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2014年1月

2014年1月31日 (金)

人によるといえるもの [論5-3]

 さて、シャウトをその目的や効果を考えるというところから、おかしなものです。アドリブやフェイクの練習と同じく、こういうものは、フレーズの練習は、フレーズの微妙なニュアンスが+αとなる感じ、フィーリングで行えばいいものです。よいものが出たら使えばよい、いや出たなら無にしておき、出るものを楽しんだらよいというのです。
 ですから、「ヴォイトレやメニュで取り上げるもの」としてはどうかというものと思うのです。
 この取り上げるということも、歌についてはスタイルや持っているものが一人ひとり違うので安易に言えません。誰かにベストの方法が、他の誰かにはワーストとなることもあるし、時期においても異なっているからです。
 ですから、憧れのアーティストのシャウトをまねしていたらできたという人もいるし、できない人もいるでしょう。また、見本よりもよくなった人もいれば、その時だけよくても後で喉を壊すような人もいるでしょう。

2014年1月30日 (木)

ことばは活かすために捨てる

 ベテランのアナウンサーは、1回の読みの中で4つくらいのキーワードを強調して、あとは流します。原稿が手もとに来るや否や、もっとも伝えるべきことをピックアップする能力が問われているのです。
 文章すべてを一所懸命読むと、聞く方も、すべて一所懸命聞くことを強いられます。疲れるし、さらにどこが重要かわかりません。外国語ではないのですから、大体筋さえわかれば、把握できるのです。というのなら、キーワードだけ入れれば、情報としては充分なのです。天気予報なら、雨かどうか、気温は何度か、強風や台風など、特別な情報があるのか、くらいで充分です。それを100字くらいでしゃべるのですから、キーワード以外は、流してよいのです。

2014年1月29日 (水)

能の現場 A030

 「何が足りないのですか。どう補えばいいのですか」となると、一流のプロであろうと、他の分野の人であっても、私は、一転シビアになります。海外の、初めて聞くような音楽や何百年の歴史のある邦楽などになると、表現での判断はしません。
 そこでの価値観によりそうために、そのトップレベルの作品やステージ、師匠や先達の至芸をみせていただきます。トレーニング光景を見ることができたら、とても参考になります。そして、そのとき、誰よりも私は、目でなく耳で受け止めることに集中します。
 能の謡のように、若い弟子に老成した表現を与える声を求められることもあります。それを出せるようにすると、不自然と言われます。若いのですから当たり前です。そんな矛盾のなかで、求められる声の世界と、出せる声との接点をつけていくというのは、職人の世界といえるでしょう。
 そういうときは、私は一人でなく他の専門家とともに座して聞くようにしています。元より正確はありませんが、その永遠なる世界への一歩でもアプローチできればよいのです。

2014年1月28日 (火)

表現効果としてみる [論5-2]

 ちなみにシャウト唱法は、サッチモ(ルイ・アームストロング)が始めたとも言われますが、あのトランペッターの名手の独得の歌い方を真似ようとして、多くの人(白人、アメリカ人)が声を壊したといいます。
 私はシャウトを人間の声と同じく音楽を損ねるが、その分、より伝わる表現の効果として考えるべきと思っています。三味線のさわり(障りと書くのは、障るということです)ほど必然でないが、ポピュラーではギターのギュイーンという歪みと似た位置づけでしょう。多用する人もいるからです。楽器はそういう音を狙った練習もできるのですが、その最初は感覚的な閃きでの即興であったのではないでしょうか。
 「人間の声と同じく」と述べたのは、歌や声は、楽器としてのレベルで必ずしも完全な共鳴を求められているわけではありません。ことばも同じ共鳴や母音の美しさを犠牲にします。それで伝えること(意味など)を重視したからでしょう。歌にことばをつけるのは、楽器の定義との最大の違いです。
 人間の声であり、しかも、ことばがのっているというところに、歌の最大のメリットがあるのです。(ボイパなどを私が研究としてしか、取り扱わないのは、楽器音のコピー以外の音こそ主とすべきだと思うからです)

2014年1月27日 (月)

永井一郎さん逝去 お知らせ

「サザエさん」の波平役を44年に渡り担当されていた声優の永井一郎さんが亡くなられました。

レッスン効果

今まで使っていなかった高音部を地声で歌えるようになってきました
地声のこと裏声のこと、声楽についての理解が深まりました
高いところの地声、チェンジのあたりが、少しずつ安定して出せるようになってきました(AI)

以前よりも高い確率で、声を楽に前に出す、その為の声(息)の流れる良いポジションへ当たるようになってきた(MS)

2014年1月26日 (日)

新宿シティハーフマラソン お知らせ

新宿シティハーフマラソンが今年も行われ、2020年の東京オリンピックの開催が決まり、メイン会場の国立競技場で行われる改修工事前の最後のマラソンとなりました。

強調表現で、応答のポイントを知る

○強調表現で、応答のポイントを知る

 メリハリつけのためのプロミネンスのトレーニングをします。それは、自分の気持ちを伝えるには、強調する手法がもっとも有効的だからです。これは同時に、聞く立場での理解をも高めることになります。

●プロミネンスのトレーニング
 たとえば、「私のはじめての京都での紅葉狩りです」
 これを「私、はじめての、京都での、紅葉狩り」と分けてみます。この中でどこを強めるかで、どこに一番気持ちが入っているのかが、伝わります。聞く方もそれがわかるから、反応できるのです。

 私   ・・・・あなたが?
 はじめて・・・・最初でしたか
 京都  ・・・・京都にですか
 紅葉狩り・・・・紅葉はいいですね

 相手が「はじめての・・」と強調しているのに、そこで「今年の紅葉は・・」云々と答えるのは、少しはずれていますね。「うわー、京都すごくよかったでしょう?」の方がのりますね。

2014年1月25日 (土)

自分の声について考える時間

「皆さんは自分の声について考える時間がどれくらいあるのだろう」と思ったことがあります。
15歳から音楽高校に入り音楽大学、大学院と進学し声楽の道に進み現在も続いてる自分は毎日誰かしらのレッスンを行い、稽古にいき本番を向かえ、自分もレッスンに通いという日常を送っているので自分の声について考えなかった日が無いといってもいいのですが、皆さんはどうなのでしょう。もちろんプロの方もレッスンしているのですが、お仕事をしながらレッスンに通われている方も多いので、自分達ほど声のことばかりに浸っている時間は少ないと思うのです。
そう考えると30分という時間とはいえ声に浸れるこの時間はとても大切で貴重だと思ってしまいます。
声は目に見えません。それを磨こうというのですからとても大変な作業です。
私の願いは時間の中で1分でも多く生徒さん達が自分の声について考え磨ける時間が増えるといいなと思っています。(♭Σ)

2014年1月24日 (金)

シャウトについてどう考えられます。練習やメニュはどうなりますか。 [論5-1]

「ヴォイトレにおけるシャウトの位置づけ」

○トレーニングメニュの対象とすべきものか? 

 シャウトの定義をどうするのかは、そのような唱法といわれるアーティストの声の使い方から直接推察するしかありません。
 以前の著書でいくつか私は取り上げてきました。また、アプローチや原理や説明もそれなりに試みてきました。練習に関しては、私自身はかなりの経験を積んだのに関わらず、歌やステージでの応用に留めるようにアドバイスしてきました。私からシャウトのレッスンを受けた人はいないはずです。これは直感による判断です。
 フェイクやアドリブと同じく、今でもシャウトとは教科書のようなものでノウハウを伝える対象ではないと思っています。むろん、見本、手本としても、他のことと同じく個人技扱いで、「私はこのようにしているけど…」どまりのものであるべきだと思っています。つまり、トレーナーが導くべき類のものではないということです。トレーナーが見せるべきものは、基本の感覚やイメージに直結しているもの、呼吸、基礎のデッサンまでで、歌唱や表現については、一流の実績のある人はともかく、厳密にいえば専門外ということにもなる訳です。
 むろん、プロの歌手の一人もいない村の診療所の医療と、そういうことを対象にしている医療とが異なるように、ここでは、私の研究所のことで述べているのですから、むしろヴォイトレとしても、一般的でないともいえます。「それならば、一流のアーティストから学びなさい」という、いつもの論になるわけです。
 

2014年1月23日 (木)

推量の方が疑問形より伝わる

○推量の方が疑問形より伝わる

 相づち「~でしょうね」「~ですね」「ほー」「へー」
 答えられるものだけ答えて、失礼と思われるところは流してくださいというメッセージとなります。疑問質問が、強制になってはいけません。心が伝わるには、相手がリラックスでき、フレンドリーに気楽であることが大切です。トイレも「いつもきれいに使っていただき、ありがとうございます」とあると、「きれいに使ってください」よりも協力する気になりますね。

○気持ちを探る声

 絞り込まないことも大切です。遊ばせておく余裕がないと、話はただ進行してしまうだけです。
 「How do you feel~」 あなたは、どう感じたのですか。どんな気持ちですか、どうでしたか。
・主人公として立ててあげること。
・相手のイメージをふくらませて、しゃべらせてあげること。
 婉曲に切り出すとよいのですが、ストレートに切り出せないのは、けっこう難しいですね。

