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2015年5月 2日 (土)

今日のメッセージ[ヴォイストレーナーの選び方]

○処理と創造  

声を身体からみるか、歌からみるかで私は2つの立場をもっています。そして、その都度、変じたり、その割合をミックスして評価、判断、アドバイスをしてきました。これまでも述べたように A.器を大きくする(ゼロから1へ) B.優先順を決める(2,3,4番を1番のものに) Aは破格やインパクト、パワーであり、Bはバランスや使い方で、収め方、残し方です。 Aは押す波、Bは引く波です。  この掛け合いで歌もせりふも表現も成り立ちます。ところがAがなくなった、いえ、元よりそこが強くなかったのが日本人の音声です。  たとえば、半オクターブでもまともに声を出せない人が1オクターブ半を歌おうとすると、これが露わになります。本来、声を1オクターブ出せるまで話すポジションで歌えるはずがないのに、歌声という特殊なレシピをつくり、マイクやリヴァーブでカバーするのです。  クラシック歌手からみたら、最近のポップス歌手はそれに当てはまるでしょう。しかし、そのカバ―能力こそがポップス歌手のプロとしての処理の能力ともいえるものです。丁寧にしっかりと歌えますが、ポップス歌手の、カバー能力のなかでのもう一方の、より重要な創造の能力、破格、インパクトやパワーに欠けるのです。それがあれば世界の一流の歌手になれる条件となります。当初のポップス歌手は、声そのものの質感のよさがインパクトをもっていたものです。  この破格とは、声においてのオリジナリティの素です。クラシック歌手はいまだに向うへ近づけない(追い越せまでいかない)、正直なところ、一時よりも後退しているのです。日本のなかでクラシックもポップスも対立せず、ヴォイトレも共有できているのは、実のところ、裏で同じ問題を宿しているわけです。それゆえ、ヴォイトレは、歌においては守り、喉を壊さないためだけのもので、今や不毛の方向にあるのです。

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