« 依存しない B199 | トップページ | 本のメニュと現場 B200 »

2014年6月13日 (金)

レッスンの曖昧さ  V266

 「レッスンはチェックである」と述べてきました。そうすると、
それは今の状況、状態を把握して、そのズレを修正する(プロの調整も素人への調整も同じ)ことです。しかし、本来はそのこととともに、その上で将来のベストの条件づくりをトレーニングとして課します。そして、それをほぼ毎日実行することによって、外からよりも、内より変化させていかなくてはならないということになります。(一般の人がプロになるための条件)
 外国語学習なら、レッスンで発音を直され、不足している単語、イディオムや文法、構文を教えてもらうとともに、それを毎日復習します。無意識に口に出て使えるところまで慣れなくては、本当に使える実力とはなりません。
 しかし、困ったことなのか、ありがたいことなのかわかりませんが、復習しなくてもレッスンだけで覚えられる人もいます。効率さえ無視してよければ、毎週1回のレッスンだとしても10年経てば、それなりに大したものになります。
 言葉も声も歌も、特別に日常と切り離されていないものだからです。それだけに、レッスンがなくても日常でその要素がたくさんあれば、あるいは、それを取り込むことに、その人がすぐれていたら、力がつくこともあるのです。それゆえ、声や歌はレッスンとトレーニングの位置づけが、とても曖昧であるといえます。
 また、ヴォーカルのヴォイストレーニングと、素人向けの調整トレーニングが、一流のプロ(特に海外など)の行う調整トレーニングと同じだから、正しいとか、効果があるということになっています。確かに力を100パーセント出す分には似たやり方になります。ただし、言うまでもなく、10の力がない素人が100パーセントの力を出しても、100の力のあるプロには通じません。プロは1/10しか出さなくても素人のベストが出せるのですから。ヴォイトレで大切なのは、10を100にするためのトレーニングではないのでしょうか。

« 依存しない B199 | トップページ | 本のメニュと現場 B200 »

13)連載「ヴォイストレーナーの選び方」」カテゴリの記事