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2014年8月

2014年8月31日 (日)

土俵を創る V345

私なりに言えるのは、人生捨てたものでなく、個性や才能は一本道でない、多様なものだということです。スポーツのようにフィールドが決まっていると100メートル走でも、最初からそこそこに速くないと、生涯どう努力しても100メートルの選手にはなれません。しかし、アートは、同じでないものを創り出すところでの勝負、いえ、勝負というのは同じ土俵ですから、そうではありません。真の創造は、土俵を選びません。土俵を創り出すとさえいえます。声もまた、大きな自由と可能性を得ているということです。
 

1分 B278

人間がしゃべってみて、相手に伝えるのにひとつのことで1分でしょう。その1分くらいという感覚も欧米から来ているのですね。
 欧米は、相手に対して一回喋ると1分から2分もまくしたてます。長ければ5分くらいしゃべります。その間、相手は愛想よくうなずいたりしない。こちらがしゃべったことに対して向こう側が、1分2分しゃべる。そういう対話がベースです。1分まくしたてようと思ったら、体を使うしかないでしょう。口先でやっていたら、まくし立てられなくなるでしょう。
 

2014年8月30日 (土)

レッスンをどう捉えるか

人によって考え方は様々だと思いますが、どのような姿勢でレッスンに臨むかで、その人の成長は変わってくるように思います。
まずは、レッスン中にどれだけあがけるかが大事です。レッスンでは、時としてその人にはかなり負荷がかかることを行うこともあります。しかし、「大変だ」と感じることは、その人にとって足りていない部分なのです。ですから、より自分を成長させたいのであれば、その弱い部分を認め、必死に自分と戦うことが、最短経路であると私は思います。
私がレッスンさせていただいている生徒さんをみても、レッスン中、辛くても必死にあがいて、尚且つ、次回のレッスンまでにしっかり練習してくる人は成長が早いです。「こんなの辛い」、「こんなことやって何の意味があるの」などと思っている人ほど、遠回りします。
上達の早い生徒さんの中でも、更に早い人は、毎回のレッスンを命がけの様に受けていらっしゃいます。めったなことでは休みません。レッスン中も、「今日やっている内容を絶対に押さえてから帰る」、帰ったら、「次回までにその内容をしっかり復習して、自分なりにできる努力をして、次回のレッスンに臨む」ということをされています。
ここまでやって、少しずつ成長するのです。それだけ、個人の意志が重要です。ここは病院ではありませんし、病院であっても、診察してもらい、最終的に病気を治すのは己の気力です。どうか、強い意志で己を変えていきましょう。(♭Я)

器用でなくす V344

 そこは頭でなく身体の能力で行くところなのです。ゾーンとか言われるところ、いわゆるエクスタシー状態、つまり、マラソンハイのようなものです。密教の密儀ですかね。一流の選手だけでなくても、誰でも努力しだいで到達できると信じたいものですが。
 「才能論」は引っ込めて、ということです。天才、才能、素質などと言うとトレーニングが成り立たなくなります。才能と勘違いされるものの多くは、器用さにすぎません。素早さにすぎないこともあります。
 私が100かけて、やっとできたことを、20やって、すぐにできる人がいる。100とは年月でも量でも努力でもいい。人よりたくさんやれば必ずできるというなら、遅くなったり、手間ヒマがかかるだけで、いつかは時間で追いつける。
 プロとのレッスンでみているのは、その20やって同じことができた器用な人が、私と同じくらいに100やったらどこまでできるかということです。必ずしも私の5倍のものにはなりません。私が、次に200やっていくところまでに、その人は100どころか50さえやっていけないかもしれません。
 早く短い期間でできるのは、器用という才能です。才能の一つの要素に過ぎません。人生は限られているので、遅いし時間がかかると、早熟な人の円熟期のレベルにも、なかなか到達できないものです。スポーツなどでは、器用貧乏などといっても20代後半くらいには、芽が出ていないと、もう体力的な限界に近い挑戦になってしまうでしょう。芸事は、その点では恵まれているのです。

他のものと違うこと B277

絵はたぶんに自由にかけると思うのです。ところが声の場合は、すべてができるわけではない。すごく感動して、ああいうふうにやりたいと思っても、その人と違う声帯で発声が合わなければ、やれてはみても、あまりよくはならない。楽器としてかなり限定されているということです。だからこそ強みになる。ピアノのように同時に10個の音も弾けなければ88鍵もない。せいぜい2オクターブあればいい。歌自体が1オクターブでしょう。歌っているところと喋っているところから、テンションが高まってせいぜい1オクターブくらいなのでしょう。
 

2014年8月29日 (金)

一流の条件 V343

 頭で考えてもわからないと取りつかれたように繰り返す、数を重ねる、聞く聞く…たくさん、一流のものを聞いたあとは、出す…声を出してみるわけです。そう簡単に取りついてくれないものです。ここでも、取りつかれる状況をつくっていく。
 取りつかれるとは、疲れを感じなくなること、自分の体が自分のでなく、声も自分のでなくなること。残念なことに、私はまだ自由にそこの世界と行き来できません。昔、2回だけ行ったときに戻れなくて困りました。一流のアーティストとは、そこへ自在に行き来ができる人たちだと思ったものでした。

夢とタイプ B276

本人が、そのことがやりたいというのなら、そのことをやらせます。それが夢ならばです。ただ本当の夢が何なのかを捉えられずにいる場合が多いです。プロになりたい。それで何かのステージを思い浮かべてくるのに、実際のトレーニングにいってしまったら、結びつきのないところですごしてしまうのです。  何をやりたいのかというと、夢を実現したいからでしょう。それに対して、お手伝いすべきです。それに必要なものを最小限、声に関しても、最小限得るということが第一です。

2014年8月28日 (木)

取りつかれる V342

 エネルギーとは何なのでしょうか。言霊とか物の怪と言う人もいるようですが、能の声のレッスンなどをしていると、人間としてのよい声だけでは、つくりすぎてだめなのですね。もっと違うものが伴わなくてはいけません。何かが降りてこなくてはいけません。その状況を呼び込む声、息、体でなくてはならないのです。
 名人の渋い声に感じられるのに、若手のよい声に欠けているものです。同じフレーズでの比較から、私は、伝統芸の声に入っていたのです。
 トップレベルの演者の同じ演目、たとえば「船弁慶」を何人も比べる。これは、オペラやカンツォーネなどを通じてポップスやクラシックの本質をつかんだレッスン法と同じです。
 

うまくなるな B275

 うまいといわれてしまったら、それはオリジナルではないでしょう。以前に基準があって、何かに似ているからうまいわけです。日本でも残っているオリジナルの歌い手は、ユーミンや中島みゆきさん。彼女らは変わって、カリスマになりました。もともと歌手になりたくて入ってきたわけではなく、ことばの世界で構築したかったタイプです。声や歌がよいということではなく、その人の世界ができていくかどうかです。
 訳のわからない2オクターブの発声をやる、声量を誰よりも出せるようにするというのは、目的に意味がないのです。多くの場合は、声はそこで無理に使われているから伸びないのが現状です。
 

