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2009年8月31日 (月)

「地震が与えた自身への自信」

ゆれてゆれて足元ゆらして
何もかも失ってしまった
マグニチュード 4 5 6・・7・・・8
地球の怒りの犠牲に 命を落とした不幸に
命を救われた幸せも 重くのしかかる

そこに流れよ ピアノよ 歌声よ
そして 時代は 地球は まわり続けたよ
そして 時代は あなたは まわっていくよ

失われた命は 生き残ったものに 受け継がれ 
だからこそ 生きることを
大地をふみしめて 強く 生きることを

傷つく心 冷たい風がすり込まれる
でも 歌声は ピアノの音は ひびきわたるよ

老いた者よ 銃を置け 心を静めよ
若き者よ 未来を切り拓け
悲しみに失われる 希望はない
あなたが自信を持てば 未来はきっと輝くのだから

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2009年8月26日 (水)

亡国論(8)

 ここのところ、800兆円余りの国の借金は、一人あたり一千万円近くにもなり、ばらまかれた一万二千円とかハイウェイでの千円くらいで喜ばされて、身に覚えのない多額の借金を背負わされているのです。
 ばらまきは、今を一時救う延命にすぎません。それも困っている人を救うふりをした政権の延命ですが、次代への投資にはなりません。子供を産ませても、教育環境の投資がなくては、先行きありません。だからこそ、今をしのんでも、新たに利を生み出す力、発想力、独創力への投資が必要なのです。
 グローバル化のなかでは、価格コムでみるように、一物一価になっていきます。それは、賃金も同じことなのです。もう日本において、平均所得が上がることはないのです。さらに、二極化が進みます。
 いろんなことを知っているのに、生かせない人が多いなかで、自分を生かす努力をすること。そのために、一極集中、それが問われます。集中、熱中、がむしゃら、そのエネルギーを感動、感謝、感激から得ることです。その充足の場、そのノウハウの持ち方を学んでください。しぜん、芸術からも学べます。なるようになるのではないし、誰かがやってくれるものではありません。自らが一人ひとりが頼らず、自立すること、表現すること、まさに Be Artist! たれ ということなのです。

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2009年8月25日 (火)

亡国論(7)

 グローバル化の怖いところは、よきにつれ悪しきにつれ、同胞意識の崩壊であり、愛国心をもてなくすることです。日本の汎人類、汎自然的な思想は、確かに立派で、世界に誇れるものだとは思います。でも、それならば、その考えを国際社会で問い、次の世界づくりをしなくてはいけません。国家という体制が否定されていくのに、相変わらず、国のくくりでした現実の世界は動けないからです。
 それでは、今の日本人のように、地縁や血縁での拘束を切ることができるようになったのに、才能縁のような新たなコミュニティをつくる力や、異質のコミュニティに加わる力のない人として、まさに孤独死してしまうことなのです。

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2009年8月24日 (月)

亡国論(6)

 私の若い頃は、何度となく徹夜しました。タダ働きのように、他人のためにしかならない労働もしました。その成果は、何にもなっていませんが、私自身の自信になった、つまり、それで自分のためになったということだと思っています。今は、こうして、自分の意(意見、意志、意図)を持って、世(他人)に問うことをしていますが―。
 私も歳をとり、相手のことを第一に考えるようになっていきましたが、それでも、志は別にあります。

 日本国の国はまったく運用も金融もできていないでしょう。商社や個人がすべてやってきたのです。なのに、その無力な国がやろうとするから失敗する、黙っていてくれる方がよいのです。無能の自覚から、何とか突破口は開けるというものです。

 ケネディからオバマまで、世界のリーダーは、国民に「暮らしを守る」などといいません。「皆さん自身が国に尽くせ!」といいます。
 国が使うのは、国民のお金です。他国の政府や大学のように、頭で運用して増やして使っているなら、文句はいいません。国の知力を集めてそういうことさえできないというより、するつもりもないから、この国から頭脳は流出していくのです。

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2009年8月21日 (金)

亡国論(5)

