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2014年9月

2014年9月30日 (火)

少しの違い V380

 「少しの差」からものごとというものは、決まっていくものです。音楽でのリピートでの快感の積み重なりは、まさにそうでしょう。同じことがくり返されるから、ちょっとした変化に敏感になり、感覚も高まるのです。つまり、興奮して感動できる状態がもたらされるのです。
 レッスンやトレーニングもおなじです。同じことのくり返しでの少しの変化から快感になってくるのが理想です。そうなっていないとしても、その「少しの差」がわかってくればよいのです。
 同じことをやることで、慣れからくる安心感や、継承感だけで充実し、満足するのではありません。そこから出てくる、あるいは気づく「少しの差」に新しい自分の可能性を嗅ぎつけるところに本意があります。それは、心身の感覚センサーのなす術です。
 この働きを助けることがレッスンの第一なのです。これを邪魔して、トレーナーが自らの指示に従わせることがレッスンの目的であってはいけません。それはプロセスだからです。
 未来への一歩、「何ができた?」「何ができる?」は、このわずかな差に気づくことにあります。それをくみ出すことこそが、芸なのです。だからこそ、同じメニュを真剣にくり返す必要もあるのです。
 

2014年9月29日 (月)

くり返しだけではない V379

 レッスンのほとんどは、ことばになりません。言語化されないことの方がほとんどなのです。ただそのなかで、こうして同じことを繰り返し入れていくことで、ことばも型もできてくるのです。
 イメージや思考は、体の型と同じように大切です。なぜなら、ただのくり返しだけでは、身についたとしても、その先に行けないからです。やればやった分だけ誰でも身につくところまでは、時間と引き換えに得られるものにすぎません。その先に行くために本当のレッスンはあるのです。
 身についたままのもので対応するのと、それを壊して、新たに創造するのとは次元が違います。そこでは、自分の中のものを出すだけはありません。自分のなかにあると思わなかったものも含めて、すごいものが出てしまったというようになってこそ、価値があるのではないでしょうか。
 創造的なことのために、どういうレッスンが必要か、もっと考えてもよいのではないでしょうか。

2014年9月28日 (日)

ブログ更新 お知らせ

「レッスン効果・体験・音信」http://bvt.txt-nifty.com/lessonreport/ 

レッスン受講生の皆さん、トレーナーのお勧めもの(鑑賞)」http://bvt.txt-nifty.com/bvlibrary/ 

を更新しました。

同じものと新しい自分 V378

私の本は、ほとんどが同じ内容を書いたものですが、書くごとに表現が違っています。以前のものを編集しただけにみえても、そこには、必ずトレーナーや私の現時点での持論が入っています。現在進行形なのです。  それと同様、いつも、同じというのが型なのです。だからそれを求めていらっしゃるのでよいのです。毎回、本の内容もレッスンのやり方が変わっている方がどうかと思いませんか。メニュは同じでも、それをどう使うのかが肝心なのですが。  そこが、今、ここにきている人とのリアルでの橋渡しのところ、過去でも海外でもなし、あなたと、私やトレーナーの感覚や体などの言語化された部分です。そこでは日々、変化します。そのなかからアップしているのです。  

声をよくする B306

これでは、声優さんから役者さん、アナウンサーともやっています。  日本語の高低アクセントなどは大してやりません。声優やアナウンサーの学校は、そのことをやるわけです。すると、まわりの人には勝てても、ベテランの人とやると負けてしまう。もともとのエンジンが小さいままだからです。  音程やアクセントなどは、最初はいい加減でいい。ピッチがくるっても音が外れてもいい。発音がめちゃめちゃでもいい。まずは、声をよくしていけばよいと思うのです。

2014年9月27日 (土)

プライベートレッスン

新国立劇場の「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」の指揮を振るためにイタリアからレナート・パルンボというイタリア人の指揮者が来日しました。パルンボは世界中でイタリアオペラをメインに活動している指揮者でイタリアだけではなく世界中を飛び回っていて、スカラ座、メトロポリタン歌劇場などにも度々出演しているオペラ指揮者の重鎮のような方です。
そのパルンボのプライベートレッスンを聴講してきました。
パルンボのレッスンは指揮者のレッスンなので音楽的なアドヴァイスが多いのかなと思っていたのですが、生徒が持ってきた曲を全て自分で全曲ピアノで弾いて、全ての受講生のスケールなどの発声練習をしていました。浅い声や母音が不明瞭な音は許せないようで深くだすこと、音をジラーレすることを特に口うるさく言っていました。特に横隔膜の使い方は厳しかったです。鼻にかかった声は特にダメだようで、鼻に響かせすぎるソプラノ方の声には大きな声で「NO!」と何度も叫んでいました。
パルンボは自然な音色の音域を探すためにかなり低音を出させていましたがそのソプラノの方は「これはいわゆる胸声ではないのか?」と質問していました。
私も女性の生徒に多い「胸声だけ」「頭声だけ」という声はあまり感心しません。その人にとって自然な声ならなんでもいいわけでむしろ切り替えがわからなくなるところまで訓練が必要なのです。高い音をだすために頭声、低い音を出すために胸声というわけ方は帰って喉をいためます。同じポジションで歌えることを意識してトレーニングするべきです。
また、フォルテで歌って身体を鍛えることをアドヴァイスされていたかたもいました。まずは声ありきなのだなという印象を受けたレッスンでした。
でもパルンボも素晴らしい声なのですよ。歌手でもないのに。日本人の声楽家、指揮者がきいたらびっくりするくらいいい声です。
残り3回聴講する予定なのでしっかりと聞き比べてきたいと思います。(♭Σ)

結果で修正 V377

私はトレーナーや専門家の紹介もしていますが、あなたとトレーナーとの本当の関係は、これからの月日をみていかないとよくわかりません。大体は、縁のようなもので思ったままにいくのですが、何割かは期待以上であったり、うまくいかないときもあります。この、うまくいかないケースを認めているようなスクールやトレーナーは、少ないことが大問題なのです。
 やっていくなかで、プロセスをみて、あなたの声だけでなくプログラム自体も修正していくことが、より重要です。ですからトレーナーとのやり取りやレポートは、必ず私も目を通しています。
 わからないことをわかったことにしていくと、わからないことさえわからなくなるので、そこをはっきりとさせています。とはいえ、あなたが何年後かのあなたをわからないように、私たちも完全にはわかりません。でも本人のあなたよりもわかることは多いのです。
 語学学習なら習得について大体の予測がつきますが、声は、これからどういう生活やトレーニング時間をとるのかによって、かなり違うものです。月に何回かのレッスンよりも毎日のトレーニングや過ごし方のほうが、大きく声に影響するからです。
 ただし、一人で悩むよりも、トレーナーにアドバイスを受け、あるいはトレーナーを悩ませて、言われたようにやっていく方がよいのは確かです。少なくとも具体的に結果が問えます。そして、修正しつつ方向も定まるからです。

