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2007年6月30日 (土)

「あいまいと経験」(3)伊藤雅之さん

伊藤が言うことは、曖昧だという批判もありましたが、曖昧なものを大切にしない社会、医療であってはならないと思うんです。それは、はっきりと目に見えるものではない。ところが、現在の医療は、目に見えないものは信じない。評価しなくなっているのではないか。そのことをとても心配しています。

―あいまいの必要性。(F)

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2007年6月29日 (金)

「あいまいと経験」(2)伊藤雅之さん

もちろん医療はひとりでやるものではない。さまざまな人たちとチームを組んでこそできるものです。とくに外科は、それぞれの役割の中で、自分が最大限果たせることは何かを考える。野球でいえば、ピッチャー、キャッチャー、それぞれのポジションがあって、その役割に徹して手術にも参加している。けれども、現場においては若い医師を怒鳴りつけることもある。若い医師が、どこで間違いをおかしやすいのかを経験を積んだ医者はしっている。それは僕たちがたどってきた道でもあるからです。伊藤がどういう医療をしてきたのか。その原因や背景、環境を語らずして、伊藤は独断的と批判する人の軽率さを相手にするつもりもなかったんです。でも、医療の場ではひとりでやっていかなくてはならない場面も多々ある。その中で、責任者は私です、と絶えず言い続けてきた。

―独断と責任をとる。(F)

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2007年6月28日 (木)

「あいまいと経験」(1)伊藤雅之さん

医療というのは、例外的なものがたくさんある。手術は一応成功しても、その後の患者さんの身体に何が起こるかわからない。医者は、自分の身体を通じて、五感のすべてを使って、患者さんを診なければならないと思います。患者さんの話を聞き、身体をよく見る、便や体液の匂いを嗅ぐ、触る...。感覚を研ぎ澄ませていかねばならない。それは、医者としての経験、自己鍛錬で身につけてゆくものです。

―自己鍛錬と五感を。(F)

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2007年6月27日 (水)

「つたないゆえに」榊莫山さん

「書家で才能のあるような奴、すくないで。群れる才能はすごいけど。仲間内で展覧会やって、典雅ですな、優雅ですな、くらいしか評する言葉を持たん同士が褒め合うてる。むつかしい漢字を続け字で書いて、そんなん誰も読めへんやろ。かしこい言葉を書くほど人は離れていく、だから僕はみんなが読めてにこにこしたり、ええなあと思うてくれる字を書くねん。他は誰もせんけどな。」
<字というものは、習字の手本のようなのがよろしい、というわけのものではない>
<たどたどしいゆえに尊く、つたないゆえに、心が通う>
<白隠は、筆をもてば、江戸時代随一の豪球投手といってよい。変化球投手は良寛和尚だし、穏急にすぐれた投手は仙厓和尚>
<『空』と、たった一字だけ彫ったこの石は、ただ事やない―という顔をしている>
<『空』の碑には、あの戦争で南方の空に散った、空挺部隊兵士の魂が、涙をこらえて宿っているのである>

―つたないゆえ、ええなあ。(F)

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2007年6月26日 (火)

「反撃」中原昌也さん

『スネーク・フライト』 よくこんな内容で、企画が通ったもんだと思う。しかし、これがB級映画として本当に立派な出来映えで、ひたすら感心させられたものだった。デイビッド・エリス監督は偉い。猛毒を持った蛇の大群が、飛行機の中で乗客を襲う。...ただ大群が、飛行機の中で乗客を襲う...ただそれだけ。呆れた。もちろんその前後にいろいろあるのだが、もうどうだっていい感じ。安易な感動=安易な共感による国民の思想統制を目論む現体制に加担するようなメディアに、そのような健全な疑問など、まるで理解できないのであろう。すべてが合理的な経済活動に基づいた全体主義社会。人間の幸福を奪っているすべての元凶である。目に見えない手段によって我々は自由を奪われている。それに気づかないよう、連中は巧妙な手段で国民を騙してきた。いまこそ反撃すべきである。合理的な経済活動によって製作された安易なほかの映画を疑え。その押し付けがましい程度の低いヒューマニズムの正体を見極めろ。

―安易さの見直し。(F)

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2007年6月25日 (月)

