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2014年6月

2014年6月30日 (月)

逆こそ真実 V283

 こうして考えるとプロセスを進めていくマニュアルというのは、正しさを求めるゆえに自ずと間違えてしまうことになるのです。いろんなヴォイトレ本が出ています。しかし、レッスンのマニュアルは、それゆえに大して効果が出ないというわけです。  つまり、 1、誰でも 2、すぐに(早く) 3、楽に 4、間違えることなく 5、効果が上がる というものは、肯定できないということです。さすがに全否定はしませんが。

自然に B216

何の世界でも長くやったら人並みレベルまでできます。日常会話を不自由なくできていることでも、高い能力なのです。ピアノを弾いて日常会話しようというのなら、プロでも何分の1も伝わらないでしょう。声はことばというのを覚えなくても声が出すところから会話ができるのです。まだ哺語でむにゃむにゃとしか言えない時期からコミュニケーションがとれるわけです。小学校くらいに上がってきたら、言いたいことを伝えられるようになる。そこがベースです。そこでできていることさえ、舞台でできていないなら伝わりっこないです。こと歌、せりふというのは、誰でもできる。ところが勉強をしてしまうがためにどんどんできなくなっていく。  そこで、ヴォイストレーニングは、発声で訳がわからなくなった人を、自然に戻すことが多いのですね。  

2014年6月29日 (日)

表面より内面から V282

 幼児向けというのなら、時間をかけて成長とともに変じていくというのでいいのですが。しかし、大人であれば、まずは感覚を変えていくことです。気づいたら合っていたというようにしないと間に合いませんし、高いレベルで使えません。リズムやピッチを「正しい=遅れない」というレベルでは、間違っていないだけで、合ってはいないのです。合っていても、それは、けっして心地よい音感、リズム感にならないからです。
 とはいえ、そこからトレーニングを始めなくてはいけない人もたくさんいます。それはそれでよいのです。ただ、そこで目的かゴールと思わずに、あてるよりもあたること、やることよりも聞くことを重視してください。

幻想 B215

ヴォイストレーニングや声楽も、絶対に正しい声やいい発声というのがあるとか、絶対に誰にも通用する方法があって、それさえマスターしたら声が出るようになって、歌がうまくなるというような幻想みたいなものがあるようです。その人の声を聞いたらわかるのに。
 

2014年6月28日 (土)

fukugen お知らせ

fukugen「6/25ワールドサッカー日本一次予選敗退。」をアップしました。

「結果オーライ」という理論 V281

 一方で、いつも「結果オーライ」の基準を私は提唱してきました。よい方法かどうかなどを問うよりも、その人がよく生きていたらよいものを得ているということです。  たとえば、リットーミュージックで出した拙書のヴォーカル教本のほとんどは、「響きにあてるな」「共鳴させようとするな」「当たってくるまで保て」「共鳴したらよいがさせてはいけない」など、従来の方法やプロセスを否定するようなことばを使っています。  そうしたい人に「そうするな、そうなるまで待て」と言うのはおかしなことですね。しかし、そうしたいことが本当の目的でなく、プロセスにあるのですから、そうしようとするのはよくないのです。もう一例、ピッチを正しくとか、リズムを正しくというのも同じです。正しくないから合わせようというのは、初歩のトレーニングというよりは、低次元を目的(ごまかし、付け焼刃)としたトレーニングです。  

おかしい B214

日本の歌は喋ったほうがいい。楽屋で女の子が喋っていると、面白くて個性的なのに、舞台に上がって歌になると、一様につまらなくなります。同じ動きをして同じ間の空け方をする。合唱団の楽屋裏に行くのも楽しい。並んで歌ってしまうやいなやつまらない。これは教育の現場、トレーナーたちもおかしい。
 日本人の精神的なものがそういうふうに、一つの目的に対して組み立てられたときに、おかしくなるという例の一つです。おかしくなっても頑固に守りたい人がいる。
 

2014年6月27日 (金)

表現の目標 V280

 表現(ここでは3とする)をどうみるかは、声も歌も曖昧な世界のポピュラー歌手や役者においては、最高レベル世界のトップからみるしかないということで、トップダウンの考えを述べてきました。ここでも、3a=世界、3b=日本と考えて、3aを目指すべきです。なのに3aに届かないから3bを目指すことしかしていません。それどころか、3aをみないで、知らないでとなりつつあります。(a=内なる表現b=仕事の表現)
 3aからみるからこそ、3a―2a―1aと一貫した基準と真にオリジナルな作品、歌、声が明確に見ることができるのです。私が日本の音声の表現舞台、しいては、日本の歌の判断を好まないのは、3c、3b、3aとバラバラななかでの器用さに長けていることを選ぶよう強いられるからです。
 確かに音楽のルールを守って、きれいな声で、うまく歌っている。そのことに文句はありませんが、本人不在なのです。整形美人のようなものですから、どれも同じように心地よく、それゆえ、飽きてしまうのです。
 ここで気をつけたいのは、aをみないbの勉強がレッスンとして行われることがほとんどであるという現実です。

万能力 B213

声で得た技術そのものはどこかに使えますから、こんなに確実な自己投資はありません。ブランドものを買ったりするよりもよい。人生のいろんな場面において、声というのは決定的な影響を持つことがあるからです。
 声楽をやったけれど就職できないという。そうしたら学び方がおかしい。他の人より声が使えるのに、説得できない、価値を与えられないとしたら、何を学んだのでしょう。ものまねで終わっていませんか。
 声、せりふを使えばなんでもできてしまう。しゃべっているだけでもいろいろなことができていく。それ以上のことを起こしたいから、歌やステージを使う意味がある。

2014年6月26日 (木)

内なるものと外からのもの V279

 声も  
a.内なる自分の声
b.仕事などで求められる声
があります。aからbを包括するa⊃bが望ましいのですが、aがみえぬままbでつくってしまうことが多いのです。つまり、日常の声力がもっとあれば、もっている声を使うのですが、日常の声力がないとトレーニングで補ったり無理につくらなくてはなりません。つまりaがbに並び、何とかプロ、それを超えるにはa⊃bまで基礎としての声力を高めなくてはいけないのです。これは歌についても全く同じことがいえます。ここの「声」を「歌」に置き換えても通じるということです。
 カラオケやもの真似のうまい人は2a⊃2bです。(2aは内なる歌のフレーズ、2bは外から求められる歌のフレーズ)もちろん、ただ下手な人よりは2aの力もあります。
 しかし、bを目的にしてはよくないのです。aをトレーニングしてbが包括されるようにしていくことです。この関係は本来、1a⊃2a(声⊃歌)でもあるべきです。日本人の場合、歌の求める声域、声量、リズム、音程すべてがbとして、aより大きくなっています。それでは歌って精一杯、まして真の表現には至りません。

