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2014年1月15日 (水)

世界とのギャップ A028

翻って、日本では、どのようになっているかをいうと、人気がつくと歌らしくなって、ことばから離れていき、リアリティを失うため、実力のない人のレベル(主役の声や歌、音響の力も含め)で未だ“スマップ”さんたちと変わらないことをやっていても許されているわけです。20世紀半ばの基準や理想をもって、それさえ頭に入っていない観客を巻き込んでいるのが、現在の日本なのです。(でも、19世紀のレベルももう少し高かったでしょう)
 21世紀の舞台は、音響技術のおかげで日常のままにリアルになるというのは、日常での声ではあまりドラマの成立していない人たち、つまり、私たち日本人には、一見、有利に思えますが、実はより不利になることかもしれません。
 私は20年ほど前、1960年代の歌唱を範にとりつつも、発音不明瞭、声の浅く、息の弱い若い人たちの声がそのまま歌になっているのがJ・POPSだから、それはそれでよいと肯定しました。
 その2つの立場をそのままに置き換えているわけです。つまり、完全なる発声、発音、歌唱表現の訓練を積んだ上で、役柄と一体化して成り立ったところでのプロのリアリティと、その一方しか持たない、あるいは、アマチュアのリアリティ(よい意味でなく、素人の日常)が、音声の表現において、日本では見分けられないようになってしまったのであろうと思うのです。
 いや、今さらそうなったわけでなく、以前からそれに近かったし、そのようにずっと思ってもきたわけです。(これは、私の「トレーナーの選び方」や「論点」延長に展開しているので、真意を理解したい方は、ご一読ください。特にリアルとリアリティ、成り立つということについて)

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