コンセプト・雑言

「11.3.11 その5か月後に巡りて」 2011/08/12

ガレキという名で、残骸がつまれている。
ハイチでは、人の体は死体となりつみあげられていた。
ベルリンは空爆のガレキの山がある。
アウシュビッツでは…。広島、長崎では…。

東北は殊の外「故郷(ふるさと)」の唄がとても合う。賢治や啄木や稲三(新渡戸)が生まれ育った。

日本が、天災が多く、それゆえ極東のさいはての国であることを忘れていた。人類となったアフリカから、追われ追われ、たどりついた先祖たち、そのあとも追われ追われたか迫って迫ったのか、定かではないが。

日本列島北へ東へ東北へ
「上を向いて歩こう」が照れくさいくらいに、下を向いて働いてきた漁師や農民の、村落を水が襲った。焦げついた戦跡とは、また異なる朽ちた魚やヘドロの異臭か、静かなガレキと化した。
ただに黙祷。祈るしかないとき、歌は聞こえない、それぞれの人のなかに静かに湧きいづる。
ただに黙祷、今日は上を向くと、正面がみえる、ふるさとがみえる。
歴史が人々の歩んだものが、たとえ流されつくしていても、しかとみるものの胸には、よみがえる。

PS.私は昨年に浄土ケ浜から恐山まで、3つの祭を見ながら、久々に巡った。それから、7か月後が3.11、そしてちょうど1年ぶりに変わり果てた姿をみた。(東北は私の育った故郷でもある。)

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「現代の捉え方と反省の言」 2011/03/04

福言をあまり書かなくなったのは、ここの生徒さんに読むのが辛いという人が出たこと、ここのトレーナーやスタッフが私の考えと同じだと思われること、いつも「私は○○ではないが、・・・」などとまえがきを付けないと、「○○教」だとか、「○○派」のようなレッテルを貼られることなど、面倒になってきたからでもあります。

あまりに世の中おかしなことが多くなって、あれこれ文句をいっていては、自分のやりたいことが遅れるという優先順位の問題もあったわけです。その分、執筆を減らそうと思ってもみたのです。これからは私の全てを読んで、それでも足りないという人がいたら、その人宛に追加分だけ書けばよいと思ったからです。

政治や社会、宗教について語れないというジレンマ、トレーナーやここに接する人のことを考えると、発言しにくいという自主規制を取り去るために、自分の立脚点を明らかにしておく必要があるのだと思いました。つまり、かつての、私の述べたこととの矛盾への対処をするということです。

それは、研究所の位置づけと同じだと思うのです。つまり、日本が世界から極(東)に位置している、日本自体の偏りに対して、世界全体からみて、バランスをとるということです。

これはきっと、今、最後の段階として、アフリカや中東で行われてきていることですから、この機会を逃したら、日本はまた世界から遅れてしまうというか、宙ぶらりんなまま、おかしくなっているからです。

これらのことは、戦後生まれの首相が続いた(鳩山、管、仙谷氏は昭和21年生まれ)団塊の世代が主導している現在、ここ10年くらいで、もう、決着をつけておくべきことだと思うからです。

つまり、彼らや我々がこれからの子孫にどうしていくのかということに、真剣に向き合い対処できるようにしておくことです。

海老蔵さんや戦場カメラマンさんで年が暮れ、大相撲の八百長や受験不正などで大騒ぎして、3月になって、またこのまま一年が過ぎ、十年が過ぎていくことに対してのくさびです。

ちなみに、三面記事でよいことがトップを飾る今の尋常でない感覚、大相撲が八百長というなら、猪木、アリ、梶原一騎も書類送検しろっという話だし、あの受験生の裏でこれまでどれだけの不正が行われていたのかを、ようやく気づく(まだ気づいていないのか?)先生たちの大学に入るのは、馬鹿らしいことでもあるでしょう。カンニング一つに警察を入れないと対処できない人たちが教育のトップなのです。学校は入るのはフリーにして、卒業をハードにすればよいだけでないかという、本質に踏み込まないのはなぜなのでしょうか。

話を戻して、憲法改正に対して、私は改正反対でした。その理由はバカな変え方をするであろう、すぐ上の世代が信じられなかったからであるし、それを選んでいる自分や今の日本の国民の判断力が信じられない、つまりは、アメリカや戦前の教育を受けた人の決めたことの方が、まだましという、すごく自己否定、自己責任放棄で生きてきたわけです。

もちろん自分が兵役にいくなど、想像もできなかった。

しかし、世界の常識で考えたら、ものごとは改良してよくしていくなら、もし九条がすぐれているなら、改正してもう一度、同じにすればよいだけではないのでしょう。

原爆を論議するだけで、戦争を肯定するように思われるため、声も上げなかった結果、原爆は持ち込まれていたという、つい最近わかった事実からも、何ら学んでいないのは、日本人自身で、本音を発言したり、考えたり、決めたりすると、うまくいかずその失敗の責任を取らなくてはいけないから、嫌だとなってしまった。

この20年の政治をみていたら、若い人が皆、そういうふうに育ってしまうのもムベなるかなと思う。私もそうなっちまったしなという、ジレンマだったわけです。

さて、中国やロシアの脅威に日米で対抗というのが、小泉―管の路線だが、アメリカの力は依存できるのはアメリカの国益にそって日本がコントロールされてきたからであり、今も大戦に勝利した連合国連盟やアメリカ、中国に多額の金を出しているのが日本なのです。

アメリカの植民地か保護領として、冷戦のときでさえ、北海道に米軍を駐留させなかったアメリカ、そこからの真の独立がよいという人が、これからさらに少なくなるとしたら、本当に危なくなるわけです。外務省防衛省からしてアメリカにべったりなのですから。

自立した考えのできる国民がいないところに、自立した国はないということです。

沖縄、九州が中国領、北海道がロシア領などというのは、アメリカがひけば冗談に済まされないのです。

民主党政府は、ガチンコ力士の魅舛(かいけつ)が、相撲協会の理事長になったのと同じで、自民党の裏にいる人が、消費税やその他、国民に嫌がられることをするために、描いたのかなと思っていた。いや思いたかったのだけど、今や本当に誰もこの国の未来を描いていないように思わざるを得ません。

指針のなさで、何も決めない、何もしない日本のトップが、辺境の国、日本の国にふさわしいという、ここ数年の私の持論が本当にそうなってきたら、毎日のようにフラストレーションがたまるものです。本当に先がみえない、というより見ないのだってわかってきた。私が歳をとったのかな。

周辺にいると、確かに中の人よりはみえる。しかし、この2人の首相は、自分の身や金を賭けて踏ん張って、本気で何かをやり抜いたことはあったのでしょうか。海外へは行っただろうけど、貧しい中で人に助けられたり助けたりした経験は本当にないんだなと思うのです。日本のエリート教育の薄さを感じます。

冷戦集結から20年、9.11から10年、今年は何があるのでしょう。

そういえば、映画の「ウォールストリート」は、20年くらい前にもあった。いったい人間は進歩しないな・・岡本太郎の万博の太陽の塔から41年。骨のある日本人を育てなくてはね。

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