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ヴォイトレレッスンの日々

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2015年3月31日 (火)

Q.「ケーススタディ」として、福島英のレッスンをできる限り、詳しく教えてください。

Q.「ケーススタディ」として、福島英のレッスンをできる限り、詳しく教えてください。
A.ことばからオリジナルのフレージングまでの7つのエクササイズ

(1) 「メロディ処理」のトレーニング (感覚を長短大小から強弱グルーヴへ)
ここで述べる「メロディ処理」※では、リズムや音感や高低の感覚などにも、基本の力が問われます。
日本語では、体でキープすべき表現を、容易に離してしまうようになりがちです。たとえば、ことばの「つめたい」にメロディ音程を「レミファ」とつけると、「つーめーたーいー」(レーミーファーミー)となり、そこで声やことばのもっていた表現力がほとんど失せてしまいます。メロディに歌いあげてしまい、伝わらなくなるわけです。日本語のもつ高低アクセントと長さを均等にそろえるという等時性の感覚が、歌に表われてしまうからです。ことばを均等に分けてつなげてしまうため、「つーめーたーいー」となり、表現が弱くなります。(自分のもつ声の力が一言で80だとしたら、これが4つの音に20ずつ4等分されるのです)
 一方、欧米人は強弱アクセント中心のことばですから、頭から、2~3番目くらいにアクセントがつきます。たとえば「た」につくと「tai」、そのまえに「つめ」をおくようになるのです。そうすると、「冷たい」に「レミファミ」がついても、「冷たい!」と伝わります。先の例でいくと、「たい」にまとめて80から100を使うわけです。
※(どちらがよいかというよりも、トレーニングとして考えると、こうして声を発していると、自分の持つ声の力自体が80から100~120と高まり、そのうち120の力でこの4音に自由に配分して使えるようになるということです。日本人はいくら歌っていても、声の力自体は変わらないから、80をどう配分すればよりよくみえるかという、表面的な技術や形を整える方にいくのです)

 つまり、「つめたい」に対して(レミファミ)をつけると、日本人の場合はほとんど高低(メロディ)アクセントでとるわけです。音程を正しく響きでとることが歌うことだと学んだ人ほどそうなるのです。そこで、一音ずつ大切に「つーめーたーいー」と歌うわけです。
 でも「冷たい」という内容が、「つーめーたーいー」と歌ったら聞く人に伝わらないでしょう。そこでおかしいと思わなければいけないわけです。ことばで「冷たい」と言うときには、体を使い、聞いている人にも感情が伝わり、インパクトがあるのに、歌うとだらけてしまうのは、心と体がさぼっているのです。この二つ(ことばと歌)を、ご自分で録ってよく比べてみてください。
欧米人は、そのまま「つめたいー」(レミファミ)と言い切ったものには、すでにメロディがついているのです。これを私は、「メロディ処理」と言っています。日本人が全部をのばしてしまいがちなのに対し、欧米の歌はことばで言い切っていきます。口先で切るのではなく、リズムや音の感覚が入っている体で、呼吸から切っていくのです。似た例では、日本の子供たちが唱和する「セ・ン・セ・イ・オ・ハ・ヨ・ウ・ゴ・ザ・イ・マ・ス」の挨拶にみられます。

(2) 息で表現を支えるトレーニング
ことばとメロディを、リズムに巻き込んで処理できるのが欧米人の歌です。必要以上に音を伸ばさず、ことばで言い切っていきます。強弱アクセントに加え、子音中心の言語であるというのも、有利に働きます。ですから彼らの歌をよく聴くと、必ず深い息が入って支えています。伸ばすことで冗漫にならないようにし、音声のメリハリ(強弱)で展開させ、緊張と緩和を繰り返します。冗長さで表現が殺されるよりは、長さを切って息で動かし緊張を保ちます。その音のかけひきで、芝居や歌の世界がでてくるのです。
この緊張を、音色でさらに表現力を増して伸ばすのが、次に述べる、歌でのフレージングです。音の線をどう動かすかという、声という楽器での演奏技術の基本となります。
 発声は、呼吸をどう使うかということです。それを支えるために深い息が必要です。まずは、「ハー」という深い息を完全にコントロールしていく力が必要なのです。

