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2015年4月30日 (木)

今日のメッセージ[ヴォイストレーナーの選び方]

○トレーナーの責任

 よく私は、「声と表現とは別」と述べていました。しかし、表現のために声を学ぶ人たちには、表現のための声が必修であり優先されるので、そちらからみるようになりました。そのうち、そこをみるばかりになってきたのです。ロック、カラオケ、ハモネプ、コーラス、役者のせりふ、アナウンサー、朗読、声優の音色(使い分け)果ては、腹話術やホーミーまで、どれも声と関係があるので、日本中、世界中、巡って学びました。
 トレーナーは、それぞれの分野のプロとは違うのです。確かに歌のうまいトレーナー、役者なみにせりふを言えるトレーナーもいます。その人の出身がそこのプロであれば当然です。ここのトレーナーでも、声楽家ならオペラを歌えます。普通の人よりも、その分野をやってきたので当然です。とはいえ、他の分野では一流のプロには及ばないのです。
 ヴォイトレのトレーナーゆえにトレーニングは教えられても、プロの歌い手よりヒットさせることはできません。プロの俳優、声優、アナウンサーの代役も難しいでしょう。ソロとしてヒットさせた後にトレーナーになった人はいますが。まして、ここに習いにいらっしゃる落語家、伝統芸能家の芸などまねるだけやぼです。

 ゴルフのレッスンプロと同じく一流のゴルファーだった人が必ずしも教えているのでなく、教えることにおいてのプロといえる人が教えている、大多数は、そうでなくても自分よりもやっていない、できない人に教えている、その図式で成り立っているのです。
 表現活動で食べていけないから、食べる手段としてトレーナー、あるいは教職を選ぶのです。これを否定したら日本の声楽界は成りたたないでしょう。教えることで学べることも大いにありますから、教えることを兼ねるのは悪いことではありません。芸を継承させ、将来を後世に託していく使命もあるのです。
 しかし、その結果が凋落ではいただけません。古来より、廃れていった分野は数多くありますが、まずは隆盛していたわけです。一人の天才が創始あるいは、継承して、一時はそのジャンルを超える幅広い活動、大きな影響力を世に与え伝えたのです。そのために、それに憧れ、それをやりたい人が集い、また客も客が客を呼び、増えていったのです。そこからが問題です。
 これが、ポップスなど海外からのインポートものになると、憧れで、本人も客も本当の意味で舞台が成立しえないうちに流行してしまうから事情は複雑なのです。
 それはともかく、保護、援助しなくては存在できないものをどう評価するのか。建築物ならともかく、人間の活動です。予算ということなら同じお宝を保護に回すのか、新しいものの台頭への助力へ回すのかということにもなります。それを誰が決めるのか。お上か庶民か。(この件は、文楽と橋下大阪市長の補助金騒動でのやり取りがわかりやすいので譲ります)そして、トレーナーの位置づけ、これが単に自分よりもできない人の引き上げでなく、自分よりできる人にすることにあるべきと思います。そこから一般化していくならよいと思うのです。そうでないケースでは、評価は自己満足でメンタルトレーナーのようなことになっているケースが多いからです。
 

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