先のために B212

 役を完全に演じきれる人だったら、人生に失敗することはないです。声はその武器の一つです。世の中の役に立たないとしても、自分はやりたいというこだわりがあれば、そういうのがアーティストなのだからいいと思います。しかし、第三者からみた可能性を先に予測して、開くのがトレーニングです。
 

2014年6月25日 (水)

声におけるオリジナリティ V278

オリジナリティというのは、声においてはど真ん中の声です。(人によって高音も発音も声量も異なります。今もっともよいのと、将来もっともよくなるのともことなります)。それに対して、歌をここで「歌のオリジナリティ」と区分けしたのは、歌全体でなく声のフレージング、音声の描く色や線のことです。声が音色、歌がフレーズということでもよいです。絵の基礎デッサン(色と線)にあたります。  歌手の場合の表現は、音の世界にみるなら、ステージ>音楽>音声(声、歌)と絞り込んで、そのデッサンの組み合わせとしての絵としてみるのです。歌のオリジナリティは声のフレーズの組み合わせなのですが、私は、声=色、歌=線、表現(歌)その組み合わせとしてみることが多いです。

成功に向けて B211

声については、考え方も出し方もいろいろな人がいて、いろいろな対応をしています。答えとか正解とかを一つに考えてしまうと、それがずれたときに通用しなくなってしまう。それでは甘いのです。  声をトレーニングして、その人が社会的にも成功しなければ、それはよいトレーニングではない。声は、人間の社会の中で大きな位置をしめている。そのことをやって、人生がうまくいかないとしたら、トレーニングやレッスンに本質的に欠けていることが多い。  

2014年6月24日 (火)

オリジナリティをみる V277

 本人のオリジナリティをみるとすると
1、 声のオリジナリティ
2、 歌のオリジナリティ
3、 表現のオリジナリティ
はそれぞれが違います。
 どれかが抜きんでているか、総合的に力があればよいのですが、その配分こそがオリジナリティというようにも思います。配分というよりは、組み合わせという方が近いかもしれません。

プロへの対処 B210

プロとやるのは楽です。余計なことは必要ない。舞台の中で通用するのだから、その精度を上げていく。発声も、それを支えるものも最低限持っている。足りないのは、日本人の場合は、音の流れの感覚です。そこから声を判断する感覚が甘いのです。
 自分が一体何をやったのかということをきちんと評価できないままに、いつまでも周りから評価されてやれているのは、日本の客やスタッフの音声への基準の甘さだと思うのです。だから、その先で伸びる人が少ない。そこをしっかり伝えて、トレーニングします。
 

2014年6月23日 (月)

発声と音声表現のQ&Aブログ5000問 お知らせ

発声と音声表現のQ&Aブログ」が5000問を突破しました。今後、さらに充実したものにしていきます。

やり方と学び方 V276

 やり方というのは学習法、勉強法ということです。(ただ、日本の場合はこれが目的になりがちなので、ここで「仮に」ということを強調しておきます)もちろん、天才は全く他人を参考にせずに、一方的にすぐれていくのかもしれません。直しようもない、あきらめるしかない強烈な個性が、歌や音楽へ開かれていたら才能としてみるわけです。
 ただし、音楽という再現芸術においては、発想やひらめきだけでもっていけることはないと思います。少なくとも、一流は、その前の一流に学んできたのですから、その学び方を学ぶのがレッスンの役割です。

一般の人への対処 B209

ヴォイストレーニングというのが、本当にプロでうまい人にしか伝わらないのだったら、意味がありません。どうしようもない人にも役立つ、やったらやっていない他の人を追い越せる、やることによって、大きく変わるということに、大きな意味があるわけです。  私が一般の人と行なうようになったのは、一般の人の声には、声を支える基礎のなさが明瞭にみえるからです。ですから、少し支えるだけですぐによくなる。ところが、自分で支える力はないからすぐ頭打ちになる。そこからが本当のトレーニングです。  

2014年6月22日 (日)

3つの次元を分ける V275

 判断について、本人を中心に考えると
1、 本人の声
2、 本人の歌
3、 本人の表現
と、それぞれにオリジナルのものを判断していくのがよいと。思います。何よりも、本人を元にしたヴォイトレであるべきだと思うからです。しかし、こうしたオリジナリティというのは、他にないものゆえ、認められがたいので、ある程度スタンダードな基準を仮に置くようにするのが、一般的な学び方です。今の研究所も、基準を設けて一本通るようにしています。
 つまり、個性・才能なのか、一人よがりででたらめなのかを区別するのを、他のものへの応用性、柔軟性でみる、あるいは、他との比較、競争から、相対的に力をつけるというやり方です。
 

現実的な対処 B208

現実問題として、ミュージカルなどになってくると、期限を切ってそこのオーディションを通らなければいけません。しかし、本人の徹底して掘り下げた価値は、そのオーディションの求めるものに、多くの場合は合っていないのです。 
 実際にプロになるといっても、自分で食えるようにと言っていながら、どこかにのっかっていこうという人がほとんどでしょう。オーディションを通って、レコード会社からデビューしたいとか、所属できたらいいと。現実に私たちはそういう人とやっています。それに対する基準は、当然、与えられたものに添わなければいけないとなります。
 その場合、そこのオーディションに問われることをトレーニングします。本人がそう望むからです。こちらからしかたがないとかはいいません。その人の価値観の中で、その目的や夢に対して、トレーニングするからです。
 

2014年6月21日 (土)