「ダーウィンと日誌」斉藤孝さん

ダーウィンはビーグル号航海中に、あることを日課としていた。《一日のうちのある時間を日誌を書くことに費やし、見たこと全部を、細心に且つ如実に描写するために、大いに苦心した》 それはダーウィン自身を成長させた。《自分の従事して居るあらゆることに対して精力を預けて勤勉し、注意を集中する習慣を、比間に習得した》 そしてこの習慣は「五箇年の航海の間継続された」。 《この習慣こそ、自分をして、科学に何等か為すところあらしめた所以のものであると確信する》
私も武道を習っていた頃、「武道日誌」をつけていた。生の体験を思考し直すことで、課題意識がうまれるのだ。この経験は今になって大いに役立っている。学校の勉強や読書は大切だが、それは誰かが「意味を整理したもの」だ。人生を支える「背骨体験」とするためには、「生」の体験をし、自分で意味を見出さねばならない。日常と違う世界なら、華道でも詩吟でもボランティアでもいい。そしてそれを記録する。日誌が面倒なら、ブログでもいい。これがあなたの「背骨体験」となる。

―習慣こそが、体に入る(F)

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2007年6月24日 (日)

「考えること」神足祐司さん

「自殺を考えることと、自殺をすることとは、似ていて別のことなんだ」と、作家の開高健が人生相談の回答で述べている。若さは求めすぎる。しかし、得られず苛立つ。自殺を考えることによって、自分の中の弱いもの、腐ったもの、不潔なもの、いやなもの一切を無化している。そのことは「じつは強く生きる方法をさぐっているんだ」と言う。

―考えてもするんじゃない。(F)

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2007年6月23日 (土)

「反連帯、反平等」福田和也さん、坪内祐三さん

福田「だから気持ちはわかるんだ。わかるんだけど、―福岡で自殺した中学生のご両親が、教師を糾弾してるシーンがそのままテレビに流れたじゃないですか...ワタクシも、同じ状況になればそうするかもしれないけど、やっぱり、自殺の原因のいくらかは親にもあると考えられるわけでしょう。あのケースはわからないけど、一般的に言えばさ。だって学校なんて行かなくていいんだもん。本当に調子が悪そうだったら「いいから家で寝てろ」、「家でプラモデル作ってればいいじゃん」って言えばいいだけの話で。命かけてまで行くところじゃないだから、学校なんて。戦争行くんじゃないんだから。死ぬことに比べたら、学校なんか全部休んで、2年、3年フイにしたって、どうってことないんだから。
いじめで自殺した子供たちの親が連帯して、「被害者の会」をつくるといってるでしょう。あれもね、気持ちはすごくよくわかるんだけど、「子供の自殺」といっても、ひとつひとつの全部ケースがちがうんだから「連帯」してどうするんだろうと思っちゃうんだよなぁ。」

坪内 「でもさ、これが大学教育の現場になると、生徒を平等に扱わないことが、教育の原点だからね。つまり生徒たちに、民主的に接するなってこと。こいつはおもしろい奴だなって思ったらやっぱりヒイキしますよ。そうすることによって、嫉妬心がうまれ、それがモチベーションになって、よしじゃあ自分も、とね。そういう子が見違えるように伸びたときが、一番うれしいよね。」

―見違えれよな、と。(F)

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2007年6月22日 (金)

「世間のつまらない論理」鴻上尚史さん

で、モナさんですわ。
こういうキスができる人を、通常のつまんない論理で責めてはいけないと思うのですよ。
だってそうすることが、結果、日本人が世間から感じている息苦しさを減らすことになると僕は思っているのです。こういうスキャンダルに対して、日本人は、「本音と建前」を使って生き延びてきました。それが、日本人のいい意味での“いい加減さ”だったはずです。
が、ここんところ、どんどん建前が強調されて、極度に清潔で潔癖な道徳が押し付けられ始めている気がします。「嘘も100回言えば本当になる」という言い方で言えば、「建前も100回強調すれば本音になる」ということです。マイクをもって、相手を追及し続けているうちに、それが本当に「世間的に許されないこと」だと、みんな信じこんでしまわないかと、僕は恐怖するのです。

―清く正しく美しくを破る。(F)

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2007年6月21日 (木)