発声法 B305

 トレーナーが教えるような発声で、高い声の発声法として、その音をとりに行くにはいい。しかし、そのまま歌うわけではない。通用はしない。その人の中でいいものがあれば、それを選ぶべきです。  

2014年9月26日 (金)

セットしてから V376

 いろんなメニュに大した根拠はありません。本当は、必要に応じて、また、その日の心身に応じて、セッティングするものだからです。このセッティングの能力こそ磨かなければいけないのです。学ぶべきもっとも大きなことなのです。それを対面してこそ、できるレッスンで学ぶのです。
 すぐれたトレーナーは、その日のその人の状態と理想、目的のギャップの間に即興的にメニュをセッティングします。その段階までいかないときは共通のメニュをくり返し、同じことのなかで、わからせていくことに時間をかけるものです。
 ここに述べてきたような質問については、何と答えても、そのやり方において、頭でっかち、かつ、あまり発声に役立ちそうもないものです。それゆえ、トレーナーが熱心に真面目に応えるほど、そこから抜けられなくなるのです。
 あなたのことを思えば、最初から答えない方がよいことの方が多いのです。でも、正直に「自分の体に聞いてください」と言うと困りますね。「それがわからないからトレーナーに聞くのです」と言われそうです。でも、トレーナーにもわかりません。わかったふりをして、不安なく取り組ませることが必要なときは、そうするのですが…。しかし、本当はすべてわかっていると勘違いしているトレーナーの方が問題ではあるのです。トレーナーが予定しているくらいの上達なら、今や、自主学習で充分できます。トレーナーが予知できないレベルで、その人から何が出てくるかを問えるようにセットするのが、本当に意味のあることなのです。
 お互いに研究のできていくようにレッスンをセットします。勝負はそこからです。そこまでは、淡々と迷わずにトレーニングしていけばよいのです。

声域 B304

 体をめいっぱい使うところをやったら、長く伸ばせる、高いところも上のラまでいきます。高い声の人が歌っているところです。J-POPSの人にはハイCまで歌っている人もいます。もっと高い人がいます。歌としては十分だと思います。  体からの発声ではそんなに高くは聞こえないはずです。日本人の大半は口のほうだけでつくっているからカン高く細くなります。実際にそういうものがお客さんに受けたりしていることもあります。そこについては自由にやらせています。  

2014年9月25日 (木)

ことばは、イメージのため V375

腹筋についても再度述べると、本来はトレーナーが「やれ」とか「やらなくてよい」とか「やってはいけない」とか言うものではないのです。あなた自身が、発声をやっているなかで不足を感じたらやればよいのです。それを100回とか200回とか、何分間とか、絶対的に正しいかのように定めるのはおかしなことです。でも定まらないとやれない人が多いから目安として与えているのです。
 自分なりにやっていくなかで少しずつ綿密に定めていけばよいのです。呼吸なども同じことです。
 あるトレーナーは3秒吸って12秒吐くのを勧めています。15秒で一回、1分で4回、大した根拠もないのでしょうが、その人なりに続けやすい秒数、覚えやすい秒数にしたのでしょう。そのときにトレーナーの言語力で、受け取る人のやり方や効果が大きく違うものです。私は、「吐いて吸う」というように述べていますが、「吸って吐く」というのを勧めるトレーナーもいます。考えや経験でそうしている人もいるし、ただ、考えずにそうしている人もいます。言語力はイメージを導くのにとても大切です。キャリアや実績は、こうした使い方一つでわかるものです。
 

成長 B303

日常において理想的なことが、もしできていたなら、20歳の段階で相当、歌えるはずです。相当、ことばを使えるはずです。
 私自身はそうではありませんでした。18歳くらいになって根本的に変えなければいけないと思ってやり出したくらいです。才能があれば、歌っている中で、そういうことができたのだと思います。世の中にはそういう人もたくさんいるからです。
 でも、歌えてしまって勉強をしなかったら、成長も止まるでしょう。今の歌い手はほぼそうですね。20代に一番声が出て、30、40代になったら声が出なくなってしまう。
 海外では違うでしょう。60才でロックをやっていても往年と同じか、それ以上のことをやっています。ショービジネスの厳しさの違いです。

2014年9月24日 (水)

レッスンの目的 V374

 「こんなことできない」とか「こんなことおかしい。やる必要ない」と思えば降りればよいのです。レッスンにきたからやらされるのですから、嫌なら自分の思うように歌っていればよいのです。
 思うように歌えないのは、多くの場合、そこまでやっていないのですから、やり続ければよいのです。問題は、そのうち、自分一人では思えなくなること、イメージが広がらなくなること、そこからが対処できないから、レッスンの意味があるのです。つまりは、イメージを決めていく、それも可能性を高める方向にイメージを持っていくのがレッスンなのです。
 世の中にはこんなことをやらずにプロになった人も、うまく歌える人も、魅力的な人もいます。しかし、そういう人たちは、この型を与えられても、あなたよりもうまくこなせます。あるいは何らかの形をとって凌げます。それゆえ、そのあたりを踏まえ、チェック方法をシンプル化して一つのメニュとして示しているのです。
 でも、なかには、型にまったく対応できないのに、すぐれたアーティストもいるでしょう。スポーツや楽器ではありえないことも、声、ことば、歌ではあるからおもしろいのです。それゆえ、これ以上、述べられないということです。

10年 B302

しっかりしたトレーニングでは、必ず副作用が起きます。バランスが崩れます。だからここでも、本気でやるとそうなると言っています。それを恐れる必要はありません。  歌は、歌のことだけを考えて、気持ちよく歌うのがよい。カラオケとかで歌っているときのほうがうまく聞こえるものです。  息や体を使おうと、感覚を鋭くして声のトレーニングをやると、一時、かなりアンバランスになります。それを私は5年10年単位でみています。  要は、10年たったら、他の人と違う体、感覚になるということです。どこかで他の人と違うことをやっていないとそうならない。普通の生活、普通の感覚で生きて、それでそうなったとしたら、元々そうなっているという天才なのです。    他のものと違って声を使って生きてきたのだから、何かとことん変えてやらないかぎり、その延長上です。

2014年9月23日 (火)

メニュという型 V373

メニュとは、一つの型ですから、繰り返して、何かを身につけていくために使います。そこには元より説明できるものはありません。ノウハウとしてのメニュをたくさん集めるよりも一つの型を材料として判断力を高める基準づくりの方に重点をおきましょう。
 多くの初心者の方が期待しているような、絶対に正しい一つの方法や、魔法のような万能のメニュはないのです。あるとしたら、心身を目一杯使って元気に生きるということでしょうか。
 しかし、自己表現の結実である歌でさえ、一つの型の表れといえなくもありません。その型に人は惹かれ、ファンは魅了されるのです。
 トレーナーの示す、わけのわからないものにどう対処するか、どう対処できる能力をつけていくのか、その力を養うのが、実践に通用するレッスンです。そこで自然にこなせていれば、こなせるようになっていけばよいのです。
 少なくともそんな疑問ばかり出る人は、うまくいかないものです。出し尽くして忘れましょう。考えてはいけないのです。そのために思うように歌えないことが多いのです。レッスンでは、疑うことよりもイメージを大きくすることに費やすことです。
 誰もできないのではありません。誰でもできるのがメニュです。しかし、できたようでいても、よりできる人からみたら、まだまだできていないのです。つまり不自然なのです。
 

