか。

個人―外ではなく、(自分―内)-外と、家や会社などの所属集団が自分をみえなくしているところでは、状況に流されないことは、ありえないのです。自分と内社会が対立しようがないからです。自分の状況は、個人としてあるのではなく、内社会そのものであるから、判断は常に状況に流されているともいえます。

日本の宗教もそう考えるとわかりやすいと思いました。そして、その宗教がみえないまま、世間となり、強い同調圧力となっているのが、いつもの日本なのでしょう。いや、その傾向はまた、ますます強まってきているようです。

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「知る」

何事も、その向こうに、それを必要とする人がいるかもしれません。必要なのに、それを知らない人もいるでしょう。必要とは考えていないので、本当はここに解決法があることを知らない人もいます。それなら知らせてあげることでしょうか。

誰か一人の人以外の考え方を受け入れられなくなるのはよくないと思います。深く悩んでいたことが、ある人に会って一回で解決したというときは、洗脳と同じことが起きています。

それは、そのことで他の人の意見を頭から否定し始めることをみると、わかります。

偏りすぎるのは、危ないということは、わかっています。しかし、それを知った上でどうするのかは、本人しか決められないことなのでしょう。

 

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「疑問」

 多感なときに、もともとの根本的な疑問が出てきます。自分や人生への問いです。それは、家族の愛情やこれまでの教育のために隠れていたものです。たとえ、中高年になっても、離職、離婚など、人生の危機に瀕すれば多感になります。そういうときに深い疑問が出てきます。

 自分は何者か、生まれてきた理由、生きていること(死とは何か)などです。でも、大半はわからないことをそのまま受け入れていくものです。

問題を解決していこうとする人もいますが、問題が解決はしなくとも、人は生きていくのです。理由などなくても生きているし、生きていけるからです。

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「所有と欲」

所有することで、欲望の充足と自由を味わえるのでしょう。思い通りにしたいという欲望には、その思いを遂げる力がいります。思い通りにならないと苦しいのです。

所有の欲もその一つです。所有は、処分の権限も、もたらします。

それもまた人との関わりで教育されていきます。皆が欲しがるものを持って、社会に認められようとします。他人に認められたいという欲でもあるのです。

 

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「ミニマリスト考」

ミニマリストの部屋には、最低限、日常で使うもの以外、何もないそうです。それを聞いて、私は、他人は他人だけれど、とても人工的、近未来的な気がしたのです。 これまでにも人は、そういう方向に住まいを整えてきたからです。大きな城から、合理的でスタイリッシュなわが家へと。

元より、私は、賛成しないというか、あまり同意できないのは、余剰を排しているからです。

理屈でいうと、今の日本にいて、必ずくるであろう災害のときに人を助けることはおろか、自分も困るような生活は、どうかと思うのです。ギリギリの美学というのもあるでしょうが、それを生活にまで持ち込む気にはなれないのです。

 

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「排除しない」

意味のあるものだけに囲まれているということは、意味のないものを排除しているということです。

断捨離は、アメリカまでも巻き込んで大ブームらしいですが、それは、清貧の生活とは違うように思います。小池知事の大失言「排除」を想起させるというと、言い過ぎでしょうか。

とはいえ、今の時代に、余剰は分化、“消費は美徳”とまでは私もいいません。

 意味のあるもの、それは、自分にとって、ということですから、自分の生活=私生活では、自分が判断してもよいのです。でも、果たして、生活は、自分だけのものなのでしょうかと思うのです。

一人で引きこもっているとしたら、そこには、必ず引きこもれる状況を許してくれる誰かがいるのです。公共の世話になっていないと言いつつ、一歩、外に出たら歩く通路は、公のものです。水道代は払っているといっても、それも公のもの、公共サービスです。こうしたものの維持と負担が、今や大きな問題となりつつあるので尚さらです。

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「その先へ」

世捨て人、出家者、漂泊者、隠遁者となって生きるのも、一つの方法です。

それは、無常で、はかない世に、生きることの罪と苦を求める者となることです。

社会的成功と幸福とは、必ずしも結び付きません。

社会的平等といっても、個人の能力、ルックス、性格は、それぞれ違います。個人の自由と自己責任を是として、ポジティブシンキングでの成功、幸福の勧めは、半ば強要されてきたことかもしれません。

自分の幸福を他人のなかにみていますか、愛や大きな生命によってつながる縁を見直すときにきているのではないでしょうか。

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「六経に学ぶ」

「学びて思わざるはくらし 思いて学ばざるはあやうし」(論語 孔子) 

六経(りくけい)では、易経(しぜん哲学)、書経(古代史)、春秋(近現代史)、詩経(詩歌)、楽(音楽)、礼記(らいき)6つで、知識体系を学びます。

これは、問題解決に必要な知識を学び、問題意識をもって考えることを養う基礎となったのです。

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「41歳寿命説」

食生態学の西丸震哉さんが、人の寿命は41歳という説を1990年代に出していました。

それを、「像の時間とネズミの時間」の著作の本川達也氏が41.5歳と、異なる方法で出しました。血圧一定、心拍数は、どの動物も皆一生に15億回だそうです。1分間に人60回で寿命41.5年、象20回で70年、ネズミ500回。

