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2017年5月25日 (木)

Q.ブレスヴォイストレーニングの仮説を知りたいのですが。

A.胸声に、頭声も加えて全体像としてわかりやすくしました。今のポピュラーのヴォイトレというのは、高い声で出す、そのためにのど声を回避します。のど声ゾーンを避け、のどをあけ、頭の方へひびきをもってきます。顔面や鼻筋、みけんや口の奥とかに集めると言いつつ、ほとんどこれだけのノウハウです。声楽も、高音域発声のために、ソプラノ、テノールなどは似たことをやっています。ヴォイトレのなかで、声を調節して出すだけでなく、胸声から入って鍛えて変えるというレベルでは少ないようです。

その大きな理由の一つは、外国人には、すでにこのレベルが日常生活でマスターされていて不用であること、そのため外国人日本人のなかで歌手になった人やトレーナーをやる人の大多数は、のどが小さく背が低く、のどが高音にシフトしやすく高めが出しやすいことが多いのです。それゆえ、日常の声のよい人はいません。(本人自ら、話す声がよくないと述べている歌い手やトレーナーがとても多いですね。海外ではありえない。そういうヴォイトレの大半は、声をよくするのでなく、高い声を出せるようにすることが目的です)本人たちがそういう人たちなのですから、同じような人にしか通用しないし、うまくいって、その人たちの限度までしかいかないゆえに、通用しないレベルまでで終わることが多いのです。のどをはずして、レッスンで頭部に集めようとします。これ自体は、間違いではありません。高い声は高い声を出しているなかでしか出てこないからです。どんなにのどのしくみを知ったところで同じです。(♭)

Q.日本人の声は弱くありませんか。☆

A.聴き手としての耳の変化、声の強い表現力を拒むようになってきていることの方が気になります。私の企業研修のテーマが以前は、「大きくはっきり伝える」だったのに、最近は、「感じがよく、大きく出さずに伝わる」ような通る声を求められるようになってきました。上司の大きな声だけでパワーハラスメントに近いと、若い人が思うようなことが現実化してきています。

日常の声レベルでの差を抜きにして、本来はオペラもポップスも邦楽も噺家も成立しないのです。歌についての現況は、音楽とレコーディング技術の進歩と、聴き手の耳の変化が支えているといえます。日常で、1時間も声を使えない人が、本番に1時間、声を使えるわけがないという常識的な前提を掲げておきます。(♭)

Q.なぜ日本からは、声で世界に出られないのか。☆

A.日常の声の使用量の不足が前提にあります。日本の風土、日本人の生活や文化が、耳で聞く声よりも、目でみる視覚に多くを負っているからでしょう。そういう考察の材料を山ほど私は持っていますが、ここでは日本語が「聞く話す」よりも、「読み書き」にすぐれていること、最近も日本発の文化はビジュアルが全盛、バンドやJ-POPSさえ、声や音よりもビジュアルで世界から評価されていることをあげるに留めます。

ただ日常レベルでの音声の必要のなさが、声の使用頻度の少なさ、つまり量も強さ(大きさ)も他の国民の何分の一かになっており、この傾向は、今世紀になって、ますます強まっていくでしょう。(♭)

2017年5月23日 (火)

Q.声について、自分の判断に自信をもてません。

A.自分の判断を第一に優先できないところに、ヴォイトレの難しさがあるのです。あなたに最高の判断力があるなら、声や歌はあなたの思うように使えているはずです。こと声に関しては、うまくいっていないならなおさら以前のあなた(の感覚や判断力)をあまり信じてはいけないのです。ヴォイトレしなくてもうまく歌ったり、声を扱える人はたくさんいるのですから、それに対して何が欠いているのかを知ることです。

少なくとも、どのトレーナーもあなたよりはあなたの声についてはわかっているでしょう。あなたが力をつけていき、トレーナーよりも的確に自分のことを判断できるようにならなくてはいけない、そのためのレッスンだということなのです。(♭)

Q.レッスンをして、トレーナー二人の意見、判断が違ったらどうしますか。

A.一方に軍配を上げるわけにはいきませんが、その違いが何で生じるのかをあなたに伝えます。二人の判断が矛盾していてもいいのです。確かな実績があって人を育てている、そのやり方や価値観を持つトレーナーの一人がそのような判断をしたことを事実として知っておけばよいのです。やり方が違ったら好きな方を選んでもよいし、両方を使い分けてやれるならやってもよいのです。トレーナーのどちらかが絶対正しいわけではないし、あなたが評価したり、やりやすいと思うトレーナーのやり方が必ずしもあなたの将来によいとも限りません。(♭)

Q.ヴォイストレーナーについて、多角的な視点をもつには。

A.トレーナーにもやり方、判断、それぞれにクセがあります。判断の仕方や歌の評価もかなり違うのです。好き嫌いも相性もあるでしょう。私は10人近いトレーナーと、いつも生徒の評価をつけながら、比べることからとても多くを学びました。トレーナーは、一匹狼なので、他のトレーナーを学んでいる機会はほとんどないのです。プロデューサーと仕事をしていたら、プロデューサー的な見方になるし、フィジカルトレーナーとなら、体を中心にみるようになります。いろんな人(特にプロ)と仕事をすることも大切です。さらに、同じトレーナーと自分を比べてみることも必要なことだと思います。(♭)

2017年5月22日 (月)

Q.複数のトレーナーにつくとよいはなぜですか。

A.一人のアーティストの作品しか聞かないと必ず、自分の歌が丸々と影響を受けていて、それがどうことなのかさえわからなくなるし、まねしていなくとも自ずとついたクセが抜けないというのと似ています。(♭)

Q.トレーナーを使える力をつけるためには、どうすればよいですか。

A.いろんなトレーナーにつくこと、そこから自分を知ることです。とても有意義なのは複数の観点をもてること、歌と声を別々に教えてもらうことでもよいし、声を2,3人のトレーナーに教えてもらうこともよいことです。

しっかりしたトレーニングをしたら、声は変わっていくので、その効果やよしあしは、異なる時期に急に他のトレーナーについてもわからないものです。ですから、最初から複数のトレーナーのアドバイスを受けたらよいのです。(♭)

Q.トレーナーとして一人よがりになるのを避けるのに、どのようにしていますか。

A.私は、トレーナーをプロデュースする立場ですから、その人にどのトレーナーが向いているかから判断します。その結果も、そのトレーナーより客観視できます。距離のある分、よりよくみえるわけです。

これは、トレーナー自身が見本をみせるのではなく、チーフのトレーナーをおいて、本人でなく他のトレーナーにを生徒の見本にして、等間隔でその二者の関係をみる方がよいというような考えです。私の場合、本などのCDも、私の指示の元にトレーナーが吹き込んでいるのです。私の立場は、トレーナーのコーディネーターやプロデューサーのようなもの、つまり、プロ野球であれば、ピッチングコーチや打撃コーチを束ねる監督のようなものです。このことによって、一人でトレーニングして、一人よがりにならないように、ついた一人のトレーナーによって、一人のトレーナーよがりになるリスクを回避できます。何人ものトレーナーに次々とつくよりも、最初に多くのトレーナーの中からあなたに合う人を一人でなく、複数選んでつけることが、どれだけメリットがあることかをわかって欲しいと思います。(♭)

2017年5月21日 (日)

Q.プロの歌手のトレーナーよりも勝ると思いますか。

A.私の立場は、私個人の好嫌を離れた無私です。多くの一流アーティストの感覚やすぐれた何人ものトレーナーの感覚を学んで、鏡となるのです。

プロの歌い手が人を育てられないのは、自分の作品世界=好みからみるからです。それを離れることができても、自分ののどのもつ感覚で、相手ののどを感じただけでそのまま教えるから、どうしても無理があるのです。(♭)

Q.声以外に何をみていますか。

A.フレーズのトレーニングで、その人の声からオリジナリティをみつつ、声にまだ力がなくとも曲全体から何か心に引っかかるところがないのかとみます。(♭)

Q.悪いところだけ、すぐ直してもらえますか。

A.そのときに悪いところを注意して、直して、その場しのぎでカバーしただけです。それに気づかずカバーもしていない人にそのことだけ教えては、却ってその人のためになりません。それをカバーしただけの歌で終わってしまうからです。

悪いところなど放っておいて、まずは、よいところ、武器になるところを見つけなくてはならないのです。それがすぐにパッと出てくることは、そうありません。長い時間がかかることもあれば、そう思っていたものが違う場合もあります。もちろん、それが目当てなら、細かく指導します。

トレーニングやレッスンによって、何もしていない人に勝ることはできますが、そうしてきた人に対抗できる力をつけるのは、並大抵のことではないのです。(♭)

2017年5月20日 (土)

Q.外側の喉頭筋群のストレッチについて、教えてください。

.運動する前に体をストレッチするのと同様に、歌う前や歌ったあと、日常的に喉頭の筋肉を柔らかくするためにもストレッチの習慣をつけてみましょう。

ただし、手で強くマッサージするのは禁物です。細い筋肉がたくさん(20本以上あるそうです)入り組んでいる部分ですので、自己判断で首の周りをマッサージしてしまうと、簡単に筋肉を損傷してしまうそうですので、ゆっくり温めて、繊細に扱うことが大切です。

簡単なストレッチをご紹介します。

・甲状軟骨(喉仏の場所)を、舌根の上下運動と連動させて、上下にゆっくしストレッチします。

舌根が下がり甲状軟骨も下がるときは「ア」、舌根とともに上がるときは「エ」の母音で声を出してみます。

ゆっくりと甲状軟骨を引っ張っている筋肉をストレッチすることをイメージしながら行います。

・あくびしたまま(口は閉じてもかまいません)、

ゆっくりゆっくり右を向いて5秒キープ。

再度あくびをしたまま逆の左を向いて5秒キープ。

ゆっくり行うことがポイントです。

声の立ちあがりの速い人、遅い人、筋肉や体の癖はさまざまです。声が出しにくいなと思ったら、無理をせずゆっくりストレッチすることからはじめてみましょう。

(♯ё)          