●あいづちの共感トレーニング
「それで それで・・」「へえー そうか」
「うん、ためになったなあ」「あんがとー」
 とにかく切り出すのも、一つです。話すことがないのは、自分がないとアピールしているかのようです。
 他人の話で終わらず、自分のを入れましょう。
「はい」で終わらないで、一言、自分のことを加えましょう。

●ねぎらい、いたわる心をのせるトレーニング
 「・・だったでしょう」「大変だったでしょう」
 「(あいさつ)+寒くなりましたね(時候の話)+(本編やエピソード)」で一つの形にします。

2014年1月22日 (水)

「海外の歌」 A029

中国の超級女声(中国版アメリカンアイドル)をみました。今のハイレベルのアメリカンアイドルと比べると、個性があまりなくておもしろないとも思います。フィリピンやアラブのものの方がおもしろい。

アメリカンアイドルのお勧め
1. Joshua Ledet (ジョシュア・レデット) When a man loves woman(マイケル・ボルトンのカバー アメリカンアイドル2012)
2. Candice Glover (キャンディス・グローバー) Love Song(アデルのカバー アメリカンアイドル2013)
3.Jacob Lusk(ジェイコブ・ラスク) God Bless the Child(アメリカンアイドル2011)

2014年1月21日 (火)

観衆ばかり☆ V188

母音を、切り離すという練習法は、劇団四季の浅利さんが、今や劇団を超え、日本の子供たちにも教えている方法です。私は、舞台の表現としては、主宰者の好みとなりますから、口をはさまないのですが、日本語の発声や歌としての方法については、いくつか別の見解を述べてきました。しかし、アナウンサーの基礎や子供の教育に母音の口の形が入ることくらいはよいと思っています。
 声や表現というのは、少々、時間をかけていかないとわかりにくい、というか、変わらない人がいるのに対し、口をはっきりと動かし発音を明瞭にするというのは、誰もができるようになることで、その効果も確認しやすいからです。
 特に、視聴者がサウンドよりもヴィジュアル重視の日本人ですから尚更です。今や聴衆は少なく、観衆ばかりの日本人客だと私は思っています。
 いわば、すべて形、型から入るということです。顔の筋肉、表情筋さえ、あまり動かしていない人には、とてもよいことです。
 ただ、私としては、歌や芝居に表情はつくもので、トレーニングとしては、筋トレのように表情筋づくりのレベルで行うならともかく、発声や声質がチェックできないような曖昧なことになるのは避けるべきだと思います。(これは、前に「両極を極めましょう」で述べました)[完]

ランキング [論4-31]

○電車やバスの中にも、派手なスーツを着た著者の写真を全面に打ち出した広告が山のように掲げられています。そのような著者は、地道にビジネスをやってきた人ではなく、ネット広告で物を売り手数料を稼ぐ「アフィリエイト」というサービスで財をなしたと「自称」する人であったり、まだ若いのによくわからない方法で資産何億円を得た「起業家」という肩書です。なぜか、そういう本に掲載されている著者近影は、人気のラーメン店にいそうな強面の店主に似ているのです。

 また、「ハーバード」「東大」「ケンブリッジ」「外資系」「MBA」「マッキンゼー」などの「一流他大学名」や「カタカナ企業」の名前もずらっと並んでいます。本家ハーバードの授業では教えられておらず、学生は誰も知らないようなことが「ハーバード式」とされています。ケンブリッジ大学卒業生や現在ケンブリッジに在籍している研究者たちが聞いたこともないような「書籍」や「ノウハウ」がこれらの本では「ケンブリッジ大学方式」として紹介されています。
 5日間でマスターすることは絶対無理なはずの「MBA」で学ぶ内容がたった一冊の本にまとまっています。

○日本人の競争好きは、店舗に行くと、やたらと「これは売上げ何位でした」「わが社は業界何番です」と競争をあおるランキングが貼ってあることからわかります。特にヨーロッパでは店舗の壁にべたべたとチラシを貼ることは、インテリアの美観を損ねることもありますし、(日本の人は町や店舗の美観にはあまり興味がないようです)、お客さんも何が売れ筋かなどには興味がないので、ランキングなど貼らないし、だいたいどこの店舗で何がどのくらい売れているかを買う人が気にすることそのものが滑稽なのです。しかし日本では、お客さんは称されたもの=ランキング上位の者=競争に勝ったもの、を好むようです。

2014年1月20日 (月)

レッスン効果

今まで苦手意識のあった高音域が自然な響きで出せるようになってきました!(ものすごくうれしいです!!!)
低音は音を伸ばしたときに同じ音高を維持できなかったのですが、体が閉じないように、低音ほどさらに胸を開くように、無理して大きな声をださないことを意識したら安定した声が出る様になってきました!
最近、スキャットもフェイクも力みなくリラックスして鼻歌のように歌って、でもちゃんと声がきれいに響いて相手に届く様になってきているのが自分でもわかります。いままでは歌の練習をしているとのどが疲れて短時間で切り上げてしまうことが多かったですが、最近はのどを使わずに発声することが体で理解できていて、どんなに声を出してものどが疲れなくなりました。
また、歌の練習中、今のは声の響きが悪い、お腹の意識が足りなかった、とか、あくびをするような意識が足りなかった、口が横に開いている、あごが(顔が)左右に動いている、壁に頭をつけて固定して発声とか、自己修正ができるようになってきて歌の練習そのものが本当に楽しくなっています!!!(AO)

いつも一つ一つ丁寧にありがとうございます。お陰様で、少しずつですが、歌の聴き方、歌い方が深くなってきたように感じます。
(SG)

鼻で深く吸ったときの奥の部分を意識して発声すると、高音も出たのでイメージがつかめた気がした。(YN)

歌レッスンの感想

1.「頭にいっぱい太陽を」。1オクターブ半の音域で、低いところにリズムがある、シャンソンの古い時代に好まれたようなメロディとリズムを今の時代にどう伝えるか?低いところのリズム部分がもぐると、歌の明るさがなくなる。B♭のキーだと下のソからのオクターブが中心になり、音の差がつけにくいかもしれない。高いレ♭から下のファまでの音域の広い歌。一番低いところを下がりきってまた上の音に戻るのは難しい。キーを上げて、高いところを何とかしのぎ、低いところがこもらないように考えていくのが良さそう。リズム部分の練習方法は高く歌っておいて、その明るさを残して下げる。あるいは言葉として何回もしゃべっておいて、メロディの中に置く。ただ、リズムを殺すとこの曲の良さがなくなる。「低いところにリズムがある」と聞き、なるほど、それでキーを下げたら浮かれた感じが消えたのか、と思いました。楽譜を見て曲の構造を考える勉強になりました。
2.「幸せなのさ」の、なのさはレ、下のファ、シ♭の動き。低いところの半音は目立たないので下げきらないのもあり。それよりリズムや言葉がはっきり聞こえることの方が大切。
3.「Over the rainbow」出だしの1オクターブがキーGはあまり不安がないがキーA♭だと不安がある。しかし、キーGでは低い音がこもって聞き取りにくくなり、迷っていることについて。「迷ったら上げた方が良いことが多い。なぜなら、低い声には限界がある。上は出しすぎなければ、何とかなる。高い音で伸ばした時にフラットしないように。
 キーを決める時に、訳詞が「僕」のものは低めに、と単純に考えていましたが、リズムのある部分がどういう声になるのか、そうやって考えていかなくてはならないとわかりました。そのためにも、自分の声を知り、トレーニングを続けていかなくてはと思います。
(KR)

1.胸に響かせた低めの声を出すことが、不可能ではないこと。
2.仕事中の声の使い方に明らかな欠陥がないこと。
つまり、息苦しい、胸や喉が詰まる等の症状改善のためのトレーニングは、メンタル面も併せて時間をかけて模索していかなければならないこと。
3.呼吸のトレーニングも取り入れてみる。
考えすぎないよう気をつけながら、地道にがんばります。(SS)

発音アクセント中心主義 V187

アナウンサーになりたての人の発音、アクセント絶対主義の基準と、TV、ラジオ放送のベテランや一流と言われる人の語り口が一致しないことは述べたことがあります。
 ここではアナウンサーの専門である発音について述べます。ベテランのアナウンサーの能力に私がもっとも驚かされたのは、その人の出身地を当てることです。これは、科学捜査班レベルで、ときに犯人割り出しにも使われることがあるほどです。
 いろんな地方出身の人の発音アクセント矯正指導をすると、おのずと鋭くなるのでしょう。言語(方言)の特徴がわかるのと、直し方が開発され、マニュアルとなります。私どものレッスンにも通じるものがあります。発音、高低アクセントの矯正はアナウンサーに及びませんが、私も塩原先生という、この分野のオーソリティにご教示いただいています。五十音の練習文例などを集めたり、つくったり、アナウンサーの教育の基礎をつくった方です。ベテラン勢のアナウンサー、ナレーターの多くも、彼の本で基礎を学んでいます。

