Q.外国人、一流のトレーナーの判断基準と日本人は異なるのですか。
A.アメリカに行って、私どもの方法とまったく違うやり方で、声を開花させられたという生徒がいました。こんなことは、いろんな国に行っている私にはわかりきっていることですが、結論からいうと、それぞれ国のトレーナーがその国ですぐれていても、日本人のことはそれゆえわからないことが多いのです。
日本人が向こうに行ってバランスのことを言われ、力を抜き、リラックスして、しぜんな声を取り出す。それでいくらやっても、大半は彼ら並みの声にはなりません。でも、本人はそれで褒められて満足している。そういう例はたくさんあります。
彼らのやり方だけでなく日本の声楽で行なわれているやり方も、声のない(声の芯や深い声のない)人にはあてはまらない。というか、あてはめると、バランスのとれた声域づくりになるのです。ベースの声を本格的にトレーニングして鍛えてから、向こうに行かないと、あまり使えないものです。
誤解されることも多いので、明確に述べておきます。彼らは一般の人であっても、日常言語で、深くひびく太い声を持っているのであり、それゆえそれを邪魔する要素を取ればよいのです。(まして、歌手、役者をめざせる人なら)しかし、日本人の大部分はそれがないので、その獲得から始めなくてはならないということです。
もう一つの理由は、日本には弱くて届くだけの高音発声をよしとする人が主流なのです。無理をしていたら、中には鍛えられる人もいますが、今は抜くだけ、あてるだけの発声ですから、本当にバランス調整だけなのです。歌手、トレーナー、演出家、作曲家にもそういうタイプゆえに、カラオケの先生やヴォイストレーナーをうまくやれる人の方が多いため(特に歌の指導はそういう人ばかり)、本当の意味で体からの声というのか、理解も獲得もできないことが、ほとんどなのです。高くきれいな声だけで、表現力、説得力、個性がない声、それゆえトレーナーにふさわしいという考えもあるのですが…。 疑うのなら、体からの声を一声で示しますから、いつでもいらしてください。本当の基本とは、シンプルです。一瞬で示せるものです。簡単そうにみえ、誰でもできそうで、すぐには絶対にできないものです。 こういう声は、歌に限らず映画や演劇などにも、外国人のオペラでもエスニックな歌にもけっこう共通してあります。そういう観点で、世界中の声を聞いてください。体の中にあり、トレーニングの年月が、血肉になっていく声においては、純粋にトレーニングの方法、メニュ、技術の結果だけを分離して判断することができないものです。(♭)