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2014年1月28日 (火)

表現効果としてみる [論5-2]

 ちなみにシャウト唱法は、サッチモ(ルイ・アームストロング)が始めたとも言われますが、あのトランペッターの名手の独得の歌い方を真似ようとして、多くの人(白人、アメリカ人)が声を壊したといいます。
 私はシャウトを人間の声と同じく音楽を損ねるが、その分、より伝わる表現の効果として考えるべきと思っています。三味線のさわり(障りと書くのは、障るということです)ほど必然でないが、ポピュラーではギターのギュイーンという歪みと似た位置づけでしょう。多用する人もいるからです。楽器はそういう音を狙った練習もできるのですが、その最初は感覚的な閃きでの即興であったのではないでしょうか。
 「人間の声と同じく」と述べたのは、歌や声は、楽器としてのレベルで必ずしも完全な共鳴を求められているわけではありません。ことばも同じ共鳴や母音の美しさを犠牲にします。それで伝えること(意味など)を重視したからでしょう。歌にことばをつけるのは、楽器の定義との最大の違いです。
 人間の声であり、しかも、ことばがのっているというところに、歌の最大のメリットがあるのです。(ボイパなどを私が研究としてしか、取り扱わないのは、楽器音のコピー以外の音こそ主とすべきだと思うからです)

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