2014年1月19日 (日)

アナウンサーの話し方 V186

日本の共通語は、東京の下町ことばをもとにしていながら、実際は、放送のために使われているものです。共通語は、私の考えでは、NHKの編纂によって認可されたり、変えられたりしていく、どこでも話されていないことばです。(「日本語アクセント辞典」などが教典)
 日本人の規範好きの性格は、細かいところまでこだわり、制限、ルールを統一させ、全員に普及させるのに並々ならぬ能力を発揮します。全世界でNHKほど一様の基準で、アナウンサーたちだけがことばを扱っているような国はないでしょう。列車の発着時間と同じくらいに几帳面なのです。(ちなみに、フランスなどは、全国民に自国文化や言語を大切にするための制約があります)
 世界でもこんなことができるのは、他にドイツ人くらいで?頑張っているのは北朝鮮くらい?でしょうか。これは明らかに先に述べた標準語としての理想化です。
 私はNHKのアナウンサーともいろいろ関わってきましたし、今は技術者で、ここに通っていらっしゃる人もいますが、アナウンサーのように話すという基本は、民放のパーソナリティは別として、声優、朗読家の人にもけっこう共通しているものを感じます。そこから離れる苦労を先日、松平定知氏の本で読みました。

声での気持ちのやりとり力こそが表現力

表に現す力には、踊りやしぐさ、表情などもあります。しかし、ことばについては、声を使うことになります。あなたの楽しかった思い出は何でしょう。人とワイワイと心地よく、話をしているときではないですか。あっという間に、楽しいおしゃべりの時間は過ぎていきます。
 ことばで伝えたいことは、メール、手紙にもしたためられるし、プレゼントで表すこともできます。
 しかし、手を握ったり、ハグのように、相手の心身と関わり合うのは、会わないと無理です。でも、声は電話やCD-Rやメールの添付でも、使えるようになりました。ことばの中の声(振動)の気なのです。

 映画館で、ヒーロー、ヒロインに恋に落ちる人は、ストーリー、ルックスだけでなく、座席の下から伝わる声の振動にも、心が揺すられているのではないでしょうか。男性の低く太い声、女性のハスキーな声にひかれるのも、そういう空気の揺らぎに一因があります。

2014年1月18日 (土)

自分にあった声の出し方を考える

世の中、便利になりヴォイトレの情報が多すぎるのも問題だなと思うこともあります。
息を吸うという生き物として当たり前の行為ですら人によって意見は様々で多種多様です。発声は声楽家という一つのジャンルの中ですら統一されていませんし歌い手同士でけなしあっているのが現状なのですから一般の人がみても余計混乱してしまうだけなのではないかと思ってしまいます。
息も声も目に見えないだけに好き勝手な言葉がいきかっていますがまずは身体に楽で自分が出しやすいと思ったものを選択したほうがよいと思います。
なぜか多くの人が身体を固めて負荷がかかるほうを独学でやろうとするので。人間言葉も身体も育ってきた環境だって違うのですから自分にあって方法というのがきっとあると思います。自分にあった自分らしい声の出し方を見つけていきましょう。(♭Σ)

英語や日本語を簡単にする V185

共通語は、現実のコミュニケーションのために使うものと言いました。今のところ世界の共通語の位置づけにあるのは英語です。中国語やスペイン語を使う人も多いのですが、国を超えたところで話せることばとしては、特にインターネットなどにおいては、元から使われているから、英語が有利ということになります。
 とはいえ、他の人が学ぶには、英語は、かなり複雑でいい加減なルールの言語ですから苦労します。こういうときはエスペラント語ではありませんが、シンプルなルールの共通語に英語を変えていけばよいのです。たとえば、使う英単語は1500語以内を目安にするということです。
 日本語でも海外の人が学びやすくするためのグローバル・ジャパニーズというようなものを提唱する人もいます。しかし、こういう場合、言語は文化でもあるので、変えてはいけないという保守的な人々の大変な反対にあうのです。そのおかげで、漢字も日本語も生き残ってきたのでもありますが、外国人向けには、読み書きに難しい日本語を制限して2000語くらいで通じるようにするとよいでしょう。それは、日本語のネイティブである私たちこそ、その区分けを覚えるべきなのです。それを知る外国人とは、その制限下で話せば、すぐにコミュニケーションがとれるからです。
 いや、日本語がすぐうまくなる外国人の心配よりも日本人の心配をすべきですね。外国人とは2000語以内で話す。ですが、日本人とはこれまで通りに、であり、日本語を2000字だけにしろと言っているのではありません。

2014年1月17日 (金)

歌レッスンの感想

1.ブレスの練習だけでレッスンに臨みましたが、実際声を出したときに自分の声に驚いてしまって焦ってしまいました。やはり声を出す自主練習も必要だな、と感じました。
2.指を挟まずに「ホ」の口で発声ができるようにすること、深呼吸のような深いブレスが今一番の課題だということが良く分かりました。
3.低音域については、息を吐きすぎてしまうというという指摘と、息を止めたイメージでというアドバイスを受けて、少しコツが分かったような気がします。(SW)

1. 喉が上がって声が浮いてくるので、声をお腹に埋め込む感じで、下の方に向 かって出す。オー (ドレミレド) しゃくりあげない ポッ ポッ ポー ブ レス をたっぷりとる 
2. 口を閉じて鼻から深呼吸(ドレミレド) 口の奥の天井が上がっている 
マックシェイクを吸っている感じで
3. 舌を天井の柔らかいところにつける  エー (オーの発声) (ドレミレド) 口はタテに 最初はこもる感じがするが、響きやすい音にする訓練 歌の 練習 の前にもこの舌の位置で一曲分発声した方がよい  
4. 肩の力を抜くために、背泳ぎのように肩を回す(SI)

語学学習のコツ V184

教えるということ、伝えることでもよいのですが、これには二つの必要条件があります。まず、「自分が、あることを知っている、できること」、です。あなたが日本語を教えるとしましょう。すると、あなたは日本語を知っていて、できる(話せる、書ける、読める、聴ける)ことが必要です。
 日本で育った日本人なら、日本語は知っているし、できます。でも、それを教えられるか、伝えられるかというと、「それについて相手が、どう受け止められるかを知っていること」が必要になります。
 アメリカ人になら、あなたが英語を話せると、かなりスムーズに日本語を教えられます。でも、アメリカ人ばかりに教えている人が、中国人を教える相手にすると苦労するでしょう。
 つまり、相手の言語を知ることで、それと異なる自国語の特殊性がわかります。そこの違いから切り込むと、効率よく教えられるようになります。
 単語、文法、発音、リスニング、説明などに分けて分割するのは、共通化、ルール化して法則を覚えることで、学びを効率化させるわけです。方言しか話せない人が共通語を学ぶときも同じです。それぞれにグレード、難易度をつけて、簡単な方やよく使う方から入るのもノウハウです。

声の色 [論4-30]

○声の色 五十嵐喜芳

「美しい声の人はたくさんいます。でも、その声を聴き、感動する、そう言った声の中に色が出てくる、そういう方は本当に数が少ない」「本当に自然な発声で歌う」(ティート・スキーパについて)「もう出来上がったというのはないのですから、声には」

○腹から出せ 野村萬(私の履歴書)

 「声は大きく、腹から出せ」と怒鳴られては、何遍もセリフを繰り返させられた。(中略)
 舞台に立つものになるのは声と体だ。悪声とか声量がないと苦労する。しかし父は「声のいいヤツは声に溺れて小器用に傾く弊があり、悪声の者は習得したことをよく守ろうとし正しく謡うので、結果として美声家をしのぐケースが少なくない。苦しんできた声には妙味がある」と言っていた。

2014年1月16日 (木)

同じワードを同じ調子で繰り返さない

 かつてサッカーのゴン、中山雅史さんは、試合後のインタビューで、ほとんどを「そうですね」で返していました。今はボキャブラリーも豊かになりましたが、単調に続かないように、少しずつ調子を変えてみることです。
 ちなみに、よく使われる「大変ですね」「違いますね」も、「言っていません」「知りません」も、よいイメージではありません。それでも、明るくいうと、かなり違ってきます。

●気持ちを伝えるための共感ワードのトレーニング
 「いいなあ」「よかったですね」「おつらいでしょう」「しんどいですね」「困りましたね」
 こういうことばのトレーニングほど、声が変わってくるものはありません。

