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2014年4月

2014年4月30日 (水)

勝負 B155

サビのところでどれだけ声が出せるかということではなくて、その動きの中にベースの動きがあって、その上に大きな流れがあるわけです。その流れの中で何を与えられるか、流れを出して、それに乗り、その上に何を自分でつくれるかということの勝負です。  

未知のままでの対処を [論10-6]

 声は未知な分野です。声や喉そのものがわからない(わからないと知っていればよいのですが、なまじ、わかったつもりの人が一番よくないのです)、さらに声とその人の表現との関係や必要度、優先度などが、きわめて曖昧です。トレーナーとの相性となると、もはや確かなことは何もありません。
 自信を持ってそう言えるのは、有名なトレーナーや有名な医師のもとからもここにいらっしゃる人が少なくないからです。
 海外のすぐれたメソッドを取り入れたと言う人たちもいます。しかし、海外ではともかく、日本人ではほとんど実績を出せていません。なぜ実績が出ないのでしょうか。海外で出るのに、日本で出ないのは何が違うのかを研究するのが先決なのに、何年も同じことをそのまま続けています。私の方が、そこをやめた人と、その方法の研究、改良をしているくらいです。

2014年4月29日 (火)

声を動かす B154

 簡単そうに見えるけれど、難しい。こういうところで見せられるのが、ひとつのフレーズです。発声練習は、こういうことのために行うことでいいと思います。
こういうことでどう動かせるかということです。
 「アイウエオ」とか「ドレミレド」とやっていても、こういうフレーズできちんとできること。
 「い」の中に「ただ」をおけるとか、それを動かせるとかです。「い」のところのうえに「まはただ」と続けては、日本語ですからバラバラになって離れていきます。「い」でフレーズをつくって何とか伝えられています。向こうの言語では、もっとやりやすいのでしょうが。

 

「有名だから」、「実績があるから」、といっても [論10-5]

レッスンの先生や本となると「無視するようなわけにいかない」と言われます。「質問してもきちんと答えが返ってこない」と、私どものところにくる人もいます。「先生には質問できない」と、ここに聞きにくる人もいます。
 私は、どんな先生も「全ての専門家ではない」と言っています。得意な分野や相手もいれば、不得意な分野もあるのです。あるいは、そつなくどれも並みにバランスよくこなすというトレーナーもいるでしょう。
 私もここのトレーナーも同じです。スーパーマンではありません。それぞれに強いものを持った上に役割を分担するというのが、ここのメリットです。トレーナーとしては、自分の武器、長所と短所を知っていることが大切ですが、一般的には、ヴォイストレーナーにそれを望むのは厳しいかもしれません。それぞれに、かなり偏っていて、それを俯瞰する意識もあまりないからです。自分に合う人しか続かないことで、より気づきにくくなります。仮にそれがわかっていても、現実には得意なところだけでやればよいというわけにはいきません。私のところは分担できますが、ほとんどのところは一人で教えているでしょう。

2014年4月28日 (月)

向きを変える B153

「声を出して」のところは少し向きを変えましたね。ちょっと落として、つなぐ。こういうかたちで作品を一本つなげるというのは、大変なことです。ですからそういう意味だとレベルの高い作品に仕上がっています。

役立つように使っていく [論10-4]

研究所のトレーナーのなかだけでも、さまざまな見解があるのですから、十人十色、世の中には千人千色と思っておくとよいと思うのです。トレーナーでも本でも、「こういう考えもあるのか」くらいで留めておくことです。  私はどんなトレーナーのレッスンも本も、ないよりはある方がよいと思っています。それは、「役立てるのは本人であり、役立つように役立てればよい」(この違いこそがレッスンの意義です)しかし、ここにきて、「役立てられないのは役立てなくてよい」とも加えています。自分に役立たないのは捨てたらよい。しかし、本当は役立たないのは、「役立つように自分がする」あるいは「役立てられるように自分がなる」のがよいのです。  役立てているつもりで大して何もなっていない、あるいは、ほんの少ししか役立っていないのもみてきています。そこで、「自分の判断で今、役立たないと思っても『保留しておけ』、レッスンも『録音してメモして、いつかのために取っておけ』」と極めて大切なアドバイスを伝えているのです。  「よりよくする、よりよくなるためにあるものを悩みのもとにして、より悪くしている」ようにしか思えないなら、「元々、なかったと思ってなくせ」とも言うべきですね。ある分にはよいというのは、あるのもないもの選べるかどうかですから、ないものにしてしまうのも一手です。

2014年4月27日 (日)

ホームページほか お知らせ

ホームページ 「what's new」

メルマガ 「ブレスヴォイストレーニング研究所通信」

を更新しました。

自分のことを知る B152

 CDを瞬間的にかけてみても、表現の個性、技術は、あらゆるところにあるわけですからね。そうでないことを出さない方向でやっていけばいい、という考え方もある。昔より楽といえば楽なのです。ただ、自分のことを知らないと、難しいということになってしまいます。

答えを一つに絞らないようにする [論10-3]

 他のトレーナーや先生の質問までは何ともしがたい。しかし、セカンドオピニオン、サードオピニオンとして、頼っていらっしゃる方は、多くなっているので、応援するとともに「トレーナーの選び方」で考え方を述べることにしたのです。これも10回くらいで済むつもりが5年も続けています。まだ多くの質問が絶えません。  研究所のブログのQ&Aは、ここのトレーナーの回答を中心にしています。同じような質問に多くのトレーナーの回答を公にすることで学習に役立てようとしたものです。これは、一つの正答でなく、それぞれの差異から学ぶというスタイルにしています。(同じ質問を10数名のトレーナーに回答してもらったのを「共通Q&A」に入れていますので、ご一読ください。そののちに質問をくださると助かります)

2014年4月26日 (土)

ゴールデンウィーク お知らせ

今日からゴールデンウィークですが、レッスンは通常どおり行われています。

分担 B151

野球もスターが出なくなった。3球団のトップ、孫氏と宮内氏と渡辺氏が話していました。ピッチャーは一試合4人くらいが交代する。昔は完投だったわけです。それでこそ勝負ができる。4人交代しているところにスターは出にくい。
 歌もそうでしょう。一人で全部歌うようにならなくなっています。となると、ピンポイントでやるときに、どれだけ個性が出せるかですね。
 演劇もお笑いも90分間見なければわからないというのは、今の時代には成立しにくいのですね。舞台でも4時間見てもらったらわかるというのでは、まず見てもらえない。5分で面白かったら、15分見るという、そういう時代です。そこに何かわかりやすいパワーとして現れなければ、全部は見てもらえない。

 

一般論では答えられない理由 [論10-2]

