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2014年7月

2014年7月31日 (木)

邪魔 V314

本来は、上に大きく伸びつつ地中に深く根を張るのが望ましいのですが、ここでもいくつかのタイプがいます。深く深く根ばかり張るのが、目的になってしまう人もいます。深くしても上に出ないで浅く広く張る人もいます。上に伸ばす人も横に伸ばす人もいます。一時的にはどれでもかまいません。
 トレーナーはそのプロセスで、全体の大きさや位置づけをみえるようにしていけばよいのです。いわば、これは意図的な試行錯誤の時期です。なのに、トレーナーの大半は効率が悪いからと急いてストップをかけがちです。しかし、この、一見無駄な冒険にのるところに、放任して冒険させるところに、その人の個性や表現の核が現れ出るものなのです。
 下手にトレーナーにつかない人や合わない人の方がアーティストになるのは、トレーナーが邪魔しているせいというのは、残念ながら、ほぼ事実です。でも、それはトレーナーの使い方も悪いのです。
 

意識 B247

 できるだけ音の変化の範囲を狭くします。同じような母音でやると、楽に声域も声量もとれます。すると自然と拡がるはずです。それで慣らしてから歌をやりましょうというのが、正当な考えです。  ところが現実に行われているものは、まったく逆でしょう。  カラオケで歌っている一番好きな曲で、一番うまく歌える曲の声を持ってきて、それを応用したほうが早いでしょう。テキストで段階を踏んでやっていたら、一生かかっても大してできない。成果からとらなければ意味がない。

2014年7月30日 (水)

ギャップ V313

 「10年たったらわかる」のです。この「10年」は人によって何年かは違いますし、実際の年月は大した問題ではありません。積み重ねがものになっているのか、ただ年数を経ただけなのかということです。実質としての10年が一つの単位ということです。
 私は「ハイ」だけでも5年もトレーニングすれば通じるようになると思っています。少なくともそれだけをしっかりやると、腹から「ハイ」が出せるようになるのです。でも、多くの人はそれさえやりません。ですから、10年経っても通じる「ハイ」も出せません。呼吸も当初とさして変わらない。つまり、そんな「ハイ」もいらなければ、声も呼吸もいらなかったのでしょう。絶対に変わる必要もなかったのです。
 足らない、欲しいと強く思わなくては、ギャップは明確にみえてきません。その強さ、欲の程度が修得のレベルと表現を決めます。
 そのギャップがみえて、自分が劣っているのをわかっている人は優秀です。だから、学びにいらっしゃるのです。そこがスタートラインです。
 プロを含めて、その人のごまかしやテクニックを抜いて、その前の下手という方向にするのは、そのギャップを露わにするためです。
 トレーニングのメニュや方向性などを気にしても、さほど意味がありません。レッスンは、曖昧な目的をより具体化していくことに尽きます。反対方向に行っても、振り幅(=器)さえ大きくしておけば逆にも振れているものだから、身になっていくのです。

逆効果 B246

コールユーブンゲンや発声教本に加え、私がつくった、似たような教材なども使っています。楽譜を見ながらピアノに合わせてやっていると高い音が出にくくなるのです。ピアノに合わせたことがあまりない人がやるからです。
 カラオケで、好きな曲を歌うと、レッスンより3度くらい高い音を平気で出す人もいるのです。そうしたらそこからやればいい。そのほうがきれいに声が出ている。高いところも出ている。きれいとか高いとかいうことがよいとはかぎらない。
 けれど、少なくとも発声練習でやっている発声のほうが悪いわけでしょう。だからノウハウやマニュアルをやるのは、本来は逆効果なのです。

2014年7月29日 (火)

スタンス V312

学ぶというスタンスがわかっていない人は、学んでいるようでも大して学べないし先がありません。スタンスは、声を学ぶことよりも大切なことです。声を学んでいるつもりでも、学ぶのは声ではないのです。スタンスが学べたら声もものになる可能性が高まります。身につくところのベースができることがスタンスというものです。
 自分への評価などはトレーナーに任せればよいのです。一人でなく、何人かのトレーナーが認めているならば、それは力となり身になっているのです。ただ、やさしく甘いだけのトレーナーではだめです。厳しいトレーナーがいなくなってきたことが問題です。レッスンやあなたに対してでなく、声や表現に対して厳しいということです。
 トレーナーの基準(ここでは、トレーナーが自分で身につけたもの)だけでは、ダメです。世の中においての価値、それも創造的な仕事への評価においてみなくてはなりません。
 自分で自分をいくらよいと思っても仕方ありません。トレーナーをもっとも厳しい客として使うことです。トレーナーの力を判断しようなどとしたところで、より学べない状況から抜けられないようになってしまいます。それは、最悪の接し方です。自分の実力を自分で固めて、最低レベルに制限してしまうだけだからです。

慣れと本気 B245

多くのケースでは、レッスンも悪い状態でやらされる。緊張しているような状態でテキストを読むのでは、出る声も出なくなってしまいます。
 ただ、先生とコミュニケーションがとれてくると、改善することです。やさしい先生であれば、早く慣れて普通に声が出ますが、そこまでにも時間がかかってしまいます。これはメンタル力だけでの慣れの効果です。つまりは、本来は無駄なレッスンです。
 逆にプレッシャーをかけても本気になれば声は出るものです。かなり特殊な例と思われるかもしれませんが、実際にレッスンに入ると、そういうことで上達する方が多い。
 

2014年7月28日 (月)

師と創造 V311

私にとっての師は、わからないことをわからないままでなく、そのうちに認められるようになりそうな何かを感じられるヒントを下さるところにあります。その奥行や頭の中は読めないくらいでよいのです。自分の実力や個性を否定してくるほどに嫌なものでよいのです。そこで認められたら卒業ですから簡単ではありません。褒められたら、それが本心だとするなら、そこで終わる。また次を捜さなくてはならなくなるでしょう。
 師が認めたら世界中でやれるくらいに、シンプルな基準において高度に身についていくレベルを求めていくことです。
 わかりやすく言うと、こちらがわからないくらいに深読みできる相手でなくては困ります。他の人が誰でも同じように学べたり、もっと学べたりするというのはどうでもよいのです。自分にとって、が唯一の問題です。直観が働いたり、イマジネーションが感化されるような相手です。わからないから想像する、想像できないから創造する、しかしようもない状況に追い込まれるというのが理想です。
 こちらができないことができる人、というならアーティストや職人を捜せばよいわけです。師や先生というのは、そんなものではありません。先生の通りに歌ったり、せりふを言えるようになったところで、ものまねにすぎないからです。
 こちらが同じことを生涯やってもできないどころか、わからないようであって欲しい。でも、できないのに世の中では充分に通用するようになっている、それでよいのです。芸術はそんなものでしょう。師と同じものはいらない、二番煎じになる、同じにできないから、自ら創造するのです。

状態を超える B244

皆さんに「歌ってください」ということをやらないのは、第一に、心身の状態が悪いからです。ここに座っていて、すぐによい声が出るわけはない。一番よい声をここですぐに出せるとしたらプロのレベルだけです。
 「前でやってください」といったら緊張するでしょう。そうであっても、自分のペースで自分のスタンスを持ってこられる。それができたらプロの条件を1つ満たすのです。
 ほとんどの人はかなり悪い条件になります。そのことを解決していくのも、レッスンの目的の一つです。
 