「グロービッシュ」の登場 V183

 最近、出てきたグロービッシュということについて述べます。これは、標準の言語などは一つに決めることも示すことできないから、誰でも使えるように簡易なレベルにして共通範囲を決めましょうということです。その代り、若干、文法、ルールが省略化され、現実のものと異なります。しかし、健全なアプローチといえるでしょう。ことばにはどちらが正しいかわからないものもたくさんありますから。ネイティブスピーカーでない外国人が使うのに寛大ということです。
 日本でも地方に住む人には、共通語などは外国語と同じで、一生話さない人もいるでしょう。東京でも関西弁で通している人も少なくありません。一方、東北などの人は方言にコンプレックスを抱き、小さい頃から、日本語のバイリンガルとなろうとしていますね。
 グロービッシュは、イングリッシュとグローバルからの造語です。英語を母国語としていない人のための英語体系です。シンプルな言語体系にして、コミュニケーションに使えることをメインにしましょうということです。
 私も、50カ国以上の旅まわりを、英語とジェスチャーと筆談で乗り越えましたが、ネイティブなニューヨーカーに対しては、今でもビギナー同様です。加減を知らない人は恐いもので、ネイティブで日常的に英語を使っている人は、英語が使えない人のことがわからないのです。私などは、自分と同じく第二言語、第三言語として英語を使っている人との方がスムーズに英語でコミュニケーションをとれるわけです。

2014年1月15日 (水)

歌レッスンの感想

1.「ラレラレラレラレラー」ドミレファミソファレドーで。最後伸ばして。
身体が胸像の感覚、上半身が下半身にふわっと乗っかっている。
ラーで身体の一番下のラインは留まったまま上はふわーっと上がる。口がふわーっと開いてくる。
2.腕でくるんで。
高音域の伸びている感じが中音域でも出ると良い、どこまでも伸びて行けそうな感覚。
中音域の方がどうしても声の方が強くなるので、高音域の裏返って空気がたくさん流れる感覚を
中音域でも出せるように。
3.翼をください
もう少し顎を引く、頭を包む。頭の後ろから前方にアーチ型にふわーっと出る。
低音は強く出さなくて良い、柔らかく。
まだ少し止まっている感じ。
抱えている腕を下ろしても包んでいる感覚のまま。
身体の一番下のラインはよいが上に広がる感じがまだ少ない。口をもっと開けていって。
「くださーいー」の「いー」も開いていく感覚で。
伸ばしているところで気持ち良さを味わって。
「ゆきたいー」の「いー」が開いていく方向にちょっと偏っている、
「い」とちゃんと言うプラス開いていって。
今伸ばしているところをテンポ通りに歌う時は、今自由に伸ばしているものを
テンポに合わせてずらす、ずらして伸ばす、今後その練習もする。
指圧師が少しずつ丹念に身体をほぐしていくように、身体のあちこちの力みを一つずつ丹念に取り除かれている気がする。(OK)

世界とのギャップ A028

翻って、日本では、どのようになっているかをいうと、人気がつくと歌らしくなって、ことばから離れていき、リアリティを失うため、実力のない人のレベル(主役の声や歌、音響の力も含め)で未だ“スマップ”さんたちと変わらないことをやっていても許されているわけです。20世紀半ばの基準や理想をもって、それさえ頭に入っていない観客を巻き込んでいるのが、現在の日本なのです。(でも、19世紀のレベルももう少し高かったでしょう)
 21世紀の舞台は、音響技術のおかげで日常のままにリアルになるというのは、日常での声ではあまりドラマの成立していない人たち、つまり、私たち日本人には、一見、有利に思えますが、実はより不利になることかもしれません。
 私は20年ほど前、1960年代の歌唱を範にとりつつも、発音不明瞭、声の浅く、息の弱い若い人たちの声がそのまま歌になっているのがJ・POPSだから、それはそれでよいと肯定しました。
 その2つの立場をそのままに置き換えているわけです。つまり、完全なる発声、発音、歌唱表現の訓練を積んだ上で、役柄と一体化して成り立ったところでのプロのリアリティと、その一方しか持たない、あるいは、アマチュアのリアリティ(よい意味でなく、素人の日常)が、音声の表現において、日本では見分けられないようになってしまったのであろうと思うのです。
 いや、今さらそうなったわけでなく、以前からそれに近かったし、そのようにずっと思ってもきたわけです。(これは、私の「トレーナーの選び方」や「論点」延長に展開しているので、真意を理解したい方は、ご一読ください。特にリアルとリアリティ、成り立つということについて)

標準語から共通語へ V182

「標準語」ということばはstandard language、岡倉由三郎が最初に用いました。(1890年)それが東京語に準拠することになったのは「口語法」(1916年、国勢調査委員会)によちます。とはいえ、最初の国定教科書「尋常小学読本」は1904年、すでに口語体の文章でした。これがラジオ放送(1925年)の開始で普及するとともに、整えられていったのです。私は、飯田橋の凸版の印刷の博物館で、いくつかの教科書をみましたが、よい勉強になりました。
 「共通語」とは、異なった地方の人々が意志を通じ合える言語です。これは、common languageで、第三の言語と考えたほうがよいでしょう。現実としては、私たちは共通語を使って話しているといえます。これが、東京で一般的に使われていることばとは、必ずしも一致しないのは、NHKのアナウンサーを聞いたらわかりますね。
 標準語というのは、理想的で人為的で、上からの押し付けのような感じがあってか、使われなくなってきたのでしょう。最近は方言も復活してきて、方言と共通語のような対比で使われています。

2014年1月14日 (火)

江戸の語から共通語に V181

 一対多で話すと、おのずと講義調、説教調、演説調のようなスタイルが確立していきます。これは、今の報道、ニュースをみてもよくわかるでしょう。調から体へ、「だ」「である」とか「であります」「ございます」なども文体を経て、話のスタイルができてくるのです。
 問題は、この江戸の語が全国に広まり、共通語になっていくプロセスです。
 明治になり、欧米に追い付くために、日本語は「ローマ字」で統一しようという論議もありました。漢字は知識人によって多く用いられていたので、福澤諭吉は、「漢学制限論」を説きました。
 その後は、漢文直訳体の仮名まじり文から言文一致、つまり、話しことばと書きことばの一致への運動になるのです。
 明治20年代、二葉亭四迷の小説「浮雲」の「だ体」、山田美妙の「胡蝶」の「です体」が、代表例です。それには、江戸落語を大成した三遊亭圓朝の影響があったそうです。彼の「牡丹灯籠」などは速記によって出版、大ヒットしたといます。

本質の再把握から [論4-29]

和田アキ子も尾崎紀世彦も大きな声でした。それゆえに、声の調子もしばしばよくなかったというのであれば、声の調子のよい、すぐれた歌唱力を持つ人を育てることでしょう。
 生涯伸び悩む人は、せっかく追いつこうとし、努力しているのに、それゆえ早く限界をつくって、そのワクのなかで満足してしまいます。やたら科学や理論ということに頼るようになります。それは、ときとして、さらに本質を見失わせ、その人の本当の発展を妨げることになります。
 +αとして科学の発達とその計測という手段には大いに期待したいものですが、その前にやれることがたくさんあります。やるべきことをやらずに使っても先人のレベルを超えることはできません。また、使うとしてもそれを全面的に頼るのはおかしなことなのです。

2014年1月13日 (月)

成人式 お知らせ

成人の日を迎えられた皆さま、おめでとうございます。

去年は雪の中での成人式でしたが、今日は快晴に恵まれました。

レッスン効果

しっかりした呼吸が大事ということを実感してきた。昔、歌った訳ではないのに1度だけ「呼吸が浅いね」と言われたことがあった。生まれてからこの方の日常の呼吸も大事だったのではないだろうか。だからBVTはBreathが先にきているのだと妙に納得した。呼吸は日常絶えず意識出来ないので毎日トレーニングが必要なことも。まだ途中だがこれからが大事だ(FZ)

出だしで息を吸ったときに口腔を大きく膨らましておくことで、息の流れに乗って声が自然に出る上、口腔を広く保てるためにフレージングも噛まずにはっきりさせることができるようになりました。
(YD)

口が横などに開きすぎなくても、シンプルな口の形でアもオも言えるんだなと体感できました。おそらく私は普段喋る時に必要以上に口を色々動かしているんだなと思いました。
ルプトゥクのトゥは、録音を聞いてみると、アドバイス頂いた通り、「ツ」に聞こえているので、発音も気をつけていきたいです。
息のトレーニングをするようになって、体が目覚めやすくなりました。スーと息を吐くことなどを通して、お腹から息を吐いてるんだなーと実感できる様に少しずつなってきて、それが嬉しいです。
体の前で指で縦の楕円形を描き、腹から息をかきだすイメージと言うのも分かりやすく、不思議ですがそれをすると、息がより吐けているのが実感できました。(OY)

歌レッスンの感想

口を開けることに集中すると顎に力が入り、やわらかさを失い、脱力すると軟口蓋が下がってしまうこと。
響きを下の方にもっていくと顎はやわらかくなり、声も息で押せるけれど、口の天井が低くなってしまうこと。
3.課題
口の開き方が上下のどちらかに偏ってしまっていること。
口の天井を高くするにつられて舌根も上がってしまっていること。
顎を硬くなってしまっていること。それらの改善。(MH)

1.息を吸うときに天井高く次の音を準備しておく 自分では細くて頼りなく感じるところ
2.自分のほうに引き寄せるのじゃなく遠くへ前へ飛ばす
3.トレーニング中の口の開け方 喉の開け方 身体の使い方を覚える
正しい発声ができていない時の声に気付けるようになりました。今後、はじめから正しい発声をできるように身につけていきたいです。
(MZ)