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「日本人の一芸的仕事観」

ハシとナイフ、フォーク、スプーンとの違いは、何でしょう。それは、人の能力に頼るのと道具を使ってすますのとの違いです。それは、道と省労力、worklaborの違いともいえます。トラヴァイユ ()は、拷問のための3つの柱トラバリウムに由来します。

日本人には当たり前の働くことが、西欧社会では労働は、罰や奴隷の仕事だったのです。

一神教は「旧約聖書」の「創世記」で「神は己の姿に似せて人間をつくり、他の生き物は人間に役立てるためにつくった」とあります。

科学より技術、結果よりプロセスが、日本人の大切にするところです。それは、蒸気船のように、人間以外のエネルギーで労力を得ようとする欧米人と、あくまで個人の技量をもって、竿で川船を漕ぐ日本人との違いです。ゼロ戦とグラマンとの違いです。

とはいえ、レジ係も座らない日本人の非効率性も、そのためかもしれません。

日本人は、食べるためでなく、美的目的で品種を改良してきました。鶏の東天紅は鳴き声、尾長鳥は尾の長さ、チャボは小さく、など、盆栽のように考えていったようです。アーティスティックな民族であったわけです。

 

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「ネオテニーの日本」

ネオテニー(幼児化、幼生生殖)、これは幼児期の引き延ばしのことです。チンパンジーは子供の期間が短く、人間は長いです。

ルイス・ボルクの幼形進化論では、進化した動物ほど、幼い形で生まれるといいます。

下等であれば、体内で背骨が伸び骨盤も引っ張られて開く、骨盤が開くと性器は後ろ向きになります。白人は、日本人より開いている、毛深いし、アポクリニ腺が多くて獣臭いのです。

こうして白人優性説は崩れていきました。

幼児というので、キンダーガルテン (フレーベル)について調べました。

1876年 (明治9)日本で最初の幼稚園

1926年 (大正15)幼稚園令

今の子は、芳香剤、入浴剤やシャンプーの匂いから、森や人を知るといいます。

未成熟な「モラトリアム人間」の多い日本は、大きな子供の多い国といえます。

Scholē(ひま、ギリシア語)で、文化が出てくるのですから、経済大国から分化大国へうまく移れたらよいのですが。

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「ネット化社会」

本は音読するものでした。「イーリアス」から「神曲」まで。

それが黙読となり、共有から個人の所有へと移りました。

そこに個人主義と国民文学が誕生したのです。

日本の識字率は、とても高いので知識、技術の吸収には有利でした。

 

ネイティブの有利さは、どこまで続くのでしょうか。

今のところ、英語に訳しやすい話と文章が有利です。

家庭―社会が言語教育をしてきましたが、もはや、家庭でもネットで言語教育がなされます。

書けなくとも打てるとなると、どうなるでしょう。

書かなくなりネットことばになると、どうなるでしょう。

今やネットが文章であなたを読みこんでいるのです。趣味、趣向から、性癖まで何もかも。

文学フィクションのリアル化が、バーチャル化として進行していきそうです。

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「平成史~昭和と令和の間」

「働いて稼ぐと豊かになり、そうしないと貧乏になる」という価値観が、戦後復興から高度成長期の昭和を支えてきました。生きているからには、働き、社会をよくするのが当たり前でした。社会の再建を中心にして、明日の日本を目指した結果、生まれたのが、この令和につながる昭和の時代でした。

そこからが平成での変化といえるわけです。

集団から自己中心になり、実体経済から金融経済になりました。教養主義、上昇志向から、バカでいいような主義なしになり、真面目よりお笑いが主流になりました。憧れは、サラリーマンからフリーター、業界人へ移りました。会社、地域、家はさらに解体し、個人中心となりました。

 

1987.10ブラックマンデーで

1991.1201EUの発足が決まりました。

何もかも大きなものを目指したままで、大丈夫なのかと考えたものです。

スポ根、軍国主義、講談や美談の受ける時代は過ぎ去りました。

輸出から国内消費へ

バブリー、グルメ、ファッション、旅行

ニューファミリー、核家族から個人へ

 

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「考えなくなる」

 あらゆる組織から離れ、個人になると人とくっつくのが大変です。

 欲があり満たされないから、人は飢えないように考えて、人と接し、組織にも属し、成長もしていきます。

生存のための欲が満たされると、そうでないときの人ほど考えなくなります。考えること、考え方を学べなくなります。

生きる上で、もっと必要なものであっても、範囲がわからないものがあります。しかし、それで必ずしも充足しなくとも、満ち足りたり飽きたりすると、要らなくなります。エネルギーを出さなくなると、エネルギーが入らなくなります。