 最近、団塊の世代の学生運動の様子の記録をよく目にします(浅間山荘の映画などはその一端です)。そこで挫折したとき、当時の若者、団塊の世代がどこまで去勢されてしまったのかは、私のテーマの一つです。それは二次大戦の敗戦よりも、黒船-開国のときよりも、大きかったかもしれないとさえ、私は思うのです。1970年代、世界も日本も大きく変わったのです。ちなみに、70年代半ばの変容の方が、9.11よりも大きいと、その要因を私は考えています。

 日本の生産人口は、毎年1%、100万人減っているそうです。個人資産高でさえマイナスに転じました。国の借金については、何をいわんやです。デフレとは貧しいのと先行き不安だけで起きるのでなく、先進国であった日本の地位の低下、つまり、世界の平均化に日本も合わせていっていることの表れなのです。
 私の小さいときは、海外に自由に行けず、何とか行っても、ものが高く買えませんでした。大きくなると、海外に行く方が安く買えました。そして今、まだ円高ですが、実質は国内で、中国などの安い商品がはびこり、ブランドも日常品も安い国で買う価格に近づいていっています。

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2009年8月20日 (木)

亡国論(4)

 さて、格差や失業の問題は、これまでも扱ってきましたが、端的にいうなら、3Kに文句をいってまともに働かない、いや、働くにも体力や集中力がもたないAくんと、同じ条件をまったく3Kと思わないで、こんなにもらえるのかと感謝して一所懸命働くBくんがいたら、どうなるのだろうかということでしょう。将来、AくんよりBくんは、豊かな収入と高いポストを得られる可能性が高いのはいうまでもありません。大まかにいうと、このBくんが、今のおよそ70代以上の日本人、昭和を働きつめた人、今の日本の豊かさを荷った人たちです。

 格差とやらを日本国内だけで考えると、Aくんも働きたいのだから、いや無職なら困るので、Bくんと同じに扱うべきだという論調になります。が、グローバルにみると、今のAくんは日本人、Bくんは中国人やインド人なのです。
 すでに携帯も普及して、世界中の人が現実を知っています。日本人なら、30万円もらえる仕事以上のことをして、なぜ自分たちは5万円なのかという不満が起きてくるのは当然です。
 しかし、今までの暮らしがあまりによくなったということで、表に出てこなかっただけです。国に帰ればリッチな暮らしができる、まわりは稼げないから、ということです。つまり、かつてのパックス・ブリタニカやアメリカンドリームを彼らは、国では現実のアドバンテージとして手にしているので、その国での格差がそれを目隠ししているだけです。

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2009年8月19日 (水)

亡国論(3)

 政治とは、将来のために今の痛みを耐えようと、国民にリーダーシップをとれるものが担うべきものだと私は考えるからです。借金をしたお金を貧しい人にばらまくだけでよければ、私でもできます。財源、財源という自民党は、戦後から昭和までに必死に稼いだ金を、平成になっても使ってきただけです。これまでは、確かに使うことも大切だったのですが、今や稼ぐことが何よりも大切なのです。これは一人ひとりにもいえますが、国にもあてはまることです。
 私も経営に携わって20年以上になりましたが、この20年の政治家や官僚は、三代で家をつぶす三代目と同じです。まさに政治家の世襲も三代目に入っているので、いやな一致ですが。

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2009年8月18日 (火)

亡国論(2)

 「否定するな」・・「なら、お前はどうする」という提案でないものは、私は糞だと思うし、そういうものを私自身も目にしても、無視してきたから、今でもそうしているから、建設的でないものは、ただの悪口と同じで、いわないと決めているので、ためらってもいたのです。なら、どうすればというのを、マニュフェストで比べてみれば、大川隆法氏の政策の方が先を見ているし、的確といえるでしょう。
 ここから政経分離や宗教に言及すると、本一冊でも足らないから、マニュフェストをマニュフェストとしてみると(それがよいかどうかも問わないとして)、私は素直にそう思うのです。
 その根拠は、他のマニュフェストが、ばらまきと財源確保の2つのキーワードで、2パーセント成長など、とってつけただけの欠陥的なものとなっていて、旧来の日本の国内だけしかみていないために、21世紀には、まったく無効なものなのに対して、幸福実現党のは生じ、今苦しんでいる人々よりも、もっと先にもっと苦しむ人たちのことを、考えているところがけっこうあるからです。