2014年8月27日 (水)

邪魔しない V341

 原則としては、トレーニングは強化してから調整していくのです。それには、感性、感受性、感度を取り入れる力を最大限にして出力し、それに合わせるのです。
 先に「鍛練」と述べましたが、そこから異なるベースのところでの調整に入ります。この究極の形とは、いわば、病気やけがを治す、自然治癒力みたいなものに自分を委ねるということです。
 毎日の積み重ねは何よりも大切です。レッスンをしようが、トレーニングをしまいが、毎日の体は連続して生きています。そこにセンサーを磨くことが必要となります。「自然に」で述べましたが、地球でも宇宙でもよいからそこからエネルギーを取り入れて、増幅して外へ放つ、それを邪魔しない身体、のど、声にしようということです。

下手であれ B274

下手に見られたくないから、何かを借りて、それっぽく歌って、下手に見られないようにする。すると、自分自身もごまかしてしまうことになってしまいます。だから下手であれということ、ずっと下手でいいのです。
 というのは、下手というのがその人の個性なのだから。笑ってもらえたり受けたりする。それが嫌だったら、それを深めるしかないのです。下手のまま、皆が感動できたり、すごいなと言われるようになる。オリジナルとはそういうものでしょう。

2014年8月26日 (火)

なぜトレーナーについてもアーティストになれないか V340

 最近のことばで言うと「もってる」かどうかということ。これこそが、アーティストの資質なのでしょうか。レッスンやトレーニングはそこからみると、ただ補うものでしか過ぎないのです。
 日本語を話している国に生まれたら、誰でも日本語は話せるくらいにはなれると同じで、環境、育ちの問題、そして時間、量が基礎をつくります。問題は、次にくる質的転化とその大きさです。本当はレッスンがそれを担うべきですが、現実には本番のステージの方で行われているのが、日本の実状でしょう。
 

大切に B273

大切にしなければいけないことがたくさんある。ヴォーカルにとっての修行の10年ということを本当に組み立てられたら、すごいことでしょう。ここはできるだけそういう方向にしています。
 最初の2年は、歌がうまくならなくてもいい。下手になってもいい。下手にならなければおかしいとさえいえるのです。
 自分のものがなくて、借物で歌ってきたわけでしょう。それを全部外したら、自分の歌は何もないです。すごく下手になるのです。しかし、自分の声で素直に歌って伝わるものを大切にします。

2014年8月25日 (月)

トレーナーの改善 V339

 トレーナーが自信をもっていくのには、自分に合うか、自分をよしとする生徒にだけ囲まれることです。事実、そうでない生徒は黙ってやめていくため、そういう人の考えや批判を聞くことがなく、いつしれずトレーナーは、自己流に偏っていくものです。裸の王様になっていくプロセスです。
 まだまだ未熟な声の分野で、批判も反省もないというようなケースではなおさらです。長くやっていても何らワークショップレベル以上のことができていないということでもあるのです。
 私は数多くの失敗から気づかされてきましたが、それは常に、自分よりすぐれた人とやってきたからです。多くのトレーナーはトレーニングについて、失敗の経験さえもちません。それに懲りて根本的に学ぶこともあまりありません。
 それは、そこまで厳しい条件下でないから失敗を認めない、というか、それ以前に、失敗していても気づかないからといえます。

有利に B272

日本の場合、すぐにキーを下げないでしょう。向こうから入ってきたとおりに歌う。そこで、相当無理があります。  合唱団でも予め、つくった歌や楽譜があって、それにあわせて練習をしていく。本当は自分の表現をするのだから、最初は自分が有利に変えてしまえばいい。  歌はだいたい1オクターブ半くらいしかない、2オクターブあっても1音か2音、高い音が一瞬出てくるみたいだけです。2オクターブを上行下行していく歌はないですね。私が見た中では離れていても1オクターブです。2オクターブ完璧に歌える必要はない。ポップスはマイクも使えます。

2014年8月24日 (日)

関係でみる V338

 私は、他の、どのトレーナーとも違い、生徒をではなく、常に「トレーナーと生徒」のセットでみてきました。ときに他のところからもトレーナーが生徒を伴って来たり、生徒がトレーナーを連れてくるときもあるので、そのレッスンをみることもあります。
 トレーナーを連れてこなくても、ここにいる人には、これまでのトレーナーとのレッスンのことを、ここで聞くことができるわけです。トレーナーのレッスンの内容を生徒が評価していることが全面的に正しいとは思いませんが、どこかに一理はあるものです。そのトレーナーよりも私の方がそのトレーナーについた生徒の思うところを知ることもできるのです。私のところにはずっとトレーナーが十数名いるから、もっとよくわかるようになるのです。

個性と原理 B271

生まれもったのどが、トレーニングによって鍛えられて使えるところまでやっておけばいい。人によってはここまで出る人もいるけれど、ここまでしか出ない人もいる。それは個性です。
 高いところが出ない人は、低いところではもっと出たりする。違うところによい声の音域があることも少なくない。それを見つけるのがヴォイストレーナーの仕事です。その原理を知るまで、あまり先にいかない。
 

2014年8月23日 (土)

自然な声

私のレッスンでは「いい声」は求めていません。自然な声を目指しています。いい声はジャンル、時代、聞き手で変わってくるものだからです。では自然な声というのはどんなものか。
実際自分の声を自然に出すというのは簡単にはできません。自然な声はトレーニングされないと出てこないからです。ちなみに言うと赤ん坊の泣き声は自然なこえです。しかし人間は生活環境、保護者、友人、テレビからの音などでどんどん声を聴き、覚え、創作していきます。
自分では普通に喋っている声が実は周りからの影響で、生活環境でそういう声になったとはなかなか想像しがたいですが、現実的にそうです。長年作ってきた声を取り除くことはなかなか難しいですし1人ではなおのこと難しいです。
なので時間が掛かります。自然な声は自然な声をいきなり求めても出てきません。喉の開放、息の吐き方、様々なことを体、耳が覚えてくれて少しずつ出てくるものです。
いきなりよい声をだそうとは思わず地道にトレーニングを続けてください。(♭Σ)

発想力 V337

 「持っているものを与えてください」でなく「持っていないものもつくってください」というのが、私のトレーナーへの要求です。生徒より長くやっているからでなく、(長いのならもっと長い生徒や年配の人もいますので)そのクリエイティブな発想において、私はトレーナーをみています。現実に目のまえにいる生徒に関わる問題をトレーナーとして接し、共同で改善していこうとしているのですから、研究や創造のできない人は、ここのトレーナーとしてふさわしくありません。
 レッスンで覚えたことなどは、今すぐここで使えることを期待すべきではありません。しかし、何かをしっかりやろうとすると、それが、肝心のときに唯一、役立つものとなれば充分すぎるということです。