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「ことばの無力化」

官僚のことばに象徴的ですが、最近は、それにまして政治家のことばがひどいですね。

こうあって欲しいという心のアピール、ヒューマニズム全盛

理科系の文化系化

理論より情感

気に入らないもの、わからないものを切り捨てる

威厳、権威からお笑い、優位に

我慢してタメて考えて、屈折して主張する

それが道理となります。

すぐにキレてむかつくようになります。個人で拡散もできるからです。

わかるまでイメージを使ってみる、まとめあげる努力をしなくなります。

損得に影響されないようには、なりましたか。

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「ネット、SNSという世間との距離」

あなた自身の決断によって一律の「らしさ」から抜けて、変わることです。そして、変身しましょう。ときに孤独になりましょう。

人と違うことにためらわないこと、自分を見失わないこと、誇りに思える自分を知ることです。

それらを決めるのも自分です。そして、これとて、また、決め直していけるのです。

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「メディアと声」

ルターの聖書は、言語の規範となりました。

権力を家庭へ父へもたらし、家父長制度()を強めたともいえます。

活版印刷での本の普及は、今のネットにあたります。

ことばが同一化すると、人は一体感を感じ、まとまりとなり、国家へと統合されるのです。同じ思想が普及されるからです。それは、今や、ネットを軸としたグローバリズム化の流れで再び生じ再編されています。それに対し、ナショナリズムも強くなってきています。

1609年アムステルダム銀行フロリン紙幣が、最初です。

2009年ビットコインが出ました。400年たったのです。

 

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「リベラリズムと日本の現在」

 リベラリズムは、個人の自由、平等を普遍的な権利として扱います。

これまで日本は、自由を市場競争で実現するネオリベラリズムを選んできました。

 その権利のための義務としては、共同生活を営む一員として、ふさわしくあること、つまり、コミュニティの一員であることです。

しかし、日本では、個人主義を支えるコミュニティをきちんとつくってこなかったのです。

利益を追求しつつ、多様なあり方に自由に認め、権利を与えることを正義とします。

でも、ささやかな幸せよりも大きな幸せを求めて、不幸になってはいませんか。

 自国は自国の軍隊が守るという原則が、日本では崩れて久しいです。

西欧の神よりも日本の神々の方が、早く崩れてしまったのかもしれません。

3.11、東日本大震災での故郷の消滅は、それを象徴します。

 鎮守の森や神社への畏れをなくし、欲が肥大したのです。

その象徴が都市化と過疎化です。田中角栄で、小泉純一郎で、私たちの国土、里山への無関心です。

道理に従って義を果たす。これで、日本人は、欧米の神や理性に対してきたはずだったのに、です。

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「絆と縁」

 会社を社会の中心とした生活の下で、血縁、地縁を失い、定年でその唯一のコミュニティの社縁も失った結果、高齢者の多くは無縁社会に放り出されつつあります。家は、家族から家庭(核家族)となり、今や、その多くも内部崩壊しつつあります。

村から出て都会に住み、マンションで人間関係の面倒なしがらみを捨ててきたのですから、当然のことです。

 平成で「絆」がキィワードになったのは、コミュニティがなくなったことの象徴です。誰もがホームレス予備軍なのです。

絆ということばには、縁というみえない大きなものを否定し、自らでつくりあげる意思がみえます。意思がないと、それは途絶えます。自由といえば聞こえはよいですが、常に選択と責任が問われるのですから厳しいものです。

フリーター、ホームレスの増加もまた、私たちが選んだものといえるのです。

その結果、死も一人の死、孤独死になるのは、当たり前です。死の世界観、死生観ももてなくなりました。

 しがらみ、軋轢とともにある親族、家族では、異性、異世界と異世代との同居の生活でした。それこそが、生活の基本となってきた大きな縁、因縁だったのです。

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「『がんばっても報われない社会が待っている』東大の入学式で語られたこと」

上野千鶴子の祝辞、平成最後の東大の入学式で語られたことが、話題となりました。

賛否両論です。らしくないことは批判を受けるので、それゆえに、らしくないことの存在を認めることは必要なのです。

批判するのも、いいところを見習うのも、そうでないところから学ぶのもよいでしょう。

通り一遍の祝辞しかないなかで、波風立てること、きっといつかはわかるであろうことを、今ここで言うことではないとは思わず、大切なことを今ここでいうこと、それを伝えてくれる人がいることはありがたいことと思います。

 

東大の入学生に言っていることは東大の入学生が考えればよいし、東大の入学生には今わからないから言っているのだから、今は本当にはわからないのです。なら、勿体ないので、私が他にリツートしてみようかな、です。

なぜなら、在学中だけでなく社会に出てもわからない人、生涯、このことがわからないで終わる人、定年になってわかる人、死ぬまえにわかる人、悲惨な状況に陥ってわかる人を私は少なからず見てきたからです。

わかるにも程度がありますが、少しでも早く、少しずつでもこの学びを深めていけたらよいと思います。私もその途上ですから大きなことは言えませんが。

 

『(前略)そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。

女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。

学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。 東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。

異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。

大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。』

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「小池一夫さん逝去」

昭和のおわりには、天皇に殉じるがごとく、多くの著名人が亡くなりました。

平成は生前移譲なので、そのようにならないと思っていたら、似たような展開です。

モンキー・パンチさん、小池一夫さんが亡くなりました。

小池さんの最後のツイートが、亡くなる前日17日の

 

“モンキーパンチさんとは40年前、漫画アクションの初期に『ルパン三世』と『子連れ狼』で人気争いをしたライバルでもあった。一緒に組んで『書記官鳥(セクレタリーバード)』という漫画も作ったなあ。

淋しくなるなあ。”

 

でした。二人とも、肺炎です。

 

小池さんには、原作ということを学びたくて、紹介いただき、その後、

新宿の小池氏の講座に駆けつけ、丸一年、直接いろいろご指導いただきました。その学生気分を満喫したのは、もう十年以上前になるでしょうか。いつも近くに氏の白い高級車と運転手が控えていたなあ。

なぜか電話をいただく間柄となりました。が、私に氏を手伝える時間もなく能力もなく、本当に痛み入ります。 もしかして漫画原作者に?

