Q.発達障害で、人の気持ちが読めないということはありますか。
A.声だけで喜びと怒り、嫌悪の感情を混同するのは、発達障害に多くみられるそうです。悲しみと嫌悪の混同、嫌悪と怒りの混同も顕著だそうです。
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A.声だけで喜びと怒り、嫌悪の感情を混同するのは、発達障害に多くみられるそうです。悲しみと嫌悪の混同、嫌悪と怒りの混同も顕著だそうです。
A.エリクソンのライフサイクル理論では、大人の時期は、次のとおりです。
青年期 自我同一性 拡散
23-34歳 親密性 孤独
35-60歳 次世代育成能力 停滞
61歳― 統合性 絶望
A. 「本来感」といわれるものです。自分の価値観をもち、自分がどんな人間なのかを知っていることです。そして、自分の欠点、嫌なところにも対峙できていることが、その条件です。
A. 2歳半くらいからです。声からの感情の読み取りは、感情によっても違いますが、けっこう難しく、6、7歳くらいから9歳くらいとバラつくようです。
A.いくつかのことばを例示します。これを使ってみてください。
あご あごをなでる
肩 肩を落とす、肩をふるわせる
手 手に汗を握る
腹 腹の皮をよじる
足 地に足がつかない
A.いくつかのことばを例示します。これを使ってみてください。
頭 痛い、苦悩
目 目をむく、目くじらをたてる、目がすわる―怒り、目をみはる、目ん玉が飛び出る、目を白黒させる―驚き
以下、そのパーツのことばで表される感情を考え、表情づくりと絡めつつ学んでみてください。
眉 眉をひそめる、よせる、あげる
歯 歯ぎしりする
舌 舌を出す、舌を巻く
口 口を尖らせる
A.それは、「悲しいから泣く」のに対して、一時、優勢だった理論です。その後、どちらもありとなりました。現在は、脳内ネットワークと関連づけての感情の研究が進んでいるようです。
A.プレゼントは、単にモノではありません。相手が自分のために考えたり、買いに行ったり、時間や労力を使ってくれたのですから、その好意に感謝を表すものでしょう。英語では、white lieと言います。嘘も方便、この場合、嘘ではありませんが。
A.どのくらいに劇的なのかは、人によりますが、本人が選んで生きていくしかないのです。演じるのは虚構の世界のなかのリアルです。必要とされるのは、実体験そのものではなく相手のイマジネーションをよびおこすことです。
A. 作品があればよいのでは。説明したいなら、多様性、異文化、そして、ことばに親しむことです。他人を理解できる力を身につけてこそ、他人に説明できるようになります。説明できる人をみつけるにもよいと思います。
A.感じ方は人それぞれ、そこは個性です。表現は人と関わっていくもので、人と一緒につくる段階があるのです。そこで期限を決め、一定のものを切り出します。評価は、後からつきます。
A.いい子ではないところに、本当の自分がいるように思うのは、成人になるまでの時期の特徴でもあります。でも、ワルや悪になり切ったところで、それを貫くのは、むしろ、大変なことでしょう。
人は、一つの役割だけで生きているのではなく、劇の役のように、社会でも、多様に演じ分けて生きていくものです。
A.仕事であれ、表現であれ、人と一緒に行うものは、大体、制限があるのです。そこまでに何らかの合意を形成し、ときに妥協した上で、できるだけ最高のものをつくることが求められます。足りても足りなくとも、精一杯やるだけです。
A.「戯曲や詩を解釈して、述べなさい」などという問題があっても、日本の教育では、クリエイティブなものとはいえません。大体はそこに予め模範解答があるからです。
本当は、その模範解答に近いほど、低く評価するべきでしょう。何より課題を選ぶ、あるいは、つくるところを自由に広げておくことです。指導者次第ですが。
A.すべてのパターンを並べて分析しても、それは過去の他の人のことであり、目の前のあなたに関するものではないのです。およそのことの目安はつくと思いますが、絶対ではありえません。
A.課題だけでなく、トレーナーの能力や進め方だけでなく、スタジオから空気、場、時間、その人の全世界、生まれてから今日まで、全てがメニュに関わってくるのです。その上に、創造して、今の自分と異なる能力をもつ自分にしていくとしたら、whyと聞かれてすぐ答えられることなど一つもないのが本当でしょう。
