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2016年3月 6日 (日)

Q.口承は、伝える人によって変わりますが、書物では、文字として正しく残るのではないでしょうか。☆☆☆

A.私もかつて、そう思っていました。歴史でも史料では何よりも目に見える証拠能力があります。伝言ゲームはメモ一枚で成り立たなくなると本に書いたこともあります。

しかし、今、考えると、書物こそ、書き手が都合よく正当化して書き換える、あるいは、考えずにそのまま丸移しをしてしまうものかもしれません。

一方、口承は、伝える人の力がないと伝わらないから、力のある人しか伝えられない。伝える人のことばが若干変わろうと、その価値や真実をつかんで、いや、つかめたところを残していくようにも思います。もちろん、オーバーパフォーマンスにもなりますが、どちらにしても、歴史はねつ造されていくわけです。

ただし、芸は、変じたり、より深まったりもしていくもので、当初のがもっともよいとは限りません。そもそも「正しい」でみるものではないのです。

元は文字でなく、口から出たものだったのですから紙に写したときに多くのものが削がれて、読む人はイマジネーションで読み返せる。それは送り手と受け手の能力によります。今の音は、レコーダーでずっと残されるでしょうが、19世紀以前のは、生のは残っていないわけです。書物でいくら読んでも想像するしかないのです。(♯)

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