巨星墜つ膨大なテキストと未提出課題、修了証書とサインが、手元に残っています。祈冥福。

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「時代についていき時代を超えていく」

ニッサンゴーン

 日産を人件費カットで再興させた“コストカッター”のゴーンが自分の人件費だけは何千人分、懐に入れていたという話です。それは、自分の手に入れたから捕まったので、不況の名のもと、何ら工夫せずに人と費用をカットして再建したところは、山ほどあるのです。「リストラ」された人を集めてアイリスオーヤマなどは大発展しているのですから、何をか言わんやです。

創成期の熱が失われていった、日本の現在を象徴します。これでは手間暇かかるモノづくりが、だめになっていくのは当然でしょう。

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「“平成の名曲”をながめて」

“平成の名曲”1アーティスト1曲でみるベスト50曲が週刊誌(2019.3)に出ていたので取り上げてみます。 大体、こういうランキングは、新しい曲が有利で、それは数年で消えるのですが、平成2030年の曲がベスト40までに、1曲もないのです。

「恋」(星野源)、「恋するフォーチュンクッキー」(AKB48)、「やさしくなりたい」(斉藤和義)に「Lemon」「U.S.A」。

平成最後の紅白のトリを桑田佳祐とユーミンが飾ったのですが、そこに中島みゆきを加えてのベスト3 TSUNAMI」「糸」「春よ来い」と昭和の歌手が並びます。  そのなかで、平成としてあげると、宇多田ヒカル、夏川りみ、福山雅治、ゆず、安室奈美恵、森山直太朗、MISIA、平井堅、椎名林檎、高橋祥子、斉藤和義、ランク外ですが、浜崎あゆみとなるのでしょうか。

演歌では「夜桜お七」(坂本冬美)、平成元年1月の「川の流れのように」(美空ひばり)だけでした。

ヒットということなら「世界に一つだけの花」「だんご3兄弟」、あとは、ほとんど平成のはじめ、米米CLUBCHARAASKAMr.Children、小田和正、DREAM COME TRUEですから、ほとんど昭和をなぞっているということが改めてわかった次第です。

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「タカラ創業者 佐藤安太さん逝去」

 30年くらい前のことですが、研究所を始めた頃、セガ(CSK)やナムコ、サンリオと関わる最初のアミューズメントやエンターテイメントの仕事として、大口スポンサー、いや、パトロネージしていただいたのが、佐藤安太社長でした。直接、本人からオフィスに電話があり、驚いたのを覚えています。本社のある青砥に何回もお邪魔しました。たしか一度にポンと※00万円振り込んでいただいたことがあって、2度びっくりしたのでよく覚えているのです。
 私などに依頼にくる大口は、ワンマンオーナーで、多くは、ワンマン体制から集団体制にどのように移行していくのかの問題の解決でした。
 芸能とおなじくおもちゃやゲームは、人を楽しませるために並外れた発想力、アイデアがいるのです。佐藤氏もまた、ダッコちゃん人形、リカちゃん、フラワーロック、人生ゲーム、チョロQ、トランスフォーマー、ベイブレードと、「おもちゃの王様」といわれた天才でした。合掌。2019.2.26享年94歳。

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「『Dalida』と自死」

Dalida ダリダ」(2016)を観ました。そう、あのサンレモのとき、彼女はルイジ・テンコのそばにいたと思い出しました。「青春の墓標」で茶番と叫んで出ていったように、彼は生きるのには、あまりに繊細でした。(それは曲を聞くとわかります。ダリダの「灰色の途」にも通じますが、)映画では「Angela」が流れていました。

Se Stasera Sono Qui」「Quando」は、私とカンツォーネとの関係を決定づけた2曲でした。

34歳のときの後追い自殺未遂、そして54歳でのピリオド。他に2人自殺します。アランドロンがでてこなかったのは、今も生きているからでしょうか。(1973年の大ヒットしたダリダとアランドロンのデュエット曲「甘い囁き」、これもカバーでしたが。)

自死については、とても深い問題です。自らを殺す自殺とは、私は異なると思っています。それについては、またいつか。

ルイジ・テンコ(1938-1967

ダリダ(1933-1987

 

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「いろんなところに泊まってみての、ホテルや旅館でよいとされるサービス」

私の経験で、宿泊のときに嬉しかったサービスを思いつくままに挙げてみます。☆
(従業員)
廊下ですれ違うと立ち止まる
エスカレーター、エレベーターにのらない
依頼事は喜んでする
困っているのをなおざりにしない
本気で対処する
頼む前に察して動いてくれる
わからなければ聞く
声のトーンを下げない
謝るときもいつも笑顔で、適度な気遣いに留める
(浴場)
タオルをもっていかなくても置いてある
ロッカーに鍵、あるいは、ルームナンバー
スリッパを履き違えないようにしてある
適温、あるいは複数の湯舟が違う温度に
(売店)
24時間オープン
売店が遅くまで開いている
買い物は部屋付けができる
(部屋)
水、お湯の用意
水に氷、コーヒー
人数分の鍵
オートロック
(料理)
アレルギーを聞く
温かいまま食べられる
(その他)
清潔、整理整頓、動線にものを置かない
建物の案内がしっかりしている
送迎(車)がある
最後まで見送るというのもあります(これに関しては私は嫌なのですが)

