コミットメント 2016/05/25
「何もかも疑わしく思えます」という人に会いました。
すべてを疑い続けたら、あなたという主体もなくなります。何事も怪しいとばかりに考えていくと、新しく学べず、行動も伴わずに終わります。他人を嘲笑しているうちに、人生も終わります。無責任な傍観者、になります。
何かを信じる、感じるしかないのです。哲学から宗教へと変わるのです。
信じていなかったものでも、否定、反論できなかったら、仮にでも、受け入れていくことです。関心をもち、見守りつづけることです。
Commitmentは、約束、義務、責務のことです。そこには、信じ切るという宗教的ニュアンスがあり、身を投じ引き受ける、ということです。日本で使われるコミットメントとは、大分違います。
「世の中、よくわからない」といって、1903年、藤村操は華厳の滝で自死し、「人生これ不可解、我この恨を懐いて煩悶、終に死を決す」と遺しました。それに対し、原口統三は、1946年、「二十歳のエチュード」を残し、悟った」ように自死しました。
果たして、何が真実なのでしょうか。
1931年、ゲーテルの「不可能性の定理」では、いかなる合理的な言説の体系も自ら自身を基礎づけることはできない。どんな学問体系も、科学もまた、それが真理であるという確かな理由は存在しないことの証明が成されています。
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