(3) だらだらと伸ばさずに切りつめる表現トレーニング
「レミファミ・ミレド・ドシシ」で「つめたいことばきいても」とそのまま歌っても、声、ことば、メロディは明確であっても、表現は必ずしも出てきません。何かを込めない限り、表現にはなりません。役者の歌の場合は、表現するためには、ことばでまとめると、うまく聞こえます。メロディを表立たせず、「つめたい……! ことば……! きいても!」と間をとればよいのです。これが、「メロディ処理」(メロディをことばのフレーズ的に処理したという意味ということです(役者レベル)。そこから、次に歌としてのフレージングのデッサンにいきます。
間は、最大のメリハリですから、それなりに表現として通用します。決してダラダラ伸ばしてはいけません。表現とは、最小にして最大の効果を与えるものだからです。

※日本のポピュラーソングは元々、音大でクラシックの教育を受けた人が歌謡界に入って歌ってきたこともあり、かなり間伸びしていました。それが成功したのは、生まれつき恵まれ、声をさらに磨いた、惚れ惚れするよい声があったからです。当時はテレビなどありませんから、美声を求めていたわけです。
以降、どうしてか日本の歌とかコーラスというときれいな声で響かせて歌わなければいけないというイメージが入ってしまったのです。特に、そういうところで認められてきたのが指導者やトレーナーですから、この傾向が強いのです。
しかし、「つーめーたーい」と出た途端、嘘のように聞こえてしまいます。これは、よくありません。また、伝えたいことを伝えなければいけないのに、声の響きが伝わるだけでは仕方がありません。表現を伝えるということを重視すれば、シンプルにわかることです。
※日本語の一拍ずつの母音共鳴が、欧米のグループ(強アクセントで動かすこと)にのらなかったともいえます。

(4) 音程・メロディ・ことばより音色・リズム感を優先するトレーニング
日本語は高低アクセント(音程アクセント・メロディアクセント)に支配されます。そこで、うまく歌えないのは、音程(注)がうまくとれないからだと誤解されるのです。まわりの人が皆、音程で判断するからです。そのため、音程のチェックが上達のための練習だと思うようになりました。だから、音をあてる練習をし、やがて音はあたり、メロディはとれ、うまく歌えるようになるのですが、歌の表現力は成立していません。
大切なのは、音の動きをつくるリズムです。音楽的に動かしていくためには、強弱アクセントをもっていかなければなりません。強弱アクセントというのは、踏み込み、踏み込んだところで、次におのずと離れていくような動きです。グルーヴともいえばよいのでしょうか、音の動きのことです。欧米では、強拍を中心に、前後のことばをよせたり離したり、自由度が大きいのです。
現在の日本の歌は、欧米語に対する感覚で日本語を扱おうとしています。しかし、ヴォーカリストは、もっとも大切な仕事であるリズムやフレーズをつくりきれていないため、口先だけで体からの大きくダイナミックな動きは出てきません。
(注)正しくは、音程は二音間の隔たりですから、音の高さ(ピッチ)ということです。

(5) フレージングのトレーニング
 ことばの統一、音高での音色の統一、そしてメロディ処理の次にくるのが、「フレーズ処理=フレージング」です。ここからヴォーカルと呼ぶ領域に入ります。ここまでは、その人にとっての「オリジナルな声」という共通した基準でやるのですが、ここからは、歌への応用ですから、そのデッサンのあり方はそれぞれに違ってきます。
ここでいうフレージングとは、ことばを音楽の世界へもっていくところにあり、最終的には自分でどのようにでも好きに変えてもよいものです。ことばの内容や声の感情という音声の力を練り上げ、音楽の世界にもっていくのです。ここが、ヴォーカリストの醍醐味です。その人の呼吸と呼吸の使い方、さらにそこに乗せる音色に左右されます。

