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2007年7月31日 (火)

「天職」斎藤孝さん

現在人気のある画家たちには、「画風」と呼ぶべき一貫した空気がある。セザンヌはこれを「気質」と呼んだ。
≪自然から精神を引きだし、われわれに固有の気質に従って自分を表現することに努めましょう≫(前出セザンヌの手紙)

「固有の気質に従って自分を表現する」ことが成功したとき、初めて芸術作品は誕生する。近代絵画とは言い換えれば、「気質の表現」ともいえる。≪人を、その到達すべき目標にまで連れて行くことの出来るのは、ただ根本の力、即ち、気質だけである≫(アンリ・ぺリュショ『セザンヌ』)セザンヌは自分の気質を知り、「天職」を見つけた。

マンガの『ゴルゴ13』。著者は「さいとうたかを」となっているが、本人も明言している通り、「さいとう・プロダクション」というチームでの創作だ。本人はプロデューサーに徹し、ストーリー担当から武器描写専門まで分業体制を取っている。「マンガ家」というポジションから、「プロデューサー」というアイデンティティに自分をずらす。さいとうたかをさんは、「天職」を発見し、『ゴルゴ13』は単行本140巻を超える大シリーズになったのである。

「天職」は、自分がどうのという話ではない。自分はこの社会のどのポジションにはまるか、そう考えてみる。
自分の気質に合う仕事ではなく、あいそうなポジションに自分をはめる。

-画風、気質、ポジション、この3つを捉えましょう。(F)

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2007年7月30日 (月)

「21世紀の教育者に求められるもの」(2)陰山英男さん

今の日本社会は、物事をマイナス評価でみる「批判病」にかかっているようです。教育の質が落ちたと言われれば、その原因は教師の質低下のせいとされる。問題を指摘すればするほど、教師の負担は増え、子どもと接する時間は奪われ、ひいては教育の質が落ちるのです。文句を言えば現状が良くなるなんてことは、絶対にあり得ないのです。

私は、これからの教育者には「3つの目」が必要だと思います。1つ目は「子どもを見る目」。先生は指導に関する色々なハウツーは持っている。それを、いつどのようなタイミングで適用するか、子どもを分析する目です。2つ目は「社会を見る目」。社会がどのような人材を求めているか、伸びてきた子どもの力を将来に向けてどのように生かしてあげるか、ベクトルを持つこと。3つ目は「見つめられる目」。先生自身が周囲からどう見られるか意識し、アピールすること。土堂小でも、子どもの学力をトップにつけた先生たちが自分たちの実践を検証し、わかったことを本などにして書いて、どんどんアピールしています。周囲に見てもらうことで、自分にいかにプラスになるか気づいたからです。(談)

-クレームによって改良されるのには、商売の原理が働かなくては難しい。
本人をみて、周りをみて、自省をすること。この3つを共に成り立たせるのは、たいへんね。(F)

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2007年7月29日 (日)

「21世紀の教育者に求められるもの」(1)陰山英男さん

日本の教師の多くは、土日を削っても子どもたちのために頑張っているのに、不当に低く評価されています。何か問題が起きると、「心の教育」が問われ、学校が問題視される。いい先生ほど問題学級を持たされ、次々と難しい問題を抱えこみ、家庭を犠牲にしてしまう。いい先生ほど燃え尽きてしまうのです。

多くの先生は、「いい教師とは謙虚であること」だと思っていますが、今の時代、黙っていれば「ただのナマケモノ」と言われてしまうのが現状です。もっと多くの先生が自分たちの実践を正当に評価される「アピール力」を持ち、周囲からの信頼を得て、結果的に「教師を楽にする」。それがNPOを立ち上げた狙いです。

次世代の教員養成も大事な課題ですが、今の若い先生は現場で「失敗させてもらえない環境」にある。私は、「教育実習がしたい」と会社をやめて土堂小へやって来た教師志望者を試験的に1年間、教壇に立たせたことがあります。私にとってはある意味、大きな賭けでしたが、「こういう人にもチャンスをあげて教師に育てていくことも、日本の教育テーマではないか」と思ったのです。保護者やPTAからはもちろん不満が出ましたが、「どんな教師にも1年目はあったのです。どうか保護者の皆さんにも大人になってもらい、皆で彼を一緒に育ててくれませんか」とお願いしました。

