Q.本物の声とは、どんなものですか。
Q.本物の声とは、どんなものですか。
A.映画「バーレスク」のクリスティーナ・アギレラの一声は圧巻でした。もし本物の声のトレーニングというものがあれば、その結果は、このようにシンプルに、冒頭の2、3秒の声で示されるべきでしょう。しかし、日本人の多くは(特にトレーナーや教師ほど)、「これは“のど声”で決してまねしてはいけない、目指すべき見本は、私の声(大半は魅力のない、かぼそい声)です」というがごとくに指導しているのです。確かに、まねしたり目指すことのできない声ともいえますが…。
Q.日本のポピュラー曲の変遷とヴォイトレの関係は。 A.私がかつてスタンダードな見本にとらせていた歌い手の声を聞いたことのない世代も増えました。私がサンプルにあげるようなヴォーカルには、私の若い頃にすでに伝説となっていたような人もいるのですから仕方ありません。しかし、その気になったら、今は昔よりも簡単に聞けるのですから、がんばってみてください。そういう声を聞いても心が動かないのかもしれません。インパクトのあるストレートな歌声が、日本では求められなくなってきました。同じ世代の歌に惹かれるのは、いつの時代も同じです。歌はそれでよいと思うのです。しかし、基礎トレーニングとしてのヴォイトレであれば、それは国や時代を超えて通じる声をベースに置くべきだというのは、私の最初からの考えです。 Q.体の楽器化とはどういうことですか。 A.日本の歌手(多くの声楽家も含む)やヴォイストレーナーに絶対的に欠けている感覚が、胸声の理解と習得です。それがある人は、頭声、1オクターブ(一番低いところからは2オクターブ)上の発声や共鳴も、理解できます。ところが、その逆は、難しいのです。日本人の軽いソプラノは胸にひびかないからです。 声帯や目指す声のイメージも、それぞれに違うのですが、私は歌手の声と一般の声とを分けていません。テノールやソプラノは、全く違うという立場の人もいますが、この辺りは、私は低い方の声もあるので、今の多くのトレーナーの高い方中心の指導とは異なることは知っています。自分の声一つで、体からの声というのを本当の意味で示せないところが、世界と日本の差ともいえます。
Q.高い方が出やすい人はどうすればよいですか。
A.自分の出しやすい声でよいです。頭声から入るとよいでしょう。日常の発声や胸声ばかりにこだわるべきではないという立場をとっています。(日本にはいないドラマティックなテノールは、バスやバリトンに近い楽器を高音域発声までテクニカルに習得したというのは、私の仮説ですが・・・。)
Q.日本で太い音色をもつ、ハスキーな声でハードに歌ってきた歌手は。
A.欧陽非非、キムヨンジャ、新井英一、和田アキコさんなど、どちらかというと、大陸系の人です。スポーツ界とも似ていますが、文化やスポーツは、周辺から成り立っていくので、不思議なことではありません。シャンソンは、フランスへの移民、ジャズやゴスペルはアフリカからの黒人によって荷われていました。
Q.“背中から声を出す”レベルで声を扱える人とは。
A.日本では特に歌い手に少なく、役者や声楽家、邦楽家には多かったようです。今ではお坊さんくらいになりつつあります。とはいえ、アジア、中国やフィリピンあたりからは、欧米をしのぐ声や歌唱力の持ち主はどんどん出ています。私は世界標準と日本人のズレ、日本のさらなるガラパゴス化が気になっています(ちなみに、“背中から声を出す”という表現は、日本人の耳を英語向けにする教育において、アルフレッド・トマティス氏が使った用語でもあります)。
Q.絶唱と限界の体の使い方は。
A.オペラ歌唱の絶唱の姿勢や顔の形は、ホセ・カレーラスなどの歌唱などでもわかりやすいですが、それは楽器としての理想から追求された超人的なものです。(独特な顔つきになります)発声して、もっとあごが開けば、口が開けば、鼻や眉間が出っ張っていれば、もう2、3音クリアできると、音域(特に高音)や音色の深さがわかりやすいですが、感じられてくるものです。それは、楽器としての自分の体の限界というものです。ちなみに、楽器としての理想は、吹奏楽器をみるとラッパ型となるわけです。ところが、声帯やのどや顔は、音を出すために生じてきたのでないから、そのようには加工できず、大きな矛盾が出てくるわけです。
Q.発声での葛藤とは何ですか。
A.発声トレーニングをして、本気になると、高音では一時、顔がくしゃくしゃになってくるのです。ポーカーフェイスでハイCまで歌える、ルチアーノ・パヴァロッティの偉大さは、その逆ということで捉えられます。生身というしぜんと、造作のテクニック、人工的なものとのせめぎあいが生じるのが、ふつうなのですから。
のどという楽器の完成へのプロセスは、未完成なりにも、もっともうまく奏でようというテクニックとのせめぎあいとなります。つまり、のどとその使い方においての葛藤につながるのです。そこまで体を楽器化することを目指すのが、私のめざすヴォイストレ-ニングなのです。(♭)
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