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2013年11月12日 (火)

誤解、曲解のおこる理由 [論4-11]

 現場で創案された一つひとつのイメージ言語に、医学や科学の知識や言葉の定義を持って反駁するほどむなしいことがあるでしょうか。成人になってからは、さして大きくならないという肺活量ですが、「肺活量を大きくしましょう」という言葉でそうイメージさせても、結果がよければよいのです。問われるのは、現場での実績が上がっているかどうかです。
 それを、本や理論として発表すると、それを読んだ人が誤解や曲解してとんでもないことをする。そこに注意が必要だというだけです。
私の本もずいぶん誤解、語用されていますが、それも著者の理論や知識の欠如の責任なのでしょうか。もちろん誤解を防ぐ努力は、最大限に尽力すべきですから、私は、本も毎回書き改め、こういうものでもフォローしています。しかし、活字の限界というものを知らないと、こういう情報は答えでなく、問いかけに過ぎないことを知らないと、本当には何にも役立ちません。
 新しい分野であるということは、知識や科学の方がどんどんと変わっているということです。そちらの方が本当に信じこんではいけないものであるということくらいに見抜けないものでしょうか。
 勘や判断力をつけさせるために、いろんな方法、イメージを与えていくべきなのです。それを、型(知識や科学、理論)にあてはめ、「全て同じようにしなくては間違い」としたがるような人こそが、結果として、もっとも反科学的、主観的なことをしているのです。

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