確かに最初のうちは次々と失敗をやらかしました。けれど半年を過ぎたあたりから、周りの先輩教師のサポートもあって、彼の授業がふいに良くなったのです。彼はその後、採用試験をパスし、春から横浜で正式に採用されることになりました。いい教師を大量に養成するには、システムやカリキュラム、環境や条件、保護者の意識など、トータルにみていくことが必要です。

-アピールすると反感を買い、黙っていると好感をもたれるのが日本だから、ムズカシイ。(F)

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2007年7月28日 (土)

「日本人の幻想」(4)鈴木孝夫さん

このようなことを考えると日本人は自分たちの国が、世界で最も長い安穏平和な歴史を持っているという事実(ファクト)と、どこの国からも侵略されず滅ぼされそうになったこともないという事実(ファクト)の二つから生まれる、日本という国の永遠不滅性についての絶対的な安心感と無限の信頼を、心の奥深くにしっかりと持っているとしか考えられません。もし、自分の国が存在する根拠を、それを言い立てる言説(フィクション)だけに置かざるを得ないユダヤ人がこれを知ったら、さぞ羨ましがることでしょうね。私はほとんどの日本人が意識さえもしていない自国の絶対的安秦に対するこの固い信念を、「不沈戦艦幻想」とよぶことにしました。

―日本の亡国はすでに終わっているような気もするけど。(F)

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2007年7月27日 (金)

「日本人の幻想」(3)鈴木孝夫さん

日本に長くいる留学生たちが、自分たちの国とは違って、街中で喧嘩はおろか人々が口論しているのさえ、ほとんど見たことがないのは不思議だと、よく私に言いますが、このことは今述べたような二つの社会のあり方の根本的な違いをよく示しています。

ところが日本語で、「君、それは理屈だよ」と言えば、「それは確かに理屈ではそうだが事実を見たまえ、事実は理屈どおりではないのだよ」と相手の主張を退けることになるのです。世界にはこのように、理屈や論理が物事の是非を決める重要な要素とされる文化と、理屈よりも事実のほうが大切だとする文化があるのです。

―事実至上主義、事実は一面にすぎず、真実ではないのに。(F)

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2007年7月26日 (木)

「日本人の幻想」(2)鈴木孝夫さん

高知は漁業で生計を立てている人の多いところですから、人間のために死んでくれた魚の霊を慰め、魚をさばくのに役立った包丁の苦労をねぎらい、魚を食べるのに働いてくれたお箸に感謝をするという、これらの塚を建てた人々の気持ちはよくわかりました。これこそ食べ物に対して日本人の誰もが、少し前までは持っていた、「ありがたい」「もったいない」「おかげさまで」といった、自分たちが万物の互いのつながり、支えあいの中で生きている、いや生かされているという自覚の現われにほかなりません。

―もったいない気持ちがもったいない。(F)

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2007年7月25日 (水)

「日本人の幻想」(1)鈴木孝夫さん

これに比べて日本人の人物評価は、まさにこれとは正反対で、「人格丸ごと型」の判断が普通です。ある人が立派な仕事をしていても、それと直接関係ないことで大失態を演じた場合には、「百日の説法屁一つ」で社会的に葬られてしまいます。また逆に、オリンピックでメダルを取ったりすると、一気にその人のあらゆる点が優れているような話になったりするのです。大学などで、優れた研究者ではあるが事務能力のまったくない大先生を、しばしば学部長や学長に選んだりするのもまったく同じ理屈です。
つまり日本では、「よく一芸に秀でるものは諸芸に通ず」的な人間評価が普通なのです。しかも人格分割ができないどころか、日本ではある一人の個人を、その人の家族や所属する組織からも完全に分離独立したものと認めることが難しいようい思います。

