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2014年2月 5日 (水)

やったあとでできるのか [論5-8]

団塊の世代あたりからの傾向としては、スパルタ式の人にハードに鍛えられ、彼らなみになれなかった人が、そういうトレーニングを否定しているわけです。案外と、声としては、紆余曲解を経て、最終的にはできている人が、「自分たちのようにやってはいけない」というのです。それには、私は必ずしも賛同できないのです。
 特にそれで声をダメにした人が「自分のようにならないように」言うならともかく、その後の指導や自分自身の発見したやり方でよくなったと決まって言うからです。その声で充分に人を教えているなら、「昔のは間違い、今のは正しい」とは必ずしも言えないのです。そういう鍛練や試行があったからこそ今の声があると私は考えます。この問題はこれまでたくさん触れてきました。(野村監督のあとの星野監督の優勝はどちらの手腕か、というようなことも) 誰でも昔の間違い、それを克服して今があると思いたいのです。今のが本当に正しいのか、昔のが本当に間違っていたのかは、簡単に判断できませんが、だめな私がこの方法でよくなったという成功ストーリーこそ、教える秘策ですから。
 私は役者やミュージカルの「悪役声」に経験や研究を重ねた時期がありました。やはり、その人の適性がものをいいます。しかし、この適性もトレーニングを続けていくうち、変化してくることもあるのです。まして、10年先、20年先までのデータはまだまだ不足です。
 確かなことは、声にはメンタルもフィジカルも、トータルとして関与しているということです。気弱になったり、充分に使おうとしないなら弱化していくのです。
 

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