最近は、本の他にネットのアドバイスを読んで質問をする人が増えました。研究所のトレーナーたちと開設したヴォイトレQ&Aは、一般向けに公開して、5000くらいになると思います。
 私への質問でも、一般論でなく一個人からくる質問となると、なかなか答えにくいのです。本当のところ、答えられないのです。(詳しく述べると満足はしていただけますが、安心してもらっても、頭でわかったからといって問題が解決するわけではありません)
 その人を直接みていないことが最大の要因です。
 細かく具体的な質問ほど答えるのに難しくなるのですから、直接いらっしゃるのが一番よいのです。

2014年4月25日 (金)

コラボ B150

 どんどん切ったあとに、どこは伸ばさなければいけないのかと考えていくことです。切ったところはバンドが何かしてくれる。と考えていれば、わずかな箇所において、自分自身にどんなフレーズあるのか、どんな音色を置かなければいけないのかというようなこと、コラボして考えていったほうがいいわけです。

 

やれているのかどうか [論10-1]

「ヴォイストレーニングは何を信じてやればよいのか」

Q.ヴォイストレーニングを何人かの先生に習ってやってきましたが、どうも思うようにいきません。いろんなサイトでも質問して、教わりながらもやっています。いろんな本に書いてあることや、いろんなトレーナーの言うことが、かなり違っていて、どれを信じてやればよいのかがわからなくなってきました。どうすればよいでしょうか。

○やれているのかどうか

私は、そのようなことに専ら答えてきました。それは、本をたくさん出したり、Q&Aのブログをつくっているので、全国から、そういう質問がきたからです。ですから、私の考えについては、述べてきたことを(拙書、ブログ)をお読みください。
 私もいろんな方のところへ学びに行きます。声についてもっとも権威のある医師に相談に訪れたところ、あまり、医学や新しい理論、知識、科学などというものに頼らず、これまで25年やってきて、やれてきたようにやりなさいとアドバイスされました。私も同じようにあなたにアドバイスをしたいと思います。
 ただ、まだ自らでやれてきたという実績がないのでしたら、やれるようにしていくこと、そこから考えるということです。やれているのなら合っているし、やれていないのなら合っていないのです。合っているかどうかで判断しなくてはなりません。なぜなら、やれるようになるためにやるのです。正しいと思っても、それでやれていないなら、正しいなどはどうでもよい。やれていればよいということです。他人に学ぶとしたら、その判断は短期的でなく、長期的にみて行わなくてはいけないということだからです。

2014年4月24日 (木)

オバマ大統領明治神宮へ お知らせ

オバマ大統領が明治神宮を訪れました。絵馬も英語で記したとのことです。  

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140424/k10014004811000.html

                  

試練(田中将大さん)  V224

(田中)マーくんの活躍は、コーチのフォーム改良のおかげだそうです。私はTVの解説通りに述べるしかありませんが、結果として、背番号が半分かくれるような大きなフォーム改良をしたのです。しなければ、肩を壊していたらしいです。
 怪我をしないことと、最良最高のありようにその人をもっていく、これが見事に一致するのが、スポーツのよさです。(もちろんヴォイトレにも通じますね)
 もしかして1球だけの速さを、あるいは、遠投を競うのではこうはならないのかもしれません。どんな競技も、最初の優勝者は力づくで勝ちとる力自慢でしょう。しかし、そのレベルが上がると、誰もが力は持っているので、そこからフォームが勝負の決め手となってくる。
 忘れてはならないのは、そのために彼は投げ方を変えただけでなく、徹底した下半身の強化をしたということです。

●以下、参考までに引用します。(再録したもの)
○筋トレ必要☆
 僕の持論は、「野球の技術は練習で鍛えられる左右の筋力の微妙なバランスの上に立っている」というものでした。(中略)
 筋トレは否定するというより、やるのが怖かったという方が正しいかもしれませんね。(中略)
篠原和典さん [週刊ポスト]

○筋トレ不要☆
 その「恐怖心」からトレーニングを続けていきました。(中略)
 野球の筋肉はグラウンドで、という考えも間違いではないと思います。もちろんダッシュやランニングもやりました。それでつく速度や遅筋をバランスよく、野球で使える筋肉にするために筋トレする。これによって選手生命も延びたと確信しています。
 僕は明かに筋力不足だったので筋トレを始めましたが、筋力を鍛えて硬くなるということはないし、全身を使う野球に不要な筋肉はないと思っています。(中略)
 シーズン中にも筋トレを続けていたのは、筋肉だけで太っていたので、体重を落としたくない目的で筋力を鍛えていくしかなかった。
金本知憲さん [週刊ポスト]

○体づくりとフォーム☆☆
 「バカ者、ワシがどれだけ投げたと思っている(5526・2投球回数は日本記録)。人間の体は、そう簡単に壊れやせんわい」(金田)
(中略)
 「僕は、体が出来上がるまでの成長期には沢山投げてはいけないと思っています。ですが20歳以上や、プロになるなど、体ができてからはある程度投げないとダメだと思っているんです。理由は早い時期に合理的で効果的なフォームを身につけるため、それを固めれば、ケガしにくくなるんですよね」(桑田)
(中略)
 「すると、いいピッチャーには絶対の共通点が一つ見つかったんです。どの名選手も、頭を残して先に下半身が前に行く『ステイ・バック』ができているんです。こうすると、上半身に負担がかかりにくいから、どれだけ投げても故障しづらいんです。
 でもこれは、足腰が強くないとできない。だから金田さんの「走れ走れ」というのは、実に理にかなっていると思うんです」(桑田)
(中略)
 「獣がケンカする時には、沈む態勢をとって構えるだろう。あれと同じだ」(金田)
 「金田さんのいう「沈む」というのを、最近の選手は勘違いして、軸足一本で立つ時にヒザが折れてしまう。これだと下半身だけでなく、上半身も一緒に前に出る。だから負担がかかってケガをする。大事なのは頭を残して腰が前に行きながら沈むことです」(桑田)
 「ワシが現役の頃は、マウンドもすぐに土が惚れて足首まで埋まってしまう最悪な状態だったからケガしないため柔軟な体を作る必要があった。環境の悪さが関節を柔らかく保つ重要性を教えてくれたようなもんだ。股関節の硬いヤツはみんな消えていった」(金田)
(中略)
 「ロッテの監督時代、1人の故障者も出さなかったのは、下半身強化の練習をやらせたから。だが、今の選手にあの練習をやらせると、すぐにぶっ壊れてしまうだろうな」(金田)
(中略)
 「経験者でないと分からないだろうが、疲れ切ると球がピューッと行くことがあるのよ。ところが翌日は、どれだけ投げてもその感覚にならない。そしてある日また、その感覚が戻ってくる。これの繰り返しだ」(金田)
 「だからといって、量を投げればいいというものではないんですよね。特に変なフォームで投げていると、余計に下手になるだけだから、アマチュアは量だけを求める練習はやめた方がいい」(桑田)
 「投げ込みで大事なのは内容だ。ノルマを課すことに意味はない。今はこれがわからんコーチが多い」(金田)
(中略)
 「今は中6日が普通。5日、6日もあくと、精神的にもたつくんだ。勝利への執念が薄れ、体に対する別の緊張感が出てしまう」(金田)
(中略)
 「その球数制限についても一言。日本ではメジャーの「100球制限」が誤解されているんです。あれはメジャーが中4日だから球数を限っているのであって、日本のように中6日では意味が違う」(桑田)
(中略)
 「肩を使うから故障するのでなく、無理をするから壊れる」(金田)
金田正一さん 桑田真澄さん [週刊ポスト]