 

Q.曲を仕上げるための工程や大事なことを教えてください。

.一つの曲を仕上げるまでにもいろいろな工程がありますね。

音とりが完了したら、やっていただきたいことは、発声技術、曲の分析(音楽を感じること、自分の直感を信じて)、表現技術の三段階でアプローチしていただけたらと思います。

まず、詩を読んで曲のイメージを理解しましたら、音程を正確に取りましょう。自分の音が取れていても、楽器のハーモニーと合わせたときに、調和のとれた音程で歌えているかをチェックしましょう。ご一緒に歌う方がいる場合は特に気をつけます。単音でとるより、人の音を聞きながらご自分の音程を微調整していくことをお勧めします。

音程が取れたら、次は曲を分析しながら、フレージングを感じましょう。メロディーやハーモニーの移り変わりが詩の内容とともにどのようなドラマを作り上げているかを分析し、感じてみます。おのずとどのようにフレージングを作り、抑揚を作り、クレッシェンドやデクレッシェンド、フォルテ、ピアノなどを加えることなどが楽譜から見てとれると思います。

次に、もう一度詩を読んだら、詩と音楽を融合して表現つくりをします。わからない言葉、歴史、作曲家作詞家について、時代背景、なども加味しながら、この部分をこう表現しようなどを策を練っていき演奏に落とし込んでいってください。(♯β)

Q.アナウンスや文章を読むのに、プロとアマチュアの違いはどのようなところに出るのですか?

.みなさんは、テレビや映画などで聞こえてくる言葉に、上手いとか、いまいちだなと思ったり、どのような違いを感じますでしょうか?毎日日本語を話しているわけですから、だれでも日本語のセリフやアナウンスを読むことはできると思います。

ある、有名なタレントさんが、CMでアナウンスをされていました。最初にどなたが読んでいるのかわからずに聞いていたのですが、とても雰囲気を出そうと頑張っておられるのは伝わるのですが、やはり普段の発音のトレーニングがなされていないのか、語尾や入り組んだ言葉の発音がとても不明瞭でした。知名度に反して、技術が伴っていないとても残念な現象でした。ひとえに、日ごろの訓練の差だなと思いました。

みなさんに心がけていただきたいのは、発声の訓練を怠らないこと、音が支えられる身体をつけること、口の中も筋肉なので、つねに動かして明瞭な音を発する筋肉を身につけるべくトレーニングをすることだと思いました。

すべての音が抜けないで明瞭に聞こえることはまず基本中の基本の大事なことです。たとえ音量を抜いて小さい声で発声するにしても明瞭に聞こえなければなりません。こんな些細な練習が何になるのかなという積み重ねが大事なのでしょう。(♯β)

2017年5月19日 (金)

Q.レッスンで関わらない人に対して、コメントをいただけるのですか。

A.私はいろんな批評を求められても、レッスンでの先の可能性のないことについては言いません。どんな作品でもよいところはあるし、よいと思う人もいるし、そういう人とやっていればよいからです。私がアドバイスすると、私の立場からの基準を投影してしまうことになります。プロの歌手で、それを求めるというのなら、そういうアドバイスもよいでしょうが、トレーナーですから、よりよくなる可能性からみるわけです。(♭)

Q.レッスンでの可能性と限界について知りたいです。

A.何らかの欠点や限界があったとき、対処の仕方は二通りです。一つは、諦めること。これは悪いことではありません。うまくいかないところを表に出さないように、きちんとカバーするのであり、どんなプロもやっていることです。

もう一つは、それを克服すること。できないかもしれませんが、試みることは大切です。試みてできなければ、また考えればよいというのが、レッスンのスタンスです。(♭)

Q.トレーナーは歌をどう判断するのですか。

A.私はできる範囲でDVDやCDを預かります。何とかよいところをみつけます。頑張っている人なら、まずは認め、勇気づけたいからです。レッスンをする人には、悪いところも言いますが、レッスンによって改善できる可能性をみてはじめて何かを言うのです。悪く思われたくないから何か言おうとか誉めようとは思いません。(♭)

2017年5月18日 (木)

Q.売れる歌といい歌は違いますか。

A.違うとも思いますが、売れないからといって、いい歌とはなりません。世の中で売れるし、プロデューサーが欲している歌唱と、本人の体からしっかりと取り出している声とのラインが一致しないことも多いのです。そういうときに、ルックスがよく、器用な歌手はプロデューサーの路線にのっかって上手く歌うのですが、声の処理はうまく歌ったレベルくらいで、のど自慢のチャンピオンほどの声の表現力しかないわけです。音大で声楽をかじっておけば、ミュージカルで出演できるという日本の現状は、まさにそれを表しているわけです。もちろん、それだけでは長続きはしませんが。(♭)

Q.日本人の「二重性の中でのオリジナリティ」とは。

A.真似でなく、もっともその人らしい、つまりオリジナルな声にオリジナルな歌い方の上に、その人のオリジナルな世界が出てくる、それゆえ、それは誰にも完成度において真似しても追随できないというのが、理想です。欧米では、オリジナルの基礎の上に成立したオリジナルの表現しか認められません。真似くらいなら誰でもできるのですから。

ところが、高い声やシャウト一つに不自由し、また向こうからの文化をもろに受け入れて、向こうに似ていることのできる人がすごいという日本においては、また自分たちの民族の受け入れてきたものを省みずもせずに、日本の文化と全く切ったところに、今の歌をつくってきた私たちには、二重の意味でオリジナルな体の声のオリジナルな作品というものがとてもわかりにくくなっているのです。(♭)

Q.ヴォイストレーナーは、何をみるのですか。

A.その人ののど、体、性格などからその人の楽器に合った声を伸ばしていくことになります。それがバイオリンかビオラかによって、やはり根本で共通するものと異なるものがあります。体、呼吸、発声のベースあたりは共通です。しかし、音色やフレーズあたりになると、だんだんいろんな可能性と限界が出るし、ましてや歌い方になると、その人がもの真似で器用に真似られるアーティストの数くらいにいろんなパターンが出てきます。(♭)

2017年5月17日 (水)

Q.いくら話しをしても、「のれんに腕押し」感がします。

A.「馬の耳に念仏」「猫に小判」ともいうように、相手の欲していないものをいくら与えても、喜ばれない。聞き手が本当に欲しいことを話したら、話し方が少々稚拙であっても、人を引きつけるだろう。さらに言えば、相手の求める通りに話せば、「よい話だった」となる。それがそのまま話の目的であることは少ない。それ以上のことを出さなくては、聞き手は本当には満足しないはずだ。それこそが、話し手が判断し選ぶことなのである。(Э)

Q.話がうまくいったかどうかは、どうみるのか。

A.まず相手が何を聞きたいのかを察知する。判断は、それを演じたあなたでなく、聞いていた人に問われることだ。つまり、話は、聞き手によって判断され、価値づけられるものである。だからあなたは、その場の聞き手に合わせて、いつも話の内容や組み立て方を充分に考え、伝わったかを反省しなくてはならない。(Э)

2017年5月16日 (火)

Q.歌手とは、歌う他ことのほかにどういうことが必要ですか。

A.ステージングとして考えると多くの人と分担するので、そこから考えてみましょう。

衣裳、ファッション ―  スタイリスト、メイク、コーディネーター

振り付け       ―  振り付け師

音響          ―  PA、SE

アレンジ        ―  アレンジャー

作詞、作曲     ―  作詞家、作曲家

演奏、伴奏     ―  バンド、プレイヤー

もちろん、すべてが必要ではありません。表現のスタイルによります。それによって、声の必要性や方向、求められるレベルも異なってくるわけです。また、シンガーソングライターや自演(弾き語り)アーティストは、この多くを自分でやっています。(♭)

Q.プロ歌手に作詞作曲の力は不可欠ですか。

A.歌において、作品づくりの要素は、声の力と必ずしも一致しないし、こと日本においては、むしろ相反するくらいにかけ離れていることもあることが、とてもややこしい問題になっているのです。しかし、歌い手なら、自分かそのパートナーにbの力は不可欠なのです。逆にいうと、自分にその力がなくても優秀なパートナーや協力者がいればよいわけです。もともと歌い手は、声を使うプロで、作品やステージは他のプロに任せていればよかったのです。(♭)

Q.ヴォイトレにおいて、声と表現、作品の優先度については、どう考えますか。

A.大きく分けてヴォイトレには、a 声だけをみる、b 表現、作品(歌やせりふ、全身)から声をみると2つあります。もちろん、一人のトレーナーに両方が含まれることもあります。私はaの立場で、声だけをみたかったのに、仕事がプロデューサ-とプロをみるところから入ったため、bの立場で、作品の完成からみざるを得なかった時期が長くありました。研究所をたちあげたのは、aを中心にするつもりでしたが、bを独力でできる人が、特にヴォイトレに興味を示すようなメンタリティの人には乏しかったため、bを学ばせるメニュ入れざるを得なかったわけです。(♭)

2017年5月15日 (月)

Q.基礎となる声とは、何ですか。

A.最終的には、自分の豊かなイメージにそって、丁寧に繊細に扱える声ということになります。その条件として、体でコントロールできていることになります。動かない体は、最初は邪魔しますが、やがて動くようになると、声を支えます。この辺は他の分野と全く同じです。器を大きくするためにトレーニングがあるのです。

呼吸、発声、レガート、調音などは、その支えとしてあります。まして、発音、ビブラート、声域、声量、ミックスヴォイスなどは、その応用、もしくは派生したところにあるのです。トレーニングにおけるこうした位置づけを、忘れないでください。(♭)

Q.どんな声でも、心を込めて使えば通じますか。

A.伝わる可能性はあるでしょう。しかし、ステージでは、それをTPOに関わらず使い切れなくてはいけないのです。私が求めるのは、百発百中使い切れ、そして、百回に一回ほどは魔法か奇跡が、声によってもたらされるレベルです。(♭)