小さな声と体 B270

大きな声が出なくても、声をどんどん小さくして、このくらいになっても聞こえます。このほうが私にとっては体を使っています。動きがぎこちなくなります。  小さな声で伝えようとしたら、大きな声で伝えるよりも難しい。深い息と体のコントロールが難しいわけです。  高い声も弱い声で成り立たせようとしたらもっと難しい。高い声というのは誰がどう出しても聞こえてきます。ところが、低い声で伝えようとしたら、それだけパワーや体のことができていないと、聞きづらいのです。そういう部分は、最終的な応用の部分です。最初はわからない。トレーニングの時期ではある時期、そうしてもいい。でも、それが目的ではないということです。  

2014年8月22日 (金)

クリエイティブなレッスン V336

 トレーナーは、人や作品を判断するのでなく、その人の力を伸ばすために、いろいろな判断をして、アドバイスし、対応もまた改めていくのです。原則としては、よい方向に向くようにアドバイスしていくわけです。
 多くの年月かけてもうまくいかなかった、時間がかかった、という人もきます。でも、それに対して、うまくいったときの要因、やり方、メニュなどを使って、年を経るごとによくしていけるようにします。
 よくするというのは、結果ですが、それを焦らず、そこからよくなるように条件を整えるのです。ここの研究所はデータベースを基に研究を進めながらレッスンをしているところだからできます。
 何よりもクリエイティブなレッスンでないと、生徒さんもトレーナーも本当にはおもしろくならないからです。
 

発声を考える B269

 日本の場合は、あまり発声からは考えないです。耳で聞いているのも、音の出し方や息の出し方、体の使い方も違う。日本語の場合は、母音をつくるのに口を動かさなくてもできる。ビジュアル的に伝わりにくい。すると、いきなり「あいうえお」をきちんとやるべきとなる。それが行き過ぎてしまうからまずいのですね。その程度のことをわかっていないから難しい。
 

2014年8月21日 (木)

nanapi お知らせ

nanapi「もう噛まない!とにかく滑舌がよくなる記事」が掲載されました。

ストレッチングボード お知らせ

ストレッチングボードを用意しました。

前屈しアキレス腱を伸ばすことにより、全体の筋肉の柔軟性を高めるものです。

スタンスとプロセス V335

本人は誰もが同じようなことを聞いていると思っているかもしれませんが、あるタイプの人しかしない質問などは大体決まっています。そしてそういう人が何十名もいたので、どういうことをすると、どういうプロセスでどうなるのかまで、私は経験として、データベースを持っているわけです。
 すべてが同じケースではないので参考にはしても、先入観は入れません。これまで100パーセントよくなったとしても、次によくならない人がいるかもしれないからです。そもそも何をもって、どこまでよくなったかは難しい判断なのです。
 トレーナーがいなくとも、トレーニングや何かを行えば変わるし、くり返すことでよくなるのはあたりまえです。それでよしとするのと、そこからを問題にするのでとは、まったくスタンスが違います。何ヵ月かを目安にするトレーナーと3~5年をみるトレーナーとの違いかもしれません。

大きな声 B268

役者の訓練では、大声を出し、声をこわした人はやめてしまう。発声練習は大きな声を出すことが正しいように受け継がれていたのです。それでは応援団と同じです。
 体の原理からみたら、結果として大きな声が出ることは、発声の原理とあっているとは限らないわけです。本来は、発声の原理のところからやることです。ところが、それでは喉のところに負担がきてしまう。ひずんでいるとか感覚的に嫌だと思うことは、当人の体にとってもよくないわけです。だからそれをひとつ深くするだけでも違ってきます。

2014年8月20日 (水)

考え方のくせ V334

多くの場合は、考え方のくせで、体や感覚も歪み、発声のくせがとれないものです。いくら、発声のところで指摘されても、考え方のくせの方はみえない、曖昧なイメージなのです。これまでずっとそれで通じさせてきた人ほど、変えるのは難しいのです。
 進歩のための変化を妨げる一番の要因は、元に、落ち着くところに戻そうとするその頭なのです。違和感を肯定するのは難しいことです。音程のとりやすい歌い方などから入ると、なかなかよい発声になりません。
 私はアテンダンスシートなどの質問を出させることで、考え方のくせを知り、対応策をトレーナーにも与えていくようにしました。このくせは、ほぼパターン化しているので、今の私には、大抵はよくわかります。
 

ことばから歌へ B267

ここでは、役者や声優、ヴォーカルは、基礎として同じように対応しています。声優さんが多くなったのですが、言語も感覚の部分、体と呼吸を結びつけているところに言語をベースにおいています。
 歌い手というのは、言語でないところで歌いあげるようなおかしな錯覚があります。「ことばをしゃべるところで歌えるのですか」と言う人もいます。歌がどこかから現れてきたわけではないのです。ことばをしゃべっているところに節をつけたくなって、高いところになったり響いたりして、いろいろと応用度が高まってきただけです。

2014年8月19日 (火)

不可知 V333

 何かしらわからないもの、それはトレーナーがではなく、トレーナーの指し示すもの、そのものでなく、方向のようなものでよいと思います。そういう世界を、そういう存在であるがままに受けとめればよいのです。未知の魅力を安っぽく解釈して貶めるべきではありません。
 トレーナーを尊敬しろとはいませんが、学びたいのなら一歩下がって立てておきましょう。トレーナーでなく、トレーナーの向こうにある世界へのリスペクト、それがなければ、何ら本質的なことを学べないと思うからです。
 トレーナーの言うとおりにしなさいとは言いません。まったく逆に学んでもよいのです。ただ、トレーナーの言うところの理や、するところの理を読む努力はするべきだと思います。さまざまなアプローチはありますが、とにかく、あなたを変えるため、感覚なのか理なのか、あなたのなかにないものを身につけるために、トレーナーはレッスンを処方します。
 あなたの今をもってしては、どこにもいけない頭も体も、それが基では身につきません。体は量と時間で変えられるのですが、頭はストップをかけてしまいがちなのです。するといつまでもくせがとれません。体のくせ、発声のくせもまた、考え方のくせやイメージのくせから来ていることも少なくありません。

体から B266

先に体を固定して調整してしまうと、体はそれ以上に使えなくなってしまいます。反対に、部分的な動きを先にして、全体的なフォームを後で直そうとすると大変なことになってしまうのです。最初にやらなければいけないことは、部分よりもトータル、つまり体になってくるのです。感覚から先に入ればいいのに、体が少し先に動いてこないと、感覚も細かいところまではわからない。そこは、常に掛け合って、やっていくというようなことです。

2014年8月18日 (月)