―レッテル張りで一分野で秀でた人しか評価せず、一つの悪評で全てをだめにみてしまう日本人の人の見方、考え方。(F)

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2007年7月24日 (火)

「気配り」木村政雄さん

実は昔から、お笑い芸人はすごくモテたんですよ。その理由は、ズバリ気配りができるから。そもそも「笑い」とは、自分を一段落として、相手を立てるのが基本ですから、主役はいつもお客さんなんですよ。ベテラン芸人は笑わせるために、客の顔を見てネタを決めていたぐらいで、つまり、俺らの喋りを聞け、という姿勢ではなく相手を主体とした喋りをして笑わせていたわけです。それに加え、「笑い」とは「違う視点から見る」ということだから、聞くほうにすれば新鮮なんですね。極論を言えば「面白いことを言うのではなく、相手を楽しい気分にさせる」のが笑いの真髄。

―気配りっていうか、心配りが能力よね。(F)

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2007年7月23日 (月)

「コンプレックス力」山本英夫さん

どんなジャンルでも、強烈なコンプレックスは、『永遠の電池』になると思うんです。『永遠の電池』を手に入れた人とそうでない人では、その人の欲とか未知数が違ってきちゃう。だから僕はモテなくてよかった(笑)。モテてたら漫画がつまらなくなってしまうかもしれない。それは僕にとっては何より辛い。

―コンプレックスがコンプレッサー、なんてどう?(F)

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2007年7月22日 (日)

「仲間を変える」和田裕美さん

目標設定を高いところに置き、実績が上がってくると、仲間を変えなければいけないときも出てくると思います。「あいつ上司に媚売っているよな」とか「あんなに熱くなってバカじゃないの」とか、まるで冷めてるほうがカッコいいようなことを言われることもあるでしょう。結果が伴っていない時、周りにはグチっぽい人が集まってきます。話すことといえば「あの人、ずるいことをやっているんじゃないの」と、揚げ足取りや、ねたみや、ひがみが多くなるんです。でも不思議なんですけれども、実績を上げている人が周りに多くなると、グチが少なくなるんです。そして結果を出している人を素直に「すごいな」とか「自分もああなりたいな」と認め始めたときに次のステージに進む道ができるんです。

―冷めているより、燃えている方がクール。(F)

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2007年7月21日 (土)

「恥を恐れない」関口房朗さん

実はみんな"失敗"を恐れているんじゃなくて"恥"を恐れているんだな。プライドを気にしすぎて、傷つくことを非常に恐れている。「こんなことをするとバカに見えるかな」とか「こんなことも知らないのかと思われたくない」とか。そんなん気にしてたら、何もできへんで。

―失敗でなく恥に手足がでなくなるのはね、ムダ。(F)

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2007年7月20日 (金)

「経験値を高める」斉藤孝さん

仕事ができるようになるのは実は簡単なことです。経験値が高くなればなるほど、仕事はできるようになります。経験値を高くするには、何事もほかの人より早いテンポで経験すればいい。ほかの人が3年で経験することを1年で経験する。スポーツの世界を見てもわかりますが、進歩の早い人は才能があるというより、経験するテンポがとてつもなく早い。それはつまり頭がいい、ということですが、そうなるためには、とにかく仕事を断らない、すべての仕事を前倒しでやる、この二原則を守ればいいんです。それには、常にエネルギーを噴出させながら生きることが必要になります。あれもやります、これもやりますと言って仕事を抱えて、いつでもつぶれる寸前というぐらいでちょうどいい。人間は、そう簡単にはつぶれないものですよ。

―早いスピードが、人の能力を育てる。(F)

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2007年7月19日 (木)