Q.ブレスヴォイストレーニングの本質は。

A.ブレスヴォイストレーニングは、声楽でなく、基本中の基本という意味でのクラシックです。出力の仕方によって、オペラでも演歌でもポップスでも邦楽でも、役者、噺家、そして日常にも応用できる、そういう基礎的な声づくりのことです。

たとえていうと、クラシックバレエの基礎レッスンのようなものです。どういうダンスにも有効だということです。バレリーナは、すぐにはラップを踊れないかもしれません。しかし、他の人たちと同時に、ラップを習い始めたとしたら、もっとも有利な体と感覚をもっているでしょう。それを私はプロの体とよびます。同じような意味で、プロの声というものがあり、プロの体があるということです。それを認めるところからが、スタートです。(♭)

2017年5月14日 (日)

Q.クラシックとポップスは、歌い方が違うのですか。

A.よくある質問ですが、違うのか同じなのかというにも、そもそもどのくらいの差を「違う」とするのか、「同じ」とはどこまで等しければよいのかさえ、はっきりしないのに、言えることではありませんね。日本人は、正誤問題が好きで、白黒をつけたがります。ただ、世の中のほとんどのことはグレーゾーン、程度の問題なのです。このことを、アートをやっていく人は、叩き込んでおいて欲しいものです。(♭)

Q.クラシックとは、何ですか。

A.私は、オリジナルの体の使い方と考えています。声楽には、歌唱とは別に、すべての発声基礎に純化したものがあると思っています。クラシック特有の高い声や大きく太い声、ひびく声は、確かに声楽をやって初めて身につくものでしょう。しかし、残念なことに、日本人の場合、声楽で身につけた声が演奏に使えていない、演奏と別のところでまわっていることが少なくないのです。それゆえ、市民権が得られていない。それが現状でしょう。つまりは、発声にしても身についていないのです。

私の考えるクラシックは、声楽そのものを指すのではなく、その中で声だけを、もっとも体から使えるようにしたもの、その人の体を楽器として音声を奏でたときの「使い方」というものです。ですから、これは声楽に限ったことではなく、あらゆる歌や声のベースになると考えています。(♭)

Q.一流の歌手や役者、それを育てたトレーナーにつきたい。

A.そういった方法やマニュアルでさえ、あなたの声に合っているかどうかを考えたとき、必ずしもベストのものとはいえないケースもあります。つまり、試行錯誤を繰り返し、自分自身で判断し、決める力をつけるために、人に就いて学ぶ、と考えた方がよいと私は思うのです。(♭)

2017年5月13日 (土)

Q.本番で緊張します、何とかできないでしょうか?

.本番というのは誰しも緊張しますね。一番の克服法は、誰に聞いても「練習すること」と答えるのではないでしょうか。何が起ころうと、多少のトラブルが起きても、ドキドキしていても、それに動じないくらい、体が自然に反応できるまで声の練習をします。

イチローや有名なスポーツ選手は、自分を本番の集中にもっていくためのルーティーンがあって、必ず毎回同じ工程をこなして試合にのぞむといいますが、歌手の中にも、ベテランになってくるとそのようなルーティーンを持っている方もいます。楽屋で、大ベテランが、本番前に、静かな声から声出しをはじめて、自分の体と結びつけるように、地道に、着実に練習している様を聞いたことがあります。どの分野でも、地道に練習ということが、まず第一なのかと思います。

それをやったうえで、以下のようなこともプラスアルファになると思います。イメ―ジトレーニング、呼吸法(4つで吸って、2拍止めて、8つで吐く)、ストレッチ、ツボ押し(手の平の真ん中、手首、腕)など。(♯β)

Q.だいぶ前に声帯を傷めて不調が続いてから声の出し方がよくわからない。

.お医者様からはどのように言われていますでしょうか?声帯にもう何の問題もないなら、以前同様しっかりトレーニングをなさっていけばいいと思います。声帯を傷めた後に、声を出すのを怖がって、恐る恐る出すあまりに、とても弱弱しい声になってしまう方が見受けられます。しかし、もう治ったということであれば、日ごろ何気なくお話をする声のトーン、思わず大爆笑してしまった時の声のトーン、これらで使っているレベルの声であれば何も問題なく出せているのですから、安心して、自分を信じて発声練習していきましょう。 

しばらく歌っていないで、久々に歌うと、声帯の周りの筋肉が筋肉痛のような状態になります。しかしこれは二~三日もすれば収まりますので安心してください。

単音のロングトーン、二音のボカリーゼ、ハミング、ウの母音などで喉に負担の少ない音量ではじめてみてください。もう治っているのだから、と自分を信じて少しづつ声を出せていた時の感覚を思い出しながら練習をしてみましょう。(♯β)

Q.ポジションが低いといわれました。

.声を喉のところで押しとどめたり、下あごで声を抑えてつけてしまったりする方をたまにお見受けします。声がお顔の下のほうに響いていて、頭蓋骨の方の響きを使えておらず、いわゆるポジションの低い声になってしまっているのです。

ではポジションの上げ方ですが、頬骨の下に拳骨を左右おきまして、下から上へグイッと持ち上げてみてください。鼻の両側や頬骨を持ち上げることでお顔の上半分、頭蓋骨の上半分を意識できるとおもいます。そしてお口を横に「イー」っと引いて、声を出してみてください。声が口蓋に近いところで響くのが感じられると思います

このような感覚で出していくと、ポジションを上げることができます。

さらに頬骨を上げた状態でお口を閉じて「m」とハミングをしてみてください。鼻の裏側に響くのを感じられと思います。m→イ→エ→アと少しずつ、口を開いていきます。この鼻の裏に当たっている感覚を失わないように慎重に開けていきましょう。そして、息のスピードを使って、さらに大きな声を出すときには、頭蓋骨に息を当てるようにして、ご自身の頭の上半分を響かせるように練習してみてください。(♯β)

2017年5月12日 (金)

Q.好きな歌手の、好きな歌だけを毎日、カラオケボックスで歌っていたら、プロになれるでしょうか。

A.多くの人は、それでは無理とわかっています。真似は、学ぶことの基本ですから、否定するわけではありません。楽器と違って、一人ひとりが別々に持つ声では、不安定要素、方法、プロセス、目的が本人に見合うのかなどが大きいから、気をつけなければならないということです。(♭)

Q.それぞれの分野別に、発声法についてどう考えますか。☆

A.日本では、ジャンルごとに何かしら、それっぽい発声の仕方、歌い方があります。マイクやエコーがつくと、その方がうまくみえて受けがよいので、器用で優秀な人ほど、真の技術とごまかしとを勘違いしてしまいます。それでプロになれる人もいるからです。

演歌やシャンソン、ゴスペルも、演歌らしい歌い方、シャンソンらしい歌い方、ゴスペルらしい歌い方、他のものもみんな、○○らしさが出て、パワーが落ちました。ロックも同じです。

真似はすぐに飽きられるのです。そもそもは、歌や発声にジャンルが出てくることがおかしいのです。真似るのは悪いことではありません。ただ、それは、すぐれたもののもつ素質を盗んで、自分のものにするためで、その表面でなく、徹底して感覚的な部分までを大きく読み込まなくては意味がないのです。(♭)

Q.宝塚に憧れています。誰を参考にすればよいですか。

A.トップスターをまねる方法は、あるレベルまで育てるには早いやり方ですが、気をつけないと、大切なものを落としてしまいます。そのようなことが、音大など、実際に至るところで行なわれてきました。憧れのスターをまねるのは仕方ないのですが、スターの歌い方は、まねた時点で失敗です。まねることができるなどという自体、そもそも嘘だからです。舞台も同じです。もっとも欲しい固定客を得たところから、今度はそういう観客の固定した評価でしかみられなくなります。観客を質よりも数で評価する日本では、やはりバラエティ化するのです。どの国もその傾向はありますが、徹底した実力主義、個人主義やプロデューサーのレベルの高さが、それを救っているなら、成り立ちます。(♭)

2017年5月11日 (木)

Q.どのトレーナーが自分の目的に合うのかわかりません。

A.声については、一人ひとり楽器が違います。持って生まれたものですし、育ってきた環境も違います。さらに表現したいことも違うはずです。先生といわれるトレーナーの声(発声)は叩き台や参考になっても、自分の目的としてあるものではないと考えてください。どこかに正解があると考え、自ら創造する努力をせず、トレーナーめぐりをしている人もあとを絶ちません。

 

Q.邦楽でのヴォイストレーナーの使い方とは。

A.トレーナーはそもそも自分の表現のためのサポーターにすぎません。その能力、才能を自らが使い切ろうとして、レッスンにのぞまなくてはならないのです。日本の家元制は、このような日本人にとっては、地位と秩序と集金手段を得るために便利なものでした。いわば既得権の継承方式です。師匠のまわりに集まり、裸の王様化現象がはじまるのです。そうなるとやがて衰退していきます。習い事のプロセスで、守破離というトレーニングからの自立がうまくなされないで、守だけで固まってしまうわけです。(ただ一つ、歌舞伎だけには、かぶくこと、つまり、古くから今の世まで、世界に例のないくらい革新者を出しているのを、私は日本人の希望としてみています。声については、邦楽、謡には確かな基礎がありますが、方法論がありません。それを確立しないことは悪いことではありません。ヴォイトレも補助として使えばよいのです)(♭)

Q.先生やトレーナーを見本にすることの限界はありますか。

A.日本では先生を手本に、まねしていきます。そうしている限り、その先生を越せないことが多いのです。先生というのも、日本では先に生まれてやったに過ぎないことも多いのですが、特に、海外へ倣えの時代の日本では、先に向こうに行って取り入れた人が、リーダーになります。しかも日本では、先生を上手に真似ることのできる人がとりたてられ、先生と違うものを生み出す人は、認められず無視されがちです。