クローズとオープン V332

次につなげるためのきっかけであるためのワークショップの多くが、それで完結してしまい、初心者の満足、満腹体験セミナーになっている様は、前にも述べました。こういう分野を全3回でも、全12回でもカリキュラムを組むことで、そこで予定調和的にトレーナーのなかだけでクローズしてしまうのは同じです。
 なぜなら、クローズ=完結を来る人ばかりが求めるから、そういう満足、わかりやすく消化できる内容をそのレベルで出してみせる、そこがトレーナーの手腕になってしまうのです。そこをちょっとかじるだけだからおいしいというものなのです。あたかも、王子様王女様の貸衣装を着ての記念撮影に過ぎないのです。
 しかし、こういうケースでも、他分野のプロの専門家で感度のよい人がくると、けっこう本質的なことを、そこで得ることもあります。初心者向けに体裁を合わせているだけで、実のところは深いところを知る人がワークショップを仕掛けていたらですが。
 レッスンも似たようなものです。芸術も、特に初心者や若い人は、なまじわかろうとしない方がよいのです。トレーナーがそこに焦点を合わせてしまうからです。
 すぐにわかるなら、それはあなたにすでに不要なものです。確認しにくるのでなく、創造し、活用すべきものです。すべてをみて批判し否定しにくるのでなく、たった1ヵ所からでも肯定し、得て、活かそうと望むべきです。それが、クローズせずにオープンにしていくスタンスというものです。

まねしない B265

題材として、体や息がはっきりしていくほうが使いやすいのです。誰でも歌えるような歌を、癖をつけて歌っているようなアーティストの発声でまねしたら、どこをどう勉強したらいいのかわからなくなってしまう。  最初は、体が強い人、息や声が強い人を一つの目標にする。鍛えたことがない人は、体が変わる可能性がもっとも大きくあるからです。  調整だけにしないことも大切です。また、その順番を間違えないことです。まねやコピーがよくないのは、よほどの人でないと小さく取り込んでしまうからです。だいたい他の人に合わせてやろうとしたら、小さくなってしまいます。  

2014年8月17日 (日)

ジ・エンド V331

あの先生に他意があるわけでないですが、「アハ体験」で頭がよくなりますか?これは、「頭の体操」と同じで、問題作成者の作為の意図の読み取りに慣れて正答率が高くなる。しかも時間制限ですから、どうもゲーム脳には通じそうです。悟った名僧が、α波が出るからといってα波が出たら悟れるわけでもありません。頭がよくなっても中身が空っぽなら何も出てきません。娯楽や、発想の転換や、リラックスというのなら、日頃まじめにやりすぎて詰まってしまった頭や体をほぐすのにはよいでしょう。そのあたりは、ワークショップの効果と同じです。
 日頃、最大の努力をしている人は、ワープ、ブレイクスルーを経験するかもしれません。しかし、ほとんどの人は、わかった気になって終わりです。その体験で満足するからです。本当は、そこからスタートなのにジ・エンドです。

ロック B264

 日本人はロックやラップを聴いて歌っても、J-POPSになってしまう。声が浅く、ひらたいため、歌謡曲のようにきれいに声がつながってしまう。これはメロディを歌おうということではなくて、メロディを意識しないで、ことばを言ったときにそこにメロディが巻き込まれているようにする。メリハリをつけることが、強弱アクセントをとりリズムグルーブの中で処理するというようなことになるのですが。

2014年8月16日 (土)

ここ20年で変わったこと

この約20年間で、世の中は大きく変わりました。 一番変わったのは、オートメーション化がより一層進み、直接、人と接するような機会が減ってきました。 例えば、スーパーマーケットの進出と個人商店の衰退。昔は野菜や果物は八百屋へ、魚は魚屋へ、肉は肉屋へ等々、それぞれのお店に出向いて買い物をし、そこでのコミュニケーションもありました。「いいものが入ってるよ」とか、「おまけしとくね」とか。そんな商人と客の人間同士の付き合いというものがあって成り立っている社会でした。ところが、今は、ほとんどの品物をスーパーマーケット等でそろえてしまいます。スーパーでもお馴染みさん同士の付き合いはあるでしょうが、昔ほどの人付き合いをベースにした社会ではなくなりつつあります。「早くて安くて便利」というのが最も重要視されるようになってきました。 つまり、仲の良い者同士ではない人と人とのダイレクトなコミュニケーションの場が、失われつつあるのです。 これはネット(SNS)やメールでも同じことがいえると思います。 昨今は、電車の車内放送も自動放送主体になってきました。 つまり、我々は「会話」という行動を、無意識の内に以前よりもとらなくなってきたのです。つまり、「声」そのものの使用頻度が減ってきている人が多くなっていると思います。 世の中はどんどん便利な方向に進んで行きますが、どこかで失われてしまうものもあるように感じます。 「会話」を軸にしたコミュニケーションというのは、最も人間らしい部分だと、私は思います。 人と直につながれる場をより多く持つこと、これは己の声とメンタルのバランスを整えるのに欠かせないことだと思います。(♭Я)

スタートライン V330

 トレーナーの方法やトレーニングメニュでの結果をどうみるかの問題の前に、自らを省みて欲しいと思うことは少なくありません。
 褒めて心地よくさせ声を導き出す、甘言を弄するトレーナーがよいなら、まずはそこで1、2年やればよいと思うのです。その後、5年、10年と経てば、おのずと何が得られたのかわかることです。ほとんどのケースで、何も残っていないのではありませんか。
 私は、例えは悪いのですが、記憶術と同じだと思っています。毎週一回30分学んでおくだけで試験に通りますか。全く科目の勉強をしないで、術を使っても何ともなりません。
 毎週一回レッスンしているとしても、それはトレーニングにより効果を上げるために使うもので、毎日のトレーニングなしには言わずもがなです。本当のスタートラインは、レッスンの初日ではありません。毎回のトレーニングが軌道にのったところからです。
 

正しい発声 B263

ヴォイストレーニングというと正しい発声を見せて、まねしていくと思ったかもしれない。しかし、基本的に感覚が変わらないと、声は変わっていかない。
 聞こえかたが変わらないと、本当のスタートはできない。
 聞こえ方が違う、実際の作品でも違うということをわかって、そこから感覚の違いはどう埋めていけばいいのかというようなことに進んでいく。

2014年8月15日 (金)

ブログ更新 お知らせ

ブログ更新しました。

fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント
http://bvt.txt-nifty.com/fukugen/

レッスン受講生の皆さん、トレーナーのお勧めもの(鑑賞)
http://bvt.txt-nifty.com/bvlibrary/

レッスン受講生の皆さんのレッスンからの声
http://bvt.txt-nifty.com/lessonreport/  

発声と音声表現のQ&Aブログ
http://bvt.txt-nifty.com/qablog/

総量 V329

お笑い芸人ののどが鍛えられているのは、5分のネタを5時間も8時間も、毎日練習した時間の総量があるからです。ものまねや他人を、コントや漫才で演じるハードなのどの使い方に、歌手や演劇の人たちが負けるようになってきたのは、その執念と練習量です。
 人を笑わせるというのは、基準がわかりやすいのです。かなりできたつもりでも、ひどくすべることもあります。笑いの量というのは、結果として明確にフィードバックされますから、厳しくならざるをえないのです。
 常識的に考えると、一日2時間の練習―正味として声を出すことをしなくては身につかないし自信ももてません。その絶対量を甘くみないようにしてください。
 どんな世界もそれ以上やったけれど効果の出せない人はいても、やらなくて出せた人はいません。トレーニングで仕上げたければのことで、声だけで勝負するのでない歌手や役者には、少ない時間でプロになった人もいるのは確かです。しかし、あなたがそうでないならそれに頼らない方がよいでしょう。