「アエアエ」という発声練習で、アの口でエと言うつもりで、舌を下の歯の裏に付けたまま発声するようにすると、苦手なeの発音がやり易かったです。
軟口蓋の後ろ側を使って声を出すことを、これから更に身に付けていきたいと思います。
身体を使って歌わないとレガートにならずに、音がはねてしまうので、身体を使っての発声を身に付けたいと思います。(TO)

共通語の誕生 V180

 日本ではずっと、中央は京(京都、奈良)でした。それに対して、近世に取って替わったのが、江戸(東京)だったわけです。ちなみに、江戸でも初期の頃の文芸、井原西鶴の浮世草子、近松門左衛門の浄瑠璃などは、上方のことば遣いでした。江戸、武士、男ことばなどは、荒っぽく粗野なイメージだったわけです。
 それが、江戸歌舞伎や洒落本を経て混合していき、19世紀の文化文政以降、滑稽本、人情本では、江戸語といってもよいほどの完成を遂げます。公家、僧侶から町人、庶民階級の人々のことばに変わっていくのです。
 一方、大衆を相手にする語り口は、平家物語の頃から、ずっと受け継がれてきたと思われます。森岡健二氏によると、今の標準語が成立するまでのプロセスは次のようになります。
1、 抄物(経文、漢語、古典の注釈)
2、 江戸講義もの(漢字、国語)・説教(仏教)・道教(心学)
3、 明治講義もの
4、 演説

2014年1月12日 (日)

感激ワードの声風味

○感激ワードの声風味

 決して声がよいとはいえなくとも、明石家さんまさんのテクニックは、こののせ方にあります。
 「そうか」(同感)
 「そりゃ、ちがうやろ」(つっこみ、客との同感)
 「ズコーッ」
 オーバーリアクションの連続で、ゲストをのせていくのです。
 話の中から、一つひとつきめ細やかに選び、最大限の反応を返してあげているから、素人の子でもTVなどでしゃべりにくいことさえ、ペラペラと気持ちよく話してしまうのです。

○意図を知るためのさぐり声

 あいづちの応用です。
 「フーン」「はあ」「そりゃ、ひどいね」「超バ」

 私たちがドラマで泣かされるのは、人の死、しかも他人の犠牲によるシーン、そして人の気持ちをとことん、我が身のように思いやるシーンです。かつて、日本の両親は、子供に優しい子、人の気持ちや痛みがわかる子に育てと願っていたのに、この50年、自分さえよければよいという風潮に家庭も学校も社会もなってしまいました。残念なことです。

○同じ返答でも声を変える

 おうむ返しは、一度や二度ならよいのですが、その先は、それが分からないように、声でうまく演出しなくてはよくないのです。
 相手がのらなければ、こちらでのってみせることです。こちらが明るくすれば、相手も明るくなる。こちらが元気にすれば、相手も元気になるのです。

日本語の遍歴 V179

日本語は、ざっと総覧してみると、万葉の頃は、歌垣として、情愛の声での呼びかけでした。(歌垣は、言霊という呪術的な力の働きが加わるとはいえ、今のコンパのようなもの)その後、お上の勅選和歌集あたりでは、選者が、墨をつけて記述していきました。
 ぱっと思い浮かぶのが、紀貫之の土佐日記「男もすなる日記というものを…」というカバちゃんスタイル、女装や女体、いや、女性体、女性語で書かれたものが「かな」文字です。
 話すときのことばと、書くときのことばは、区別されていたのです。和語(「よみ」)と漢語(「こゑ」)と呼ばれたこともあったようです。
 その後のことはともかくも、公家、武士、僧侶や女房(女性)、幼児と、使う人によってことばは異なり、ややこしくもあったわけです。しかも、中央と地方とで全く違います。このあたりは世界の国々でも、村一町―市―県や州―国などという全国統一のプロセスで変わっていくのと同じです。

2014年1月11日 (土)

レッスンの出席率と実力向上

基本的にレッスンの出席率と実力は比例しています。人間皆仕事しています。何かしら用事をこなして生きています。当たり前です。出席率の悪い人は仕事、家庭、体調。大体この3つを理由に欠席します。
しかし忙しくてもやりくりして毎回レッスンに来ている人はいて、確実に実力を伸ばしています。教える側も定期的に来られる方は前回何をやったかを覚えているので効率のよいレッスンができます。
もし声をつかうことが仕事になった時そんな簡単に仕事を休めるのでしょうか、体調不良といってキャンセルできるのでしょうか。人間だから体調を崩すこともありますしどうしても仕事が抜けれないこともあります。しかしレッスン一つまともに来れない人に声の仕事は無理です。理由は簡単です。歌手も役者も声優もナレーターも代わりはいくらでもいるからです。皆自分のイスを守るために必死で技術を磨いて更に自分を高めるために必死です。
プロをめざしていながら無断で休むような人はこのことをよく考えたほうがよいと思います。(♭Σ)

ネットと世間 V178

世界に有数の、日本の、質はともかく、数を誇るブログや掲示板などへの無記名の書き込みは、よくも悪くも昔ながらの「世間」の存在を感じさせます。私のように常に読み手と向きあい、匿名で文章を書いたことのないものには、少々理解しがたいこともあります。
 そのエネルギーには、よい意味では「読み人知らず」のような習作、俳句や短歌づくりのような、日常にある文化の定着を感じますが、一方、悪い意味では全国版、日本語ですから、全世界にはちょっと無理の、井戸端会議のは安氏です。ただ、そこに集うのは、およそ同じ層の似た思考の人ですから、そこで論議を重ねていくのはどうなのでしょう。会っているなら悪友でもよいのですが、匿名で吐き出し合う、ときには罵り合うだけですから、自分の成長になりません。(でも全く吐き出さないよりはよいので、その後にそこにとどまるか、次の一つ上のレベルへ抜け出せるのかの差ですね)
 成長したい人は、私もその一人ですからそうしてきましたが、もっと自分に役立つことに時間と頭を費やすことです。類は友を呼ぶで、自分のエネルギーを累乗でマイナスにしないこと、自分を高める人との交流に使うことです。
 見たり聞いたりするだけでも、悪い方に疲れるから避ける。そういう感性がないと、引き込まれてしまうのでしょう。不満こそ、身の内にためて作品や仕事へ昇華させた方がよいと思うのです。そんなプラス思考の人はそういうのは読まないのでしょうが。

2014年1月10日 (金)

研究所の目印 お知らせ

研究所へは、この飾りを目印にいらしてください。

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歌レッスンの感想

1.高音部で裏返るのは高い音域を持つ人でもありえること。裏帰ってもそれは時の運と割り切ること、「あそこ惜しかったね」という印象にもっていくほうがベター。ずるずる引っ張って全体的に聴けたものじゃないようにならないようにすべし。
2.「抑揚」を付ける、とは、声のボリュームをハッキリ聞こえないほどにして落差をつけることではない。小さくしたら聴こえない。
3.舌を平らに。舌が盛り上がると発声の邪魔。普段どおりにしていれば舌が隆起することはない。どうすればいいかというと、意識せず脱力すればいいだけ。(BB)

1.発声の時にいつもよりも息が流れる感覚がありました。
2.後頭部を意識すると深い声がでることがわかりました。
3.声を自分から離すと体の力みが減ると気づきました。
発声したあとに息が体から流れていた感覚がありました。(KK)

文字への思い入れ V177

 私は欧米のことばにやや近い感覚のものとして、これまで関西弁、広島弁や博多弁などを挙げてきました。音声以外の日本語の研究はいやというほどあるので、興味のある人は、そちらで学んでください。それは、言語で文字によって表せるものなので、書物で学ぶのにピッタリだからです。
 文字の発明、紙の発明、印刷の発明、本の発明、それ以来、研究というのは、ペンで綴られ、読まれてきました。欧米ではアルファベットのタイプライターの発明で、飛躍的に多くを記録し、伝えることができるようになりました。(日本ではワープロの開発、普及を待つのにかなりのタイムギャップが生じました)
 一方で、音声は、20世紀のレコードとラジオの普及、21世紀に入り、マルチメディアであるパソコンが普及して、利用も研究も本格化しつつあります。
 日本人は、特に文字に対して大きな思い入れをしてきたのです。これは私が思うに、常に翻訳を絶対条件としてきた輸入文化ゆえの宿命でした。しかし、元はといえば、日本人のビジュアルへの鋭い感性のために他なりません。(欧米にもフォントはありますが)韓国や中国のように、伝達の効率を重視した文字の改革などはあったにせよ、そこそこにセンスよく守られてきました。それは現代においてさえ、絵文字、記号など、新しい発明が、一般のレベルでどんどん行われ、飛躍的に改革されています。今やカタカナ、丸文字を超えて、新たなる日本語の開発のスピードと量には、私も驚くばかりです。

プラシーボ [論4-28]