やるべきことは模範を示すのでなく、踏み石であるべきです。私などは、その役割としてやってきたつもりです。それを勝手にまつりあげ、模範としてしまい、自分たちがやれなければ、間違っているとこき下ろす。

見本のまま、まねていくという、依存方向から始めるのは、声に関しては、注意しなくてはならないところです。(♭)

2017年5月10日 (水)

Q.声のよさに個性はあっても、優劣はないとしたら、どこで判断するのでしょう。

A.声そのものの次の段階で、声の使い方や機能的なチェックというのがあります。歌なら、発声や歌い方のことです。役者なら、せりふ、言い回しです。アナウンサーなら、アクセント、イントネーション、発音と、それぞれに訓練があります。ここでの判断は明確です。しばしばヴォイストレーニングの判断そのものとも混同されています。(♭б)

Q.個人の声の評価ってあるのですか。

A.声楽なら評価もありますが、個人の声については、基準は設けられていません。顔や体型やファッションほどの研究もなされてこなかったのです。

大切でないから? ではありません。わからなかったからです。(♭б)

Q.声は生まれつきですか。

A.多くの人は、声のよさは生まれつきと思っているかもしれません。しかし、それは楽器としての部分にすぎません。よしあしといっても、これは体質などと同じく個性です。まれに不良というか、医学的な解決が必要であったり、直りようのない楽器を持った人もいますが。

(♭б)

2017年5月 9日 (火)

Q.声が大きいと言われています。

A.大きく声が出るのは、楽器としての物理的特性からみると、出ないよりもずっとよいこと、恵まれていることです。これもトレーニングの目的として目指す結果の一つになります。どんなによい歌も、せりふも、目をつぶって心にひびいてくるなら、それは胸にひびく、鼓膜にひびく音波を出すところです。そこから、空気中を伝わる振動を効果よくつくっておき(発声と共鳴)、それに表現をのせるというのは、変わりないからです。そのための体づくり(声づくり)がヴォイストレーニングなのです。(♭)

Q.パワーは、大きな声からですか。

A.大きな声というのは、誤解されやすい表現です。必ずしも大きな声が遠くまで聞こえるわけではないからです。ですから、私は、通る声を目的にしています。つまり、ヴォイストレーニングを通じて、得るものは「通る声」であるということです。どんなに弱く小さくとも、大きなイメージ、表現力に結びつくコントロールされた声というハイレベルな技術です。そこには伝える声、伝わる声であるというのを含んでください。伝えようとしてトレーニングしているうちに、伝わるようになってくるというのが理想かもしれません。(♭)

Q.音響技術が声に与えるメリットとは何でしょうか。

A.大きな声が第一条件として必要だった、かつての役者や歌手などに、音響技術は別の可能性を与えてくれました。つまり、大きな声が出なくてもよい。トレーニングで大きな声にしなくても、よいということです。声は届かないと、伝えられませんから、どんなに声がよくて味があっても、舞台では、届くことが第一条件だったのです。(♭)

2017年5月 8日 (月)

Q.日本人の歌がパワーを失ったのはなぜですか。

A.たとえば、鼻声くらいの声量の歌も、扱えるようになったということなのです。昔は向こうのパワー(プロ=日常のパワー)にあわせようとしていたのが、日本人のローパワー、ローテンションでも、作品化が可能となったということです。これは、しぜんといえばしぜんなのです。しかし、私は、それなら質を保って形も半オクターブ、15秒くらいにするべきだと思うのです。(♭)

Q.体や息や声も徹底してたトレーニングをするのですか。

A.直接の目的は、パワフルで耐久力のある声をつくることです。真の目的は、すぐれたアートを生むために必要なハイレベルの、繊細でていねいな、声を完璧に扱える技術を身につけることです。そうでなければ、腹式呼吸も、発声トレーニングも不要になります。詩と曲を作れば、誰でもすぐに歌える時代ですから。

その人の日常の呼吸、声が表現に使えるレベルにならなくてはなりません。カメラやマイク、音響技術の発達において、顔や声の力の不足が補われるようになったというのは、一対多に向けて大きなパワーを必要としていた個人の力が、いろんな技術を使うことで、一対一のレベルでも、伝わるようになってきたということです。

私はトレーニングでは、パワーアップを計ることを目指しています。1オクターブ半で、3分間(正味1オクターブ1分間)の歌をもたせる最低条件だからです。もう一つは、オリジナル性に裏打ちされた芸術性の獲得のためです。(このために、確実な再現のための耐性が必要です)(♭)

Q.プロを目指すわけでないのですが、対応できますか。

A.目標を高く掲げないと、歌や声というのは、迷ってしまうものです。今のあなたでも、見せ方を工夫したり、つくり込みをしたら、プロの声や歌にみせることもできます。技術(音響、照明、装飾)の発達こそが、声の地力を奪ったといえるのです。(へたな人ほど、ましに聞こえてしまうカラオケを思い出してみてください)(♭)

2017年5月 7日 (日)

Q.日本が声の弱小国であるなら、聴衆の聴くレベルをあげなくては、芸も育たないのではないでしょうか。☆

A.アーティストがそんなことを言っては終わりです。聴衆が納得するレベルでなく、感動するレベルでやる、少なくとも、それをめざすべきです。日本のあまりに優秀なハード技術陣は、それをカラオケ機器というもので表向きに解決させてしまったのです。舞台やレコーディングで使われる、世界でも最強の音響技術が、誰のどんな声をもフォローしてくれます。だからこそ、ヴォイストレーニングは、現状を踏まえつつ、日本の今の舞台で問われているよりもはるかに高いレベル(ブロードウェイ、グラミー賞)を念頭に、独自のやり方を模索するべきだと思うのです。(♭)

Q.日本人の耳の力のなさとは。☆

A.バレエやダンスで世界のトップクラスにいく日本人が何人もいながら、声や歌の世界では、プロと言いながら、いまだ恥ずかしいくらい世界のレベルにおいていかれているのはなぜでしょう。音響装置の発達で、音をかなりつくりこめるようにもなって、それを利用し頼ったこともあります。聴衆にも原因はあります。こういうことにさえ、気づかずにいること自体が重大なことなのですが・・・。(♭)

Q.演出家と声の評価は一致しますか。☆

A.目にみせる方が、声や音で変化させるよりも、ビビッドに反応する日本の観客に対しては、演出家は、声よりもビジュアルの効果をとるでしょう。(私も演出家の立場であったらそうするでしょう)実際そのようにしたからこそ、ミュージカルでも、ダンスのレベルは向上したのに、声は置き去りにされてしまったのです。(♭)

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2017年5月 6日 (土)

Q.英語の発音をかっこよく歌うには?

.日本人がまず、英語の歌を歌うときに気を付けたいことは、日本語と英語の母音の違いに着目することだと思います。

「ア」母音一つとっても、英語の母音は単語によって数種類の「ア」が存在します。「明るい、開いた感じのア」「暗い、閉じた感じのア」「エに近いア」「あいまい音のア」など、が存在します。

あいまい母音の「ア」(eをひっくり返した発音記号で書かれるもの)も、ネイティブの発音をまねてみると大変英語っぽくなります。

「ウ」は特に要注意の母音で、日本語の「ウ」は西洋言語の「ウ」とはそもそも発音が異なります。少し深く口を構えて発音するのが西洋言語の「ウ」で、日本語の「ウ」は口の中が「イ」に近くとても狭い響きです。

これらの発音の練習方法としましては、英語の歌詞をノートに書き、その下に発音記号を書きます。発音記号に慣れていない方は、その記号がどいう言う音なのかを、ネイティブの歌唱から聞き取って覚えます。

多少面倒くさい上に、お勉強のようですが、この作業をすると、しないのとではだいぶ発音のクオリティが変わってきます。何度もネイティブの英語と、自分の英語を聴き比べて、ご自身の耳も養いながら、練習を重ねてみてください。(♯β)

Q.鼻声を指摘されます。なぜか速いテンポのときに注意されます。どうしてなのでしょうか?

 

.鼻声のことを、一般に音楽用語で「ナザーレに」といいます。ナザーレになってしまうのは、いろいろな原因があると思いますが、速いテンポのときに、鼻声になるとのことですね。おそらく考えうることは、支え不足であるということです。

 

本来ならば、声帯で作られた原音を、肺からでる息で振動させて声が発せられ、その際に、下腹で、よく体を支えて、息を思いきり、コンスタントに息をだすことが重要になると思います。

 その支えがないと、体のほかのところで支え始めます。鼻声にするのも、息が足りなかったり、支えが足りないときに、起きうる現象かと思います。確かに鼻にかければ息の浪費を避けられたり、自分の近くに声をとどめておけるので安心できるという利点があるのかもしれませんね。初心者にはあえて、鼻先を意識させて、そこに音を保つように訓練するケースもあります。でも、鼻声を指摘された以上は、もうそこから卒業するときなのかもしれません。一度ニュートラルな場所で声を出していきましょう。(♯β)

Q.歌っていると、よく背中を意識するように言われます。これは何のためなのでしょうか?