飾りをとる B301

科学的な研究も医学的な研究もやっています。いろんな人に今も教えてもらっています。お客さんがいて成り立つ。でも、基準があるのかないのか、花火や照明で喜んでくれる。
 いろいろなことをやらないといけないのですね。MCがうまくないと評価してくれない。そういうところにおいてどこまでやるのか。
 日本の場合は、本質的なことができないまま、周りの技術が発達して飾ってしまった。そのために、皆で何をやっているのかがわからない状態です。そのなかでトレーニングもやっているのが、現状ではないかという感じがします。

2014年9月22日 (月)

説明の限界 V372

「レッスンでは説明を受け、納得できたら家で自分で練習します」と、そういう考えの人もいます。そのために、私は本や会報でできる限り、ことばにできるところは述べてきたのです。さらにブログにも最新のQ&Aを入れています。
 あなたを安心させるだけの説明なら、いつでも何でもできるのです。ただ、あなたのことを十分に知らないうちに、こちらの模範解答や正解を与えても、それは決してよい結果になりません。ただの知識欲、自己満足になりかねないからです。それでは、レッスンの意味がないのです。
 自分の考える正しさが誰にも通じるものだという自己暗示にかかってトレーニングを始めるトレーナーも少なくありません。そういうやり方がレッスンの真骨頂だと思うトレーナーであって欲しいとも思いません。
 「こうしなくてはいけないのでなく、こうしたいと思ったから言ったのです。あとは自分で考えなさい」と。譲れるのは、ここまでです。
 因果関係や理由なしにはできないと思わないことです。そういう問いと答えをたてたら最後、大した成果をもたらさなくなるということを、数多くの体験から述べておきます。この世界にいると、奇跡はけっこうよく起こるのです。説明がつかないからこそ、魅力的なのです。

完全なメニュ B300

今は、マニュアルの時代のせいなのか、完全なメニューをつくってくださいと言われます。私はそれは理想だと思います。  ボディビルのように、そこまでいきたいのなら、これだけの器具で何分間で何コースやればそうなると示す。サプリや栄養補給みたいなものもあります。実際にそうやれば思うようになりますか。  いつの日かそういうふうになればよいと思っているのですが、もう200年くらいかかるのではないでしょうか。  

2014年9月21日 (日)

理由を知りたい症候群 V371

 「どうして、こうしなくてはいけないのですか」という問いは、以前はさほどありませんでした。今や何事についても、その理由や結果を知ることを求める人、それを知らなくては行動に移せない人、続けられない人が増えました。
 研究所へは、本の読者から関わる人が多かったので、理屈先行タイプが多いのも確かです。それでも、かつては「そこを聞くのは失礼」とか「聞いて答えてもらったところで何にもならない」という直観があったのでしょう。いい具合に、聞くべきときに聞くことが聞かれていたように思います。
 実際にはそう簡単には答えられないこともあります。(でも、答えようとすれば、大体は、教科書的な答えとしてわかっているわけです。そのためのQ&Aです。)私は、そういうときもそうでないときも言わないことが多いです。何でも言うことは、よくないことにもなります。今はよくても後ではよくないことと、今はよくなくても後でよくなることのどちらを取るかということです。私は迷わず後者を取ります。そういう人が少なくなったということです。
 正直なところ、「こうしなくてもいけないことはないのですから、こうしなくてもよいですよ」「なら、好きなようにやりなさい」でもよいのです。が、それではアドバイスされた人が困るでしょう。「その理由は、私もこうしてやって、できたからです」などを言わなくてはいけないのなら、すでに信頼関係もないでしょう。
 一つひとつを疑われては説明を要するなら、レッスンの多く時間が失われます。それによって、もっと得られるものがあればよいのですが、失われることの方が多いと思います。もし、それが安心感というのなら、よくないことではないでしょうか。
 

きっかけ B299

 早道や近道はないということです。ヴォイストレーニングのメニュや方法は、あくまでひとつの刺激やきっかけと見たほうが間違いないと思います。その中で自分に合っているものがあれば、取り入れて組み合わせていけばいいのです。
 

2014年9月20日 (土)

もっと質問しよう

人に声を指導するという仕事をさせて頂くようになってから今までずっと感じることがあるのです。それは「生徒から質問されることが少ない」ということです。ここのよさの一つとして個人レッスンであるということがあります。グループレッスンだと聞きづらいことも個人レッスンでは聞くことができると思うのですがそれでも少ないなと思ってしまいます。
例えば塾や予備校などの個人授業では分からない問題や複雑な公式などの質問は普通にあると思います。しかしいざ声の分野になると難しくおもってしまうのでしょうか?声は自分には分かりませんし人それぞれ考えや好みも違うので一概に数学の公式のようにはいかないのですが…。
ちなみに私は自分の歌の師匠やイタリア語の先生を質問責めにします。というか勉強すると疑問が増えていくのです。もっと言えば疑問が出てくるぐらいトレーニングしないと理解できませんし、疑問がわいてこなければレッスンそのものの存在価値も危ういです。
レッスンに長年通われたり、進歩している方はレッスン前の提出シートなどに毎回質問してきます。私も質問があるほうがレッスンの方向性や生徒さんの悩みや現在の段階が見えてアドヴァイスが明確にしやすいです。限られた時間を有効に使ってみてください。
(♭Σ)

腹筋不要論について V370

「腹筋を固めるな」「腹直筋を鍛えると呼吸や発声によくない」と言われ出しました。そういう質問に、私は「世界一流レベルにでも近づいてから考えたら…」と、にごしていたのは、考えるに値しないことと思ったからです。また、言わないほうがうまくできるし、上達すると考えなくても、よいように働いているものだからです。とはいえ、何回かは、具体的に答えてきました。
 これは、インナーマッスルや体幹が大切と言われた頃から、外側の筋肉を固めると内側の筋肉がつかないというような流れできたものでしょう。
 筋肉の働きについて、一般の人がよく知るようになったのは、悪いことではないのですが、それを理論として、頭で考えて体を働かそうとすると、伸びやかにトレーニングをしていたような人よりも悪い結果となりかねません。
 言えるのは、ボディビルダーのように筋肉をつけたからといって、あるいは、腹筋が100回を200回できるようにしたからといって、あまり発声と関係ないということです。そういう苦行トレーニングの先に、よい発声や歌唱があるというなら幻想だということだけです。
 こんなことを今さら言うのもはばかられるのですが、舞台で声を出すのに、腹筋が普通の人並みにもいらないなどということはありません。ヴォイトレにおいて、そういう極端なことばを受け売りして、頭でっかちになってはよくありません。
 本人が足らないと感じたら補えばよいのです。むしろ、足らない、補わなくてはいけないと具体的に感じられるほどの高い目標をセットすることこそ、レッスンで行うべきことなのです。身につけることの必要性を与えるということです。