2014年7月27日 (日)

地ならしをする  V310

何回か「バカの壁」に触れましたが、壁の内側にいると、外側は、その存在さえわからないのです。
 声は、レッスンの中でもトレーニングの中でも、常に、ではありませんが、あるとき次元が変わります。パラダイムが組み変わるのです。レッスンはそのためにあり、トレーナーもそのためにいるとさえ言えるのです。
 ただ、「そういう瞬間、そのうちのいくつかは偶然の産物で、その奇跡を待て」というのでは、モチベーションが保てない人もいるでしょう。そこで、その場とその時間をトレーナーのもとで、共有して底上げしていきます。少しずつ、感覚や体の条件を鍛練しては丁寧に整えて、その一瞬を起こせるように、気づけるように、整地、地ならしをしているわけです。
 ことばも、鍛練なくして整えたところで、その瞬間というのは望めません。精度として10分の1くらいに整えていても、1000分の1レベルで整わなくては、といったところです。
 鍛練といっても鍛えようなどと無茶をすると、バランスが壊れ乱れます。今までより悪く、10分の1も整わなくなります。それが自滅なのか、100分の1へ行くための遠回りなのか、それを見分けることが肝心です。そこにとどまって厳しく判断します。それは決して慣れあいのレッスンでは生じません。器を大きくしていくのに、自らの外を固めてしまっては内なる限界は破れないのです。

レッスンの土俵 B243

オンするということが一番大切です、トレーニングはそのためにリピートするのです。長い時間やることも大切ですが、それは、何回も同じことを繰り返してオンが生じるための土俵をつくるためです。  アマチュアの人の場合、その基準がないか、大きくブレたりゆれるのです。うまいときと下手なときの差も大きい。その最高のところからどれだけオンできるかを定めていこうとするのが、私が思うレッスンです。  

2014年7月26日 (土)

代々木駅エレベーター お知らせ

代々木駅構内の東口・西口改札側にエレベーターが完成しました。

研究所は東口改札から徒歩2分です。

テノールの受難

テノールという声種、職業は他の歌手よりも圧倒的に技術的、精神的にタフさを要求されます。一昔前はハイCなんて音は特別な歌手だけがだしていましたが、現在はほとんどのテノールはハイCがでます。出て当たり前の時代になってきました。しかも昨今の読み替え、現代演出によりこれまでよりも演技は複雑化し芝居にかける労力もふえてきました。その中で高音を求められるのですからテノールというのは本当に大変です。
他の歌手と同じだけの芝居をしながら尚且つ高音を決めなければいけない。しかもテノールのアリアというのは有名どころが多いですから失敗すれば大変なことになります。海外、特にスカラ座のような劇場だとブーイングの嵐になると思います。世界中で慢性的なテノール不足と言われていますがこのプレッシャーに耐えうるだけの技術と精神力をもつ人間というのは少なくて当たり前だと思います。(♭Σ)

壁  V309

レッスンを通して、何を得るのでしょうか。それは新しい声、新しい感覚、新しい自分、つまり、大きく変わった自分に出会うのです。それを「今すぐに」というから、今の自分を変えていきたいというのも、変えるスケールが本当に小さく小さくなってしまったのです。ちょっとした気分の差で大きく結果が違ってくるくらいに小さくなったから、心身の状態のよしあしだけで大きく左右されてしまうのです。だからトレーナーが励まし、勇気づけるだけで、すぐによくなるのです。
 1000も1万かも見えないほどに相当な力がないと通用しない世界に、100か200で、「すごく効果があった」と思っても、それはそこで頭打ちです。2,3年先からの本当の実力をつけることに対して何の準備になっていないのですから、そこ止まりです。
 人前で通用するもので、始めて1日や1ヶ月でできるもの、出る効果などありますか。
 このスケールのとり方において、全てが異なってくるのです。どんなヴォイトレを行っても、その先にいけない限界を、壁を、本人が、トレーナーと共に強固につくっているというのが、一般的なヴォイトレにありがちなのではと思うのです。そのために、いつまでもやりたいことがわからないという人が多いのです。それは、まだ、やれることがないことの裏返しにすぎません。

15分の集中 B242

 劇団四季の人とは、地方でもレッスンをしています。曲がりなりにもプロがやりやすいのは、レッスンで最初からトップレベルにもってこれること。そうでなければオーディションは受からないし、ステージはやれません。
 60分や90分のレッスンはないのかと聞かれますが、実際に人間が集中できるのは、15分から30分です。レッスンの中でいうと、そのなかでさらに本当に一瞬ですね。歌では3分くらいあるようでも、実際には1コーラス1分程度、それだけでの勝負です。
 そういう世界においては、15分というのでも相当に長い時間なのです。
 ワークショップで、20人と90分間やると、ひとりあたりの持ち時間は5分弱です。劇団にいくと40人を2時間でやる。ひとりあたりの時間は3分でしょう。そこでものにできるかできないかは当人次第です。

2014年7月25日 (金)

教育ビジネス V308

夢がかなわないのではなく、それは真の実力が身についていっていないからです。
 この点については、クラスで平均点を取れたらよいとか3年続けたらよいなどという甘いものではありません。だから「わかりやすい」とか「やさしい」などというCS(顧客満足度)においての生徒の評価などに、教えるレベルを合わせてしまうと1000人に1人でも育たなくなってしまうのです。トレーナーがいかに優秀でも、育てようとするから育たなくなるともいえます。
 「教えてくれない」とか「わからない」というくらいで、「答え」を出してもらっていてどうするのでしょう。そこで自ら学んでいく力がある人か、学べるように力をつけた人だけに先があるのです。そもそも、生徒の尺度で考えて判断できてしまうようなものなら、その先に価値になるものなどないのです。「誰でも時間をかけたらできるレベル」で終わっては、その先がないのです。
 でも今の日本人の大半は、そういうところまでしかみないで動いているといえます。「○○円でレッスン○回を買っている」から、「毎回、その分の価値」という交換のような感覚だからです。さらに悪いことは、サービス業と堕したかのように、スクールやトレーナーが、それに応じることが大切だと、本気で思っているからです。それは、それで教育ビジネスのプロですが、生徒はいつまでも生徒であり、その先はありません。

音楽表現の土壌 B241

 誰もがやらなかったことを初めて新しく表現として生み出して、それで表現として支持されたということで、そのことを才能というのです。そう考えていくと、日本では声のよさや歌のうまさでやれた人はあまりいないでしょう。歌のうまかった人や声のよかった人は、けっこう一発屋で終わっています。
 日本人は元々、音声に優れた人をあまり評価しないということもあります。日本人の歌はストーリー、詩の後ろ、バックグラウンドを聞いてしまいます。これまでも声の表現力でよかったのは、決まってハーフやクオーターや在日韓国(中国)人。

2014年7月24日 (木)