理論や知識は+αで使うべきものであり、その前提として、心身の条件、状態を整えるだけでなく鍛錬がいると思えます。今の歌手の喉は昔の歌手ほど、心身共に鍛えられていたレベルに到底達していないとするなら、そこを補うところからスタートです。
 それなのに、心身が使えないゆえに心身のリラックスがヴォイトレのメインとなり、ちょっとした科学的な知識や理論がプラシーボとして大きな効果(マイナスをゼロにする)をあげているというのなら笑止千万です。こうしたトリックの中に関係者の多くが巻き込まれるということに気づくべきだと思うのです。

2014年1月 9日 (木)

トレーナーのイス お知らせ

スタジオにあるトレーナー用のイスは、各スタジオのカラーにあわせているのですが、今回イエローを用意したところ、目の覚めるような色合いのが届きました。スタジオがより明るくなった気がします。

疑問と感心の表現

●疑問を表すトレーニング
 「エー」「本当ですか」「そうですか」

●感心を表すトレーニング
 「すごい」「さすがー」「疲れたー」「お疲れ様」「感激!」「うれしい!」

○「喜び」の活用トレーニング☆
喜怒哀楽の気持ちをさらに声にのせる
 このことばをそのまま読んでもよいし、ひとつのことばを読むときにイメージしてみるのもよいでしょう。

この上ない喜び 得がたい喜び 美しい喜び 新鮮な喜び 熱心な喜び
有頂天な喜び ほとばしる喜び 驚きに近いほどの喜び 恐怖がそのまま輝くような喜び
ひくひくするような喜び まぶしいような深い喜び 魚が水に遭ったような喜び
野獣が山に放たれたような喜び 旱魃に慈雨を得た百姓のような喜び
喜びが大きい 喜びが生まれる 喜びが兆す 喜びが湧く 喜びがこみ上げる
喜びがあふれる 喜びが流れ出す 喜びがしみ込む 喜びが伝わる 喜びが輝く
喜びを覚える 喜びを味わう 喜びを感じる 喜びを抱く 喜びを浮かべる
喜びを堪える 喜びを膨らませる 喜びを得る 喜びをそそる 喜びをもてあます 喜びを微笑む

限界の対処へ V176

 トレーニングを行うのは、「限界を知るため」です。限界というのは、メンタルとフィジカルともあります。最初に声を出して、このあたりが限界というのは、まだ自分の思い込みです。これをメンタル0、フィジカル0とします。そのまま、あるいはリラックスしたり柔軟をするとメンタル-1、フィジカル-1、トレーニングを受けるとメンタル-3、フィジカル-3くらいになります。
 特にビギナーは、やっていないのですから、初めの状態が変わると、その日でも3ケ月くらいでも、10~30%くらい(何をもってかも、この数値も適当ですが)、実力はアップします。そこを最初の限界としておきます。
 それを大きく変えたいなら、「体から変えること」と言っています。この数値を声域か声量だけでとるのは、本当は、あまりよくないのです。優先したいものにバランスが偏るからです。そうすると、高い声ばかり出そうとすると声量が出なくなるし、声量ばかりこだわると声域は狭くなります。

2014年1月 8日 (水)

歌レッスンの感想

1.歩きながら発声「マ」「マモマ」
 ・いい声を出すより、息をはいて出す。
 ・楽に。力を抜いて。肩をまわしながら。
2.腰かけて発声「マママママ」
3.コンコーネ16番
 ・クレッセンド
 ・高音で開かずに絞る。高音でのどがあがらないように。
 ・ぷつっと切らない。
4.「太陽がいっぱい」のテーマをマとルでうたう
  ・ルで奥が開いている・
5.アニー・ローリー「マ」「ル」英語
 ・音が上がってくる時に絶対にのどを上げないように。
 ・「ル」で絞らない音で。
 ・譜面を覚える(MR)

21世紀の歌 A027

 私見としては21世紀の求める表現としてのあり方が、主役級の歌に示されていたとみました。つまりは、私の求めるスケールの大きさや仰々しい表現力を、歌声でみせるのでなく、ことばのままに伝えることを優先したのでしょう。
 そのための新しい試みが2つあります。
1、 歌を録っておいて演じるのでなく、リアルに現場で録る。(歌もせりふも)
2、 その表現(ピアノとのアドリブ)を変えずオーケストラの譜割り(原曲)を変えて歌に合わせる。
この2つで私が不自然に思い、遠ざけていたミュージカルを自然にするために最大の障害を技術的に取り去ったわけです。(それゆえ、アカデミーの「録音賞」獲得なのでしょうか)つまりは、リアルなことばと歌とのギャップ、あるいは、普通のことばとせりふとのギャップをなくしたのです。
 そこが主役級3人と脇役との違い、実力差というよりは、演じ方での違いですが、21世紀と20世紀の違いであると、日常のリアリティと舞台のリアリティを等分に配した興味深い試みと、世界中で私だけしか考えないであろう独善的な解釈を述べておきます。 

日本語は会話向き V175

 日本語は、対話型のコミュニケーションには、不向きな言語です。すでに関係ができている相手に伝えるには、うまく使えるのですが、初対面、特に1対多では、混乱しやすくなります。日本では大人でも人前で話すのが不得意な人が普通でしょう。
 主語を出さず、受け身で婉曲に伝えるようにするからです。伝えるよりは、相手が察していくようなもので、かなり「ハイテキスト」なコミュニケーションといえます。
 言ってみれば、誰でもが知り合いの同郷の徒、つまりrural(田舎)での交遊のためのものなのです。今、使われてよく批判されている「…にほう」「…から」「…とか」という、方向でぼかす婉曲表現も、その一つの例です。主体性に欠ける自己責任を問わない社会、匿名、世間、派閥といった、集団を中心とする社会の特徴がよく表わされているのですね。

2014年1月 7日 (火)

対話と会話 V174

 「日本には会話しかなく対話がない」、と言われてきました。対話とは、第三者を念頭においた対談を考えるとわかりやすいのでしょう。1対1で話していても、それがその2人の中で完結するものでなく、他の人が聞いてわかる、つまり、映画の冒頭の出会いのシーンのように、観客がいても、そこへの説明が同時に確立しているようなもののことです。簡単にいうと素性を知らないもの同士の話のスタイルです。
 私はワークショップでは、1対多で、そのなかの一人の相手に語りかけるようにしています。そのときに、常にその人だけでなく、その人を通して他の人に伝えようとしています。これは対話です。
 時間的制約があるのと、1回きりのケースなどでは、初対面で何の事情も知らない相手の前で進行しなくてはいけないからです。むしろ、全員に語りかけても伝わりにくいことを、伝わりやすくするため、もっとも適切と思われる候補を選んで、その人をだしに進めていくという方が本当のところでしょう。
 このように1対多では成り立たせなくてはいけないことが、1対1でもそうなっているのかというのをみると、それが会話か対話かわかります。親しすぎるなかでは、多くのことが省かれて会話となります。

未熟な音声発声分野


 何事も知ることは悪くありません。しかし、解剖された喉頭は死体で、つまり、この研究所においてある3倍の喉頭模型と同じです。生理的でないのです。ここを引っ張るとこういう声が出ると言っても、あまりにシンプルな働きしか見せられません。
 いかに科学的に実証できなかろうと、先人たちは何ら科学的な手段なしに、偉大な歌唱や音声芸術を生み出してきました。
今やスポーツは科学なしに教えられませんが、芸術、少なくとも音声、発声については、過去を凌駕したなどと言える人がいたら、学者、トレーナーでも誰でも教えてほしいものです。

2014年1月 6日 (月)

歌レッスンの感想

1.ハミング(ドレミレド):
2.首のストレッチ:首を伸ばすときに背中を丸め、息は首や肩の凝っている箇所に向けて吐く。
3.アエアエアの発声(ドレドレド:エで舌を出す):口を欠伸のように縦に開き、鼻の両脇で上唇の両端を吊り上げるのが基本
4.マメミメマメミメマの発声(ドレミレドレミレド):舌を目一杯出したとき、欠伸のときと同じ口の広さにする
5.アとオの中間の発声(ドレミレド、ドレミファソファミレド):顎の蝶番をだんだん緩めてゆく
6.楽曲「赤とんぼ」:特に母音が大きく変化するところも、途切れないように腹で繋いでゆく
首や肩の凝っている部分に息を吐くイメージが、凝っている部分を本当に緩めました。(YD)

レッスン効果

喉を強くすること 結果  最近は一時間の自主トレの後でも あまり喉が疲れません。そして無理に力を入れて発声しなくても、わりと大きな声を出すことが出来ます。特に苦労をしていた高音域がきれいに出ます。息のトレーニングを重ねた結果だと思います。それから、毎日気を付けることなど細かくご指導頂いているので、体調が良いと思います。これも大切なことですから その点先生に感謝致します。
音楽は苦手でした、歌謡講師として 幾人かの方々に 新曲のレッスンをしていても、細かいところで音が外れたりすることがありましたけど(大体少し浮いていました)それが無くなりました。先生の、浅いところから声を出すと声が浮いてしまいます。というお言葉を頭に入れて 深いところからの発声を練習した成果だと思います。もともとは音痴な私ですが、ここまで上達できたのも先生のおかげです。今はもっと欲張って、オペラを歌えるまでにもなりたいと思います。夢は高く大きく(SG)

