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2015年5月 5日 (火)

今日のメッセージ[ヴォイストレーナーの選び方]

○歌  

ですから、声=歌の行き来をしつつ声の評価と歌の評価を噛み合わせていくのです。プロデューサーやバンドは、声や体よりは歌、あるいは音楽で判断します。その人の声のベストよりも作品としてのベストです。とはいえ、その人の声のベストで見てから作品に歩みよっていけるプロデューサーも、稀有ですが、います。その上でトレーナーは、その手段としてのメニュ(方法論)をもつということです。  ピアノの一音の完成度は楽器、その調律、その弾き方(発する音)です。しかし、演奏はメロディ、リズムという流れの中でのバランスです。1音をきちんと弾くよりも優先されることがたくさんあります。ましてミスタッチしようものなら大失敗でしょう。  同じ音でも、単にそのタイミングで音が出ればよいというわけではないのです。弾き方の評価はあります。完璧な演奏、間違えない演奏に対して、基本の基本が問われるのです。正確さは間違えなければよいのでありません。丁寧さも雑でなければよいのではないのです。奏者にとって、演奏の基礎技術は、音が一体化するために最低、必要な条件です。  それを声で、となると、なぜこんなに何でも許されるのかが不思議です。特に日本では雑なものです。1番と2番で、ことばの違いはあっても、声のコントロールが全く違い、本人さえ気づいていないことがよくあります。この理由も述べました。だから世界に通じないということでもあります。  その人の声であり、ことばであるからこそ、歌ゆえの説得力が出てくるのです。そこに甘えて、音楽の演奏ということがおろそかになるということです。音としての作品でなく、パフォーマンスやその人柄、情熱、努力などでみてしまうと、わからなくなるものなのです。  日本では、プロでなくても誰でもできてしまうためにプロたるものがわかりにくいのです。そこでギャップや上達のステップが、プロほどわからなくなっていくのです。  むしろ日本での歌のプロは、うまい、正確ということでの応用力を問われています。そこからみるとアーティストとしての評価は、全く別になるのに関わらずです。これをガラパゴスとみるか、低レベルとみるかは人によります。結局は、日本で日本人相手にやるのだから、それでいいとなるわけです。

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