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「稀勢の里の引退のことば」

 稀勢の里に興味をもったのは、私の親しい知人の描いた絵のお相撲さんの顔が似ていたからです。もし稀勢の里が優勝したら絵をもらうという約束をしていたのです。研究所にふさわしいと思ったからです。
 彼の復帰は、絶望的に思えました。今場所も、場所前80番くらいの稽古でやれるようなことを言っていたのですが、親方衆からのよい評判はなかったし、私もあきらめていました。そして、その通りになったわけです。
 しかし、彼の引退の言葉は潔いと思って、ここに取り上げたく思ったのです。
 休場の原因の怪我となった対戦相手の日馬富士へ、そして、ずっと比べられ、“日本出身の横綱”として対抗させられていたモンゴル勢への感謝のことばは、まさに“日本人らしい”稀勢の里として強く記憶されたのです(この日本出身という、ひいき筋には、いつも共感できないのですが)。
「一片の悔いもございません」
 初日から3番続けて敗れて、通算8連敗。内容がよかったり、1つ2つ勝っていたら悔いも残ったかもしれません。野球でも引退前最後の一戦で、ヒットしたりホームラン打った人もいましたが、こういう場合、案外とまだやれるという悔いが残るかもしれません。
 そもそも「80番しか稽古しない」でなく、「できなかった。」つまり、努力しなかったのでなく、もう努力ができなかったところで勝負がついていたのです。ガチンコの厳しい世界に身をおいたことで引けたともいえるわけです。成績に見合う努力ができないところで、身を引くのは、一つの美学であると思います。
 いろんなことを言われて、本人は大変な思いをしても、人というのは、他の人のことをよく思ったり悪く思ったり、ほんの一言二言の情報で簡単に変わるものです。メディアもコメンテーターも本気であっても所詮、他人事なのです。人の感情や言っていることというのが、いかにあてにならないのかを考えさせられました。
 いつも「自分がその立場なら」と考えてみましょう。
 自分の感情や意見などといっても、ときにはそんなものだと思ってみることです。

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「高原慶一朗氏 逝去」

 ユニチャームの創業者です。最初の出会いは、私が30代になったかどうかの頃、日刊工業新聞社主催のシンポジウムで、パネリストとして登壇したときでした。私にははじめての大きなシンポジウムで、同席していた嶌信彦氏は、「しま」と読むんだなど、考えていたのを覚えています。
 その後、秘書室から手紙がきての出会いからでした。いつか続きを。

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「野球とテニスとアメリカ」

 パワハラ問題が、かしましいこの頃で、そんななかですから、8月の金足農業の準優勝のさわやかさに多くの人が快哉を叫んだのも無理はありません。しかし、それは痛々しかった。初回からムリと誰もがわかったのに止められない。結局、サードが代わって投げて、それでも、ライトで万一にそなえていなくてはいけないエース。大阪桐蔭もエースで勝ち上がってきましたが、全員野球、それに対して金農は、9名ですべて通す、しかも地元出身の農業高です。もし、代わったピッチャーが打たれてしまったら(なぜ打たれなかったのか、打たなかったか)、どうなっていたのかと思います。結局、日本軍の玉砕から「巨人の星」まで保たれていた精神というのはあまり変わっていないのですね。死ななくては変わらないのかと。
 タイブレークになり、今後はアメリカのように投球数制限が課せられる方向にでも動くかもしれませんが、すると尚更、日大三高のように3人以上の強いピッチャーをそろえていく、今のプロ野球と同じ継投となり、第二の金農は二度と出てこなくなるのでしょうー。でも、昔と暑さが違うでしょう。
 6月の地震でのプールの壁崩壊での女児死とか、2012年府立男子バスケット部のキャプテン自殺後の「暴力行為根絶宣言」などのパワハラ対策が頭をよぎりました。
 9月9日大坂なおみは、全米でセリーナ・ウィリアムズを破り、その謙虚な態度で世界中を魅了しました。その前に私は封切されたばかりの「ボルグVSマッケンロー」(1980年の対戦の映画化)をみて、ボルグも短気で切れやすい奴だということを初めて知り、それがセリーナの試合と重なったのです。アメリカのファンや協会のひいきのひき倒しに相変わらずバカだと思いつつ、有力紙がこぞって大阪選手をほめ、セリーナや全米協会をやりこめたところに、アメリカの賢明さを、日本のように一色にそまらない健全さを、思い出すことになったわけです。
 柔道は武道として必修化になりましたが、そこまでの28年に練習中に118人が死んでいたのです。日本より人口が多く同じく小中学校でもやっているフランスでは0です。
 39度ともなる猛暑や台風豪雨、さらに地震とオンパレードのようにゆさぶられた夏も終わりました。もう警告の段階をすぎたのではと思うのですが、どうにも、いやな熱がこもったままです。