「覚悟と伝えたいもの」(2)渡邉美樹さん

私は成功とは、自分の周りの人間にどれだけいい影響を与えられたかだと考えています。また、先にも述べましたが、“伝えたいものがあるかどうか”ということも重要だと思います。真に伝えたい感動、あるいは社員の共感を呼べる思いが自分の中で熟成されているか。
私自身、今まで好き勝手な生き方と意志を貫き通してきたという思いがあります。時に、世間の人から「渡邉さんほど強くはない」と言われることがありますが、そんなことはまったくありません。必要なのは覚悟なのです。まず、どこまで腹をくくれるか。例えば、私は目の前でおぼれている子供がいたら絶対に助けると決めています。こうしたことは、普段から決めていないと助けられません。そして同様に、自分らしくない行動を取るぐらいなら死ぬと心に決めておきます。人生におけるキメをつくっておくこと。若い人であれば、今後さまざまなことを体験する中で、このキメの大事さに気づかれると思います。

―いい影響だけ与えるのは難しいか覚悟から。(F)

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2007年6月20日 (水)

「覚悟と伝えたいもの」(1)渡邉美樹さん

大事なことは伝えたいものがあるかどうか、ということです。単にお金を集めたいという思いの経営では、伝いたいものも途切れるでしょうし、そんなメッセージは誰もついて来ないでしょう。
社員に一番伝えたいことは、「ちゃんと夢を追っているか」ということです。
子供は自分のことしか頭にないために夢をもつことができないでいます。そのために、自分以外のことを考えている大人に出会うと混乱します。大人はそこで「こんな生き方って素敵でしょ。世の中にはこうなっているんだよ」というしっかりしたサンプルを見せてあげることです。その時、子供たちは「自分以外の人のための人生ってあるんだな」と気づくわけです。

―夢を追う生き方よね。(F)

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2007年6月19日 (火)

「幼稚」大前研一さん

つまり私の印象では、日本の交通ルールは欧米のものより一歩も二歩も手前から規制が敷かれている感じがするのだ。なぜそうなるのか?要は、日本が“幼稚国家”だからである。成熟した大人の国家なら、そんなにたくさんの規則は要らない。常識が通用するからだ。
逆の見方をすれば、こうだ。幼稚国家で何でもかんでも規制しておきながら、行政の怠慢で適用を曖昧にするものだから、現実には守れないルールや蓋然性が見出せないルール、運の悪い奴だけが捕まるルールが世の中に溢れ返り、それがまた国民の遵法精神を失わせ、いつまでたっても成熟できない。

―幼稚、ロリコン、子供っぽいか、クールジャパンとなっているのは世界も幼くなった(F)

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2007年6月18日 (月)

「アメリカのオプティミズム」小林由美さん

アメリカは4つの階層に分かれた国だということ。その4階層とは、特権階級、プロフェッショナル階級、貧困層、おちこぼれ、である。
所得上位20%の世帯が純金融資産の9割以上を押さえている。
保有資産12億円以上の世帯は約20年で5倍増。
医療保険に加入していない人口 4660万人
法廷貧困レベルの人口3700万人
大企業トップと一般労働者の収入格差 約430倍
この20年で金持ち世帯は5倍に増え、また貧困層はこの5年だけでも600万人も増えている。
アメリカは経済(お金)が唯一の価値基準であり、レイオフされたら、また楽しい会社や場所を探せばいい、というオプティミズム(楽天主義)に満ちている。
また、自分は恵まれていないと思うこと、人を妬むことは自分の無能さを認めることでしかなく、難しいことは考えずハッピーでありたいと思っている。平等意識と妬みが強い日本人とは対象的だ。

―日本にゃ無能に自らをしている人がいる(F)

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2007年6月17日 (日)

「何をもって憶えられたいか」根本一成さん

P.F.ドラッカーの著書『非営利組織の経営』のなかで、心から離れないことばがある。それは彼が13歳の頃、授業中に教師から問われた「何をもって憶えられたいか」ということば。その教師曰く、「いま答えられるとは思わないが、50歳になっても答えられないのは、人生を無駄に過ごしてきたことになるから問題だ」という。ドラッカーは常に「何をもって憶えられたいか」を自らに問い続け成長してきた。彼曰く、「これは、自らの成長を促す問いである。なぜならば自らを異なる人物、そうなりうる人物として見るように仕向けられるからだ」という。いつ答えが出るかは分からないが、自分も「何をもって憶えられたいか」を常に問い続けていきたい。

―あなたは何をもって??(F)

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2007年6月16日 (土)