ヴォイトレにおいても、下半身の強化や柔軟は、初心者レベルと一流レベルにおいては、特に効くと思います。私の考える基礎とはそういうことです。(Ei)

回す B149

 「こわれそう」の「そう」だけでもいいから、ずっと歌っているような感覚を、どこかで切る。声量を伴わなくてもいいから、そこに中心を持っていく。そこがまわらなくても、どこかがまわってくるだろうというようなことです。
 ゼロからきちんと動きをつくっていこうということです。ゼロと考えなくても、歌があればもうそこに動きがあるのです。そこにのっかって、効果的なところに力を入れて、それ以外のところは全部引きましょうということです。全部をずっと引っ張っていかないことです。

2014年4月23日 (水)

育てる  V223

私が私一生徒でなく、研究所(私―トレーナー)―生徒、もしくは研究所、私―(トレーナー―生徒)というような2重構造を取っている意味を理解していただけるとよいのですが。もう一つ、カリスマトレーナーがいても、その一代で終わってしまうということも、これからの日本を考えると頭を離れない問題です。
 私も私にしかできないこと、トレーナーでもできること、トレーナーの方ができることと分けて、絞ってきました。
 また、分野を超えて、声というのは全ての基礎ですから、いろんなところと関わってきました。
 私が頼まれたこともできるだけ、次の世代のトレーナーへ移すようにしてきました。早く後進に経験を積ませなくてはなりません。今の日本は上の世代の方がいつまでも力を持っています。特に団塊の世代のリーダーシップ力が強いほどに、長く続けるほどに、次の世代は、やがてとんでもない苦難に直面します。4年生が卒業しないでずっと試合に出ているようなのは、後進のためによくありません。

 

共鳴 B148

 母音で全部やっていくのと、子音で邪魔するのと、喉に負担はかからないのでしょうか。母音共鳴を突き詰めると、オペラのような技巧が必要になってしまう。そういう方向に行くのはいいと思います。そこでやるには、そういうところのベースが必要になってきます。  問題なのは、それが若い人に伝わらなくなっていることです。必要性をつくっていくべきなのか。ストーリーになる分にはいいのですが、ロックになると、生声にエコーをかけたようなあいまいさでしまらなくなります。

2014年4月22日 (火)

トレーナーの比較 V222

私はこの分野で最も多くの執筆をしてきたので、他のトレーナーやスクールからきている生徒もずいぶんみてきました。そして自らも2,3年目あたりからで大所帯になったときに、先人のやり方を否定するような本を上梓しました。一時はすごく人数が多く、グループレッスンだったので他に行った人もいますし、兼ねていた人もたくさんいました。ともかくも長くたくさんの人と接してきたため、どこよりも情報があります。
 なかには、ここのやり方というより、私の論やメニュを全否定するような人もいました。それに対して、私はこうして書き続けているのではありません。
 むしろ、そういう人たちにではなく、ここで関わった多くの人のフォローとして、今も毎月、会報を20年以上出し、こうして説明や現状を伝え続けています。自分の不明や不足を年々、知るようになってフォローしているのです。
 そのおかげか、ここでの方法など否定したようなトレーナーの元をやめてここにくる人も最近は増えています。
 先に述べたトレーナーは「お山の大将である」ことを自覚してはいかがでしょうとも思うのです。たとえば、日本でTVに出たり本を出したトレーナーたちの元より、ここには、一人どころか複数名、あるところからは10名以上いらしています。
 だからといって、そのトレーナーやそのやり方を私が否定しているわけではありません。ここに来ても、やはり1年もたたずやめる人もいます。すべてトレーナーの問題といえないのです。
 オペラなども、舞台に出た他のトレーナーよりも活躍していると、おのずと自分の教え方が誰よりもすぐれていると確信するようになります。しかし、実のところ、その教え方が他のトレーナーよりも通じない相手もいるのです。またオペラに出ていない分、しっかり指導して、その人よりも力をつけているトレーナーもいるのです。

 

切る B147

 「ふた」のところで切れてしまっていますが、効果的になっていますね。1音1拍の呪文から抜けられないわけです。1音1拍でとっていくと、どこかを長くすると他のところも均等になってきますから、どんどん歌っていかなければいけなくなります。大変になって喉も疲れて休まらなくなって、どこかで不調になってきます。
当時の人はどうカバーしていたかというと、相当、切っているのです。今のほうが歌っているのです。この人ほど声量がないのにもかかわらず、歌っていたら、喉がおかしくなるのはあたり前の話です。それが外国人と日本人の差にもなっていると思います。

2014年4月21日 (月)

レッスンの判断 V221

 トレーナーとのレッスンの内容の判断は、そう簡単にはできません。私は生徒の評価が高いことよりも現実に結果が出ていることを優先します。しかも「すぐに少しよくなる」(これで満足する人には、それでよいのですが)よりも「時間がかかっても、その人の最高のレベルにいく」ことを重視しています。
 それは、多くのトレーナーが毎回何らかを、結果として、満足させ評価してあげなくては次回に生徒が来てくれないという、顧客サービスビジネスとして厳しい状況におかれているなかで、ここだけが許された存在意義だと思っているからです。そうでなければ、この研究所はいらないし、私はともかく、他のトレーナーも別のところで教えたらよいと思うからです。

動きのつかみ方 B146

古いもので、この通りにやってはいけないのかもしれない。こういうところにある流れの中に音楽のベースとしての心地よさがある。
 この当時にやっていたことは、今はバンドにまかせてしまっている。リズムもピッチも、ビブラートもまかせています。このあたり、体でわからないとそれ以上のレベルにはいけないわけです。
 欧米の歌い手レベルめざして、こういうことをもっときちんとやっていこうとしていたのが昭和の時代だったと思います。どう耳で理解していくかということ。そういうときに心地よさや歌としての快感を客としてきちんと味わっておくこと。そうしないと、自分が歌うときに、あるところまでしかいけなくなります。感動とはまた違う、音楽として人の心に働きかけるような動きのつかみかたです。

2014年4月20日 (日)