真逆へいく V307

真理は、自分も超えているというのがわからないなら、自分の考えると正反対、真逆な方向が正しいことがよくあるということです。多くの人ができないことなら多くの人の進む方へ行かないことです。理解を超えるという意味では、一見逆の方があなたの可能性を唯一大きく開くという確率は高いのです。99パーセントの人は、自分の意にそわないものを選びません。ゆえに身につかない、大した力にならないとみればわかりやすいでしょう。
 それは、それなりに学べている実感があり、そこそこに満足してしまう環境だからです。目標が具体的にやれるように、あなたに合わせて下がってきている。そこに気づかなくなっていくのです。
 ヴォーカルのスクールや声優のスクールで一時、がんばっていても、10年あとにプロとして続いている人は1000人に1人もいないのです。決め手となるのは素質ではありません。が、学び方の素質というべきかもしれません。

実力 B240

 いつまでたっても日本から世界へ冠たる歌手は出そうにない。J-POPSで全米に進出と言ってもいつも不発、PUFFYがちょっと売れました。宇多田さんは大丈夫じゃないかと同じ轍を踏む。宇多田さんがプロであるところは、日本語で英語のように音楽にのせたところです。英語で歌ったら単なる歌の一つです。アメリカがレベルが高いとか、宇多田さんの才能を否定しているのではない。彼女の才能というのは違うところにあって、それでこそ日本でヒットしたわけです。そこ以外で勝負するなら向こうにいったらいくらでもいる。一緒にしてしまうのは、おかしな話ですね。
 

2014年7月23日 (水)

カラオケ化するヴォイトレ  V306

 本当に学ぶというのは、自分の理解をはるかに超えるところに学ぶということです。すぐれた人は、海外の一流のアーティストのステージや作品にストレートに学んでいます。ですから、ヴォイトレなら「どうしてあのような声が出るのか、まったく理解できない」が「実感できない」になり、「実感できてきたが、できない」が「できないのができるように理解できる」。やがて、「これだけ足らないと実感としてみえてきた」となっていくものです。  ただ、この分野は、アーティストであっても一般の人にわかるようにレッスンするとなった途端、適任者でなくなります。ストレートから濃縮還元になるようにです。 カラオケ教室や本やDVDなども同じです。ないよりもあった方がよいのですが、それで人が育つことはめったにありません。0よりは1でもあればまだまし、という点では教育のノウハウの一つでなあります。それを100パーセントやったところで、必要な分の1割に達しないと思ってください。  

歌い手の力 B239

 歌い手が、今のお笑い芸人なみのことを感覚できなくなってきたのです。音楽や音響技術に甘えて、声が通用しなくなっている。お笑いの人は苦節10年を積んでいるでしょう。落語でも30代で2つ目といったところでしょう。
 日本での歌い手は持って生まれた声で作詞作曲に優れた人が早熟にプロになる。芸事として完成していくとしたら、ベースだけでも10年かかります。
 お笑いの人は10年で、力を積み重ねていくのです。歌い手は同じ10年であまり進歩していないどころか退歩することも多いのです。器用に歌いこなすことを、あたかも技術のように覚えて、本当の基礎となる力をつけていない。歌えていたら、何も言われなくなっているからです。手の抜き方、安全な歌い方を覚えていくだけになっています。トレーナーにつくと、なおさらそうなりやすいのです。
 

2014年7月22日 (火)

滑舌 

今日は、滑舌についての取材が行われました。

100パーセント V305

他のスクールで、ヴィオトレで人が伸びないと相談を受けることがあります。大体は、本人が100パーセント出しきれていないからこそ、まずは全力でやるべきなのに、それをトレーナーを「お目付け役」として雇おうという感じです。これは、家庭教師でいうと机の前に、ただ生徒を座らせていたら、成績が伸びていくレベルです。教室で先生の話すことをまじめにすべて聞いたら、普通にできるというレベルです。問うレベルが低すぎるのです。それでは頭に入っていても体には身につきません。
 私は、状態と条件ということで大きく分けて述べています。そこで言うのなら、ヴォイトレのほとんどのレッスンは、状態の変容を期待するのに過ぎないのです。これでは、自らの声を100パーセント出したところで、出ただけでどこにも通用しません。それどころか、そこまでも行かずに6割で歌えるようにまとまるという、先のない指導が平然と行われています。即効的な対処では通用しないという、あたりまえのことを踏まえていないのです。100パーセント出させるのさえ、「お目付け役」は制限して、その場をしのいでしまうのです。全力を尽くすことなくして実力はつきません。

お笑いの声と耳 B238

 お笑いの芸人は鋭いです。ネタでもっている。といっても、ネタだけでは続かない。有名になったら放送作家が書いてくれます。
 お笑い芸人の力は、実は、声の力といってもよい。漫才なら掛け合いの力ですね。違う芸人に同じネタをやらせてもダメでしょう。そこがオリジナリティなのです。
 声の力の使い方、活かし方を、自分のキャラとともに知り尽くしている人が成功し、生き残るのです。自分がどういうふうに声を使えばよいか、自分たちがどう演出すればよいのかは、笑わせるという芸の中で学んでいく方がわかりやすいのです。

2014年7月21日 (月)

伸びしろ V304

「声は日常の中にあるから、楽器のようにいかない」ということは、先生やトレーナーを選んだり、方法メニュを選ぶのにも、思っている以上に難題となってくるのです。
 まして自分の性格、個性や評判などを気にするようになり、本やCDや、ネットの多くの情報に翻弄され、自我ばかりが大きくなってしまうと、もはや、伸びしろがほとんどない状態にあるわけです。
 自分の力をつけたい、変えたい、変わりたいから学ぶのであるなら、今の自分自身の学びの限界を破るのが目的であるはずです。それを自分の頭で考え判断するのは、自分で考えられる限界のなかで動くのだから大して変わらないということなのです。
 

演出としてのヴォイトレ B237

ヴォイストレーナーとして、誰がいいかを聞かれたなら、一時、演出家やプロデューサーを勧めていました。
 花王のCMを録ってきました。4人くらいの素人を 5分でプロ並みのナレーションをできるようにする。これまで、もっと無茶なことをやってきたから、何ともないのですが、本来、プロデューサー、演出家などの仕事です。私の方針と根本的にあわないことです。でも人に伝えるために、どんな声をどのタイミングで、どう入れなければいけないのか、どう組み合わせなければいけないのか、そういうことについてはお互いによく知っています。トレーナーより、現場においての実践です。耳がいいことも必要です。
 

2014年7月20日 (日)

ホームページ お知らせ

ホームページを更新しました。

ぜひ、アクセスしてみてください。

大きく学ぶには、選ばない V303

自分に身についていなくて相手に身についているものは、自分には判断はできないのです。それを判断できる人を選ぶのに、自分でわかると思うくらいなら、それは身についていても大したものではないといえます。
 大きく学ぶことは、大きく自分を変えることです。ですから、エイヤっと直感的に当たっていくしかないのです。決心のための勘と踏み出す勇気がものをいうのです。
 あなたのこれまで人生経験の判断を元に「正しく」選べるくらいなら、きっと声などという、学ばなくても身につく、身についている人もいる分野では、すでに身についていなくてはおかしいのです。それゆえ、自分で選ぶときは、再度、あまりうまくいかない可能性が大きいようにも思うのです。
 それを変えたければ大きく、あまり選ばずに学ぶこと。少なくとも、トレーナーの人選なら、あなたが選ぶよりも私が選んであげる方が適切なはずです。そして、そのために大きく変じることこそ、つまり、勘をレッスンで磨くことです。その勉強をレッスンでするのです。