.人間は目が前についているためか、体の前側にはとてもよく意識が届くようです。腹式呼吸でお腹を膨らますなどは、慣れてくると、みなさんとてもよく、お腹を膨らませて呼吸ができるようになります。しかし人間は、平面でできているのではなく、立体です。横隔膜もお腹も360度、後ろまでつながっているのです。

もし前側のみ意識して歌ってしまうと、後ろの共鳴空間が使えなかったり、息が背中側に入ってなかったりと、もっと拡張できるのに、ご自分で制約を設けてしまっているような状態になっている方もいるかもしれません。

息を吸うときに自分の背中にも手を当ててみて、ここにも呼吸が入ってきていることを感じてみてください。

次に、鼻の穴を片方だけ閉じて、ハミングします。ご自分の顔回り、首、胸、背中に共鳴しているのを感じられると思います。低音、中音、高音、いろんな音で響きを感じてみてください。

ご自分の背中も味方につけれると、とても強みになると思いますよ。(♯β)

2017年5月 5日 (金)

Q.歌は声だけで判断してよいのですか。☆

A.私は、トレーナーとしては、まず音の世界の中だけで厳しく声の世界を判断します。ミュージカルや演劇関係者からは「舞台を歌だけ、ましてCDで判断されては困る」と言われるかもしれません。声は、役どころや状況の中で使われるからです。表現(全体、視覚効果も含めた表現力)と、声(部分、楽器、音声)とを完全に分けて扱うべきです。「声」はヴォイストレーニングを中軸としています。表現と声を区別しないと、付け焼刃な指導になりかねません。(♭)

Q.声の特徴について教えてください。☆

A.声はみえません。音声は、聞こえないところでは働きません。ヴォイストレーニングでパントマイムの役者を引き受けたことはありませんが、あればおもしろいし、意味もあると思うのですが。あの動きを声でやってみるのです。(♭)

Q.トレーニングとしては、声についてどう考えるのですか。☆

A.私は、少なくとも最悪の状況において、そのギリギリに耐えうる声でありたいと思っています。それゆえ、もっぱら鍛えることに重点をおきます。最低レベルを上げるために、目的とするレベルは最高に高めておきたいと考えます。そうしないと、トレーニングの目的そのものも曖昧になるからです。

 現に、作品や舞台を構成するさまざまな要素を、重要度の高い順に並べてみると、声というのは必ずしも優先すべきものでなくなることがあります。ビジュアル系やダンサブルなバンドにおいては、ヴォイストレーニングの重要度は、声での表現力がすべてという歌い手よりもずっと下がることになります。だからこそ、演じる個としての主体性が問われるのです。(♭)

2017年5月 4日 (木)

Q.役者は、舞台で通じればよいのではないでしょうか。☆

A.それでは、最低ラインさえクリアしていれば何でもよいとなりがちです。全体のレベルが低いと、あるいは他のことが優先されると、声はいつまでも後回しで、鍛えられも磨かれもしません。そこでは、声の磨かれる条件の比較的整っている人は、無理した発声や舞台でも、積み重ねていくうちに声が鍛えられていきます。しかし、その条件の整っていない人は、いつも声をつぶしたり、荒らす人として出てきます。鼻にかけたり、顔面だけ響かせたりして、声をマスターしたつもりになっています。トレーナーにもこういう人は多いです。

この傾向は役者だけでなく、声楽家や一般の人のなかでもみられます。ヴォイストレーニングにくる人の多くは、うまくいかないからくるのですが、多くのトレーナーは、自分と同じタイプにして、上達させたと思っています。(特に声優、ナレーターやヴォーカルスクールに多いです)これは、プロやトレーナーが、個別のまったく違うはずの声(という楽器)を、自分の体験だけから自分を手本に、指導するからです。声の条件が整っているかどうかも、簡単には見分けられないのですが、すごく整っている人では、大してトレーニングしていないのに、よい声、深い声、ひびく声をしていることもあるのです。(♭)

Q.ヴォイトレのうまくいく人、いかない人とは、どういう違いがありますか。☆

A.トレーニングのモティベートのためにも、ある程度は、早くトレーニングの効果がみえる方法も入れています。

体から息、息から声ということを考えますが、それと同時に、舞台で必要な声、それを支える息、それを支える体という方向でも考えてもらいたいと思っています。アウトプットする必要に応じて、技術を磨くべきであり、そのためにあるのが、トレーニングだと思うからです。両極を両方向で行き来できる人が、うまくいくタイプです。(♭)

Q.ことばの力中心で、ずべて伝わるのですか。☆

A.ことばのない感嘆詞、悲鳴、怒声などにも、また音楽的演奏力、声を楽器として捉えたときのノンバーバル(非言語的)なものでも伝達できなくはありません。しかし、ともに状況において、ごまかしが効きやすいのです。ですから、マイクなど、まず、音響技術の補助を除きましょう。声とことばを分けてみるとよいでしょう。

以前、ある有名な劇団の群読を聞いて、その声の力のなさに、愕然としました。基礎を学ぶのなら、沈黙した空間でのモノローグにベースをもってきた方がよいでしょう。そこに台詞(せりふ)一つで、声一つで表現を生じさせます。そこで感じては修正して磨いていくべきなのです。声の力とともに、それを判断し修正できる力をつけていくのです。

※群読:皆で合わせて朗読、語る芝居(♭)

2017年5月 3日 (水)

Q.日本語の訳詞は、とても短くなるように思うのですが。

A.従来の訳詞(日本語訳)では、一音符に一音をつけるようにしてきたためです。原曲での詞の内容の量が日本語の訳詞をつけると、半分くらいになります。

一つの音符で、ベルとなっているところを、「ベ」とつけて、次の音符に「ル」をつけていたら、二倍の長さになります。すると、いくらうまくつけても、一曲の内容は半分以下のことば数になるのです。

一音節に一音でなく、一音節にいくつかのことばをつけてられないのですが。

最近はその傾向があります。つまり、音節と拍を同じように処理しようということです。

外国語をすべて音として聞くのなら、日本語もそのように聞いてよいはずですから、音でつけていけばよいのです。

そうでないから、日本語の歌は間のびしてしまうのです。ミュージカルや日本語オペラがときに退屈で、いかにもわざとらしくおかしいのは、歌い手の技量とともに、この一音一音符主義のせいもあります。その分、内容も薄まってしまうのです。(♭ф)

2017年5月 2日 (火)

Q.伝わるかどうかの判断は、どうするのですか。☆

A.伝わるかどうかは、第一に母国の言語で表現してみることをお勧めします。日本語であるからこそ、日本人としてわかるからです。発声ということなら、外国語、たとえばイタリア語から入るのもよいでしょう。声楽も、人間の声を出す原理に基づいた一つの理想の方法として使えます。しかし、表現というのなら、伝わったかどうかの判断は、母語、つまり、毎日の生活に使っていることばで行なうべきでしょう。(♭)

Q.向うのものなら、まねられたらよいのでないでしょうか。☆

A.輸入した文化や技術ということなら、その形に足元をとられないことが大切です。自分の述べることばの声の力をつけて語りましょう。それで相手に伝え、伝わるようにし、相手の心を動かしましょう。それが表現の基礎です。これは、音響技術のサポートのある芝居や歌の舞台ようにはごまかせません。まわりにも自分にも、声で、はっきりと伝わる度合いがわかります。だから、トレーニングの前提になり、基礎になるのです。(♭)

Q.言語の表現能力は必要ですか。☆

A.私は、舞台に立つ人は声楽家であれ、声優、ナレーター、アナウンサーであれ、発音や歌唱トレーニングの前に徹底した言語対話能力をつけるように強くお勧めしています。表現から考えると、パフォーマンス能力、ボディランゲージなども必修です。舞台といえども、日常の経験上のテンションの高まった部分のダイジェストにすぎません。生活での生の感情や思いが、発声や歌唱の技術に負けてはなりません。日常の感覚と舞台が一体化してこそ、真のリアリティが出てくると思うからです。(♭)

2017年5月 1日 (月)

Q.海外の人との声の力の差はどこに根ざしますか。☆

A.外国人が日常で生活しているなかでやっていることが、日本人にとっては演劇の養成所で習得すべきことだと言ってもよいでしょう。外国人は20歳で20年のヴォイストレーニングをやってきているように私は思っています。それに、表情トレーニング、ボディランゲージも加わっています。聴音トレーニング、発声、発音、調音トレーニングもやっています。

日本人は、難しいといわれる日本語習得において、それらをやってきたと思われるかもしれません。しかし、日本語は読み書きは難しいのですが、音声は幼稚園に入るまえに両親などから教えてもらっただけで賄えます。英語などを学ぶまでは、日本語(共通語)の発音練習などやっていないでしょう。それで間に合ったからです。(♭)

Q.言語能力が身についていないと思います。☆

A.少し大きな声で、強く言い切ると角が立ちかねない、大人げのないと思われる日本では、常にあいまいに語尾を濁し、うやむやにします。

このような日本人のコミュニケーションの仕方は、見方を変えると、言語を介さない腹と腹との高度なコミュニケーションといえるのです。ただし、論と声をもって説得する必要がないため、言語能力は磨かれません。必要のないものは衰えていくものです。そこには、日本語の特性も、日本の風土、住環境、気質も大きく影響しているのです。それゆえ、舞台のためには、外国人が日常レベルで得てきたことから学ばなくてはなりません。舞台では、対話、説得を必要とするのですから。(♭)

2017年4月30日 (日)

Q.日常のコミュニケーションにおいて、海外との差はどこに感じますか。

A.対話においては、まず自分の意見を一方的にまくしたて、お腹から息を出し、強くメリハリをきかせて言い切っていかなくてはいけません。一つの持論を、それなりの長さで言い切るまで、聞き手は黙って待ちます。日本人のように、途中で投げ出しても相づちを打ってくれません。そこで、おのずとお腹からの呼吸をベースとした腹からの深い胸声が中心となります。姿勢、発声、呼吸の差も、ここから考えるべきです。(♭)

Q.日本人が音声での表現力に乏しいのは、なぜでしょうか。

A.日本では、農耕生活のため、長老政治の封建的な身分制度、家族制度が背後にあり、村長、父、長男の言うことが絶対、議論の余地はありませんでした。そこでは、ものを言わなくても通じたのです。相手が異なる意見を持っていることが前提の、異民族の混合社会を主とする外国では、コミュニケーション手段として対話が中心でした。たとえ兄弟であっても、自分の思うところを説き、その論によってジャッジする教育がなされていたのです。つまり、音声言語表現力として、家庭でも学校でも、教育されていたのです。それは今で続いています。(♭)