イベント B298

 笑って楽しくて声が出ていればいいというようなレベルで通用した現場はない。皆でステージで楽しくやっていたら、お客さんに通用するというようなことはない。ただのイベントです。何年もたたないうちになくなってしまいます。  いくらお客さんと共感するといっても、価値あることを出さないことには、ダメです。一人の体からすべてが発するわけです。その感覚の中からスタートです。日本的な考え方があまりよくないといったらおかしいのでしょうが、よく考えましょう。

2014年9月19日 (金)

型と不条理 V369

型を守ることを教えられると、その型から出られなくなるものです。型とはいずれ、型から出るための型なのです。意味があるとするなら、崩れたときに戻るところとしての型です。本来は「いつでも外せる」「脱げるように」と教わるとよいです。いえ、「いつか外す」いや「いつか外れる」の方がよいですね。  そのために、名師匠は、わざと抜けたくなるような窮屈な型を押しつけるものなのです。それが言動や生活にまで求められると不条理な抑圧ともなります。つまり、退路を断ち、一心に打ち込める覚悟を迫るのです。  ゆえに、型は、不自然を通り越して不条理なのです。理で求める人を拒むのです。「型破りはよいが、型なしはよくない」よく言われることばです。

シーン B297

映画でも絵でも、どう選択するのか、それをどう組み合わせて一番いいものにするのかです。映画でも、俳優が監督をしたところでは、自分が出たシーンに思い入れが入ってダラダラしてしまう。伝記映画のようにつまらなくなってしまう。
 第三者の映画監督がバサッと、時間をかけたところを惜しげもなく切ってしまう。すると面白くなる。飽きさせないようにする。
 最初の5分を見ればだいたいわかります。そこですぐれているものはわかります。こういうのも同じです。出だしですべて決まる。

2014年9月18日 (木)

鋳型と自己流 V368

型は、土台ですから、完成に近づくまで、ほとんど中途半端でしかないのです。それをどうみるかが問われるのです。私は、どんな型も元の型のように考え、できるだけ活かそうとしています。そうでないと、研究所でトレーナーたちの方法と両立できません。いろんな生徒さんがいらっしゃるのですから、いろんなアプローチがあって当然です。
 その理由は、以前に述べたように、よくも悪くも最初についたトレーナーの型が鋳型として大きな影響をもってしまうからです。ですから、私はできる限り、そこを肯定から始めたいのです。
 それゆえ、自己流、我流にも、私は寛大に対応しているのです。自己流も他に教えられたものも同じくらいにその人自身のど真ん中の声から、それていることが多いので、同じことです。どちらにしても9割は、浅く、程度として低い状態に変わりないのです。それならば、自分独自に試したり誰かに教わって、少々違う方向に偏っていても大した問題ではありません。何をしても見えていない分には偏るのです。それを是としていくことも大切なのです。それは大きく見ると無視できる範囲です。それよりもど真ん中の声、ど真ん中にくるであろう声をみることです。
 

やれることとやれないこと B296

 どこのアーティストでもそうですが、日本の生徒は、先生のようになりたいということで、きてしまうのです。すると先生のまわりに、できない人の群れができて、新しいパワフルな、才能のある人の成長を妨げてしまいます。  私は年配のすぐれた先生たちをたくさん見てきました。人のいい先生は、誰一人も生徒をその人以上に育てられない。集団をつくってしまうから、それまで。家元制にしたり、徒党を組んだり、やれない人を人数だけを抱えるようになるので、さらにやれなくなります。

2014年9月17日 (水)

ど真ん中 V367

 声の先生もまた、自分の型ではない型がみえるのが嫌なのです。あるいは、理解できないのです。そのまま自分に置き換えると不快だからです。歌手であれば尚更です。教えるには自分に置き換えて兆候をつかみます。ですから中途半端な型の上に乗せていくよりは、その型を否定して外すことから始めるのをよしとするものです。
 教え上手の先生のケースとしては、カラオケの上手い人のくせをはずして、下手にしておいてから伸ばしていくのと似ています。
 レッスンの場やトレーナーを変えた人の多くは、前のところでは身につかなかったから「まったくゼロからやり直したい」と言ってくることが多いのです。そのためにトレーナーと意見が一致して「最初からやり直しましょう」となりがちなのです。それを相性とかタイプで片付けてしまうのです。多くのケースでは「よい先生に会った」という根拠は、「やさしい、親切、わかりやすい、自分を認めてくれる、評価してくれる」という、トレーニングとはほとんど関係ない要因です。ただ、ホスピタリティ、サービス精神に通じていることも、教える人としては大切でしたが、何よりも大切になった時代だからです。
 

できることとできないこと B295

私でも、自分ができることは、そう簡単に他の人にはできないと、だいたい思っています。そうできる人はいない。でもそれはどうでもいい。ミニ福島をつくりたいわけではない。
 相手ができるけれど、こっちができないことを早く見つけてやるという、それでしか通用することはないのです。
 

2014年9月16日 (火)

型の自然化 V366

武術の基本の動きを参考に述べましょう。その演技、型をみせてもらうと、初心者ほど不自然です。それが上級者になるのつれ、美しくたおやかにみえてきます。師匠になると、もはや型がないほど自然になっているわけです。それを身についたといいます。
 ヴォイトレの問題は、武術やスポーツよりわかりにくく、すぐれていることの判断ができない人が多いことに尽きます。声ゆえに分かりにくいとういうことです。
 ( )が外れないままであること、あるいは、トレーナーや本人が( )をつけたままでよしとしていることなのです。こんな初歩的なレベルのことを20年以上私は言い続けています。他分野なら、1年目にあたることを生涯スルーしているからです。
 第一線の歌い手も知らない。歌い手だから歌えたらよいのですが、歌はともかく、声を教えるとなると( )に入れることを目的として、疑うこともないのです。よくあるレッスンメニュは、それにあたります。本人は、すでに世に通じているからよいのですが、その人以上の人が育たないのはそのためです。また、本人も( )のためにやれている半面、限定されているのです。それを外しにくるようなプロもここにはいます。