息 B262

本当の表現には、息が聞こえる。本当に伝えたいと思ったら、声はでかくならないかもしれないが、そこに息遣いが聞こえてくる。役者のせりふもです。息が聞こえない役者は、プロセスがないから二流です。声だけが大きく出ているような役者というのはよくない。
 こういう人はJ-POPSを歌っても、売れないということです。トレーナーとしては採用してもよい人もいると思うのです。でも、歌い手としてということになると難しい。

2014年8月14日 (木)

あたりまえのこと V328

 「1日2時間、声を使わなくてはいけないのにコンスタントに使えない」これを1つのサンプルとして述べてみます。たくさんの人がこの目的でいらしているので、実践的なアドバイスですね。
 これに対応するのに、ヴォイトレを週に1日、1時間のレッスンでカバーしようとしたら、誰がどう考えても不可能ではありませんか。野球やサッカーで考えたら冗談にもなりません。趣味のサークルで楽しむだけのところではあると思いますが、そこでは大して技術向上は望まれないでしょう。バイオリニストもピアニストも毎日8時間を10年続けて、ようやく1時間の本番演奏時間をクリアするのです。
 

意識  B261

ステージをやるためにトレーニングの中でも、ある程度、意識しておくことが必要です。優れたヴォーカリストは、発声やヴォイストレーニングに通っていないかもしれない。でも、自分のフレーズの中で、それを何回もくり返しています。声を整えようとして、使い方を覚えていくのです。
 
 トレーニングをやったことで、その発声でないといけないと思いこみ、それだけが正しいと思って、そこから抜けられないことはよくないです。
 そういう感覚になってくると少しずつ狂ってくる。頭でっかちになる。伝えられなくなってしまいます。

2014年8月13日 (水)

ステージ以外で痛める要因 V327

喉を傷める原因の多くは、歌やせりふなどの本番ではなく、練習やリハーサル、ステージ後の打ち上げやミーティングなどによるものが大半です。そこで声を休められず、著しく悪化していることが少なくないのです。そして、それに本人はあまり気づいていないのです。
 それに加えて、1、呼吸。2、食事。が二大要因です。温度や湿度など環境要因、さらにメンタル面で緊張や自信のなさからくる悪影響なども含まれます。
 特にオンリーワンでありナンバーワンを求められるヴォーカルの心身は、ステージが続くと過酷を極めます。体を冷やさないようにといっても屋外や寒い中、埃だらけのなかの出番も珍しくありません。たばこの煙に悩まされることは少なくなりましたが、その分、弱くなったのかもしれません。
 すぐに、のどアメや吸入器、加湿器、空気清浄器などに頼る生活は、トレーニングの環境=周りの環境を整えるべきであるという点では好ましいのですが、その分、メニュをハードにしないと、結局は、弱い体質ののどにしてしまいかねません。

体 B260

歌っていると思った瞬間に、本当の歌ではなくなってしまいます。  日本の多くの歌と比べて自然でしょう。この人が音程を歌っているとかメロディを歌っているとか、ことばを歌っているとか、高いところになったから高音発声をしているとか、思わないですね。そういうことが、呼吸と声と、体との関係の基本ですね。

2014年8月12日 (火)

ハードな声 V326

 今も毎年、十数名は、身の丈に合わないハードな歌い方でのどを悪化させて、痛くなったり、出せなくなっていらっしゃる人がいます。昔はここに直接いらしたのに、最近は医者の紹介でいらっしゃる方が多くなりました。
 応急の処置をして、薬と休養で回復させても、次の同じだけのステージに耐えられるかは疑問です。悩むよりは、ここに来る方がずっと有意義です。直ってはくり返し壊して、その挙句、手術などになりかねないからです。
 ここにいらした人には、目的、レベル、実力、のどの耐久性もみた上で、次のようなアドバイスを与えます。
1、 あなたののどの状態と発声と考え方(なぜ、こうなったのか)
2、 のどに負担をかけない発声法、もしくは呼吸法(解決へのアプローチ)
3、 ステージへの調整法と(具体的な練習メニュ)
シャウトやハスキーな声をすぐステージで使わなくてはいけない人もいます。役者の悪声、声優のアニメ声などを発声からきちんと位置づけてトレーニングに取り組んでいるところは、ほとんどないでしょう。これは応用としてのイメージで練習させることで可能です。そのような声は本番の使用だけに留めさせています。

無感情 B259

声というのは物理的な現象です。他の感覚も働きますが、音で聞いたときには、スピーカーから聞こえてくる音です。声帯と鼓膜、脳と心を、どう位置づけたらいいかわかりませんが、それぞれの声をよしあしからみて、聞いてみる。その発声器官が喉です。  トレーニングを考えるときには、感情に流されてしまうと、感覚が疎かになり訳がわからなくなってしまう。たとえば今のように息が入っているとしたら、それだけの息の強さ、息をトレーニングしておくことです。

2014年8月11日 (月)

天候不順 お知らせ

今年は天候不順で、高校野球も順延しました。雷雨も多く、晴れていても研究所の近くで雷が鳴ったら、ロビーで待たれることをお勧めします。

アラウンド40 V325

 何かしらの実力のギャップに気がついてレッスンにくる、他人に教わる必要を知るというのなら、オーバーワークでののどの疲れは、よいきっかけです。つまり、使いすぎでやむなく来る人は、使えないでくる人よりも、先の可能性が大きいといえます。
 ただし、そういう人の中には、のどが強く、力づくでやれてしまうタイプもいます。そのために、最初から大声の出る役者と同じく、次のステップへ行けない人も多いのです。そこまでに修正が行われない、つまり、克服すべき目的として上がらないからです。すると、あるとき、40代くらいでいきなりのどを壊すことになります。回復力が少しずつなくなり、時間がかかるようになるのです。まして、仕事や出演が増えている場合は、2倍のパンチを食らうわけです。
 あるミュージカル劇団での役者出身の歌い手などは、決まって40歳くらいでのどが回復せず、ここにいらっしゃいます。それは、こういう流れなのです。なまじ、通用してしまったがために正さず、問題を先送りしてしまったのです。
 声優もミュージカル俳優も、ルックス優先になり、こういう問題が後で出てくることが多くなりました。本来、通用していないレベルなのに合格させて、無理な配役をこなさせようとするからです。
 回復しにくくなるなら、回復の必要をなくすこと、つまり、疲れにくくする使い方に変えていくのが、技術なのです。その考え方を発声理論とし、ここでは生理学、音声学的に、というよりは、ストレートに実践しているのです。より自分の心身やのど、声についての感覚を鋭くもち、うまく使えるようにしていくということです。

