2007年7月23日 (月)

「コンプレックス力」山本英夫さん

どんなジャンルでも、強烈なコンプレックスは、『永遠の電池』になると思うんです。『永遠の電池』を手に入れた人とそうでない人では、その人の欲とか未知数が違ってきちゃう。だから僕はモテなくてよかった(笑)。モテてたら漫画がつまらなくなってしまうかもしれない。それは僕にとっては何より辛い。

―コンプレックスがコンプレッサー、なんてどう?(F)

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2007年7月12日 (木)

「挑戦する」(3)小林よしのりさん

今の若い人たちが問題なのは、やっぱり人に慣れてないってことだと思うよ。インターネットばっかりやってたり、孤独な趣味にハマッてたりね。そういうところからは何も生まれないと思う。やっぱり仕事にしろ人生にしろ、人と人との関わりの中でしか絶対生きていけないんだから。だから、どれだけ周りの人間と深く話せるか。人を恐れてはいかん。男だろうと女だろうと上司だろうと、相手に興味を持って、興味津々って感じで接していけば、向こうだって悪い気はせんもん。
わしのマンガはずっと毒のあるものだったし、親が読んではならんというものだった。それでも子供は自分の小遣い銭で買ってくれたんだから。そんな自分が権威に安住した作品描いても仕方ないわけで、難しくて失敗するかもしれないようなものに挑戦し続けなければならんね。

―人と人の関わりから始まるし、失敗に挑戦するし、それが生きることや。(F)

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2007年7月11日 (水)

「挑戦する」(2)小林よしのりさん

読んでみたら、“上司の言うことなんて思いつきだけの場合もあるんだから、密かに呆れておけばいい”みたいなことが書いてある。けど、それもどうだろうか、と思うんだよね。そんなクールな構え方をしてて、何ができるのかなと。シニシズムから斜めにものを見て、上司を内心侮辱してるっていう、そう人間こそ単なる負け犬なんじゃないか、と。
単に上司にどんな態度をとればいいかとかじゃなくて、もっと人間に慣れなきゃダメだと思うね。ようするに、上司にしても同僚にしても、相手の中に自分の好き部分、同意できる部分を見つけ出して、相手の心理を巧みにくすぐりながら懐に入り込んでいく。そういう術というのも必要なんじゃないかと思うのよ。

―クールで行動しないのが、くそだよね。考えて言ってばかり、やっていない。(F)

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2007年7月10日 (火)

「挑戦する」(1)小林よしのりさん

『おぼっちゃまくん』を描くときに考えたのは、二人称にしようと。つまり、主人公を普通の少年にして、わしの感情移入はそっちにさせた。それで、おぼっちゃまくんという奇怪な人間を他者の位置に置いたわけです。そしたら読者がダーっと入ってきたんだよね。

―二人称の手法は、案外と画期的なことだった。(F)

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2007年3月10日 (土)

「レンガを積む」(2)安野モヨコさん

難しいのですが、ただガムシャラなだけではダメ。「問題の核心をつかむ」ことも大事です。問題というのは表面的に解決しても、また形を変えて必ず自分の目の前に現れるものなんです。

今の時代、一所懸命働いている人ほど、「俺って、損な生き方をしてないか」と疑問に感じることが多いと思うんです。そう考えると、適当にやってラクしてる人のほうが器用で、「自分はとんでもなくバカをみている」という気になってもおかしくない。それがすごい嫌なんです。みんながラクをするほうに流れてしまったら、この社会が崩壊するじゃないですか。それで『働きマン』は、一所懸命働いている人たちに、「肯定感」をもってもらえるような漫画にしたかったんです。

-そう、とても聞くことが多くなったのよね。楽って美しくないじゃない!あたしの美学。(F)

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2007年3月 9日 (金)

「レンガを積む」(1)安野モヨコさん

「やりたい仕事がいますぐできるとしたら、それを完璧にやる自信があるのか」と聞いてみたいですね。「YES」と答えられる人はそんなにいないはずです。まずは目の前の仕事を一つ一つ完璧にし、今いる場所でレンガを積んでいくこと。向き不向きはその先の問題ですよ。私自身、駆け出しのころ、自分にまったく向いていないと思っていた漫画雑誌で描くことになったんですが、「ここで連載がもてなければ、どの雑誌にいっても同じだ」と腹を据えて頑張りました。そうしたからこそ、二十代後半には仕事が一気に増え、自分のすきなものも描けるようになったんです。

-腹を据えずに誰が価値を見い出してくれようか。(F)

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2007年3月 4日 (日)