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「金足農の全力の校歌斉唱」 

猛暑の中、もっと頑張っている人たちを見ていると、

元気になるものです。

決して100メートルも歩かないで、

熱中症でへばった犬を思い出してはなりません。

ということで、夏は甲子園。

 

強豪校相手に勝ち抜き、試合後の校歌を、

一昨年秋から体を大きく反って

全力で歌い上げるようになった、

 

最後の最後には、歌われなかった

金足農の校歌を紹介しましょう。

 

1928年の開校。校歌の作詞は近藤忠義氏、

作曲は「春が来た」「朧(おぼろ)月夜」などの

岡野貞一氏。

1番だけで約1分半ほどあります。

金足農野球部は、あいさつや試合中の声かけなど

すべてに「全力の声」を出します。

なんと「声は技術」をモットーに掲げています。「声を出せば気持ちが高まり、集中できる」ということでしょうう。

 

可美(うま)しき郷 我が金足 

霜しろく 土こそ凍れ 

見よ草の芽に 日のめぐみ 

農はこれ たぐひなき愛

日輪の たぐひなき愛

おおげにや この愛

いざやいざ 共に承けて

やがて来む 文化の黎明

この道に われら拓かむ

われら われら われら拓かむ

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fukugen補遺 2018/07/28

〇ことば

 

ことばのセンス

「限界集落」

「後期高齢者」などの政府官邸のセンスのなさ

 

大阪ではニッポンバシとよむ

 

〇声

 

聴診器は、高音で呼吸系、低音で心疾患をみます

 

AIアナウンサー荒木ゆい 10万件のニュースの音声機械予習 Spectee

基本の接客のことば

はい、かしこまりました

少々お待ちくださいませ

大変お待たせしました

誠に申し訳ありません

ありがとうございます

またどうぞお越しくださいませ

 

武豊はレース中、馬の呼吸を聞いて、展開をかえています。

 

Date

 

中国人の留学はアメリカに30万人、日本に10万人

自由を知ったエリートは、国をいつ変えるのでしょうか。

 

人口 日本人35万人減 外国居住者15万人増

財蓄ゼロ 世帯31% 単身45

熱海の坪単価237万円(1991)→28万円(2017

 

〇アプリ

 

ポケトーク ソースネクスト 24,800円 63言語対応

DAIKOアプリ(運転)

Ravens(民泊サイト)

ウォンテッドリー(名刺入力)

プチリリ 歌詞から曲名知ります

 

〇文化

 

日本人の特徴、日本社会の特質

相づち、割り勘、表札

 

刺身に菊の花は、殺菌。

たんぽぽではない

わさび 青じそ ほじそ べにたで

すべて殺菌衛生管理

日本人の潔癖症は良くも悪くも、風土から

 

Idea 発想

 

野村克也は、中西太の打ち方は合わず、

山内一弘のまねで打てたという

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「劇団四季と浅利慶太さんのこと」

 ここに劇団四季の人たちがもっとも多くきていたのは、10年ほど前までのことであったように思います。関西や名古屋でも指導しました。声楽出身者と劇団出身者が分かれていて、主に声楽家のところに学びにいった人以外がここにきました。
今ならむしろ、そういう人たちにここはもっともうまく対応できる体制になっていると思います。それ以降は、オーディションを受ける人がよくきます。私どものトレーナーにも劇団四季の出身者やトレーナーをしながら転身した人もいて、よく通じていました。
劇団出身者で声楽の基礎、高音やコーラスの発声法に通じない声の人と悪役声(けもの声など)のようにパワフルで、ハスキーな声を求める人が多いです。さらに西欧音楽にないリズム(アフリカなど)の歌唱や感覚を必要とする人、その他、劇団四季を出て、ブロードウェイなどに挑戦する人などもいました。この場合、海外、つまり国際的な基準を求められるわけです。
この4つの日本の歌唱の弱点は今もどこでも対応しきれていないように思います。言いかえると、この研究所の本質的な役割は、そこに集約されているといえるのです。

 劇団四季と私のスタンスの違いは、これまでも記してきました。浅利氏の日本語歌唱での発声発音法は、劇団のせりふの延長上にあります。元よりミュージカルとしての音楽面は、優先されていないのは、今さらいうまでもありません。
欧米のミュージカルとの差については、よく例として出した「エビータ」のマドンナ・バンディラス版(映画なので入手しやすい)と劇団四季バージョンを比較すると、わかりやすいと思います。

 日本で劇団四季が成功した秘訣は、宝塚歌劇団と同様に、日本人の感性を考えるのによいケーススタディとなります。興行としての手法も、学ぶところ大です。政治的なことでなく、なぜ日本人の感性が、そのミュージカルにとりこまれたのかということです。
私は声と歌で同じく氏が理想としていた美空ひばりとの関連からも純粋に研究してきました。
 今となっては、国家の予算に加えけっこうな自己負担を強いてきた音大の声楽科をも従えてしまったほどの、つまり劇団四季にあこがれ入りたくて音大に入る人が多数いるほどの、そして、ヴォーカルの数少ない安定した就職口として、これだけの組織体制を歌劇でつくった偉業に、深く敬意を捧げ、冥福を祈るばかりです。(日本のオペラは市民権や職としての確立は今だ得られず、です。)