守る B258

毎日舞台が2回、365日、そういう人もいます。そうなったときにはやれない。日本のプロの場合、ほとんどの場合、3日おきのコンサートさえきつくなります。毎日2回になっても耐えられるようにやるというのが、トレーニングの意味ですね。  たとえばタップや踊りをやっている人もクラシックバレエを習います。それをバレエで踊らなければいけないからやっているわけではない。そういうことをやることで、体の感覚を鋭くして体を守る。バレエの動きをできるような体を持っていたら、他の踊りも、長く続けることができる。それから自分の身を守ることができる。  サッカーや野球でも、一流である条件は、けがをしないということです。怪我をしたら、何もならないです。うまいという前に、続けて出られなくなってしまったら終わりでしょう。そういう意味でも、ヴォイストレーニングを位置づけると、よいと思います。  

2014年8月10日 (日)

台風11号 お知らせ

台風11号が北上中ですが、遠方の方も新幹線が何とか止まらずにレッスンにいらっしゃいました。

勢いでつかむ V324

「のどが疲れにくくはなるが、無茶すると回復しにくくなる」のは、齢をとるとわかることです。若いときは「無茶をしても元に戻るのは早い」のです。ですから、勢いでやれてしまいます。勢いでやってしまわなくては、技や実力などの地力を出しては先にいけないから、これはこれで仕方ないのです。もちろん、実力が伴えばそれにこしたことはありません。そして、勢いの時期のあとは、少しずつ、のどに疲れを感じるようになる反省から工夫して、基礎の力と技を得ていくのです。量と激しさから、質と静けさの時代へ移っていくのです。
 だから若い人はつぶれない程度に量をやればよいのです。表現は勢いで支えていてもよいのです。それを、直感的に、技術に、時間の経過とともにキャリアに変えていくのをトレーナーが手伝うのです。
 ですから、なまじ、トレーナーや医者が余計な心配をして過保護になると、いつまでも真の力がつかないということにもなります。あるレベルでのオーバーワークの継続をレッスンなどに入る前の遊びの時代として経験できるのかは、大成するにあたっての初期条件として、大切なことなのです。
 すぐに習うのも一つの道です。しかし、習う先で教えたがる人に捕まるとあまりよい結果になりません。人を選ぶのも勢いでかまいません。そのうち、そこも感性と才能がものをいうようになればよいのです。

長くタフに B257

たとえば、長くやれる人とやれない人はどちらがすぐれているのでしょうか。トレーニングの目的というのには、うまくやるというよりも、長くやれるようにすることもひとつであるのです。過酷に使わないようにするのも、集中して過酷に使えるようにするのも、方向です。舞台でも、長い人生の中でやっていけるようにする。となると、今は出ても可能性のない声、後で出なくなる声は選びたくない。
 

2014年8月 9日 (土)

文化を学ぶ

研究所には、歌手としてはポップスだけではなくシャンソン、カンツォーネ、ミュージカル、声楽など様々なジャンルの方がレッスンにいらっしゃいます。日本には日本のよさがあり文化もありますが欧米には欧米の文化があり、それは音楽、映画、芝居などに色濃く反映されています。 例えばハリウッドの映画を見ていても海外ドラマなどを見ても感じますが聖書にでてくる聖人の名前や、キリストの一生、日曜日のミサなどがごくごく自然に会話の中にでてきます。日本ではキリスト教だったりそれに属する学校に通っていれば判りますが一般の人には分かりづらい世界だと思います。あまり私は宗教の文言が入った日本のポップスを聞いたことがありませんし、ドラマも見たことがありません。 日本では宗教というだけで偏見をもたれてしまうこともありますが世界に目を向ければ様々な宗教がありそれにそった生活をしている人たちはかなりいます。日本では生まれたら神社で七五三などをして結婚式はキリスト教の教会で、死ぬ時はお寺で仏教なんて変なことが当たり前ですがそうでない国の方が多いと思います。 少なくとも海外の歌を勉強して歌っていくのであれば、声の勉強はもちろんですがそのような文化を知り理解することは必要だと思います。歌詞の意味をわからず歌うことのほど滑稽なことはないからです。(♭Σ)

リセット V323

  歌の基礎は、基本の発声として、2オクターブくらいのスケールやヴォーカリーズ(母音発声)を通じる、近づくことを目的と示していることが多いようです。
 誰にもこれが難しいとは言いませんが、その分、全体が雑になってしまいます。ベストの発声は遠のき、安易に声域を獲得するだけの発声のくせをつけていくことになっていませんか。そのくせのつけ方を、高音では「あてる」というテクニックとして教えているのが大半なのです。
 これは、一概に悪いことではありません。第一歩として、そこに進んだらまた戻って、より確かな第一歩としていけばよいのです。音にあてる高音練習でなく、その音で使える音色で出せていなくてはなりません。なのに、そこを省みずに二歩、三歩とそのままに行く。それでは、くせで固めることで限界を早々に引き寄せてしまう。大体はそのまま1オクターブ以上にいってしまうわけです。これはヴォイトレでなく、音感練習にすぎないのです。
 そこでいったん、解放、自然に戻すようにリセットして、一歩目からやり直すのです。それでこそ基礎なのです。つまり、一つのメニュや方法で一つの形を整え、型となったら、その型を壊して、また次に組み立てるのです。これを固めたままに上に乗せていこうとすると、すぐに限界に当たることになるのです。

クラシック B256

 世界的に見て、日本人は声がそんなにパワフルに強いわけでない。一回、向こうのマニュアル、つまり、人間としてのベースのマニュアルをみて試してみるのです。
 声楽となると、いろいろな声楽家がいて、いろいろな教え方があるからわかりにくいこともあります。クラシックと考えるに際し、人間の体がそういうふうにつくられたとしたら、それが一番使える原理まで戻って、使ってみようということです。それをクラシックといえばいい。

 

2014年8月 8日 (金)

レッスン復帰 お知らせ

出産のためレッスンをお休みされていたHさんから、レッスン復帰のご連絡が入りました。お会いするのが楽しみです。

教え方に合わす V322

器用というのは、人間的に、ということなら、どのトレーナーともうまくやれることです。仕事の力に近いのですが、うまくレッスンの指導を取り入れて活かせるということにもなります。つまり、教え方に合わせられる才能というのがあるのです。
 その上でトレーナーの方から評価がよい。となると…。評価というのは2つあって、今の力があるということと、吸収力(伸びしろ)があるということです。
 レッスンということでは、後者が望ましいわけです。しかし、どちらもないよりは何でもあった方がよいわけです。教え方に合わせるのがうまいのと、それに振り回されるのは違うので、そこはチェックしています。
 私としては、あまりに教え方にうまく合ってしまう人こそ、その人と真逆のタイプのトレーナーを勧めるようにしています。大きく伸びたいのなら、逆タイプのトレーナーをも吸収できる器をつくれということです。ただ、限界を打ち破って広げていくのと、限界を踏まえてそのなかでギリギリに詰めていくのは、レベルでなく段階が違うのです。(勝負までの時期とか)あるいは、タイプでも違うのです。