Q.日本人の主張、説得の力のなさとは、どういうことですか。☆

A.日本には「会話」はありますが、「対話」はないと、よくいわれています。舞台やTVでは「対話」が必要です。簡単に言うと、身内では「会話」、第三者に伝えるのが「対話」です。これは日本語にはないので、つくらなくてはならなかったのです。日本人は、内の人には何も言わなくとも以心伝心です。外の人も、入り込んだ話をするときには、内の人になります。そして、全く外の人(ヨソさま)には話をしません。対話する必要性がないのです。一方、外国人は、身内でも対話をするのです。対話というのは、持論で論理的に説得して、相手を自分の意に従わせようとすることを目的とするものです。コミュニケーションのあり方からして違うのです。(♭)

2017年4月29日 (土)

Q.外国人との発声の違いは何ですか。

.外国人と一口に言っても、人種・民族・国家の違うさまざまな外国人の発声があるので、その違いもいろいろです。昔からよく言われているのは、日本人の声は浅い、あるいは、口先だけを使っているということでしょうか。特に英語圏の人々に比べれは、確かに浅く、口先だけに聞こえます。30年ほど前になりますが、まだオペラ歌手の勉強を始める前に、私は芸能山城組という日本人だけの合唱集団で、バリ島のケチャという合唱芸能?を模倣して、渋谷公会堂で演奏しました。なかなか楽しく充実した演奏ができたのですが、バリ島の人たちが演奏する本物のケチャの演奏の録音と、私たちの演奏を聴き比べたときの衝撃は、今でも忘れられません。練習のために、ずっとバリ島の人たちの録音を聴いていたので、「チャカチャカ・・・・・・」と軽快でエネルギッシュな合唱演奏を再現しているつもりだったのですが、われわれの公演の録音は、それとは似ても似つかない、重く暗いこもった声だったのです。もちろん、エネルギッシュではありましたが。(冷静にバリ島の録音を聴くと、現地の一人一人の男性の話し声がかなり甲高く細いことに気がつきました。ケチャには音程のしばりがなく、それぞれの好きな音程で「チャッチャッチャッ・」と、決められたリズムで声を出すので、自然に出しやすい声・音程を使うことになります。)

ですから、外国人・英語圏の人々よりも、浅いというよりは深くなく、こもり気味というのが一般的な日本人なのだろうと思います。 (♭Ξ)

 

.発声上の大きな違いは2点だとおもいます。1点目は

言葉を伸ばす文化かそうでないか。

日本語は「ヤッホー」や「おーい」などの掛け声や表現として伸ばさない限りは音をのばしません。例えば

「今朝7時に起きて、朝食にご飯とお味噌汁を食べて、8時に電車に乗って、渋谷から新宿に移動して…」のようにどこも伸ばしません。しいて言えば「朝食」の「う」を伸ばすように使うか使わないか位ですね。これが少なくともアルファベットを使う国では音を伸ばす習慣がとても多いです。日本語のアクセントは「強い」ではなく「高低」です。しかし外国語のアクセントは伸びることが多いので日本語が堪能な外国人の方でも「おーはようございまーす」みたいな言葉になるのはアクセントの違いがあるからなのです。音を伸ばさない文化の我々と音を伸ばす文化の外国人とでは音の感じ方捉え方が違うのは当然なのです。

2点目は日本語は子音が多く日本人自体も喉を高くして喋りたがる傾向にあります。喉が高いというとわかりづらいと思いますが典型的な声が「エレベーターなどでの案内の声」「焼き芋の宣伝カーから聞こえる声」「山手線の車内アナウンス」などでしょうか。少し鼻にかかったような声が喉に負担をかけない声だと思いがちになってしまうのでしょう。

しかし外国人の声のレベルからいくと日本人の声は子供近いのです。もっと低い声のポジションが外国人の日常だと思います。(♭Σ)

 

.外国人との発声の違いは、まずは言語の違いによる口の周りの筋肉の使い方、舌の使い方からくる口腔内の状態にあります。日本語は大きな母音があ、い、う、え、お の5つしかなく、それに子音を組み合わせて言葉を発音します。ですので、舌の動きがあんまりバリエーションがないため運動不足というべきでしょうか?! 英語もドイツ語もイタリア語も日本語よりたくさん母音も子音もありますので日本人が外国語を歌うと舌の動きが不自由になる傾向が強いです。口腔内も同じことで、口の奥にある軟口蓋が上がりきらないので発声で差が出ます。(♯Δ)

 

.外国人の中でもとりわけ欧米人と日本人との大きな違いは、身体の大きさや骨格(特に顔)の違い、母国語の発音の違い、だと感じます。身体の大きさに付随して、身体の出来上がり方(成長度合い)も違います。例えば1620歳の欧米人と30歳前後の日本人が並んでみたとき、圧倒的に彼らの方が身体が使えていてパワフルなのです。一方日本人の身体はまだ成長段階というところです。そして顔が大きい、頬骨が高いなども声を響かせやすい要素のひとつと言えます。

また、外国語は日本語に比べて圧倒的に子音を多く発音します。子音に助けられて母音も前に出てきやすくなることを踏まえると、外国人はその言語を日常的に使っているので(普段から発音の位置を整えているとも言えるので)発声的にも効率がよいです。しかし身体の使い方、発声のポジションこのどちらも積み重ねの努力によって補うことができますし、日本語の素晴らしさもありますので、ただの違いであってどちらが優れているかという話ではないと個人的には捉えています。(♯α)

 

.我々日本人と外国人(ここでは英語を話す欧米人ということにしましょう)では、骨格が違います。骨格がしっかりしていれば、声はより一層共鳴しますし、呼吸も深く長く使えます。筒の様な胴体や凹凸のある顔の骨格は、華奢な日本人にとってみればうらやましい限りです。

さらに、使っている言語の周波数が違います。日本語は舌を使わず、息もあまり出さずに喋れる言語です。しかし英語は舌や唇をたくさん使う言語ですし、また子音で終わる単語も多くありますから、息をたくさん使って話すのです。

ある本で読んだことがありますが、これらの違いは古くからの文化にも関係があるそうです。日本人は着物で生活していました。体に帯を巻きつけて締め付けていることで、呼吸は浅くなります。そして、女性について言えば、3歩下がって後ろを歩き、大声で話したり大きな口を人前であけたりすることをはしたないと言われてきました。控えめで奥ゆかしいことを善しとしてきましたので、これでは自分の体から十分な息を吐いて、はっきりしゃべるということは到底できません。こういった歴史も関係しているとその本には書いてありました。

また、文法の違いもあるようです。主語→述語→目的語、という仕組みの英語は、先に自分の意見をはっきり述べますが、日本語の場合は、主語→目的語(が延々と続いて)→述語に来たときにはなんとなく、口の中でもぞもぞ言っておしまい、なんてこともあります。自分の意見をはっきりのべず、話の終わりをはっきり告げない、これでは息が使いきれずに終わってしまいます。

まだまだ挙げればきりがありませんが、このようなことが欧米人と日本人の発声の違いのひとつであるのです。(♯Å)

 

.一言に「外国人」と言っても様々な人種がいますので、一概には言えませんが、特に「欧米人」と比べた場合、日本人の発声というのは「非常に浅いものである」と私は思います。では、「なぜ、日本語は浅くなってしまうのか?」ということですが、そもそもの違いは「言語」によるものです。その中で、影響を受けやすいのは、「母音の発音の位置」と「言葉のフレージング」、そして、「コミュニケーション」だと思います。

数ある言語の中で、発声上、もっとも適している言語はおそらくイタリア語だと思います。そのイタリア語に比べて、日本語の母音の発音の位置というのは、基本的に浅くて前の方にあります。もう一つ大事なこととしては、「呼吸の浅さ」ということが言えると思います。これは声楽を経験すればわかると思いますし、管楽器などを経験した人も、呼吸について指摘されることが多いのではないでしょうか?それほど、日本人というのは、「吸えない・吐けない」民族なのです。「大声を出したら迷惑だからダメ」という風習からか、欧米人と比べると、基本的な声のボリュームの違いを実感することが多いのではないでしょうか?彼らの方が、呼吸の運動をよく行えていると思います。 (♭Я)

 

.外国人と日本人の発声の違いを考えると、その骨格や、言語の特徴などから明らかな音声の差異があるのではないかと考えます。もちろん、外国人でもボイストレーニングをしている人としていない人では発声に関しては大きな違いが出てくると思います。

そこで、各国の言語や音声の違いに着目していただきますと、聞こえてくる音声の印象の違いを比較してみると、違いは明らかではないでしょうか?日本と近い国から見ていくと、韓国、中国ですが、大陸の声、骨格は日本とは大きく違うなと感じることがあります。日本人のような柔らかい喉、上下に動きやすい咽頭に比べて、もっと強いピンと張った音がする気がします。

学生のときに留学生同士で話していたときに、中国人の話し声が、一番うるさい留学生の中で話題になったこともありました。土地の広さ、国民性も影響するのでしょうか?中国、韓国の方の声は、日本人の声に比べて金属的な響きに感じます。それは楽器を見るとても興味深いことが分かります。その国の人の声に似せて、その国の民族楽器が作られてきたという説があります。例えば日本の伝統楽器の筝や三味線は弦は絹ですが、中国の古筝の弦は鉄でできています。

更に南下して、ベトナム、タイ、ミャンマーなどの東南アジアは、日本人よりも骨格の華奢な方が多いように思います。(これはヨーロッパも同様で、北欧の方々は壁のように大きい方が多く、南の方は比較的華奢に感じます)言語も、とても柔らかい音声が多く、鋭い音声よりも、音を飲み込むようなとても特徴的な母音さえあります。民族楽器奏者とも、よく共演しましたが、必ずマイクを通さないと聞こえない小さい音の楽器がほとんどです、改良されていないといこともありますが、それも含めて、彼らの発声や音声の好みに依拠しているのではないかと思います。ちなみに外国人に日本語のニュアンスを真似させると、大変平べったい「ペチャペチャ」という感じの音と指摘されたことがあります。

