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2014年1月24日 (金)

シャウトについてどう考えられます。練習やメニュはどうなりますか。 [論5-1]

「ヴォイトレにおけるシャウトの位置づけ」

○トレーニングメニュの対象とすべきものか? 

 シャウトの定義をどうするのかは、そのような唱法といわれるアーティストの声の使い方から直接推察するしかありません。
 以前の著書でいくつか私は取り上げてきました。また、アプローチや原理や説明もそれなりに試みてきました。練習に関しては、私自身はかなりの経験を積んだのに関わらず、歌やステージでの応用に留めるようにアドバイスしてきました。私からシャウトのレッスンを受けた人はいないはずです。これは直感による判断です。
 フェイクやアドリブと同じく、今でもシャウトとは教科書のようなものでノウハウを伝える対象ではないと思っています。むろん、見本、手本としても、他のことと同じく個人技扱いで、「私はこのようにしているけど…」どまりのものであるべきだと思っています。つまり、トレーナーが導くべき類のものではないということです。トレーナーが見せるべきものは、基本の感覚やイメージに直結しているもの、呼吸、基礎のデッサンまでで、歌唱や表現については、一流の実績のある人はともかく、厳密にいえば専門外ということにもなる訳です。
 むろん、プロの歌手の一人もいない村の診療所の医療と、そういうことを対象にしている医療とが異なるように、ここでは、私の研究所のことで述べているのですから、むしろヴォイトレとしても、一般的でないともいえます。「それならば、一流のアーティストから学びなさい」という、いつもの論になるわけです。
 

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