息 B255

「プロの歌い手に息が聞こえないのに、なぜ息が聞こえるように歌わなければいけないのですか」という質問です。今まで、そうではないところでやっていたなら、それだけのものを体に入れ込んでいく。それを使うか使わないかはその人の自由です。
 日本語で息を吐いたら、演歌もですが、粗雑に聞こえる。鼻にかけたり、上のほうで音色を調整する。それはそれでかまわない。
 今までそういうこともやったことがなければ、トレーニングというのはそういうものをやることによって、器を広げていくということです。
 私の考えも「日本がダメ、海外がいい」ということではない。両方ができる感覚を持った上で、もう一度選び直そうということです。
 

2014年8月 7日 (木)

ゼロに戻す V321

声が通るのは、相手にきれいに技がかかったような感覚なのでしょうか。多くのケースでは、そこまでにかなりの準備が必要です。心身がいつも動けるような柔軟な人はほとんどいません。
 1日のなかで一番よい状態を知りましょう。まずはレッスンの場にそれをもってこられるようにします。3ケ月も経ってそういうことができるようになると、これまでのマイナスがゼロになります。楽しくて笑っているような状態、これを示すだけで、喜んでくれる人が多いのは、私には驚きであり意外なことです。
 他のスクールやトレーナーなら、ここが目的、到達点となっています。その声でせりふ、歌でOK。声はOKだから、すぐに歌に入りましょう、できあがり、となるのです。
 ただし、そこはゼロ地点です。そこから真っ直ぐ上に行くのはよくない。個性の発現は迂回するようになっています。その回り道に味がある。それをおおらかに見過ごしてあげないと、よくてもトレーナーの二番煎じのような声と歌になります。本当に高いレベルに行かせたければ、トレーナーに必要なのは、指導より忍耐なのです。

気づきとアイデンティティ B254

自分で気づいていることは直るのです。本当に気づいていたら、それが直らないと生きていけないというくらいに、こだわると直ります。そのこだわりはトレーナーに任せるのではなくて、自分でもたなければいけません。
 ある意味のこだわり、完璧主義です。それを何か方法をつかって、うまくやろうとすると、おかしくなります。
 プロとしてやってこられた人、トレーナーやキャリアを持っている人が来ることもありますが、まったくの素人であっても、レベルは違ってもここでは同じ扱いで充分のようです。

 本来は言語がベースのところで声はできるのです。ホーミーやヨーデルとかの特殊な歌唱法は別ですが、言語できちんと成り立たせておく。そうしないと、後で歌になったときに足のつき方とか、存在感や個性、そういったところが抜けたままいってしまう可能性があります。その人のアイデンティティ、それを日本の場合はあまり問わないのです。問わないできたからです。

2014年8月 6日 (水)

できない V320

「できない」とときおり、生徒がトレーナーに言うのを聞きます。「それで?」と思います。できるのであればトレーナーは不要です。少しずつできていく、それは、できていないということを少しずつわかっていくことでもあるのです。そこから、どこまでどうできていないのかという細部へ入っていくことがレッスンの進化なのです。どうすればできるのかが頭でなく、体でわかってくるのです。
 「これをやってください」と言うと「わかりました。できました。次は」という人もいますが、これは例えれば、蕎麦打ちのように思ってください。わかってできて打ったあなたは、その蕎麦を食べればよいかもしれませんが、他の人は食べたくないレベルの蕎麦でしょう。
 「終わりました」けど、「できていない」のです。「わかりました」けど「できていない」のです。そのなかに一本でもハイレベル、通じるものがあれば、あとは時間の問題です。その一本からスタートにつくというのが私の考えです。体を少しずつレベルアップしていくのでしぜんになるのです。そして、もう一つ、イメージの発露を邪魔するものもイメージです。のどでしゃべろうとするほどに、のどは固まるわけです。

プログラム化 B253

声と歌は怖いと思います。本当に1回の話だけを聞いてもすべてが変わってしまう人もいる。ずっと声のことを、トレーニングをしているのに何ひとつできない人もいるということです。
 楽器でも、英会話でも、ここまで時間をかけたら、およそここまで上達するといえるものにはプログラムがたてやすい。でも、声やことばに関しては、すべての人がそれなりにできているから、そこからどういう基準をとっていくかというのは、難しいのでしょう。

2014年8月 5日 (火)

イメージを扱う V319

私たちは、相手ののどや体を触れて動かしているのでないのです。イメージを介してコントロールします。迷ったりわからなくなるのは、これが曖昧なイメージのためです。レッスンは、それを明瞭に定めていくためにあります。
 医者のように、直接、手当や手術するなら患者は動かなければよいのです。武術もスポーツもイメージの力が大きいのですが、多くは実践を伴い、身振り手振りを交えます。楽器も最初は触って覚えていきます。
 イメージは、ことばを介していくので、ときに整合性がつかなくなることがあります。そこを流せるか、こだわるか、それが、「ことばで考える頭」か、「イメージで動かせる体」かの大きな分かれ目です。「頭に邪魔させるな」ということです。

プログラム化  B252

声と歌は怖いと思います。本当に1回の話だけを聞いてもすべてが変わってしまう人もいる。ずっと声のことを、トレーニングをしているのに何ひとつできない人もいるということです。
 楽器でも、英会話でも、ここまで時間をかけたら、およそここまで上達するといえるものにはプログラムがたてやすい。でも、声やことばに関しては、すべての人がそれなりにできているから、そこからどういう基準をとっていくかというのは、難しいのでしょう。

2014年8月 4日 (月)

土俵を創る V318

私なりに言えるのは、人生捨てたものでなく、個性や才能は一本道でない、多様なものだということです。スポーツのようにフィールドが決まっていると100メートル走でも、最初からそこそこに速くないと、生涯どう努力しても100メートルの選手にはなれません。しかし、アートは、同じでないものを創り出すところでの勝負、いえ、勝負というのは同じ土俵ですから、そうではありません。真の創造は、土俵を選びません。土俵を創り出すとさえいえます。声もまた、大きな自由と可能性を得ているということです。
  