次に、西洋人と比較してみましょう。クラシックの歌手は、初心者は大抵イタリア語の曲から始めるのですが、イタリア語話者の音声を聞くと、日本語のそれとは全く違うことに驚かされます。マスケラと呼ばれる、顔の表面にとても響いており、音声も鋭く、喉に落てこもったような音声ではありません。頭蓋骨に振動したような響きを持っています。ある種、薄い響きのように感じます。母音は日本語のように口を立てに広げて、響きが喉に落ちることはなく、頭蓋骨の前上のほうに響き、日本語より上に響いているように感じます。口も横に開いているように感じます。

ドイツ語話者は、もっと深い音声のように感じます。イタリア語が母音がとても強調されて聞こえるのに比べ、ドイツ語の子音のストレスのかかり具合は、より強いと思われます。そのため子音の息で、母音が導かれるように発音されるため、息が強かったり、子音の影響を受けた音声が多いです。

フランス語に特徴的なのは尾母音と曖昧母音ではないでしょうか。鼻に掛けたまま発音し、けして音を開放させません。「アーン」「オーン」「エーン」の三種類がありますが、どれも鼻に掛けっぱなしです。曖昧母音も歌にはとても乗りにくく発声しにくい母音です。フランス人にいいオペラ歌手はいないというようなブラックジョークがあるくらい、フランス語に特徴的な発音があります。(♯β)

 

.まず外国人といいますのは、ここは日本ですので、日本人以外の国に居住している方々、出身の方々を指します。外国人と言いましても日本以外のアジア諸国、中東諸国、ヨーロッパ、北米、南米などさまざまな地域の方々がいます。

私はこれまでイタリア、ドイツなどヨーロッパの作品(オペラ、歌曲)に多く触れて来ました。そのため、今回はヨーロッパ人(主にイタリア)に焦点を絞り、日本人との発声の違いについて述べさせていただきます。

ヨーロッパなどの諸外国人と日本人は、まず骨格が違います。体格の大小はともかく、頭蓋骨の違いがあります。日本人は頭蓋骨の後頭部が比較的平らです。それに対し外国人は後頭部に膨らみ、広さがあります。

よく歌のアドバイスで「後ろを開けて」ということを耳にしますが、外国人はこの後頭部のおかげで日本人より自然と後ろが開く構造になっているのではないかと思います。日本人は後ろを開ける意識を高く持つ必要があります。

次に、母音の深さの違いが考えられます。特にウ(u)とオ(o)です。日本人は浅く、外国人は深いです。サッカー中継のブーイング(booまたはbuu)一つにしても違いが明確です。日本のブーイングは、ウの母音が浅く迫力が欠けるのに対し、ヨーロッパ諸国のブーイングは、uの母音が深く威圧感を感じます。ヨーロッパなど外国の歌でレッスンを受ける時によく注意を受けることは、ウ(u)、オ(o)の母音の深さです。

もう一つ考えられますことは、話す時の高さの違いです。日本語の言語、会話の高さが大概鼻より低いことに対し、諸外国の言語、会話の高さは鼻より高いところにあります。響きの高さの違いとも言うのでしょうか。よく「イタリア語が歌に適当な言語である」ということを耳にするのも、このことが当てはまると思います。

以上、骨格の違い、母音の深さの違い、言語の響きの高さの違い、この3点が外国人(主にヨーロッパ人)と日本人の発声の違いであり、外国の作品を勉強する際に特に気をつける点であると考えました。(♭й)

2017年4月28日 (金)

Q.演じる声のふしぜんさは、なぜ消えないのですか。☆

A.そのふしぜんさは、映画の吹き替えやアニメの声優、子役相手の番組の声などにはあたりまえのようにみられます。アナウンサーもレポーターも、あまりしぜんには思えません。そう考えると、部下の上司へのおべっか声も、主婦の電話の話し声や、先生と話すときの声まで、嘘くさく聞こえてきます。

それは、日本人にとっての音声風土とみることもできるかもしれません。少なくとも、日本人の声の使い方は話し方として大衆に向かうものではなかったからです。それどころか、はっきり明瞭に強い音声表現を使わないのが、マナーとされてきたようなものです。私は、日本は音声表現を嫌う国なので、役者の養成所にでも行かなければ、欧米人の一般レベルの音声言語表現さえつかないと言ってきました。日本人に欠けているもの、それは呼吸法や共鳴法の前に、音声言語表現力です。これに聞く力も大きく関わっています。両方とも鍛えなくてはなりません。(♭)

Q.どういう歌がよくないのですか。☆

A.歌や声が目立つのもよくありませんが、歌い方や発声が目立つのは、もっとよくありません。ところが日本の舞台では、それを売りものとし、発声技術っぽいものをわざと披露していることがあります。余興ならよいのですが、どうもステージがもたないから小手先で媚びたサービスのようにみえます。それを、演じている本人が気づいていないこととブラボーと受ける客がいるのも事実です。それはそれでよいとしても、芸を追及するなら、このようなことを厳しくカットすべきだと思うのは、私だけなのでしょうか。本場に追いつけとか、超えろとはいいたくありません。日本人に、日本で日本人が演じている以上、そこが本場であるべきです。でも、自ら汚し、乱れ、荒らしてしまう人が多いのは、もったいないと思うのです。(♭)

Q.しぜんに、リアリティを演じ切るためには、どうしたらよいのですか。☆

A.根本的な問題は、表現、個性、構成、展開などを、芝居や歌にもちこもうとしなかった日本人のドラマツルギーのなさに由来しているのかもしれません。しかし、ルビをふって日本でだけ日本語で歌う外国人の歌の声のしぜんさ(イントネーションはおかしいのですが)には、私はいつも驚かされてきましたが、それもあたりまえのように思えてきました。

 お笑い芸人をみていると、金髪に付け鼻をつけて、外国人になり切ってコントをすることがあります。へたな芸人は、日本人が合わないものをつけていると目につきます。うまい芸人は、客に日本人か外国人かも忘れさせ、芸を魅せます。(♭)

2017年4月27日 (木)

Q.しぜんとふしぜんとは、どういうことですが。☆

A.日本人の場合、音程だけを歌っているような歌唱、高い声はひびかせ、スタッカート気味に歌うという、いかにも声楽もどき歌い方がそのまま表われるのです。誤解がないように言うと、クラシックでなく声楽もどきです。このあたりになると、日本人や日本語の弱点の問題も加わってきます。

 ふしぜんに対し、しぜんとは、歌い方や発声の仕方が表立って出ないものと考えてください。つまり、音程やメロディや発声の技術などが表立って出てはいけないものが出ていないことです。それは表現やリアリティが欠けているから目立つのだと捉えるべきです。両立しがたいゆえに、それを結果として目指すものなのでしょう。(♭)

Q.「リアリティへの思い」とは、どういうことですか。☆

A.日本人は、日本の歌で満たされなくなりつつあります。それが顕著なミュージカルのふしぜんさはわかりやすいので、悪意でなく例にとってしまうのですが、いきなり踊り出したり、いきなり歌い出す、タモリさんがネタにされてきた、わざとらしさ、ふしぜんさです。このことは日本のミュージカルだけではありません。日本のは向こうのものの真似です。シミュレーションが似ているゆえに、そこで、ふしぜんさが目立つのです。

これは、日本人が金髪にしたり、ドレスを着たりすることのふしぜんさではありません。日本人の作家の書いた日本を舞台に、日本人しか登場しない作品でも私は感じるのです。そこで、たまに出ている客演の外国人の歌の方が、しぜんに思えることが少なくありません。そういえば、外国人が日本語で歌う方が、高く評価されているケースが多いのではありませんか。(rfリアリティ)(♭)

Q.日本と世界の根本的な違いは何でしょうか。☆

A.日本は、音(オーディオ)より、絵(ビジュアル)に厳しく、舞台には成熟より未熟、強者より弱者に情をもつとも思っています。(♭)

2017年4月25日 (火)

Q.一方的に日本人を批判して、欧米人の賞賛をしているように思うのですが。☆

A.比較しているつもりです。韓国、中国、ニュージーランド、フィリピンあたりもクラシック、ポピュラー問わず、すぐれたレベルの歌い手が出ています。ですから、欧米VS日本でなく、日本以外VS日本と考えています。しぜんな声の使い手があまりに日本に少ないからです。

もちろん、イタリア人がイタリア語を使って歌うとしぜんです。少なくとも、日本人がイタリア語を学んで、イタリア人になり切って歌うよりも、しぜんなのは言うまでもありません。しかし、ここで述べる「しぜん」とは、そのような現実の巧拙ではなく、リアリティの成立においてということです。私には、パンクやへヴィメタの声でも、理にかなっていれば、「しぜん」といえるのです。ジャンルを問わず、一流のもつ条件は、しぜん、シンプルに尽きます。(♭)

Q.日本のクラシック歌手の歌い方に違和感をもつのですが、どうでしょう。☆

A.たとえば、「千の風になって」を大ヒットさせた秋川雅史さんがいます。彼を日本の声楽家の代表の例とするのは異論もあるでしょうが、その歌と三大テノールの歌とを発声だけで比べてみてください。新垣勉さんや錦織健さんでもよいでしょう。ロックなども歌っていた彼のクイーンのカバーと、オリジナルを聞き比べるのもよいでしょう。

日本の声楽家が、全体としては著しいレベルアップをしているのですが、昔のように国際的スターが出ないのはどうしてか、ということも念頭においてください。私自身のクラシック観は、「本物はなんとしぜんでダイナミックなのだろう」ということでした。ストレートで、ことばを言うようにして、声がビンビンにひびいています。せりふ、普段の声もとてもよいのです。(♭)

