08.旧)アーティスト

節制

B'Zの二人も、今や44歳と47歳。
その長き功績は、才能はともあれ、日常の節制にある。
ヴォーカルの稲葉は、2004年にのどの手術をした。
そこからの彼のストイックさは、声に関して徹底していた。

温度は、50%を保つ。
のどや体を冷やさないために、エアコンを使わない。
冷気こないように、ドアも目ばりをする。
体のトレーナーをつける。
ビール飲まない、お茶に氷を入れない。

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写真家アニー・リーボヴィッツ(4)

NYのダコタ・ハウス前に行ったときは、あたしゃ大して何も感じなかった。
この写真で二次災害のように、引き寄せられてしまい、思わず涙してしまった。
オノ・ヨーコがその日を語る。それもこたえた。
この写真は、すぐにローリングストーン誌の表紙となって世界中に衝撃を与える。
「死にゆくその日も写真を撮っていたい。なぜって、写真は永遠よ。」(アニー・リーボヴィッツ)

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写真家アニー・リーボヴィッツ(3)

今から28年前の、というか本当に真珠湾攻撃の日(68年前)、
写真家アニー・リーボヴィリッツは、“マザー”ヨーコにしがみつくジョンを撮った。
キリストとピエタのようだった。「彼女は“魂”を撮りたがっていた。」(オノ・ヨーコ)
そして、その4、5時間後のことを、私はそのまた、何時間後にTVで知ったように思う。

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写真家アニー・リーボヴィッツ(2)

「アニーは何が起こっても、自分が必要だと思ったことは絶対に諦めない。
諦めずに一生懸命に働く人、それが成功を生むんだと思うわ。」
「まず、アニーは相手をいい気分にさせられるということかしら。
相手に説得力ある言葉で話しかけるから、すごく相手を触発するんじゃないかしら。」
「ハードワークね。彼女はものすごい長時間、休みなく一週間、何年もずっと働き続けられるの。」
(監督バーバラ・リーボヴィッツ)

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写真家アニー・リーボヴィッツ(1)

ドキュメンタリー映画『レンズの向こうの人生』
幼い頃に車での移動生活。それで車窓をフレームとして見るようになったという。
「車での生活をしていたら、誰でもアーティストになるわ」と彼女は笑う。
現実の一部を切りとること。
それは、ロバート・キャパなどの従軍写真家によって知らされた。

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「ドキュメント エディット・ピアフ」

「人は決して幸せでないでしょう」
「一日10分くらい幸せ」「歌っているときね」
「永遠は私たちのためにあるの」 マルセル・セルダンを知って。
オーケストラも、コーラスも初めて使い、曲間の照明にまでこだわったという。

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指揮者 大野和士(5)

「あそこに行きますとゴールを示して、はいどうぞ、解散」と。それが理想。
あってなき存在が理想、ないかのごとくあるのが理想。
下行する。想像に近づく。解釈よりも、ヴェルディが考えていることに近づきたい。
オーケストラストライキで来ないのを、ピアノ3台で、オペラをやり抜く、
シャトレ座の奇跡。(プロフェッショナル)

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指揮者 大野和士(4)

生まれつきのものではない、そこにいるだけでオーケストラが演奏できる。
何を選択し、どこまで深め、聴衆と分かちあえるか。
何をどのようにやっていくか、先がない。ドイツ人にドイツオペラを指揮する。
「すべてにおいて相手を圧倒しなくては、人はついてこない。」
「自分で音を出さず、人に出させる。一番いい音は出せといって出ない。
その人の一番やりやすい方法で出す。」

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指揮者 大野和士(3)

4つの言語、ドイツ人にドイツ語でワーグナーの解釈を語る。
ザグレル、ユーゴスラビアで戦争。防空壕、灯火管制。
生存、脅かされたときこそ、人間である証明を欲する。
できることの限りをつくす。カリスマ、いろんな経験を積み重ねてきた集成。

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指揮者 大野和士(2)

森進一「おふくろさん」ほおをふくらますことで、ほくほくしている感じが出る。
おふくろの世界中同じ味をイタリア語で感じるため、
日本人は欧米のをすべて同じ距離、伝統のしばりに置かれない、自由である。
25才渡欧。2回集中しない音を出したら、本番でポシャる。
一対100の歯車が狂うと、つらい、さびしい、二度とおとずれられない。
集団心理だから、一度狂うと、戻らない。

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