フィールドづくり B236

いろいろヴォイストレーニングの方法やメニュができたのはいいことです。いろいろなトレーナ-も出て、いろんな本もでた。  最初、「ヴォーカル」「ヴォイストレーニング」という本が本屋の棚にないから、つくろうと思って、私が10年くらいで30冊ほど書いたら、それができた。次に一般の人用の声の出し方がない、声という棚がないのでつくりました。そうやって世の中が少しずつ変わっていく。  ただ、その後、ヴォイストレーニングや発声が、マニュアルとして一人歩きしているところは気になります。本来、私が意図していたことはこういうことではなかったのに、その路線をひいてしまった。   

2014年7月19日 (土)

レッスンは継続的に行いましょう

皆さんは、お仕事や学校、様々な活動でお忙しい中、時間をやりくりしてレッスンに通われたり練習されていることと思います。 中には、とてもご多忙にも関わらず練習時間を確保し、レッスンも毎回欠かさずに来られる生徒さんもいらっしゃれば、よく欠席なさる生徒さんもいらっしゃいます。前者の生徒さんの方が伸び幅は広いですし、後者の生徒さんに関しては言うまでもありません。 レッスンは継続してこそ意味があるのです。一度や二度受けただけでその効果を維持することは、どんな一流の先生・トレーナーついたとしても無理なことですし、厳しい先生であれば、その時点で破門宣告をされます。 自分ひとりでの練習では気づけないこと、知らない知識やテクニックを学ぶためにレッスンというものが存在します。そして、先に述べたとおり、一度や二度で解決しない深い問題を、トレーナーと生徒さんが一体になってじっくり解決して行くのです。ですから、継続的にレッスンが行えないというのは、毎度振り出しに戻る、即ち、一歩二歩進んだところを行ったり来たりするだけで、根本的な解決に至りません。 レッスンを休みがちな方は、己の向上のために、もう一度自分自身と向き合ってみてはいかがでしょうか。(♭Я)

「本当に学んでいくために」 V302

○身につくということ

 本当に身についていることの結果は、身についているのですからそれでよいのです。そこで価値が本人に感じられていればよいのです。他人に与える価値ということなら、他人がそれを感じていればよいのであり、本人は知らなくてもかまいません。それでやっていることがうまくいっていることが、身についているということなのです。
 何も、「身についていますか」「できていますか」などと聞かなくてもよいのです。聞かなくてもわかるものであり、わからなければ、まだ、それだけのものなのです。
 また、聞かなくてわからない人もいれば、そうでない人もいます。自分の伝える相手が認めればよいだけのことです。日常、自然のことなのです。
 不自然なのは、身につけようとするからです。それを早くとか、他人、この場合、先生とか師とかトレーナーから学ぼうとするからです。それを特定の相手、あるいは、不特定な人々に、特別に認められようとするからです。不特定、と言っても、実のところ、仕事なら仕事をくれる相手と、その向こうの客と特定できるのですが。

皮肉 B235

アマチュアの人はプロにあわせようとやっていくから、同じことをやったつもりでその半分の力も出せない。後、半分を出そうとして人生をかけてやっても無理です。仮に同じになってみても価値はゼロ、しかたがないのです。  うまくなることを目的にとってしまうから、うまくなる方向に行く。すると、トレーニング自体がうまくできなくなってしまいます。すごい皮肉です。  トレーニングは確実にベースの部分をアップさせて、自分の価値を出すための体や感覚を作っていくものです。その辺でややこしくなっている問題は多いですね。

2014年7月18日 (金)

目標のつくり方 V301

 目標設定は、今の立ち位置を捉えることと目的地(心、体、発声、歌、表現、すべて)を予定すること。これには数年かかるものです。
1、 強化、鍛練、基礎、体、呼吸、声←役者レベル
2、 調整、応用、チェックとアドバイス、感覚―耳←声楽レベル
声は、表現においては媒介であるだけに曖昧です。これをいかに明確に具体化していくか、それこそがレッスンの目的です。
 0才から今の年齢までの育ちの環境と、今の取り巻く環境、それを把握しましょう。そして将来に対して有利に、少なくとも年齢とともに有利になるように変えていくことが大切なのです。

見本 B234

今のJ-POPSがよい悪いということはいえない。平井堅さん、宇多田さん、ゴスペラーズ、コブクロなどが見本になってしまうことです。
 昔の歌い手を見本にすると、間違わないしうまくなる。しかし、悪い癖がつくことがそんなになかった、というのはできなかったからです。がんばっていくと、半分くらいまでは上達に導かれるところがあったのです。
 今は、マイクを使うと、すぐに似たことができてしまうのです。それっぽくはできる。しかし、平井堅さんらの才能というのは、他の人が絶対にできないところにあるのです。トレーナーでも、そのようには絶対に聞かせられない、まねても他人がすると、ものまねにしかならない部分、それがアーティストの価値なのです。
 

2014年7月17日 (木)

一流の歌 V300

世界レベルの歌い手は、ことばをメロディにのせて歌っているのではなく、歌との距離をとって、音の流れのなかで自由に声の表現をクリエイトしています。歌のメロディや楽譜にべったりとくっついていないのです。日本の多くのヴォーカリストは30代以降、世界では60代以降は、残念なことに、メロディ、流れの心地よい声が使えなくなり、さらに音楽にも距離が出て、ことばの投げ方に凝りがち、しかもパターン化するようになります。  日本では役者的で、音楽性に欠けてフレーズ感が鈍っていても、そのインパクトとその反動の収め方でステージはもつのです。ステージのバックグラウンドに、若い時からの音楽や世界観が積み重なっていて、ファンは、そこのベースを読み込んでくれるから楽しめるのです。日本のベテランになると、表舞台は最近の歌、ステージなのに、このベースへの観客の優しいノスタルジアでもつことが多く、残念です。でもお客さんが満足しているならよいのでしょうか。

歌の価値 B233

歌のうまい人や声のよいだけの人が出ていけないのは、つまらない、飽きるからです。先も奥もわかってしまう。つまり、深みがない。
 カラオケで誰でも自分で歌える時代に、ちょっとくらいうまい人のを聞きたいわけはないのですね。自分ができない世界、その人じゃないとできない世界を見たいわけです。

2014年7月16日 (水)

