声と耳の科学の限界 2016/06/15
例えば、「カクテルパーティ効果」というのが発見され、命名されたと。でも、そこからの耳のフィルター能力など、未だにほとんどわかっていません。耳で聞いたらわかることを、データとしてあげて、それを少しずつ理論にしているだけです。それが耳で判断できないレベルを超えたら、ようやく最低の成果といえます。
でも、「なぜ、そうなるのか」もわかっていないのですから同じことです。そんな名称をつけなくても、誰でも、パーティに行ったり、人混みのなかで人に呼びかけたことのある人なら、わかることです。命名してスタートするということもありますが、多くは、そこで止まっている、現実の解釈に利用されるだけで、現実を変えていっていないのです。
| 固定リンク