才能を使う B294

自分の才能を生かして世の中でやっていくのなら、自分より才能のある人をどう巻き込んでいくかです。才能のある人とやっていたら、自分ができないことはわかってきます。そうしたら自分の才能の限界がみえてくる。それを使う。  歌えて、ギターも弾けてバンドもできて、でも全部中途半端なら、どこにも通用しない。  歌でもそうです。あなたが歌うよりもトレーナーが歌ったほうがいいといったら、そうなのです。どのトレーナーでもできてしまうことが世の中で通用するわけがないでしょう。ということは、トレーナーが教えたことだけで、世の中渡れるのではないわけです。  

2014年9月15日 (月)

不自然に V365

どこかのレッスンをやめてきた人には、声を出してもらったり、歌を聞かせてもらうと不自然なので、すぐわかります。しかし、それは本来、( )の時期だからなのです。
 ヴォイストレーナーや声楽家は、一般的に、他の人の教えのついている人を嫌います。最初から自分が教えたら、こんなに不自然にならないと皆、思っています。お互いにそう思いあっているということです。
 他の先生のレッスンを辞めてきた人はみていても、自分のところを辞めた人を、他の先生がどのようにみるのかを知らないし、関心がないからです。
 この問題については、「あとで大きく効果の出るレッスンほど、最初は不自然になる」のがあたりまえと思えばよいのです。この不自然さは一つの型ですから、あるレベルにいくまでは、外れないのです。
 

1人育てる B293

 100人のうちの1人しか伸ばさない。先生は最初からその一人だけを選べばいい。とはいえ、すぐにはわかりません。
 いろいろな分野を見ても、本当に育てられるというのは、10年に1,2人だろうなと思います。マラソンでもテニスでも10年で3人育てられたといったら、天才的なコーチと言われるのでしょうね。そういう意味でいうと、ここも人数がふくれあがったのも問題だったのです。そのなかにいると、日本人は安心してしまうので、さらによくないです。

2014年9月14日 (日)

お祭り お知らせ

秋晴れの中、お神輿が玄関前の道を通っていきました。

ホームページを更新しました。

コントロールするものとは V364

自分の心身や周りの環境は常に変わります。そこに、適宜に応じなくてはなりません。曲や発声が変わるのに振り回わされず、そのような他の条件の差よりも、自分のなかでの差を大きくしていくことです。その積み重ねによって、あたかも自然のように、おのずとそうあるように振る舞えるレベルへと向上します。
 届かない高さや広すぎる声域などに振り回されて、できた、できていないなどと言っているのは、その音が出せたとしても、まるでできてはいないものだからです。
 とはいえ、( )付で試みたり、結果としてどうなったかのチェックとして行う分にはかまわないのです。目的(この場合、目標)なのか、結果なのかを明確にすることです。

手本 B292

手本は、世間で言われている先生たちとは違います。世間でよい先生といわれているのは、だいたい面倒みがよくて、やさしくて、誰にでも愛想がよくてということでしょう。そんな人は使えない。誰でも伸ばせる先生というのでは、平均化をすることになります。趣味のレベルでのおつきあいでしか意味がないでしょう。誰でも伸ばせたら、その価値というのはなくなってしまいます。  

2014年9月13日 (土)

提出用ポスト お知らせ

提出用のポストを白い色の縦型のものに変えました。

「『LET IT GO』のイディナ・メンゼル」

大ヒット公開中の映画、「アナと雪の女王」。まだまだ勢いがとまらず、ロングランが続いていますね。皆さんはもうご覧になりましたか?公開前から、そのテーマ曲「LET ITGO」はCMで何度となく流れ、耳馴染んでいましたが、公開するや否や爆発的なヒットで、昨日行ったレンタルCDショップは、全部貸し出し中になっているほどでした。そして、歌詞の内容とメロディラインが印象的で、最近では映画館で一緒に歌えたりもするそうですね。かく言う私も吹き替え版で二度鑑賞し、これから楽譜やCDを調達しようと思っている一人です。
さて、この「LET IT GO」、日本では松たかこさんによって歌われていますが、アメリカではイディナ・メンゼルという女優(歌手)さんが歌っています。彼女はミュージカル女優としても有名で、「RENT」や「ウィキッド」に出演し、(※)トニー賞も受賞した経歴の持ち主です。私が初めて彼女の歌声を聴いたのは、その「ウィキッド」というミュージカルのCDでした。力強く、伸びやかで、どこまででも出る高音。何度聴いても鳥肌が立ちます。
ある日、歌のレッスンでNYに住むアメリカ人のヴォイストレーナーが私に言いました。「ブロードウェイで『ウィキッド』を観たかしら?あの高音、すごいわね。力強いわね。地声みたいよね。でもね、あれは地声では絶対出ない。地声で出したら声がつぶれてしまうわよ。日本人はみんな地声、地声と、喉で押した声を出すの。とても聴きづらいし、喉に危い。あの声はね、顔の前の方、鼻の方に持ってきて、真っ直ぐピーンと張ったところで歌うの。地声っぽく聞こえるけれど、決して地声ではない。ミックスヴォイスというの。」
さらに恩師曰く、NYのミュージカル女優はみんな、その発声で歌っているのだそう。そのイディナ・メンゼルが歌う「LET IT GO」。
「ウィキッド」と同じように、やっぱり高音が印象的です。どんなに高い音でも、苦しそうに聴こえない、喉を閉めている様子が全くないのです。それなのに裏声には聴こえない。魅力のある声ですね。
「地声」文化の日本では、まだまだこのテクニックは定着していないようですが、徐々に日本の歌唱法も変わりつつあります。一人でも多くの人が、楽に伸びやかに歌うテクニックを一日もはやく習得できますように、私自身も磨いていかなければいけないなあと思っています。
※トニー賞 ミュージカル版のアカデミー賞のようなもの。
「ウィキッド」のナンバー”Defying Gravity”(♯Å)

出口のコントロール V363

ヴォイトレも、言われたような声を出すのでなく、自らのなかにそれを感じて取り出すものです。出口をコントロールするのではありません。出口の前で、すでにコントロールされているのでなくては何ともならないからです。  それを司るのは外からの指示でなく、内なる感覚です。そういう意味で多くのヴォイトレが、「ヴォーカルコントロール」と私が称したように、出口でのコントロールだけを学ぶように陥っているのは残念なことです。  その教え方は、言われたように声を出させるのです。それは感じたままに声を出してうまくいかないから一手段として、( )に入れてやることなのです。この( )は、やり方も期間も人によってさまざまです。  私が「ヴォイトレの方法論は机上の空論で無意味」と言うのは、トレーナーの数とレッスンする人の数以上に組み合わせがあるからです。入口である自覚で行っていれればともかく、出口、目的となっている、そのことが、とても浅いのです。  

独学と学び方 B291

 「独学したほうがよいか」と聞かれるのですが、ひとりでやるというのは、私には考えつかないことです。世界中まわって、よいものを学ばせてもらったからです。また、他の人が学べないところや人から学んだということです。きっと私の学び方が少しは偉大だったのだろうと思う。要は自分の才能を生かすために何が必要なのかということに対して求めることです。
 