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2009年8月17日 (月)

亡国論(1)

 しばらく政経関係の問題から身を離していました。詩吟や邦楽分野からの研修依頼もあり、身を深めたい時期だったので、その機にこの連載を意図的にイレギュラーにしました。とはいえ、100年に一度の危機や自民党・民主党の世紀の対決というのも、私の胸にひびいてこないのです。そろそろ党名も変えて欲しいくらいです。こんなものは、個人的危機で人類や国の危機とは、ほど遠いでしょう。
 アメリカの演出も、ハリウッド並みになってきて、このシャッフルでいつも振り回されるのは、弱者です。それには成り上がった小金持ちや身を粉にして働いている経営者、労働者も含みます。

 マニュフェストの思いついたような出し方一つみても、どうも私なんぞがいいたくはないのですが、根本的にずれているのです。民主党が政権をとっても大して変わらない。内部が一党でないし、考えも自民党と根本的に同じだし、そもそも自民党が一時、政権を離したときにどうにかなったでしょうか。少なくとも、そのときは国民は大きな期待をしていたのに、今回は自民党をつぶしたいだけで、民主党に期待しているわけでないのだし。
 などというようなことを、だらだら書きたくなかったのも、ここでも安部、福田、麻生首相との早期失墜、交代を予知して、どうせ持たないっていってきた、いきさつ上、また当たり前のように当たる予言にもならない、あたかもペシミズムっぽく、ワイドショー、マスコミの自分の国や政府叩きの横一線に私は並ぶ方が嫌だから沈黙してたのです。

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2009年8月12日 (水)

ゆとり教育のゆとり違い

ゆとり教育は、知識偏重の暗記学習を減らし、その分、豊かなコミュニケーションや
創造的学習をさせるはずだったのに、学ぶ時間を短くするという、
大きな間違えをしてしまいました。ゆとりや学ぶということを、しっかり定義して、
理解していないからです。全くもってこの教育を受けて違う意味で、
フレキシブルにしてしまいました。それを取り戻すために、
声を使うのは、今さらということですが、仕方ないことです。

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2009年8月 7日 (金)

クレームは聞かない

犬の遠吠えというのは、なすべきことを続けているうちに、
聞く耳を持たなければ、やがてあきらめていくものです。
いちいちまともに対処するなという、まともな神経を持つこと。
その言い分に一理あれば、聞いたり、聞き流すことは必要かもしれません。
しかし、対処するかは、一つステップアップしたレベルなのです。

自分にとって大切な人に理解されているので、私は大丈夫なのですが、
それゆえ、いわざるを得ない人は、自らそういう理解をする人がいないので、
声を荒たげるでしょう。ネット社会では、もしかすると、同じように暇で、
程度の低い人の応援で、あたかも万人の力を得たように、
声を上げるのかもしれないのです。

そういう声をわざとあげさせ、引き締めに使うのなら、敵ともいえぬ相手に
塩(情報)をあげるとよいでしょう。内部の改革を推し進めたり、
自分の課題解決に生かす、つまり、自ら伸びるために、敵を育てる必要があるのです。

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2009年8月 3日 (月)

大きな声を上げたら勝つか、勝たない

本気で「いじめはいけないだろ」「死んだらいけないだろ」と思ってください。
「他人のことを考えられる人のことばに、人に従うのです。その本気度に従います。」
「他の人が死んだら、悲しいじゃないか。」その真実がゆがんでしまうのは、
感じる力の低下、共感力低下の問題も含んでいます。

私は「いいものはいい」というなかで、「だめなものはダメ」を伝えてきました。
今の子には、親友もライバルもいないといいます。
本気を聞く努力が、クローズな人間関係をなくすために、
本気で聞く人を持たないと、本気で言えなくなります。

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