ロングトーンを例に  V299

 抑揚(ここでは、心地よいビブラートの意味)をつけるには、少なくとも、強弱、高低、長短、艶(音色)の変化が4つあります。それぞれ個別にして試してみましょう。  息から、発声=共鳴のところでも、その効率をどのようにするかは、声の立ち上げ方(声立て)のスピード(息と声のミックス具合)として、これまで、硬起や軟起でしかみてこられなかったのです。そこでは、ハスキーな声やため息もあり、ただし、これは表現での応用となります。  ただ、私としては喉への負担、リスク面で、嗄声は、表現(せりふ、シャウト)からのアプローチに限らせています。悪声や喉声も声優や俳優では必要になることもあるでしょう。しかし、表現上の練習以外はタブーです。  共鳴からは、倍音組成、フォルマントへ、そして母音形成、子音調音となります。このときは、呼吸の量、スピード、長さも変えてみるとよいでしょう。

うまいと深さ B232

間違う、正しいということは、アーティスティックな分野においては、そもそも存在しないと思います。あるのは深さの差。「上達法」というテーマで、いくつかの本を書いてきました。やれば上達するけれど、何をもって上達というのかということです。「周りの人がうまいと言うようになった」。では、その基準は何なのかということです。多くは、日ごろ聞いている歌い手に似てきたということですね。
 のど自慢でも、うまい人ほどつまらない。じいさんやばあさんが音を外しているところが面白いです。拍手したくなる。そういうところにリアルな表現はおきてくる、でも、深くはない。聞き手の感情を捉えなければ鈍いまま、歌のうまいようなことはいやみにしかならないです。
 

2014年7月15日 (火)

トータルとしてみる V298

 自然にするためには不自然にする。力を抜くためにストレッチする。力を入れて脱力する。そのように、人はやりたいことがあるのに、やれない。それゆえ、そのことが問題になる。それは、やりたいことができないからやりたくないこと、つまり、その逆をやることでアプローチするのです。
 そういえば、練習も続けてやりたくないから嫌なのですから、続けてやりましょう。やりたいようにしかやらない人には大した力はつかないのです。
響かす―共鳴→必要以上に響かさない、声が通るための「声の芯」という考え
大きく―声量、声で体に負担を与え、支える
高く―声域、低く重く下に向ける(これは案外知られていますが実行されていない)
長く―呼気コントロールと声立て
私が思うには、声中心に考えると、せりふを言うのも発音も不自然、歌うのも不自然なのです。これが自然と思えたら、すごい歌、すごいせりふにつながる声が出ると思うのですね。

できない  B231

楽器は同じものを聴いて、同じものを買ってきたら、同じことができなくはない。プロのギタリストの使っていたギターを買ってくると、彼と同じ音色というのは出せるようになるかもしれない。体や声帯の場合は、それは不可能です。
 トレーナーだから何でもできるでしょうか。マライア・キャリーを誰でもできるかという話になります。男性はできないということではない。女性でもできる人はいない。
 歌い手の場合、厳しい基準で見たら、その人のことはその人にしかできません。ところが日本の場合、似ている人をやたらと評価しますね。海外の場合はあまりないだけに特殊なことです。
 今の若い人も、皆同じような歌い方になってきました。個性が出ているのは、年配の人の方でしょう。和田アキコさんの歌声といったら、パッとわかります。

2014年7月14日 (月)

呼吸を例に V297

体の動かし方の再調整と強化、それに呼吸を伴わせることが第一です。そのために吐ききってみる、発声のコントロールや呼吸保持などは、体から息の吐ける人が次の次あたりのステップでやるべきことです。しかし、マニュアルのメニュでは、最初から少ない息で丁寧に声にすることの大切さを説くことに終始していることが多いわけです。素人は荒っぽく息を無駄に使ってきちんと声にできていないのですが、その息さえきちんと吐けているわけではないのです。何事にも量と質、全体の荒(粗)と細部の丁寧さとは、相反するようで両輪のように使うべきなのです。部分よりは全体から入るのが原則です。

勘違い B230

コピー命の人は、本当に本物と同じように出したくて、とことんやってきているわけです。これまで出ないものをどこまで伸ばせるかというと、もう1割くらいは近づけるかもしれない。でも、そのままでは絶対に同じものにはならない。持って生まれた声帯、楽器も違う。「手術して彼と同じ声帯にしてください」とか、「彼の声帯を移植してください」というのでしょうか。その辺での勘違いが多いです。
  

2014年7月13日 (日)

体を例に V296

 達人の手技をもつ先生が来所されました。その元で体験したことは、武道にも通じる、神経というか経絡というか、ある感覚を思い出しました。誰しも年齢を経ると日常のなかで、これから進行していく老化に抗うことを考えます。1年に1パーセントずつ、筋肉が動かなくなっていくという説もありますが、それでは私自身どのくらい、これまで全身を動かしていたのかと考えてみると、人間としての可能性の半分以下でしょう。たとえば、幼いころから又割りをしていたら180度開脚できていたでしょう。脳にいたっては使っているのは1ケタパーセントと言われていますね。
 発声も肉体が楽器ですから、同じことがいえます。私は「老化で発声が悪くなった」と言ってくる人には、発声のよかったと本人のいう頃の体力と気力を戻すことを条件としています。
 どんなに若くとも、理想的な動き、体の使い方や動き方が完全にできている人はほとんどいません。発声に使う喉の周辺の筋肉の動き辺りが、最初は注目されていますが、私がみる限り、全身との兼ね合いの方が、より根本的な問題です。
 

似せない B229

大きな声や高い声が出せないなら、神様は違うものを与えてくれている。それを磨きなさいと。そのほうが世の中に通用する、必要とされるし、接点になる。
 今、皆がこういう音楽をやっているから、こういう音楽をやろうと思った時点で、出ていけなくなります。こういう音楽を10年前からやっていたらよいのですが。
 何をやっていくかということでは、その人の人生の目的というのはさまざまです。
 素人で今まで歌ったことがない人が、ビートルズのコピーをやりたいといったら、それはよいことです。今まで3,40年、ビートルズを歌ってきた、あるいはプレスリーをずっと歌ってきて、これ以上似ないから、ヴォイストレーニングでもっと似させてほしい。そういう場合は難しいでしょう。でも、本当の基本に戻れるチャンスでもあります。
 

2014年7月12日 (土)