Q.日本の声楽の限界や日本の歌のふしぜんさを、どう考えられていますか。☆

A.声楽家に対して、持つ声のイメージというのは、日本では必ずしも的を得たものではありません。実際の歌手への発声も本場のオペラ歌手とは、やや異なるといってもよいでしょう。しぜんに自分の中心の声を使うよりも、先生に教えられるやわらかな声に傾く人が多く、ドラマチックな迫力がなくなってきました。それが時代の要請とともに、日本人の限界を見据えた処方だったとしたら、まさにポップスと同じことが起きたといえるわけです。

本場のものをみたことのない人は、日本人の弱く美しくやわらかい音色に対し、向こうの迫力にびっくりするかもしれません。一説には、その人の体の中心の声を伸ばすイタリアと、師のコピーを徹底するドイツの違いがあるそうです。そうであれば、日本の声楽が後者になっていくのはよくわかります。私は前者の立場をとっています。(♭)

2017年4月24日 (月)

Q.クラシックと日本人の舞台の歌う声との違いとは、何でしょうか。☆

A.かつてのよい声は、藤山一郎、近江俊郎、淡谷のり子などといえば、おわかりでしょうか。日本では声楽出身、しかも、日本では一流どころの彼らは、むしろ声量を抑えるのに苦労したようですちなみに、声を大小や長短で調整するのも、日本人らしい感覚です。これは、ポップス、ジャズやシャンソン歌手などに継承されました。

代表的な例をあげると、宝塚歌劇団の越路吹雪や岸洋子でしょう。今もその感覚はミュージカルに流れ込んでいます。声楽の中でもみられる日本の特殊性に通じているわけです。(♭)

Q.舞台で求められた声とは、ヴォイトレからみて、どうですか。☆

A.今ほど音響がよくありませんでしたから、プロになるということは当然、大きな声、通る声が必要でした。(実際には、大きな声、通る声とは違うのですが、そう思われてもいたのです)そのためにも、生まれもっていながらの楽器である声が大きく太いことが条件でした。

これは共鳴によるので、生まれ持ってあごが大きい、顔が大きいのは有利だったわけです。それに加えて、声の使い方で大きくすることが問われたのです。アナウンサーも、歌手もその類にもれません。そこで歌手の多くは、声楽のレッスンを受けました。声楽家出身の人がポピュラーの黎明期を築いたのです。(♭)

Q.ポップスのヴォーカリストでも役者と声楽(音大)出身の人では違うのでは。☆

A.シャンソンとカンツォーネの中でも違うし、演歌とニューミュージック、ジャズと民謡でも違います。しかし、その中でも人によって違います。大雑把にいうなら、ジャンル別というよりも、二つの声の目指す方向の違い、古いところでは三橋美智也と村田英雄の声の違いと考えてください。そこには民謡と浪曲の違い以上のものがあるのです。これを、内輪(室内)と外野(野外)の声といっている人もいます。日本の場合、この二つのパターンそれぞれに代表する声や共通する声が、どこにもあるようなことがおわかりでしょうか。(わからない人には、少し違いますが、前川清と細川たかしなど)(♭)

2017年4月23日 (日)

Q.ミュージカル俳優が、レッスンによくいらしているというのはなぜ。

A.ベテラン勢は、かつての教え方が若い人に通じなくなったことや、演目にアフリカンリズムなど、これまでの日本の声楽の発声では似つかわしくないものが増えたため、さらに出演者に「声」においても、役者的な要素やより求められるようになったからのようです。(♭)

Q.ミュージカルには声楽が有利ですか。

A.日本には、声楽の基準に基づいた声をありがたがる傾向があります。ミュージカルで出来不出来や、他人との比較が容易なのは、「日本の声楽」という共通の土俵があるからです。私が「日本の・・・」とつけるときは、世界標準というものがあるとしたら、それとは少し異なるということです。日本人の場合は、ほんの少数をのぞき、個性的とはいえず、ややステレオタイプ、多くの人に思い浮かべるクラシック歌手のイメージです。本来はそのように、それっぽいふしぜんな声ではないのですが。このタイプは、ミュージカルにおいて、貴族役などには合います。「オペラ座の怪人」e.t.c...。(♭)

Q.「二つに分かれてしまう日本人の声」とは、どういうことですか。

A.海外との差がわかりやすいミュージカル俳優を見てみましょう。本来は、個人別にみていくべきものですが、大まかな分け方をしてみますと、日本の場合、どうも声楽出身者と役者出身者にくっきりと分けられてしまうということです。

前者は、声が伸びやかでつやがあります。声楽特有の歌声、音色があり、それは高音域で明らかに目立ちます。つくった声、磨かれた声であり、そこには確かに一つの基準と技術があります。一方、Yタイプは、パワーとインパクトがあります。クラシック型に対して、ロック型といえます。それぞれにあまり似ておらず、個性なのか、くせなのか、ともかく存在感があります。中には、低音や太い声のあるタイプもいます。苦手なのは、高音処理です。シャウトでこなす人もいます。合うのはロックオペラ。それでも日本人の場合、細くかん高い声になる人が多いです。 前者は、「エビータ」での、ミュージカル版「劇団四季」、後者は、映画版「エビータ」のマドンナとバンディラスの版と考えてみてください。それぞれ、同じ歌を比べてみるとわかりやすいでしょう。

 どうしてこのようにはっきりと二つに分かれるのでしょうか。海外のように、どちらのタイプのよさをも兼ねそろえたような人は、日本にはいないのでしょうか。この分類を、もう少し他の分野に応用してみますと、

(前者のタイプ)アナウンサー、ナレーター、声優、コーラス、合唱団、民謡、童謡歌手……似た声、ことばの意味伝達が主

(後者のタイプ)キャスター、パーソナリティ、落語家、レポーター、ゴスペル、ロック……違う声、感情の表現が主(♭)

2017年4月22日 (土)

Q.歌っていて、フレーズの最後まで踏ん張りがきかず、歌いきれません。

.呼吸のための筋肉をもっともっと鍛える必要があるようですね。

フレーズを最後まで支えきれない方は、息を吸うときに使う筋肉と、吐くときに使う筋肉を鍛えていきましょう。

普通に息を吐き、吐ききったらさらに、おなかをあと3センチ中に引き入れるようにぺちゃんこにします。おなかの内側にある筋肉が使われます。吸うときにはなるべく素早くおなかがもとに戻るように吸います。おなかが俊敏な動きをするように見てみましょう。これを何回か続けます。ただし、とてもパワーが必要な運動なので、筋肉の少ない人は、肩や首など、本来使ってほしくない筋肉を総動員させてしまうかもしれません。これは本末転倒ですので、おなかの力だけで行うようにしましょう。

次に、横隔膜押し下げながら息を思いきり吐きます。フレーズの最後まで続かない人は、音節ごと横隔膜を動かして息を吐きます。例えば「うさぎおいし、かの山」というフレーズでしたら「ウー」「サー」「ギー」という風に、一音節ずつ、吐いて練習します。

これができるようになったら、今度は一つ一つずつやっていたものを、レガートで続けて「うーさーぎーおーいしー」とつなげて歌ってみます。このやり方で、フレーズがつながるようになっていきます。(♯β)  

Q.声が裏返ります。どうすれば回避できますか?

.声が裏返る原因は声帯を動かしている筋肉が弱い、もしくは使うべき筋肉が使われていないということが考えられます。

声帯を動かすのに、地声と裏声では使われている筋肉が異なります。さらには咽頭が上に動きやすいのも声が安定しなくて良くありません。

これらの筋肉をよくトレーニングしていく必要があります。まず何より必要なのは声帯の周りの筋肉を動かすことです。口蓋を上げながら思い切り息を吸いながらのどの奥をあくようにして見ましょう。ここで声を出したらものすごく高音がでるかようフォームですね。目も開く喉の奥も開く、首を後ろに引っ張られるかのように。吸いながらこれらの動きをします。

次に舌を出して、胸の上の部分から舌を出しているイメージで「エー」「ベー」と低い音で出してみてください。

声帯の周りの筋肉をほぐしたら、次は単音で声を出していきます。「オー」を低音からロングトーンで高音までだしてウォームアップしたら、地声で低音で「ア」といってから、高音で歌い始めます。たとえば「ア」(一オクターブのA)「アアアアアー」(一オクターブ上のABCBA)という風にです。地声と裏声を交互に出して、声帯に、使う筋肉を覚えさせるのと、高音の裏声でも地声で使う要素を取り入れるように訓練していきます。

しかし喉元だけに気をとられてはいけません。これを身体全身に落とし込み、身体の動きと連動させて歌えるようにしていくとさらにいいパフォーマンスになるでしょう。(♯β)  

Q.よく重心を下げてといわれますが、上手く重心を下げて歌えません。

.息を吸ったときに、どうしても肺に入るものですから、胸郭が上の方に引っ張られて、いわゆる胸式呼吸になっていらっしゃる方がいます。 

また、上半身と下半身がウエストのところで分断されて、下半身と全くコンタクトをとれないまま、身体が上に引っ張られるかのように歌っている方がいます。これは腹式呼吸ができていないこと、身体の姿勢が整っていないために、横隔膜が下がらずに結果的に胸式呼吸になっていること、重心がしっかり下がって上半身と下半身を繋げられていないことが問題です。 

それでは、重心を下げるためのトレーニングですが、先ず、空気椅子に座るかのように、下半身を下げてみて下さい。このときに背中を少し丸めて、背中が反らないようにします。腰から下の方に息が降りているような感じです。よく東洋医学の言葉で「上虚下実」といいますが、まさにそのイメージで、下半身を充実させて、どこか安定する位置を探してみて下さい。

首も自然に下を向くように、突っ張って腰からの一連のアラインメントを崩さないように気をつけます。この時、上手く脱力ができていると、お腹の下の方が膨らむ腹式呼吸になります。この姿勢で息を吐き、徐々に声にしていくという、地道に自分の身体と対話するようなイメージで重心を下げて歌うことを会得していきましょう。

(♯β) 

«Q.今の時代のお手本は誰でしょう。