評価とレッスン、トレーニング V274

 「こういうトレーニングやレッスンをすれば、こうなります」という、基礎づくりについてはアドバイスできます。レッスンを受けるということでないとアドバイスしないというわけではありません。しかし、結局は、その人にみえていないものは、レッスンでみえるようにしていくように、トレーニングで補わなくてはいけないのです。ただの一言アドバイスは、それを必要としないくらい勘と感覚のよい人を除いて、大半の人には自信をつけるための励ましと慰めにしかなりません。
 声も歌も、その人が生きてきた歳月や環境に基づいているだけに、本当のことをいうと、一人で大きく変えるのは至難の業です。また、小さく変えてみても、大して大きく変わらないのですから、こういうスタンスにならざるをえないのです。

可能性 B207

現実の世界でやっていて、実際にここにくるプロのヴォーカリストを見ていると、上手下手ということではない、その人にしかできないことが必ずあるわけです。一番大切なことは、学ぶべきことです。
 一人ひとり違う体を持っていて、一人として同じ声帯を持っていません。結果として、誰一人同じ声を持っていないことに対して、どういう判断をプロセスで下すかといったら、かなり難しい。難しいことを知っておくとよい。
 世の中が認めようが認めまいが、こだわり続けて一番いいものを出すこと、それを深めていき、多くの人に認めさせていける可能性のあるものをみつけたいと思うのです。
 

2014年6月20日 (金)

評価のスタンスとレッスン V273

 私は、歌を評価するときには、大きく2つのスタンスに分けてみています。トレーナーとしてと、プロデューサーとしてです。研究所で、トレーナーとして対しているときは、歌のよしあしそのものでなく、声のトレーニングとしてのオリジナリティにおける可能性で判断しているわけです。ですから、単に「どうすれば歌がうまくなりますか」というのには、そう簡単に答えられません。そこに「プロになる」「聞く人を感動させる」「価値を与えられる」というようなことが入るのであれば、なおさらです。「うまくなる」のと「オリジナルな価値」とは相反するものでさえあるのです。  

ずれる B206

声が出せない人が、声を出すところまでは、日常レベルのことへの対応です。専門家を紹介することもありますが、カウンセラーのほうがいい場合もあります。
 理想とする歌声があって、学びにくるとしたら、違ってきます。まして、プロの活動のためとなると、かなりずれてきます。
 今のヴォイストレーニングや声楽の大半は、現状に対応できていないでしょう。ヴォイストレーナー、声楽の先生は、今のJ-POPSの発声を認めないでしょう。そのずれをなくす必要はありません。むしろ、そのギャップをさらに大きくして分けてみることが大切なのです。[続]

2014年6月19日 (木)

声のサバイバル V272

再び、レッスンの意味に戻ります。私は、トレーニングは一人でこつこつ地道に静かにやるもの、レッスンは気づきにくるものであり、どんな形であってももいいと思います。
   ただし、教えられるので気づくのは全く違います。わかるのとできるのも違います。(過去のを参照ください)
 つまり、レッスンはトレーニングのチェックと次のトレーニングのメニュのガイダンスをするべきです。なのに、すべてレッスンが、今やまるでそこだけで効果を上げるもの(上げられるのが見せられるもの)ばかりとなり、それがヴォイストレーニングといわれているのです。もしくは、最初からいわれてきたのです。全くの長期的展望や理想を欠くものとなっているのです。
 これは私には、テレビ化したとも思えるし(テレビ局とは、そこでどうしても折り合わなかったのですが)プロデューサーは、30年ほど前から少しずつそうであったのが、他の人もほぼ全てそういうふうになっていったということもあります。
 歌手の力も役者の力も衰え、また客もそれを受け入れ、ジャンルとして弱体化していきました。残念ながら生き残るのに望みのない分野になりつつあるということです。どうであれ、声の力をつけるのがヴォイトレと私は思っていますし、それは、今後も変わらないでしょう。

削ぐ B205

歌は、いろいろな力で成り立っています。作詞作曲の力だけでも成り立ってしまう。バンドのよさ、ステージでのパフォーマンスや踊りだけでも成り立ってしまう。ルックス、スタイルだけでも成り立つ。そういう部分を全部含めていくと、ヴォイストレーニングは訳がわからなくなってしまう。むしろ、声以外のものをとことん削いでいくことです。
 ここで問うているところは、音声で表現する舞台と考えています。
 

2014年6月18日 (水)

内装 お知らせ

内装工事が終わりました。気持ちよくレッスンが受けられるよう、さらに改善していきます。

声を目的としない V271

 「ヴォイストレーナーにつけたのに全く声が出ていない」「腹から声が出ない」「呼吸も身につかない」と、そういうことで、人づてに紹介されてくる人も増えてきました。そのトレーナー自身が腹から声が出ていない、呼吸も浅いのに、なぜ、レッスンを受けた人が変わるのでしょうか。(もちろん、変わるケースもあります。トレーナーを庇うわけではありませんが、トレーナー=レッスンの目的を遂げた人としてみるのは危険でもあります。トレーナーがそうでなくても相手がそうなればよいともいえるのです)
 問題は、このトレーナーは短期で少しの効果をあげてきた、つまり、レッスンする前と後で、状態をよくして、1~2割伸ばすことを指導しているトレーナーだということです。最大で1カ月~1年、それまでに生徒もやめるか、曲を覚えたり、リハーサルがわりに、と、元より、本来のヴォイトレとは違う目的で続けている。あるいはそれがレッスンの目的で本当のヴォイトレはもともと存在していないケースも多いのです。そういう形でのレッスン形態なのです。音程、ピッチトレーナーやリズムトレーナー、アレンジャー、プロデューサー、作曲家出身の人も、呼吸、発声、共鳴の本質的なことは伝えていないことが多いのです。(ここで言うヴォイトレの本来の定義などは、私が述べているだけで、公にはありませんから、批判にもなりません。誰が使ってもよいのです。ただ、声を目的としていないのに声が変わるわけありません)

共通のもの B204

声そのものを聴くこと、これは文字では伝えられません。どんな音楽をかけてどう聞くのかということも同じことですね。
 それを学んでいくには、プロは共通して持っているのに、普通の人は持っていないこと、それを明らかにしていくのが、ひとつの基準でしょう。
 好き嫌いでないところで判断できるように、嫌いであっても、評価されるというものを認めていくというのが、可能性を大きくするために必要な価値観なのです。

2014年6月17日 (火)