A.声の世界は、こうすればこうなるといった因果関係が必ずしも成立しません。まさに複雑系の世界なのです。
ところが、今、ヴォイトレなどでは、どんどんシンプルに扱われるようになってきました。私は心配しているところです。
A.いいえ、ただ、今の世の中、サービス業メインですから、コミュニケーションが苦手な人は社会的な弱者となりかねません。かつてのエンジニアの世界なら「沈黙は金」でよかったのですが。コミュニケーションがハイレベルに求められるようになってきたのです。
A.はい。この「どうしたいのか」がはっきりしていないときや本当にそれでよいのかと思われるときに、どのようにするのかは、いつも難問です。
A.そういうときは、相手のことばをくり返せばよいのです。「○○がわからないのですが」に対し「○○がわからないのですね」で受け止めます。ばからしいことのようですが、受け止めずに先に進めると、うまくいかないことが多いのです。
A.アナウンサーは、報道として、きちんと無駄なくしゃべる、論理的で定型にはまっている文章を読みあげ伝えます。たとえば、アナウンサーの話し方教室は、日本語の授業のようで、スキがありません。情報を正確に、個人的感情を入れずに、キャラを立てずに話すことが、日本では、求められてきたからです。
日本のアナウンサーは、せりふの表現としては、声優、役者、お笑いからは、遠いところにいるといえましょう。海外では、アナウンサーもキャスター、MCとして、日本ほど芸人のしゃべりとは変わらないです。
A.公に使う言語表現としては、日本語と日本人の両方に問題があると思います。日常レベルでパワフルな声で対話が成立していないので、それを舞台でやると、せりふも歌も、すごく大げさになります。
しかし、このところドラマなどでは、日本人の日本語らしく、パワーがなくなり、マイクや音響などでカバーするようになって、その問題は気にならなくなりました。同時に、表現としてのインパクトも薄まってしまったわけです。でも、それは現実を反映しているのです。
A.確かに、プロミネンスでのメリハリ、強調は、強弱アクセントの欧米の言語にメリットが大きいと思います。しかし、日本では、演劇の練習は、まさに演劇らしく演じることを求められてきたのです。それで客がよければよいと思います。それに台本を変えられないでしょう。強く大きくというよりは、強調の気持ちを込めてと捉えるとよいと思います。
A.対話して、よりよい改良、改善を目指していくように導くのです。誰か一人の最初のものがすごいものであったとしても、何パーセントかは改良の余地があるはずです。そうして変わっていくから、創造なのです。
A.今、関心のあることから学んでいくことです。その現場へ行って体験することはよいことです。生活にリンクしないと、ものにはなりにくいと思います。いろんなところでいろんな体験をするにこしたことはありませんが、一つの体験から多くを学べることがより大切です。すべては、体験できません。
A.かつては、スタジオでのイマジネーションに限界を感じて、研究所でも、軽井沢などで合宿をしていました。日常が舞台から遠いような生活をしている人は、そこでの日数、24時間、集中できるからです。新鮮な空気を感じ、空や星や植物、木の匂いなどに触れる方が、役に入りやすいこともあるでしょう。
でも、それは、個別に行なえばよいことです。スタジオや劇場だからこそ、イマジネーションを働かせられるようにならなくてはいけないと思います。
A.覚えるときに、ストーリーをつくったり、振りをつけたり、そのシーンを描いた絵を見たり、決まった視線で動きを捉えたり、何かとくっつけて覚えておくとよいでしょう。野外に出て、しぜんのなかで練習したり、人の顔をみながら身体に刻み込むとよいでしょう。
A.ヴォイトレでよく使われるメニュで、「歩きながらとか、ボールを受け渡しながら声を出す」などというのがあります。これは、トレーニングのくり返しで固定化する意識や体を予期せぬ動きで分散、解放するためです。直立してうまく声の出せない人は、歩いたり、体を動かしながら出すと、出やすくなります。
A.楽器の演奏で考えるのなら、AIでも、ほぼ代用できます。ただし、人間らしさというのを完全でないこととしてみると今は計算できません。やがて、それも組み込めると思いますが、場を読んで無駄や冗長をもたらすのは、人間の方がうまいと思います。つまり、下手を打つのがうまい。思いがけない失敗をしたあと、それをよりよく処理する力のようなものでしょうか。