「それって何?」橋本治さん

『いいものを知るためにはいいものを何度も見ろ』っていう言い方があるけど、それ以外にはないんですよ、感覚を鍛えるためには。ずっと見てると、これはいい、これはつまらないっていう落差があからさまにわかる。それは特別なことじゃなくて、実はみんな普段からやってるんです。たくさん服を見ていると、見ただけでもそれがわかるよういなるじゃないですか。『見ればわかる』という事実はあるんだから、そのことをもう少し推し進めたほうがよくないか、と思うだけ。
自分でわかりたいと思う時って、『へんなもの』も一緒に来るんですよ。その瞬間は『なにこれ、訳わかんない』って思うんだけど、実はそれが一番重要なの。絵でも彫刻でも、すべてに神経を行き渡らせると、わからないもの、辻褄の合わないものが必ず出てくる。『それって何?』っていうのが、実はわかるためのカギなんだよ。
さっさと消化できるものにしか食らいつかない人が多いけど、消化しにくいもの、訳のわからないものを自分の中にキープして、発酵させるってことをしないと、オリジナリティなんて育たないと思うよ。』

―それしかないといういいものとへんなもの、それに囲まれているわ。(F)

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2007年7月18日 (水)

「週110時間働く」藤田晋さん

起業を果たした藤田は、またまた凡人には思いもよらない奇妙な目標を立てる。それは、週に110時間働くという目標だ。
「平日に18時間、土日に10時間ずつ働くと110時間になるんですが、110時間働くのって仕事が少ないと大変なんですよ、やることなくて。

―先に働く時間から仕事をつくろうとするか。あたしの逆だね。(F)

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2007年7月17日 (火)

「チョイスとつみ重ね」(2)北村龍平さん

相手が聞く耳を持たないんなら自分でやるしかない。そのためにはお金が必要。そうなったら盗んででも人を騙してでもお金をもってきて僕はつくりますよ。それが映画監督だと思う。ものをつくり出す人間の特権だろうけど、自分のつくった作品で人を納得させることができさえすれば、基本的には何をしたっていいと思っているんです。僕は。そこで生ぬるいものをつくったり、これをやれば当たるだろう、という考えでつくったら終わりですね。
僕は自分のやりたいことしかやらないし、やったからには、微塵も言い訳をしないものつくりますよ。『時間がなくて、お金がなくて』なんて、絶対に言わない。それはどんな仕事でも一緒ですよ。やりたいことがあるのにやれないというのなら、それはおまえがそこまでの人間でしかないんだ、という話です。何とかして考えろ、そこにたどり着く方法を、と。
日本は、自分でチョイスして自分で決める、という能力が、たぶん世界で一番欠如した国だと思う。タレントが泣きましたってコメントをつけたら小説が何百万部も売れる。読みたい本なんて自分で決めろ。タレントが泣いたからって読むんじゃないよ、と僕なんかは思うわけです。
自分で何かを決めてやっていくということを突き詰めている人間は非常にすくないけど、勝ち残っているのは皆そういう奴らですよ。基本的に、成功した人間は同じようなことしか言っていない。つまり逆に言うと成功するための方程式なんて簡単だ、ということ。なのに、何でやらないのかな。ぐじぐじ文句ばかり言ってないでやればいいのに、と思いますよ。

―プロが絶対言わないことを最初に言う人が多すぎる。(F)

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2007年7月16日 (月)

「チョイスとつみ重ね」(1)北村龍平さん

僕はコーヒーに砂糖とミルクどっちも入れるんですけど、この前、僕と同世代のプロデューサーと打ち合わせをしていたら、一年以上一緒に仕事をしてきた間柄なのに、それすら覚えていない。どんなにいっぱいいっぱいになっていようが、そういう部分に気が回らないという感覚が僕にはわからないんです。そんなことでいちいち怒りませんけど、センス悪いなあと思う。そうした些細なことの積み重ねが、人間の総合力につながっていくんですよ。

―センス悪い人はいっぱいいるが、それでは力にならないってこと。(F)

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2007年7月15日 (日)

