カテゴリー「16)EiのQ&A(論点)」の109件の記事

2014年5月 2日 (金)

客観的にするために [論10-8]

 ダブルスクール、トリプルスクールのように、他でステージや歌唱、作詞作曲、アレンジ、歌曲(ジャズ、ゴスペル、合唱、ハモネプ、バンドなど)を学びつつ、ここで発声の基礎の基礎を学びにくる人がとても増えました。ここは月に4~16コマくらい(30分1コマ)ですから、それで足らない人は、いろいろと手を広げて学べばよいのです。
 ただ、3か所のレッスンに行くのと、ここで3人のトレーナーにつくのは、違います。情報の共有がないとレッスンの位置づけで迷いかねません。
 トレーナーをA→B→Cと移るとしても、同じ時期ではないので、どのトレーナーがよいなどについて、本当に客観的な比較はできません。ただ、ここのように同じところでレッスンをしたらデータが共有されるので無駄が省け、より効率的になります。何よりも、その人の声を同時に客観視できます。A=B=Cと同時に受けて、ここでは私や別のトレーナーも、データを持った上で第三者として関わるからです。
 医者は今の所見をみますが、過去データもある方がよいでしょう。ましてトレーナーは時間軸、過去―今―未来を結びつけてみなくてどうするのでしょう。

2014年5月 1日 (木)

成果、実績について [論10-7]

ここが、どこよりもすぐれているから、有名人や有名なところから人が来るというのではありません。「他に勧められるところがない」と、医者などはよく言っています。ただ、本を書いていると、そういう人が来る確率も高いのです。ここをやめた人が、そういう方のところにお世話になっていることもあるので、持ちつ持たれつ、本人にもっともよい選択ができたらよいと思っています。  来るもの拒まず去るもの追わず、私は前のトレーナーのところをやめることを勧めません。そういうトレーナーに「生徒を取られた」などと思われるのは困りますから、できたら両立できると、より理想的だと思っています。ここのレッスン以外からも気づきを得られるなら、それもよいことだからです。相手のよいところを活かせる力こそが、学ぶための力です。  そのために時には他のところのトレーナーのレッスンの意味や意図を解説してあげることもしています。かなり肯定的にとらえて、批判や否定はしません。ここでレッスンしなくてもハイレベルになる人もいますから、ここのトレーナーには「何でもここのレッスンの成果とはいえない」とも言っています。そういう人が長くレッスンを続けていらっしゃることが、ここの実績と思うようにしています。他のところでダメだった人が、少しでも成果を上げると、とてもうれしく思います。  

2014年4月30日 (水)

未知のままでの対処を [論10-6]

 声は未知な分野です。声や喉そのものがわからない(わからないと知っていればよいのですが、なまじ、わかったつもりの人が一番よくないのです)、さらに声とその人の表現との関係や必要度、優先度などが、きわめて曖昧です。トレーナーとの相性となると、もはや確かなことは何もありません。
 自信を持ってそう言えるのは、有名なトレーナーや有名な医師のもとからもここにいらっしゃる人が少なくないからです。
 海外のすぐれたメソッドを取り入れたと言う人たちもいます。しかし、海外ではともかく、日本人ではほとんど実績を出せていません。なぜ実績が出ないのでしょうか。海外で出るのに、日本で出ないのは何が違うのかを研究するのが先決なのに、何年も同じことをそのまま続けています。私の方が、そこをやめた人と、その方法の研究、改良をしているくらいです。

2014年4月29日 (火)

「有名だから」、「実績があるから」、といっても [論10-5]

レッスンの先生や本となると「無視するようなわけにいかない」と言われます。「質問してもきちんと答えが返ってこない」と、私どものところにくる人もいます。「先生には質問できない」と、ここに聞きにくる人もいます。
 私は、どんな先生も「全ての専門家ではない」と言っています。得意な分野や相手もいれば、不得意な分野もあるのです。あるいは、そつなくどれも並みにバランスよくこなすというトレーナーもいるでしょう。
 私もここのトレーナーも同じです。スーパーマンではありません。それぞれに強いものを持った上に役割を分担するというのが、ここのメリットです。トレーナーとしては、自分の武器、長所と短所を知っていることが大切ですが、一般的には、ヴォイストレーナーにそれを望むのは厳しいかもしれません。それぞれに、かなり偏っていて、それを俯瞰する意識もあまりないからです。自分に合う人しか続かないことで、より気づきにくくなります。仮にそれがわかっていても、現実には得意なところだけでやればよいというわけにはいきません。私のところは分担できますが、ほとんどのところは一人で教えているでしょう。

2014年4月28日 (月)

役立つように使っていく [論10-4]

研究所のトレーナーのなかだけでも、さまざまな見解があるのですから、十人十色、世の中には千人千色と思っておくとよいと思うのです。トレーナーでも本でも、「こういう考えもあるのか」くらいで留めておくことです。  私はどんなトレーナーのレッスンも本も、ないよりはある方がよいと思っています。それは、「役立てるのは本人であり、役立つように役立てればよい」(この違いこそがレッスンの意義です)しかし、ここにきて、「役立てられないのは役立てなくてよい」とも加えています。自分に役立たないのは捨てたらよい。しかし、本当は役立たないのは、「役立つように自分がする」あるいは「役立てられるように自分がなる」のがよいのです。  役立てているつもりで大して何もなっていない、あるいは、ほんの少ししか役立っていないのもみてきています。そこで、「自分の判断で今、役立たないと思っても『保留しておけ』、レッスンも『録音してメモして、いつかのために取っておけ』」と極めて大切なアドバイスを伝えているのです。  「よりよくする、よりよくなるためにあるものを悩みのもとにして、より悪くしている」ようにしか思えないなら、「元々、なかったと思ってなくせ」とも言うべきですね。ある分にはよいというのは、あるのもないもの選べるかどうかですから、ないものにしてしまうのも一手です。

