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2014年2月22日 (土)

成り立つ基準 [論7-9]

 先の別役実氏の声(科白)と身体との一体化は、せりふについての、以前では当然の判断基準でした。私は、表現では、ロボットの音声も、ヴォーカロイド初音ミクも、その効果は効果として認める度量もあります。しかし、基礎としてのトレーニングにおいては、実体=リアル感=リアリティを声においてみます。
 体や呼吸の伴わない声や歌は、ヴォイトレにおいては排除します。なぜなら、それをOKにすると、本当には伝わらないということを許容し、何よりも私の考えるヴォイトレの存在意義がなくなるからです。
 しかし、そこには、歌手も役者も、「本当には」ということをつけてみるのなら、すでに、現実にほとんどいなくなりかけているように思いませんか。
 歌手も役者も、声だけでの表現ではないので、演出や振り付け、構成(脚色力、舞台セット力、照明音響、技術力、スタッフ力)などパフォーマンスも併せて成り立っているともいえます。
 「科白」はなくなり、「台詞」となり、ただの「ことば」となりつつあるのは、昔の作品と今のを比べれば一目瞭然です。それだけ声や音声が軽視される時代になったということです。

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