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2017年3月

2017年3月31日 (金)

コミュニケーション

音楽、美術、などなどすべての芸術の基本は、コミュニケーションであると思います。伝えたい思いがまず先にあり、そのうえでそれを伝えるために選ぶ手段が歌であったり、言葉であったり、絵画であったり、踊りであったり、それぞれの人が自分のできること、より伝えやすい方法で表現します。受け取る側の心が、その表現の表面的な部分だけではなく、思いにまでTouchするところに感動が生まれるのだと思います。人前でなにかパフォーマンスをするときには、当たり前、この順序が逆になってはいけないと自戒も込めて強く思います。
表面的なアクションだけに気を取られてしまっては、本末転倒だなと思うことが、ライブやコンサートなど見に行くと自分の中にわだかまります。表現の技術は日々磨いていくべきですが、それだけではない、思いを伝えるということ、コミュニケートするということを常に心にとどめておきたいと思います。
高名な演奏家、無名のミュージシャン、規模の大小を問わず、いくつもライブやコンサートを見たり聴いたりすると、自然に自分にわかってくることです。そういう意味で、ぜひ生のパフォーマンスに触れる機会を数多く持つことが大切だと日々思っています。(♯ё)

2017年3月29日 (水)

スケールの声で歌えない

「スケールでは、けっこうそれなりによい声が出せるようになったのに、曲になると、いい声が出ない。」ある程度レッスンが進み、その効果も出て、発声練習ではよい声が出るようになったのに、曲を歌うときにはその声がなぜか出せない。よくある人のお悩みのひとつです。まだ歌い慣れていない新しい曲ならば、それは当然で、音程や音符の長さ、歌詞など、すべてがスラスラとこなせるようにならなければ、発声練習で出せるよい声で歌うことはできません。なぜなら、発声に関すること以外(音程・音符の長さ・歌詞など)に神経が向いてしまい、発声に集中できないからです。ですから、曲に慣れるまでは、まず階名で何度も歌って、音程と音符の長さに慣れ、ミスが出ないように繰り返し練習します。それをしっかり憶えたら、今度は「ア」や「オ」の母音だけで歌うようにして、よい発声で歌えるように何度も繰り返します。それが定着したら、やっと歌詞で歌う段階になります。それでもまだ、歌詞に不慣れでは、せっかく定着したよい発声が乱れてしまうので、歌詞だけを、繰り返し何度も朗読させる先生もいます。いつものよい声で、新しい曲を歌うということは、それほど簡単なことではないのです。(♭Ξ)

2017年3月27日 (月)

実際の現場を想定する

いいイメージをすることは、自分自身を助けてくれることにつながる場合があります。自分ができるだけ心がけていることは、大きな会場で歌っているイメージを持つということです。
東京都内でオペラやオーケストラの演奏がよく行われるような会場ですと、平均で2000人程度の収容力があります。上野の東京文化会館や六本木のサントリーホール、池袋の東京芸術劇場、渋谷のオーチャードホール、初台の新国立劇場、このクラスのホールがおおよそ1800~2000人程度収容可能なホールになります。渋谷のNHKホールになると、なんと4000人を超えます。
オペラになれば、自分とお客様の間にオーケストラを挟みます。つまり、オーケストラを飛び越えて、最後部のお客様のもとに届くように歌うことが求められます。それも2000~4000名入るような会場で。それを力み過ぎず、でも、パワフルに、時に繊細に歌う技術をつけないと対応できません。
そのためには、日ごろからそれに対応できるような訓練を積んでいくしかないのです。レッスン室や自室での練習の時にその狭さに合わせて歌っていては成立しないのです。少しでも広い現場を想定して、遠慮せずに伸び伸び歌うことを心がけています。(♭Я)

2017年3月26日 (日)

【海外からレッスン復帰】

海外に赴任していたTさんから、レッスン復帰の連絡が入りました。

約1年ぶりにお会いできるのを楽しみにしています。clover

2017年3月25日 (土)