「信じる」(2)姜尚中さん

不安や虚脱感を抱えた今の日本人を、僕は自著『在日』の中で、やや極論化して『在日化する日本人』と表現しました。つまり、自分の居場所が見つけられず不安を抱える人々が増えているということです。
自分の願いに対して多くの人に共感を持ってもらい、自分が亡き後にも、その願いを誰かが必ず受け継いでくれるであろうという確信を持てたとき、ようやく人は自分の人生に満足できるんじゃないでしょうか。それが理想の生き方だろうし、そう確信を持って死ねるのならば、それがすなわち理想の死に方だと、最近思うようになりました。

―居場所は次代への引継ぎをも考えて、用意されるものよ。(F)

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2007年7月14日 (土)

「信じる」(1)姜尚中さん

圧倒的で巨大な威力というものを素朴に信じていて、それが意外に脆弱だということに気がつかない。どうもメディアが流すコマ切れの情報にさらされること、思考が『綱渡り』になっているような気がする。一見関係がなさそうな事象を連結させる『横断的な思考』を持つことが必要なんじゃないかな。自分自身の中の歴史的直感を磨いていれば、カリスマ的な人物の言うことを真に受ける必要もないし、10年後の世の中もある程度見えてくるはずです。

―切れのままみることは、その前に教養や歴史が入っていないと、とんでもなく見謬える。(F)

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2007年7月13日 (金)

「挑みかかる」井筒和幸さん

ぼくらの先生は、スクリーンにかかってる映画そのもの。あえて言えば、作った人なんかどうでもいいわけですよ。まあ映画=作家ですからね、撮った人の言いたいことは作品に全部出てくるわけやから。
お仲間だけであれこれやってたって、何も見えてこないから。自己完結しちゃってるというか、趣味の世界で満足しとるだけでなしに、もっぺん自分を開いて、いろんなことを考えてみたほうがええんちゃうの?そうして上の世代にぶつかって、挑みかかってみれば、反面教師であれ何であれ、得るものは必ずあるからね。上下のコミュニケーションいうのがホントはいちばんおもしろいはずやからね。

―作品至上主義なのに最近は人が日常のまま出すぎるね。あたしゃ逆に人はみたくない。(F)

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2007年7月12日 (木)

「挑戦する」(3)小林よしのりさん

今の若い人たちが問題なのは、やっぱり人に慣れてないってことだと思うよ。インターネットばっかりやってたり、孤独な趣味にハマッてたりね。そういうところからは何も生まれないと思う。やっぱり仕事にしろ人生にしろ、人と人との関わりの中でしか絶対生きていけないんだから。だから、どれだけ周りの人間と深く話せるか。人を恐れてはいかん。男だろうと女だろうと上司だろうと、相手に興味を持って、興味津々って感じで接していけば、向こうだって悪い気はせんもん。
わしのマンガはずっと毒のあるものだったし、親が読んではならんというものだった。それでも子供は自分の小遣い銭で買ってくれたんだから。そんな自分が権威に安住した作品描いても仕方ないわけで、難しくて失敗するかもしれないようなものに挑戦し続けなければならんね。

―人と人の関わりから始まるし、失敗に挑戦するし、それが生きることや。(F)

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2007年7月11日 (水)

「挑戦する」(2)小林よしのりさん

読んでみたら、“上司の言うことなんて思いつきだけの場合もあるんだから、密かに呆れておけばいい”みたいなことが書いてある。けど、それもどうだろうか、と思うんだよね。そんなクールな構え方をしてて、何ができるのかなと。シニシズムから斜めにものを見て、上司を内心侮辱してるっていう、そう人間こそ単なる負け犬なんじゃないか、と。
単に上司にどんな態度をとればいいかとかじゃなくて、もっと人間に慣れなきゃダメだと思うね。ようするに、上司にしても同僚にしても、相手の中に自分の好き部分、同意できる部分を見つけ出して、相手の心理を巧みにくすぐりながら懐に入り込んでいく。そういう術というのも必要なんじゃないかと思うのよ。

―クールで行動しないのが、くそだよね。考えて言ってばかり、やっていない。(F)

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2007年7月10日 (火)