「アナと雪の女王」 お知らせ

ディズニー映画「アナと雪の女王」が大ヒットしており、その主題歌「Let It Go~ありのままで」もよく流れています。日本語版は英語にあわせ日本語をあてはめているそうです。

諌める V220

私共のところのトレーナーは、声楽家がメインで自らのステージが、日々の目的ですから担当している生徒の人数を競うようなことはありません。むしろ、抑えがちです。トレーナーの仕事の過酷さを第一線で知っているからです。
 とはいえ、生徒が、学ぶものがないと思うトレーナーにはつきません。そういうトレーナーはここには残れませんし、もともと私が採用しません。
 世間にありがちのヴォイストレーナーの「お山の大将」、「裸の王様」といった状態に、ここのトレーナーも自分を気に入る生徒だけに囲まれて感謝のレポートばかり読んでいるとなりかねないのです。他のトレーナーと比べて選ばれたり、他のトレーナーのレッスンより効果があると絶賛されると、そうならない方がおかしいでしょう。
 しかし、別のトレーナーにも同じことは起こっているのです。ときに私は、元のトレーナーを外してあなたの方に来たように、あなたを選ばずに他のトレーナーにも行っている生徒はいるということを伝えて諌めるのです。トレーナーとしてのうぬぼれは、生徒とレッスン場の心中をしかねないからです。

 

まずは B145

欧米人だったらどうなるのかという疑問はあるけれど、日本人にはそうなんだということで、今の歌い手がいる。現実の歌い手を否定して、声が出るとか歌がうまいからといって出ていくことはできない。そういう部分をつけていかないと、声を磨いていっても、そこから難しい。でも、そこからの前まで行くことからです。

 

2014年4月19日 (土)

開けていく V219

昔ならば、心構えや考え方もできていないのに芸は教えませんでした。それで「プロになりたい」と学びに来た人を、プロのトレーナーなら引き受けなかったでしょう。しかし、今やプロたるトレーナーは少なくなりました。大半は先輩トレーナーです。理想やビジョンよりも自らが食べるために誰をも愛想よく受け入れるようになりました。
 これは、批判すべきこともありません。需要があれば供給もあります。「絶対プロになれます」とうたって生徒を大募集している大手よりよいかもしれません。
 私が思うに、人は自分の器に合わせて人生を選ぶのです。そしてトレーナーを選ばれるのです。小さければ小さいなりに、そして、そこで大きくなったら大きい相手に巡り合えるように人生はできています。
 私もその人の声を聞くよりもその人の処し方、ここやトレーナーとの関わり方などをみると、その人の人生がこういう分野に開けていくかどうかはよくわかります。トレーナーをみていてもわかります。
 わずか3~5年くらいで人は大きくも小さくも変わります。最初は問題児だった、ゆえに、大変身した人もいれば、そのまま続かなかった人もいます。ここはやめたあとも会報などを続けて学んでいく人も多くいます。外に出てからの活動もよくわかってありがたいものです。

 

2006年のこと B144

カラオケで、テツANDトモのテツさんがチャゲ&飛鳥の歌を歌っていて、レベルが高かった。ほかの人がジーンとするのが、こちらもわかる。それは声だけでやっているのではない。声を消しこんで、その上で何かしら置いたところが伝わる。

2014年4月18日 (金)

オープンにする V218

自信をつけさせるのに合っている人をつけるのですが、ときに、逆のタイプをあてるのもトレーナーを育てるには効果的です。
 これらを組織的に行うと、こちらが意図しなくとも、生徒さん自身が自分が合っていると思うトレーナーを選ぶことが起こります。これは当然のことです。そして、特定のトレーナーとの結びつきが強くなります。
 私が強いて2人以上のトレーナーをつけ、他のトレーナーたちをも関わらせようとするのは、その結びつきをクローズなものでなく、オープンなものにして、自分の力を客観視できるようにするためです。それはトレーナーにもよい学びになります。
 ここで育てるのと、そうでないことと大きな違いが出ます。
 心地よくする、長く続けてもらうなら、それで今でいうと大手の英会話教室のように、徹底して顧客サービスをするのがよいのです。褒めて、励まし、認めて、満足させて、長く続く中で自然と身につけていく、これは語学だけでなく、あらゆることにおいて理想的なことです。
 しかし、ハイレベルで学んだことを人前で使いたいとか、誰よりもすぐれたい、より高くとか、より早くという欲があるのならば、不自然にも予習復習をし、人の何倍も努力しなくてはなりません。トレーナーはシビアな状況でも切る抜けられる疑似環境をつくり、一流レベルに近い要求をもって厳しく接することになるでしょう。それがよいと言っているのではありません。そこは生徒さんの目的や要望によるということです。ストレス解消、趣味でという人と、それで食べていこうという人では違います。それをはっきりと本人もトレーナーも区別しておくことです。

 

心地よく B143

音楽が表現として動くために、曲と詞のコンビネーションを無視して、いろいろな形で取り出している。とはいえ、表現のほうから入っていかないといけないことは同じ。歌としてメロディが合っているとか言葉として言えているのではなくて、聞いたときに心地いいと、その心地よさを出すことがメインでなければ曲もヒットしないことは同じでしょう。心地よく音が聞こえてきたり、気持ちよくなるというのは、大切なことです。
 ロックになると、全体にバンドやドラムの音が入ってくるからわかりにくいけれども、アカペラで、こうやってひきつけられる。そうして捉え方が変わってくることこそ、レッスンの主眼だと思います。

2014年4月17日 (木)

カラオケ一体型コンビニ お知らせ

コンビニとカラオケボックスが一緒になったお店ができたそうです。カラオケがさらに気軽に行けるようになりますね。

声量が基本 V217

いつも述べているように、トレーナーが立派な声でなくともトレーナーとしてすぐれていればよいと思っています。ですから、そうでないトレーナーを否定しているわけではありません。トレーナーによっても大きな差はありますし、それぞれに強味も違って当然です。
 オペラ歌手ならオペラの歌唱がよければよいし、トレーナーなら教えた人の声がよくなればよいのです。トレーナーの声そのものに、いつもこだわっているつもりはありません。
 ただ、共鳴―声量というのは、アカペラの世界において第一の条件なのです。発音や音感、リズム感がいくらよくても、音として伝わらなくてはそこに乗っているものは伝わりようもありません。
 私がビジネスマンの声の研修で、「声の要素のうち、もっとも大切なのは何でしょうか」と聞くと、説得力、高さ、入れのよさ、元気、心、優しい感じ、魅力とか、いろんな答えが返ってきます。しかし、正答は声量です。どれもまず、相手に聞こえなくては始まらないということでは、声量です。声の大きさは、大きければよいのではないですが、適度に通る声、不自由なく伝わる大きさの声が必要です。この基本が、特にマイクが必然となった歌唱のヴォイトレからは失われています。それゆえ、ヴォーカルのためのヴォイトレがもっとも混乱しているのです。