子役オーディション番組を見ていて

TVをつけると、日本で昔からロングランされているあるミュージカルの、子役のオーディションの様子をやっていました。
その番組によると、応募した9千人の子供達の中から、主役(ダブルキャストで2名)に選ばれる確率は4500分の1だそうで、熾烈な戦いだったようです。
主役のほかにも役どころはいくつかあるようで、年齢は下は幼稚園生から、上は15歳くらいまで。お母さんから離れるのだって難しいくらいの年齢の子たちですが、みんなそのオーディションに受かりたい!という強い意志をもって挑戦している様子が伝わってきました。
オーディションでは自分の順番が来て、部屋の真ん中に立ち、氏名とこれから歌う曲を口頭で伝えます。どの子の表情もみんな生き生きしています。
「私はこれがやりたいんだ」
「私を見て」
「私を選んで」
そんな気持ちが画面から伝わってきます。そしてどの子供達も、「自分はできる。これまで一生懸命練習してきたのだから大丈夫!」と自分自身を強く信じているようでした。
でもその中には、どこか自信なさげで、視線も定まっていない子供もいました。案の定そんな子供はよい結果は出ませんでした。
この番組を見ていて私は日頃のレッスンの様子を思い出しました。レッスンの目的は人それぞれあるでしょう。趣味で楽しく歌いたい人もいれば、本格的に学びたい人。または既にプロとして活躍する中で、もっと技術を向上させたいと思って受講する人。どんな理由であれ、目的を持っている人の目は生き生きとしています。受身のレッスンではなく、ハングリー精神旺盛の人は、次々と質問や疑問が出てきて、レッスン時間を少しでも有効に使いたい、という気持ちがこちらにも伝わってきます。でも残念なことに、レッスンに通っていることに満足してしまって、全くの受身のレッスン生も中にはいます。こちらからの問いかけにもあまり返答がなく、なんとも重苦しい時間が流れることもあります。
目的や目標はなのか、どんなことがやりたいのかを明確にし、レッスン時間を有効に使ってください。トレーナーに全てを任せるのではなく、ちょっと言葉は悪いかもしれませんが、トレーナーの技術をこっそり盗み取るくらいのしたたかさがあっても私はよいと思うのです。
TVで見た子供達のように、いくつになっても夢や目標をかかげ、それに向かって邁進していきたいものですね。(♯Å)

逆行マニュアル V295

平均的なマニュアルとは、逆行するような指導例をいくつか挙げておきます。私共のトレーナー共通Q&Aブログをみると、もっと極端な例もあります。 呼吸 鼻でなく口で吸う たくさん吐くように これは、呼吸で声の流れ、深さ、均等、声の深さ、均等、芯を養うためです     この研究所に限らず、よく発声のわかっている人が現場で許容することは、次のようなことです。許容とは、より大きな目的のために、見逃す、無視することです。 ことばの不明確さ ピッチの下がり、リズムの遅れ、呼吸(ブレス)の遅れ 音色の暗さ、金属的な響き 息の漏れ音 声域の狭さ レガートの雑さ、声区チェンジの悪さ 裏声ファルセット、共鳴の悪さ ビブラートの悪さ、ロングトーンの続かなさ 声質、音色を徹底して中心にみると、上記のことが後回しになるのは当然でもあるのです。

次の目的 B228

こういうところに来る歌い手の半分くらいは、安定して高い声を出したい、それが目的で次にどうするのかがない。高い声で歌っている人たちはどこでヴォイストレーニングやったのかを調べてみましたか。どんな方法を使ったのか。皆、10代のときから、声が出ていた。まして、ヴォイストレーニングをやれば出るようになったとか、言えるわけです。
 出るようになっても自然にやれていることを、トレーニングでやって、その分、不自然なのだから苦労する。ヴォイトレで彼らよりきれいに出せるとは限らない。それで勝負するという考えは抱かないことです。
 

2014年7月11日 (金)

トレーナーのタイプ V294

 私のところのトレーナーにもいくつかのタイプがいます。相手により、やり方もかなり変えています。壊すような対処をするのはリスクも伴うので、どのトレーナーも行うわけではありません。また、誰にでも行うことでもありません。才能や実力があっても本番中の舞台をもっている人などに、あまり大きなリスクは与えられません。両立できる器用さとか切り替えというような、実力というよりは仕事力もみなくてはなりません。
 人によって可能性は様々です。誰もが同じことをできるわけではありません。どの方向へ可能性をみていくかは、声だけでは判断できません。トータルとしての目的を、より具体化していくことを併行します。そこで、本人の目的、プロセスと研究所としてのレッスンの目的、プロセス、さらにヴォイトレのトレーニングの目的、プロセスを定めていくのです。
 短期的に大きく変えようとするより、長期的に2~3人のトレーナーに併行してレッスンを受ける方がローリスクで大きな効果が得られるものです。まあ、これまでみてきたところ、本人が誰よりもすぐれていて、日本一のトレーナーと思うような人(思うとすでにそうであるのは違う)は、必ずこれに反対するようですが。

導くこと B227

日本の合唱団は、大人になっても、ウィーン少年合唱団のようなものが頭にあるから、近づくだけで超えられない。最初から同じことはできないことを知っていたら、もっとよい方向に導けるのに。  絶対にできないことをがんばる。似ていることで評価されるから、本人や指導者も、そこで満足する風潮があるからです。でも、幸せはそういうものだから、うらやましくもあります。  

2014年7月10日 (木)

レッスンのよしあし V293

 レッスンのメニュや方法だけをみて、そのレッスンのよしあし、正誤を判断することはできません。  なぜなら、大きな目的に添おうとしたら、さらなる可能性を追求し、可能性を大きくするためにくせをとるか棚上げにしなくてはなりません。個性(オリジナル)として取り出すためには、壊す必要もあるからです。  そのためにはマニュアルなどにあることと全く逆のことや、そこで禁じられていることも必要悪となります。力のあるトレーナーとは、そこの幅を大きくとれる、つまりマニュアルから大きく、長く離れて、結果OKに導けるということなのです。しかし、大半のレッスンは目の前の小さな目的、早くということに囚われているので、壊すということはほとんど起こりません。器の小さい人には、どんなトレーナーも器を大きくしないことには大成させられません。壊すにはこわせるだけのものが必要だからです。

調整 B226

10人いたら、1人くらいは、それなりにすぐれています。5人くらいは普通で、最後のほうの2人くらいは、かなりの劣等生です。ただその2人が歌い手から一番遠いのかといったら、必ずしもそうではない。音楽の授業などで全然ダメだった人の方がプロの歌手になっています。
 授業での基準は、人よりはみ出さないで声を調整できる能力だからです。少なくとも表現ではない。そこからもっとも遠い。なのに、ヴォイトレを求める人もまた、そういったものに走っているわけでしょう。
 

2014年7月 9日 (水)

壊すということ V292

 壊すというのは、めちゃくちゃにするというのではありません。何かうまくいかないのは、何かしら、うまくいっている人のようにやっていなかったところがあり、そこをスルーしてきたからです。そこを攻めること(動かせたり、声や歌にしたり、感覚や筋力をつけたり)を意識して、覚えさせていくのです。それがレッスンです。

よい歌は、歌わない B225

 歌がよければ聞き入る。相手に沈黙を強いるみたいなことになるのです。  発声がいいとか、音感がいいとか、そんなことを言われてしまうのは、歌ではない。うまい歌だと見えてしまうところでうさんくさいでしょう。  日本人のは、大半にそれが見えてしまう。キューバのはそれが見えない。声と楽器で騒いでいるくらいなのに、聞いていると離れられなくなる。  音楽は、小さい子が空き缶をたたいているのと変わらない。そういう土着性に根ざすと強い。足を地につけて自分として自然に出している、そういう部分のものでないと、生き残っていかない。深まっていかないですね。

2014年7月 8日 (火)

レッスンの役割 V291

 学べないということさえ学ばないとわからないのですから、こうして学んでみるのは、有意義なことです。本や他の人の言うこと、レッスンなどに惑わされつつも、多くの人は生涯、よい本、よいレッスンだったと、疑いもしないで終わりかねないのです。
 私は「問い」のつくり方を述べています。こういうものを参考に自分で「問い」をつくれるようになること、そして自分のルールブックをつくるのです。
 トレーナーがすぐれていたら、そのすぐれたところの近くまでは歩めるかもしれません。ただ、生活のなかで身に着いた体感、考え方は、簡単には変わりません。それを壊すためにレッスンはあるべきなのです。