ヴォイトレよりよい方法 V270

まだ20代、30代くらいの若いトレーナー、自らの声もまだ完成していない人の意見は、目的や求めるレベルを明らかに異としていることが多いものです。(これも、たくさん取り上げてきたので、ここでは省きますが)そのくらいのことなら、カウンセリングやコーチング、あるいはヨーガ、フィットネスジム、もしかしたら吹き矢やジョギングなどの単純な運動と、それに伴う柔軟をやるだけでも、かなり解決することもあるということです。
 もちろん、本人が声の問題と言ってくる以上、声からのアプローチでよくする(普通の状態にする)のはよいことです。ただし、それでもヴォイトレするよりも、もっと早くよくなる方法もあります。
 私は、加齢で声の出にくい人を、運動と柔軟でほとんど声そのものにタッチせず元の状態にしました。体力が若いころの2割くらいになった人なら、ヴォイトレするより、体力をあるところまで取り戻す方が声も早くよくなるのです。
 声がかすれたことで来た人にも、「発声よりも先にやるべきことがたくさんあります。それも含めてヴォイトレ」とも言います。私は、レッスンより先に体の専門家を紹介することがあります。その必要が大きくなってきたので、研究所のなかでも備えるようにしています。

日常の基本 B203

日本の場合、歌は必ずしも音楽的な基本、声の基本とはなっていません。むしろ離れていることが多いです。ヴォイストレーニングや欧米などの発声法を、絶対にやらなければいけないということではない。それ以前に、日常の中で音声を表現すること自体のベースが根付いていないことが問題なのです。
 こうやってしゃべって伝えていることで、役者のせりふができて、そこに節をつけることで歌ができる。その程度のものなのです。ところがそこまでのことができていないから、別にトレーニングをしっかりとしないと、せりふや歌が成り立たないということです。

2014年6月16日 (月)

「鍛えること」へのタブー V269

声に対してどこまで求めるのかということは、ヴォイトレを求める全ての人に共通する問題ではないと思います。声はツールでありメディアですから、それを媒介にして何を伝えるのか、そこで、声そのものの必要性は、目的やその人自身にもよります。(しかし、ヴォイストレーナーには、声の力はいるでしょう)
 私が最近取り上げているのは、筋トレの要、不要とか、ハードトレーニングの是非についての先人たちの見解です。(→※参考、プロ野球の筋トレ(rf)
 若いトレーナーなどが、合理的、論理的、効率的な方向へ行くというのは、いつの世でも同じことです。絶対的にキャリアは不足しているのですから、一般化してきた市場で求められるニーズでの裏返しです。(彼らもこれで食べていかなくてはならないし)
 また、私と同じ世代あたりから、そういう意見が多くなっています。もともと声が出なくて芸でカバーした人、ハードなトレーニングで壊したり、苦労した人、非効率かつ間違ったトレーニングをやってあとで効率的な正しいトレーニングをやってよくなった人などは、「使い方が間違っている、それを直せばよい」という効率論者になります。これまでこういったケースについては、述べてきました。本人や周りの体験が元になっているだけに真実味があります。が、そうでない状況もある、というのを知っておいて欲しいのです。

キャリア B202

たとえば黒人でプロのヴォーカルになろうということなら、10歳そこそこにはもう決まります。日本のように20歳、30歳になってから、音楽をはじめ「歌手になるには何を聴けばいいのでしょうか」などと言えるのはスポーツ選手を目指す人が30歳くらいになって始めて、大リーグに入ろうと思うというようなことです。
 年齢がある世界ではありません。実際に何かをやっていて、転身した人もいれば、プロデビューが40代以上の人もいます。
 ただ、感覚のことや体のことでいうと、声には総合的な要素があります。その総合的な要素を満たしている上で、さらに具体的な強みというのがどこかで必要になってくる。
 

2014年6月15日 (日)

本当の練習とは V268

私が「本当の練習」というのを、これまでの状態―条件に加えて、レッスンとトレーニングに振り分けるようにしたというのが、今回、論じている新しい点です。つまり、何のための、何を手に入れるための練習かということです。 a.本番、試合、リラックス、応用、状態づくり、全体統一、無意識、調整 b.練習、基本としての条件づくり、部分強化、意識的、バランスくずれる、鍛練  すると、まさに今のトレーナーの一般的なレッスンというのは、トレーニングにならず、応用の調整のようになっています。ですから、1回受けてもよくなるでしょう。表面に出る変化を目指すので、遅くとも3週間くらいで効果が出ます。  潜在的な抑えていた力が解放され、リラックスすりことで、フル能力が出るからです。その後、1年くらいは伸びる、もしくは、もともと力のあったところまで回復するでしょう。  私はそれをヴォイトレアドバイスとして区別してきました。が、もうあまりにそればかりになってしまいました。それらは、ヴォイトレマッサージとかリバイバルヴォイトレ(何年か前のような声が出ないなどという、よくいらっしゃる人にピッタリ)と言う方がよいと思います。  でも、心身がリラックスして声が出たら、それで誰よりも響いて通る大きい声で365日、1日2回2時間ほども歌えるようになると思いますか。

ベーシックなトレーニング B201

 発声をやったことがベーシックとなったおかげでプロになった人というのは、ポピュラーではあまりいないはずです。プロになる前にそういうことをやっている人はたくさんいるし、プロになったあとにやった人はたくさんいる。絶対にやらなければいけないことかというと、必ずしもそうでもないということですね。
 では何でやらなければいけないのかというと、できていないからです。人を感動させたいのに、させられないというのなら、やらなければいけない。 
 プロから見ると、一般の人は、総じて劣等生です。何もトレーニングをしなくても、歌手や役者になれる人もいます。それはやっていないだけではなくて、すでに感覚と体のレベルで、そこまで生きてきたなかでやってきた。その感性として捉えられる力がないから学びにいく。10歳くらいになるとそういうものはかなりはっきりしてきます。
 

2014年6月14日 (土)