「しめっぽさの感性」斉藤孝さん

日本人の感性の三分の一は悲しみの感情だろう。湿度が高く、どうしても人の悲しみや自然の移ろいに同情しがちだ。たとえば、源頼朝は政治的に義経より断然力があるが、頼朝のファンはほとんどいない。多くの日本人は義経に同調する。それは儚いものを好む伝統を継承してきたからに他ならない。好き嫌いも伝統によって培われてきたということである。

しかし、日本人の繊細な感性は、名文を音読暗誦することで継承されてきた。

-まさに演歌、怨歌の世界よね。(F)

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2007年3月 1日 (木)

「日本人のやまとごころ」江川達也さん

僕がいま、『源氏物語』を漫画で書きはじめた理由もそこにある。明治政府がたんなるエロ本と忌み嫌った(たしかに、戦争に勝つという目的には反している)『源氏物語』を解読することで、グローバリズムに負けないローカルな日本の言葉を徹底的に深めようと思ったのだ。ところが驚くことに、この平成の天才(つまり私だ!)と同じようにその重要性に気づき、実行していた人物がいたのだ。国学の祖・本居宣長(1730~1801年)である。彼は『古事記』を実証的に研究するうちに、日本人はやはり儒教的な中国の「からごころ」ではなく、『古事記』の登場人物のように、自然な感情のまま「やまとごころ」で生きるべきなのだと主張した。

-アメリカの行きづまりと日本的なものへの回帰が、今は、疑問をはさむ余地がなくなってきたようね。(F)

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2007年1月13日 (土)

「利用する☆☆」(ドラゴン桜)

「反発してたら手間取って遠回りして何も得られない」
「大人を利用しろ」
「やってみなきゃ損するぞ」
「経験から得た貴重な知識を聞かせたんだ。そのまま活かせば手っ取り早く得できる。」
「大切なのはまず結果を出すこと。考えるのはそれからでいいでしょ。」
「その秘訣は心の中を…根拠のある自信と根拠のない自信で一杯にすること。その2つの自信で不安の波を相殺するんだ。」

-先達に学べ。(F)

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2007年1月12日 (金)

「リスクをとる」(4)小林よしのりさん

「でも、わしの読者の中にも「規範」と「情報」の区別がつかず、表層的な理解しかできない人たちもいる。」

-あたしももっとまともに(深読みとはいわないけど)考えて欲しい。(F)

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2007年1月11日 (木)

「リスクをとる」(3)小林よしのりさん

「オリンピックやサッカーのワールドカップのような国際試合の場で、日本人選手だけが国歌を歌えない。そんな状況はおかしいし、そうした誤りを指摘しただけで言論弾圧されるような日本に民主主義なんてあるのだろうかと思った。」

-それが日本。大して、自分で考えないのに人のうしろから石投げるのよね。(F)

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2007年1月10日 (水)

「リスクをとる」(2)小林よしのりさん

「そして描いた作品によって何らかの問題が生じたら、作者はそのとらなきゃいかんし、わし自身がそう行動してきた。」「あらゆる陣営からの批判を引き受け、ときには自分の読者だって切り捨てる覚悟で発言してきた。それが時事問題について言論活動をするものの責任なのよ。」

-時事に限らないが、時事は時代の流れにほんろうされるのよね。皆、くるくる変わるしね。アートは、変われない奴が多く学べない奴が多い。(F)

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2007年1月 9日 (火)

「リスクをとる」(1)小林よしのりさん

「『嫌韓流』のすべてを否定するつもりはないし、これが差別的な漫画であるとはいわないが、インターネットや「2ちゃんねる」のような信憑性が低いものを情報源にして描かれていると知った時点で、ハッキリいってわしは読んでも仕方がない本だと思った。でもいちばんマズイのは、作者(山野車輪)が今もって匿名のまま世間に出てこない、つまり作品に対するリスクを負っていないことでしょう。」 

-発言する以上、リスクを覚悟する。あたしも?をあげたからこそ、あれこれいわれ、そのことで学んで大きく改革していける。(F)

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2006年10月 7日 (土)

「現実化するまん画」(3)小林よしのりさん

さらに『ゴー宣』スタイルの原型となる漫画がある。梶原一騎の『四角いジャングル』である。この漫画は実在するプロレスラーや格闘家を登場させながら、作家自身がプロモーターの役割まで果たして、アントニオ猪木と、極真空手出身のウィリー・ウィリアムズの異種格闘戦を実現させてしまった。

-もっとすごいのは、梶原氏の「男の星座」では、力道山、大山倍達のあとに、梶原本人が登場してくる。小林よしのり氏のは、政治・社会ものだが、まだ、一面においては「タイガーマスク」に比べられまい。(F)