【手術からレッスン復帰】

手術のため休会していたBさんから、復帰の連絡が入りました。手術は無事成功で、また元気にお会いできるのが楽しみです。clover

2017年3月24日 (金)

発声や音楽は宗教に近い

自分がどれを信じるかがとても大事で、発声であれこれやりすぎると時間がだけがたっていき、発声マニアのようになってしまいます。研究家や指導者をめざすのであればそれも大事な勉強なのですが、プロとしてプレイヤーとしていくのであれば発声で迷っている暇はありません。ある程度のレベルまで声をだせるようになったら現場に出るべきです。レッスン室での声の出し方と現場では感覚が全く違います。
現場にでたら、現場で足りないものを補う、基礎能力を高める、現場で荒れた発声を修正するなど、現場ありきでレッスンにくることが重要になってきます。現場では自分のペースで音楽ができないことも増えます。自分と向き合う時間としてレッスンを活用することも重要かもしれません。
アマチュアでもプロでも発声をどこに結びつけるかを考えるだけでレッスンでもアプローチがかわると思います。(♭Σ)

2017年3月22日 (水)

考え過ぎると前に進まない

考えることは、悪いことではありません。ただ、考え過ぎることは、あまりよくない場合もあります。発声についても、同じです。いろいろなレッスンメニュを、系統立てて組み立て、納得・安心してからでないと、トレーニングを進められない人も、いらっしゃるかもしれません。しかし、発声法そのものが、まだまだ理論的・科学的に確立されたものではない、未解明な部分の多いものだということを、理解しておく必要があります。なぜそんなことになっているかというと、発声の一番大切な部分は、よい声が出せること、その声で観客を感動させることなので、そのプロセスは、全く重要ではないからなのです。すばらしい発声法を習っていてもいなくても、よい声さえ出せればよいのです。
ですから、いろいろな、発声に関するアプローチが乱立することになり、それなりの効果もあるので、ますます難しく、絡まっていきます。その上、観客の好みなどにより、声の流行りもあるために、いっそう複雑なことになっているのです。大切なことは、出会ったメニュをとりあえず実践することです。そして、効果があるかどうか、上達感があるかどうかを、少し長い時間をかけて観察していくことが、重要です。考えるより、動くこと(自主トレすること)のほうが、数倍も効果的なのです。(♭Ξ)

2017年3月20日 (月)

歌番組を見ていて思ったこと

10代の若者が何ブロックかに分かれて競い合い、そのブロックの最高得点の人が決勝に進出するという内容です。
いや~、みんなうまい!!中には芸能活動をしている人もいるようですが、そうでないごくごく一般の若者も多いのですが、プロに勝るとも劣らない歌唱力です。一体どんな喉と筋肉を持っているのだろうと、感心するばかりでした。
まず、支えがしっかりしていること。1にも2にもやっぱり支えなんだなあと思います。支えがしっかりしているから、息がしっかり流れているということ。
そして、上手い人は一様に、口の奥が広い。開いた口から、どこにも引っ掛かりがなく、安定した呼吸でとても伸びやかに歌っているのです。このことは、私がいつも皆さんに伝えていることですが、改めてそれを感じ、結構この番組勉強になるなあ、なんて思いながら見ていました。
それと感心したのはもう一点。みんな肝が据わっている、ということです。自分に負けていない。絶対勝つんだ!という強い気持ちをどの人も持っていました。皆、目の奥に力があるのですね。大きなプレッシャーの中で、いつもの力を出し切る姿、本当に素晴らしいと思いました。
プレイヤーに必要なことは、技術はもちろんですが、負けないという強い気持ち。相手やその場の雰囲気に惑わされず、いつどんな時でも、しっかり自分のパフォーマンスをやりきるということ。10代の若者たちから、そんなことを再確認した番組でした。今度そのような番組を見ることがあったら、呼吸や支えのことを考えながら見てみてください。きっと何か感じることがあると思いますよ。(♯Å)