2014ワールドカップ お知らせ

2014ワールドカップがいよいよはじまりました。日本との時差が12時間とのことで、朝からの応援です。

「トレーニングした声」にする  V267

プロと一般の人との運動能力の差について述べます。試合に出なくてもバッターなら素振り、ピッチャーなら一球、サッカーならシュートで、そこでうまくてもプロになれない人もたくさんいますが、少なくともプロでない人はわかります。体をみれば、体の動きや筋力で著しい違いがあるからです。なのに、声については、誰も定めていないように思えてなりません。
 そういう必要条件をヴォイトレでみるのなら、声のトレーニングですから、声そのものの力とすればよいことです。
 しかし、ここでその力がなくともプロの歌手やタレントとなれる人もいるので、スポーツのように絶対必要条件としては定められません。
 とはいえ、トレーニングではそれを定めなくては、あまりに曖昧でいい加減です。それならば、声楽家や邦楽家のプロのもつ、声でみればよいというのが、私の考えです。つまり、マイクのない世界での声の力でみるのです。ただし、オペラの歌唱、長唄などの応用力でみるのではなく、声でそれを支える基本能力、呼吸―体(感覚―心)でみるということです。
 トレーナーやレッスンについて「歌を上手くする」のと、「プロにする」のと「声をよくする」のが違うことは述べてきました。ヴォイトレですから、トレーナーもレッスンも「トレーニングもしていない声(これからの声)」を「トレーニングした声(とわかる声)」にする、それがシンプルなことでしょう。

本のメニュと現場 B200

本の場合は、ことばなので白黒つけていかないと、読む人に整理ができなくなります。正直に書いていくと、読んでも混乱してしまうから、ひとつのたたき台として、一つの理屈といった理論を通しておかなければいけない。
 「メニュや方法が正しいか、正しく組まれているのか」というのなら、まったくの初心者に対しては有効です。たとえばスポーツの教則本が中高生に役立つくらいのことは、本でもできると思うのです。
 できている人が読んで、他の人に説明するのに、こういう言葉を使えばよいとか、あるいは自分が今までやってきたことはこういうことだと、まとめたりするのに、理論は便利です。  
 実際のことは現場でしかない。現場というのは、その人がそこに存在して、誰かに何かを伝えたいと思ったときに現れてくるものです。
 

2014年6月13日 (金)

レッスンの曖昧さ  V266

 「レッスンはチェックである」と述べてきました。そうすると、
それは今の状況、状態を把握して、そのズレを修正する(プロの調整も素人への調整も同じ)ことです。しかし、本来はそのこととともに、その上で将来のベストの条件づくりをトレーニングとして課します。そして、それをほぼ毎日実行することによって、外からよりも、内より変化させていかなくてはならないということになります。(一般の人がプロになるための条件)
 外国語学習なら、レッスンで発音を直され、不足している単語、イディオムや文法、構文を教えてもらうとともに、それを毎日復習します。無意識に口に出て使えるところまで慣れなくては、本当に使える実力とはなりません。
 しかし、困ったことなのか、ありがたいことなのかわかりませんが、復習しなくてもレッスンだけで覚えられる人もいます。効率さえ無視してよければ、毎週1回のレッスンだとしても10年経てば、それなりに大したものになります。
 言葉も声も歌も、特別に日常と切り離されていないものだからです。それだけに、レッスンがなくても日常でその要素がたくさんあれば、あるいは、それを取り込むことに、その人がすぐれていたら、力がつくこともあるのです。それゆえ、声や歌はレッスンとトレーニングの位置づけが、とても曖昧であるといえます。
 また、ヴォーカルのヴォイストレーニングと、素人向けの調整トレーニングが、一流のプロ(特に海外など)の行う調整トレーニングと同じだから、正しいとか、効果があるということになっています。確かに力を100パーセント出す分には似たやり方になります。ただし、言うまでもなく、10の力がない素人が100パーセントの力を出しても、100の力のあるプロには通じません。プロは1/10しか出さなくても素人のベストが出せるのですから。ヴォイトレで大切なのは、10を100にするためのトレーニングではないのでしょうか。

依存しない B199

日本にいると、すべて必要なことをやってくださいと期待されがちです。アーティックな分野ですべてやるというのなら、トレーナーがアーティストになります。  トレーナーの主たる役割は、質の高い練習の環境づくりと習慣づくりです。自立できるところまでお手伝いします。自立とは自分のメニュを自分でセットできることからです。  もうひとつは判断力です。一体何を持ってよしとするか、ただし、本人を離れた絶対的正しさという基準は、私の中ではなくなってきています。  

2014年6月12日 (木)

調整だけになった V265

 自らの体験してきた厳しい調整能力を持って、素人の体をみるのですから、本当は大して勉強しなくとも簡単に調整できるほどなのです。第一に、「正常な姿勢や正常な使い方の人はどこにもいない」といえるのですから。(それは、私たちヴォイストレーナーも同じです。声に関しては通じていて、そのようなことを言えるのでよくわかります)そして、それを微調整して今のベターに持って行くのです。すると、体の状態はよくなります。
 一流のプロ選手を相手に一流のコーチが微調整して、本人の解決していなかったズレを戻せるのですから、コーチは必要なわけです。ここで私がコーチと使ったのは、そこは調整方向の指導であって、トレーニングでの改善でないからです。
 全くの素人とプロと同じように挙げたので、これでトレーナーの役割は全て終わったように思った人もいるでしょう。その誤解、論理の飛躍が今、レッスンで大きくなっている問題なのです。そのことを私はずっと述べてきたのです。この2つのケースがもっとも大きな需要となったので、本来のトレーニングが、あたかも存在しないようになったのです。
 この2つとは、一流のプロのベターへの調整と、素人(一般人、初心者)のベターな体調への調整のことです。(心身両方において)

質を問う B198

できるといったらできるようになるものです。たとえば5オクターブ出したいといったら出せるようになる。ただ程度、レベル、つまりは質の問題です。
 音に当てるだけならできる。ただし、それは誰でもピアノを弾けるようになるといっているくらいなものです。自分の中で楽しむ分にはできます。音を鳴らすということまでのことだからです。
 人に価値を与える、相手に喜んでもらえるというのは、それとは全く違います。そこを、へたなくせにくせをつけて一緒にしてしまうとわからなくなります。
 高い声が出せたり、大きな声が出せたりすると有利になるとか、歌手に一歩近づけるということではないのです。
 プロセスとして、発声がよくなると同じ質で、高い声が出るようになってきたり、大きな声が出るようになるということです。
 体力づくりをして誰よりも体力があれば、スポーツで勝てることにはならないでしょう。まして、ステージで一番うまく何かができるようになるということは違います。そんなことなら、スポーツ選手を歌手にすればよいでしょう。
 大切なことは、徹底して自分に向き合っていかなければいけないということです。そうでなければ、真のヴォイストレーニングというのはありえません。トレーナーにできることは、そのお手伝い、100分の1くらいのところです。
 