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2006年10月 6日 (金)

「現実化するまん画」(2)小林よしのりさん

エッセイ漫画として始まった『ゴー宣』が、政治や思想を描くようになったのは、元々わしが『東大一直線』や『おぼっちゃまくん』などの風刺色が強い漫画を描いていたことに原因がある。
伝統的には「鳥獣戯画」や「北斎漫画」や「黄表紙」の現代版だろう。

-そういわれてみれば、そういうことなのよねって自分で自分の立場を歴史で位置づけるのは、日本人にゃ欠けている能力で、欧米じゃ、このスタンスを作者が表明する必要があるのよね。「欧米か」って。(F)

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2006年10月 5日 (木)

「現実化するまん画」(1)小林よしのりさん

『ゴー宣』という漫画は際どい。危なっかしい。
自分の人格の 私人性ー公人性、個人性ー集団性、全領域のバランスをとりながら描かねばならない。

-私も本やHPの発言において、プロとしてのバランスのとり方には、けっこう苦しんでいるのよ。ただの無責任なたれ流しのようにみえて、たれ流してしまう坊やにまで気をつかってしつけてやらなくてはいけないし、早く大人になってよね。(F)

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2006年8月25日 (金)

「音まんが」(3)渡辺水央さん

バイオリンの香坂はそのことを不思議に思っていたが、少女がたくあんを食べる音を聞いて気づく。「きいたことがある!!口の中の口蓋の天井が高い人は管楽器でいい音を出せるって。」

―何となく引いてみただけで、あまり深い意味はないのですが、たくあんを食べる音のひびきが演奏のようになるっていう田舎のバァー、ジイのリズムが、あたしゃいいと思う歳になりつつ、お茶をズズゥーとすする。食べもの音。(F)

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2006年8月24日 (木)

「音まんが」(2)渡辺水央さん

団員たちと天道の初練習の場面。天道は<運命>の一振りで団員たちをうならせてしまうが、それにはこんな理由がある。「有名な『運命』の導入部、皆さんは頭に休符があることをご存知だろうか?じゃじゃじゃじゃーんではなく、ン・じゃじゃじゃーんなのだ。指揮者が棒を振り上げる速度、振り下ろす速度があいまいだと、オーケストラは無茶苦茶になる。素人ではありえない。」

―ンがつく、これは日本の頭打ちと違って、向うの感覚でいつもンータン、ンタータンタンタなんて感じで歩いていると、身体感覚も変わってくるのよね。(F)

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2006年8月23日 (水)

「音まんが」(1)渡辺水央さん

音楽マンガが注目されている。たとえば、二ノ宮知子の『のだめカンタービン』(講談社)、さそうあきらの描きおろしコミック『マエストロ』(全3巻刊行)

―音の世界を文章にするのにうんざり疲れるほど大変だと、私はまん画という可能性をけっこうびっくりしてながめているのであった。パウル・クレーの絵に出会ったときのように。(F)

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2006年8月16日 (水)

「情報と情緒・感受性」(3)小林よしのりさん

 情報にしか反応しない者たちが、最近では左右の別なく、学者や知識人にも増えてきている。だから「ネット保守」なる珍妙な者までが出現する。

―情報の無意味性を知ってこそ情報は使えるのに、そのやりとりは暇な人たちのキャッチボール。(F)

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2006年8月15日 (火)

「情報と情緒・感受性」(2)小林よしのりさん

 『沖縄論』のときにも、沖縄の知識人は、なんと漫画は読みなれてるはずの若手の学者までが「あれは違う。あれが書かれていない」と、「情報」の揚げ足取りに終始して、わしの沖縄に対する「感受性」や「心」を読み取ることができなかった。

―アートが働きかけるのは感覚やイメージであり、ポリシーにふみこみすぎた小林氏のまん画は、その錯覚で言論人や評論家をけむにまいてきた。(F)

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2006年8月14日 (月)

「情報と情緒・感受性」(1)小林よしのりさん

 『ゴー宣』の読者には、わしの「情緒」「感受性」を読む読者と、社会問題の「情報」を入手するために読むものがいる。
 もはや新書は漫画である。『ゴー宣』よりも頭を使わない。「認識」が要らないからだ。「情報」しかないからである。以前から左翼、あるいはサヨクの人々は、わしの『ゴー宣』や『戦争論』を「情報」としてか読めなかった。

―まん画家から情報や思想を学ぶという時代になっているのに、対処できない原因は、小林氏は活字を映像化しているのに、まん画ということばで片付けたがるからでしょうか。(F)

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