A.演技だけではなく、ことば、歌についても、かなりの部分は、形としては、CPUで制御された動きで代用できていくと思います。いや、機能的な部分においては、そこを特化したロボットには勝てないでしょう。ただ、演技の表現力については、未知数です。
A.私はヴォイトレを、基本としてのことばや歌への発声、応用としての表現技術とに大きく分けてみています。話し方も扱いますが、せりふとしての感情表現とその基礎というようなものです。両方とも、身体性に根差しています。
ですから、日本の授業の科目の国語というのではありません。これは、明治維新以後、日本の国家統一のために定められてきたものです(1900年に「読書」「作文」「習字」をまとめたのが「国語」でした)。
A. 話すこと自体が目的なら別ですが、話し過ぎるほど、内容の肝心なことは伝わりにくくなります。伝えるのがうまい人は、最低限にしか話さないものです。重要なところだけ絞り込んで、伝えましょう。
後はリラックスして心を柔軟にして聞きましょう。話さない時間も相手に伝わる大切な時間とみることです。
A.話したこと、話されたことを書くことからでよいと思います。録音して、リライトするのもよいでしょう。書かないと忘れてしまうことを文字にすることは、明確に記録することになり、考えること、そして問題を共有することになります。
A.全員一致とか多数決で決めたらよいと思ってしまうのは、おかしなことです。それは、全員合意での全員の責任放棄です。私には、失敗したときの言い訳づくりにみえます。よいものをつくるのに、話し合って決まることがないときも多いし、その必要がないこともあります。
A.まったく接点のつかないときに、最小限のヒントを出して導くのは仕方ないと思います。しかし、トレーナーが自分の期待する答えに一方的に誘導するのはよくないことです。
A.何でもよいわけではないのです。大半は奇抜なだけで終わります。そこに根拠がなければ、それは、ただの遊びにしかなりません。でも、続けていかないと、みえないこともありますので、チャレンジしてください。
A.それは、義務教育のように、誰にでも同じことが同じように早くできるようにすればよいというものではありません。私はトレーナーが思ってもいないことが出たときに、それを大切に扱うようにと言っています。
A.トレーナーが教えすぎるのは、もっともよくないことと考えています。
その方がトレーナーもクライアントも充実感があり、その後もうまくいきやすいかもしれません。しかし、もっとも大切な、自分で感じ、考え、試してみる姿勢が身につかないという問題が隠れてしまうからです。
A.そうだとしても、社会生活のためのコミュニケーション力は、スキルとして習得できます。大半は、慣れでこなせるようになります。自ら機会をつくり出して活用し実践経験をつむことです。
A.伝わらなくてもよいから、伝わらなくても伝えようとする経験を、勇気をもって積んでいってください。そのことをじっくりと味わい、知ってください。
伝わらないと絶対に困ることなど、それほどないのでしょう。だから、めげずに伝えようとしていけばよいのです。
A.社会では、伝えたいものがなくとも、コミュニケーションをとらないとよくないケースが、多々あります。
それは、人と関わっていく経験の上で学んでいくのです。
何でも伝えてみないと伝わらないという経験も積めません。それでは、伝えることを学べないと思うのです。
A.コミュニケーションができないのではなく、その必要がないままに育ってきたともいえます。昔は、日本でも大人になるまでに意思を伝えなければいけないシーンが多くあり、学ばされたのに、今は、それのできない人の意を周りが汲んであげるから、気づかないままに力がつかないともいえるのです。
A.江戸では、男女比が7:3、町民の女性は、習い事で教養を養っていたそうです。
A.子守唄は、子供を眠らせるためにあります。おばあさんの残酷な昔話は、世の中の厳しい面への教訓でした。今は、残酷なシーンはよくないということで、薄めてしまい、本来の意味を失っているケースが多くみられます。
A.くしゃみの「はくしょん」は“atchoo”、咳払いの「えへん」は“ahem”です。
A.炭水化物を減らし過ぎると脂肪の摂取比率が上がります。また、有効成分も減ります。しかし、適度に行うことが大切です。
A.ことばは、行動のための指示や報告と、社交のためのものと2通りがあります。これは、「する」と「ある」の身体言語といえます。(DoとBe)「する」は、画一性と集団性を目指すため、序列ができます。「ある」は、個別化です。