「自らを光とし、自らを拠り所とする」(3)松原泰道さん

釈尊の教えは、厳粛、敬虔、邂逅(かいこう)の三つに帰するといえます。いまはいましかないという稀有、ありがたさ。このいまを大切に生きる。これが厳粛です。敬虔は、自分ひとりでは生きられない、自分ひとりの力で生きているのではない、多くのご縁による邂逅のおかげ、ということです。邂逅は、出会い、巡り合わせです。自分が本当の自分に出会うことで、これを挨拶の言葉で言うと、「ありがとう」「すみません」「はい」になります。

―本来の自分に出会う、あいさつ。(F)

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2007年6月15日 (金)

「自らを光とし、自らを拠り所とする」(2)松原泰道さん

苦の人生からプラスへ転換するポイントは、依頼心をすてることでしょう。鈴木大拙先生も言ってらっしゃいます。「自らを光とし、自らを拠り所」として、ほかに求めてはいけない、と。そこを目指して歩いていくのです。

―自主性が第一です。(F)

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2007年6月14日 (木)

「自らを光とし、自らを拠り所とする」(1)松原泰道さん

どんなに回り道しても決して無駄にならない。ただし、腰掛ではだめですね。その場その場で本気で真剣にベストを尽くす。そういうふうに生きていれば、回り道は回り道ではなくなる。その中から成長の糧を拾い上げていくことができる。

―中途半端でなければどこでも道となる(F)

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2007年6月13日 (水)

「内外のおしえ」佐藤一斉さん

内外のおしえ
「凡そ教えは外よりして入り、工夫は内よりして出づ。内よりして出づるは、必ずこれを外に験し、外よりして入るは、当にこれおを内に原ぬべし」
(訳) 教えは外より入り、工夫は内からでる。自分の内から考え出したものは正否を外で験すがよい。外からの教えはその正否を自分で検討すべきだ。

―外から内、内から外、両方の流れをつくろう。(F)

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2007年6月12日 (火)

「リブ・フォーエバー」ノエル・ギャラガー

―ちなみに、オアシスの歴史で最大の事件は何だったと思いますか?
ノエル 「リブ・フォーエバー」を書いたことだな。あれは、ものすごく重要な曲だから。
「リブ・フォーエバー」
94年8月リリースの3rdシングル。騒動の数々ゆえそれまでは、「マンチェスターのフリーガン新人」的な好奇心と嘲笑の眼差しで見られることも多かった彼らが、時代を変える才能を帯びていると最初に広く認知された超名曲。

―一応、ご紹介です。(F)

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2007年6月11日 (月)

「二人の師」土屋敏男さん

「師匠を2人持つっていうのがいいと思う。一人しか持たないと、師匠のミニにしかならないからね。二人もつと、ミックスされて、自分独自のものが出来上がるから」

―二人でハイブリット、分野も二つは欲しいね。(F)

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2007年6月10日 (日)

「エゴ」坂村真民さん

「若い時は大いにこのエゴを獲得しなければならぬ。若くしてこのエゴを持たない人は、立身も出世もせず、また良い作品を生み出すこともできない。エゴはまったく肥料のようなものにしなくてはならぬ。若いときから折り目正しい紳士的な人間は、恐らく何事もなし得ず世を終えるのであろう。若い時は少々破滅型の手に負えないエゴの持ち主のほうが、後日いい仕事やいい作品に結びつくようなという限定があることを忘れてはなりません。」

―エゴなくして、成長なし。でも、エゴが責められるのよね、日本。(F)

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2007年6月 9日 (土)

「足なし禅師」小沢道雄

「足なし禅師」と呼ばれた禅僧がいた。小沢道雄師。
深い深い覚悟である。
一、微笑を絶やさない
一、人の話を素直に聞こう
一、親切にしよう
一、絶対に怒らない
小沢師はこの四つを心に決め、五十八年の生涯を貫いた。

―けっこう、いや、かなり難しい。(F)

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2007年6月 8日 (金)

「コメント不要」椎名誠さん

どこもそういう空撮取材をするから負けられない、というところなのだろうが、その数日前の新聞で日本のエネルギー自給率が3パーセントで先進国最悪なんていう記事を読んだばかりなので、空を飛び回る沢山のヘリコプターの消費燃料を考えてしまった。事件がおきると記者がその近隣の人を取材して「おとなしい人でそんなことをするとはおもえませんでした」などというコメント記事を必ず集める。それにどんな意味があるのだろうか。アナウンサーが分かっている事実だけを伝えるニュースでいいじゃないか。

―マスコミの意地による浪費は、いったい何をしたいのかと思うか、働いた実感がいるのだろうか。(F)

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2007年6月 7日 (木)