2014年9月12日 (金)

教える V362

他人に与えたいという欲求が、教えたいということで職になると教師です。しかし、大抵の場合、教師でなくても、人に働きかけたい気持ちは、人として誰もがもっているものでしょう。
 他人に教えたくないとしたら、そのことが自分のデメリットになる場合でしょうか。教えることが自分の地位や収入や生活を脅かすとき、人は隠します。相応の報酬(金銭に限らず)があれば引き換えに、ありえない相手に情報を渡すこともあります。自分の仲間や国の秘密を売るようなことさえ、人は条件次第で平気にするようになるのです。
 そのときの判断は、その人の生まれ、育ちとともに歴史の織りなす縦と横に軸がどのくらい通っているかで異なるようです。なかには、使い走りとして使われ、誰かのために行ったのに責任を取らされ、投獄されたり殺されたりした人もいます。そういう役割であったのに、死んでも気づかない人もいるのです。
 そういう形で、最初に、巻き込まれてしまうのは、若くて何もみえず、やむを得ないことが多いのですが、そこから抜けられないのは、全体の構造をみないから、みえないからということです。とはいえ、そんなものはみえないことが多いし、全体がみえることなど凡人には決してありえないでしょう。

トレーナーを使う B290

人を読み込む力ですね。トレーナーは読み込んで、再現する力はあるのです。
 アーティストは、作品にわがままでなければ成り立たない。他の人のことはおいて、ひとりよがりに突っ走れる力が必要です。自分のよい作品ができるために、全て犠牲にするくらいの覚悟でやる。
 トレーナーには向いているが、アーティストには向いていない人も多い。
 今の時代、トレーナーの才能をどう使うかということを考えたらいい。習おうと思うよりも、いろいろな材料が世の中にあるので、それをどういうふうに自分で組み立ててみて、うまく自分の表現にするか、です。
 

2014年9月11日 (木)

リスクをとること V361

 ビジネスは、リスクと報酬が表裏一体です。責任をもつということは、成功したら、その分を多くもらうが、失敗したら、その分を多く失うということです。そのことによって決定する権利=義務が伴うわけです。これは戦いの指揮官でも政治家でも同じことです。
 組織になると、この権限(地位、肩書)と、報酬(リスク)とが、階層(階級)となって配分されます。参加するとともに、否応なしに地位に伴うリスクを負わされるわけです。
 人間関係は究極のところ、信義に基づくものです。これは、どの世界でも同じです。芸能界は言うまでもなく、小学生のクラスや劇の発表会でさえ、この関係は成立しているわけです。
 ですから、等価値で交換が成立すべきなのですが、そこが難しいわけです。そこでの価値の決め方という価値観がまさに人それぞれ、さまざまだからです。
 それをつくりあげていった人の考え方を表すことになるわけです。これは必ずしも損得での勝ち負けを結果とすべきものではないのです。日本のように革新を嫌う社会(=世間)では、当然、保守的で既得権、利益を守るものとなりがちだからです。

書くことから B289

 ここにくると、書かされます。日本人だから大体の人は何となく書けるのです。書くことは苦手だけれど、描くことは簡単なら描けばよい。勉強するときに耳から聞いたほうがいいとか、目で見たほうがいいとか、いろいろなタイプがいるでしょう。そういう中で音楽に向いているタイプとか向いていないタイプとか、いろいろと育ちの中でできてくる。
 家庭環境にもよります。いつも踊っていたとか歌っていたとか、自分も知らないうちに100曲200曲と覚えてしまった人と、まったくそういうことが許されなかったり、やれないような家で育っていたら違う。全部が入ってくる。
 そういうことを見極めて、足りないことは補強する。生かせる部分は拡大する。一箇所でもいいから生かせる部分を何年かけてでも見つけます。たったひとつでいいから、他の人が感動するようなフレーズを一瞬でいいから出せるようにしていくことがベースです。

2014年9月10日 (水)

デング熱対策ほか お知らせ

玄関での殺虫剤散布と、玄関での防虫強化、および忌避剤の設置をしました。

マナー、愛想よくする V360

 たとえば、接客サービスにもっともすぐれている、おもてなしの国、日本、世界の人がそれを学び始めています。一言でいえば、感じよく対応するというのを「おもてなし」というのです。しかし、これはホスピタリティとして万国共通のものです。日本人のすぐれているのは、相手によって大きな差別をしないことでしょう。とはいえ、これも、身分差別こそ奴隷制のある他国ほどなかっただけで、むしろ、些細な差にこだわる根深いものがそれなりにあったわけです。

いろいろ B288

ルックスやスタイルと別のところの音声や組み立ての魅力というものをプロデューサーはみている。そのときの基準というのは、カラオケのように誰かに似てうまいということではない。もっと若くて、他にもやれそうな人がいるというようなヴォーカルでは選ばれないですね。年齢ということではなくて、その後の可能性やキャリア、全部の勝負になってきます。歌ってきただけのものがあるかの勝負になってきます。  芸人と同じです。どう感覚で生きて、どういうふうに毎日取り組んできたのだろうかと。それがアーティストに向いている人と向いていない人がいる。あるときに、すごく変わる人もいる。天性に恵まれた人もいる。  

2014年9月 9日 (火)

価値観と伝統 V359

 研究所としては、関わる人のどんな愚痴や批判でも、ポジティブな改革への提案として、くみ上げられるようにしています。何かが日々起こっていることは大変にありがたいものです。トレーナーが10人いると10倍、キャパシティがあるわけです。
 クレーム、要望を少しでも早く吸い上げ、改善するように、ここでは努めています。ですから、愚痴より批判、批判より提案がありがたいのですが、日々、何百もの改善は考えてもいるので、似たような提案よりは、新鮮な愚痴や思いがけない非難がありがたくもあります。
 私がいろんなところに行くと、ここもあそこも直せばよいのにと思うことだらけです。でも、そこにはいろんな事情もあるということもわかるのです。私も、研究所で変えたいことは山ほどあるのですが、自分の勝手と周りの迷惑との板挟みで保留せざるをえないことが少なくないのです。
 革新者とよき同志とはなかなか両立しません。それには時間がかかる、いや、時間をかけなくてはいけないのです。具体的に述べたいのですが、キリがないので、西郷隆盛と大久保利通、あるいは、信長と家康の処世法、そこを考えてみましょう。
 仕事や対象や目的の優先順などにもよるので、徹底すれば価値観になります。オリジナリティとなります。一貫せずに、つきつめられていない、深まっていないから価値にならないのです。トレーナーの方法や皆さんの方法にも同じように感じることがあります。
 自分が選んだつもりで、向こうに選ばれている、こちらが辞めたつもりで、辞めさせられている、ということもあります。長く続けるために変えるべきこともあれば、変えてはいけないところもあります。それはなかなか外には、他の人には、短い期間ではみえないものです。それを踏まえて、永らえてきたものを伝統ともいうのです。