存在論では、「存在と存在者」(Sein und Seiende)、あるいは、「存在と当為」(Sein und Sollen)のことでも考えていくとよいでしょう。
A.多くの理論や習慣、メニュは、欧米人に合わせていることを忘れてはなりません。
日本人としては、オリーブ油を過剰に摂り過ぎないことです。骨粗鬆症発症率も低く、牛乳で無理にカルシウムを摂らなくてもよいどころか、カルシウム・パラドックスもあるそうです。ヨーグルトなど全ての乳製品が体によいわけではありません。
カフェインも体に合わない人が多いそうです。赤ワインも、アルコールに弱い日本人には、ポリフェノールの摂取なら、他の食品で充分です。食後のデザートも、米で糖分を摂っている日本人には余計です。
A.筋繊維には、赤、白の2種類があります。赤身は、マグロなど遅筋、白身は、ヒラメなど速筋と聞いたことがありませんか。アフリカ系の人の筋肉の70%は白筋、日本人は、逆に70%が赤筋です。となると、マラソンほどには有利とはいえないとなります。
A.遺伝と環境の相互作用によります。一生変わらないものと生活習慣で変わるものがあります。がん細胞でも感染症でも、発症する人としない人がいます。
人は、長く生きるほど遺伝的要素が出てくるようです。学ぶほどに先天的要素に囚われず、進化するわけではないのです。
A.挫折して続かないという人は、始めた、挫折した、続かないという判断をまじめにしています。つまり、その原因もわかっている、もしくは、決めつけているのです。
挫折など考えもしない人やそれに気づいていない人なら続けていると思うのです。毎日、続けていないとダメだと思う人は、何日かして、やらなくなると挫折したと思います。何年とやっている人は、たとえ、週に1回でも続けているのです。
A.思いやイメージが明瞭でないと、自分に伝わっていかないものです。
そういうときは、いちいち声を出して行うとよいでしょう。できたら大声を出して行いたいものです。
A.何事であれ、やり過ぎるほどやってみて、調整するというのが、基本の力のつけ方です。
ピッチャーなら、コントロールよりも、パワフルな豪速球や遠投から入る方がよいわけです。変化球を早くから投げると、よくないのは常識となっています。
なのに、発声やヴォイトレでは、まさに多くの変化球の習得から入るような教え方が多くて、後で伸び悩むことになっています。
A.プレッシャー、理想への偏向、大きな成果を早く求めること、現状でできていること、できていないことの把握力のなさ、鈍感さ、傲慢さ、うぬぼれ、格好つけたがり、自己満足、自己陶酔、自信過剰、無理な背伸びなど、さまざまです。
ただし、それらが一概に悪いわけではありません。学べる場で学べない、人のアドバイスを素直に受け取れない方が、大きな弱点です。
A.その気持ちはわかりますし、邪念や余計なことは考えない方がよいのは、確かです。しかし、「無にしたい」と思うのも、邪念です。考えるべきことに集中して考えたり、楽しいことに無我夢中になればよいのです。方法としては、呼吸に集中してみるということが、よく行われています。
A. その方法が絶対によいなら、もちろんです。しかし、多くのことは、自分にとってはどうなのかは示されていません。指導者、先生や多くの人にはよくても、あなたによいかは、わかりません。いろいろとあるものを、まずは、否定せず受け入れて、試してみましょう。そして、少しずつ選択していく方がよいと思います。
A.大雑把に全体を俯瞰する能力と細部をていねいに処理していく能力です。これを両立させるのは、けっこう大変です。最初は、片方だけからスタート、やがて切り返しをして、両方をみられるようにしていきましょう。
A. その方法が絶対によいなら、もちろんです。しかし、多くのことは、自分にとってはどうなのかは示されていません。指導者、先生や多くの人にはよくても、あなたによいかは、わかりません。いろいろとあるものを、まずは、否定せず受け入れて、試してみましょう。そして、少しずつ選択していく方がよいと思います。
A.大雑把に全体を俯瞰する能力と細部をていねいに処理していく能力です。これを両立させるのは、けっこう大変です。最初は、片方だけからスタート、やがて切り返しをして、両方をみられるようにしていきましょう。