2014年6月11日 (水)

フィードバック感覚の差 V264

いつもバッティングの例で恐縮ですが、私たち一般人が、ストライクのボールにあたったというレベルで喜ぶのに対して、プロはボールのどこに当たったかまでを正確に捉えられる体感力があるのです。ボールの10センチくらい上を空振りして「惜しい」と、私が思うのに対して、1,5センチくらいの差で大空振りと感じているというのくらいの大差があるのではないでしょうか。(私の想像です)
 つまり、素人は10回スイングして、毎回2㎝以上違うし、そういうことも把握できていないのに対し、プロは全く同じ、何ミリにしかずれないスイングをしているのです。

真の目的 B197

声を自分のための自己満足の部分でやるのか、他人のために使うのかというと、目的としては違います。問われる厳しさも違ってきます。声に関しては自分を中心に立てなければいけないのは確かです。自分の楽器は自分でしか扱えないのです。手伝ったりサポートするだけで精一杯なのです。  声が出なくなってしまったからといって、手術をして出せるようにするわけにはいきません。  高い声が出ないから手術して、高い声を出すということまではお勧めしない。誰かが持っている声を、高い声に限らず、誰かが歌っている声を目指すのは、真の目的から外れています。  それは本当のことでいうと無理。その人の喋っている声から歌っている声まで素晴らしくてしかたがないということだったら、ファン。それまでに、そのレベルでできていなければ無理です。だから私は、何でもやればできるという考えではないのです。  

2014年6月10日 (火)

ロビー お知らせ

ロビーの模様替えをしました。ロビーにある本を読んたり、レポートを記入したりなど、ご利用ください。

すぐ出る効果 V263

驚くべきは、そこで謳われる効果です。1回の指導でほぼ正常になります。ときに、1週間、長くてせいぜい3週間で改善されるというのが、こういうフィジカルトレーニングの特徴です。これには、肩こりや腰痛の軽減のような類も入ります。
 そういうトレーナーが一流に近い選手であっても、一流になれなかったのは、ケガや体の不調のせいです。(とはいえ、必ずしもそんな簡単な理由だけではないとも思いますが)
 体の管理は、基本中の基本ですが、それでもハードなスポーツではアクシデントは避けられないので、そういうことのせいにします。それとて、そこまで一流レベルに体をつくろうとしてきた経験のない受講者には、想像できないことです。そこで得た一流レベルのわずかな調整能力は、一般の人に対しては窺いしれないほどの深い感覚レベルでもあるわけです。
 

マイナスからの声  B196

 脳の病気で言語障害を起こし喋れなくなってしまうと、言語聴覚士が言葉のリハビリを教えます。ヴォイストレーニングの対処とはちょっと違うのです。声がうまく使えないのにもいろんなレベルがあります。東洋的なアプローチで、心と体をリラックスできたら声が出るという方針もあります。しかし、それで出る声と、声として価値をもつところというのは、かなり異なります。それどころか、必ずしも結びついていないこともあるのです。
 

2014年6月 9日 (月)

「レッスンからトレーニングへ」 V262

○レッスン状況論

 ときおり、現場のトレーナーから理想と現実についての話をいただくことがあります。私もこのことにずっと触れてきましたが、少なくとも論として述べるのでしたら、「理想を中心に」、あえて「理想を取り上げよう」としています。
 長期的な視野に立ってこそ、トレーニングの意味があるからです。そして、それを伝えるのがレッスンなのです。
 しかし、ここでも両極のケースを扱わざるをえなくなります。そこに一つの偽善のあることを論じてみたいと思います。
 まず、フィジカルトレーナーでたとえると、わかりやすいので、そこから話に入ります。優秀なトレーナーと思われている人は次のようなプロセスを経ていることが多いように思います。
1、 本人は、日本では一流に近いレベルの選手であった。
2、 ケガやその他の原因で若くして引退した。
3、 そこから独学、もしくは海外の新しい体系を学び、修業の末、独立開業した。
4、 対象は一転して、一般、初心者(まれに一流の選手を扱うこともあり)
そして、日本のこの分野の未熟なことをやり玉に挙げて、その批判に応える形で持論や自分のトレーニング法を勧めます。
 初心者や、一般の人ですから、その方法は、自ずと次のようになります。
1、誰でもできるチェック(ゆがみ、偏り)
2、それを直す方法、体操や運動(1日5分ほどで3~5回くらいととてもゆるやか)
3、その効果の実例の提示

声の効用  B195

自己満足しないためにレッスンを続けていく。歌というのは、自分だけのものではありません。自分の中で飽和していても、そこの時点ではまだ歌とは言わない。
 歌といっても、健康のためとかストレス解消のためとか、カラオケのような感じで使われている場合もよくあります。音楽療法と同じで、声を出すということは精神的な問題を解決することにもなります。声が出せないと、ひきこもりになったりうつになったり、悪い状態になるということもあります。社会性をもちコミュニケーションをとっていく方法として、声自体も使われるのです。
 

2014年6月 8日 (日)

ホームページ お知らせ

ホームページを更新しました。

日常のトレーニング V261

 普段の話も大きくすることについては、練習でないときはよいのですが、ステージやトレーニングを歌唱目的でやっているなら、疲れの回復を遅らせ、慢性の疲労になりかねません。
 特に相手のいる会話では、正しく発声する余裕はないので、せめて一人のときに朗読などで行うようにしましょう。
 練習のヴォイトレ、母音、ハミングなどに比べて、せりふは子音などがあるので、ややハードなもの(疲れやすいもの)です。中心は、母音とその共鳴(レガート、ロングトーン)などですね。

聞く B194

もちろん、海外に行けばいいのかというと、それもいろいろな問題があって、得られないものは得られない。ただ、同じ地球の中なのだから、見ておけばよい。
 声に関しても、日本にいると耳はあまり必要ないけれど、海外は耳が鋭くないと危ない。そういう意味では聞こえてくる音も聞き方も違ってくるでしょう。
 外国語ひとつをマスターするほどに聞くこと、しゃべることも、ヴォイストレーニングのベーシックなことを徹底してやることになるわけです。何でもやってみればよいと思うのです。日本で自己満足せず、もうやることがないというくらいにやったら、飛び出せばよいと考えますね。