  

伴う B142

通信教育で詞を扱えた最後が80年代くらいの歌です。それ以降の歌詞になってしまうと、曲と詞との結びつきが自由になってしまう。パターンも出しつくして、ヴォーカルを外に置いたアレンジ勝負となるわけです。  それまでのはきちんとしていますね。本当に歌と曲が伴ってできている感じがあります。オペラに似ているような感じがあります。完成した形がある。だからこそ歌い手がそのままに終わらせないで崩す工夫をした。極端な例が、坂本九さんから沢田研二さんあたりの流れです。  

2014年4月16日 (水)

強さを条件とする V216

強い声、強い喉は、今や、歌手や役者の必要条件ではなくなりつつあります。ましてそれがあればよいといった充分条件にはならなくなりました。それは今の私の立場での見解です。
 ただし、自らのトレーナーとしてのありようとは全く別です。組織の要として、一緒に教える人である、トレーナーの条件ということでは、これは必要なことです。
 ヴォイトレは発声―呼吸―体を変えるのですが、そこで共鳴の専門家である声楽家は、この支えが必要条件になっており、1万時間かどうかはわかりませんが、5年から10年のキャリアで基礎ができてきたねくらいにしかならないくらいの研鑽を積み重ねているからです。邦楽も同じです。
 つまり、ここのトレーナーは一声で差を示せる感覚、体をもっていて、それを伝えることができる。その一声に、他の一般の人は、これはトレーニングしていないと出せないなど納得させるものがあるということです。
 これについては異論、異なる見解はおおいにあるでしょう。私もわかります。しかし、声ゆえ、聞いてわかるというシンプルなものでなければおかしいでしょう。経歴や肩書をみなくては判断つかないというのなら、その方がおかしいのです。

 

ノウハウの消失 B141

「ま」に対して、次の「と」がどう置かれているかと、作詞家や作曲家もそういうことを考えて、つくっていると思います。この当時のものは説明しやすいのです。
 言葉を一つ変えてしまうと歌がダメになってしまったり、メロディを変えてしまうと言葉がダメというように、全体的な必要性が煮詰まっている。
 ところがある時期から説明できなくなってしまった。それまで通信教育では、ほとんど歌詞の解釈でした。要は読む人が読んだら、「こんなに深くきちんとした構造でなっていてすごい」というのを説明できると、先生稼業はできるのです。
 ところが、ここはああでもこうでもいいし、どの歌詞でも成り立つとなったら、教えるということが成り立たなくなってしまう。
 何かを伝えたり渡せるというころは、そこにそれだけ深いものがあって、パッと見た目には気づかないのに、よくよく見ると、ここはこうなって、これというのはここからとっているということで、「へエー」ということが成り立つわけです。

 

2014年4月15日 (火)

声の力 V215

私は声において、その基礎を習得するのに1万時間以上はかかりました。3~5万時間のトレーニングで安定してきた自覚があります。とはいえ、声は楽器と違い、練習時間だけで判断できないものです。そもそも練習時間を正しく算出できません。人前で弁論し続けてきたとか、役者を何十年も続けたことで、同等レベル以上の声を持つ人はいくらでもいます。(この比較の基準こそ、問題にすべきことなのですが)  同じような育ちで同じ年齢、性別で同じ体をしていても、一方は立派な声、他方は貧弱な声というケースもあります。声には、素質論、環境論(教育論)いろいろ未確定要素に加え、突っ込みどころ満載です。  研究所のトレーナーとして採用した人の共通点としては、2,3時間の舞台で声を出しても、その後に支障がないこと、しかも全力での声で、です。私自身の経験では連日8時間、大声で話しても異常をきたさないというレベルです。野球でいうと力投した上で完投できるということでしょう。でも小学生でもそういうピッチャーはいるのですから、大学かプロの二軍リーグくらいの感覚を、体のレベルで求めているといえばよいでしょうか。その上は、歌唱や演技の技術になり、ヴォイトレからは応用のことになるのです。

心身の声 B140

こういう歌い方を今の歌い手はしない。体や声をつくっていくという考え方もなくなったかもしれない。ひとつのルールにのっていかないといけないというルールも形になってしまった。  物理的な現象を起こしているのは、バッティングでボールがとぶのも同じです。瞬間的にどの角度でどの速さで、どの面にどうぶつかれば一番飛ぶのかというのは科学的に証明できます。記録が伸びるのは、用具もよくなるからです。昔のものよりもボールもとびすぎるから、とばないようにおさえたりする決まりが出ている。改良していくと、いくらでも伸びてしまうわけです。声の場合は、外から変えませんし、用具は使わないのです。だから多くを心身に負うのです。  

2014年4月14日 (月)

アカペラの声 V214

私は声をアカペラ(この場合はマイクなどの音響技術を使わないということで、本来意味が違うのですが、生声というのも私の伝えたいニュアンスが違うので、慣習的にそうしました)でみることにしています。つまり、歌唱やせりふ、ナレーションなどにもいろんなテクニックがあるなかで、声そのもののトレーニングに焦点を当てるために、マイクを使わない声としてみています。(ヴォイトレにはこれと異なる見解があってもよいし、マイクテクニックやマイクと合わせた声を考えることを否定するわけではありません。ここにも一部、マイクを取り入れるレッスンもあるからです)  これがなぜ大切かというと、声を、ただ音のソースとして音響で加工することを前提にすると、トレーニングの結果、つまり、その前後で何が変わったのかが曖昧になるからです。  マイクの使い方がうまくなって作品がよくなるのは、マイクテクニック、同じように発音がよくなって作品がよくなるのは、発音トレーニングです。もちろんそのベースにヴォイトレの効果もあるので、どこで区分けするのかは曖昧です。  実際、究極のところ、声に基準をつけるとしたら、こうしたボトムアップでなく、一流のレベルで声を使う人を想定してのトップダウンでしかないと言っているのはそのためです。  

勝負の土俵 B139

 向こうが70と20くらいでやっていることを我々は60と50くらいの間でやってしまう。アマチュアの人は、80だけとか30だけでやろうとするわけです。100の世界があるとは考えない。ところがプロはそれを20以下にしてみたりする。表向きだけ真似する人は、そこを言葉にしてしまったりそこを引いてしまったりして、全部の流れを壊してしまう。
 既に音楽の流れがある中で、声をどう動かしているかという勝負をしなければいけないのです。音楽をつくっていくのではなくて、音楽はすでにあって、流れている。その中で声を置いて言葉して、変化をつけて最高のものにする。そもそも勝負していますか。

2014年4月13日 (日)

