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2014年2月17日 (月)

せりふの変遷 [論7-4]

私はこれまで文字としては、「せりふ」か「台詞」しか使わず、「科白」を用いたことはなかったので、その不明を恥じつつも、やはり、これからも「せりふ」か「台詞」を使うと思います。ややこしいですもの。
 もう、変えられないだけのものを私自身も背負ってきたのですから、私にとって氏の「台詞」は「言葉」「科白」は「台詞」(せりふ)で用いています。これを「言葉」―「台詞」―「科白」の分け方でみると、一世代で一つ軽くなってしまった証拠と思ってもよいのかもしれません。別役さんのときの「科白」は消え、私たちの世代での「台詞」も消え、今や「言葉」だけかもしれません。
 同じことは、音楽でもいえます。テンポが速くなる、間がなくなるというのは、表現者の力不足でもありますが、一方、聴き手の、観衆の好みの変容とはいえ、アーティストの声の力不足とも思ってもよいともいえます。聞かせ続ける力とそれを聴き続ける力、ともに忍耐力の不足かもしれません。アナウンサーの話す速度も速くなりました。それぞれに一通りにはくくれない背景があると思うのですが。

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