「挑戦する」(1)小林よしのりさん

『おぼっちゃまくん』を描くときに考えたのは、二人称にしようと。つまり、主人公を普通の少年にして、わしの感情移入はそっちにさせた。それで、おぼっちゃまくんという奇怪な人間を他者の位置に置いたわけです。そしたら読者がダーっと入ってきたんだよね。

―二人称の手法は、案外と画期的なことだった。(F)

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2007年7月 9日 (月)

「気概をもつ」小沢一郎さん

「重荷がのしかかってきてツライ、だから誰か助けてくれ」という発想になってはダメだ!たとえどんなに重かろうと、重荷を背負い込む、自分の責任で問題を解決していく...、こういう気概が欲しいよね。そして、それこそが人生の醍醐味なんだ。僕はそう思う。

―重荷を楽しもう、家康のように諦観するのでなく、それを背負える自分を誇るのよ。(F)

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2007年7月 8日 (日)

「ハイブリッド」高城剛さん

ぱっと見てぱっと判断できるようになるには、脳を鍛えて、勘を研ぎ澄ませていくしかないですね。そこで重要になるのが、“情報ダイエット”をして身軽になること。テレビやWEBの情報には、必ず何らかの周辺情報がついてきます。
僕は二つ以上のものを同時にこなすスタイルを“ハイブリッド”と呼んでいます。いま活躍中の北野武やマイケル・ムーアは映画監督以外の仕事をもっているし、ハリーポッターの作者も失業中の主婦でした。彼らのように、これからハイブリッドな人材が活躍する時代になるでしょうね。
昔は一つのものを追及することが、美徳とされてきました。でも、確変モードの世の中では、今日売れていたものが、明日突然、売れなくなるリスクがある。その点、仕事が二つ以上あれば、リスクも分散できます。ハイブリッドは、サバイバルのためにも必要なスタイルなんです。

―身軽にハイブリット。(F)

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2007年7月 7日 (土)

「気力」橋村奉臣さん

「ハワイでの生活は貧しくて、アルバイトに明け暮れる毎日。フィルム代もない。勘を養うためにカラ撮りしてましたが、あのときフィルムが入っていたら、よい写真があったと思いますよ。(笑)」
「確かに人並み以上の苦労だったかもしれません。でも、英語も話せないでアメリカに行ったんですから当たり前ですよ。むしろ、『よし、俺はここで勝負しよう』と、僕はそのとき、小さな体に気力が満ち溢れていましたね。(笑)」
一年半後、そんなHAYASHIさんに大きなチャンスが訪れる。ボスが病気で倒れ、代役で撮ったHAYASHIの作品が、クライアントに "Very impressive"(大変、感動的だ)と、一躍注目を浴びたのだ。それまで、人知れずスタジオに一人残って、テスト撮影を繰り返してきた努力が実を結んだのである。

―テスト撮影が修行。(F)

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2007年7月 6日 (金)

「青い山」種田山頭火さん

「うしろすがたのしぐれてゆくか」
「分け入つても青い山」
「まつすぐな道でさみしい」

―曲がった道がうれしい。(F)

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2007年7月 5日 (木)