2014年4月27日 (日)

答えを一つに絞らないようにする [論10-3]

 他のトレーナーや先生の質問までは何ともしがたい。しかし、セカンドオピニオン、サードオピニオンとして、頼っていらっしゃる方は、多くなっているので、応援するとともに「トレーナーの選び方」で考え方を述べることにしたのです。これも10回くらいで済むつもりが5年も続けています。まだ多くの質問が絶えません。  研究所のブログのQ&Aは、ここのトレーナーの回答を中心にしています。同じような質問に多くのトレーナーの回答を公にすることで学習に役立てようとしたものです。これは、一つの正答でなく、それぞれの差異から学ぶというスタイルにしています。(同じ質問を10数名のトレーナーに回答してもらったのを「共通Q&A」に入れていますので、ご一読ください。そののちに質問をくださると助かります)

2014年4月26日 (土)

一般論では答えられない理由 [論10-2]

最近は、本の他にネットのアドバイスを読んで質問をする人が増えました。研究所のトレーナーたちと開設したヴォイトレQ&Aは、一般向けに公開して、5000くらいになると思います。
 私への質問でも、一般論でなく一個人からくる質問となると、なかなか答えにくいのです。本当のところ、答えられないのです。(詳しく述べると満足はしていただけますが、安心してもらっても、頭でわかったからといって問題が解決するわけではありません)
 その人を直接みていないことが最大の要因です。
 細かく具体的な質問ほど答えるのに難しくなるのですから、直接いらっしゃるのが一番よいのです。

2014年4月25日 (金)

やれているのかどうか [論10-1]

「ヴォイストレーニングは何を信じてやればよいのか」

Q.ヴォイストレーニングを何人かの先生に習ってやってきましたが、どうも思うようにいきません。いろんなサイトでも質問して、教わりながらもやっています。いろんな本に書いてあることや、いろんなトレーナーの言うことが、かなり違っていて、どれを信じてやればよいのかがわからなくなってきました。どうすればよいでしょうか。

○やれているのかどうか

私は、そのようなことに専ら答えてきました。それは、本をたくさん出したり、Q&Aのブログをつくっているので、全国から、そういう質問がきたからです。ですから、私の考えについては、述べてきたことを(拙書、ブログ)をお読みください。
 私もいろんな方のところへ学びに行きます。声についてもっとも権威のある医師に相談に訪れたところ、あまり、医学や新しい理論、知識、科学などというものに頼らず、これまで25年やってきて、やれてきたようにやりなさいとアドバイスされました。私も同じようにあなたにアドバイスをしたいと思います。
 ただ、まだ自らでやれてきたという実績がないのでしたら、やれるようにしていくこと、そこから考えるということです。やれているのなら合っているし、やれていないのなら合っていないのです。合っているかどうかで判断しなくてはなりません。なぜなら、やれるようになるためにやるのです。正しいと思っても、それでやれていないなら、正しいなどはどうでもよい。やれていればよいということです。他人に学ぶとしたら、その判断は短期的でなく、長期的にみて行わなくてはいけないということだからです。

2014年4月10日 (木)

ステージ対応のレッスンを [論9-13]

練習は本番よりもハードでなくてはなりません。声での肉体芸術だとすると、舞踏でもスポーツでも、時間も量も練習の方が多くハードなものです。それは力をつけていく段階のことです。試合前の調整は別です。なのに、ヴォイトレで試合前の調整だけをやっていくように思われ、使われていることがほとんどなのです。このように、レッスン室がステージに対応できていないのは大問題です。
 私は、レッスンで、ここで出す声の最大の声量、最大の声域、最良の音色(あるいはあらゆる艶)、共鳴のなかから選んだものしか本番は使えないということを言います。練習で出せない声量、声域は本番でも出てこないのです。出ることもありますが、それを期待するべきではないと思います。
 練習は本番を楽しく演じられるために、その応用が自在にできるためにパワーアップしておくものだということさえ、最近は成り立っていません。
 常日頃から本番よりも厳しいテンション、心身の酷使なくして、どんなステージが務まるのでしょう。ステージ自体が緩くなっているので、こういう考えを古いというような人さえ、当たり前のようにいます。ただし、ステージでの緊張の高まりなくして客は感動しません。[完]

2014年4月 9日 (水)

丁寧なレッスンのよしあし [論9-12]

声について、丁寧に捉えるように細かく感知できるようにしていくのです。となると、レガートやヴォーカリーズを本当に弱く小さい声でくり返している人もいます。しかし、それだけは問題です。むしろ、これは声に難点がある人に対して、3~5年くらいはしっかりと学んで上達してきた人のトレーニングなのです。
 その前に体への感知力を高めることが必要です。体や呼吸がコントロールできなくては、声はままならないからです。
 一方でやや大胆に荒っぽくみえても、感情のまま、あるいは、腹から出してみることも大切です。
 一人のトレーナーのレッスンだけで続けてきて、いつまでも変わらない人も少なくありません。
 鼻から息を吸うのはよいが、そこで吸引の音が伸びる、しかも時間がかかり、たっぷり吸えずにいる、これは日本のヴォイトレに多い例です。これでは普通の人よりも大きな声が出ません。多分、声の変化、成長がほとんど感じられないでしょう。上達が声域だけを狙ったための結果として、よくみられる一例です。

 

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