2017年3月18日 (土)

[研究所アクセス]

研究所アクセスの新しい目印として、「ほぼ新宿のれん街」が、3/17にオープンしました。

いろはにほへとで7区画になっているのですが、
ほ「神鶏」、へ「カイフォルニア」、と「キャプテン」と並び、3軒先の一軒家です。virgo

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2017年3月17日 (金)

一つの発声を身につける

声楽教師にもいろんなタイプがいます。例えば先生と生徒の仲がよい門下からはあまり成績のよい生徒が出ないという印象があります。逆に言うと、いい成績(コンクール、オーディション等で)を残す生徒が多い門下は教師と生徒の距離が近くもなく遠くもなく、教師がとても厳しいことが多いです。もっと言えば門下生の中でライバル関係があったりします。
例えばシンクロ日本代表の選手たちは井村雅代さんに褒められるために練習に耐えていると言います。何故なら井村さんが認めたものには点数が付きメダルに近づくからです。一つの明確な判断基準が近くにあるというのはとても大きな財産です。
井村さんの教え子達がテレビなどで井村さんのことを話すと、優しいや愛情深いなどの前に「怖い、厳しい」という表現が先にくるのは当然でしょう。井村さん的には「選手と仲が良すぎると厳しいことが言えない」という理由もあるようです。声楽の世界でいうと優秀な生徒が多い門下には、正しい発声の判断基準の核が必ずあります。生徒それぞれに合わせるということではなく、生徒それぞれのいいところを伸ばそうということもあまりなく、たった一つの発声を身につけられるかどうかが基準なことが多いです。そしてそれが対外的にも評価されるというのがわかっているからこそ必死にその技術を磨こうとしているからいい生徒が育つのだと思います。(♭Σ)

2017年3月15日 (水)

長時間のウォーミングアップ

必ず、長時間の自主トレをするという人がいます。とても素晴らしいと感心していました。初めてレッスンをしたときから、なかなか立派な声で、先行きがとても楽しみな人でした。自主トレが長時間というのは、悪いことではないのですが、レッスンを受ける前も、必ず2時間くらいはウォーミングアップを欠かさないという徹底ぶりで、少しがんばり過ぎではと、心配もしました。しかし、レッスンの回数をかさね、いろいろとお話をうかがっているうちに、少し別の事実が浮上してきました。
長時間の自主トレというのはよいのですが、長時間のウォーミングアップというのが少し気にかかり、よくよくたずねてみると、長時間のメニュをこなさないと、いつものよい声が出ないというのです。たしかに、ある程度のウォーミングアップは、よい声を出すために必要ですが、それが必ず長時間というのは、少し不自然です。実際のウォーミングアップのメニュを聞いてみてわかったのは、長時間の実施で、喉や体が疲労し、うまい具合に脱力ができるという、一歩まちがえれば、喉や体を傷めかねない、少し危険なウォーミングアップだったのです。(♭Ξ)

2017年3月14日 (火)

【ほぼ新宿のれん街】

3/17にオープンする「ほぼ新宿のれん街」が、最後の追い込みで連日遅くまで、リフォームを行っています。古民家をずっとみていたので、飲食店になる前との変わりように驚いています。7店舗のオープンまで、まもなくです。virgo

2017年3月13日 (月)