オーディション B287

ここ何年か、プロデューサーにきてもらって、生徒をオーディションしてもらっている。順番がついていたのに、なぜデビューさせないのかというと、これならもっと若くてかっこいい人は他にもいる。つまり、うまいということでの1番2番では意味がない。何か違うものを持っていて出せそうな気がするというのでなくては。そういう人が一人いたのに早稲田にいって、その話をけってしまいました。

2014年9月 8日 (月)

真面目からの脱却 V358

 どんなこともやむにやまれず、闇雲にやっていくなかで何かをつかんでいくというのが、およそ芸の本道です。一方、ときに手を抜いても、ともかくも持続させていくのは、大人のやり方です。あまり真面目に意味や定義など考えたり、全てを賭けすぎて完全燃焼してしまうと、そのうち、それに疲れてしまい続かなくなります。人に対しても仕事に対しても、絶対とか正しさを求めると、どうにもならなくなるのものだからです。

ものまね B286

 歌でも同じです。これはこの人の作品、この人風の作品だとか、そうすると、誰かが似たようなタイプだとなります。これはあの人に似ている、あの人のまねといわれてしまう。まねではないけれどまね、歌でも、そういわれてしまった歌い方は価値がないです。これは現実でも同じです。
 

2014年9月 7日 (日)

時機をみる V357

 私は、ヴォイトレを、とにかくがむしゃらにやればよい時期と、自らの限界を知って選択していく時期とに分けています。問題は、その境目の時機をどうみるかです。しかし、多くの人は、まだまだ、そこまで達していないのです。自分について判断するまえに諦めたり、やる気をなくしたり、仕上げたつもりになる人の多いのに驚きます。
 レッスンは、ときとして最初から後者になりがちなのです。レッスンの目的に効率や合理性を求めるとそうならざるをえないからです。
 できたら、それまでに自分でできないところまで試してみることです。それが充分でなければレッスンをやりつつ、試みればよいのですが、レッスンで視点を得つつ、それと関わらず大きく思い切ってやるというのは、なかなか難しいのです。
 今のヴォイストレーナーのレッスンは、総じて、後者を求める人用にできています。すると、それに反することになり、矛盾したり中断したくなります。実のところ、そこでふんばることが大切なのです。人まねでなく、自分自身のもつ可能性を知るために、です。

絵とデッサン B285

現実がリアルに見えてこなければいけない。そうでなければ写真のほうがいい。写真より伝わらなければ、絵を描く意味もないでしょう。昔は写真のかわりに絵が使われていたから、そっくりでよかったのでしょう。
 絵はデッサンですから、同じ人が描いたことはわかるわけです。こっちは赤だから違う人だという人はいないと思う。それがオリジナルのデッサンということです。

2014年9月 6日 (土)

歌い手としての自分とトレーナーとしての自分

私は教えることが嫌いではありませんが、歌っている方が好きです。トレーナーとしてのピアノの前にいるよりも舞台の上、稽古場の方が好きです。でもそれだけに声が出しづらい時、出したい音が上手く出ない時の苦しさも理解しているつもりです。
私はずっと下手でした。(多少ましになりましたが)音楽高校にいっても大学いっても大学院にいってもいつも落ちこぼれでした。
周りの仲間、舞台で活躍している人達が皆天才に見えていました。でも誰よりも歌は好きだったと思います。自分が歌うのも好きですが実際の舞台も大好きでした。少なくとも周りの仲間の何倍も舞台を見に行きました。新国立劇場、二期会、藤原歌劇団、東京室内歌劇場、その他様々な公演も見に行きました。お金が無かったので新国立劇場は安い当日券を買う為に朝早くから並びましたし、他の公演は前々からチェックして安い券を確保できるようにしていました。働き出してからは演劇の舞台も多く見ましたし、実際に以前は敬遠していた台詞つきの舞台にも数多く乗ってきました。
自分は実際に練習して経験しないとできない人間です。だから生徒ができないで悩んでいるのはとても判ります。(♭Σ)

力づくと全力の違い V356

若い時は、夢と現実との距離がわからないことが最大のチャンスなのです。そこに全力でチャレンジすると無茶や無駄がでるからです。恐れず行動してみることです。そこから自分に合った勝負の仕方が見えてくるのです。
 大海に出て、現実の力のなさを知り、夢の現実化の手段を知っていくことです。(それは、決して発声の方法などの差ではありません)
 なのに、これまでの狭い経験のなかから自ら選ぶようなことをしては、そこそこで止まります。歳をとると可能性が狭まるのは、歳のせいでなく、知ったふりして冒険ができなくなるからです。多くの中高年のように安定志向では、それゆえ大きくは伸びないのです。

イメージ B284

 よいものをたくさん入れておかないと明確にイメージができないでしょう。どういうイメージをそこに持ってくるかが大切です。絵のように、そのとおりには描ける。  私がプレイヤーを描いたら、単に平面的な絵で、音楽やっているように見えない。音が聞こえない。こんな音を出したいんだ、こんな感覚のライブ感を伝えたいというところで色使いとかタッチがあります。まだ背景を塗り残している、ということではない。埋められないのは、その人の世界観です。その人にとってはそれで完成、現実とは違う。  

2014年9月 5日 (金)

可能性は無限ではないが  V350

 現実に何かを成し遂げるには、可能性を追求していきます。そして、その可能性の限界を知ることでしょう。そのためには、まず限界以上のことを目指して行うことです。それによって、己の本分を知ることになったら、そこから本当の勝負は始まります。そこまでには、ゆうに3年から5年はかかります。それが修行といわれる、いわば、基礎を身につける時期です。
 その作業をしないうちに、予め自分で制限を設けていては、あなたの可能性は著しく狭められます。つまり、まだ十分でない自分の現在の力のなかで、そこそこに応用した選択となってしまうのです。レッスンに通うのは、方法などを求めるのでなく、この自分の器を破るためなのです。
 それなのに、ノウハウ、メニュばかりを勧める方法がヴォイストレーニングで一般化して、そういうことを生業とするトレーナーばかりになりました。それは、そういうことをトレーナーに求める人ばかりになったということでもあります。
 それでは、すでに才能や実力が充分な人、ごく一部の人を除いて、現実味のない夢に邁進することになります。仮に、100パーセント、そのトレーナーの教えを受けて、うまくできたところで夢のまま、現実との接点がつかないのです。修業どころかプランニングさえできないままに終わります。困ったことに、なまじ有能な歌手、役者、演出家が教えるとそうなりがちなのです。
 

