「絆と縁」
会社を社会の中心とした生活の下で、血縁、地縁を失い、定年でその唯一のコミュニティの社縁も失った結果、高齢者の多くは無縁社会に放り出されつつあります。家は、家族から家庭(核家族)となり、今や、その多くも内部崩壊しつつあります。
村から出て都会に住み、マンションで人間関係の面倒なしがらみを捨ててきたのですから、当然のことです。
平成で「絆」がキィワードになったのは、コミュニティがなくなったことの象徴です。誰もがホームレス予備軍なのです。
絆ということばには、縁というみえない大きなものを否定し、自らでつくりあげる意思がみえます。意思がないと、それは途絶えます。自由といえば聞こえはよいですが、常に選択と責任が問われるのですから厳しいものです。
フリーター、ホームレスの増加もまた、私たちが選んだものといえるのです。
その結果、死も一人の死、孤独死になるのは、当たり前です。死の世界観、死生観ももてなくなりました。
しがらみ、軋轢とともにある親族、家族では、異性、異世界と異世代との同居の生活でした。それこそが、生活の基本となってきた大きな縁、因縁だったのです。
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