「冷たい」を「つめーたい」「つめたーい」と、表現力を強め、動かしてみましょう。ことばを、音の線にして音色で展開させていきます。ヴォーカリストは、「つーめたいー」「つめーたい」「つめたーい」などのフレーズをつけ、ことばだけでは伝わらないものを伝えます(ここは、文字では伝えようがありません)。
※どうやるのかは音の世界での表現法がわからないと決まってきません。歌は、ことばを音楽に高めなければならないのです。この「つめたい」が、曲の冒頭にくるとしたら、はじめに充分に聞いている人をひきこみ、次を期待をさせるまで表現する必要があります。前述の「だらだらと伸ばさずに切りつめる表現トレーニング」でも触れた、「つめたいことばきいても」の「つめたい」を、「つめたい つめたい つめたい」で歌ってみて伝わるかというレベルに入ります。
フレージングのトレーニングは、そこにヴォーカリストがどんなことを感じているか、どのように音のフレーズで表現しようと思っているかを、その表情や息から細かく読み取り、感じてみることから始まります。ことばと同じく、意味のない音はたった一つとて、歌にはないのです。

(6) ことばのフレーズを歌のフレーズにするトレーニング
 もう一度、ことばで「冷たい」と言ってみましょう。「つめたい」を「冷たい!」と表現できるようになったら、次にフレーズの処理です。そのまま「冷たい」という表現が消えないように音の世界にもっていきます。音程やリズムなどは忘れて、伝える表現をすることです。「レミファミ」という点をつなげたようなフレーズなどはありえないのです(カラオケではリヴァーブ(エコー)でつないでごまかしているのですが)。また、「つーめーたーいー」と、大声を張って直線的に一本調子につなげてはいけません。
強弱アクセントだけでも、音質がそろうと呼吸だけで展開できるわけです。ことばを一つにまとめて捉えることで、リズムもメリハリもおのずと動いて、強弱で動かせるようになるのです。
「ドレミファソラシ」のスケール(音階)を「ラーラーラー……」と、ただ響かせて発声してつなぐのと、「ハイハイハイハイ」と体から支えた声でシャウトするのでは、前者のほうが楽です。後者は、体も使うし、音色がでてくるまでに時間がかかります。しかし、しっかりと動かせる声でなくては、いくら歌っているつもりでも、本当には伝わらないのです。

(7) 線でつなぎ、統一して捉えるトレーニング
ことばにフレーズを自由自在につけ、リズム、メロディも微妙に変えて表現することは、強弱アクセントを中心として、ことばをすでにフレーズとして一つに捉え、動かしやすくしているからこそ可能なのです(図※日本語と外国語のフレーズ)。それを自分の中でコントロールして、伝えたいことを音の世界でギリギリまでつくっていきます。それには、先に述べたように、ことばや、音の高さや長さや、メロディなどによって発声が変わらないことが条件です。つまり、1~3の条件(1.高低(声域) 2.母音やことば(発音) 3.メロディ(音程)での発声の統一)なくして、フレージングはできないのです。
声を統一するということは、たとえば、「つめたい」なら「たい」の「た」と「い」の間、「たーい」ということばの間や、「ファーミ」という音の間に切れ目をつくらないということです。そうでないとフレーズという線の世界に入れません(マイクや音響(リヴァーブ)に頼らず、チェックしましょう)。

※日本語の場合は、よほど気をつけて扱わないと、トレーニングでかえってバラバラになりやすくなります。口パクの発音練習や音あて、リズム刻みの音程練習ばかりしてきた人は、特にこの傾向が強いのです。口をパクパクしているところに線などできません。それは口先で声や音をつくっているだけだからです。音響(リヴァーヴ)でつなげているから、もつようにみえるだけです。
EX. 「つめたい ことば 聞いても」 (原詞) 「Nonsomai  Perche・・・」 のトレーニング
【参考】 曲名「心遙かに」 歌手:イヴァ・ザニッキ(♭)

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