Q.声づくりということばは、しぜんに声を出すのに誤解を与えませんか。☆
Q.声づくりということばは、しぜんに声を出すのに誤解を与えませんか。☆
A.声づくりは、つくり声ということではありません。しぜんに声を出すのに、しぜんな声というのを、どう定義するかによって、よいとも悪いともなるように思います。たとえば、しぜんに出していて、しぜんに聞こえない声が、しぜんに聞こえるようになど。よい意味になったとき、その変わったことを声づくりということでできると思うからです。
Q.ことばを言うときに、芯のある声で響かしたいのに、喉を締めてしまいがちです。☆
A.これは、たくさんの観点を含んでいます。まず、せりふと発声(声楽や歌唱)との違い。響きからみていくと、浅く集約された共鳴に対して、深く集約された共鳴をよしとします。「芯のある」はそのための中心軸感覚として、よい意味に使っています。深く胸に芯があって、口先に響く、喉にかからない声にするということです。
Q.きれいな歌声と説得力のある歌声について教えてください。☆
A.日本人の声楽や合唱が、前者を目指しているなかで、私は芯のある声での後者をより上位に置きます。ただし、ここでの説得力というのは、役者が力任せにせりふを言う喉声ではありません。せりふ、ことばの発音は、理想の共鳴からみると、それを妨げるものです。
ですから、私は、歌は音楽的な共鳴から、人間らしく、それを一部損ねたものとしてもみています。歌の表現力を目指すものとみているわけです。
喉を締めて押した声は、下手な声楽家だけでなく、ポップスのシャウト、役者などで、大声で怒ったり、ドスをきかすために用いられます。私は、喉によくないので、特別な応用例として位置づけています。
Q.そもそも、欧米人とは発声以前に耳が違うのではないでしょうか。☆
A.言語も違うと耳も違います。乾燥した風土で石造りの壁に囲まれていると、否応なしに声を出したときに共鳴に親しむことになります。室内に声がどう響いてくるのか、そこから感じながら自分の声を話しています。日本人には経験しにくいことです。
Q.日本の伝統的な発声は、歌に使えないのですか。☆
A.日本の伝統的というときに、それが邦楽の発声であれば、一般化はされていないので、芸事にもよります。ただし、そういう発声と今の日本人の声との距離は、西欧の発声よりも遠いかもしれません。
生活の中の声を含めるとしても、ここ50年で、かなり声の環境や使い方も変わりました。
声を使わないということはありません。私がみてきた限り、能や歌舞伎を幼い頃から学んでいる20代の人たちは、一般の人よりも遥かに声には恵まれています。また、邦楽の声が声楽に負けているわけではありません。70、80代では勝っているようにも思います。
Q.声楽家の声や話し方がふしぜん、つくり声のように聞こえます。☆
A.声楽家にもよると思います。欧米の感覚で日常生活も通そうとしている人、オペラ歌手では、日本に住んでいても、すぐに舞台に対応できるように、渡欧時の感覚や発声を通している人もいます。特に勉強中は、意図的に偏向させているので、ふしぜんにみえることがあります。それをマスターしたのち、職業声として、役者の深い声と同じく、しぜんに使っている人、日本人には少ないのですが、外国人のように聞こえる人。あとは間違った押し付けや、深さで無理に声にしようとしている人いますが…。
Q.なぜ、昔の役者や歌手の方が大きな声が出るのですか。☆
A.第一に、昔の歌手や役者の条件は、大きな声が出ることだったからです。音響技術の悪いときに、声が届かなくてはいけないので、アナウンサーから歌手まで、応援団のような大声訓練をしていました。プロの基準とトレーニングは、声量本位でした。生活でも、今よりは大きな声をたくさん使っていました。職を続けているうちに鍛えられていたのです。
今は、歌手は高音が多く、声量にまでエネルギーを回せません。聞き手も声量を求めなくなってきています。大リーグでいうと、松井からイチローになったみたいなものです。
ヴォイトレからみると、スケールの大きな歌手や役者が出にくくなり、よくないことと思います。現に、声優やお笑い芸人の方が、声量を求められ、その結果、レベルもアップしています。
Q.日本の声楽と邦楽の声を比べて、どう思いますか。☆
A.個人差が大きくあることは別にしてみます。歌では、さまざまなジャンルや分野、尺度によって比較もしようもないので、声としてみています。声そのものに関しては、一部の熟練の声楽家を除いては、邦楽の方が豊かかもしれません。少なくとも歌唱せずとも伝わる声をもつといえるでしょう。日本人ということを抜きにしても、邦楽が声楽より有利なのは、高音への挑戦を第一に目指さなくてもよいことです。もちろん、他の人に合わせるなど、自分本位にはできないことはありますが。
Q.イタリアの発声は前に、ドイツの発声は奥で出すのですか。☆
A.確かに、国や言語における違いはありますが、私はそのように教えられて喉を押したり、こもらせたり、張ったり、落としたり、掘ったり(これらはイメージ語です)して、バランスの悪いまま、それでよいと思っている人をたくさんみてきました。
ここでは、国や言語や○○式、○○流に囚われないものをよしとしています。それぞれ、いろんなイメージはアプローチとしては、有効なこともありますが、アプローチと完成とは、別の形であると思ってください。
Q.ヴォイトレのメニュが多すぎて、どれをすればよいのかわかりません。☆☆
A.多くの人が細かくいろんなメニュを求めてくるので、そういうものをいろいろとつくって、部分的な対処をするのがヴォイトレのようになっています。しかし、本当はもっとシンプルです。私のでいうと「ハイ」や「アー」という一声がきちんと出せたら、発声としてはよいのです。最適の一つのメニュをみつけるために、いくつものメニュがあるのです。それを共鳴や歌唱に、そのまま応用できないうちは、いろんなフレーズでのトレーニングをします。いくつかの目的に対して、それぞれ最低限のメニュがいるということです。(♯)
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