Q.メニュはどう変わったのですか。
A.反発させ、新しいムーブメントをつくる基盤にしようと思ったのです。アーティストを育てる場でグループというのは、仲間同士の研鑽の場です。プロの歌唱や芸を聞かせるだけでなく、それを通じて、バーチャルに一流のアーティストが何人かあたかもそこに参加しているという設定で行なっていたのです。これは同じトレーナーが中途半端な見本を何回も見せるよりも、はるかにすぐれた方法です。(今やこれは個人でも、ユーチューブなどでほとんどコストをかけずにできます)このあたりは昔も今も、私が自分よりもキャリアも腕もあるアーティストに接してきたからこそ、やってこれた方法です。
声からみると歌手になりたい人でさえ、せりふのほうがリアルに伝わる、歌の声がまったくこちらの心に響いてこないことで、せりふ中心、一声一音中心のトレーニングから始めることを考えました。
一流のアーティストの音楽を借りて、それをコピーするようにしていったのは、歌よりも音楽性(楽器としてのレベルで声をとらえてはじめて声とその動きが出てくるという意味での音楽性)の欠如の問題が出てきたからです。
初期のブレスヴォイストレーニングは、声を自在に使えるように、大きく強く出せるようにするものでした。一言でいうと、役者などの大声トレーニングの無駄を省き、効率化したものでした。「声が出てきたら、役者レベルの声になったら、あとは音楽でも役でも好きに声を使いなさい」という踏み台に基礎の基礎だったのです。
しかし、声が欠けていても音楽性はあったらプロという今日においても、当然のごとく、多くの日本人のアマチュアはどちらももっていないわけです。特にポピュラーでは、声よりも音楽性が優先されるので、苦肉の策として、グループレッスンの60~120分のうち、8対2で、聞くことを入れました。残りを歌のコピー、つまり、即興で聞いては真似するインプロ・フレーズコピー実習を徹底しました。
最初はサビから、次にフレーズずつ一曲を2、3時間で仕上げていきます。使うことばも英語からイタリア語(フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ナポリ語)などに広がりました。複数のアーティストの同一曲を使うことになり、さらにイタリア語と日本語の歌手で聞き比べるようにしました。歌曲もカンツォーネからより言語に近いシャンソンに、さらにリズムを踏まえて、オールディズ、ラテン、ファド、日本語として歌謡曲、フォーク、演歌と広がっていったのです。ベースは、1960年代のカンツォーネ、シャンソンの日伊仏の比較でした。
発足の当初は、欧米のアーティストの卵から岸恵子さんの娘なども来ていました。
自分を手本でなく、一流を見本にする。そのことによって、教えている人の半分のレベルにも育てられない多くのトレーナーのようにはしないように心掛けました。自分よりも高いレベルに多くの人を育てたことが、トレーナーの価値です。ここが、その希有な場所となったともいえます。その勢いで効果の証明として、一般の初心者をゼロから立ち上げて、グラミー賞を獲るところまでいきたいものです。(♭)
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