見本 B251

先生が完全なる見本という考え方になってしまうと、先生ができていることをできていない生徒に教えようというかたちになってしまいます。ということは、先生が正解です。
 ポップスの場合は、そんなことはないのです。先生が正解だったら、先生がやればいい。
 ここのトレーナーは、ここに来ている生徒よりは発声技術についてはすぐれています。でも、育てるということは、その先生がうまく声を出すのではありません。その先生のできないことをやれるようにするということです。
 そうでなければその先生がやればいい。OBや、先生が歌ったほうがいいなら、その生徒に価値はないでしょう。目的のとり方を間違えてプロになれない方向を選んで、何年も過ごしてしまう。
 

2014年8月 3日 (日)

表現と基本 V317

 アーティストからは、声よりもステージや歌そのものに学ぶことです。そこはプロなのですから、プロに対しては、どこのプロ、どこがプロなのかをきちんとみることです。ヴォイストレーナーの行うメニュや方法の方が、ヴォイトレとしてはよいはずです。特に、声だけでずっとみてきた人なら、声について、もっとも多くの経験を持っているので、そこは使い分けをすることです。
 確かにアーティストは、他の人の声についても自らの経験から判断とアドバイスをすることはできます。しかし、将来へ時間をみて育てていく専門家とはまた違うということを知ったほうがよいでしょう。その専門性に学ぶべきことです。ただ、その場での発声の矯正をヴォイストレーナーと考える人が多くなったのは困ったことです。
 基本とは、型であるのですが、私は、基本の基本として型以前の自然を学ぶように努めさせています。つまり、ただ一声でよいから体の声、これも「大きく響けば体の声で1オクターブまで」といえるものです。1音を体から、いつでも完全に出すのには相当な年月がかかるのです。周りの人、といっても誰でもよいのでなく、厳しい人、つまり、1000人に1人くらいしか認めない人が認めるレベルでの発声と考えてください。

気づいて変わる B250

とにかく毎日量をやったら、きちんと決めてやったらよいと思う。それはいいことですが、それは何のためにやっているのかといったら、オンするためですね。気づいて変わるためにあるのです。
 変わるというと誤解されるのですが、自分のいい状態が確実に取り出せるようになる。訳がわからなくなったら、スポーツ、特に体を使って習得してきたものがあれば、そういうものを思い出してもらえばいいのです。

2014年8月 2日 (土)

スムーズな腹式呼吸

初レッスンから2年。毎回小さな一歩ですが、前に進んでいることを実感しています。
声はだいぶ出るようになってきたのですが、なんだかとても苦しそう。
1フレーズ歌い終わるごとに、「フーフー」と呼吸を整えています。
「おかしいな、普通に歌っていたら、こんな風になるはずがないな」
と思って、苦しくないかと尋ねました。
すると、
「苦しいんです!」
とのこと。
やっぱりな~と思いました。
スムーズに腹式呼吸ができていない様子です。
胸が硬く、喉、顎、舌、唇、首、すべてにガッチガチに力が入っていました。
これでは楽に息が吐けるわけがありません。
そこで、前屈するように伝えました。
クの字になった状態です。この状態で「アー」と声を出すように指示すると、「ラクです~」とのこと。
前屈したことによって上半身の力が抜けたのですね。
そして、楽な状態で息が吐け、結果、スムーズに声が出せたというわけです。
そして、前屈の状態で声を出しながら、身体を真っ直ぐに起こします。
起こしている最中に音色が変わらないようしっかりキープし、慎重に起き上がります。
この生徒さんだけでなく、誰もがなかなか音色を変えずに起き上がることは難しいですが、決してできないことではありませんので、
息苦しくて喉や胸に引っかかりを覚えている方は試しにやってみてくださいね。(♯Å)

アーティストに学ぶには V316

 師である先生、トレーナーが表現者であるとき、あるいは兼任しているときは、その表現を型として学びつつ、ぶつけて離れるのか、似せていくのか、似せるとよくないのかは、そのアーティストのレベル、あなたの学ぶ目的、レベル、タイプなどにもよります。
 ただ、声に関しては、表現としてはプロのアーティストには、かなりの無知、独りよがりな理論、考え、方法、メニュなどが多く、それについては、ただの未熟なトレーナーよりも影響力が大きい分、気をつける必要があります。 
 昔から多くの人には、逆効果となるような、そのアーティスト独自の学習法や考え方はありました。しかし、ここのところ、ヴォイトレのなかでは当たり前、常識となりつつあることさえ、アーティストが教えているケースでおかしな使われ方がされていて、びっくりさせられることがあります。
 自分で仕事をしている分には、そんなにおかしくないのに、他人に教えるとなると、どうもトチ狂ってしまうようなのです。
 そのアーティストが天性というか天然の才でやれたので、それゆえに、そうでなかった多くの人には、そのようにはいかないことを知るとよいのですが…。その方法は、そのアーティストのものなので、少し離れておくスタンスをとることです。

最低と最高  B249

声を使っているのに、変な発声をやったり、歌の中で変わったことばかりやっているために、一番いいものを出せていない、ということが少なくありません。そうであれば、これを確実に取り出すようにする。
 風邪をひいていようがあまり寝ていなかろうが、昨日声をすごく使ってきたであろうが、パッと出せるようになるには、相当の時間がかかります。しかし、これが最低ラインだということです。
 最高目標ではなく、ここからどれだけ重ねていくかということが明らかになってくる。そこではじめて時間をかけたりお金をかけたりする価値であるということです。
 業界の求める水準が低いからやれる、チャンスも大きいし、考えてもしかたないと喜んでいますが、あまりに情けないところもあるので、気づいてオンする。
 

2014年8月 1日 (金)

発声と音声表現のQ&Aブログ お知らせ

8/1より、発声と音声表現のQ&Aブログ の表示を変更しました。ぜひ、ご覧ください。

価値をつくる V315

一方的に依存する。たとえば、ときに自信にあふれた歌手が、他のトレーナーから私のところのトレーナーにつきます。しかし、やるべきことにすべて「ハイ」と従うだけでしたら、一通り終わっても「前の先生と同じことしかやってくれない」と思うかもしれません。自分が何かを出さないとレッスンはただのレッスンのままなのです。
 とにかく言いたいことは、あなたが先にいて声を何とかするのでなく、声からそのまま作品になるところにあなたが現れるというプロセスをとるということです。あなたには、あなた自身や周りの人が大切かもしれませんが、現実には、ここでは音声での価値を有するあなた、あなたの声、あなたのせりふ、あなたの歌などが価値の源泉なのです。そこをしっかりとみつめていかなくてはなりません。
 

成果と逆行  B248

学校となると、毎回、成果をあげていかなければいけないようなシステムになっている。トレーナーはかわいそうなことに、習いに来た子が、初回に身についたと思わなければ、次の月からやめてしまうので、常にそのときそのときの成果を上げていかなければいけない。
 本来やらなければいけないことは、毎日のトレーニングです。これをきちんとやる。これがだんだん高いレベルにきちんとそろってきて、(ここまでは成果でも何でもない)年に1,2回しか出なかったものが、トレーニングのときに確実に出せるようになる。それまでに、およそ2,3年はかかります。
 

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