声を観る V213

トレーナーをみるときには、言うまでもありませんが、私は2つのことをみます。一つは声で、もう一つはその自分をどのくらい客観視できているかということです。  日本の場合、経験の略歴や肩書というのもほとんど当てにならないのです。ときに、出身の大学(音大)などや、学んだトレーナーなどで、実際のレッスンで問題が生じたときに参考になることもあります。しかし、それらは先入観にもなるし、同じ出身であっても声に関しての考えや扱いは一様でないので、結果として、その日にその人の体、感覚上に現出している声とそのコメントをみます。そこは生徒さんをみるのとほとんど同じです。  教えてきた経験の有無やキャリアについては気にしません。経験のある人は、どこかでレッスンを受けてくる生徒と同じく、ブレが大きく、よい方にも悪い方にも大きく出るので、むしろ気をつけてみなくてはいけません。  声などは曖昧なものですから、何か人に教えるものがあって教えてきたという経験、つまり教える技術だけでもレッスンくらいできるのです。呼吸や身体、話し方などの一つに詳しい人で何かを教えたことがある人なら、ヴォイストレーナーと名のればそれでOKでしょう。そもそも資格そのものがない上に、何をどう教えてどうなるのかさえ、何ら、決まったものではないのです。ですから、教える技術、つまり人に対することへのスキルを持っている人ほど、本人も気をつけなくてはなりません。  「喉や声をよくしてあげる」と言って、信用してもらえたら、カウンセラーでも、フィジカルパーソナルトレーナーでも、務まってしまうものだからです。レッスンを受ける人にそういうトレーナーに気をつけろと言っているのではありません、そういうことが得意なトレーナーは自ら気をつけることです。自分の得意におぼれてはよくないと。特に研究所は、結果として私が最初にトレーナーの信用を与えたようになるので、その後にレッスンが成り立つところまでしっかりとみる必要がありました。しかし、そこからまたお互い多くを学べるというものです。  

変化でみせる B138

歌っている、声を出しているということではなくて、その変化を見せられるかなのです。フレーズ間のこと、さらにそのフレーズの中での動きを、きちんと納められているのかという見方をしてみてください。  歌うということは、この歌で勉強する必要はないわけです。勉強すべきことは、どういう変化を使っているかです。一流の優れた歌い手というのは、勘もいいし声もいろいろ出せる。声が出せるのに声を出さないで歌っている部分はどういう意味があるのか、声の変化で歌っているわけです。それをそれなりに大きくつかまえていく。そうでないと、真似ていたのでは、より小さくなってしまうでしょう。  

2014年4月12日 (土)

「お山の大将」の脱し方 V212

トレーナーの採用

 年に何回かトレーナーになりたい人から連絡があります。これまで外部採用をしてきた経験から、トレーナーの採用とその周辺の事情について述べます。
 ここで述べるヴォイストレーナーとは「声を育てるトレーニングをする」トレーナーです。
 いくつかのスクールの立ち上げやそういうところへのトレーナーの紹介をしてきたことは、私にはとてもプラスになりました。さらに、その後にそこからの経験や結果、人が育ったか声が変わったかということもフィードバックされましたから、研究所外のこととしては多くの学びがありました。
 短期のレッスンやワークショップ、体験レッスンなども、随分と行ってきました。
 このようにして私は元より、私のところのトレーナーは、改めて区分けする必要もなく、いろんな材料を持っています。DVD、CDなどの教材も集めてきました。それらは、現実のレッスンとは切り離されたものですが、いろんな示唆が得られるものです。

生声  B137

ポップスの中では、要は70のままでずっと出すのなら20と50の間で差をつけていったほうがいいということです。そこを音響がやってしまう。長く伸ばさなくても、リヴァーブをかけてしまう。ビブラートをかけると、なおさら聞きにくくなってしまうから、生声のままで歌っているのですむ。それでは技術はいらないのかというと、逆に技術での見せ方が必要になってきます。昔のものはオペラと同じで、マイクがなくてももつような歌い方をしています。

2014年4月11日 (金)

偽装について お知らせ

fukugen「偽りの証明よりも次代へ」をアップしました。読んでみてください。     http://bvt.txt-nifty.com/fukugen/

感覚を鋭く  B136

4,1,2,3,4,1,2,3の繰り返し、英語はそういうことですから、ここの部分の感覚を捉えなければいけない。ここは強く高くということです。
 100のマックスでの70であっても全部持っていったときには、聞き手にとって50でずっと持っているのと同じように聞こえてしまうということです。
 そこで体を使ったり、そこで声を大きく使おうとしているがために、ピッチが乱れてしまったりノリが悪くなってしまったりします。その変化が見えなくなってしまうと、退屈な歌に聞こえてしまう。それが頑なに守られているのは、ミュージカルとかオペラとか、あとはアマチュアの人がやっているところです。
 そこですごい声ということでは、プロになると却って聞けないですね。日本では、長唄のような世界、それはそれでいいと思います。ああいうふうに朗々とやっていく。

 

2014年4月10日 (木)

ステージ対応のレッスンを [論9-13]

練習は本番よりもハードでなくてはなりません。声での肉体芸術だとすると、舞踏でもスポーツでも、時間も量も練習の方が多くハードなものです。それは力をつけていく段階のことです。試合前の調整は別です。なのに、ヴォイトレで試合前の調整だけをやっていくように思われ、使われていることがほとんどなのです。このように、レッスン室がステージに対応できていないのは大問題です。
 私は、レッスンで、ここで出す声の最大の声量、最大の声域、最良の音色(あるいはあらゆる艶)、共鳴のなかから選んだものしか本番は使えないということを言います。練習で出せない声量、声域は本番でも出てこないのです。出ることもありますが、それを期待するべきではないと思います。
 練習は本番を楽しく演じられるために、その応用が自在にできるためにパワーアップしておくものだということさえ、最近は成り立っていません。
 常日頃から本番よりも厳しいテンション、心身の酷使なくして、どんなステージが務まるのでしょう。ステージ自体が緩くなっているので、こういう考えを古いというような人さえ、当たり前のようにいます。ただし、ステージでの緊張の高まりなくして客は感動しません。[完]

タイミングの妙 B135

たとえば、「さよなら」から入る部分、タイミング、そういう勉強をしていないと強く出すぎてしまったり、うまくとれないで出したりする。
 プロデューサーもそういうことは何も言いません。そこはバンドが処理してしまっているからです。いつまでたってもプレイヤーの音楽はよくなっていくのに、歌や声は完成されていかない。だからこそこういうところからやります。ギャップをみないで成長もないのです。

2014年4月 9日 (水)

4,1,2,3 B134

フレーズレッスンは、1,2,3,4, 1,2,3,4とあるとしたら、4から1に入ることをよくやります。それから2から3につなげることをやります。そんな感覚はいらないと言う前に、根本的に入っていない私たちは必要です。順番に1,2,3,4と捉えている。それと、4,1,2,3,4,1,2,3、という感覚の人種とは逆です。それを使わなくとも、それが入っていないのだから入れておくべきだということです。入れても使うことを考えなくてもいい。