2014年6月 7日 (土)

パワフルと調整 V260

声量は、強い高いところで裏がえるときには弱くします。
 地声メインにあげていくのは、声域獲得には難しいので、調子のよいときに留めます。本番はトレーニングの成果を求めるよりも、心身と発声を整えて、頭では忘れてステージに専念することです。裏声中心に高音を獲得して、それの崩れない範囲の声量でバランスをとります。
 ただ、同じキャパを声量5、声域5で使っていたものを声量2にして、声域8にしたところで一時しのぎです。(すぐに効果の出るヴォイトレの正体は、およそこの配分の変更につきます。ただし、初心者が混乱したり迷わないで上達した実感になるのには、もっともよい"方法”です)
 カラオケの高音歌唱に向いている、というだけで、それを上達と誰もが思うのです。
 本当は声量5を獲得した声域にしなくては問題は残ったまま、目先を変えただけですが、カラオケならこれでOKです。共鳴でカバーしても、それもできるトレーナーはほとんどいません。(その違いがわかっていないことが多いのです)
 声楽家は声量が落ちたら届かなくなるので、以前はしっかりとした声で声域も獲得していたのです。それを今は、安易に共鳴でカバーして、喉を壊すリスクを全面的に避けています。その結果、まるでポップスの歌手のようになっています。
 もっともその傾向の強いのが、最近のヴォイトレです。高音はマイクがあるから、歌唱上はそれで可であり、その方向のレッスンもここでは行っています。しかし、本当は声の力そのものはあまり伸びていないのです。そこを注意しなくてはなりませんね。

違う B223

 音楽は皆が楽しむもの。リラックスして楽しむと声は出るようになる。それはベースとしての声、日常の中でそういう声が出れば、周りの人は比較的受け入れてくれるということです。ただ、多くの人を感動させるという武器にはならないですね。その辺を一緒にしてしまうからややこしくなってしまいます。やれた気になってもやれないのです。  

海外に行く B193

 海外がよければ海外にいけばよいでしょう。海外にいっていた人もたくさんきます。海外に行きたければ、行けばよいと言っています。どこでもよい。日本ほどすべてが整っているところはどこもない。そういう日本にいるよりはよい。日本にいると、本当の自分の問題に直面することがあまりない。
 自分の思うことをとことんやらなければ生きていけないと、独りで生きることに直面します。自分の主張をきちんとつくっていくことに対して、よほど我が強くでもないと耐えられない。今のやさしい若者だとつらいところがあるでしょう。
 

2014年6月 6日 (金)

オリジナルへのアプローチ V259

・一フレーズでの高さ、大きさ、長さ、音(発音)での完成、それらのMAXのもの
・全体のしっかりとした流れでのデッサンのよいもの
・軽くバランスと流れがスムーズ
・出だしの声一つで全体が動く、変じていくもの
同じ声や歌い方はないのですが、共通として、そのヴォーカリストのもつ固有性、他人にできないオリジナリティをどこにみるかは大変な問題です。
声楽家は声10+1~10~20
    歌10+1~10~20(ただし発声レベルとして共鳴上での歌唱)
メンタル―元気、威勢のある、楽しい
     威厳、説得力、重さ
     余裕、懐の深さ
スタンス―引いている、小さくまとまる→解放
声    くせ、かぶせる、おとす、もたれる、ほる→芯と共鳴
フレーズ 押しすぎない、ひっぱりすぎない
構成   変化(みせ)―収め方

ポップスの声  B192

実際にポップスで使われている声のほとんどは、テノールとして鍛えた声を使っているのではありません。発声というのをクラシックの先生について勉強したり、そのプロセスを踏んでいる人はいます。
 声に関しては、プロと日本のプロは、少し違うと思います。声自体を芯で捉えていないせいです。向こうの音楽でのいい声だというのとは、違うレベルだと感じるところは多々、あります。
 自分自身に納得するレベルにいくのに、アメリカは、黒人の歌い方に学ぶ、単に歌い方だけではないのです。向こうの言語をしゃべって向こうで学んだらそういうふうになれるかというと、そうではないのでしょう。

2014年6月 5日 (木)

テンポを変えてチェックする V258

 4行のフレーズどの起承転結をみる
1、4行のテンポアップ 2倍のスピードで全体掴む
2、1行でのテンポ 3倍遅くして声と息と体の不足を知る
2倍遅くして発声、共鳴の不統一性、入り方、切り方をチェックする。
音色とフレーズのニュアンスをみる。
3、「Ah~」と出してみる。
1、 デッサンの動きをみる。
2、 練り込みと浮遊をみる
3、 体―息の線が繋がっているか、なめらかか。(声は切れても、きちんと入るべき位置で入ってきているのかをみる)
これは3次元として、筆の空中の高さをみるようなもの、流れ、度の太さ、鋭さ、スピード、変化でフレーズが描かれていくのかをみる。

日本の社会と声の力  B191

日本の社会の中では、声を強く出し、はっきりと話すということは、必ずしも有利なことではないです。一匹狼的なスタンスで、やっていこうというのならいいのですが。それ以外は、自分の話が聞いてもらえるようなシチュエーションを整えるところまでです。その条件の一つとして、発音や声をしっかりとしておくべきなのでしょう。  その前にそのことが問題なのかどうなのかということですね。自然ということでいうのなら、今しゃべっていることが自然かもしれません。そういうことであれば、声を直す必要はないわけです。声のみせ方を直せばよいのです。  トレーニングというのはある程度、不自然なことを積んでいきます。不自然なことを積むことによって、それを意識しないで自然にできるようにしていこうというようなことだからです。  

2014年6月 4日 (水)

100点の表現へのアプローチ V257

 一つのシンプルフレーズでみる声の変化の方向
1、 長くする、低くする[呼吸]
2、 高くする、低くする[基本周波数]
3、 大きく(強く)する、小さく(弱く)する[音圧]
4、 音色[フォルマント]と共鳴[ビブラート]
母音(5つ+α)子音、バランス(頭声―胸声)
スケールとして5音をとる(例)ドレドレド ソ(低)ドシ(低)レド