ことばから入る B283

 ことばから入るというのは、日本語から入る、ことばの実感から入る。自分が歌ったとかことばを言ったではなくて、相手がそれを捉えられたかです、つまりは自分の表現が成り立ったか。
 これは皆さんでもチェックできます。歌がうまいとか下手とかあまり関係ない。毎回、成立させられる人は少ない。だいだい2,30人がやると、1,2人がたまたまできる。次の回には違う人ができたりする。
 評価は案外とはっきりしています。私が判断しなくても周りの人もわかる。日常でもあることです。
 もうひとつは音楽から入るやり方です。たとえば役者さんは音楽に入るのは苦手です。そのかわり表現のところから入る。それはずっと得意です。それで飯を食っているからあたりまえです。
 

2014年9月 4日 (木)

教え方に合わす  V349

 器用というのは、人間的に、ということなら、どのトレーナーともうまくやれることです。仕事の力に近いのですが、うまくレッスンの指導を取り入れて活かせるということにもなります。つまり、教え方に合わせられる才能というのがあるのです。
 その上でトレーナーの方から評価がよい。となると…。評価というのは2つあって、今の力があるということと、吸収力(伸びしろ)があるということです。
 レッスンということでは、後者が望ましいわけです。しかし、どちらもないよりは何でもあった方がよいわけです。教え方に合わせるのがうまいのと、それに振り回されるのは違うので、そこはチェックしています。
 私としては、あまりに教え方にうまく合ってしまう人こそ、その人と真逆のタイプのトレーナーを勧めるようにしています。大きく伸びたいのなら、逆タイプのトレーナーをも吸収できる器をつくれということです。ただ、限界を打ち破って広げていくのと、限界を踏まえてそのなかでギリギリに詰めていくのは、レベルでなく段階が違うのです。(勝負までの時期とか)あるいは、タイプでも違うのです。

借りない B282

あの人のようになりたいと言って入ってくるのが日本人らしい。そのままトレーニングもして、完成形はそういう方向になっているし、多くのプロもそう歌っている、全体として特殊な形です。
 自分の言いたいことがあって他の人と違うということを打ち出していくのが、表現の世界です。アーティストの世界です。そうなったときに声だけどこかから借りるというのはないし、音楽も、その基本スタンスをもつことからだと思うのです。

2014年9月 3日 (水)

ゼロに戻す V348

声が通るのは、相手にきれいに技がかかったような感覚なのでしょうか。多くのケースでは、そこまでにかなりの準備が必要です。心身がいつも動けるような柔軟な人はほとんどいません。
 1日のなかで一番よい状態を知りましょう。まずはレッスンの場にそれをもってこられるようにします。3ケ月も経ってそういうことができるようになると、これまでのマイナスがゼロになります。楽しくて笑っているような状態、これを示すだけで、喜んでくれる人が多いのは、私には驚きであり意外なことです。
 他のスクールやトレーナーなら、ここが目的、到達点となっています。その声でせりふ、歌でOK。声はOKだから、すぐに歌に入りましょう、できあがり、となるのです。
 ただし、そこはゼロ地点です。そこから真っ直ぐ上に行くのはよくない。個性の発現は迂回するようになっています。その回り道に味がある。それをおおらかに見過ごしてあげないと、よくてもトレーナーの二番煎じのような声と歌になります。本当に高いレベルに行かせたければ、トレーナーに必要なのは、指導より忍耐なのです。

会話と対話 B281

友達と会話するのにも体も腹式も使い、言語として声も使って、そのまま人前に出してみても通用する。向こうの高校生の会話をここで流して聞いても、ちゃんと成り立っている。
 日本では、高校生どころか、社会人の対話も成り立たない。プライベートな会話ばかり。日本の場合は、オフィシャルにもってこれないわけです。発音もはっきりしていない。言いたいこともはっきりしていない。
 ところが外国の場合は、第三者に聞かれても成り立つところで、考え方も相手と意見も違うし、やれているわけです。そういう文化的なベースが違う。

2014年9月 2日 (火)

できない V347

「できない」とときおり、生徒がトレーナーに言うのを聞きます。「それで?」と思います。できるのであればトレーナーは不要です。少しずつできていく、それは、できていないということを少しずつわかっていくことでもあるのです。そこから、どこまでどうできていないのかという細部へ入っていくことがレッスンの進化なのです。どうすればできるのかが頭でなく、体でわかってくるのです。
 「これをやってください」と言うと「わかりました。できました。次は」という人もいますが、これは例えれば、蕎麦打ちのように思ってください。わかってできて打ったあなたは、その蕎麦を食べればよいかもしれませんが、他の人は食べたくないレベルの蕎麦でしょう。
 「終わりました」けど、「できていない」のです。「わかりました」けど「できていない」のです。そのなかに一本でもハイレベル、通じるものがあれば、あとは時間の問題です。その一本からスタートにつくというのが私の考えです。体を少しずつレベルアップしていくのでしぜんになるのです。そして、もう一つ、イメージの発露を邪魔するものもイメージです。のどでしゃべろうとするほどに、のどは固まるわけです。

身内の歌から出る  B280

日本の歌は、もともと身内の歌です。すべて身内の中で行われる。日本の場合、身内ともそれ以外ともコミュニケーションをとりません。そこでインパクトやパワーで相手の耳を振り向かせること、そこに立ち止めさせて、去らないようにさせるという必要がないのです。
 今の日本のライブハウスはさらに身内だけ、中に入ったお客さんは皆ファンです。
 向こうは違います。客から罵声を浴びせられることもあるでしょう。気に入らなければブーイングがあったり、お前の歌は聴きたくない、と常に第三者です。
 

2014年9月 1日 (月)

発声と音声表現のQ&Aブログ新カテゴリー

発声と音声表現のQ&Aブログ の新カテゴリーを作成しました。

ブログ更新 お知らせ

プロフェッショナルへの伝言
http://bvt.txt-nifty.com/professional/

レッスン受講生の皆さんのレッスンからの声
http://bvt.txt-nifty.com/lessonreport/  

ほか、ブログを更新しました。参考にしてみてください。

イメージを扱う V346

 私たちは、相手ののどや体を触れて動かしているのでないのです。イメージを介してコントロールします。迷ったりわからなくなるのは、これが曖昧なイメージのためです。レッスンは、それを明瞭に定めていくためにあります。
 医者のように、直接、手当や手術するなら患者は動かなければよいのです。武術もスポーツもイメージの力が大きいのですが、多くは実践を伴い、身振り手振りを交えます。楽器も最初は触って覚えていきます。
 イメージは、ことばを介していくので、ときに整合性がつかなくなることがあります。そこを流せるか、こだわるか、それが、「ことばで考える頭」か、「イメージで動かせる体」かの大きな分かれ目です。「頭に邪魔させるな」ということです。

表現の力 B279

日本では、「えーと」「さー」などと、何も考えないで喋りだす。しゃべって詰まったら相手が助けてくれる。すぐにバトンタッチをしあうでしょう。体を使ってしゃべる必要がない。論理的に考える必要もない。喋りの目的というのもないでしょう。
 喋るということは、相手を説得させて自分の意に添わせるということです。そういうところがないところで歌が成り立つとしたら、表現の力もつきません。
 

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