新しいことがどんどん出てきて興味が湧くのと、今までのことが繋がってきて、 声に変化が出てくるのが少しわかるようになりました。レッスンですぐ 分からなくても家で毎日のように録音を聞きながら復習してゆくうちに分かったりできたりするのが楽しいです。(SI)

音程が高くなっても元の部分の響きを変えないで声を出す感じが分かった時は新鮮でした!そういう声の出し方だと大きく響きやすいのですね。
人前でしゃべる時もそういうしっかり鳴っている声で話すと大きく通る声になるのかもしれないなあと思いました。(MM)

日本人と日本語 V173

日本は、古くは中国から、近年は欧米からの影響を大きく受けました。そのために翻訳による知識の導入、そして、読み書きが中心となります。それが、日本語という言語を特殊に発達させてきたのです。
 日本語は文字に複雑ですが、音声にはシンプルです。音声での言論である対話、議論、対論などの気質に乏しいのです。
 日本の社会は、上意下逹の年功序列、終身雇用を中心とし、リーダー、エリートの育成ができないという、この傾向は21世紀になり、さらに大きくなりつつあると思います。相変わらず個人としての実力よりも、集団、組織が優先であり、個としての信用、保証は未だ重視されないのです。

2014年1月 5日 (日)

同感、共感の気持ちを声に表そう

 話を進めるのでなく、声から気持ちを読み取り、そこに同感するには、どういう声を使えばよいでしょうか。
「あ~」「えー」「うっそー」「ホントー」でしょうか。
 とりあえずは、相手の話の正しい理解は必要ですね。
「Aさんが僕を離さないんだよ」「Aさんが私を離さないのよ」
 これは、Aさんが嫌な連れか、親しみを感じている異性か、などで違います。Aさんと相手(僕)との関係がわかるまで、うかつにことばは出せませんが、声なら「はあ」「そうですか」あたりで、探ることもできますね。
 つまり、英語でなら次の対比です。
 <Accepting>   <Desclaning>
 SoundsGood     Sorry
 Great               But
 I love to           No
  Nice         Bad
 <Positive>    <Negative>

・驚く「わあ」「えー」「ひゃあー」「うわあ」
・同情する「まあ」「うん」「ええ」
・気持ち悪い「ひえい」「ぎゃー」

日本人の音声力の弱さ V172

日本人の音声力の弱さと、その原因について異なる面から、指摘をしたいと思います。これまで、私が述べてきたのは、日本人、日本の特徴として次のようなことでした。
 島国、村社会での生活。
 アイヌなどとの混合はあったが、比較的、移民、流民は少ない固定化された人間社会。
 「壁に耳あり障子に目あり」の、木と紙の狭い家、プライバシーのない「家」社会。
 農耕社会の長老政治。長いものに巻かれろ根性。
 農業は、天気などに左右されるもので、若者がリーダーとなる狩猟と違い、長年の経験がものをいいます。しかも、稲作などでは集団での作業で和が尊ばれます。
 日本人はアフリカからもっとも遠い地まで逃げてきた、世界の中でも穏やかで争いを好まない、その多くは滅亡したような類の生き残りの民族だったのではないかと思います。
 その証拠は、世界でも稀にみる長期に継続している天皇制です。何事も上からの変革だけで継続性が高く、他の国にみられるような民衆による激しい革命がなかったのです。

2014年1月 4日 (土)

1月号会報 お知らせ

今月は、「水」の色の表紙です。2013年度のバックナンバーは、ロビーに置いてあります。

新年のご挨拶 福島英

ひとつ、年が改まり、歳をとるということは、何年かに一度しか会わない人、二度とこの世で会えない人がふえていくことです。
それにつれ、月何回かのレッスンでさえいかに贅沢な時間だったのかということに改めて気づかされます。
また、さまざまな成果がいろんなところに花咲いたり、散っていくような、人の世の悲喜哀楽とともに研究所も動いています。

声への探求を芸の道とするなら、芸事にとっては日々の研鑽が第一、披露や勝負は余禄に過ぎません。などというと、それを第一に目指して努力していらっしゃる方々に失礼でもありますが、道とはそのようなものでしょう。

まわりには仕事やステージがないからレッスンをやめるという人もたくさんいました。実のところ、ステージがあるから練習するのではない、他の人の影響によって助けられることはあっても、そのために行うものではないと思うのです。

もとより最初は、客は自分だけからやりだしたのが大半でしょう。客がいないからステージがないから、行わないというのは、初心の自分にもおとるわけです。
たとえ身内でも一人の相手がいれば充分、悩むのは己のでき具合にであり、人の評価にではないはずです。
私は別の意味でずっとステージに立ち続けられた果報者です。ただ、ずっと誰にも求められないものを追求してきました。日の目をみることなど期待しようもないものかもしれません。

時代や人々のニーズにも無関心とはいかず、なにもしないのでは申し訳ないので、こうして折を見ては思うことを切り出しています。
いつかどこかでなにかを得ていただければ有り難く存じます。

自分に合ったやり方 V171

 声の弱かったために、丁寧に丁寧に声を扱っていた平幹二郎さんと、強く出し、潰しては強くしていった仲代達也さんの話は以前に述べました。自分に合ったやり方をつくること、見出すこと。ヴォイトレも、そこでは表現と同じ、個性と同じで、一人ひとり違うのです。どのやり方がよいというのを自分不在の、机上の空論に巻き込まれないようにしましょう。
 誰かがよいと言っても、大して根拠がありません。まして、あなたに対してどうなのかとなると、妄言に過ぎないこともよくあります。電化製品と違うのです。レストランの評価でもかなりばらつくでしょうが、人によって味覚も違うのです。未熟なトレーナーほど、自分が一番よい方法を知っていると思っているものです。
 自分×将来への時間×努力×やり方(メニュやトレーナー)という変数を無視して、一つだけを見て、云々言ったところで何にもなりません。もし、あなたがレッスンをあまりうまく役立てられていないなら、こういうことをもう一度考えてみてください。[完]

2014年1月 3日 (金)

歌レッスンの感想

スシュヒ
1.一つ一つの音はちゃんとしてる。
2.ヒッヒッッヒッではなく、ヒーヒヒで保つ。
3.詰まりすぎない。
4.サッとスーッサッは全然違うので、しっかりやり忘れない。
5.最後のーッサまでしっかりやる(声を出す)
Saオアオア アオア
1.Saをしっかり!準備しておく。
Maオアアオア
1.頬に付けた手を引き寄せたまま声を出す。
2.手が先導して声を出す
3.最初のオもしっかり。(ND)

限界の突破法 V170

 限界と指導との関係でいうとよく「喉が…だから」「歯や歯並びが…だから」「かみ合わせが…」「舌が…」「声帯が…」「口が…」できないと言うように注意をするのが大半のトレーナーです。
 一般的には、あることが原因で難しいということは、確かにあります。しかし、他のトレーナーや他の方法で解決が図れることもよくあります。
 「医者に行け」と言うのは簡単ですが、医者ならどこがよいのか。医者よりもトレーナーや、それ以外の専門家がよいこともあります。他人のアドバイスというのはけっこう雑なものです。
 限界というのは、破壊して超えるためにトレーニングすることです。
 本当に起こる必要があるのかを知ること、時間や実力にその成果が見合うのか、むしろ、他に力をかけた方がよいのではないか、他の人と違うハンディキャップがあるとしたら、それを克服して限界を、より厳しく知るなかで対処する方法を編み出せばよいということなのです。

イメージからリアリティ [論4-26]

 事実(現実)でなくイメージ、リアルでなくリアリティが大切です。少なくとも、医者がそうしているように、私はトレーナーとしての説明責任以外に声帯の働きを知ったり、教える必要を感じません。出た声の分析の方が、まだ本人の上達の比較研究に使えるでしょう。何よりも一流の歌唱から統合的な感覚イメージを磨く方が実践的なのです。総合的かつ相互に複雑に関わって出てくる結果としての声は、分離しても無意味なのです。

2014年1月 2日 (木)

新年の飾り お知らせ

鏡もちも飾りました。

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語尾や復唱のヴォイトレ

語尾まで聞こえないと仕事で失格です。
●語尾をきちんと下げるトレーニング 「~です」「でした」
●語尾をあげて聞き直すトレーニング 「~ですか」「でしたか」
●復唱のトレーニング
1.そのままオウム返し
2.ことばを置き換える
3.省略する
4.ダイジェストする まとめる

