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2014年3月16日 (日)

声として視る V199

 私は言語よりも音声、ことばよりも声としてみるのが専門です。歌には歌詞があることがとても重要で、特に日本人にはそこが大切です。しかし、私は、歌詞はのっているだけ、声だけで、まずは楽器レベルの演奏として完成させてくれという、ことばを引いて受けみる立場です。ここが歌謡曲や演劇の先生と違います。
 私も、この純粋な専門分野だけで仕事をするのは稀となりつつあるのかもしれません。
 ことばを大切に語るように歌うこと。マイクがあれば囁き声でも使えます。
 それに対して、オペラなどでは、声が届かないとことばも伝わりません。音量、共鳴、さらに楽器として、美しい音色、人間の完全なコントロールとして極限に近いハイトーンでは、発音よりも発声、共鳴が問われます。
 私がクラシック歌手、いや、声楽家は共鳴(音声)のプロと述べているゆえんです。ですから劇団四季のように母音を明確にするところから入るようなのは、けっこう負担が大きいわけです。
 オペラは、落語の定番の噺(枕やMCなど入らないもの)と同じようなもの、スタンダード曲と同じです。内容が分かっているなら、通の人が聞くなら、その分、ことばは第二義のものになります。今や、総合芸術であり、構成や衣装、ルックスなども問われますが、もとは声を競う芸術でした。その点、邦楽、詩吟なども音色やフレーズ、つまり喉の方が優先されているように思います。

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