「戦争体験者の記録と継承」
明治生まれの軍人の下、大正生まれの人が20代から30代で戦争を実際に担った世代です。日本の技術者は、世界のトップクラスでしたから、敗戦後も「物量で負けただけ」と皆、思って、捲土重来を期していたと聞いたことがあります。
飛行機製造は、もっともハイクラスな技術であったため、GHQの禁止(1952年まで)による転用が自動車や家電の開発となり、日本の高度成長を支えたのです(戦闘機「隼」設計者の糸川英夫は、ロケット博士となり、小惑星イトカワに)。
ちなみに日本初のジェットエンジン機は橘花(きっか)で、飛燕は日本初の空冷式エンジン量産機でした。戦後の日本初の国産製造航空機は、YS11(1965年就航)です。
戦争の歴史遺産は、ある意味で重要な作品です。しかし、その「再生」には、そこに至るストーリーを語り伝えなくては、共に生きた人にしかわからなくなります。 今は、日本の敗戦までを第一線で語ることのできる人の喪失の時期なのです。当事者がほとんどいなくなり、こうした歴史の継承が危惧されます。敗戦は、終戦として、そうした人たちの口を固く閉ざしてきたので、尚さら、その記憶の記録と継承をすることは重要でしょう。
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