誤解 B224

プロのための特殊なトレーニングはない。何がプロとアマチュアの違いがあるといったら、結果的には、感性、アンテナの働きの部分です。ひとつの曲を聴いたときに、どれだけのことを感受できるかというのが第一。それをどう表現かつ実現できるかということで次に手段に入ります。
 そこで変わらなくては実際に歌は変わってこないし、発声も変わらない。そこの部分が変わらないのに、人に教えられて発声法を身につけても却って、よくないことになります。それが日本人の場合、よくある誤解です。
 声が出せるようになると、いい声とかすごい声とかを求めだす。発声ができてきたといわれて、もっと誤解することになってしまうのです。そんなものはないのです。いえ、あってもさほど役に立たないのです。

2014年7月 7日 (月)

本の役割 V290

 どんな分野でも、教科書というようなもの、古典的なものは、初めて書かれたり、長く使われていたことで価値があります。先人の知恵へのインスピレーションが鋭ければ役立つものです。しかし、そこからの受け売りのようなものは大体が、「過去」の「他人」の「答え」に過ぎません。もっともよく整理されているのを「知識」というのです。「今の」、いや「未来」の「あなた」の答えには到底なりません。いや実用として使えるのなら「知識や本から学べないということを知ること」が最大のメリットです。これをいくら読んでも何にもなりませんが、一生、かけて、あるいは、何年か経って、そのことに体をもって気づいたらよいということです。

違う B223

音楽は皆が楽しむもの。リラックスして楽しむと声は出るようになる。それはベースとしての声、日常の中でそういう声が出れば、周りの人は比較的受け入れてくれるということです。ただ、多くの人を感動させるという武器にはならないですね。その辺を一緒にしてしまうからややこしくなってしまいます。やれた気になってもやれないのです。
 

2014年7月 6日 (日)

日本の発声マニュアルはヴォイトレでない V289

日本のヴォイトレのマニュアルは、ほぼ調整のためのヴォーカルアドバイスです。しかし、この100パーセントをベースのこと、つまり最低条件とした場合、これはほぼ無意味に転じます。  つまり、今の日本のように日本のトップレベルの歌唱でブロードウエイに通じないというケースなら、100パーセントという本人の能力の精一杯でなく、絶対量としてみなくてはなりません。今が100なら100を発揮し尽くすのでなく200にする訓練が必要です。  だからこそ、トレーニングをすべきであり、ヴィオトレはその名の通り、声のトレーニングなのです。さらなる高次の可能性をもたらすための器づくり、器の拡大、体や感覚の強化トレーニングとして捉えるべきなのです。

個性と自然 B222

個性も自然のままがいいという、そういうトレーナーもいます。自然で個性があれば何もやらなくてよい。好きなように楽しんで歌っていればよい。それはそれでありです。そうでないものを求める人のためにレッスンはあるのです。
 

2014年7月 5日 (土)

リングアナウンサー

プロレスリングNOAHの仲田龍さんが亡くなられました。仲田さんのイメージといえば全日本プロレス時代のジャイアント馬場さんや三沢光晴さんをリング上でコールしているイメージがとても強いです。最近ではボクシングなどでも芸能人がリングアナウンサーすることも増えてきましたが本来リングアナウンサーというのは専門職です。
過去の大きなプロレス団体には看板リングコールがいました。全日本プロレスの仲田龍さん、新日本プロレスの田中ケロさん、全日本女子プロレスの今井良晴さんなどは別格に素晴らしいです。彼らの声を聴けばどの団体かすぐにわかる位ある種ブランド化していました。仲田さんは選手の名前の母音をかなりはっきりと、とても長く伸ばします。母音しか聞こえないときもあるくらいですが大きな声で長く伸ばすというのが特徴でめした。田中さんは一般的なリングアナウンサーに比べると淡々と声をだす方ですがとてもクリアな美声と突然アドリブのように発する選手紹介で、彼がコールするだけで会場全てが試合が始まる前に最高潮になるのです。後楽園でも東京ドームでもです。下手な選手の試合を見るよりも田中さんの選手紹介の方が金がとれると思います。
今井さんは上記の二人を足して2で割ったような感じですが言葉もわかりやすく雰囲気作りも素晴らしいので「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」の山崎邦正対モリマンや、「めちゃいけ」にもよく出演していました。
試合が売りのプロレスの世界でも声で働いている人達がいます。私は新日本プロレスの東京ドームでの田中ケロさんのリングコールでドームが一体になった感覚が忘れられません。(♭Σ)

個性とくせ  V288

 「個性」と「くせ」の違いは、基礎に基づくかによってであり、それは
a.確実な再現性

b.さらなる高次の可能性をもたらすか
にかかっているのです。
 ここで私は、天才(最高レベルのもの、日本では天然としてもよい)と凡人(人並みを目指すもの)は、なぜか共通して調整としてのレッスンをメインにしておくとよいと思っています。それゆえ、日本のヴォイトレのレッスンは調整ばかりでした。プロもカラオケの人たちも調整して、自らの力の100パーセント発揮を目指したのです。
 

スタート B221

 プロの養成機関かといわれると、違うのですが、考え方としては、価値を出せるだけのことをやった上で考えればよいということです。
 歌や声というのは、はっきりしないからです。美しく見えるとか、テレビに出てもはずかしくないとか、そういう基準でもあればいい。
 メイキャップをしなくても、皆、個性的な顔をしている。そんなものをしないほうがいい。でもそれを認めてしまったら、化粧の意味がなくなってしまう。より美しくというのは、時代や国によっても変わるし、何かしら基準を置いているから、売れていく。そこでの価値を知ることがスタートです。
 

2014年7月 4日 (金)

内感覚  V287

 体の動き一つ、呼吸も、歌や発声に対して、本当に正しいというものは、体でなく感覚と実態です。これは、自分の内部へ厳しく感じます。そして感じられるように高めていくしかないのです。
 先日、ストラディバリウスについて、「かつてはオリジナルのと、形、木の厚みを同じにしたから同じ音を再現できなかった。今は木の特質に合わせ、同じ共鳴をする形や厚みに変じさせているので追いついた」というような話を聞きました。目的は同じ形のものをつくるのでなく、同じ音声そのものをつくることなのですから、自明のことです。参考にしてください。

