「コンプレックス力」山本英夫さん
どんなジャンルでも、強烈なコンプレックスは、『永遠の電池』になると思うんです。『永遠の電池』を手に入れた人とそうでない人では、その人の欲とか未知数が違ってきちゃう。だから僕はモテなくてよかった(笑)。モテてたら漫画がつまらなくなってしまうかもしれない。それは僕にとっては何より辛い。
―コンプレックスがコンプレッサー、なんてどう?(F)
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どんなジャンルでも、強烈なコンプレックスは、『永遠の電池』になると思うんです。『永遠の電池』を手に入れた人とそうでない人では、その人の欲とか未知数が違ってきちゃう。だから僕はモテなくてよかった(笑)。モテてたら漫画がつまらなくなってしまうかもしれない。それは僕にとっては何より辛い。
―コンプレックスがコンプレッサー、なんてどう?(F)
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今の若い人たちが問題なのは、やっぱり人に慣れてないってことだと思うよ。インターネットばっかりやってたり、孤独な趣味にハマッてたりね。そういうところからは何も生まれないと思う。やっぱり仕事にしろ人生にしろ、人と人との関わりの中でしか絶対生きていけないんだから。だから、どれだけ周りの人間と深く話せるか。人を恐れてはいかん。男だろうと女だろうと上司だろうと、相手に興味を持って、興味津々って感じで接していけば、向こうだって悪い気はせんもん。
わしのマンガはずっと毒のあるものだったし、親が読んではならんというものだった。それでも子供は自分の小遣い銭で買ってくれたんだから。そんな自分が権威に安住した作品描いても仕方ないわけで、難しくて失敗するかもしれないようなものに挑戦し続けなければならんね。
―人と人の関わりから始まるし、失敗に挑戦するし、それが生きることや。(F)
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読んでみたら、“上司の言うことなんて思いつきだけの場合もあるんだから、密かに呆れておけばいい”みたいなことが書いてある。けど、それもどうだろうか、と思うんだよね。そんなクールな構え方をしてて、何ができるのかなと。シニシズムから斜めにものを見て、上司を内心侮辱してるっていう、そう人間こそ単なる負け犬なんじゃないか、と。
単に上司にどんな態度をとればいいかとかじゃなくて、もっと人間に慣れなきゃダメだと思うね。ようするに、上司にしても同僚にしても、相手の中に自分の好き部分、同意できる部分を見つけ出して、相手の心理を巧みにくすぐりながら懐に入り込んでいく。そういう術というのも必要なんじゃないかと思うのよ。
―クールで行動しないのが、くそだよね。考えて言ってばかり、やっていない。(F)
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『おぼっちゃまくん』を描くときに考えたのは、二人称にしようと。つまり、主人公を普通の少年にして、わしの感情移入はそっちにさせた。それで、おぼっちゃまくんという奇怪な人間を他者の位置に置いたわけです。そしたら読者がダーっと入ってきたんだよね。
―二人称の手法は、案外と画期的なことだった。(F)
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難しいのですが、ただガムシャラなだけではダメ。「問題の核心をつかむ」ことも大事です。問題というのは表面的に解決しても、また形を変えて必ず自分の目の前に現れるものなんです。
今の時代、一所懸命働いている人ほど、「俺って、損な生き方をしてないか」と疑問に感じることが多いと思うんです。そう考えると、適当にやってラクしてる人のほうが器用で、「自分はとんでもなくバカをみている」という気になってもおかしくない。それがすごい嫌なんです。みんながラクをするほうに流れてしまったら、この社会が崩壊するじゃないですか。それで『働きマン』は、一所懸命働いている人たちに、「肯定感」をもってもらえるような漫画にしたかったんです。
-そう、とても聞くことが多くなったのよね。楽って美しくないじゃない!あたしの美学。(F)
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「やりたい仕事がいますぐできるとしたら、それを完璧にやる自信があるのか」と聞いてみたいですね。「YES」と答えられる人はそんなにいないはずです。まずは目の前の仕事を一つ一つ完璧にし、今いる場所でレンガを積んでいくこと。向き不向きはその先の問題ですよ。私自身、駆け出しのころ、自分にまったく向いていないと思っていた漫画雑誌で描くことになったんですが、「ここで連載がもてなければ、どの雑誌にいっても同じだ」と腹を据えて頑張りました。そうしたからこそ、二十代後半には仕事が一気に増え、自分のすきなものも描けるようになったんです。
-腹を据えずに誰が価値を見い出してくれようか。(F)
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日本人の感性の三分の一は悲しみの感情だろう。湿度が高く、どうしても人の悲しみや自然の移ろいに同情しがちだ。たとえば、源頼朝は政治的に義経より断然力があるが、頼朝のファンはほとんどいない。多くの日本人は義経に同調する。それは儚いものを好む伝統を継承してきたからに他ならない。好き嫌いも伝統によって培われてきたということである。
しかし、日本人の繊細な感性は、名文を音読暗誦することで継承されてきた。
-まさに演歌、怨歌の世界よね。(F)
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僕がいま、『源氏物語』を漫画で書きはじめた理由もそこにある。明治政府がたんなるエロ本と忌み嫌った(たしかに、戦争に勝つという目的には反している)『源氏物語』を解読することで、グローバリズムに負けないローカルな日本の言葉を徹底的に深めようと思ったのだ。ところが驚くことに、この平成の天才(つまり私だ!)と同じようにその重要性に気づき、実行していた人物がいたのだ。国学の祖・本居宣長(1730~1801年)である。彼は『古事記』を実証的に研究するうちに、日本人はやはり儒教的な中国の「からごころ」ではなく、『古事記』の登場人物のように、自然な感情のまま「やまとごころ」で生きるべきなのだと主張した。
-アメリカの行きづまりと日本的なものへの回帰が、今は、疑問をはさむ余地がなくなってきたようね。(F)
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「反発してたら手間取って遠回りして何も得られない」
「大人を利用しろ」
「やってみなきゃ損するぞ」
「経験から得た貴重な知識を聞かせたんだ。そのまま活かせば手っ取り早く得できる。」
「大切なのはまず結果を出すこと。考えるのはそれからでいいでしょ。」
「その秘訣は心の中を…根拠のある自信と根拠のない自信で一杯にすること。その2つの自信で不安の波を相殺するんだ。」
-先達に学べ。(F)
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「でも、わしの読者の中にも「規範」と「情報」の区別がつかず、表層的な理解しかできない人たちもいる。」
-あたしももっとまともに(深読みとはいわないけど)考えて欲しい。(F)
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