 復唱はもっとも簡単で、受けのよい方法です。相手との言ったことを繰り返すことで、相手を認めていることを示します。共感を表すように使いましょう。

限界の対処へ V169

トレーニングを行うのは、「限界を知るため」です。限界というのは、メンタルとフィジカルともあります。最初に声を出して、このあたりが限界というのは、まだ自分の思い込みです。これをメンタル0、フィジカル0とします。そのまま、あるいはリラックスしたり柔軟をするとメンタル-1、フィジカル-1、トレーニングを受けるとメンタル-3、フィジカル-3くらいになります。
 特にビギナーは、やっていないのですから、初めの状態が変わると、その日でも3ケ月くらいでも、10~30%くらい(何をもってかも、この数値も適当ですが)、実力はアップします。そこを最初の限界としておきます。
 それを大きく変えたいなら、「体から変えること」と言っています。この数値を声域か声量だけでとるのは、本当は、あまりよくないのです。優先したいものにバランスが偏るからです。そうすると、高い声ばかり出そうとすると声量が出なくなるし、声量ばかりこだわると声域は狭くなります。

2014年1月 1日 (水)

新トップページ お知らせ

トップページを新しくしました。
研究所サイトでは、ヴォイストレーニング、または発声に関する情報を幅広く提供しています。
http://www.bvt.co.jp/ からお入りください。

謹賀新年 2014

年が明けては暮れるなかで、ますます、寒暖の二極化に、地震、台風、竜巻、PM2.5など、環境の問題に直面せざるをえなくなってきました。
これからの世界は、デジタルネット革命のもたらすグローバル化に伴い、さらなる格差大となりかねないようです。
が、めげずに精一杯の努力をしていく所存でございます。
今後とも、研究所共々、ご指導、ご鞭撻をよろしくお願いいたします。何かお手伝いできそうなことがありましたら、何でもお気軽にお声をかけてください。

歌レッスンの感想

1.スーサッ
瞬間のブレスの練習。息を取り込む時に「サッ」を入れる。
スゥーではなく、スィー。イタリア語のYes、スィーの感じで。
サッは、後ろに引かない。息をスィーとはいているのと同じ方向に、前に、サッと言う。
サッは声にせず全部息で。
次は、スーを少しずつ長くする。
2.スタッカート
お腹について…まず息を吸ってふくらんだお腹、ここからスタート。お腹はこの状態から、スッスッ…という時に外へ向かう。決して中ではない。
お腹の使い方…まずお腹だけ外に動かしてみる。それと一緒にスッスッと息を出す。お腹の動き、息はこれでOK。あとは、発音さえ変えれば良いということになる。
では、「sサッサッサッサッ、シュッシュッシュッシュッ、ヒッヒッヒッヒッ」でやってみる。
「サッ」は声にならないように。
しっかりめに息をはいているのはOK。ただ、発音に力が入ると「シュッ」が「シ」に聞こえてしまうので、シュの発音は蒸気機関車みたいな感じ、もしくはやかんが沸いた音みたいな。つかみどころがない感じ、硬めではない柔らかい音を求めてやってみる。口に周りに力を入れるとその音は出ないので、口を「シュ」の形にして、頑張るのはお腹!
息だけでも発音はしっかり、と思って取り組む。あとは声を乗せるだけなので、呼吸の練習で成し得たことは、あとは応用できる。呼吸の練習で出るクセは、声に出しても歌っても出る。なので、ここで呼吸の段階で改善しておけば話は早い。呼吸だけなので喉にも負担がかからないし。
3.(スー)サッ×4、シュッ×4、ヒッ×4、スィーサッ!  を2セット。
最後のサッも、前に出す!
息は入ってくる。
息がもしも吸えなかったとしても、その直前までは良しということ。サッまでしっかりいうこと。
続けてやると止まらずどんどん次がくるので構える余裕ない。慣れたらできるようになる。
数回やるだけでも、息をちゃんと吐かないとできないので、これをやってから声を出すほうが、時間がある時は効率的。
4.(スー)サアオオアー
声を出す直前にスーという子音をしっかり出す。スーを使って準備した状態で声を出す練習。
次に、ソファミレドでサアオオアー。
立位体前屈の状態でやってみる。サアオオアー
この時、首に力を入れないようにするため頭は上げない。頭が前後にぶらぶらできるくらいの状態で行なう。その後ゆっくり起き上がり、すぐに、同じようにサアオオアー。(…録音を聞いたら、余計な力が入っていないように聞こえました。)
前屈して発声する前より、声が出やすく歌いやすく感じました。
首が持ち上がっていない状態で、この前屈でやると、声が行く方向にしか行かないので、余計なものやクセが取れる。その状態の感覚でのまま、起き上がってやってみる。
前屈をやる前は声が乗っかり出すのが遅かったので声が出にくいと感じられたが、前屈の後では、一音目から声が乗ったので、出やすいと感じる。
5.「si~サエアオア」でソファミレド
両手のひらを頬にピタッと付ける。(スー)サァと言った時のほっぺたの動きを掌で感じる。ほっぺたが内側に吸い寄せられる感じ。手のひらの感覚が大切。
それを感じたまま、サエアオアーと最後まで発音する。
この時、唇には力を入れないでリラックス。
両手のひらを頬に当てることで、口も開くしポジションも安定する。
サァと発音した時に頬が引き寄せられる感じを感じられたら充分。口を開けようとか思わなくて良い。頬が引き寄せられてるということは口があいているということだから。
6.頬に手をつけたまま「s~サエアオア」と2回ほど言ったら、次は手を離して言ってみる。
手を離しても、手を添えている時と同じような感じで、手を感じて歌う。
「ア」と「エ」は「アからオ」よりも動作少なくいける発音。「ア」と「エ」は近いのでスムーズに行ける。そうすると声も前に出てくる。
…極力手を加えないでいい状態に持っていくために、手は離して“エアー”でやる。
手を頬につけているような感覚だけ残して行なう。
サエアオアだけでなく、どんな発音でも同じなので取り入れてみると良い。
これを思い出すだけで、発音に関しては安定するので、他のことに集中できる。普通に歌う時に役立ててみると良い。
今後もレッスン内では、出だしはスー(si~)を入れてから出すのは当たり前のことにしてやってゆく、
そのスーは、舌は下の歯の裏側についてる。口に力を入れずにやってみると良い。歯と歯の間に小指をいれて息をスーとはいてみるとより息が流れる。その後、指を外して普通にやってみると良い。
サエアオア、では、両頬に手のひらをあてて発音したことで、今までの私の中の感覚では「あ」の次に「エ」と発音するのは口の動きがとても遠いように感じていたのに(これまではアが縦に大きく開き、エは横に平べったく開いていたのだと思います)、
> とてもスムーズにすんなり、何もしてない感じなのにいつの間にか「ア」から「エ」に移行できていて、自分で驚きました。
それから、前屈して発声した後に、普通の状態に戻し発声した時、とても声が出しやすかったです。
スーサッ、や、スタッカートのレッスンも息を吐いている感覚が自分で分かり、その後に声が出しやすく感じました。続けてみようと思います。(OY)

歌唱への所見「レ・ミゼラブル」(トム・フーパー監督) A026

このミュージカルは今年11月帝国劇場で凱旋公演になるのですが、今回は2012年のトム・フーパー監督の映画についてです。かつてジャン・ギャバンやポール・ベルモント主演の映画もありましたが、私の中では、1998年のアメリカの、シンドラーをやった人(リーアム・ニーソン)の印象が強いのです。それにしても、やはりこのタイトルは、私には「あゝ無情」の方がふさわしいと思います。(同じく、モンテ・クリスト伯も「岩窟王」でなくては私にはピンとこないのですが…)
 さて、これは前評判があまりに高いためだったせいか、私としては人間の原罪や死、法などといった重いテーマを、特に前半はさっと通り過ぎていくのが、軽く感じられました。でも、ロマンスのあたりで、ミュージカル映画としての焦点のあて方がわかってきたので、今度は、主役ジャン・バルジャンとコゼット、マリウス3人の軽やかな歌い方が気になりました。個人的な趣向としては、ジャベール(ラッセル・クロウ)、エポニーヌ(サマンサ・パークス)神父さん、隊長さんの方が好きなのはお許しください。フォンティーヌ(アン・ハサウエイ)は、よくみせてくれたと思いました。

同時に、一瞬に得る V168

ヴォイトレというのなら、声に向きあうことです。まずそこを原点としておいてください。体の肉声を出すこと、その上に発音や声域、声量などもあるのです。
 そのために急がないことです。声に向きあわないのは、覚えることや、そのまま間違えずにくり返すこと、せりふや歌詞に加えて、ピッチやリズムといった楽譜の情報に囚われて、全てを同時にマスターしようとしているからです。
 ある意味では、こういうものは「同時に、一瞬に得る」ものです。それまでは、あるいは、そこを経験したら、また細かく分け、順序だて、一つ上の次元を目指すのです。そのために体を用意し、感覚を磨いて保つのです。
 せりふも歌もそれを仲介するメディアに過ぎないのです。どんなことば、メロディでも、それを正しく再現すればよいのでなく、演者が魂を吹き込み、ありありと舞台にリアリティをもたらさなくてはなりません。やらされている。歌わされている、すごかったもののコピーをしているだけ。それでは、ディズニーランドレベルです。

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