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老齢医学

初代所長を務めた老齢医学の女性研究者、アナ・アスランが、麻酔薬のプロカインに硫黄やナトリウムなどを加えて「ジェロビタールH3」という薬を開発。[SAPIO2017.8]

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「西城秀樹の死」

秀樹氏も秀樹さんもどうもふさわしくないので、特別にこう記させてもらうことにしました。

彼が歌が本当にうまいと気づいたのは、日本人のすぐれた歌唱を選りすぐらされたときでした。それまで、私は彼の「ブルースカイブルー」(1978年)を日本人離れした大きな曲に美しいメロディでカンツォーネのようだと絶賛していました。彼のステージでの「レイディ」(「Lady1980」 ケニーロジャースでのヒット曲)をとりあげたこともあります。今 もこの2曲を私なりに彼の「絶唱」と思っています。あまりにさりげなくて、どの曲もかなりのハイレベルで歌っているのに気づかないほどのすごさでした。

 

秀樹は、ヒデキであって、評価を抜けている歌い手です。歌で声が飛んでくるポップス歌手は、日本にはとても少ないのです。忌野清志郎のようにトータルでなく、歌唱力としての個性で、しかも尾崎紀世彦のように声フレーズとしてでなく、ロックとして日本語を動かした点で、ビジュアライズな魅力よりも、歌の声の力、感情の伝え方で味わってもらいたいと思います。

 

歌唱の力は「若き獅子たちよ」でわかるでしょう。私がリアルタイムで、好きだったのは「愛の十字架」でした。今、思うと、どれもプレスリーのように宗教や祈りにも通じていた歌のように思えます。殉教とはいえなくとも過激な生活がたたっての早逝でした。

 

ファンには申し訳ないのですが、私は60代まで生きた彼を「早かった」と、惜しみたくはないのです。世に出て最初の3年で惹き込み、7年で解き放つ、スターというのは、もうそこで成り立っているのです。(デビュー1972~「Young Man1979) 心からご冥福をお祈りします。

 

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「トラベルミステリの第一人者・西村京太郎先生」

これまでの発行部数は累計2億冊以上、著書は約600冊を誇り、87歳の現在も現役で、年間12冊の新作を書き続けています。

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「テレビ用のキャラクター」

「ずっと芝居してましたね。テレビ画面では笑っているけど、笑ってない。ずっと笑ったふりだった。バカキャラを作ってた」

「精神面も疲れちゃって。『わたしを分かってくれない、どうすればいいのかな』ってすごい悩んでました」といい、「本当は低い声だけど、日本にいたら、みんなアニメみたいな声だから、変えなきゃいけないのかな」と“テレビ用のキャラクター”に変えていたとのこと。(石田純一の娘で休業していた女優のすみれさんのフジテレビ系新番組418での発言)

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般若心経ロック歌詞

どなたかの歌詞ですが転載させていただきます。

般若心経ロックの歌詞

超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?

誰でも幸せに生きる方法のヒントだ。もっと力を抜いて楽になるんだ。苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。この世は変わり行くモンだ。苦を楽に変える事だって出来る。

汚れることもありゃ背負い込む事だってある。だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減か分ったか?

苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。見えてるものにこだわるな。聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。それが『無』ってやつさ。生きてりゃ色々あるさ。辛いモノを見ないようにするのは難しい。でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。無理して照らそうとしなくていいのさ。見えない事を愉しめばいいだろ。それが生きてる実感ってヤツなんだよ。

正しく生きるのは確かに難しいかもな。でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。愉しんで生きる菩薩になれよ。全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな、適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。非情になれって言ってるんじゃねえ。夢や空想や慈悲の心を忘れるな、それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。

今までの前置きは全部忘れても良いぜ。でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。大丈夫だ。

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原発の人災と国家の衰退

○原発の人災と国家の衰退 

 

原子力発電は、3.11で証明されたように、国土が狭く、人口が密集し、しかも天災の多い日本でのリスクが大きすぎます。いろんな見解がありますが、私が思うに、リサイクルできないものは、今や使ってはなりません。

避難させないのは「由らしむべし、知らしむべからず」のお上の考えそのままです。そのお上は、アメリカに伝えているのにSPEED1の公表をしなかったのです。

リスクを想定外というのは、リスクの捉え方がおかしいのです。その後も責任が曖昧なままで、第二次大戦の敗戦の構造と同じことと指摘されている通りです。

「歴史」は、生きること、人と生きていくことのため、必修です。それを活かさないと、日本の場合、人災が天災のようにしてスルーされていき、また繰り返されてしまうのです。

 

○体制の転換

 

国家は、正義ということなどからは程遠い、多い方の民という数をもって、あらゆる手段をとっていきます。自由主義社会といえども、情報は、出していてもマイナーなものとされると排除されていくので、伝えることをよくよく考えていかねばなりません。

圧政を防いだり壊したりすることを、どうリスクマネジメントすればよいかについて、常に考えておくことです。歴史的な成り立ちのところから不正や残虐なことが情報公開されることで、体制が崩壊するようです。例えば、ソ連邦の成立と、その後の崩壊のプロセスをみると、よくわかります。