(参考)
ストラディバリウスと声

 これまで、現代のヴァイオリンと音を弾き比べたときに、すぐれた聞き手でも2~5割くらいしか、当てることのできなかったストラディバリウスですが、それに反して演奏家には絶対的に人気があるという秘密を知りたくてみました。
一流のヴァイオリニストにおけるストラドの評価は
1、音色が澄んでいる
2、粒が揃っている
3、芯がある
です。これは声や歌にも通じます。
NHKの番組での最新の科学的な分析では、方向(指向)性があるということでした。それゆえ、豊かで遠くまで深い音色が伝わるということでした。
 新しく最高のヴァイオリンをつくるのに、形をそのままにまねても同じにはならないので、板の振動(密度)からアプローチして、近づけていったというのは、音から考えてみれば当たり前のことなのに、と思います。つまり、同じとか、近づけていくよりは、もはや、木ではない素材をも試し、最新の研究でというなら、その形を超えるものをつくるべきなのですが、しばらくは追いつけ追い越せの技術開発なのでしょう。
ヴァイオリニストが弾き、それをすぐれて聞くことのできる人がストラドをもとに判断している限り、ストラドのような音は超えられないのでしょう。それと、ストラドの音で名手のように弾きたいという人間の欲が囚われとなります。車はすでに全自動運転できるようになっているのに、自らの手で運転したいという人間の欲がなんとなくそれ以上の発展を妨げているのと似ています。
何をもってすぐれたと音というのか、演奏というのかを、もう一度、原点から考えるべきなのです。とはいえ、聴覚の世界では、そこの状況、ホールや音響などの影響もあり、アプローチは至難の業です。やはり、もっともすぐれた楽器をもとに考えざるをえないのでしょう。
演奏において、もっともよい音を目指そうとすると広すぎるので、ヴァイオリンというワクで絞り込むのは無理ないことですね。シンセサイザーでどんな音をつくることができても、ヴァイオリニストやピアニストは、不滅の存在なのでしょうか。
名楽器は、もっともすぐれた演奏家と、もっともすぐれた耳を持つ人と、楽器のつくり手という3つの条件がそろわなくては難しいのです。ただ、もっとも大切なのは、それを判断できる聴衆の存在です。
それにしても、楽器として、生きたままの人間の声帯とか体というのは、木よりももっと難しいわけです。声や歌の解明はまだまだ進んでいないといえるのです。

価値 B220

 私が求めているレベルは、それで食べていけるレベルです。最初と違う形に変わってしまうのはよいのです。その人の夢が変わるのもよい。
 プロになろうとした人の目的はプロになるということです。プロになれなかったら、そこでは失敗、自己投資ということで、はっきりと考えています。そこでの失敗は、人生での失敗とは違います。試合の一敗にすぎません。
 他のトレーナーが言っているみたいに、「誰でも声がよくなります」「高い声が出ます」などは言わないです。
 そんなことは習わなくてもできる人は、世の中にいくらでもいます。声がよい人も歌がうまい人もいます。誰でもできることができても、それはやっただけのことで、本人に意味があっても価値はない。でも意味があればよいというなら、よいのです。
 

2014年7月 3日 (木)

基礎と応用 V286

 表現は歌のフレーズの応用、歌のフレーズは声の応用、とみています、私たちは常に応用しているつもりで、応用されています。そのことで何かを得て何かを失っているのです。基礎のままではいけないから応用します。そして何かを得ているのですから、そこでよい効果が出ていたら、それをよしとします。ここで大切なことは、基礎から欠けていたものを補うことは応用でなく基礎として行うことです。
 また悪い結果が出ていたら、それをやめ、基礎で欠けたものを補い直す。基礎そのものが本当に基礎なのかを疑って、もっと基礎を固めることが必要なことが大半です。
 

グループのレベル B219

 先生より生徒のテンションが低いようなグループでは何の意味もない。学校形式でやっていると、同じ条件で伸びた人がいる、伸びていない人がいる。これが現実です。皆が伸びたというような評価は、平均レベルまででいっているということに過ぎない。スクールの発表会での到達レベルです。

2014年7月 2日 (水)

真偽の見分け方 V285

表現においては、歌のフレーズで、1フレーズを、そして声は、声の一声をしっかりみることです。全体をみながらも、自分の体のパーツを一つひとつしっかりとチェックします。そこから出る音一声を一つひとつチェックします。  ただ、声を出して曲の通りに変じさせていればよいというのではありません。声を出すのは、心地よいので、しかもどんな声であれ自分の声で少し感情を入れるとくせがついても表現になるので、そこで満足してしまいがちなのです。  とはいえ、自分で満足できればよいという世界でもあるので、そうなればそれ以上に、レッスンをする必要もないのです。それゆえ、私も自己満足している人の歌を指摘するようなおせっかいなことは不要と思うのです。  声のよさを聴かせたいのも一つ、歌のよさも一つ、表現力も一つ、どれでもその方が満足して、そこで聞いている人もよいという場に、レッスンもトレーナーもいらないのです。   私がここで述べているのは、それで満足できない人に対してです。それでは、言われただけのことをやれば誰でも声、歌、表現が身に付くのかというとそうではないのです。すべてというもののない世界です。私が言いたいのは他の世界では「全身全霊で訓練しました」ということのプロセスがとれて、結果は人によりいろいろです。そのプロセスをとれるようにするということなのです。さらに、しっかりトレーニングして、できたとかできなかったとかを超えていくことでしょう。少なくとも時間だけ経って、トレーニングした実感もなかった「楽だったけど何が変わったかわからない」というのではレッスンではありません。「大変だったけど変わった」その分の苦労をセットしていこうとするものなのです。

見合う B218

より確実に、より強くというよりも、繊細に相手に伝えるために、ヴォイストレーニングが役立つと考えたほうが楽でしょう。どのくらいの期間をかけたら見合うのかも、かけた分、何かに見合うから心配不要です。ただ、それをわからないとずっとわからないこともあります。私は普通のトレーナーだったら「ハイ」と言うだけで次にいく世界を20年以上やっています。まだ終わりようもありません。  

2014年7月 1日 (火)

スピーカー お知らせ

スピーカーの専門家の方がいらっしゃいました。心地よい音を出すとのことで、音の世界も奥深いものです。

本当に満足? V284

 いつも、1,2週間や1,2年のうちに1,2割よくなって、それから先は限界というものになります。
 多くは経験が乏しく平均以下の人が他の人についたため、少し声を出し曲に慣れたため、人並みになったということです。ですから初心者で入り、そこで終わる人にはとても評判がいい。その程度のものを効果と思える、しかも、ノーリスクだからです。本当の意味でのオリジナルなものとして世の中に通用しません。
 それで満足する人が多いのにも驚きます。いつか、自分の才能のなさや練習の足りなさのせいにして、少々伸びたことで満足して自然に諦めるプロセスです。
 私はそういう方に「ヴォイトレで声が変わりましたか」と尋ねます。体から表現しているアーティストをみて、それを望んでいたのに、体や息や声を全く使わないで、あて方を変えただけです。それで大きく変わると考えているのなら、これは鈍い。ゆえに、可能性のある方法を選べていないといわざるをえません。

捨てる B217

コンピュータとしか会話ができなくなった人は、コンピュータを捨てなくてはいけません。業界の人やトレーナーが万能のようなふうに思ってはなりません。
 発声を勉強した人は、大きな声、高い声が出したい。そうしたら歌がうまく歌えるようになると思い込んでいます。
 J-POPSでは、大きな声も高い声も出せなくても、歌をうまく歌っている人が多いかもしれません。声は悪くて歌は下手でも、プロ歌手をやっている人もいます。こっちのほうが、ある意味ですぐれているといえるのです。
 

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