音が届いているとか、声が出ていると、それゆえに、OKとして先に進め、いつまでも雑になってしまうのを避けるべきでしょう。そこでは肝心の体や息が伴っていないケースが多いのです。
a、浅・軽 頭声 響きから降ろしてくる 引く
b、深・重 胸声 体の呼吸から声にしていく 乗せる

同じ分量の息の使い方
同じ分量の声の使い方
体、息、声の大きさ

声のシチュエーションの問題 B190

 どう感じたかということですね。周りの人が厳しかったり、上司にそういう方がいると、指摘されて感じる。電話についても、職場の環境をはじめ、いろいろな状況による。声だけの問題でない場合もたくさんあります。
 学校の先生もよくいらっしゃいますが、大勢の生徒たちと声で張り合ってもしかたがない。
こういうシチュエーションの中では、私がかなりボソッと喋っても聞こえますよね。シーンとして、皆も聞く耳を立てています。そこまでの問題が本当は8割ではないでしょうか。

2014年6月 3日 (火)

生産する V256

レポートには、その人の個性が見えるのですから、これも表現の一つです。プロのレポートは、私が、ときにお金を払ってもよいほど、学ぶ人たちに与えてもらえるものがあります。(ここには、アーティストとしてのプロと、生徒、もしくはレポーターとしてのプロと、2つの意味があります)  作品の鑑賞レポートも、「お勧めのアーティスト」などとして、転載しています。これにもピンからキリまであります。以前はよいのを選りすぐっていました、ここのところ10年は、よいとか悪いとかに、私の評価や選択は入れていません。  トレーナーやレッスンと同じく、いらっしゃる人によければよいと思うからです。そのよしあしには、売り物としてのよしあしでない、自由があります。無責任とは言いませんが、極論や、下手な人や初心者、入門レベルの感想レポートも加えています。だからこそ、役立つ人もいるということです。  以前、レポートをみて、「こんなすぐれたレポートばかりでは、自分には書けません」と言われました。私共の以前の体験談では、読まれると「こんなすぐれたものを書ける人ばかりのところへ私などが入ってよいですか」と言われました。レッスンですぐれていけばよいのであり、最初からすぐれていたらレッスンは必要ありません。そう思って、敢えて無作為をしてみたのです。

歌とチェック B189

メロディが簡単で、音域が狭いというのは、盛り上がらないので今の時代風でなく、受けるわけではない。しかし、自分が歌えるまでのチェックということであれば、音楽的には、シンプルなもののほうがよいと思うのです。
 カラオケでは、それなりに成り立たないとつまらないでしょう。そういうときは、自分と同じ声域の似たような歌い方をしているプロをコピーするのが簡単です。

2014年6月 2日 (月)

鍛錬 V255

 「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とする」
これは、宮本武蔵のことばです。
時間、挨拶、身だしなみ、ことば遣い、整理、その上に練習(レッスン、トレーニング)があります。そこに加えるのならレポート、スピーチなど、ことばで記録し記憶するとともに、人に伝えるという行動です。
 すぐに動画をアップできる今の時代、これは万能のツールといえなくても、手段として大きな可能性を持っています。才能のある人が早く広く認められるという点においてです。(特にビジュアル、ダンスなど動画に映えるものに強いのですが、声も音ですから、プラス面が大きいでしょう)
 しかし、私は研究所のヴォイトレをアップしたり、他の人がアップしたものを参考としていません。いつもここのものは、作品でなくプロセスであるという思いと、そういう目で見てしまうがために見えなくなってしまうことの害の方が大きいと思うからです。
 (本もかなり似ています。ただ、ときに活字の働きかけの方が、相手のレベルが高くイマジネーションが豊かな場合ならより有効です。その人のレベルにアレンジされてクリエイティブな形で受容でなく導引するからです)

聞いてもらうには☆ B188

2通りのケースがあります。自分が関わると思ったら、小さな声でも聞く。相手が必死で訴えかけてきたら聞きます。
 聞いても聞かなくてもどうでもよいと思うシチュエーションであれば、聞かない。声の大きさだけではないです。
 内容がない、伝える意思がない。そういう場合は聞いてくれない。内容をもって伝える意思をもっていたとしても、何となく声や態度などに相手にそう思わせることができなければ、聞かなくてもいいから聞かないというようになってくる。長くなると、くり返しとなると、さらに厳しくなります。演出的なことを含めて、声を考えることです。

2014年6月 1日 (日)

ことば力 V254

 緊張して話せない人、ことばがなく話せない人、ことばにできない人の多い、「葦原の瑞穂の国は神ながら言葉解せぬ国」(柿本人麻呂、万葉集)の日本では、アグレッシブに論じたり、諭すことが、ますますできなくなってきました。リーダーのような立場の人さえ、話させることの大切さを説くばかりになりました。日本国民総ヒーラーかカウンセラーですね。声に問題を抱える人に対し、ヴォイストレーナーにも、それが求められるのは当然なのでしょうね。
1、 たくさん聞いて、たくさん声にする(歌う)
2、 よく聞いて、よく声にする(歌う)
聞くのは歌い手なら歌がことばです。この2つの主題なくして
1、 たくさん話す
2、 よく話す
が努力目標になってきました。私としては、たとえビジネスや日常生活でも
1、 たくさん聞いて
2、 よく聞く
という前提は崩せないと思うのですが。

大きさより通る声 B187

「大きさ」というのは、その場の相手に大きく聞こえることに意味があります。声の場合は、音が波動で伝わる。大きさというのは、出すのと聞くのとはちょっと違う。伝わればいい。大きい声でなくても通る声であればよいということです。小さな声でも通る人はいる。小さな声でも通れば問題ない。
 言葉が聞こえてもよくわからない場合もあります。ロシア語でしゃべられたら、私たちにはまったくわからない。当然です。でも日本語として聞き取りにくかったり、あるいは何を言っているのかよくわからない、では困るわけです。
 言葉以前の問題では、シチュエーションで必要のないことを急に言ってもわからない。
相手が聞き返すという理由は、声が小さいからということだけでない。しゃべっている人の言葉を全部聞いたりはしないですね。
 

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