資本主義は、自由の名のもと、結果としては、格差を目指してしまいます。「資本」という、持っているものが生む利益を基にしているゆえに、です。

民族主義は、リスク分担、ローカルであることで、多様性を保持する可能性はあるのですが、棲み分けが肝要でしょう。

 

○ドバイと難民

 

160828mブルジュ(タワー)

50万人のシリア人がドバイに避難(2016)

2017.3までシリアからの難民502万人(トルコ296万人)、これは人口の4分の1

 

○日本の活力

 

中国のGDPは、2000年には日本の4分の12010年に追いつき、2018年には日本の3倍となります。つまり、20年経たずに対日比12倍の成長です。例えるなら、18年前に、こちらの稼ぎが20万円のとき、5万円しか稼げなかった国が、今年、60万円稼ぐということです。

 最大の懸念の一つ、非婚、晩婚化は、ワークバランスだけでは解決できません。東京では、待機児童の問題が、地方では、児童がいない、母親となる若い女性がいないという問題なのです。

 

○リベラルアーツ

 

 アーティスト=エンターテイメント、人を喜ばすリベラルアーツは、教養教育です。演劇でコミュニケーションを学び、キャリアにします。

 

AKB48という場

 

「辛いときこそ誰の心にもいる底力君に会えるチャンス」(夏まゆみ)

「軽蔑していた愛情」(2007.4.AKB48)は、自殺の歌でしょう。神7とオタの「そりゃそりゃ~~」は、一世風靡セピアのもの、そこから20年のギャップ、ゆえに30代半ばのファン、そしてファンの厳しい目、劇場という場とメジャーとの壁が育成システムとなっているのです。

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fukugen補遺 2018/01/28

〇声

 

モノマネといえば、昔は声帯模写といわれました。古川緑波の造語です。

桜井長一郎、江戸家猫八

佐々木つとむ、でした。

 

声変換技術は、中鹿亘さん(電気通信大学)

亡くなった人の声の復活

咽頭の摘出者

 

声での感情分析 富士通

1.何がわからないのか

2.どこまでできているのか

 

小学生の娘には、母親の声が重要という(尾木ママ)

 

キャディーのかけ声は、ファーfaでなくforeです。前方注意のことです。

 

大声出して走ると早くなる

 

須山補聴器さん

 

〇話

 

昭和30年で落語家は

50才~  16

3050才 5

30才  14

他     8

    計43

 

講談は、現在、80人(女性半分)、(神田松之丞さんによる)

落語家は800人(男9割)

 

〇ことば

 

チリの肉は23部位(日本は11

 

You Only Live onceYoLo旅)韓国

 

×燃える、躍る、集まるなどは、素人が、句によく使いたがるので注意 夏井氏

 

Date

 

<医療>

新薬は6割の人が効かない

効能の半分は、プラシーボ、

100%効くようなのは、副作用大で危険だから非認可なのです。

 

<歴史>

6万年前アフリカから3.8万年前日本にくる。

1万年前は定住社会。

5300年前にアイスマン。

2500年前ユダヤ教、ブッタ、孔子

ブッタは主知主義 認識は目的による 意識、超越者存在。

 

<人口>

2007年生まれの半分は100才まで生きる 

日本人107才まで

 

2016年 98万人生まれ 131万人が亡くなる

100歳以上 68千人

65歳以上 3514万人(28%)

15歳以下 1562万人

 

1.44出生率(1947年 4.54

 

厚労省データ 19952015

50 11213357

60代  95292

 

去年316校 小中高校で廃校

20022015 6811

 

全域過疎指定の616市町村で毎年57054人の定住増加で達成(人口比0.73%)

これは、2016東京圏の転入超過の117868人の半分です。

 

日本移民は0人、外国人・労働者108万人

人口は65歳以上 2015年 25 2025年 30

 

日本には外国人100万人 留学生40万人

 

<戦力>

北朝鮮は、100万人軍人 特殊部隊10万人 生物兵器が3分の1 潜水艦20

日本は、25万人

1998年にはテポドン1号が日本上空通過。

今回は、アメリカに届くからの大騒ぎになったわけです。

 

<環境>

大雨で杉(広葉樹)のミサイルが、家をこわしました。 

根は1.5m

山くずれは2-14m

120mm/h 11000mm

 

<体重> 

幕内力士1975年は、126.3キロ 今年 は、163.5キロ

 

<千駄ヶ谷のPR> 

代々木の隣の駅のSPOT案内です。

将棋会館

国立能楽堂

鳩森八幡神社

東京体育館(150600円)

新国立競技場

 

カフェも多いです。

レティエ(ソフトクリーム)

SpiceKitchen HATONOMORI

DAVID OTTO JUICE

Good Morning cafe

ブレントウッドテラス

モスクラシック、モンマスティ

 

<カリフォルニア発>

RonHerman(スペシャリティスキア)

 

CAPTAINS HELM

SUPER8SHOES

FFFFFFTTシャツ)土曜

 

CHACOあめみや

ふじもと(うなぎ)(とんかつ)

ほそ島や みろく庵(そば)

ホープ軒

 

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