A.その気持ちはわかりますし、邪念や余計なことは考えない方がよいのは、確かです。しかし、「無にしたい」と思うのも、邪念です。考えるべきことに集中して考えたり、楽しいことに無我夢中になればよいのです。方法としては、呼吸に集中してみるということが、よく行われています。
A.「緊張していない」と自己暗示にかけるのは、緊張を促します。反対に、「緊張している」と認めて、そこから呼吸を深く強く吐くとか全身に力を入れて抜くとか、フィジカル面からメンタルを解放していきましょう。
A. これは例え話をすることです。専門用語は使わずに、形容をオノマトペで行います。子供にどこがどう痛いか聞くとき、「頭がズキズキする?それともガンガン?」とか聞きますね。これをオノマトペ以外で表現するのは難しいですね。
A.相手の褒めたい能力を定めます。英語力、プレゼン力、アイデア力、体格、貫禄、肌、声など。それを「何をしたら、そんなにいい○○になるのですか」の○○に入れます。「何をしたら」は、「何を食べたら」「何を使ったら」でもよいです。
A.中途半端に答えるよりは、「忘れました」「ググってください」でよいでしょう。おかしな質問なら「勉強不足ですみません」で切り上げます。もちろん、内容が専門分野でしたら、「少々あいまいなので、後ほど、確認してからお知らせします」と誠意をみせましょう。
A.「スベりましたか」とか「スベりましたね」と、その状況を把握していることを伝えましょう。シーンと静まり返ったあと、怖いほどシーンとしてしまった、その間を大事にとって、言ってみるとよいでしょう。そこで「ついてこいー!」となると、難易度が拡大します。まあ「ついてきてくださいね」くらいで、場をほぐしましょう。
A.人を楽しませるのですから、アホになれることでしょう。賢い人のすばらしいことばを聞くと、勉強になるし、尊敬されるかもしれませんが、楽しくはなりません。楽しいのは、一緒にアホなことをしたりみたりするときです。
A.そういうときは、素直に聞けばよいでしょう。「うまく話せていないかもしれませんが、ここまで伝わりましたか」と聞いてみましょう。私は、関心をもっているふりをして聞いている人の方が怖いですね。
A.相手と共通するテーマがよいのは、言うまでもないことですが、何かを切り出したら、それと関わりがあることを広げていくことです。具体的には、となると、相手に聞くとよいと思います。
「最近、疲れがちで、体力づくりを始めたんですが、何かやっていますか」と投げかけてみます。それで「やっていません」と言われたら、「でも、顔色がいいですね」とか広げてもよいし、後のことばを待ってもよいでしょう。普通は、「どんなことを始めたんですか」など返ってくると思います。
A.私のみている限りでは、一人前の人としての品のある言動や気配りです。どんなバカをやっていたとしても、大人の品格みたいなものがみえる人でしょうか。
A.センスには、才能のようなところがあります。スキルは、努力次第で身に付きます。センスがゼロでは問題外ですが、そこが足りなくても、時間をかけて、努力で得たスキルは活かせるはずです。
A.「三時のヒロイン」のネタの「アッハーン」でよいでしょう。
気がつくと出ている、ため息は、よくありませんが、自ら強く吐くのは、よいトレーニングであり、リラックス法になります。
A.お笑い界は、縦社会で、しつけなども厳しく、若い人でもきちんとしている人が多いようにみえます。細かいところもバシッと注意されるからでしょう。挨拶でも歩きながらでなく止まって、腰や膝をそろえて挨拶するなど、基本ができている人が多いです。
その人の接し方や考え方をみると、その人がどの世界でもやっていける人か難しい人かは、およそわかるものです。
A.それは、気の不足です。小さい声で、息もあまり吐かず、吸わない人にみられます。息切れしやすく、胃腸の動きも悪く、メンタル的に弱く、フィジカルは疲れがちで、重くだるいのです。
A.私は、声の再教育として、姿勢、呼吸、発声を3つの中心課題としています。
A.過呼吸は、息の吐き過ぎで、血中の二酸化炭素が不足し、アルカリ性にブレるので息が止まるのです。しかし、脳は、それに対して無理に吸おうとして吸い過ぎてしまうのです。血管の収縮と手足の痺れが起きます。
これがメンタルの原因で起きるのが過換気症候群です。しかし、同じように使われることもあります。
A.くしゃみや前かがみのときに、ぎっくり腰になるのは、胸郭の下の方と背骨まわりの筋肉が硬くなっているからです。息を止めて力を入れたり重心を移動させなかったりすると、起きやすいのです。