自分が舞台に立っている裏では。

自分も日々、いろいろな団体さんの公演に出演させていただき、いろいろ感じることがあります。例えば、オペラなど大掛かりなものになればなるほど、裏で働いている人というのはとても重要になってきます。裏で働いている人というのは、道具の搬入・搬出、公演を行うための会場設営、舞台転換の際に道具を運んだり、その道具が正しい位置に準備されているか確認したり、キャストの世話をしたり。大きなプロダクションになれば、この手のプロの会社に委託するのですが、中小規模の団体さんになると、合唱を歌っている人などが、自分が舞台上に出ていない間に様々な準備を行っていることが多いです。自分が出演させていただくとき、やはり、このような人々の労力が目に見えるので、心から感謝するとともに、「しっかり歌い演じなきゃいけない」という気持ちになります。「自分が舞台に立てるのは、その陰でたくさんの人が動いてくださっているからである」という気持ちを忘れずに、これからも歌わせていただきたいと思います。(♭Я)

2017年3月10日 (金)

声と向き合う

日本人は働き過ぎということはよく言われています。私もそう思います。台風直撃の日に仕事の心配や電車の心配をこれだけ多くの人がしているのは日本人くらいかと思ってしまいます。
一般の多くの社会人は自分と向き合う時間を持っている人はどれくらいいるのでしょうか。趣味でも家庭でもいいです。
自分の時間、自分をみつめる時間というのが現代の日本人には少ないです。音楽家は日常から自分の音の訓練は欠かせません。自分の弱点、克服しなければいけない課題と常に向き合っています。自分と向き合う時間が多いです。(だから人付き合いがうまくない人も多いですが)
これはプロのスポーツ選手でも、オリンピック選手でも同じことだと思います。レッスンを受けているとき、自宅やスタジオでトレーニングするとき、自分と向き合える時間だと思って有意義に使ってもらえるといいなと思います。特に歌の場合、うまくいかないと自己否定に走りやすい面もあるので、セルフコントロールが重要です。自分の声や呼吸と仲良くなりましょう。(♭Σ)

2017年3月 8日 (水)

背中で動く

地方のビジネスホテルの朝食を食べたときのことです。ウェイターがイタリア人で厨房のイタリア人シェフと、イタリア語で会話をしていました。安いビジネスホテルの、レストランというよりは食堂のような空間で、決してプロのウェイターではないだろうと想像できる彼が、チャラチャラと動き回りながら、少ない宿泊客に朝食を運んでいました。
はじめは、少し残念な気分でしたが、そのうちに彼のチャラチャラとした動きの違和感に、頭がくぎ付けになりました。レストランの入り口を入ってテーブルに着いたときに、横目でとらえた彼の動きは、歓楽街的なチャラチャラだと思ったのですが、落ち着いて観察してみると、日本の街でよく見かける、そういう人たちの動きとは、まったく違うのです。
カタコトの日本語で、朝食を運んできてくれた彼の動きを、頭の中で体感・同調しながら感じてみると、どうやら、背中が中心になって、動き回っているようなのです。それまで、「背中で動く」というフレーズは、バレエダンサーから聞いて、知識としては知っていましたが、日常的な動きの中で背中を使っているというのは、初めて目にする光景でした。それ以来、声を背中で支えるというのも、悪くはないものだと、思うようになりました。(♭Ξ)

2017年3月 6日 (月)

ぶれない姿勢

物事に対して、批判的な意見を言う人は、基本的に自分の価値観にあったものしか認めなかったり、批判をすることで自分の地位を保っている人が多いように感じます。真面目な人は、それらを「お客様の意見」として、真摯に受け止めようとするのですが、それらを全て受け止めていたら、自分自身が潰されてしまいます。本当に大事なのは「改善点」を指摘して、提案をしてくれるような人。
文句しか言わないような人は、ただのクレーマーなので、部分的に受け止めつつ、流すところは流すことも必要です。最近、以前にも増して、このタイプの人を、あらゆる場面で見かけるようになりました。自分が提示できないのに、相手の非ばかりを責める。そのような人に負けないでほしい。自分の信念を貫き、核となる部分は変えずに、上達していく方法を常に探究する。この姿勢を大事にしましょう。お客様の意見を全て受け止めていては、商品になりません。自分という商品の強みは何なのか、どのような人がメインターゲットなのか、自分自身をしっかり持ち、ぶれないこと。このような姿勢で取り組むことが大事だと思います。(♭Я) 