 

丁寧なレッスンのよしあし [論9-12]

声について、丁寧に捉えるように細かく感知できるようにしていくのです。となると、レガートやヴォーカリーズを本当に弱く小さい声でくり返している人もいます。しかし、それだけは問題です。むしろ、これは声に難点がある人に対して、3~5年くらいはしっかりと学んで上達してきた人のトレーニングなのです。
 その前に体への感知力を高めることが必要です。体や呼吸がコントロールできなくては、声はままならないからです。
 一方でやや大胆に荒っぽくみえても、感情のまま、あるいは、腹から出してみることも大切です。
 一人のトレーナーのレッスンだけで続けてきて、いつまでも変わらない人も少なくありません。
 鼻から息を吸うのはよいが、そこで吸引の音が伸びる、しかも時間がかかり、たっぷり吸えずにいる、これは日本のヴォイトレに多い例です。これでは普通の人よりも大きな声が出ません。多分、声の変化、成長がほとんど感じられないでしょう。上達が声域だけを狙ったための結果として、よくみられる一例です。

 

2014年4月 8日 (火)

生理的ルール B133

 基本に戻って、線としてもう一度、音を捉えてみましょう。どういうふうに動かしていくかということです。
 日本の歌は母音で長く伸ばしていきますから、歌っているところだけが歌のようになっていっています。どこで入るかも適当、といういい加減さが、いつまでたっても音色とかピッチとかに、感覚がいかないようにしている。その辺は、どういうルールで、生理的なルールを踏まえた上でリズムのようなものを持っているのかを知っていく。言語からきている部分が大きいのですが、どう動かしているかということを学びましょう。

喉をはずす☆ [論9-11]

 嗄れ声、かすれた声、喉を使った発声の問題などは、どのレベルで問題とするかで大きく対処法が変わります。正論、理想論としては、休めて回復させることです。少なくとも悪化は防げるので、ノーリスクを第一とする場合、しかも相手が素人なら、そのようにするべきでしょう。  とはいえ、それだけでよいとは思いません。似たことを述べましたが、「500メートル歩いて、足が疲れた」と言う人に「休みなさい」と言って何が解決しますか。少し疲れては休みというのではますます弱くなりますよね。  出血したり挫いていたなら手当も必要でしょうが、まともな人なら、「毎日続けたら慣れていきます」とか「では、毎日50メートルずつ増やしましょう」とか言いませんか。  でも、「疲れるなら歩かないで、呼吸と柔軟を充分にしましょう。すると歩けるようになります」と言うようなのが、今のヴォイストレーニングであったりするのです。  昔の私なら、健康な人には「10キロくらい歩けるようにしてからヴォイトレをしましょう」と言ったでしょう。ステージや歌が目的であれば、そのくらいの心身を鍛えるのは前提です。声の問題以前のことです。また、手足とは違っているとはいえ、発声も筋肉に基づいているのです。本当に喉をはずせるようになるには、喉を使って覚えていかなくてはならないのです。  

2014年4月 7日 (月)

聴き方を変える B132

要はアクセルとブレーキみたいなもので、ブレーキの利かないようなことはやっていないのです。日本人の作品は何かしらアクセルをふかしているだけ、それをきちんと戻して次の流れに結びつけるとか、そこで起きたことを即興的によりいいように生かすところまでの神経があまりないのです。オペラでも、ポップスでもそうだと思います。
 そういう部分で、私の見方は変わってきた。私は見方が変わってきたのに、歌のことばかりやってきた人たちはあまり変わらない。聴くことばかりやると、聴き方が変わる。歌うことばかりやってきても、聴けてくればそれはいいのです。そうではないから、なかなか難しい部分はあります。

変わること [論9-10]

恵まれて苦労なく育ち、自我が拡大すると忍耐力がなくなり、抵抗力もなくなります。弱いものとしての強い立場を利用したクレーマー(社会現象と化したモンスタークレーマー)は、全てを周りのせいにすることで、自分自身の変革、つまり成長や上達の機会を逃してしまいます。
 レッスンやトレーニングということの本質を理解せず、自己満足、ストレス解消、顧客満足度を求めていくと、自分は変わらず問題は先送り、もしくは消失するだけです。トレーナーを利用して、いかに自分が変わっていけるかに焦点をあてるべきです。

 

2014年4月 6日 (日)

流れでみる B131

音楽として聞くと全く評価が違ってきます。それはよくありません。エコーをかければつながると何でもよくなる。
 ポップスの見方で今の時代からスタイルを考えてみます。昔から共通していることはある。ただ、日本人があまりにそういうことを見ないできた。それは、全体的な流れの部分です。向こうの一流の人もいろいろなことをする。しかし、突っぱねたり飛躍させたりするとしても、必ず絶妙におさめているのです。

 

プラシーボ効果のよしあし [論9-9]

心身が支えるという点で、トレーナーやスタッフのかけることばがトレーニングの効果につながることは当然です。褒められる、認められるというのは、どこの世界でも指導の王道です。ただし、最近の日本では、メンタル的な弱さをサポートするのに、余りに安易に使われすぎているように思います。  自己暗示に似た擬薬効果は確かにあります。結果として、ことばかけが効いても、レッスンのスキルが効いても、効果が出ればよいというレベルもあります。  ただ、それでは、あるところまでしか達しません。ここをしっかりとわきまえることです。声にしても体にしても、健康になればよいというならそれでよいと思います。  ただし、そういう状況であって、その状況におかれているのに気づかないのが、本当は大問題です。  

2014年4月 5日 (土)

声力でみる B130

昔のオペラは声だけ、ハイCの輝きだけを聴きにきていた。それがだんだんドラマで見せるようになってきた。オペラというのは、ミュージカルと同じでストーリーですから、声の中では、物語としてでなく、音楽として線がつながっているところを見ていきましょう。  昔から声でしか見ていなかった。こういう声はポップスよりすごいというような、そういうものがあって、声楽を本格的にやっている人は、もっとそういう意識が強いのでしょうけど。  

信じる [論9-8]

トレーナーやトレーナーの方法を信じれば、効果は出やすくなります。私はフィジカルトレーナーもヴォイストレーナーも、どんな分野でも一流の人たちは一種のグル、宗教家のようなものであり、そうであってもよいと思います。
 ただ、それをカルトのようなものと誤解されると困るので、いくつか見分け方を述べます。情報がオープンであること。他のところへ学びに行くことなどに寛容であり、他を勧めるようなこともあってよいでしょう。少なくとも、特定の一人の考えに固執したり押し付けたり、その本や彼の選んだ本しか読んではいけないなどと強制していないこと。
 著名人のなかにファンがいること、それをこれ見よがしに宣伝などに使っていないこと。(これはプライバシーを守り、個人情報を他に出さないこととは全く別のことです)有名人が宣伝塔になるのはあまりよいとは思えません。

