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2014年4月13日 (日)

声を観る V213

トレーナーをみるときには、言うまでもありませんが、私は2つのことをみます。一つは声で、もう一つはその自分をどのくらい客観視できているかということです。  日本の場合、経験の略歴や肩書というのもほとんど当てにならないのです。ときに、出身の大学(音大)などや、学んだトレーナーなどで、実際のレッスンで問題が生じたときに参考になることもあります。しかし、それらは先入観にもなるし、同じ出身であっても声に関しての考えや扱いは一様でないので、結果として、その日にその人の体、感覚上に現出している声とそのコメントをみます。そこは生徒さんをみるのとほとんど同じです。  教えてきた経験の有無やキャリアについては気にしません。経験のある人は、どこかでレッスンを受けてくる生徒と同じく、ブレが大きく、よい方にも悪い方にも大きく出るので、むしろ気をつけてみなくてはいけません。  声などは曖昧なものですから、何か人に教えるものがあって教えてきたという経験、つまり教える技術だけでもレッスンくらいできるのです。呼吸や身体、話し方などの一つに詳しい人で何かを教えたことがある人なら、ヴォイストレーナーと名のればそれでOKでしょう。そもそも資格そのものがない上に、何をどう教えてどうなるのかさえ、何ら、決まったものではないのです。ですから、教える技術、つまり人に対することへのスキルを持っている人ほど、本人も気をつけなくてはなりません。  「喉や声をよくしてあげる」と言って、信用してもらえたら、カウンセラーでも、フィジカルパーソナルトレーナーでも、務まってしまうものだからです。レッスンを受ける人にそういうトレーナーに気をつけろと言っているのではありません、そういうことが得意なトレーナーは自ら気をつけることです。自分の得意におぼれてはよくないと。特に研究所は、結果として私が最初にトレーナーの信用を与えたようになるので、その後にレッスンが成り立つところまでしっかりとみる必要がありました。しかし、そこからまたお互い多くを学べるというものです。  

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