「勝負勘」岡部幸雄さん

<情報を頭の真ん中におくのではなく、片隅にとどめておくような感覚><短所はもちろん、長所にも縛られすぎず、白紙に近いイメージで乗ることが重要>
しかし最も大事なのは馬に跨ることで得る情報で、初めて跨ったときの感触や、以前レースに乗ったときに見せたクセ、そしてそのクセを見せたときはどんなレースをし、今日はどうなのか、違いを的確に感じることが情報になる。絶対忘れない覚悟で跨るからこそ、それは勝つためのデータベースにもなる。そうして地道に積み重ねた情報を、いざ勝負となれば全部忘れ、白くなれるかどうかもまた経験だと。生身の動物から言葉にならない情報を感じ取り、しかもその情報に縛られない騎乗ができた瞬間を経験していくことで、ようやく真っ白な自分は自分の自在になる。
思考以前に身体が反応してこそ騎手であり、その反応が結果的に正しいことが多いのがトップジョッキーと呼ばれる人間なんです。例に出せば武豊君などは驚くほど早くからその感覚を身につけていた。かたや天才ではない我々は、反復・反復で覚えていったクチで、初めての局面に遭遇しては失敗することを繰り返すうち、その失敗が徐々にではあるが減ってはいく。
ただ実力主義の競争社会で各各が切磋琢磨してこそいいものは生まれるということを、僕は実感してきた一人でもある。そこで大事なのは負けても納得できるだけの努力なり準備なりを自分がしてきたかどうか。勝ち組・負け組なんて分類に自分をあてはめたり、ましても勝ち組を妬むことには意味がなくて、例えば勝った相手を祝福できるかどうかも、自分がいい仕事をできたか次第なんです。その積み重ねがあってこそ、人々を感動させ、少なくとも人様にお見せできる競馬は現実のものとなる。勝ち負けとは無縁に見える世界に生きる人も、仕事をするプロである以上、似た部分はあると思います。

―データと勘。(F)

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2007年7月 4日 (水)

「瞬間芸」南淵明宏さん

そもそも、言葉とは人間同士が感情の機微や彩を、その場の「瞬間芸」でとする“芸術”だ。演出があり、感情があり、個性がある。単語を伝えるだけの手段では決してない。相手の感情を動かすことが最終目的なのである。そのためには視線や表情、声の強弱、話し方の抑揚など、ありとあらゆる要素が必要となる。それを母国語でできない人が外国語でやろうと思っても絶対に不可能だ。むしろ逆に、それを母国語でできる人だけが、外国語でまともに自分の意思をその場の二度とない瞬間に、外国人に伝えることができるのである。
この国では、「話す」という「瞬間芸」の価値がおろそかにされ、「会議が終わった後で、ゆっくり個人的に話しましょう」などという腹芸が珍重される。「あのとき、会議でキミはこう言ったじゃないか。」と言っても、「いや、あのときはああ言うしかなかったんだ。しかし実は、本心はまったく反対で...。」などという言い訳が簡単に通ってしまう文化である。
我らがニッポンの大学教授様は質問の内容が聞き取れない。基本的な単語、例えば「ステロイド」という単語すら聞き取れないのだ。それでも大教授様は演壇でも「聞き取れないからもう一度言ってくれ」などともいえず、熱い風呂に入ったときのように「うーん」としばらく唸っている。司会者が助け舟を出しても「うーん」と唸ったままで、ひょっとして心臓発作でも起こしたのかと聴衆は心配になったりする。

―音楽は瞬間芸術(F)

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2007年7月 3日 (火)

「やり直しの繰り返し」篠沢秀夫さん

「僕のこれまでの人生、六十数年は、やり直しの繰り返しだった。いいんですよ、またやれば。何でもそうだ。食事みたいなもんだ。一度食べれば一生もつわけではない。毎日、毎食、やり直せばいいのさ、明るく」

―毎日やりなおす。(F)

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2007年7月 2日 (月)

「事実」斉藤孝さん

ダーウィン 《何等の理論を交えず、大仕掛に、殊に飼育された生物に関し、或いは印刷した質問状により、或いは熟練せる飼育者又は園芸家と談話することにより、又広く読書することによって、事実を蒐集した》
《この惑星(地球)が確固たる重力法則に従って回転するあいだに、かくも単純な発端からきわまて美しく驚嘆すべき無限の形態が生じ、いまも生じつつある》

―事実と科学と法則を学べ(F)

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2007年7月 1日 (日)

「身の危険」山田邦子さん

昔、ニューヨークへ行った時に、間違って一人では危険な地下鉄に乗っちゃったんだって。そんでブロンクスの地域に来たら、案の定、危なそうな奴らがどんどん乗り込んできて、身の危険を感じてさ。しょうがないって、とっさに地下鉄の電車内をベロで舐めまわしたってね。車内の吊り革から取っ手の棒まで舐めてたら、彼らの方が逆に怖がったっていうさ。

―狂と怖。(F)

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