2017年3月 5日 (日)

【飲食店オープン予定】

研究所並びの古民家らが、飲食店へリフォームの工事中です。「水炊き」「スパニッシュイタリアン」など、いろんな店が入るようで、今月中旬にはオープン予定です。virgo

2017年3月 4日 (土)

【スタジオ照明】

スタジオの照明を変えて、明るくなりました。clover

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2017年3月 3日 (金)

万人向けでないところから世界的歌手はでた

黄金のトランペットと言われ、世界で活躍したテノール歌手マリオ・デル・モナコが唯一の師匠と呼ぶのがアルトゥーロ・メロッキという指導者です。メロッキ派やメロッキ式発声と呼ばれる独自の発声理論をもった指導者です。
しかし、ネットや本などでもメロッキ派は「声を壊す」、もしくは「危険」という表現が多く出てきます。
現在でもメロッキ派と呼ばれる発声を学んでいる、もしくは自分の発声はメロッキ式という歌い手の多くは、この発声は正しい、なぜなら「偉大なマリオ・デル・モナコやテバルディもこの発声だから」という冠をつけてこの発声の素晴らしさを訴えます。
とても有名な、あるテノール歌手がまだデビュー前にモナコに声を聴いてもらって、ある助言を受けました。
「マエストロ・メロッキに指導してもらうといい。しかし、全てを鵜呑みにしてはいけないよ」と言われたそうです。彼はその後世界中で活躍するのですが、メロッキ派の人々が看板のように推すモナコもどこかにレッスンの危険な匂いをかぎ取っていたのかもしれません。
実際そのテノールはメロッキのレッスンで「声帯がちぎれるかと思った」と自伝に書いています。しかし短い期間で声が劇的に改善され、デビューしていったと言うのですからメロッキの指導そのものは大変な効果があるのだと思います。
しかし、声帯がちぎれるという感想から考えるにかなり喉への負担が強いレッスンなのでしょうから万人向けではないのかもしれません。万人向けでないとこらから世界的な歌手がでるのですから教える側も受ける側も難しい問題です。(♭Σ)

2017年3月 1日 (水)

「骨は、よこよこ。」

「骨は、よこよこ。」このフレーズを耳にすると、一部の声楽家は、にんまりとします。たぶん15年ほど前なら、多くの声楽家が顔をほころばせたでしょう。あるいは、憤慨する人もいたかもしれません。ある高名な、とてもビッグな日本人オペラ歌手のエピソードだからです。そのかたは、まだご存命ですが、たぶん未だに彼の声量を超える日本人オペラ歌手は、ほとんどいないのではないでしょうか。そんな方だからこそ、いろいろなエピソードが都市伝説のように語り継がれているのですが、これはその中の一つです。「城ヶ島の雨」という日本歌曲の中の歌詞に(曲は私の思い込みで、違う曲かもしれません。)、「船は、ゆくゆく(行く行く)」というフレーズが出てくるのですが、その方が歌うと、「骨は、よこよこ(横々)」にしか聞こえないというジョークです。誇張し過ぎだろうと思われるかもしれませんが、曲の歌詞を全く知らずに、その大先生が歌うのを聞くと、多くの方が「骨は、よこよこ。」に聞こえるはずです。「ふ」は限りなく「ほ」に近く、「ゆ」は限りなく「よ」に近く発音されているからです。なぜそうなってしまっているかというと、実は日本語の「う」は、外国人には「ゆ」に聞こえるほど、口の中が狭いからなのです。ですから、イタリア語などで「ウ」を発音するときに、日本語のように「う」と発音すると、外国人の先生に「発音が違う」と注意され、「お」のように口の中を開ける癖がしっかりしみついているのです。日本語の歌詞を歌うときも、それを緩和できず、このようなことになっているのです。
(♭Ξ)

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