05.文学・芸術・スポーツ

" This is it "

1985年1月28日、ロスで「We Are The World」をライオネル・リッチと曲を作った
マイケルは、45人中、弟のランディを除いてもっとも若い26歳だった。
当時、ハリー・ベラフォンテは57歳、クインシー・ジョーンズは51歳。
マイケル以外に、これまで亡くなったのは、レイ・チャールズなど含め3人だけという。
あれから、すでに25年経った。そのマイケルは昨年6月26日に亡くなり、既に半年経った。
エルビス(~77年)、ジョンレノン(~80年)、スーパースターは夭逝によって伝説化する。

私はマイケルに対する、日本の過剰な反応に冷めて今日まで述べなかった。
私の中でのマイルスは、ダイアナ妃(ダイアナロスではない)に近い存在だった。
いや、オードリー(お笑いの春日たちではない)のようなものだった。
ダンスがプロの中で、抜きん出るということが、どういうことかは、彼に教わったような気がする。
声については、ジャクソン5の「アイルビーゼア」の頃がなつかしいが、独立したマイケルの突発的に入れる奇声の音楽性に聞き惚れた。

スーパースターといえ、いろんなことに苦しめられた。
それを歌った歌も少なくない。しかし、私たちはその表面だけを聞き、心地よくなる。
あたかも愛の讃歌を結婚式で流すかのように。人間愛、人道活動家、環境保護運動家としても、忘れるわけにはいかない。スターゆえ、子供として過ごせなかったことが、
子供への愛を呼びかけることとなったのであろうのに。

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この頃の人 佐藤有香さん

スターズ・オン・アイス チャンピオンのコーチ
「何ができるかを想像して 見せてやれ」
「自分で考え、自ら問題点を発見し、克服する」
「トライしたことが、どう結果になるのか理解すれば、次から予想できる。
そして、どうするかを考えるのよ」 (世界を変える100人の日本人)

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クリエイティブな評論を

目利きがいない日本の歌の世界では、評論が成り立たないので、
その成長を阻害しています。アートは癒しでなく、アイデアがエネルギーの元。
活力源となるのは、ライブです。
日本はやった人ばかりしか認めず、育てた人や評論家の地位が低いものです。
その人だけを評していたら、食えるというスターもいるけれど、
「なぜ今もマイルスなんだ」とも思うのです。

作り手は客とともに、こういう批判をも糧にするべきなのに、
日本では評論がクリエイティブになりきれないのも、確かです。
プロデュースと同じで、どこかからもってきているだけです。
歌も先に訳した人が勝ち、つまり、形、スタイルから今も日本人は入っているの
ですね。

よい批評がないというのは、もう終わっているのです。
日本がダメになっているというような妄想に乗らず、どんなダメな時も、
才能は出るのですから。いや、だからこそ輝くと思って、続けています。
人も場も必要だから、研究所があります。
竹林に入ることも大切ですが・・。

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忌野清志郎さん逝く

 1968年結成から40年間、RCサクセションとして活動、
私は72年「ぼくの好きな先生」のヒットで知ったのですが、大学生の時、
初めてキャンパスで会いました。それから私がトレーナーになっていくなかで、
さまざまな刺激を得た方でした。言いたいことをそのまま歌にする。
語るように叫ぶスタイルでは、挨拶、自己紹介すべて、歌でやってしまうのでした。
聞かせたい、のせたい、でものらないと、一つ引くのです。
フォークから黄色の服の似合うロックになったような、シンプルなくせの強い歌い方、
アーティストにおける声とは、このくらいのものだということでは、
とても独自に存在している人でした。使命感を持ったアーティストでした。

 「雨上がりの夜空に」が代表曲でしょうが、「スローバラード」を和田アキコさんの
歌唱でレッスンに使ったことがあります。
私のレッスンでは、真似たり、触れたりしてはいけない位置づけでした。
あたかも、フレディ・マーキュリーのようにです。(魂はジョンレノン?)
反体制、反権力、反核・戦争、環境保護日本でそういうことを音楽、
まさにロックで示せた人はあまりに少ないだけに、残念です。
発売中止となった「COVERS」(88)、「君が代」(99)は、勲章です。
真のメッセージとは、表現とは、そういうものなのです。
そのときは理解されずとも、後で効いてくるのです。オリジナルの声のイロ、ツヤ、
唱法など、独自で生み出すことの大切さを忘れて欲しくないものです。

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アートだから自由

教えるのは理屈だけで、現実はWBCのイチローの野球でみるまでもなく、
成績を残してのみ認められる。絵画に対し、音楽はDNA、免疫が強くなるのかしら。
マネしたもののように、不快で気持ち悪いのは、人には認められにくいのです。
私のところでは、基本をやります。それをどう使っていくかは、あなたの自由です。

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○新宿コマ劇場

52年の歴史。1964年美空ひばりにより、芝居と歌謡ショーの二部構成、
歌手が座長をする。最後は9月北島三郎の「国宝忠治」と「歌」、
あの三重のせりあがる盆(回り舞台)が、コマのように回るので、
コマ劇場。コマとは独楽と書く。
1992年に、年間100万人動員、そのピークがわずかに16年で、
再開発に。歌手が2千席を一ヶ月で集められなくなったのだ。

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○立川談春の芸

師匠選びも芸のうち、十七歳で談志を選んだ。
「やたけた」向こう気が強いムチャクチャ、バクチ打ちの気骨が才能。
志の輔、志らくなどに、談春とは「患うほど気を尽くせ」と、談志にいわれた。
「怒りがないと、前に進めない」 人を押しのけるガッツが男として足りない。
創作落語を入れたさだまさしさんは、創作者の力を持つ人と、談春を評価。

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○この頃のアート

08年11月17日、東京渋谷駅とマークシティを結ぶコンコースに、
岡本太郎の巨大な壁画「明日の神話」が設置された。
巨匠ピカソに「彼は、われわれみんなの父のような存在だった」と言わしめたポール・セザンヌ。
2009年1月25日まで、横浜美術館で開催される「セザンヌ主義ー父と呼ばれる画家への礼讃」

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ムージックプレイ 於 北京五輪

陸上選手ボルトは、ジャマイカのクラブミュージック好きだが、
レース前は集中力がそがれるからと、コーチから音楽を禁じられている。
一方、フェルプスは、爆音で音楽を聞いて集中力を高めるそうです。
それはそうと、野球もいずれ、今回のタイブレーク方式で、ノーアウト
1、2塁からの、スタートでの5回くらいまでの勝負になるんでしょうかね。
毎回、二死満塁でスタートする日がくるかも。

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ベェイチンオリムピック(4)

中国は、人間の多さと世界の歴史を作ってきた自負から、大いなる自信を
アピールしたようね。入場行進の順序は、漢字表記の最初の文字の画数の
少ない順。いつものアルファベット順でないのも、中国のアピール。
リュウカンとサラブライトマンの「あなたと私」は、私には今ひとつ、
最近、歌がはまらないのは、私のせいか、世界の時流か。

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