 

2014年4月 4日 (金)

構造的にみる B129

たぶん、こういう聴き方で、今の演奏に対して拍手がくるというのは、私からいうと多すぎる。日本人がどういう聴き方をしてブラボーというのかという行動から見ていくと、一部分の声だけなのですね。どこかの箇所で大きな声が出たり、そこで磨かれた輝く声という言い方がありますけれど、そういうことが単発に出ているだけでブラボーなのです。
 欧米のを聞いてみると、つながっているなかで、構成を、ハーモニーを捉えていきます。重層的かつ構造的なのでしょうね。日本人のはかなり刹那的な反応です。

 

心身を整える [論9-7]

健康な心身を取り戻すのに鍛えるべきなのか、調整でよいのかは、大きな問題です。具体的には、ジムで筋トレ、ランニングするのか、柔軟体操とジョギングでよいのかなどは、その人の今の状態と必要とする目的レベルに応じて違います。
 プロのアスリートなどがヴォイトレを行うと声や歌が著しくよくなるのをみると、一般の人であれば半分以上を心身のことに重点を置いてよいと思います。全身で一曲を歌うと、相当のカロリーを消費するし、結果としてステージほど健全なダイエット法もないでしょう。

 

2014年4月 3日 (木)

進歩として B128

 世の中に売れているもの、流行っているものはいいもの、何らかの理があるのです。若い人が出て新しい歌が出てきたら、それは50年前の歌い手より今はよい。今の時代においては今の歌い手のほうが正しい。正しいという言い方は変かもしれませんが、それを見て嘆いている人も、いつもいるのです。いつの時代も嘆いているのは年寄りです。どんどん新しいものが出てくればいい。
 ただ、残念なことにサッカーやゴルフのように、日本で活躍した人が世界で通じてはいません。そこは今、ダメになったのではなくて、昔からあまり変わらない。つまり、進歩していないのです。
 

身につける [論9-6]

声は心身に支えられてついているのですから、今の時代のようにメンタル、フィジカルの問題で日夜ストレスを抱えている人は、まずは、健康な心身を取り戻すことがヴォイトレの前提です。
 声を通じて心身への働きかけを行うのも一つの方向です。声に興味があればなおさらです。温泉に行かなくてもカラオケでストレス発散している人もいるのです。
 私も声を通じて心身の管理、コントロールを自ずとしているようになっています。レッスンの後は頭が解放されて疲れがとれているのです。昔ほどには無理をしないから、喉が痛くなるような不快感や症状もありません。声を出していると、声がより出やすくなり、楽になります。ようやく身についてきたのだと思います。

 

2014年4月 2日 (水)

獲得すべきこと☆ B127

クラシックのやり方がポップスに入ってくると、ポップスの中でも共通のやり方があるのではないか、あってほしいという願いが出てきます。トレーナーの出現はそういうことです。そこに、あたかも確かな基準をつけなくてはいけなくなってきます。すると上達するものに対して、ランクを付けることになります。そして、それにそって磨いていかなければいけなくなるのです。  以前のようにオペラと同じように見ることもできていた時代、マイクがなくて勝負できた時代は、それなりに基準がつけられたと思います。  声がよかった人は、それでよかったでしょう。声が大きく出る人はそれで条件を満たしていた。ところが今みたいに音響技術で何でもできるようになってくると、獲得すべき条件は何なのかが曖昧になります。それこそが自由というもので、より活かせばよいだけのことです。

レッスンと施術の違い [論9-5]

私は、どこも痛くないのに体の手入れをやってもらう、そこがすでに矛盾しているのです。体の問題を抱えている人の施術と比べるとよくわかることです。
 温泉の効用などはストレスや疲労でガタガタになっている人にこそ顕著に表れるでしょう。では、マッサージやフィジカルトレーニングとどのように違うのでしょうか。
 そこで協調したり補足しあって働くことも反発して働くこともあるでしょう。何かすると必ずプラス面とマイナス面が出てくるものです。
 ヴォイトレも同じです。そういう面では、ヴォイトレのトレーナーよりもフィジカルトレーナーの方が発声そのものに即効的な効果があってもおかしくないのです。喉を使いすぎた人については特にそうなります。しかし、大切なのは、回復させることでなく、力をつけることです。一般の人は回復しないと力がつかないと思っているのですが、回復する間もなく力をつけていくような形でしか、あるレベルより上にはいけないことを身をもって知るべきです。

 

2014年4月 1日 (火)

新年度 お知らせ

新年度がはじまりました。

「発声と音声表現のQ&Aブログ」が1日に3~4問へ変わります。

サイドバーにリンク先がありますので、ぜひ、ご覧ください。

オリジナリティの見方 B126

10年くらい前に聞いたものを、10年後に聴いています。聞き返して、自分の得ていた感覚と、今聞いた感覚との違いをみます。  日本人として育ち、日本人として受け入れて、人に対峙したときに、自分が元々もっている条件はあるわけです。それを一回ゼロにします。相手のものと置き換えられるかはわからないのですが、歌の場合は体が楽器ですから、そこの部分で、相手になりきれない部分が出てきます。その決断こそが決めてです。  筋肉も、呼吸も一人ひとり皆違う。それは性別や年齢ということではなく、個別に質から何から全部違う。  ただひとつ基準があるとしたら、音として聞こえてくるものは、物理的な現象です。それにそぐわないと心地よくないということ。楽器として、私は「オリジナルの声」といっています。その楽器の使い方としての一番いいものはあるということです。人間として声のマックスでの使い方として定めたのが、クラシックでしょう。それをより個人の使い方で定めた一分野がポップスだと思います。  

メンタルアプローチ [論9-4]

フィジカルにおいても、メンタルへの働きかけ、ことばなどがかなり有用だと思います。素直になるというのは、そのことばの行き着く先へ素直に導かれるということです。「ことばでなくイメージで考える」とか、「言われたことは一度全て受け入れる」とか、ここでアドバイスしているようなことが、こと体に関してとなると、なかなか難しいのでしょう。
 つい、トレーナーのことばの意味や、その矛盾や論理のつじつまの合わないことなどを思いついてしまうものです。よくわからないから効かないと思うと、効きにくくなるはずです。
 どうであれ、「効果を求めてやるのですから、効果が出るように使えばよい」のです。それには、まず使わなくては何にもなりません。どこかで体や感覚に委ねるよりも、頭で勉強しようとか理解しようと思うのは邪心です。それを捨てなくては、新しいことは感じられません。
 

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