A.頸肩腕症候群といいます。背筋が弱いと、猫背になり、腕も前に出すぎます。目の疲れ、ストレス、運動、栄養、便通など、さまざまな原因がありますが、柔軟運動や呼吸法などで解決できたら理想的です。
鎖骨と肩の骨の交わるところのでっぱりをさすってみます。小胸筋を緩めるのです。
背骨の運動として、イスに座り、手をたらして、上体を丸めて前へ倒します。左に傾け、次に右に傾けます。
A.吐く息の流れを意識させるために、そうした抵抗を与えて自覚させるやり方があります。この場合、頬に力が入り気道も緊張することが多いのです。私としては、特別な目的以外では、お勧めはできません。
A.目一杯、吸気するなら吐き切る方が入りやすいですが、発声で吐き切ることは、めったにありません。吐き切るとお腹が硬くなるからです。
せりふならともかく、歌では、そこまで使いません。
A.胸を張って背中を反らすと、大きく息を吸い込むことができますが、呼吸筋のトレーニングにはなりません。胸椎と腰椎を使うのですが、横隔膜までは動きにくいからです。手をあげての吸気も同じです。どちらも柔軟運動として使う分には、よいでしょう。
A.前腹だけ動いていたらよいのではありません。胸郭の下の方が硬くなったり、腹横筋が使えなくなっては、横隔膜も大きく動けません。イメージとしては、下や横の方向へ入っていくのであって、お腹が膨らむイメージというのは、少し違います。
A. 首に後ろから両手をあてて、首を前後に動かします。次に、左右に動かします。胸鎖乳突筋に沿って、上から下へマッサージしましょう。鎖骨のくぼんでいるところに指をあて、首を横に倒すように動かします。
A.赤ちゃんは、泣くことで呼吸筋、横隔膜、腹膜筋のトレーニングをしています。脊柱まわりが整えられ、3カ月で首がすわり、6カ月で寝返りがうてます。その後、四つん這いからハイハイ、お座り、立つ、歩くとなります。
室伏選手の赤ちゃんトレーニングは有名です。赤ちゃんのまねで体幹、インナーマッスルを整えるのです。
A.力を抜くには、小さく揺らすとよいでしょう。さするのもよいのです。リンパマッサージのように、圧のかけ方を工夫してみましょう。胸郭が硬いと、胸が斜め上に上がり、肩が上がるのです。
胸郭をさすり、肋骨と肋骨の間の筋肉をマッサージします。胸郭の下に両手をあてて、左右に体を揺さぶり、ほぐしましょう。
A.筋肉は、意識を向けると収縮、緊張します。支えられることは大切ですが、発声は、呼吸や筋肉に注意を留めることとは別です。
筋肉がしなやかに動き、疲れないことが大切です。
A.胸郭まわり、背中まわり、首まわりの筋肉が、かたいときは、ほぐして整えましょう。老廃物の代謝も促します。
肋間筋1~4番は、内肋間筋と外肋間筋の両方が、4番以降は外肋間筋のみが関与します。胸郭の上は前へ、下は横へ広がります。
A.内臓のなかで唯一、呼吸筋群という骨格筋の働きが関与するのが、肺での呼吸です。
このエネルギー代謝は、コアトレ、メンタルトレーニングを兼ねます。
胸鎖乳突筋は、エラから変じたもので、肺や横隔膜と連動しています。息をするたびに、横隔膜と多裂筋と骨盤底筋の連動で動きます。そのおかげで重力に抗って、私たちは二足歩行できるのです。呼吸のコントロールで腹圧が安定するので、中心軸からの身体動作が定まるのです。
A.肺年齢は、日本呼吸器学会(JRS)で、2001年、計算式を出しました。ネットで自動計算式もあります。呼吸機能検査(スパイロメトリー)の結果値が必要です。
A.人のエネルギーを吸い取る人をエナジー・バンパイアといいます。しかし、気にする方がおかしいとも思うのです。距離をとればよいだけのことです。話すだけで疲れる人も同じです。
A.自分の秘密が漏れてしまう不安をかかえて来るのは、統合失調症です。
トレーナーを困らせるために来るのは、パーソナリティ障害です。
ときどき、専門家に聞いたり、そこへ行かせることがあります。DSM(精神障害の診断と統計のためのマニュアル)を参考にします。
パターンを見抜くこと、しかし、前例に囚われすぎないことも大切です。
A.筋肉は、負荷をかけても、その後に休ませないと増えません。
A.悩みを相談する人は、自分の問題をまとめているので、答える必要がないこともあります。
A.謡曲などでも、調子が上がると音も上げていくし、クラシック音楽でさえ、現場では、そのようなこともあると思われます。程度によりますが、聞く人がその方がよければ、それでよいこともあると思います。