「笑われること」ダンカンさん

でも俺は思うんだ。社会全般に『笑われるのは恥ずかしいことじゃない』『皆を和ませてやったんだ』なんていう考え方が広がった時、世の中から逆に「差別」や「いじめ」が減っていくんじゃないかなあ…と。

―笑われることの効用を考えるべきだね。(F)

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2007年6月 6日 (水)

「立派な気になっている」鴻上尚史さん

大きな相手ではなく、わかりやすい相手に攻撃をし続ける。それは近親憎悪ということだけではなく、エネルギーを簡単にぶつけられる相手が対立党派の活動家だった、と言ったら、あの時代の人たちは怒るでしょうか。
けれど、この「第四の権力」の一番の問題点は、それが国家という着物を着ることで、「変わらない自分を肯定化」しながら、「立派な意見」を言っているような気になっているということではありません。それは「いじめの構図」にも似て、いったい、何が問題で、誰が集中砲火を浴びるか、確固たる根拠がないことです。

―つまり、砲をもつと打ちたくなる人が多くて、気にしれないものに片っ端から打っているんでしょうね。(F)

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2007年6月 5日 (火)

「才能と芸術」雑賀孫市さん

オペラ座バレエ学校の校長室にはルイ14世の肖像画が飾ってある。王様のコールドバレエ(バックダンサー)養成のための学校として設立されたからだ。その校長だったクロード・ベッシー女史の言葉が甘くない。「最も尊いものは才能。舞台はそれを開花させる。弱者を押しつぶすのが芸術」平均点を底上げする日本と、才能を極限に伸ばす仏が対極にあることがわかる。

―弱者は押しつぶされぬよう力をつけなくてはならないのに、日本では、文句を言って受け入られるがゆえに、力がつかず、才能に気づけなくなってしまう。(F)

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2007年6月 4日 (月)

「運を味方につけるには」いとうまさひろさん

「運」の強い人間とは、言い換えれば「勘」のよい人間のこと。迷ったときどちらに進むべきか即座に判断できれば、成功をつかむことができる。では、勘を磨くためにはどうすればよいか。私は「根」をよくするしかないと思う。根とは「根気」「根性」の根です。
サッカーの一流選手は、瞬時に見事なパスを次々と繰り出します。日頃、さまざまな場面を何千回もシミュレーションしているから、できるのです。根を磨くことで、勘を働かせ、運をつかんでいる。このサイクルを私は「根・勘・運」と呼んでいます。

―運がよい人は結果としてよいことの起こるところ、ときに恵まれていてそう動いている。つまり勘がある。それは、根によって養われる。(F)

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2007年6月 3日 (日)

「教養とは」

教養は、一元化してしまった価値を多元化する。いろいろな書物を読んだり、見聞を広めたり行動することを通じて、人はさまざまなものに価値を見出せるようになる。放っておけばどんどん偏狭で自閉的な世界に入り込んでしまう人間の意識を、広く外に向かって押し開く力を持つもの、それが教養なのである。「キリスト、ブッタ、コーラン、ユダヤ教…神仏思想をいま問い直す」

―白黒とするか正誤でしか、ものを見れない人はまず、そんなものでないことをしることだが。(F)

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2007年6月 2日 (土)

「気分のパワー」(2)鴻上尚史さん

問題は、「気分」のアイテムなのに、それが当事者たちの想像を超えたパワーを持つようになってしまったということです。そして理論ではなく、気分なので、(唯一ある理論としては、「自分を変えない」ということだけですから)攻撃の対象が、まさに気分によってころころと変わる可能性があり、事実、そうなっている、ということなのです。

―気分なのにパワーをもっていると勘違いする人が多い日本では、匿名のネットが全盛となる。(F)

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2007年6月 1日 (金)

「気分のパワー」(1)鴻上尚史さん

同じように、ただその国に生まれたことだけで、自分に価値を感じるのは、「右傾化」と呼ぶものではなく、それは、「変わらない自分の肯定化」と呼んだほうがいいと思っているのです。「こんないい国を悪く言っている奴を攻撃する」という文脈の中には、「自分を意識的に変革する」という発想はありません。ただ今ある自分で充分なのです。
「自分探し」という発想は、「どこかに自分があって、それを探しに行く」ということです。つまりは、今ある自分を変革したり、変容させる必要がないのです。

―自分探しでなく自分創りと私は言ってきたが、自ら変わることです。(F)

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